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November 11, 2010

マッキンゼーのコンサル手法が垣間見えて面白い−『行政の経営分析 大阪市の挑戦』

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上山 信一
時事通信出版局
2008-11-19
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行政改革に取り組む自治体実務者におすすめ
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 著者の上山信一氏(慶應義塾大学総合政策学部教授)は、かつてマッキンゼーのパートナー(共同経営者)も務めた方。マッキンゼー時代には企業向けの経営コンサルティングに加え、ボランティアで自治体向けのコンサルティングをやっていたそうな。マッキンゼーには確か、行政やNPOに対してほぼ無償でコンサルサービスを提供し、そのプロジェクトを若手コンサルタントの育成の場として活用する仕組みがあったはず。おそらく、上山氏はそういったプロジェクトのマネジメントも手がけていたんだろうな。

 で、マッキンゼーを退職した後も行政改革に取り組んでおり、関連書籍も多数出版している。本書は、2005年から2007年に大阪市で実施された行政分析の事例が載っているということで、読んでみた。いやー、なかなか面白かった。行政の経営分析ってこうやってやるんだなー、というのが実感できた。「これはいかにもマッキンゼーっぽい図だな」ってのもいっぱいあった(余談ですが、BCGっぽい図、アクセンチュアっぽい図ってのもあるんですよ。ドキュメントにはコンサルファームの色が反映されているんですね)。

 行政分析の代表的な方法として、「事務事業評価」というものがある。これは、行政の予算を構成する「事務」、「事業」という単位ごとに、ムダや非効率を網羅的に洗い出すのが目的だ。いわば、もぐら叩きのような行政評価である。もともとは三重県庁が1995年に試験的に実施し、96年から制度化したのがきっかけで、全国の自治体および中央官庁へ広がったという経緯がある。

 ただし、行政が規定する「事務」、「事業」の範囲は、企業でいう事業の範囲とは比べものにならないほど細かい。そのため、分析をしても限定的な改善策しか出てこないというデメリットがある。そこで上山氏は、大阪市の各事務・事業について、目的や機能が類似するものをまとめて67の「事業ユニット」を定義し、事業ユニットごとに企業と同じような経営分析を実施したそうだ。以下、事務事業評価と大阪市の経営分析の違いをまとめておく。

<事務事業評価>
・分析対象は予算とリンクしている「事務」、「事業」。
・予算のムダや業務の非効率を洗い出すのが目的。
・担当者自身が評価を行う。
・議論の対象となるのは、現場の担当者レベルの視点から見た課題が中心。
・統一フォーマットに従って評価を進める。
・評価シートは一般に公開されるが、シートの記述が細かすぎて、市民はおろか有識者でも理解が難しい。

<大阪市の経営分析>
・分析対象は「事業ユニット」。
・ムダや非効率の洗い出しに加え、今後の事業の方向性や投資分野も検討する。
・行政改革の担当部門に加え、コンサルタントや民間の委員がパートタイムのボランティアとして参画し、第三者の視点を反映させる。
・議論の対象となるのは、局長と市長との間で話題に上るような大きなテーマ(企業でいう経営課題に相当するテーマ)。
・統一フォーマットは存在しない。よって、事業ユニットごとに分析プロセスが異なる。
・報告書は一般に公開される。報告書は市民が読むことを前提に、事業内容や行政サービスの費用対効果、経営課題と改革の方向性などを、数字や図表を交えて解りやすく構成する。

 この本には報告書の一部が図表入りで紹介されているし、大阪市のHPには全67の事業ユニットの分析資料が全て公開されている。

 http://www.city.osaka.lg.jp/shiseikaikakushitsu/page/0000013573.html

 ちなみに、民主党の「事業仕分け」で使われている資料は行政刷新会議のHP(http://www.cao.go.jp/sasshin/shiwake.html)で見ることができるが、大阪市の資料とレベル感が違いすぎてビックリするね。収入の内訳も大雑把にしか書かれていないし、コスト構造にいたっては記載すらされていないものがある。資産に関する説明も曖昧だから、経営の効率性を判断することができない。

 さらに、各事業が実施している業務内容の記述も、図が情けないポンチ絵で何が言いたいのかよく解らないし、組織構造も記載が見当たらない。また、他の組織や民間企業とのベンチマークをやった形跡もないから、何を基準に議論していいのかも解らない。

 この資料を見ながら、しかも短時間で事業の妥当性を評価しろって言われても、そりゃ無理だよ。しかも、事業の区分が「事務事業評価」と同じようにかなり細かいから、類似・隣接する事業との関係性を探りにくい。だから、どのワーキンググループの結論を参照しても、「天下りをやめる」とか「アウトソーシングを進める」とか「国や自治体に移管する」とか「事業を縮小・廃止する」といった、柔らかい結論しかないんだな。

 ちなみに、大阪市の場合は、1つの事業ユニットの分析にだいたい5ヶ月前後を費やしたらしいよ。もちろん、時間が長ければいい議論ができるとは限らないけれど、それにしても国と大阪市でレベル差がありすぎるな。
September 03, 2010

