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January 24, 2010

発想を広げるプロセス改革の視点(3):ITを導入すれば本当に問題は解決するか?

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 「発想を広げるプロセス改革の視点」シリーズは一旦今回で最終回とさせていただくが、これまでの要点を今一度整理すると、

発想を広げるプロセス改革の視点(1):問題だと思ったことは本当に「問題」か?
 業務改革を行うにあたっては、単に問題だと思うことを手当たり次第に潰していくのではなく、まずは「業務のあるべき姿」を明確に定義し、それと現状とのギャップを「問題」とすべき。

発想を広げるプロセス改革の視点(2):あるべき姿はどうやって描くのか?
 あるべき姿は、その企業や部門の戦略・ビジョンとリンクさせながら具体化する。ただし、戦略やビジョンはしばしば曖昧であるため、環境分析のフレームワークなどを使って戦略の妥当性を検証したり、ビジョンの言葉を社員が業務をイメージできるレベルまで翻訳したりする作業が必要である。

 最終回は、問題を解決するソリューションの考え方について述べてみたいと思う。今回のポイントは、「ソリューションありきの改革案を企画しない」という点である。よく耳にする話ではあるが、ITベンダーは、自社が売りたいと思うITソリューションありきの提案をしてしまうことがある。ただ、これはITベンダーに限った話ではない。かつて成果主義が流行った時には、人事コンサルティング会社がこぞって成果主義導入コンサルティングを行っていたし、我々のような研修ベンダーも、「御社の社員のスキルアップが必要ですよ」などと言って、自社のお勧めの研修を安易に提案してしまうことがある。

 あるべき姿と現状のギャップ=問題を抽出すると、相当数の問題が出てくるはずだ。次に必要な作業は、これらの問題の背後にあって、あるべき業務プロセスの実現を阻害している「本質的な課題」を分析することである。本質的な課題は、「業務プロセスを支える仕組み」に存在することが多い(第2回の記事にある「業務プロセスの構造」の図を参照)。また、通常は問題の数に比べて、本質的な課題の数はいくつかに収斂する。

 ソリューションありきの提案というのは、業務プロセスを支える仕組みの一部しか見ていないことになる。それでは、あるべき姿の実現は難しい。本質的な課題は、業務プロセスを支える様々な仕組みの観点から多角的に分析することによって初めて特定できる。

issue_analytics

 例えば、以前の記事でもちょっと書いたことがあるが、「営業担当者間のナレッジ共有が進まない」という問題があったとしよう。この問題に対して、ITベンダーならばすぐにナレッジマネジメントシステムを提案するに違いない。だが、営業担当者が売上高に応じて評価される制度になっているとすると、自分のノウハウを公開することは他人の売上増をアシストしてしまうことになり、かえって自分の評価を下げることになりかねない。となると、真の課題は「ナレッジ共有を促進するITの欠如」に加えて、「ナレッジ共有を評価する人事制度の未整備」という2つになる。

issue_example

 もう1つ例を挙げよう。上の図は機械メーカーの営業・製造部門のあるべき業務プロセスを非常に簡略化して書いたものである。このあるべき姿に対して次のような問題が起こっていたとすると、その本質的な課題としては以下のようなものが考えられる(当然、ここは企業の事情によって異なるため、企業の中をよく観察しなければならない)。

 問題 岷超箸ら製造部門に対して顧客の声がフィードバックされない」⇒課題 岷超箸叛渋い隆屬意識の壁があり、情報が共有されない(風土)」

 問題◆崟渋ど門の品質管理が甘く、不良品率が高い」⇒課題◆崟渋ど門の品質管理のスキルが不足している(人材)」

 問題「同じようなクレームが何度も発生し、その度に都度対応している」⇒課題「過去のクレーム情報を蓄積・分析するシステムがない(IT)」

 問題ぁ崘蕊併に製造部門が営業同行せず、営業が顧客企業に対して技術的な話をすることができない」⇒課題ぁ崟渋ど門の人事評価に、他部門への貢献のようなチームワークを評価する項目がない(制度)」

