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August 29, 2011

【再考察】菅直人首相はなぜ退陣に追い込まれたのか?(1)

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 ジャーナリストの佐々木俊尚氏がtwitter上で「菅直人首相の退陣によせて」(Danas je lep dan、2011年8月26日)という記事に言及し、「私も賛成」との見解を述べていたのだが、改めて菅直人首相とはどういう人物だったのか、なぜ身内からも忌み嫌われる形で退陣に追い込まれたのか、私なりに整理し直してみた。

(1)リーダー自身が狼狽してしまい、リスクマネジメントができなかった
 菅首相が退陣に追い込まれた要因は3つあると私は考えるが、中でもこの1つ目の要因が決定打である。震災直後の菅首相の動きに関する記事(※1)を読み返してみると、福島原発事故と対峙して狼狽する菅首相の姿が改めて浮き彫りになる。冒頭で触れた「菅直人首相の退陣によせて」の中では、誰も経験したことのない事故を目の前にして慌てふためかない人などいない、といったニュアンスのことが書かれているけれども、確かにその考え方にも一理あるのは認めよう。

 だが、9.11同時多発テロ事件の直後に、ジュリアーニ前ニューヨーク市長が「救援・復興活動が第一優先だが、残りの人は、日頃の消費活動を維持することが大事。安易な自粛モードは、NYの商業施設の売上減などNY経済の低下につながり、いわば、テロの2次被害を招く。卑劣なテロに負けないためにも積極的に飲み食いするなど日頃の商業活動を維持してほしい」と演説し(※2)、事故の10日後には自らコメディ番組に出演して、「みんな笑っていいぞ」と発言した(※3)のに比べると、菅首相が震災直後に国民に向けて発信したメッセージはあまりにも印象が薄い。

 国民に対して積極的にメッセージを発していたのは、菅首相ではなく枝野官房長官だった。不眠不休で政府内や東電の関係者と連絡を取りつつ、連日記者会見を開いていたために疲労が重なり、枝野長官の顔は日に日にやせ細っていった。枝野長官の体調を心配して、ネット上で「枝野寝ろ」運動が起こったことを覚えている方も多いだろう。

 もちろん、アメリカのテロ事件と今回の東日本大震災を単純に比較することはできないし、日本で首相がこんな時期にバラエティ番組に出演しようものなら、野党の格好のエサになって「不謹慎だ」とバッシングを受けるのは間違いない。いつ何時でも楽観的に振る舞い、明るい未来を見出そうとするアメリカ人と、現実的な考え方を望む日本人という民族性の違いを考慮に入れる必要はある。

 しかし、それにしても菅首相は冷静さを欠いていた。東京電力の本社を訪れて東電社員に怒鳴り散らし、「東電が事故処理から撤退する」との噂が流れた時には、東電の清水社長(当時)にも怒声を浴びせたと言われている。メディアが菅首相の言動の一部分のみを切り取って報道している可能性は否定できないものの、リーダー自身がこんなにも狼狽してしまっては、命がけで事故処理にあたっている東電社員を鼓舞するどころか、逆に委縮させ、混乱を増幅させるばかりである。

 この点でも、東京消防庁の隊員を涙ながらにねぎらった石原慎太郎都知事とは対照的だ。福島第1原発で冷却作業にあたったハイパーレスキュー隊員を前にして、石原都知事は「みなさんの家族や奥さんにすまないと思う。ああ…、もう言葉にできません。本当にありがとうございました」、「まさに命がけの国運を左右する戦い。生命を賭して頑張っていただいたおかげで、大惨事になる可能性が軽減された」と涙を流しながら語った(※4)。震災直後に「震災は『天罰』だ」と発言して顰蹙を買った都知事ですら、ここまでの姿を見せているのである。

 一方、当の菅首相は、なまじ原発に関する知識があるばかりに、東電の対応や報告のスピードを余計に遅く感じたのだろう。冷却作業に使用する真水がなくなったため海水注入に踏み切ろうとした東電に対し、再臨界を危惧して「待った」をかけた菅首相であるが、専門家の間では真水より海水の方が再臨界のリスクが低いと考えられていた。

 この一件以外にも、東電が事故処理の方法に関して、いちいち首相の判断を仰がなければならない局面が少なからず存在したようだ。しかし、菅首相が持っている原発の知識は、もう何十年も前のものであり、今回の事故では使い物にならない。事故処理は、最新の原発を熟知している東電の現場に任せておけばよかったのである。

