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September 29, 2011

アメリカが全世界に資本主義を浸透させられる日は本当に来るのか?―『ソフト・パワー』

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ジョセフ・S・ナイ
日本経済新聞社
2004-09-14
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 (前回「旧ソ連の共産主義が敗れたのは大衆文化を輸出できなかったせい?(2/2)―『ソフト・パワー』」の続き)

 前回の記事で、旧ソ連の共産主義がアメリカの資本主義に敗れたのは、共産主義そのものが間違っていたからなのか?それとも旧ソ連が共産主義を信じる力が弱かった(そのため、旧ソ連の大衆文化が他の共産圏に積極的に輸出されなかった)ためなのか?という論点を提示した。

 あるイデオロギーや価値観、原則をどの程度信じるかどうかで結果が変わる、別の言い方をすれば、どんな価値観であっても、強く信じていればよい結果が得られるならば、どこかの胡散臭い自己啓発セミナーと言っていることが同じではないか?やはり、共産主義そのものが論理的に矛盾を抱えた価値観に基づいていたからではないか?という気もしてくる。しかし、急いで結論を下すことはできない。なぜならば、全く異なる原則から出発しても、一貫した理論体系を築くことは決して不可能ではないからだ。

 例えば、非ユークリッド幾何学は、ユークリッド幾何学の「平行線公準」が成り立たないという前提の上に成立する幾何学である。さらに、非ユークリッド幾何学は、ユークリッド幾何学の存在自体を否定するものではなく、並行に存在しうるモデルでもある。この点とも関連するが、本書を読みながら感じた3つ目の疑問へと話を移したいと思う。

(3)アメリカが全世界の国々に資本主義などを浸透させられる日は本当に来るのか?
 著者のジョセフ・ナイは、アメリカの魅力によって世界各国を惹きつけるのがソフト・パワーの役割であると述べている。そしてアメリカは、ソフト・パワーとハード・パワーを駆使して、自国の資本主義や民主主義などの政治的価値観を世界中に広めることを目指している。疑問(1)「自国を模倣する国が多くなると、自国のプレゼンスがかえって低下するのではないか?」で述べたように、アメリカの魅力を世界各国がこぞって真似するようになれば、国際政治の舞台におけるアメリカの影響力が下がるのではないか?という疑問は払しょくできないものの、この点に関しては、アメリカがうまくリスクをかわす能力を有していると仮定しよう。

 果たして、アメリカが自国の政治的価値観の”世界的普及”を完了させられる日は本当に来るのだろうか?確かに、旧ソ連の共産主義は、旧ソ連の解体という形によって崩壊した。しかし、ロシアは共産主義を完全に捨てたわけではないし、世界的に見れば共産主義や社会主義を採用している国はまだたくさん存在する。民主主義的な政治体制をとらず、独裁政治が長年に渡って続いている国も多い。

 皮肉なことに、アメリカの資本主義や民主主義が魅力的に見えるのは、共産主義や独裁政治を敷いている国家が存在しているからである。比較対象がなければ、それが魅力的かどうかを判断することができない。非常に矛盾した話に聞こえるけれども、アメリカは自国の魅力を保つために、常に敵を必要としているように思える。

 この話は、企業経営に置き換えると解りやすい。市場での厳しい競争で勝利を収めるには、自社製品を差別化しなければならない。つまり、自社製品をより魅力的に見せる必要がある。しかし、差別化は、競合他社の存在があってこそ可能になるものだ。企業は、競合他社を市場から締め出そうと、必死に差別化の道を模索する。ところが、競合他社が完全に市場から退出してしまったら、それはそれで困るのである。自社の差別化、あるいは自社のブランドやアイデンティティは、ある意味競合他社によって規定されると言える。

