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February 06, 2010

知識労働者にとっての最大の報酬は「知識」

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 ドラッカーは20世紀に急速に台頭してきた「知識労働者(ナレッジ・ワーカー)」について、金で動機づけることはできないと再三指摘してきた。彼らに対しては、上司−部下の上下関係ではなく、パートナーとして接しなければならないとも主張している。
 まさに出現しようとしている新しい経済と技術において、リーダーシップをとり続けていくうえで鍵となるものは、知識のプロトしての知識労働者の社会的地位であり、社会的認知である。

 (中略)ところが今日、われわれは資金こそ主たる資源であり、その提供者こそが主人であるとの昔からの考えに固執し、知識労働者に対してはボーナスやストックオプションによって昔ながらの社員の地位に満足させようとしている。そのようなことは、一時のネット企業のように株価が高騰している間しか通用しない。

 (中略)新産業が頼りにすべき知識労働者を、金で懐柔することは不可能である。もちろんそれらの新産業に働く知識労働者も、実りがあれば分け前を求めるだろう。だが、実りには時間を要する。今日のような短期的な株主利益を目的とし目標とする経営では、10年ももたない。それら知識を基盤とする新産業の成否は、どこまで知識労働者を惹きつけ、留まらせ、やる気を起こさせるかにかかっている。
(ピーター・ドラッカー著、上田惇生訳『ネクスト・ソサエティ』ダイヤモンド社、2002年)

P・F・ドラッカー
ダイヤモンド社
2002-05-24
おすすめ平均:
将来を見据えるための枠組み、ブロックを提供してくれる本
老後はパートしなければだめなのか・・
派遣切り、情報リテラシー・・・今の問題が全部書いてある!
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 ドラッカーが知識労働者という言葉を使う場合の「知識」はどこまでの範囲を指しているのかは必ずしも明確でない(と私は感じている)。ドラッカーの他の著書も合わせて総合的に解釈すると、「(高等教育を中心とする)正規の教育によって習得される専門知識や技能」を意味しているように思える。だから、どちらかといえば、知識を狭く捉えている印象がある。

 『クリエイティブ資本論』の著者であるリチャード・フロリダは、上記のような知識だけでは仕事はできないという問題提起を行い、「創造性」を武器にする「クリエイティブ・ワーカー」という概念を生み出した。

リチャード・フロリダ
ダイヤモンド社
2008-02-29
おすすめ平均:
数少ない手本となる書
新時代に向かった「見えない社会勢力革命」を見える化した画期的著作
ドラッカーの予測通りになってきた
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 ただ、個人的にはこうした議論は「知識」の定義をめぐる細かい議論にすぎないのであって、重要なのは、現代経済においては、単なる肉体労働者ではなく、「頭を使う社員」が圧倒的多数を占めているという事実である。私なりに知識の範囲を明らかにするならば、ある専門領域における高度な知識や技能に加え、協業やチームワークによって創造力を発揮し成果を上げるのに必要な行動特性(コンピテンシー)も入ってくる。また、哲学の世界において、知識が「正当化された真なる信念」と定義されていることからも解るように、知識とは客観的であるようで実は主観的でもある。つまり、知識には、個人または社会的基盤に由来する価値観やアイデンティティが反映されている。

 知識労働者を金で動機づけることに限界があるとしたら、彼らにどのような報酬を与えればよいのか?私の考えは明快で、知識労働者にとっての最大の報酬はやはり「知識」である、ということだ。これには2つの意味合いがある。1つは自らの既存の知識が仕事において活かされるということであり、もう1つは組織や他者から与えられる別の知識と溶け合うことによって、自らの知識が強化・更新されるということである。

 ここから導かれるマネジメントの責務は、まず第一に知識労働者が拠りどころとしている知識が活かされる仕事を用意することである。そして、教育訓練の場においては継続的に知識を更新する機会を提供し、日常業務においては創発的に新たな知識が生み出されるコラボレーションを推奨することが求められる。

