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June 02, 2005

「2007年問題」は日本企業の知識資本の脆弱性を表している

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2007年問題は我々組織社会に生きる人間に対してさまざまな問題を提起している。

 第一に、あまりにも多くの企業が、社員を永久財のように考えていたということである。退職はごく自然の現象である。いつかはいなくなる。しかし、2007年問題に翻弄されている企業は、それすらも忘れてしまっていたかのような狼狽ぶりである。
 労働の移動は今後ますます加速する。しかも定年によって退職する労働者よりも、もっと若年の段階で移動する労働者の方が圧倒的に多くなる。企業はこの事実に対する備えをしておかなければならない。

 第二に、多くの企業が、企業の知識と社員の知識を同一視していたということであり、それが非常に危険な考え方であったということだ。我々は企業の知識を属人的なものにしてはいけない。重要な知識を有する者が組織を去っただけで組織が危機に瀕するような状況は何としても避けなければならない。

 確かに、実際に知識を蓄積できるのは個々の人間でしかない。実際に知識を生み出すことができるのも人間の頭脳でしかない。しかしそれでも、組織は知識を蓄積し、創造し続ける必要がある。なぜならば、知識はこれからの経済において重要な資本であるからだ。組織は「いかなる知識を必要としているか」「その知識は組織内のどこにあるのか」「もしその知識が欠けることがあるとすれば、それはいかなる状況下においてか」「組織内の知識を最新に保つためにはいかなる取り組みをする必要があるのか」といった問いに答えなければならない。
May 30, 2005

知識を適用するということ(2/2)〜現実に合わせて知識を創造する

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 知識社会と呼ばれる現代社会においては、知識労働者と呼ばれる人が全労働者の3分の1ないし5分の2の割合を占めていると言われている。知識労働者とは文字通り仕事に知識を適用する労働者であるが、典型的な例としては医者や弁護士、会計士が挙げられる。もちろん、彼らは労働人口全体から見れば少数派に属する存在であり、むしろ知識労働者の中核は企業で働くホワイトカラーの大多数、すなわちマーケティング担当者、購買担当者、流通担当者、製造担当者、販売担当者、経理担当者、財務担当者などであると考えられる。

 しかし「知識を適用する」という行為がいかなる活動を指しているのかは容易には理解しがたい。そもそも我々は知識に対してそれほどいい印象を持っていない。なぜなら我々は過去の暴君が知識を力の源泉として濫用し、不当な権力を振るったことを歴史から学んでいるし、自らが成長する過程においても、「詰め込み教育」と揶揄される知識押し込み型の教育によって、一種の知識アレルギーを経験したことがあるからだ。

 だが、知識に対するマイナスの印象は往々にして知識そのものに対する多少の誤解から生じている。知識を正しく理解すれば、我々は正統な力としての知識をもっと生産的に利用することができるはずだ。

 弁護士が知識労働者である所以は、弁護士が一般人より多くの法律を「知っている」からではない。この「知っている」と言う言葉もよく誤解をされる。我々は知識を「知っている」のではない。「知っている」のは情報である。弁護士は確かにいかなる法律にいかなる条文が記載されているかを「知っている」。だが、一般人でも六法全書を開けばその程度は知ることができる。弁護士は一般人より六法全書を参照する回数が多いことを理由に弁護士を名乗っているのではない。一般人でも簡単な法律問題ならば、必要な条文さえ与えればそれなりの法的解決策を導くことができる。

 弁護士が知識労働者であるのは、現実の問題を法的に構築し(=現実の知覚)、多岐にわたる法律からいかなる条文を適用すべきかを決定し(=情報の選択)、適切な「生きた」法的解決策を導出する(=知識の創出)ことを、一般人に比べてはるかに高い精度をもって行うことができるからである。そしてそれができるのは訓練された弁護士でしかない。だから弁護士は知識労働者なのである。

 知識社会に生きる我々は、もっと知識そのものを正しく理解するように努めなければならない。そうでなければ、またしても知識がごく一部の者によって濫用されるという過去の過ちを繰り返す。

知識を適用するということ(1/2)〜情報を知識に変換する

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 書籍を読んでも実務で役立つことがないと溜息交じりに嘆く人がいる。彼は書物には知識が詰まっていると思い込んでいる。しかし、彼の前提は間違っている。書籍にあるのは知識ではなく情報である。情報はそのままの形では使用することができない。情報とは静的な文字列に過ぎない。動的な知識に変換しなければならない。

 我々が書籍を有効に利用することができるのは、情報を編集、加工し、現実に適応するものに変形させることができる場合のみである。情報を知識に変換させる必要がある。その作業は人間の「知覚」を通じて各々が行うしかない。

 往々にして忘れられがちであるが、このようなことが可能であるのは、我々が次の問いを適切に発することができるということが大前提である。すなわち、「我々が必要としているのはどのような情報なのか」「その情報にはどのようにすればアクセスできるのか」という根本的な問いである。なぜなら、資源たる情報を見誤れば、産出物たる知識も誤ってしまうからだ。そのような問いに適切に答えることができて初めて、書籍を利用して知識を導き出し、現実世界に知識を適用することができるようになる。