 例えば、アップルは新製品発表の場で、MSなど競合他社の製品をボロカスに批判する。だが、仮にライバルがみんないなくなってしまったら、アップルは自社の魅力をどうやって顧客に訴求するのだろうか?アップルは、(アップルの社員は認めたがらないだろうけれど、)強力な競合他社がいるおかげで、自社の差別化ポイントやアイデンティティを保つことができているというわけだ(※6)。

 先ほどのアメリカの話に戻すと、アメリカがユークリッド幾何学であるとすれば、共産主義や独裁政治は非ユークリッド幾何学なのかもしれない。ユークリッド幾何学は、非ユークリッド幾何学とは異なる公理に基づいているが、非ユークリッド幾何学そのものを否定するものではない。これと同様に、アメリカの政治的価値観は、共産主義や独裁政治の国家のそれとは異なるけれども、共産主義や独裁政治の政治的価値観自体を否定することは不可能なのかもしれないのである。

(4)昨今の”韓流ブーム”と”嫌韓意識”の関係をどのように説明すればよいのか?
 4点目の疑問は、この記事を書きながらポンと思いついたもの。数年前から韓国ドラマが日本でも流行し、最近は少女時代やKARAをはじめとするK-POPグループが次々と日本でデビューを果たしている。ナイの議論に従うと、韓国は大衆文化を活用して、日本に対しソフト・パワーを発揮するチャンスを得ている、ということになるだろう。

 しかしながら、現実には韓国と日本の関係はお世辞にも良好とは言えない。民主党政権になってから、韓国は竹島(韓国名・独島)への実効支配を強めているし、従軍慰安婦問題についても、「韓国政府が日本と交渉しないのは憲法違反である」という判決が韓国国内で下されており、韓国政府はこの判決を受けて日本政府に交渉を迫ろうとしている(※7)。

 日本側はどうであろうか?「韓国に親しみを感じる」人の割合は、2002年7月(=日韓ワールドカップ開催直後)に77%を記録して以降、一貫して減少傾向にあり、2008年12月には51%にまで低下した。逆に、「韓国に親しみを感じない」人の割合は、2002年7月に18%まで下がったものの、その後は一転して上昇を続けており、2008年12月には41%と、「韓国に親しみを感じる」人の割合に近付きつつある(※8)。最近では、某俳優がフジテレビの韓国ドラマ偏重を批判したことによって、”嫌韓意識”に火がつき、フジテレビ前で「韓国ドラマを流すな」というデモ運動にまで発展したこともあった。

 この”韓流ブーム”と”嫌韓意識”の関係を、ナイはどのように説明するのであろうか?韓国ドラマやK-POPなどの大衆文化が生み出してくれたソフト・パワーを、竹島への実効支配などのハード・パワーが台無しにしている、ということなのだろうか?個人的には、実態はそれほど単純ではないように感じる。


(※6)余談ではあるが、アップル以外にも「わざと敵を作るようなプロモーションを実施することで、かえって自社のコアなファンを増やす」という、マーケティングの王道からは外れた企業が存在する。ハーバード・ビジネス・スクール教授のヤンミ・ムンは、著書『ビジネスで一番、大切なこと』の中で、顧客に対する挑発的な態度によって構築されるブランドを「ホスタイル・ブランド(敵対的なブランド)」と呼んでいる。

 同書では、アップルも含め、MINI社(現在はBMWの傘下)の「ミニクーパー」、レッドブル社の「エナジードリンク」、イギリスの小売店で販売されている「マーマイト」などがその例として取り上げられている(「マーマイト」のHPを訪れると解るが、サイト名がすでに"Love it or Hate it"となっており、"I'm a Lover"と"I'm a Hater"という2つの入り口が設けられている)。

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 《『ビジネスで一番、大切なこと』のレビュー記事》
 差別化するほどコモディティ化してしまうという悲しいパラドクス―『ビジネスで一番、大切なこと』
 ベンチマークするほど組織が凡庸化するってパラドクスもあるかもね―『ビジネスで一番、大切なこと』

