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July 04, 2010

ピーター・センゲのU理論に残された問題(補足)−『出現する未来』

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P. センゲ
講談社
2006-05-30
おすすめ平均:
ありのままを見つめて、その場と一体になる事で思い描いた未来が現れる
壮大な考え方に触れる本です。
リーダーとしての新しいあり方。忙しい人ほど内省が求められる。
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 2回に渡り、ピーター・センゲの「Uプロセス」を自分なりに8つのプロセスに分けて説明してみた。
 「ピーター・センゲのU理論を再解釈してみた(1)−『出現する未来』
 「ピーター・センゲのU理論を再解釈してみた(2)−『出現する未来』

 まぁ、細分化してみても「何となく解る」の域を出ることはできず、「我々が直面している問題(それこそ普天間問題などの政治の問題とか、我々が仕事上抱えている深刻な社内分裂や成長危機の問題など)に適用するためにはどうすればよいか?」という問いには十分答えられるところまで私の理解が追いついていない。「実用的でない知識は知識ではない」(ピーター・ドラッカーも同じようなことを述べていた)が信条の私にとって、これは本当に歯がゆいことだ。

 ただ、2本の記事を書きながら1つだけはっきりと解ったことは、従来の問題解決とU理論の違いの根底には、「問題と自分を切り離すか、問題を自分自身と一体のものと見るか」という前提の違いがある、ということである。そして、U理論においては、従来の問題解決ではほとんど導かれることのないソリューション、つまり「自らが変わること」というソリューションがまず第一に導かれる点で決定的に異なるのだ。

 前者では、「外部の問題を客観的に観察する自分という主体」という具合に、主客が分離している。ここで導かれる解決策は、例えば「組織を再構築する」、「評価制度を変える」、「製品開発プロセスにてこ入れする」、「ITインフラを刷新する」、「重要プロジェクトの取捨選択を行う」、「人材の入替を行う」、「給与をカットする」といったような「外科手術」のようなソリューションが中心であり、「問題を観察している自分自身」にメスが入ることは少ない。

 もちろん、経営陣が社内に変革を浸透させるために、「トップの率先垂範」が不可欠であることはよく理解されている。だが、第一義的に導かれる物理的なソリューションを正当化する補完的手段として、「トップが範を垂れる」という行為に出ているとも解釈できる。

 これに対して、U理論では、最初に「自分自身が変わること」が求められる。そして、メンバーが皆自己変革を行った末に、新しい未来が出現する。その未来を実現するための方策は、その後で検討するという流れになる。従来の問題解決とは順番が逆になっているのがお解りいただけるだろうか?

 もっとも、U理論にも個人的に疑問を投げかけたい点、よく理解できない点はたくさんある。例えば、

 ・メンバー個々人の価値観の良し悪しは判断されないのか?捻じ曲げられた価値観、社会的通念に照らして許容されない価値観がある場合はどうするのか?
 ・自分の価値観から使命のレベルへとジャンプアップするには、自分に対してどのような問いを投げかければよいのか?
 ・メンバーそれぞれの価値観が相反する場合、どうやってそれらを統合する使命、目的、ビジョンを導き出すのか?
 ・もし、宇宙という統一された秩序に向かって、「自然に未来が出現する」のであれば、メンバーが誰であっても、どんな問題を扱っても、究極的には同じ結論に達するのではないか?果たしてそれは現実的と言えるのか?
 ・もし、宇宙という統一された秩序に向かって、「自然に未来が出現する」のであれば、一度U理論のプロセスを通過すれば万事が解決することを意味するのか?将来的に新たな別の問題が発生するならば、それはU理論の欠陥なのか、人間の能力の限界なのか、一体どちらなのか?

 などなど、この本を読んだだけでは解らないことはたくさんある。

 おそらく、どんなに実例や解説をたくさん読んだところで、U理論やダイアローグは習得できないのかもしれない。こればかりは自らが実際に体験し、後から振り返って「どの出来事がどのプロセスに該当していたのか?」を内省してみないことには、学習不可能なのだと思う。
July 02, 2010

ピーター・センゲのU理論を再解釈してみた(2)−『出現する未来』

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P. センゲ
講談社
2006-05-30
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 (前回からの続き)

(4)自分の価値観への目覚め
 自分が被っていた「かりそめの価値観」を捨て去った時、本当に自分が大切にしている(大切にすべき)価値観にめぐり会うことができる。「自分らしい価値観」がなぜ重要なのかについては、過去の記事「なぜリーダーにはリーダー固有の「価値観」が必要なのか?」で触れた。自分らしい価値観は、今まで自分が見ていた世界とは違う世界を見せてくれるレンズの役割を果たす。

