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March 22, 2012

競争優位が戦略からビジョンへ移行しつつあることの再発見―『絆の経営(DHBR2012年4月号)』

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Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2012年 04月号 [雑誌]Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2012年 04月号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2012-03-10

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 (1つの論文のレビューだけで2本の記事を使うという贅沢ぶり。単にレビューが長いだけなのだが・・・)

組織の「接着剤」と「潤滑油」が生み出す 「集合的野心」の力(ダグラス・A・レディ、エミリー・トゥルーラブ)

 もう1つの面白い発見は、セフォラ(※LVMH傘下のコスメブランド)の事例から。LVMHは2003年に、問題を抱えていたセフォラの売却を検討したが、セフォラは新しく迎え入れたCEOの下で戦略を再構築した。新しい経営陣は典型的な市場調査も実施したものの、最終的に戦略の決定打となったのは、セフォラの創業者が築いた価値観であった。
 セフォラの場合、楽しいショッピング経験を提供することが目的ならば、他社とは異なるサービスの提供を戦略とすべきであると判断した。すなわち、いわゆる優れたサービスではなく、「自由」「感情的な絆」、そして「大胆さ」という、同社の価値観と一致するサービスである。
 よく、ビジョン、戦略、戦術、組織・・・を上から順番に並べた三角形の図が描かれて(例えば「理念・ビジョン・戦略・戦術|プログラマー社長のブログ」[ITmedia オルタナティブ・ブログ、2010年11月8日]など)、ビジョンと戦略の一貫性を取ることが重要だと言われるが、実際に戦略を策定する段階になると、ビジョンとの関連性が忘れられることがしばしばある。これは、外部環境と内部環境を客観的に分析して、そこから戦略オプションを生成し、経済的価値が最大のもの(=平たく言えば、一番儲かるもの)を選択する、というMBA的な戦略策定プロセスに起因するところが大きい。

 このプロセスに従うと、誰が分析しても結局は同じ戦略に行き着いてしまうというパラドクスが指摘されている(ヘンリー・ミンツバーグなどはその代表)。どの企業も競合他社との差別化を意図し、競合とは異なるコンサルファームの力を借りながら戦略を練ったのに、ふたを開けてみたらどこも大して変わらない戦略だった、というオチになる。

 こうしたパラドクスを回避する上で、ビジョン、その中でもとりわけ価値観が果たす役割は大きい。価値観は社員の行動を規定すると同時に、事業環境に対する社員の見方をも規定する。価値観は主観的であるがゆえに、価値観の違いが事業環境の異なる側面を浮き彫りにする。つまり、セフォラの例で言えば、「我が社が言う『自由』を求めている顧客とは具体的に誰か?」、「我が社が言う『感情的な絆』に最も敏感に反応する顧客はどこにいるか?」、「我が社が『大胆さ』という時、顧客は我が社に何を期待しているのか?」と問う時、セフォラは市場に対し、客観的な市場調査のみに頼る競合他社とは異なる見方をしていることになる。この視点の差が、他社とは異なる市場の機会を発見する可能性を秘めている。

 同じような問いを、セフォラは内部環境に対しても発することができる。すなわち、「我が社が言う『自由』、『感情的な絆』、『大胆さ』を実現するサービスとは何か?どのような場所に、どのようなレイアウトの店舗を構え、どんな製品を揃え、どのようなサービスを販売スタッフは提供し、どんなメッセージを企業として発信すべきか?」、「望ましいサービスを提供するのに必要な組織能力は備わっているか?欠けているものは何か?ギャップを埋めるためにどのような手を打つか?」という問いである。

 このような問いを通じてセフォラは、MBA的な戦略策定アプローチでは得られないような差別化戦略へと到達することが可能となるだろう。そういう意味で、以前「戦略による競争優位からビジョンによる競争優位へ?―『「チェンジ・ザ・ワールド」の経営論(DHBR2012年3月号)』」でも述べたように、競争優位の源泉が、戦略からビジョンへと移行しているように思えるのである(三角形の図に従えば、それが本来のあるべき姿なのだが)。