 では、首相として、あるいは政府として何をすべきだったのだろうか?今回の大震災では、「情報が得られないが、事態が深刻化していることだけは解っている」という難しい状況で意思決定を下す必要があった。この場合の鉄則は、「厳格な基準を適用し、最悪のシナリオを想定した行動を通じて、国民の生命を守る」ことに尽きる。

 この点に照らし合わせてみると、原発周辺の避難区域が半径3km、5km、10km、20km圏内と徐々に広がっていったことは、最悪のシナリオを想定していたとは到底思えない判断である。これでは住民の不安をいたずらに煽るだけだ。逆に、最初から半径20km以内を避難区域に設定し、そこから段階的に解除していくのが、適切なリスクマネジメントだったと考えられる。

 基準の適用に関する混乱は他にも見られた。例えば、農作物に含まれる放射性物質の暫定基準(そもそも、いつまで「暫定」なのか?という疑問もあるが・・・)をめぐって、多くの農家と消費者が翻弄された。同量の放射性物質が含まれていても、地域によって「出荷制限」と「出荷自粛」の差が出たこともあった。挙句の果てには、原発の事故処理に当たる作業員が少なくなってきたから、年間被曝量の上限値を引き上げて、基準値を超えない作業員の数を増やそうという、とんでもない議論もあった(※5)。生命に関わる重要な基準を、現場の都合でそんなに簡単に変えられるのならば、一体何のための基準だと言えるのだろうか?例えば、原発先進国のフランスや、震災に対して積極的な支援を申し出ていたアメリカなどに支援を仰ぐという選択肢もあったのではないだろうか?

 「最悪のシナリオを想定して行動する」という点に関して、少しだけ菅首相をフォローできる言動があるとすれば、4月に福島第1原発から半径30km圏内の地域について、「そこには当面住めないだろう。10年住めないのか、20年住めないのか、ということになってくる」と松本健一内閣官房参与に話したことと(※6)、今月27日、福島第1原発周辺の放射線量が高い地域に関して、「長期間にわたって住民の居住が困難な地域が生じる可能性は否定できない」と佐藤雄平福島県知事に伝えたこと(※7)だろう。

 4月の発言については、菅首相がどの程度の情報や仮説に基づいて発したものなのか定かではない。しかしながら、「20年住めないかもしれない」という点は、8月27日に発表された政府の試算結果とも合致している。菅首相のこの見通しだけは、肯定的に評価してよいだろう。

 ただし、仮に20年以上住めないとなった場合に、区域内住民の生活を政府としてどのように設計・支援していくのか?というシナリオを4月の段階から構想しておき、27日の福島県知事との会談でそのシナリオに言及しておけば、「突然じゃないか。非常に困惑している」と佐藤知事が反応することはなかったに違いない。

 (明日へ続く)

(※1)「(1)全ての不信感、東電がはけ口」(MSN産経ニュース、2011年8月25日)から始まる一連の【再検証・菅首相の原発事故対応】の記事など。
(※2)「ジュリアーニNY市長のテロの時のスピーチ」(コンサルタント藤村正宏のエクスマブログ、2011年3月16日)
(※3)「『先行きの展望が欠如』した菅政権」(オーパの幸福実現党応援宣言!、2011年4月27日)
(※4)「『言葉にできない。ありがとう』石原都知事、感極まり言葉詰まらせる 放水活動の消防隊員に謝辞」(MSN産経ニュース、2011年3月21日)
(※5)「【放射能漏れ】原発作業員の年間被曝量、上限撤廃へ 厚労省が特例措置 全国の原発保守を懸念」(MSN産経ニュース、2011年4月28日)
(※6)「原発周辺「20年住めない」=菅首相が発言、その後否定」(asahi.com、2011年4月13日)
(※7)「東日本大震災:福島第1原発事故 帰郷困難、20年超も−−政府試算」(毎日jp、2011年8月28日)
July 10, 2011

結果とプロセスをバランスよく評価しよう―『失敗に学ぶ人 失敗で挫折する人(DHBR2011年7月号)』

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 7月号のレビューを書いているうちに、8月号が届いちゃった(汗)それでも7月号の書評を続けるよ。

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なぜ、ビジネスの論理と倫理を切り離してしまうのか 「意図せぬ悪事」の科学(マックス・H・ ベイザーマン、アン・E・テンブランセル)