(※7)「韓国、慰安婦問題で日韓協議提案へ 韓国での違憲判断で」(朝日新聞、2011年9月9日)
(※8)「図録▽日韓両国民は相手国に親しみを感じるか」(社会実情データ図録)
September 27, 2011

旧ソ連の共産主義が敗れたのは大衆文化を輸出しなかったせい?(2/2)―『ソフト・パワー』

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ジョセフ・S・ナイ
日本経済新聞社
2004-09-14
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 (前回「旧ソ連の共産主義が敗れたのは大衆文化を輸出しなかったせい?(1/2)―『ソフト・パワー』」の続き)

 一般的には、旧ソ連の共産主義の敗因は、「計画経済」という考え方そのものに限界があったと説明される(ピーター・ドラッカーも、数多くの著書の中で頻繁に指摘している)。つまり、共産主義というイデオロギーを信じる力が弱かったのか、共産主義というイデオロギー自体が間違っていたのか?という問いに対しては、後者の立場をとっているわけだ。

 しかし、ここに興味深い心理学の研究がある。経済学や社会学からはやや離れた、スポーツに関する研究ではあるけれども、アメリカでバスケットボールの「使える選手」がどのような信念を持っているかを研究した心理学者がいる。

 バスケットボールの選手やコーチ、ファンは、選手に「ホットな乗り(hot streaks)」と「冷めた乗り(cold streaks)」があると信じている。シュートが連続して決まる時は「今の自分には神がついている。ホットハンドを授かっている」と思ってさらに熱くなるのに対し、シュートの失敗が続くと「今は神から見放されている。スランプなのだ」と考えて意気消沈する傾向がある。

 この研究では、こうした「ホットハンド」と呼ばれるような現象が、実際のところ確率論的に存在するのかを、2チームの選手を対象に2年間に渡って調査した。その結果、ホットハンドやスランプといった現象は、確率論的には存在せず、連続でシュートを決められるかどうかは、ほとんど偶然の範囲でしかないことが判明した。

 この研究が面白いのはここからである。心理学者が研究結果を選手に説明すると、一部の選手は「だから何?経験的にホットハンドは絶対に存在するし、俺はこれまでそういう信念で戦ってきたんだ」と反論した。そして、そのような反応をする選手は、「使える選手」、言い換えれば得点力がどんどん伸びている選手だったというのである。つまり、客観的なデータや戦術の定石がどうであろうと、自分が強く信じる価値観に従った方が、よい結果につながるケースもあるわけだ(※4)(※5)。

 もちろん、これはスポーツに限られた研究結果なので、今ここで議論している資本主義VS共産主義の構図にもすんなりと当てはめられる話ではないだろう。ただし、「価値観自体がそもそも誤りなのか?」、それとも「価値観を信じる力が弱いから誤るのか?」、旧ソ連の例で言えば、共産主義というイデオロギー自体が破綻していたのか、それとも共産主義を信じる力が弱かったから資本主義に敗れたのか?この2つの問いの微妙な違いに留意することは、特定の価値観やイデオロギーが経済・社会システムに対してどのように影響を及ぼすのか?あるいは、価値観が国家を牽引するリーダーシップの中でどのような役割を果たすのか?という問いに答える際の重要なポイントになるように思える。

(※4)植木理恵著『人を見る目がない人』(講談社、2008年)

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(※5)バスケットボールの研究と似たような話が野球にもある。最近の野球では「セイバーメトリクス」と呼ばれる統計的手法が発達しており、各打者の打率に注目するのではなく、出塁率と長打率が高い打者を並べた方が、試合に勝つ確率が上がると言われる。さらに、別の分析結果に目を向けると、無死1塁で送りバントをしても、そのまま打者に打たせても、得点できる確率は変わらないという話や、先頭打者に四死球を与えても、先頭打者にヒットを打たれた場合と比較すると、実は失点する確率にほとんど差がないという話もある。