受賞論文からお気に入りをピックアップ(1999〜1998年)−『マッキンゼー賞 経営の半世紀(DHBR2010年9月号)』

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2010-08-10
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 (もうこれで最後)
 最終的に伝統的な3つの業務(注:カスタマー・リレーション業務、イノベーション業務、インフラ管理業務の3つ)はアンバンドリング(業務の分離分割)され、大規模なインフラ業務とカスタマー・リレーション業務と小規模で小回りのきくイノベーション業務に再統合されると予想される。

 各業界でアンバンドリングが進行していくにつれて、知らないうちに顧客と遮断されてしまった、と気づく企業が増えていく。(ジョン・ヘーゲル3世「アンバンドリング:大企業が解体されるとき」 1999年マッキンゼー賞金賞)
 「アンバンドリング」は「デコンストラクション」とも言われる。有名なのは、コンピュータ部品の製造プロセスを自社では持たず、組立と販売のみに特化したデルのビジネスモデルであろう。業界が成熟してくると、バリューチェーンの特定のプロセスを担う専門企業が現れ、それまでの垂直統合モデルがバラバラに分解されるという現象が観察される。これがアンバンドリング(デコンストラクション)である。

 デルがものすごい成功を収めたため(今は不良PCを販売した疑いで訴訟に巻き込まれているようだが)、アンバンドリングは新しいビジネスモデルとして高い注目を集めた。ところが、ヘーゲル3世は1つのネガティブな可能性を挙げている。それが「知らないうちに顧客と遮断されてしまった、と気づく企業が増えていく」という部分である。

 今やこの問題は現実のものとなっている。最初の記事で紹介したゲイリー・ピサノ他「競争力の処方箋」では、製造プロセスをむやみにアウトソーシングすると、イノベーションが起こらなくなることが指摘されている。また、最近は巨大化した小売業が消費者とメーカーの間に立って、ややもするとメーカーを販売現場から切り離していると受け取られかねない状況が見られる。

 例えば、家電メーカーはかつて自前で販売網を持っており、販売店から上がってくる顧客ニーズを製品開発に活かすというフィードバックループが存在していた。ところが現在、家電量販店からメーカーに上がってくる情報といえば、「他社は同じスペックの製品を○○円で売っていますよ。おたくも△△円ぐらいに下げないととうちでは売れませんね」といった価格情報ばかりになっているらしい。

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 生き残りのためには、長寿企業は事業を切り捨てることもいとわないことがわかる。事業や利益は、長寿企業にとって酸素のようなものである。すなわち、生きるために不可欠だが、生きる目的ではない。(中略)長寿企業は、事業が糧を得るための手段にすぎないことを承知している。しかし、これとは異なるモデルに従って経営される企業では、人を切り捨て、工場や装置を守る。(アリー・デ・グース「リビング・カンパニー」 1997年マッキンゼー賞銀賞)
 創業100年から700年という超老舗企業27社を研究した論文。長期にわたって存続する企業の研究と言えば、ジェームズ・コリンズの『ビジョナリー・カンパニー』が思い出される。コリンズの研究は長期にわたって高い業績を上げ続けている企業とそうでない企業を比較したものであるのに対し、グースの研究は単純に存続期間が100年以上に及ぶ企業を調査したものであるという研究手法の違いはあるものの、基本的な結論は共通している。つまり、時代を超えて存続する企業は、「基本的な価値観を確立し、その価値観に適った人材の育成と確保に注力している」ということだ。

 この結論自体は「確かにそうかな?」と思うのだが、よく考えると次のような疑問が浮かび上がってくる。

・「基本的な価値観」とはそもそも何なのか?価値観は物事の見方であるとすれば、基本的な価値観は「何に対する見方」なのか?
(市場、製品/サービス、技術、イノベーション、顧客/取引先との関係、競合との戦い方、人材マネジメント、業務プロセス、コミュニケーション、意思決定、社会的責任、コーポレートガバナンス・・・等々に対する見方??)
・基本的な価値観が「正しいかどうか」、「時代を超えて通用するかどうか」をどうやって知るのか?
・基本的な価値観は不変なのか?仮に、基本的な価値観が揺らぐほどの環境変化に直面した時、どのように対応すればよいのか?
・事業は基本的な価値観の上に成り立つものだが、生き残りのために事業を切り捨てても残る価値観とは、一体どのような価値観なのか?