 ビジネスパーソンが倫理に反する行動をとってしまう理由として著者が指摘しているのは次の5つ。 
(1)不適切な目標設定
 望ましい行動を促進するために目標やインセンティブを設定するが、逆に倫理に反する行動を助長してしまう。
(2)動機づけられた見落とし
 見て見ぬふりをしたほうが自分の利益になる場合、他者の倫理に反する行動を見落とす。
(3)間接的であるがゆえの見落とし
 他者が第三者を介して倫理に反する行動をした場合には、直接行った場合よりも責任を問わない傾向がある。
(4)滑りやすい坂
 他者の倫理に反する行動が徐々に進行していく場合、気づきにくい。
(5)結果の過大評価
 結果がよければ、倫理に反する行動を認めてしまう。
 (1)の典型例は、売上だけでしか評価されない営業担当者が、期末が迫ってくると顧客に対して無茶な押し売りをしてしまう、というものである。

 (2)の例として、論文ではMLBの通算本塁打記録を持つバリー・ボンズが挙げられている。ボンズがステロイド剤を使用していると球団側もファンも知りながら、球団側はボンズのホームランによる集客効果を無視できず、ファンもボンズのホームランを見たがっているがゆえに、球団もファンも「見て見ぬふり」をしてしまったと著者は指摘している。

 (3)は、個人的にはやや特殊な例のように感じるのでここでは省略。(4)は(2)とも近い。論文の内容からは逸れるが、「壊れ窓理論」は(4)に当てはまると思う。「壊れ窓理論」とは、ある地域にフロントガラスの割れている自動車を放置しておくと、その地域での犯罪率が上がるというものである。

 フロントガラスが割れた車を見た人間は、多少の悪事は許されると思い、ごみのポイ捨てや落書きなどといった軽犯罪を起こすようになる。それがエスカレートしていくと、やがては強盗や殺人といった凶悪犯罪までもが発生するようになる、というのである。

 (5)に関しては、論文では製薬会社の例が紹介されている。ある新薬の開発中に、その薬を服用すると死亡する危険性があることが明らかになった。ここで、A社はさらに試験を繰り返し、一定の確率で死に至る可能性があることを十分に認識した上で新薬を発売した。これに対し、B社は試験データをねつ造して、死亡の可能性がないように見せかけて新薬を販売した。

 A社は実験の結果通り何人かの死者を出してしまったが、B社の顧客からはラッキーなことに死者が出なかったとする。この場合、世間やマスコミはA社を厳しくバッシングするだろう。しかし、本当はB社の方が非倫理的なのではないか?と著者は問いかけている。

 このような非倫理的な行動の背後には、結果重視の評価制度が潜んでいると私は考える。IBMの元CEOであるルイス・ガースナーは、「何か変革を起こしたければ、まずは評価制度を変えるべきだ」と主張しているように、評価制度は人間の行動を大きく左右する(※)。評価指標を1つ変えるだけでも、人間の行動は全く違うものになってしまうのである(過去の記事「評価制度を間違えると社員の行動はおかしな方向へ導かれる」で取り上げたコールセンターの事例を参照)。

 社員が非倫理的な行動に陥らないようにするためには、結果とプロセスのバランスが取れた評価制度を構築することが有効であろう。プロセスの指標は、「バランス・スコア・カード(BSC)」や、以前このブログで書いた「プロセスKPI(Key Performance Indicator:重要業績指標)を設定するための5つの視点」で設定してもいいのだが、とにかく結果だけに偏った評価制度にしないことが肝要である。

 (1)の営業担当者について言えば、押し売りをされた顧客は満足度が下がり、他社の製品にスイッチする可能性が高くなると考えられる。そこで、売上に加えて「営業活動に対する顧客満足度」や「顧客のリピート購入率」など(=これらの指標は、BSCで言うところの「顧客の視点」に該当する)も評価指標に組み込めば、期末の押し売りが低減されるかもしれない。

 (2)のボンズの薬物使用を止めるにはどうすればよかったのだろうか?アイデアベースに過ぎないが、次のような方法は考えられないだろうか?MLBでは、球団の資金力の格差によってチームの実力が乖離しないよう、各球団の収益を再配分する仕組みがある。すごくシンプルに言えば、人気も実力もあるニューヨーク・ヤンキースの利益が、万年最下位争いをしているデトロイト・タイガースに配分されるようなものだ(こうした配分を行っても、タイガースは強くならないので、再配分制度にも限界があるわけだが・・・)。

 再配分にあたっては、球団の「勝敗数」という結果が第一に考慮される。これに加えて、各球団は「ステロイド剤などの禁止薬物を使用していない選手の割合(当然、100%でなければならない)」を、明確な証拠資料とともにMLB事務局に提示する。万が一100%でない球団が出た場合は、分配金を削減する。さらに、虚偽の申告が後になってから発覚した場合には、さらに厳しい減額措置をとる。こんな感じで、プロセスKPIを組み合わせることができるのではないだろうか?