 ところが、高い実績を上げている監督は、そういった客観的なデータに固執せず、自分なりのやり方が正しいと信じているものだ。例えば、中日の落合監督はバントを多用するし、日本ハムの梨田監督は4番バッターにもバントをさせる。また、楽天の星野監督は先頭打者に四死球を与えることをひどく嫌う。それでも中日や日本ハムは毎年のように優勝争いをしているし、星野監督は18年間優勝から遠ざかっていた阪神を優勝へと導き、常勝軍団の礎を築いた(まぁ、その基盤が真弓監督によっていささか脆弱化している気もするが・・・)。
September 26, 2011

旧ソ連の共産主義が敗れたのは大衆文化を輸出しなかったせい?(1/2)―『ソフト・パワー』

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ジョセフ・S・ナイ
日本経済新聞社
2004-09-14
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 (前回「映画や音楽などの大衆文化も外交上の重要なパワー源になる―『ソフト・パワー』」の続き)

 「自国の魅力によって他国を惹きつけ、他国が自国の真似をすると、かえって自国のプレゼンスが下がり、他国を惹きつけられなくなる」というパラドクスを克服するには、「表面的には魅力を真似できそうに見せかけて、裏では完璧なコピーを阻止する”隠れた資源”を保持しておく」ことが重要になるだろう。この考え方は、戦略論における「資源ベースの競争戦略」に通じるところがある。J・B・バーニーが提唱したVRIOフレームワークは、経営資源の競争力を測定するフレームワークであるが、その尺度の1つに、"I"=Imitability(模倣可能性)が含まれている(※3)。

 マイクロソフト(MS)のOfficeを例にとると、MS Officeとほぼ同じ機能を持ち、MS Officeで作成されたファイルとの互換性も担保されているソフトが既にいくつも登場している(有償のソフトであればKingsoft Officeなど、無償のソフトであればOracleが所有するOpenOffice.orgなど)。ところが、いずれもMS Officeの圧倒的なシェアを切り崩すまでには至っていない。これは、MS Officeがデファクトスタンダード化しているために、他社製品に乗り換えたくないという心理も影響しているけれども、MSの”隠れた資源”が貢献していることも見過ごせない。

 MSの”隠れた資源”とは、「セキュリティを強化するバックアップ体制」である。MSは、インターネットを通じて、世界中のMS Officeユーザ向けに、セキュリティパッチを一気に提供できる。しかも、エンドユーザが使用しているハードウェアやソフトウェアの違いに左右されない。ユーザがどのハードウェア・ソフトウェアを使っていても問題なく動作するプログラムを開発するのは実に難しい。そのパッチを開発・提供できるのがMSの隠れた強みである。

 さらに、MS Officeは、世界中の一般ユーザに加え、多数のホワイトハッカー(ネットワークに不正侵入して障害を起こすような悪質なハッカーではなく、セキュリティの穴を見つけてソフトウェア会社に報告してくれる優しいハッカー)を抱えている。彼らのおかげで、セキュリティパッチの開発が容易になる。「ホワイトハッカーがセキュリティの脆弱性をMSに報告⇒MSがパッチを開発⇒パッチをユーザに一気に提供」という一連の流れができ上がっているから、ユーザはMS Officeを安心して使えるのである。

 厳密に言えば、ソフト・パワーを活用した外交は、自国の魅力を他の国にもどんどん真似してもらい、言わば「自国のファン」を増やそうとしているのに対し、資源ベースの競争戦略は、希少価値の高い経営資源を囲い込んで競合他社を排除するのが目的であるという点で、両者は正反対の方向を向いている。とはいえ、ファンが自国を超えてしまっては、自国の立場が失わてしまうという意味では、自国とファンは部分的に競争関係にあるとも捉えられる。そして、ファンをファンのままでとどめておくには、自国の魅力的な資源を全てオープンにせず、VRIOフレームワークの考え方に倣って、敢えて一部の資源を隠したままにするという戦略が重要になると思うのである。