 同書では、自分らしい価値観のことを「内なる知」とも呼んでいる。「内なる知」は心臓からやってくる。そして、心臓を通じて、自己は全体の統一されたイメージと深く結びつくという。同書によると、チベット仏教には「心と世界は不可分である」という考え方があるそうだ。この辺りはまさに、ボームが言うところの「内蔵秩序」との関連が明確に見て取れる。

 渋沢栄一は、一橋(徳川)慶喜や西郷隆盛との出会いなどを通じて、自分が執着していた「尊王攘夷」という価値観を捨てた。自分では重要だと思っていたが、教条的で中身がないことに気づいたのだ。代わりに、諸外国の先進的な文明をもっと積極的に学びたいという意欲が強くなっていく。そしてその思いは、偶々訪れたフランス留学のチャンスによって結実するのである。渋沢はフランスの先進的な経済の仕組み、社会制度、政治、公共インフラ、生活習慣などをくまなく記録し、日本に持ち帰った。

 「『内なる知』が全体の統一されたイメージと深く結びつく」という点については、共著者であるC・オットー・シャーマ自身が生家を火事で失った時の体験談が理解を助けてくれる。
 その瞬間、時間が完全に止まった。そして僕は、肉体から離れて上の方に引っ張られ、全体の光景をそこから眺め始めたんだ。意識が広がり、これ以上ないほど明晰になった。ほんとうの自分は、焼け跡でくすぶっている夥しいモノとは繋がっているわけではない。突如として悟ったんだ。ほんとうの自分は、それでも生きている。今まで以上に、生気が漲り、明晰になり、今という瞬間に存在していた。その時はっきりとわかった。長年愛着を感じていたものは、自分では気づいていなかったが、じつは重荷になっていたのだと。何もかも失くしたその瞬間、突如として解き放たれ、別の自分に出会える気がした。その自分が僕を未来に−僕の未来に連れて行ってくれた。自分が生きることで実現する世界へと連れて行ってくれたんだ。
(5)自分の使命の発見
 自分が本当に大切にしたい価値観=「内なる知」に気づいた後は、それをさらに高次のレベルに昇華させる段階へと移る。著者は、スタンフォード大学のマイケル・レイの言葉を紹介している。
 マイケル・レイは、自己の感覚の転換こそ、創造的活動の核心だと考えている。学生を創造性の深い源(ソース)に繋げるのに、手がかりとなる質問がふたつあるという。「自己とは何か」、「自分の使命とは何か」である。レイは言う。「ここで言う自己とは、高次の自己であり、内にある神性であり、未来の最高の可能性のことである。そして、『自分の使命とは何か』という問いで、自分の存在意義、生きる意味を聞いているのである」
 非常に逆説的だが、自分の使命を悟るためには、「自己を手放す」必要があると著者は指摘する。
 己を手放す能力を磨くことで、出現するものに心が開かれ、仏教や瞑想でいう「無執着」が身につく。仏教では、微妙な心の執着を表すサンスクリット語がふたつある。「ヴィタルカ」と「ヴィチャーラ」である。「ヴィタルカ」は、「求めている状態」で、自分が実現しようとすることに執着している。「ヴィチャーラ」は、「見ている」状態で、自ら何かを実現しようとするわけではないが、望む結果に執着している。どちらの状態でも、心の執着によって、いま目の前で起きていることの別の面が見えなくなったり、抵抗したりする。「ヴィタルカ」や「ヴィチャーラ」の罠を克服するには、たえず、己を手放すことが必要なのである。
 さらに、自己を手放すことによって、他者との関係も変わるという。この状態は、オートポイエーシス理論を提唱した認知科学者フランシスコ・ヴァレラの言葉を借りて次のように表現される。
 「自己が主体であるという感覚が脆くなるほど、共感性が増し・・・他者を受け入れ、気遣う余裕が生まれる」。自己が中心から遠ざかると、「他者が近くなる。連帯感、共感、慈しみ、愛−共にいることのあらゆる感情が、自分が周辺に退いた時に現れる。私にとって、今この瞬間が宇宙からの大切な贈り物だと感じられる。頑ななわけでもなく、内にこもっているわけでもなく、中心にいるわけでもなく、本来の姿になれる。・・・あなたがいて私がいる。私だけではない。われわれのなかに『私たち』がある」。
 この段階に至ると、主体と客体、自己と他者という二元論的な区別は全て意味を失い、「全体が部分となり、部分が全体となる」という、ボームの「ホログラフィー宇宙モデル」で描かれた世界が出現する。自己の使命は、自ら能動的に発見するというよりも(それだと、自己を手放したことにならず、執着の罠にはまっていることになる)、「時間と空間を超越した全体が自然と教えてくれる」と言った方がよさそうだ。