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大惨事をいかに未然に防ぐか ニアミス:隠れた災いの種(キャサリン・H・ティンズリー、ロビン・L・ディロン他)
 人々は結果が成功に終わると、たとえそこに至るプロセスに明らかに問題があっても、基本的に健全だったとみなす性向がある。だからこそ、「成功すれば文句は言えない」と言われるのである。しかし、実際には文句を言えるし、またそうすべきだ。

 諸研究によれば、組織の災厄が1つの原因だけで起きることはまずない。むしろ、複数の小さな、たいていは外見上取るに足りない人為的ミスや技術的な問題、あるいは不適切な業務上の判断が予想を超えて絡み合い、災厄をもたらす。それらの潜在的誤謬が実現条件と結びつくことによって、重大な失敗が生まれるのだ。
 DHBR5月号の『リーダーシップ 真実の瞬間』に所収されているロジャー・E・ボーンの「クライシスの火種を消す 「その場しのぎ症候群」から脱する法」とも関連する論文。ボーンの言葉を再引用すると、
 ほとんどのアメリカ企業では、最悪の窮地から組織を救った人は英雄視される。しかしその人は、問題が発生した時には、どこで何をしていたのだろう。なぜ、問題が大きくなる前に、先手を打って行動しなかったのだろう。問題の発生件数が少ないマネジャー、長期的な予防策やシステマティックな問題解決を実践しているマネジャーに報奨を与えるべきである。
 ニアミスの報告が評価される企業は少ない。しかし、ニアミスが重なって引き起こされた大惨事を鎮圧した人は高く評価される。今回の福島原発の事故を受けて、東京電力がどのような人事評価を行うのかは外部の人間からは解らないが、命懸けで事態の鎮圧にあたっていた人たちは高く評価され、中には大幅に昇進する人も出てくるだろう。他方、事故現場での意思決定や言動に問題があった人たちは、危機的状況に対応する能力が低いというレッテルを貼られるに違いない。

 しかし、原発が津波によって崩壊するかもしれないことを、3.11よりずっと前から指摘し続けてきた人たちも高く評価されるべきである。そういう人たちが重要なポストに就けば、周囲の社員は小さな問題でも安心して報告するようになる。逆に、原発の脆弱性を認識していながら事なかれ主義を貫いていた人たちには、事故現場での行動に問題があった人たちよりも厳しい評価を下すべきであろう。

(※)ルイス・ガースナー著『巨象も踊る』(日本経済新聞社、2002年)

ルイス・V・ガースナー
日本経済新聞社
2002-12-02
おすすめ平均:
リーダー一般、またはITビジネス関係者に
すごい
IBMの再建を託された男
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April 21, 2011

東電・政府対応からの教訓:「一貫性」が「合理性」に勝ることもある―『リーダーシップ 真実の瞬間(DHBR2011年5月号)』

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 (まだまだ続くDHBRのレビュー)

不測の事態に対処する6つの心得 クライシス・マネジメントはリーダーの仕事(ノーマン・R・オーガスティン)
 たとえば、スリーマイル島原発の周辺住民をすぐ避難させるべきか(当然大混乱が起こるだろう)、自宅にとどまるよう指示し、被曝のリスクをあえて冒すべきか。この段階では決断力がカギを握る。ほとんどの場合、何の行動も起こさないよりは、とにかく何か筋の通った、はっきりした行動を選択することが賢明である。
 この段階における問題は、いったい何が不明なのか、それさえ不明であることだ。情報が少なすぎる、あるいは逆に多すぎて、どれが重要なのか、まるで見分けがつかない。(中略)私の経験から言えば、情報を隠しすぎることよりも、法的に不利になるリスクはあっても、見せすぎたほうがよほどましである。法的立場などより、信用のほうがずっと大事だ。
 著者のノーマン・R・オーガスティンは、何度となくキャリアの危機に見舞われている。国防長官のスタッフになれたと思ったら、ベトナム戦争でペンタゴンが大混乱に陥り、陸軍に入れたと思ったら今度は中東戦争が勃発し、その後企業の経営者になった途端に、自社施設の爆発事故や敵対的買収への対応を強いられた。こんなすさまじい経歴の持ち主が、自身の経験から培ったクライシス・マネジメントの要諦を述べているのがこの論文。

 「とにかく何か筋の通った、はっきりした行動を選択することが賢明である」という著者の助言は非常に重い。緊急時には、一貫性のある意思決定が求められる。しかも判断の内容は、時に合理性よりも優先される。震災後の計画停電や福島原発事故をめぐる政府&東電の対応を見ながら、私はそう感じた。