 ただし、ビジョンは主観的であるがゆえに、絶えざる「解釈」によって常にその意味を肉付けしていく必要がある(以前の記事「<布教>という時代は終わりました−『感じるマネジメント』」を参照)。セフォラの「自由」、「感情的な絆」、「大胆さ」という価値観は、字面だけを見れば至って普通である。そして、これは多くの企業のビジョンにも当てはまる。ビジョンの表現そのものは、得てして凡庸なものだ。ゆえに、その意味を十分に組織内で咀嚼しないまま、ビジョンとリンクした戦略を構想しようとしても、MBA的な戦略策定アプローチと同様に、何とも変わり映えのしない戦略に陥る危険性がある。

 ビジョンを社員の間で解釈し続ける活動は、非常にシンプルである。しかし、地道な努力の積み重ねを要する。ちょうど、長尾吉邦氏の『企業盛衰は「経営」で決まる―中小・中堅企業のための自立経営へのステップ』を読んでいたら、1つ興味深い事例があったので紹介したいと思う。

企業盛衰は「経営」で決まる―中小・中堅企業のための自立経営 へのステップ企業盛衰は「経営」で決まる―中小・中堅企業のための自立経営 へのステップ
長尾 吉邦

ダイヤモンド社 2009-04-17

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 千名の従業員を抱えるあるメーカーは、毎年1月に全社員(部課長を含む)にリポートの提出を義務づけている。テーマは「私が経営理念の実現で行動したこと、成果を上げたこと」。すなわち、毛鋭意理念を実現するために具体的にどうしたのか、どんな成果が上がったのか、そして、なぜそれをしようと思ったのか、などについてリポートさせているわけだ。そして、そのリポートを役員会で審議にかけるだけでなく、「優秀者委員会」を設けてそこでも審査している。(中略)

 大事なのはこの次のステップで、(優秀者委員会で)選ばれた5名は年度方針発表会で表彰されるだけでなく、1人当たり30分間、社員の前で発表しなければならない。社員に聞くと、発表のなかで一番印象に残るのはいつも「なぜ、それをしようと思ったのか(背景)」であると、口をそろえて言う。
 これは、社員が1,000人程度の中堅企業だからできるのだろうと思われるかもしれないが、大企業でも基本的にやり方は同じである。例えば、本体だけで6,000人以上の社員を擁する三井物産は、槍田松瑩前社長が「社長車座集会」という社員との対話の場を設け、社員と食事をしながら、経営の目指す方向や経営の問題意識を語り合う活動を世界中で続けていた(「IT 先進企業 : 三井物産 - 「業態変革」を旗印に社員の意識改革と経営効率化に邁進する」[Microsoftホームページ])。

 また、社員約3,000人のファミリーマートでは、毎年1回、「ファミリーマートらしさ」について考えるワークショップ「らしさDAY」が開催されている。本部や支店ごとに社員が集まり、それぞれの社員が考える理想の仕事像を共有し、製品やサービスに活かすことを目的としている。2009年からはフランチャイズ店のオーナーを対象とした「加盟店ワークショップ」も開催されているという(『日経情報ストラテジー』2012年3月号)。

日経 情報ストラテジー 2012年 03月号 [雑誌]日経 情報ストラテジー 2012年 03月号 [雑誌]
日経情報ストラテジー

日経BP社 2012-01-28

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 逆に、ビジョンが社員の腹に落ちていない企業はどうなってしまうのか?長尾氏の著書から、先ほどのメーカーとは対照的な企業の例を引用しておく。
 フルサービスのガソリンスタンドを営むK社は、毎年「洗車中心」の方針をうたっていた。ところが実際は、目標未達成の連続であった。その原因を探るべく、K社の幹部から末端社員に至るまでヒアリング調査を行ってみた。部長に「方針は?」と問うと、間髪を入れずに「洗車中心です」との答えが返ってきた。次にエリア長・店長に聞くと、やはり「洗車中心です」。社員に聞くと「洗車中心です」。そして、末端のアルバイトに聞いても「洗車中心です」。K社の方針は見事なまでに組織全体に浸透していた。