 また同時に、知識労働者自身も、自らが強みとする知識が何であるかを明らかにし、組織に対してそれを知らせなければならない。そうでなければ、やりたいと思う仕事も舞い込んでこない。さらに、自分とは異なる知識を尊重し、いいところを積極的に取り入れる姿勢を取る必要がある。それによって、自らの知識の陳腐化を防ぐことができる。

 従来の動機づけ理論には、「内発的動機づけ」と「外発的動機づけ」という区分が存在し、両者のどちらを優先させるべきかというような二項対立的な議論が見られた。しかし、知識労働者は、「知識」を仲立ちとして内発的にも外発的にも動機づけられる。

 金は使えば消えてしまうのに対し、知識はその気になれば永遠に進化させることができる。こうした表現はあまり品がないと思われるかもしれないが、新たな知識があれば、新たな仕事が生まれ、新たな金を呼び込むことができる。だから、マネジメントは知識労働者に対して、金ではなく知識を与えなければならない。金は報酬ではなく、知識の副産物にすぎない。
August 29, 2007

リチャード・フロリダの名言

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 ある日、カーネギー・メロン大学の自分が受け持つ講座で学生たちと「知識経済」(knowledge economy)について議論していた時です。ドラッカーや大前研一、あるいは、この分野における日本人の研究について議論していると、女子学生の一人が、「私は、知識経済の理論が嫌いです」と言い出しました。「大学で公共政策や環境問題について勉強していますが、その一方で、GISマッピングが好きだし、夜はクラブでDJをやっています。私は自分をクリエイティブな人間だと思っています」と言ったのです。ほかの学生もみな、彼女の発言にはうなずいていました。

 彼女は、大学で身につける知識以上に、自分が本当にやりたいと思うことをやっていることに価値があるのではないか、ということを主張したかったのでしょう。

 私は、この学生が自分のことを「クリエイティブな人間」と定義したことにとても興味を覚えました。それは、私が「知識労働者」という言葉に感じていた物足りなさを払拭してくれる響きがありました。
(リチャード・フロリダ「『クリエイティブ・クラス』とは何か」『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2007年5月号)

 リチャード・フロリダ(1957〜) 
 ジョージ・メイソン大学ハースト記念講座教授。「クリエイティブ・クラス」という新しい階層の提唱者。日本でも今年になって、『クリエイティブの世紀』が刊行されている。

 フロリダは「クリエイティブ・クラス」を2種類に分けている。1つは「スーパー・クリエイティブ・コア」というものである。彼らは「新しいアイデアや技術、コンテンツの創造によって、経済を成長させる機能を担う人々」であり、具体的な職業としては、「科学者やエンジニア、建築家、デザイナー、教育者、アーティスト、ミュージシャン、エンターテイナー」が当てはまる。そしてもう一つが、ドラッカーや大前研一が言うところの「知識労働者」であり、「ビジネス、金融、法律、医療などの分野で、独自の判断に基づいて複雑な問題解決に取り組む」専門家が該当する。

 実は、非常に似たようなことを主張している人物として、ダニエル・ピンクが挙げられる。大前研一が翻訳を手がけている『ハイコンセプト』の著者である。アルビン・トフラーが『第三の波』で農業から産業、そして知識・情報へという歴史的パラダイムを示したのだが、ピンクは知識・情報という「第三の波」に続く、「第四の波」としてハイコンセプトを提示し、「左脳思考と右脳思考の融合」の必要性を訴えた。フロリダもピンクも、単なる専門的知識だけでなく、創造性を重視している点では共通している。ただし、「第四の波」という言葉を使って、新たなパラダイムシフトを描き出したピンクの方がより急進的な考え方をしていると思う。

 ピーター・ドラッカーが「知識労働者」という言葉を生み出したのが1950年代のことであることを考えれば、知識経済の時代に突入してからまだ半世紀ほどしか経っていない。そして、知識経済の全容はまだ混沌として見えていない(「知識」の定義を巡って未だに揉めているぐらいだ)。産業革命が起こってから何世代も後に、ようやく資本主義の全体像がおぼろげながら解ってきて、ちゃんとした議論ができるようになったように、新しい時代の全体像がそれなりに捉えられるようになるには長い時間を要する。