(2)なぜ、資本主義、市場メカニズム、民主主義、人権の尊重、自由主義、多元主義が重視されるのか?他の政治的・経済的価値観ではダメなのか?
 本書の内容を経営学的に記述すると、「アメリカは資本主義、市場メカニズム、民主主義、人権の尊重、自由主義、多元主義に立脚した魅力的な国である」ことを世界中に効果的にプロモーションする方法を論じたものであると言える。そして、プロモーション施策(ナイは「広報外交」という言葉を使っている)にもっと予算を使い、施策の効果を継続的にモニタリングする必要性を説いている。

 また、心理学の用語を使うならば、アメリカのソフト・パワーを通じてアメリカから様々な恩恵を受けた国は、万が一アメリカに何か起きた場合は、「返報性の原理」によってアメリカに恩返しをしなければならないという気持ちになる。その感情をうまく利用することで、アメリカは諸外国から必要な協力や支援を引き出そうとするのである。

 ところで、本書では知らず知らずのうちに、資本主義、市場メカニズム、民主主義、人権の尊重、自由主義、多元主義といった政治的・経済的価値観が”是”とされているが、他の価値観ではなぜダメなのか?という説明は一切行われていない。それどころか、ソフト・パワー自体は、これらの価値観とは全く異なる価値観を訴求するパワーとして活用できることをナイ自身も認めている。例えば、ヒトラーは自らのカリスマ性と巧みなコミュニケーションで全体主義をドイツ国民に浸透させ、イタリアと日本を味方につけることに成功した(それ以外の国を味方につけることはできなかったが)。

 何がよい価値観で、何が悪い価値観なのかを決めるのは容易ではない。価値観とリーダーシップは切っても切り離せない関係にあり、このブログでも何度か取り上げているのだが、この問いには私自身もまだうまく答えられない(というか、1年ぐらい答えが進歩していない、汗)。

 優れた古典は深遠な議論への入り口である−『リーダーになる』
 ミドルの暴走を止められなかった日本軍―『日本軍「戦略なき組織」失敗の本質(DHBR2011年1月号)』
 価値観に従った行動のシナリオがどこまで描けているかがポイント―『「本物のリーダー」養成講座(DHBR2011年2月号)』

 なぜアメリカの資本主義は成功して、旧ソ連の共産主義は崩壊したのだろうか?本書では、旧ソ連の大衆文化が他の共産圏に輸出されず、アメリカの大衆文化に押されたことが一因だったとされている。
 ソ連は、文化と教育制度での優位を示すことにも熱心だったし、美術にも巨額を投じている。ボリショイ・バレエ団、キエフ・バレエ団、ソ連各地の交響楽団は高く評価された。スポーツにも力を入れ、金メダル獲得数は冬季オリンピックで1位、夏季オリンピックでもアメリカについで2位だった。

 しかし、大衆文化では事情がまったく違った。ソ連の体制は閉鎖的だったし、ブルジョア文化の影響を排除する努力を続けたことから、大衆文化をめぐる戦いでは後れを取り、映画、テレビ番組、大衆音楽の分野でアメリカの世界的な影響力に対抗することはなかった。アメリカの音楽と映画はソ連に浸透して深い影響を与えたが、ソ連生まれの大衆文化は国外で普及していない。社会主義のプレスリーは登場しなかった。
 では、仮に旧ソ連が共産主義の力を強く信じて、大衆文化をもっと諸外国に積極的に輸出していたら、事情は変わっていたのだろうか?あるいは、共産主義というイデオロギー自体にもともと致命的な欠陥があって、共産主義に基づいて社会を構築しても人々の生活が豊かになる保証など実はどこにもなく、共産主義の敗北は必然の結果だったのだろうか?

 (続く)

(※3)VRIOフレームワークの概要については、「誰でも簡単に使える『戦略策定ツール(フレームワーク)−バリューチェーン分析(その3)』」などを参照。