 ところが、アルバイトに対して「洗車中心という方針を実行するため、あなたは具体的に何をやっていますか?」と問いかけたところ、返ってきたのは「できるだけ気をつけています」というものでしかなかった。つまり、方針そのものは末端まで理解されているものの、行動にまでは移されていなかったのである。
 こういう企業では、ビジョンとリンクした独創的な戦略は期待できない(もっとも、それ以前の問題として、こういう状態では日々のオペレーション自体が機能しないのだが・・・だから、K社はずっと目標未達成が続いているのだろう)。
February 20, 2012

戦略による競争優位からビジョンによる競争優位へ?―『「チェンジ・ザ・ワールド」の経営論(DHBR2012年3月号)』

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Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2012年 03月号 [雑誌]Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2012年 03月号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2012-02-10

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 まだまだ続くDHBR2012年3月号のレビュー。

価値観を成長の源泉とする インフォシス:尊敬される企業を目指して(N・R・ナラヤナ・ムルティ)
 (創業メンバーと)何度も議論を戦わせた後、私たちは価値観に基づく企業の設立に合意しました。その夜にはビジョン・ステートメントの草案を作成し、「最高の技術ソリューションを顧客に提供し、一流のプロフェッショナルを雇用する、インドで最も尊敬される企業を目指す」という理念を掲げました。

 この時の私たちの話し合いが、インフォシスの価値体系「C-LIFE」の基礎となりました。Cは「顧客第一主義」(Client focus)、Lは「率先垂範のリーダーシップ」(Leadership by example)、Iは「高潔さと透明性」(Integrity and transparency)、Fは「公正さ」(Fairness)、Eは「卓越性」(Excellence)を表しています。

 このビジョンが「私たちは一緒にな何を成し遂げようとしているのか」という問いの答えであり、価値体系は「このビジョンをどのように実現するのか」という問いの答えです。
インドのITアウトソーシング業大手であるインフォシス・ムルティ会長のインタビュー記事。インフォシスには「知性を原動力に、価値観を推進力に」という行動規範(クレド)があるそうだ。ムルティ会長によると、インフォシスの価値観は戦略策定プロセスに組み込まれており、「価値観の重視は我々の差別化の試みの1つ」であるという。

 先日の記事「経済的⇔社会的価値という二項対立を克服するグレート・カンパニー―『「チェンジ・ザ・ワールド」の経営論(DHBR2012年3月号)』」で取り上げたカンターの論文とこのインタビュー記事を読みながら考えたのが、今日の記事タイトルにもしたように、これからは戦略ではなく、組織の共通目的や価値観を包含するビジョン(※)が競争優位のカギになるのではないか?ということである。カンターはグレート・カンパニーの条件として、「共通の目的」、「長期的視点」、「感情的な絆」、「公的組織との連携」、「イノベーション」、「自己組織化」という6つを挙げているが、(「公的組織との連携」や「イノベーション」はひとまず脇に置くとして、)要するに長期的なビジョンを掲げることと、それによって社員の結びつきを強めることの重要性を説いているように思える。

 個人的な話だが、年明けからずっと「戦略に加えてなぜビジョンが必要なのか?」という問いが私の頭から離れずにいた。戦略が適切であれば、企業は競合他社を排し、多数の顧客を取り込んで利益を出すことができる。それなのに、なぜ戦略の他にビジョンまで求められるのだろうか?