 これらの問いに答えていくと、永続する企業の条件がもっとクリアになると感じた。
September 02, 2010

受賞論文からお気に入りをピックアップ(2004〜2003年)−『マッキンゼー賞 経営の半世紀(DHBR2010年9月号)』

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2010-08-10
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 (続き)
 時間は、経営者の最も希少かつ貴重な資源である。政府機関であろうと、企業や非営利団体であろうと、組織というものは本質的に時間を浪費する。経営者が自分の時間配分を決められないようでは、アクション・プランは画餅にすぎない。(ドラッカー「プロフェッショナル・マネジャーの行動原理」 2004年マッキンゼー賞金賞)
 優れた経営者は、問題ではなくチャンスに焦点を当てる。(中略)ほとんどの企業では、月次報告書の第一ページに主要な問題点が書き連ねられている。むしろ、ここにはチャンスを書き出し、問題は次のページで取り上げたほうが賢明といえる。(ドラッカー「プロフェッショナル・マネジャーの行動原理」) 2004年マッキンゼー賞金賞
 前回の記事の最後で、ドラッカーの原則も万能ではないと述べた直後にドラッカーの言葉を紹介するのは若干気が引けるが、この言葉に関しては私は否定する要素はないと思う。

 経営者に限らず、我々は昨日までに起こった問題の解決を優先し、そこに多くの時間を割こうとする。しかし、問題の解決とはマイナスをゼロに戻す行為であり、それだけでは進歩がない。ゼロからプラスへの移行に時間を使える人が、環境変化をうまく利用して高い成果を上げられる。

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 ある日を境に人生が勤続期間とそれ以降といった具合にすっぱり切り離してしまう現行の退職制度は、もはや意味をなさなくなってきた。現在、模索されつつあるように、これから必要なのは、社員が何らかのかたちで企業に貢献し続け、それが本人と企業双方のメリットになる仕組みをつくることである。(ケン・ディヒトバルト他「『退職』という概念はもう古い」 2004年マッキンゼー賞金賞)
 シニア人材の活用も、女性活用と並んで今後の日本では非常に重要な課題となるだろう。どうやら今の若い世代は、自分が支払った社会保険料よりも、受け取る年金の方が少なくなることが確実のようだ。となると、65歳で退職などと言っていられず、働ける限りは働き続けなければならない。

 そもそも保険とは、万が一のリスクに備えるためのものである。年金制度も本来は、「万が一、退職後も長生きすることがあった場合に所得を保障する」という思想のもとに設計された。しかし、大半の日本人が65歳以降も生きるのであれば、もはや万が一のリスクとは言えず、保険で所得をカバーするという発想は破綻している。

 来るべき超高齢社会に向けて必要なのは、

(1)企業側が、65歳以降のシニア人材を活用する人事制度、職場環境を整えること。
(2)政府と人材業界が、十分な求人数と求職数のあるシニア人材の転職市場を整備すること。
(3)政府が、シニア人材の継続的な能力開発をサポートする職業訓練の環境を構築すること(これこそが、本来の意味での「生涯学習」である)。
(4)政府が、身体的理由などでどうしても働けない高齢者のために所得を保障する新しい保険制度を導入すること(これは本来的な保険の性質に適っている)。
(5)現在の年金給付額は思い切って削減し、(2)〜(4)の予算に回すこと。

ではないだろうか?

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 南アフリカやその近隣諸国で事業展開する企業は、従業員の10〜40%がHIV感染(エイズ患者ではない)であることを覚悟すべきである。同国では有効な治療薬が手に入らないという理由で、そのほとんどが今後10年間に死亡することになる。(シドニー・ローゼン他「エイズは企業課題である」 2004年マッキンゼー賞金賞)
 これは読んでいて衝撃的だった。10〜40%という数値の根拠が明らかでないため妥当性を検証できないのだが、少なくとも南アフリカでビジネス展開をする場合は、社員がHIV/エイズに感染するリスクを考慮しなければならないことを思い知らされた。ローゼンは、社員がHIV/エイズに感染した時のコスト(医療費や代替人材を採用するコストなど)を計算し、企業の潜在的リスクを明らかにする必要があると説いている。

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 用心しなければならないが、ほとんどの経営幹部が周囲の媚びへつらいにまったく疑問を感じない。(中略)周囲は善意でほめているのだが、その結果、リーダーは「世界でいちばん美しいのはあなたです」と答える鏡ばかりを見ることになる。(ロデリック・クラマー「なぜ地位は人を堕落させるのか」 2003年マッキンゼー賞銀賞)
 クラマーは、アメリカの政治学者ヘンリー・キッシンジャーの「権力は究極の媚薬である」という言葉も紹介している。出世すると権力という麻薬に誘惑されて、自分が何でもできるような錯覚に陥ることがある。そのことに警告を発する一文だ。

 上司が部下の忠告に耳を傾けることについて欧米ではどのように捉えられているのか知らないのだが、少なくとも中国や日本においては、部下の意見をよく聞くことが優れた上司の条件として比較的受け入れられているのではないだろうか?

 唐の太宗(李世民)の治世を記録した『貞観政要』は、君主の教科書として長年にわたり日中両国でよく読まれてきた。『貞観政要』には、臣下が太宗に様々な諌言を行い、それに太宗が答える様子が記録されている。臣下の中でも、魏徴という人物は200回以上も諌言したというすさまじさである。そして、徳川家康はこの『貞観政要』を手本にして江戸幕府を運営した。

 諌言を受け入れることをよしとする考え方は、「リーダーは決して完全無欠な人間ではない」という実に人間らしい人間観と、「集合知を活用すれば正しい答えにたどり着く確率が上がる」という共同体構成員に対する信頼によって成り立っている。これは日本人が大切にするべき美徳だと思うのである。

 (もうちょっとだけ続く)