(6)目的の結晶化
 ここからは、U理論の底から右上へと這い上がる段階に入る。私個人の印象としては、(5)まではかなり理解するのが難しいが、(6)からは比較的我々になじみのある変革アプローチとなっている。

 目的の結晶化とは、別の表現を使えばビジョンの明確化である(過去の記事「ビジョンを構成する要素とは一体何なのだろうか?」ではビジョンの一要素として目的を位置づけたが、同書では「目的」と「ビジョン」が特に区別されているわけではなさそうだ)。ここで重要なのは、「個人の意思の力」である。プロセス(5)までで、私が自己の「内なる知」に気づき、「使命」を悟ったのと同じように、他のメンバーもまた「内なる知」と「使命」を発見している。しかも、私と他者は別々の存在ではなく、一体不可分の関係となっている。

 あとは、各々の使命を結びつけて結晶化し、意思という名の情熱を注ぎ込めば、ビジョンは自然と生まれる。細かいことだが、ビジョンは「作る」のではなく、「生まれる」のである。ビジョンは個人の意思から出発しているが、熱意に満ちたビジョンは個人のレベルを超越して多くの人々を惹きつける力がある。

(7)小宇宙(プロトタイプ)の形成
 いっぺんに変革を実現するのは難しい。まずはビジョンに賛同する少数のメンバーから順番にスタートするのが現実的だ。この時点での少数のメンバーが「小宇宙」である。最後のプロセスで完成する新しい未来=統合された宇宙の縮小版ということで、「小宇宙」という呼び方をしていると思われる。小宇宙は新しい未来の実験版(プロトタイプ)でもあり、ここでは様々な新しいアイデアが試される。

 この考え方は、ジョン・コッターの「変革の8プロセス」とも共通する点がある。コッターの変革型リーダーシップでも、初期の段階で少数のメンバーから構成されるチームを作り、そこで新しいビジョンや戦略を練る。そして、それらを少しずつ全社に浸透させていくアプローチをとる。

 ただし、変革型リーダーシップとU理論の大きな違いは、前者においては初期のチームが経営層に近い場所で形成され、トップダウンで変革が進められるのに対し、後者は草の根的に小宇宙が数多く自生する点にある。特に、若者や女性といった、どちらかというと従来のマネジメントではマイノリティ扱いを受けていた人々がビジョンの推進役になることが多いと同書では述べられている。

(8)新しい世界の出現
 草の根的に自生した多数の小宇宙は、変革への懐疑派や反対派、変革に無関心な中間層の取り込みを図る。彼らとのダイアローグを通じて、彼ら自身にも(1)から(6)のプロセスを体感してもらい、小宇宙のメンバーになってもらう。こうした地道な活動の果てに、拡大した小宇宙同士がつながり合って、新しい未来が出現するのである。

 デビッド・ボームのダイアローグを4つのプロセスで整理するのも疲れたが、U理論の説明はさらに骨の折れる作業だった(汗)。次回は、U理論が抱えていると思われる問題点を整理して、同書のレビューの最終回にしたいと思う。
July 01, 2010

ピーター・センゲのU理論を再解釈してみた(1)−『出現する未来』

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P. センゲ
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2006-05-30
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ありのままを見つめて、その場と一体になる事で思い描いた未来が現れる
壮大な考え方に触れる本です。
リーダーとしての新しいあり方。忙しい人ほど内省が求められる。
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 数年前に書店で初めて見た時は、「何と胡散臭いタイトルの本なんだろう?ピーター・センゲはせっかく『最強組織の法則』で有名になったのに、どこかで歯車が狂ったのか?」と思ったものだが、狂っていたのは私の思考の方だった。デビッド・ボームの『ダイアローグ−対立から共生へ、議論から対話へ』、ジョセフ・ジャウォースキーの『シンクロニシティ』とこの本はかなり密接に関連している(ジャウォースキー自身も『出現する未来』の共著者)。『シンクロニシティ』のあとがきの中で、金井先生が次のように述べていることが契機となり、この本をちゃんと読むことを決心した。
 ジャウォースキーの行動パターンを見ていると、米国の心理学のリチャード・シャームなら「自己原因性」、わが国の経営者で養蜂家の佐藤満さんなら、「原因自分論」という面も伴いつつ、偶然の連鎖を生み出しているように思える。本書で強いコミットメントを強調していることからも、共時性だからといって、百パーセント偶然ではないのだ。著者(=ジャウォースキー)自身は、このあたりを現在では、Uプロセス理論にまで高めている。
 『出現する未来』は、この「Uプロセス理論」を解説した本である。ベースには、最近何度もこのブログに登場する、デビッド・ボームのホログラフィー宇宙モデルの仮説が横たわっている。Uプロセスとは、変革を起こすリーダーシップのプロセスとも言えるが、同書では次の3ステップから成り立つと説明されている。