 まだ説得力に欠ける部分が大いにあることは承知の上で書くけれども、戦略は「『顧客』を束ねるための構想」であるのに対し、ビジョンは「『社員』を束ねるための構想」という違いがあると考えられる。より発展的なビジョンは、社員だけでなく、仕入先や販売チャネル、投資家、地域社会など、自社を取り巻く多様なステークホルダーをも束ねる。

 ここでポイントとなるのは、戦略は真似されやすいという点である。確かに、マイクロソフトのように10年以上も成長に貢献する強力な戦略や、Amazonのように下手に競合が真似しようものならかえって痛手を被るようなよくできた戦略(※2)もある。しかし、つい先日報道されたばかりの例を挙げると、サークルKサンクスが打ち出した「中高年向けのコンビニ」というコンセプトは、あっさりとセブンイレブンやファミリーマート、ローソンに真似されてしまい、規模で劣るサークルKは、主に東海で店舗を展開する小売業ユニーの完全子会社となって、戦略の再構築を迫られる結果となった(※3)。また、ブルーオーシャン戦略の典型例として一時は絶賛された任天堂のWiiでさえ、ソーシャルゲームという破壊的イノベーションの攻撃を受けて、今や全く安泰ではないのも有名な話である。

 このように、戦略は他社に真似されやすいし、本当によくできた戦略を練ることは非常にハードルが高い。したがって企業は、戦略を次々と生み出す必要がある。戦略を生み出すというと難しく聞こえるものの、噛み砕いて言えば「顧客のためになりそうな製品・サービスのアイデアを持ってくる」ということである。

 やや楽観的ではあるけれども、社員がビジョンによって固く結ばれていると、自社戦略の有効性が失われつつあることに敏感に反応し、自らが忠誠を誓った自社の目的・ミッションに貢献するために、組織の階層を問わずあらゆる社員が、顧客のためになる新しいアイデアを創造し始めると思うのである。より発展的なビジョンを掲げる企業であれば、そのようなアイデアが、取引先や販売チャネルなど、外部のプレイヤーから持ち込まれることもあるだろう。たたき上げの起業家が肌身で感じているように、「人脈が仕事を呼ぶ」という現象が起きるわけだ。ここに、戦略に加えてビジョンが必要とされる理由があるのではないか?

 「日本企業に戦略はない。あるのはオペレーション戦術だけだ」とマイケル・ポーターに酷評されながらも、日本企業はそれなりに世界で成功を収めた時期があった。その要因の1つは、日本企業の経営陣がビジョンの浸透に時間をかけ、さらに終身雇用や年功序列などの仕組みで社員の高いロイヤルティを担保していたためであり、これによって継続的な戦略の策定と実行を可能にしていたというのは言いすぎだろうか?(※3)(もちろん、他にも理由はたくさんある。単にポーターの戦略観が狭かっただけとか、日本が保護主義であったのに対し、欧米市場は開放的だったので加工貿易が成り立ったとか、日本には安くて若い労働力が豊富に存在したなど、様々な要因が関連し合っている)

 逆に、終身雇用や年功序列の制度を維持しにくくなっている現在、社員のロイヤルティを維持・向上させる上でビジョンが果たすべき役割はますます大きくなっている。堅牢なビジョンを持つ企業は、今の事業戦略が多少揺らいでも、社員や他のステークホルダーの力によって、また次の戦略を生み出すに違いない。この点で、今後は競争優位の源泉が戦略からビジョンへと移行するように感じるのである。

 余談だが、インフォシスが価値観に基づいて戦略的な意思決定をした例として、ムルティ会長がこの論文で挙げていたのは、新規事業立ち上げに不可欠だったある海外コンピュータの輸入にあたり、税関担当者が要求してきた賄賂を断った話とか、海外パッケージの輸入販売を計画した際に、他社が会計操作によって高い関税を回避していたのに対し、インフォシスはそういう方法を嫌い、結局はパッケージ販売を断念したという話など、傍から見ると「??」と思うような(もっとストレートに言えば、それほど次元が高くないような)ものだった。論文に出てきた例がたまたまそうであっただけで、実際にはC-LIFEの価値体系に基づいて、もっとレベルの高い議論が交わされているものと信じたい。


