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新ブログ 谷藤友彦ー本と飯と中小企業診断士
April 24, 2006
ビジョンを雄弁に語るのは文章ではなく、経営陣の真摯な態度と行動である
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企業にはビジョンが必要であるというのが一般的な見解に反して、過去にはビジョンを掲げることを拒絶した経営者もいます。
有名なのはIBMを復活させたルイス・ガースナーです。
2000年からP&GのCEOに就任し、同社の企業再生に貢献したアラン・G・ラフリーもビジョンを掲げなかった経営者の一人だと言われます。
ラフリーはその代わりに事業や戦略プログラムの取捨選択を行い、社員に少々の背伸びを強いるような高い目標を設定しました。そして、部下たちに厳しい要求を突きつけると同時に、自らもロール・モデルとして率先垂範し、戦略的な取捨選択とその判断にふさわしい行動を実践し続けました。
ここで、ビジョンの存在意義について再考を迫られます。ビジョンは必ずしも必要ではないと本当に言えるのでしょうか?この問いを解決するには、ビジョンの意味をもう一度捉えなおす必要があります。
ビジョンは一定の形式をもって明文化され、自社製品や事業のあるべき姿に関して利害関係者の全てに説明する文言であると定義するならば、そういうビジョンは両社にはなかったと言えるでしょう。紋切り型のビジョンは両者にはありません。また、ビジョンと言う言葉には、それを聞く人が思わず楽しくなるような、夢のような姿といった響きがありますが、この意味でのビジョンも確かに両者は持っていません。ガースナーやラフリーのやり方は非常に現実的で、かつ部下に対して高いコミットメントを求めるような厳しさがあります。
しかし、ビジョンとは本来的には「未来の構想」という意味であり、それが明文化されていなければならないとか、聞こえのいい言葉であるべきだということはありません。むしろ、危機の最中にあったIBMやP&Gにとっては、聞こえのよい言葉は返って耳障りだったかもしれないのです。
トップマネジメントの重要な仕事の一つは「将来、我々はどうあるべきか」を構想し、そのために「今日何をなすべきか」を決定することです。そして、その構想と決定を真摯な態度と行動によって関係者に示さなければなりません。これこそが真の意味でのビジョンと呼ぶに値するものです。従って、ガースナーもラフリーも、ビジョンを否定したとはいえ、本当の意味ではビジョンを持ったリーダー("leader of vision")であったと言えると思います。
有名なのはIBMを復活させたルイス・ガースナーです。
「IBMの会長兼CEOになったルイス・ガースナーは、長期的なビジョンを掲げることをあえて拒否した。…その代わり、『収支を黒字に戻す』『クライアント・サーバー市場に力を入れる』など、五つの優先目標を示した。当時のIBMが、目の前にあるチャンスやピンチに集中できるようにするためだ。」
(ドナルド・N・サル「新興市場を制する『臨戦待機』の戦略」『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2006年5月号)
![]() | Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2006年 05月号 [雑誌] ダイヤモンド社 2006-04-10 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
2000年からP&GのCEOに就任し、同社の企業再生に貢献したアラン・G・ラフリーもビジョンを掲げなかった経営者の一人だと言われます。
「(ラフリーは)いわゆる『戦略ビジョン』なるものはかえって障害になりかねないと考えており、実際、そのような類のものを何一つ掲げることはなかった。」
(アラン・G・ラフリー「P&G 有機的成長のリーダーシップ」『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2005年11月号)
![]() | Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2005年 11月号 ダイヤモンド社 2005-10-08 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
ラフリーはその代わりに事業や戦略プログラムの取捨選択を行い、社員に少々の背伸びを強いるような高い目標を設定しました。そして、部下たちに厳しい要求を突きつけると同時に、自らもロール・モデルとして率先垂範し、戦略的な取捨選択とその判断にふさわしい行動を実践し続けました。
ここで、ビジョンの存在意義について再考を迫られます。ビジョンは必ずしも必要ではないと本当に言えるのでしょうか?この問いを解決するには、ビジョンの意味をもう一度捉えなおす必要があります。
ビジョンは一定の形式をもって明文化され、自社製品や事業のあるべき姿に関して利害関係者の全てに説明する文言であると定義するならば、そういうビジョンは両社にはなかったと言えるでしょう。紋切り型のビジョンは両者にはありません。また、ビジョンと言う言葉には、それを聞く人が思わず楽しくなるような、夢のような姿といった響きがありますが、この意味でのビジョンも確かに両者は持っていません。ガースナーやラフリーのやり方は非常に現実的で、かつ部下に対して高いコミットメントを求めるような厳しさがあります。
しかし、ビジョンとは本来的には「未来の構想」という意味であり、それが明文化されていなければならないとか、聞こえのいい言葉であるべきだということはありません。むしろ、危機の最中にあったIBMやP&Gにとっては、聞こえのよい言葉は返って耳障りだったかもしれないのです。
トップマネジメントの重要な仕事の一つは「将来、我々はどうあるべきか」を構想し、そのために「今日何をなすべきか」を決定することです。そして、その構想と決定を真摯な態度と行動によって関係者に示さなければなりません。これこそが真の意味でのビジョンと呼ぶに値するものです。従って、ガースナーもラフリーも、ビジョンを否定したとはいえ、本当の意味ではビジョンを持ったリーダー("leader of vision")であったと言えると思います。
March 06, 2006
多様性(ダイバーシティ)のマネジメント(1)−発展の歴史と海外の事例
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日本の人材マネジメントの分野において、数年前から注目されている概念に「ダイバーシティ・マネジメント」というものがあります。極めて簡潔に定義するならば、「組織を構成する個人の様々な違いを認識し、それを活用することで競争優位性を獲得する戦略的な取り組み」ということになります。90年代のアメリカ企業では、CDO(Chief Diversity Officer: 最高多様化プログラム責任者)と呼ばれる役職が新設され、自社人材の多様化の推進と、人材の多様性を活かした新製品の開発やイノベーションが進められました。
ダイバーシティとは何か?