 本質的な課題が特定できると、実はソリューションは比較的容易に導出できる。基本的には、課題の視点に対応したソリューションを定義すればよいからだ。上記の例で言えば、

 課題,紡个垢襯愁螢紂璽轡腑鵝甕超箱寮渋ご屬離献腑屮蹇璽董璽轡腑鸚度の活性化(を通じた相互の業務理解の深化)(制度)

 課題△紡个垢襯愁螢紂璽轡腑鵝疉兵全浜のスキルトレーニングの実施(人材)

 課題に対するソリューション=生産管理システムと連携したCRMシステムの導入(IT)

 課題い紡个垢襯愁螢紂璽轡腑鵝畆部門内の成果だけでなく、他部門との連携も重視する評価制度の再構築(制度)

(※「風土」の課題に対するソリューションだけはちょっと難しくて、単純に「風土改革」を行いましょう、といったソリューションでは中身がよく解らないために説得力がない。この例では、強制的に人材交流を行うことで部門相互の理解を深める、という考え方に立っている)

 自社内で業務改革を行う際には、せっかく定義した業務のあるべき姿を画餅に終わらせないためにも、本質的な課題の視点を広く持つということは非常に重要である。解決策の方向性が見えてくれば、改革に参画すべき部署・人材が特定でき、改革プロジェクトのメンバーやタスクを構成しやすくなる。

 ITベンダーや研修ベンダー、コンサルティング会社の場合は、ソリューションの幅が広がるとは言っても自社のサービスには限りがあるし、会社の方針として売らなければならないソリューションもあるから、考えうる全部のソリューションを提案するのは現実的には難しい。ただ、重要なのは、単に自社製品の押しつけのような提案で終わるのではなく、顧客にとって本当に必要なあるべき姿を丁寧に検討し、それと自社の提案内容が的確にリンクしていることを訴求することであると思う。
January 19, 2010

組織設計を間違えるとびっくりするぐらい社員の行動がおかしくなる

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 昔、『内側から見た富士通「成果主義」の崩壊』を読んだ時に、富士通の社員が成果主義の制度を逆手にとって初めから低い目標を立ててしまい、目標達成を容易にして高い評価をもらおうとする風土が根付いてしまったというくだりがあって、その中に「組織改変を目標に掲げる管理職が増大した」という指摘があった。

城 繁幸
光文社
2004-07-23
おすすめ平均:
人事制度変更時に参考にしました
今後の富士通に期待したいです。
実は成果主義批判ではなく年功序列批判の書
posted by Amazon360
 冷静に社内の組織変更の前後を見ると、私(=著者である城繁幸氏)には正直首をひねることばかりであった。(中略)「集約による効率化のため」、「マーケティングと開発部門の意思疎通のため」など、響きはよくても具体的にイメージできない組織が次々に生まれるのだから、わけがわからなかった。しかも、変更された組織内の一般従業員は、自分たちの組織が変わった理由をほとんど認識していない。

 (中略)ではなぜこんなことが起こるのかと言えば、それは「組織体制の見直し」という個別目標を掲げる管理職が多いからだ。その数たるや1人や2人ではなく、各事業部や本部にたむろしている。これでは、現実に果たすべき目標のない管理職が、「まず先に組織ありき」で体制の見直しをしている、と言われても仕方ないだろう。
 ここだけ読めば笑い話だが、こうした組織いじりは結構他の企業でも行われているように思える(個人的には「箱モノ行政」に倣って「箱モノマネジメント」と呼んでいる)。組織改変をすると、何だかものすごく大きな改革をした気になってしまうのが人間の性のようだ。しかし、組織デザインはさらっとできるほど簡単なものでは決してない。この点については、私は強く警告を発したいと思う。組織設計を間違えると、びっくりするぐらい社員の行動がおかしくなる。そして、最終的には企業の業績にも悪影響を与える。

 組織設計において重要なポイントは2つある。1つは「どの単位で組織を区切るか?」ということ、もう1つは「誰にどこまでの権限と責任を負わせるのか?」ということである。この2点について、私が聞いた話を紹介したいと思う。