(※1)ビジョンの構成要素については、過去の記事
 「ビジョンを構成する要素とは一体何なのだろうか?
 「ビジョンの3要素「目的」「価値観」「未来イメージ」はどう関係し合っているのか?
 「「ビジョンは不要」と言いながらも強力なビジョンを掲げたガースナー−『巨象も踊る』」 を参照。

(※2)楠木建著『ストーリーとしての競争戦略』(東洋経済新報社、2010年)を参照。レビュー記事は「(※注)以降の記述で作品に関する核心部分が明かされています―『ストーリーとしての競争戦略』」。

ストーリーとしての競争戦略 ―優れた戦略の条件 (Hitotsubashi Business Review Books)ストーリーとしての競争戦略 ―優れた戦略の条件 (Hitotsubashi Business Review Books)
楠木 建

東洋経済新報社 2010-04-23

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(※3)「ユニー:サークルKを完全子会社化」(毎日.jp、2011年2月16日)

(※4)日本企業の場合、ミドルマネジャーが戦略の構築と実行フェーズにおける各方面との調整において重要な役割を果たしていたとする研究もある。

変革型ミドルの探求―戦略・革新指向の管理者行動変革型ミドルの探求―戦略・革新指向の管理者行動
金井 壽宏

白桃書房 1991-07

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January 07, 2012

「戦略を全社員に浸透させる仕組み」の解説書といった感じ―『リーダーシップ・サイクル』

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リーダーシップ・サイクル―教育する組織をつくるリーダーリーダーシップ・サイクル―教育する組織をつくるリーダー
ノール・M. ティシー ナンシー カードウェル Noel M. Tichy

東洋経済新報社 2004-12

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【998本目】1,000エントリーまであと2。

 著者のノール・M・ティシーは、GEのジャック・ウェルチの下でクロトンビル研究所におけるリーダー育成トレーニングの体系を構築した人物。本書は邦訳の出版が2004年とやや古く、現在のGEとは事情が異なる部分もあるだろうが、GEが戦略策定・実現や人材育成に関して取り入れた様々な制度や仕組みが解る本である。

(1)1年で1周するよう整然と設計されたGEの「オペレーティング・システム」
 タイトルにある「リーダーシップ・サイクル」というコンセプトが何を指しているのかやや解りにくかったのだけれども、私なりに解釈すると、「トップが構想した戦略を全社員に浸透させて実行に移し、フィードバックに基づいて新たな戦略を構築するサイクル」を意味していると思われる。本書では、トップが構想する戦略は「教育的見地」と呼ばれており、教育的見地の構築と浸透を繰り返すサイクルが根づいた組織のことを、著者は「教育する組織」と名づけている(ピーター・センゲの「学習する組織」とは異なる点に注意)。
 リーダーは4つの基本的な構成要素を中心とした教育的見地を持たなければならない。4つの構成要素を使ってリーダーは躍動感に富み、人々を魅了するストーリーをつくりあげる。ストーリーを通じてリーダーは会社の現状、未来への方向性、それを達成する戦略を理解するのである。(※4つの構成要素とは、「アイデア」、「価値観」、「感情エネルギー」、「エッジ(大きな決定の力)」とされる。詳細は本書p132〜170を参照)
 勝利するリーダーは教師であり、勝利する組織は教育を奨励し、教育した者を評価する。しかし要はそれだけではない。勝利する組織は意図的に教育する組織になろうとしているのであり、ビジネス・プロセスも、組織構造も、日々の業務も、すべて教育を促進するようにつくられている。
 教育する組織は学習する組織といくつかの点で大きく異なっている。両組織とも企業の成功のためには、従業員は情報や新しい発想、スキルを身につけなければならないという考えを支持しているのだが、教育する組織はそれに加えて、全員が学習者であると同時に教育者でもあるという点を非常に重視している。あらゆる活動が教育と学習につながるという考えが受け入れられると、強力な自己保存機能が組織に生まれて、組織のあらゆる階層で知識が創造され、社員間で共有されるようになる。
 戦略立案・実行のサイクルの例として、本書ではウォルマートに言及している箇所がある。
 ウォルマートのリーダーが毎週現場に出て週末には本社に戻り、発見したことを共有している一種のプロセスは、ウォルマートが戦略を週単位で調整するために使っている業務運営メカニズムである。現場に出ると役員は店舗マネジャーや顧客、競合に教えてもらう。同時に、彼らも店舗マネジャーを教育し、コーチする。さらに本社に戻ると、役員は自分が学んだことを同僚と共有し、一緒になって戦略を練り直す。最終ステップは、役員から教育を受けたうえで、店舗マネジャーが実践に移すということである。
 こうしたサイクルは、多かれ少なかれどの企業でも見られるものだ。セブンイレブンや楽天などは、毎週月曜日に早朝会議を開いて、店舗運営コンサルタントやスーパーバイザー向けに自社の戦略を説明したり、戦略の実現度合いを確認したりしている。