個人の多様性と一口に言っても、「多様である個人の要素」は実に様々です。ダイバーシティには大きく分けて2つのの次元があります。
(1)表層的なダイバーシティ
人口統計に表れる属性や、社会的なカテゴリーなど、表面的に認識することができるもの。例えば、性別、年齢、人種、民族、社会階級、国籍、性的傾向など。
(2)深層的なダイバーシティ
明らかに判別可能なものではなく、外部からは認識しにくいもの。あるいは、時間の経過とともに変化しやすいもの。例えば、パーソナリティ、価値、態度、嗜好、信条、教育、家族の状況、地理的な立地、習慣、政党、仕事経験、組織上の役割や階層など(このカテゴリーは挙げるとキリがない)。
ダイバーシティ・マネジメントの歴史
CDOが活躍したのは90年代に入ってからですが、ダイバーシティという概念そのものの歴史は60年代にまで遡ることができます。ダイバーシティの考え方を生み出したアメリカにおいて、ダイバーシティ研究は3つの段階を経て発展してきました。
(1)第一段階:訴訟リスクの回避
1960年代のアメリカは公民権運動、女性運動が起こり、1964年に年齢、性別、人種などによる一切の差別を禁止した「新公民権法」が成立しました。とはいえ、差別は法律によって即座になくなるものではありません。1970年代にはGMやAT&Tなどの大企業が、黒人女性などのマイノリティ差別によって起訴され、多額の賠償金を支払っています。当時の企業にとっては、人種差別や女性差別による訴訟リスクを回避することがダイバーシティ・マネジメントの第一義的な目的でした。
(2)第二段階:受容の段階
70年代から80年代にかけて、CSR(Corporate Social Responsibility: 企業の社会的責任)という考え方が普及し始めました。企業はCSRの一環としてマイノリティや女性を受け入れるようになりました。しかし、彼らを積極的に活用するという視点はなく、あくまで社会的要請に応えるという形に過ぎなかったのが実情です。この段階においてもまだ、ダイバーシティ・マネジメントはコストであるとの考えが主流でした。
(3)第三段階:戦略パラダイムの転換期
80年代頃から、個人の違いに価値を置くという議論が登場してきました。企業は、多様性は消極的に受け入れるべき負担ではなく、組織にとってプラスになるものだという認識を持ち始めました。ここにおいてようやく、冒頭で示したダイバーシティ・マネジメントの定義が一般的になったのです。
例を挙げると、IBMは社員の多様性を高めることで多様な潜在市場を開拓しています。社内では、アジア人、黒人、ヒスパニック、ネイティブアメリカン、障害のある人、女性、白人男性、ゲイ・レズビアン・バイセクシュアル・トランスジェンダーからなるタスクフォースが遂行されており、マイノリティ市場の拡大に成功しています。アジア人のニーズはアジア人の社員が、黒人のニーズは黒人の社員がよく理解しているものです。彼らの考えを最大限に活用することで、市場のニーズにより効果的に応えることが可能になっているという訳です。
《参考》
経営戦略としてのダイバーシティマネジメント−女性社員の活用を起点として−
ダイバーシティとは何か?