どの単位で組織を区切るか?
 これはあるコンサルタントから聞いた話であるが、ある中堅の製造業が製品数と企業規模の拡大に伴って業務が複雑化したため、事業部制に移行したという。ところが、業務が効率化されるどころか、かえって混乱してしまった。

 原因はどこにあったのか?それはこの企業が持っていた強みにあった。事業部制になる前の工場では、各製品の生産量の変動に応じて、それぞれの製品の生産ラインに配置する社員を柔軟に調整できるようになっていた。これこそが、このメーカーの生産性を支えていた強みであった。ところが、事業部制になったことで生産ラインは事業部ごとに分断され、ライン間の人材の調整もされなくなってしまったのである。この原因が解って以来、事業部制を止めて元の組織体制に戻したという。

 人間というのは不思議なもので、組織という見えない境界線に必要以上の壁を感じる動物のようである。組織が離れてしまうと、人材や情報の流れは急激に減少する。いくら人事制度でローテーションを行ったり、ITによって情報共有を図ろうとしたりしても、この問題は根本的に解決しない。この話から学べる教訓は、緊密な協業を必要とする社員同士を別々の組織で区切ることは避けなければならない、ということだろう。

誰にどこまでの権限と責任を負わせるのか?
 これはある中小企業の管理部門の人から聞いた話である。この中小企業は、規模が小さいとはいえ、様々な事業に手をつけており、数人のチームがいくつか集まったような形をしていた。しかもそれぞれの事業の関連性は薄いため(そういう戦略が果たしていいかどうか?という議論は置いておいて)、そういう意味では1つ目の例で挙げた企業とは逆に、チーム間の人材交流をあまり必要としない企業であった。

 この企業の管理部門の人が嘆いていたのは、各事業(=各チーム)の収益管理ができないということ、そして各チームリーダーに収益管理の意識がないということであった。こうした収益管理の問題は中小企業にありがちな話だ。どのチームもいい加減な売上管理しかせず、行き当たりばったりの支出を繰り返し、最終的な損益に気が向いていなかった。会社全体としてみれば、どこかのチームの赤字を別のチームの黒字で相殺して何とかなっていたようだが、いつまでもそんな調子でうまく行くはずがない。

 その管理部門の人は、チームリーダーに何とか収益責任を負わせたいと思っていた。そして、各チームが期初にきちんと予算を組み、予算の達成・消化具合をチームリーダーにモニタリングさせたいとも考えていた。とはいえ、チームリーダーは収益に対する責任を持ちましょう、とただ呼びかけただけでは効果がないので、その人は各チームリーダーにいっそのことチーム別の口座を持たせて、口座の管理までさせたいと言っていた。

 その人いわく、帳簿上の数字だけを見るのと、実際に口座にキャッシュが出入りするのを見るのとでは、責任意識が全く変わってくるという。口座の残高を見れば、自分のチームのキャッシュがうまく回っているかどうかを肌で感じることができる。そうすると、自ずと収益に対する意識も強くなる。そして、各チームのキャッシュや損益が明確に計算できるようになれば、例えばキャッシュ不足や赤字になっているチームに一時的に貸付を行う、などということもできるようになる。その人は、チームリーダーの権限と責任をそこまで広げたいと話していた。

 誰にどこまでの権限と責任を負わせるのか?これも重要な論点である。ここを間違えると無責任な社員が増殖したり、逆に必要以上の暴走行為を見せる社員が現れたりするから要注意だ。
March 03, 2009

これからの人事制度は「上を下への人事異動」が必要になる?