 これに対し、GEのサイクルは1年がかりで1周する、もっと大がかりなものである点に特徴がある。詳細は本書p340を参照していただくとして、サイクルの概要を簡単にまとめるとこうだ。まず、秋になるとウェルチが自分の教育的見地をまとめ、10月の経営幹部会でその内容を役員と共有する。10月から年末にかけて、年明けに開催されるシニア・マネジャーを対象としたミーティングに向け、翌年の戦略と重点施策を具体化していく。そして1月からは、シニア・マネジャー、事業部門リーダー、現場社員を対象としたカウンシルを順番に開催していき、戦略の内容を組織の隅々まで浸透させる。戦略の進捗に関しては、四半期ごとに再び階層別のカウンシルを開き、その中で確認を行うことになっている。

(2)「知」というソフト・パワーの行使にあたり、ハード・パワーも併用する
 リーダーはフォロワーが望ましい行動をとるように、様々な形でパワーを発揮する。高い報酬でやる気を上げ、逆に罰をちらつかせて恐怖心を煽る。これは、アメリカの政治学者ジョセフ・ナイの言葉を借りれば、「ハード・パワー」の一例である。一方、「教育的見地」という「知的パワー」は、知が持つ魅力によって人々を惹きつけようとするものであり、一見すると「ソフト・パワー」のように感じる。

 しかしながら、以前の記事「従来の「ソフト・パワー」は「知的パワー」として再構成できるのでは?―『スマート・パワー』(1)(2)」で述べたように、「知的パワー」にも、ハードとソフトの両面があると考えられる。優れたリーダーはこの点をよく理解しており、実際に行動に移していることが本書から読み取れる。例えば、GEファイナンシャル・サービシーズのトップであったボブ・ライトがNBCのCEOに就任した際、ライトは自らの教育的見地を活用して社員の結束を高めるべく、ハード・パワーを行使した。具体的には、議論を重ねても変わろうとしない役員を容赦なく解雇したのである。

 だが他方で、ライトはソフト・パワーの行使を決して忘れてはいなかった。ハード・パワーの行使と同時に自らをオープンにして自分の希望を周囲に伝えたり、他者の希望や恐怖、アイデアによく耳を傾けたりしたという。知的パワーの発揮には、ハード/ソフトの両面が伴う。本書を読む限り、ウェルチも、ウェルチの後継者であるジェフ・イメルトも、自らの教育的見地の実効性を高めるために、ハード/ソフトの両パワーをうまく組み合わせている。

(3)著者はボトムアップ型のリーダーシップに対して懐疑的?
 本書を読んで1つ物足りなかったのは、全体を通じてトップダウンのリーダーシップに焦点が当たっており、ボトムアップのリーダーシップがほとんど登場しなかった点である。トップダウンとボトムアップのリーダーシップが両輪で機能する「デュアル・リーダーシップ」を理想とする私としては、GEの事例はトップダウンの色が強すぎると感じた。