個人の多様性と一口に言っても、「多様である個人の要素」は実に様々です。ダイバーシティには大きく分けて2つのの次元があります。
(1)表層的なダイバーシティ
人口統計に表れる属性や、社会的なカテゴリーなど、表面的に認識することができるもの。例えば、性別、年齢、人種、民族、社会階級、国籍、性的傾向など。
(2)深層的なダイバーシティ
明らかに判別可能なものではなく、外部からは認識しにくいもの。あるいは、時間の経過とともに変化しやすいもの。例えば、パーソナリティ、価値、態度、嗜好、信条、教育、家族の状況、地理的な立地、習慣、政党、仕事経験、組織上の役割や階層など(このカテゴリーは挙げるとキリがない)。
ダイバーシティ・マネジメントの歴史
CDOが活躍したのは90年代に入ってからですが、ダイバーシティという概念そのものの歴史は60年代にまで遡ることができます。ダイバーシティの考え方を生み出したアメリカにおいて、ダイバーシティ研究は3つの段階を経て発展してきました。
(1)第一段階:訴訟リスクの回避
1960年代のアメリカは公民権運動、女性運動が起こり、1964年に年齢、性別、人種などによる一切の差別を禁止した「新公民権法」が成立しました。とはいえ、差別は法律によって即座になくなるものではありません。1970年代にはGMやAT&Tなどの大企業が、黒人女性などのマイノリティ差別によって起訴され、多額の賠償金を支払っています。当時の企業にとっては、人種差別や女性差別による訴訟リスクを回避することがダイバーシティ・マネジメントの第一義的な目的でした。
(2)第二段階:受容の段階
70年代から80年代にかけて、CSR(Corporate Social Responsibility: 企業の社会的責任)という考え方が普及し始めました。企業はCSRの一環としてマイノリティや女性を受け入れるようになりました。しかし、彼らを積極的に活用するという視点はなく、あくまで社会的要請に応えるという形に過ぎなかったのが実情です。この段階においてもまだ、ダイバーシティ・マネジメントはコストであるとの考えが主流でした。
(3)第三段階:戦略パラダイムの転換期
80年代頃から、個人の違いに価値を置くという議論が登場してきました。企業は、多様性は消極的に受け入れるべき負担ではなく、組織にとってプラスになるものだという認識を持ち始めました。ここにおいてようやく、冒頭で示したダイバーシティ・マネジメントの定義が一般的になったのです。
例を挙げると、IBMは社員の多様性を高めることで多様な潜在市場を開拓しています。社内では、アジア人、黒人、ヒスパニック、ネイティブアメリカン、障害のある人、女性、白人男性、ゲイ・レズビアン・バイセクシュアル・トランスジェンダーからなるタスクフォースが遂行されており、マイノリティ市場の拡大に成功しています。アジア人のニーズはアジア人の社員が、黒人のニーズは黒人の社員がよく理解しているものです。彼らの考えを最大限に活用することで、市場のニーズにより効果的に応えることが可能になっているという訳です。
《参考》
経営戦略としてのダイバーシティマネジメント−女性社員の活用を起点として−
![]() | ダイバシティ・マネジメント―多様性をいかす組織 谷口 真美 白桃書房 2005-09 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
February 13, 2006
【メモ書き】ピーター・ドラッカー著『マネジメント・フロンティア―明日の行動指針』
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『未来企業―生き残る組織の条件』と同様、ウォール・ストリート・ジャーナルなど著名な雑誌に掲載された論説・論文を収録したものである。そして本書も『未来企業』と同じように、「経済」「人」「マネジメント」「組織」という4部構成になっている。ドラッカーの知識の広さと洞察の深さをうかがわせる著書。
1981年から86年にかけての論文を収録。一次産品経済と工業経済の分離、工業生産と雇用の分離、サービス貿易の拡大といった現代経済の特徴を指摘した「変貌する世界経済(1章)」、日本の貿易のあり方に警告を発する「敵対的貿易の危険(11章)」、現代マネジメントの問題と今後の課題を示した「マネジメント−成功のもたらした問題(21章)」、80年代にアメリカで流行した敵対的企業買収について論じた「敵対的企業買収とその問題点(29章)」、IBMのトーマス・ワトソン・シニア(ジュニアではない!)がいかに時代を先取りした企業経営をしていたかを論じた「IBMのワトソン−明日のビジョンを描く(34章)」が私にとっては非常に勉強になった。
ちなみに、このブログのタイトルの由来はこの著書。
![]() | マネジメント・フロンティア―明日の行動指針 P・F. ドラッカー 上田 惇生 佐々木 実智男 ダイヤモンド社 1986-10 Amazonで詳しく見るby G-Tools |
1981年から86年にかけての論文を収録。一次産品経済と工業経済の分離、工業生産と雇用の分離、サービス貿易の拡大といった現代経済の特徴を指摘した「変貌する世界経済(1章)」、日本の貿易のあり方に警告を発する「敵対的貿易の危険(11章)」、現代マネジメントの問題と今後の課題を示した「マネジメント−成功のもたらした問題(21章)」、80年代にアメリカで流行した敵対的企業買収について論じた「敵対的企業買収とその問題点(29章)」、IBMのトーマス・ワトソン・シニア(ジュニアではない!)がいかに時代を先取りした企業経営をしていたかを論じた「IBMのワトソン−明日のビジョンを描く(34章)」が私にとっては非常に勉強になった。
ちなみに、このブログのタイトルの由来はこの著書。