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 成果主義の弊害が指摘されるようになって久しいが、リクルートワークス研究所所長の大久保幸夫氏の記事にこんな調査結果が紹介されていた。

 ある調査データをご紹介しましょう。これは当研究所が隔年で大企業の人事担当者に対して実施している「人材マネジメント調査」の一質問で、「人事制度の発展段階についてお伺いします。現在、貴社はどの段階に位置しますか」という質問の回答を集計したものです。今回の調査は2007年末に行ないました。

(回答結果)
1 諸制度を探索し、自社の人事制度の根幹を作りつつある「構築期」 5.8%
2 自社に適した体系的な人事制度が完成し、安定した運用が行なわれている「安定期」 17.3%
3 環境変化への対応に大きな制度変更を強いられ、様々な試行をする「模索期」 21.8%
4 安定期の反省、模索期の探索を複合的に統合し、新たな自社の人事制度を形作っている「再発見期」 53.2%

 つまり、なんと半数を超える企業が「再発見期」であると回答したのです。
「未曾有の『転換期』を迎えつつある人事制度」(bp special))
 この調査が実施された2007年度末は、まだ日本も景気拡大局面にあった。その時期に自社の人事制度が「再発見期」にあると回答した企業が半数以上あったということは、今の超乱気流時代であればその割合がもっと高くなっているかもしれない。

成果主義の裏に根強く残る年功序列とその限界
 バブル崩壊によってそれまでの年功序列が限界を迎えたことに気づいた大企業は、90年代から2000年代の初めにかけて、欧米型の成果主義をこぞって真似した。だが、人件費カットのための隠れ蓑にしか過ぎないだの、最終的な業績数値にしか注目しない"結果"主義と混同されているだの、密室の会議室で理不尽な「評価の調整」が行われるため全然成果主義になっていないだの、いろんな弊害が噴出した。

 だが、一番深刻だったのは、富士通で成果主義の運営に携わり、現在は人事コンサルタントとして活動する城繁幸氏が指摘するように、「日本の成果主義は年功序列の延長で行われている」ということであった。

 成果主義といってもいろいろあるが、要するになんらかの手段で賞与や昇給、昇格に格差をつけるということだ。もちろん、従来の年功序列制度においてもそういった格差は存在したから、新制度ではその格差を「ちょっとだけ広げてやる」ことになる。

 ここで重要なのは、そういった新制度が、あくまでも「従来の年功序列制度のレールの上で実行される」という点だ。

 給与については、基本的に序列があがらない限りはあがらない。もちろん飛び級なんてまずありえず、新人はいちばん下のクラスから一段ずつこつこつやっていく点も変わらない。

 上の序列にあがるためには「2年連続A評価以上」のように、一定の成果の積み重ねが必要となる。従来は"年"の部分が重視されていたのだが、いくぶん"功"の部分に重きを置くようになったというだけの話だ。
(城繁幸著『若者はなぜ3年で辞めるのか?』−年功序列が奪う日本の未来(光文社新書、2006年))
 振り返ってみると確かに、成果主義の導入によって同期の給与格差が従来よりも大きくなるという話はたくさん聞いたが、昇進スピードに大きな差が出るという話はあまり聞かなかった気がする。結局のところ、高い成果を上げたとしても昇進できるかどうかは別の話、つまり年功序列制度のルールが支配しており、大半の人は翌年以降も同じ仕事に固定されたまま高い目標に挑戦し続けなければならず、馬車馬のように働くことになる。社員が疲弊していく成果主義(というか、年功序列をベースとした成果主義)の実態とはこういうことなのだろう。

 年功序列制度とは、いくつかの前提の上に成り立っている制度である。

|翡、高年の社員よりも若者の方が多く、人口ピラミッドが形成されている。
年上の方がスキルが高く、精度の高い意思決定をすることができる。
0媚弖萃蠅伴孫圓鯤離した方が高効率であり、意思決定はスキルの高い年上に、実行は体力のある若者に任せるのが合理的である。
い匹良門、職種であっても、同じ職位の仕事レベルはそれほど大差ない。
(例えば、製造部門と営業部門の課長同士、部長同士を比べても、仕事内容はそれほど変わらないということ。結果として、両部門における課長、部長への昇進年齢はほとんど同じになる。もちろん、会社によっては花形職種や花形部門があり、他の社員よりも高い給与をもらったり、出世コースと称される場合があるが、一部の例外に過ぎない。)