 確かに、事業部門のリーダーや現場社員は、トップの教育的見地を完成させるのに必要な情報を提供したり、教育的見地を補完するアイデアを提供したりすることで、部分的にボトムアップのリーダーシップを発揮している。しかし、トップの教育的見地の大きな間違いを正したり、トップの教育的見地を超える教育的見地を編み出したりするような強烈なボトムアップのリーダーシップは、本書には全くと言っていいほど登場しない。

 これは、著者がトップダウンのリーダーシップを強く信奉しており、ボトムアップのリーダーシップに対して懐疑的であることが影響していると思われる。特に、クレト・レヴィンの「民主型リーダーシップ」に端を発する一連の学説をかなり痛烈に批判している。
 (クレト・レヴィン以来、)パワーとリーダーシップについて、せいぜいよくて非常にあいまいな考えを持つ学者や実践家からなる、きわめて著名なグループが存在している。彼らは変革をボトムアップ的に、草の根活動として巻き起こる活動と定義している。特に最近は、非常にバイアスのかかったアンチ・リーダーシップ的な意見も強く出されるようになっている。

 彼らの議論は、企業が勝利するのは非常に強力で1つにまとまった文化があり、それゆえに勝利する行動が起こるというものだ。そのために強力なリーダーシップに反対するバイアスが生まれる。しかし同じデータを分析して私が考えるのは、彼らの意見はまったく間違っているということである。
 とはいえ、著者がボトムアップのリーダーシップを完全に排除しているかというと、そういうわけでもなさそうだ。別の箇所では、
 ミッションや計画の達成は、トップ・リーダーの焦点がどれだけ定まっているか、リーダーがどれだけ教育を行うかにかかっている。草の根運動が起こるかどうかも、リーダーがそのような環境をつくれるかどうかにかかっている。
と述べており、トップダウンとボトムアップのリーダーシップが交錯する可能性を匂わせている。事実、本書で唯一例外的にボトムアップのリーダーシップの事例が取り上げられている箇所があり、その事例では何と、「新入社員がトップの教育的見地を塗り替える」という事態が起きている。
 トリロジー・ソフトウェアに入社したての21〜22歳の大学卒新入社員たちがジョー・リーマン(※トリロジーソフトウェアの創業者)に対して、インターネット上で車を販売するというアイデアを突きつけてきた。その当時、eコマースというコンセプトはまだ初期の段階で、イーベイもアマゾン・ドットコムもビジネスを開始したばかりであった。リーマンは彼らに対して、「それはばかげたアイデアだ。どれだけディーラーがeコマースの進出を嫌がり、妨害しようとしていると思っているのだ」と諭した。(中略)

 現在、トリロジーは自動車関連ビジネスで大きな収益を上げている。この重要なマーケットに初期段階で投資をし、陣地を早い段階で獲得してしまい、強力なポジションを築きあげたのだ。これらはすべて6人の新入社員の主張から始まった。「ばかなのはわれわれではない。リーマンがばかなのだ」という主張から。(中略)

 その後、リーマンは新入社員教育の場であるトリロジー大学を、新入社員による基礎研究と製品開発研究所を兼ね備えた組織と位置づけるようになった。1997年以来、トリロジーは新入社員の「ばかげた」アイデアから数多くの新商品を開発し、発売している。
 もちろん、新入社員の教育的見地の内容を点検する上では、トップの側にも確固たる教育的見地が不可欠である。お互いの見解が異なるからこそ、深い議論ができるというものだ。

 双方の議論を通じて、市場や顧客、技術や競合、自社の組織能力や文化に対する見方が修正されていき、より確度の高い戦略が構築されていく。逆に、考えを持たない相手と議論をし、何か新しい知見を生み出すことはできない。ボトムアップのリーダーシップが生まれる条件として、トップダウンのリーダーシップが欠かせないという著者の主張は、この意味で理に適っていると思う。トリロジー・ソフトウェアの事例だけでなく、GEの「デュアル・リーダーシップ」に関する考察がもっと多ければ、本書はもっと面白かっただろうと思う。