 ピンクの言う「第三の波」のインパクトがまだ十分に明らかにされないままに、「第四の波」という新たなパラダイムへとジャンプアップするのはちょっとやり過ぎであるように感じられる。その点、フロリダの「クリエイティブ・クラス」は、従来の「知識労働者」「知識経済」の再定義・概念拡張という位置づけになっており、個人的には非常に理解しやすい。

 確かにドラッカーのいう「知識労働者」の定義はかなり狭かった。至極単純な表現をすれば、「知識労働者=高等教育を受けた人」であり、「高等教育」とは大学レベルの「教育機関での教育」を意味していた。しかし、必ずしも大学で学習した専門知識をそのまま仕事に生かしている人たちばかりではないし、専門知識は教育機関でしか身につけられないものではない。さらには、デザイナーやミュージシャンのように、知識と創造性がセットになっているような仕事をしている人もいる。

 晩年のドラッカーは、「およそ現代の製造業は知識産業である」とも述べていた。これは、自らの定義だけでは捉えきれない知識労働者の存在を暗に肯定した表現のようにも見て取れる。従来の理論の枠組みを乗り越えて、「知識経済」の全貌を描いていくことは、今世紀の重要な課題だと思う。

Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2007年 05月号 [雑誌]Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2007年 05月号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2007-04-10

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June 26, 2006

【ミニ書評】トーマス・ダベンポート著『ナレッジワーカー』

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ナレッジワーカー (HARVARD BUSINESS SCHOOL PRESS)ナレッジワーカー (HARVARD BUSINESS SCHOOL PRESS)
トーマス・H・ダベンポート 藤堂 圭太

ランダムハウス講談社 2006-04-27

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 トーマス・ダベンポート著。ドラッカーは『ポスト資本主義社会―21世紀の組織と人間はどう変わるか』の中で、知識の生産性を測定し、知識労働者の生産性を上げることが21世紀の経済の最大の課題であると述べているが、どのような手段でそれを行うのかはほとんど述べていない(ドラッカーは現代経済学の問題をいくつも指摘したが、解決策を導くことはあまり得意ではなかったようである)。

 この問題を再び議論の土俵に上げ、その解決に取り組んでいるのがダベンポートである。ダベンポートは、知識労働者には様々なタイプがあるため、何らかの基準に従って分類することが有効であると考える。本書ではいくつかの分類法が提案されているが、本書全体を通じて最もよく用いられるのが、(1)取引型(協働の度合いが低く、業務が単純)、(2)専門型(協働の度合いは低いが、業務が複雑)、(3)統合型(協働の度合いは高いが、業務が単純)、(4)協働型(協働の度合いが高く、業務が複雑)という分類である。

 しかし、知識労働のプロセスを論じる部分ではこの分類を用いて議論を進めるものの、知識労働者の仕事のスタイル(情報の利用方法や人的ネットワークの形成方法)を論じる部分ではこの分類が全く使われなくなる。この点で、議論の展開の一貫性にやや疑問を感じる。また、知識労働者の生産性向上という当初の問題提起は、いつのまにか知識労働者の実態を記述することに重きが置かれるようになるにつれて、うやむやにされてしまった印象がある。

《2014年1月6日補足》
 取り消し線部について、これはドラッカーに対して本当に失礼なことを書いてしまった。知識労働者であるエグゼクティブ(経営管理者)が成果を上げるための方法については『経営者の条件』に詳細に書かれているし、組織全体として生産性をマネジメントすることの重要性は『現代の経営(上)』で説かれている。ドラッカーの文献の読み込みが浅かったことを大いに反省している。


ドラッカー名著集1 経営者の条件ドラッカー名著集1 経営者の条件
P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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ドラッカー名著集2 現代の経営[上]ドラッカー名著集2 現代の経営[上]
P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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