 だが、どれをとってもその前提が崩れているのは明らかだ。,覆鵑は明々白々だし、△眷上が必ずしも高いスキルを持っているとは限らない。新しい知識や技術が次々と生み出される今の時代は、若者も年長者と同等あるいはそれ以上に高いスキルを持ち合わせているケースが往々にしてある。は、これだけ変化が激しくなると、意思決定と実行を切り離さない方がむしろ効率的である。だいたい、意思決定と行動を厳密に分けて捉えること自体が難しくなっている。組織内のあらゆる場所であらゆる社員が意思決定と行動を繰り返す方が機動力は高まり、変化に適応しやすくなる。い砲弔い討癲∈や各部門の仕事内容は環境と戦略の変化に応じてめまぐるしく入れ替わる。他部門と仕事のレベルを比較し、バランスを取ろうとするのはもはやナンセンスなのである。

 こうした状況下で、年功序列制度にパッチを当てるような成果主義を導入したって、そりゃ何の解決にもならんよというわけだ。新しい時代には、新しい人事制度を作らなければならない。

これからの時代に必要なのは「上を下への人事異動」がある人事制度?
 じゃあ、その新しい人事制度というのは何なのか?これはまだアイデアレベルの柔らかい話で恐縮だが、一つの方向性としては「上を下への人事異動がある人事制度」というのがあるのではないだろうか?

 アメリカの軍隊は、平時は厳格な指揮命令系統に従うピラミッド型組織であるが、戦時になると柔軟にチームが形成される。つまり、遂行すべきミッションに応じて、通常の職位とは関係なしに各個人の役割が規定される。場合によっては、下の職位の者が上の職位の者に命令することもあるという。日本の年功序列が平時用であるとするならば、さながら戦時のような現在は、それにふさわしい流動的な人事制度を持つことが重要だと思うのだ。

 企業で流動的な人事制度を導入しているのがインテルである。

 インテルでは、職務上のニーズを満たし、組織を活性化し、個人の視野を広げるために、慣例的ではない配属方法を採用した。社員が組織階層の地位ではなく、各自の知識や実績で評価され尊敬を得る企業文化があるので、(下位のポジションから上位と)同等のポジションに社員の配属が変わったり、ときには組織図上で下位にあるポジションに異動することも珍しくない。グローブは次のように説明してくれた。「インテルにおいてキャリアアップとは、組織図上で上に行くことではなく、インテルのニーズを満たすという意味だ。」
(クリストファー・A・バートレット、スマントラ・ゴシャール著、グロービス経営大学院訳『【新装版】個を活かす企業−自己革新を続ける組織の条件』(ダイヤモンド社、2007年))
 企業は環境の変化に応じて、あるいは時に環境変化を自ら作り出すべく、戦略を頻繁に練り直す。その戦略と連動して、各部門に新たな仕事が次々と発生する。その仕事を最も効果的/効率的に遂行できる人材を部門内外から集め、その都度各個人の役割とチームのルールを規定し、各個人が最高のパフォーマンスを目指して仕事に没頭する。そこではもはや、年齢や職位の違いはさほど意味を持たない。果たすべきミッションを素早く遂行すべく、いかに社内の人材の流動性を高められるか、これこそが今後の競争力を左右する大きな要因になるのではないだろうか?

 考えて見てほしい。人、モノ、カネ、情報、知識という経営資源の中で、モノもカネも情報も知識もここ数年で劇的に流動性が高まった。戦略の変化に合わせて柔軟に社外から調達し、社内に流通させることが可能になった。にもかかわらず、時に最も重要な経営資源とまで言われる人材が、旧態依然とした人事制度に縛られ最も硬直的になっているのである。これは何とも不自然なことではないか?

 もちろん、アメリカの軍隊やインテルの人事制度をそのままパクればいいと言いたいのではない。それでは、90年代に欧米から成果主義を輸入した時と同じ過ちを犯してしまう。海外の例はあくまでも参考。日本の実情に根ざした日本独自のモデルを作る時期に来ている。