 計画停電について言えば、鉄道各社など大口需要者との調整がなされないまま前日に突然実施が告げられたり、実施エリア・時間帯に不公平な部分があったりと、プロセスにまずい部分があったことは否めない。ただし、総合的に見れば、計画停電を貫き通した東電は一定の評価をされるべきだと思う。

 電力供給不足が明らかになった時、東電には計画停電の他に、総量規制と使用制限という2つの選択肢があった。しかし、利用者の自主性に委ねられる総量規制は、期待した節電効果が得られないリスクもある。また、使用制限は国が法律に基づいて電力の使用量を強制的にカットするものだが、国が間に入ることで手続が煩雑になり、迅速な対応ができなくなっていたかもしれない。

 東電は結局、自らのコントロール下で確実に電力供給を抑えられる計画停電を選択した。その後も識者の間からは総量規制にすべきだといった指摘が相次いだものの、今月の計画停電打ち切りまで東電は態度を変えなかった。その結果、大規模停電という最悪の事態を回避することに成功している。この点は非常に重要である。

 合理的に考えれば、予想以上の節電効果があり、計画停電でなくても大丈夫そうだと解った時点で、総量規制に切り替えるという選択肢もあったのかもしれない。しかし、今回の成果(=大規模停電の回避)に関して言えば、計画停電一本でやり通した東電の一貫性による賜物だと思う(当然のことながら、夏場の電力不足に対しては、また改めて対策を考え直さなければならない。この時に東電の意思決定能力が再度問われる)。

 これに対して、福島原発をめぐる政府&東電の対応は、かなり一貫性を欠いている。かつて、アメリカと日本の政治家を比較して、「危機に直面すると、アメリカの政治家は決断を下すのに対し、日本の政治家は情報収集にあたる」という話を聞いたことがある。もちろん、どちらのやり方も一長一短はあるのだが、今回の福島原発のように、そもそも意思決定の材料となる情報すらない状況では、「まずは情報収集を」という日本的な態度が裏目に出る。

 政治家でも原発の専門家でもない私がこんなことを書くと怒られるかもしれないけれど、情報すら得られない場合は、「(危機的な状況を示す情報が見つかっていないから)今のところ大丈夫」、「重要な情報は引き続き調査中である」といった表明ではなく、いくつかのシナリオを用意しておくべきだったと思う。”最も悲観的なシナリオ”、その対極にある”最も楽観的なシナリオ”、そしてその”中間のシナリオ”、最低でもこの3つは必要だ。

 そして、国民にはこの3つのシナリオを提示した上で、「確たる情報が得られるまでは”最も悲観的なシナリオ”に従って意思決定を下す」のが最善だったのではないだろうか?(マスコミは3つのシナリオを見せられると、必ずと言っていいほど”最も悲観的なシナリオ”のみを切り取って報道するから、シナリオの提示方法には細心の注意が必要なのだが・・・)

 初期段階で「ひょっとしたらものすごく危険かもしれない」と警告されていたが、後になって「実はそれほど危険でもなかった」と言われるのと、最初は「今のところ大丈夫」と聞いていたのに、後から「実はとっても危険でした」と言われるのとでは、国民の心理的ダメージの大きさが全く違う。事実、今月半ばになって福島原発の危険度が「レベル7」に引き上げられ、さらに避難地域の拡大が検討され、加えて「20km圏内は10年、20年住めないかもしれない」と今になって首相が言ったとか言わないとかいう情報が流れてくるようでは、国民、そして国際社会の不安が膨れ上がる一方だ。

 被曝基準をめぐる政府の対応にも、かなりの混乱が見られる。「被曝基準が厳しすぎるから引き上げよう」、「子どもは大人の半分でも大丈夫」という話が出てくれば、当然ながら「じゃあ、一体何のための基準だったのか?」と国民は不信感を抱く。確かに、合理的に考えると今の基準は厳しいのかもしれない。ただ、基準の見直しは最低でも今の事態が収集してから行うべきであろう。ここでも重要なのは、合理性ではなく一貫性なのである。国民は、現在の被曝基準を一貫して適用してくれることを望んでいる。

 ちなみに、スリーマイル島原発事故の時には、当時のNRC(米国原子力安全委員会)もどの程度の範囲の住民を避難させるべきか判断ができなかった。しかし、ラジオなどで事態が報道されるにつれて、100マイル以上というかなり広範囲の住民が自主的に避難したという。