ピーター・センゲらのU理論

(1)センシング(Sensing)
 「ひたすら見る」−世界と一体になる

(2)プレゼンシング(Presensing)
 「後ろに下がって内省する」−内なる知が浮かび上がるようにする

(3)リアライジング(Realizing)
 「流れるように自然に素早く動く」
 しかし、これだとあまりにも抽象的すぎて何のこっちゃ解らんので(汗)、同書で紹介されている実例やそれに対するセンゲらの解説を基に、U理論のプロセスをさらに8つの細かいプロセスに分けてみることにした。

U理論のさらに具体的なプロセス(メモ書き)

(1)現実の直視
 月並みな表現ではあるが、変革は現実の直視からスタートする。しかし、現実をありのままに見ることは、簡単なようで非常に難しい。我々には無意識のうちに自分が好む情報を取捨選択する傾向がある。ある心理学の実験で、死刑賛成派と反対派それぞれに、死刑に賛成する論文と反対する論文を同じ数だけ読ませた。すると、死刑賛成派はますます賛成の立場を強くし、同じように死刑反対派はますます反対の立場を強くしたという。同書でも次のように述べられている。
 人は、目に見えるものを直接的で間違いのないものだと考える。目の前にあるテーブルや本、言葉や文章。だが、そこには、つねに「見えているもの」以上の何かがある。(中略)何かを目にする瞬間、ほんの少し立ち止まれば、行動と経験、過去と現在が溶け合う交響曲がその裏にあることに気づき、それを味わうことができる。だが、ふだんは、交響曲のうち、ひとつかふたつの音しか聞いていない。そして、それは、いちばん耳に馴染んだ音なのだ。
 思い込みや前提、ステレオタイプを捨てて、真っ白なマインドで現実世界をじっくりと観察する。五感で感じたものに対し即座に判断を加えるのではなく、ただひたすら観察を続ける。これが第一段階である。

(2)矛盾との対峙
 現実の直視は新鮮な驚きや感動を与えてくれる一方で、今までの自分の理解を超えた事実の発見をもたらす。そのような事実を目の当たりにすると、我々は「何となくおかしい」、「うまく咀嚼できずむず痒い」という違和感を覚える。あるいは、「これはおかしいのではないか」、「こんなことは馬鹿げている」という攻撃的で怒りに満ちた感情が湧き上がってくる。

 だが、以前の記事「感情は問題提起のサインである」でも書いたように、こうした感情の変化は、我々が何らかの問題に直面していることを知らせてくれる重要な合図である。もちろん、決して気持ちのいいことではない。だからといって、マイナスの感情を抑え込むように反射的な態度で臨むと、解決方法を誤ってしまう(曹操に敗れた袁紹のように)。大切なことは、感情の変動に敏感になること、そして、この後に続く問題解決と変革のプロセスに向けた心の準備を入念に行うことである。

(3)与えられた価値観の引き剥がし
 表面的に矛盾する出来事の深層には、人々の異なる価値観が存在する。人が何らかの矛盾を感じる時というのは、自分の価値観が別(他者)の価値観によって試されている瞬間でもある。我々は、矛盾との対峙をきっかけに、自らの価値観の見直しをスタートさせる。

 価値観は人間のアイデンティティと深く結びついた非常に重要な要素である。しかし、よく見ていくと、a)自分自身が経験の中で体得したものと、b)周囲の人間や組織から知らず知らずのうちに刷り込まれたものの2種類が混在している。多くの人は、普段の生活の中でこの2種類の区別を意識することはまずない。現実の矛盾が個人の価値観に厳しい試練を迫る時、人は初めて2種類の価値観を峻別して考えるようになる。

 「日本資本主義の父」と呼ばれた大実業家・渋沢栄一も、若い頃は幕末の世の中を支配していた尊王攘夷の空気の影響で、攘夷に傾いていた。横浜焼き討ちを計画するなど、後の穏やかな性格からは想像できない過激な行動も行っている。ところが、攘夷の考えに支配された渋沢の価値観は、様々な矛盾と対峙する中で大きく揺らぐこととなる。

 渋沢が仕官した一橋家では、慶喜(後の徳川慶喜)が写真の趣味にはまっているのを見かける。幕府が外国から攻められるかもしれないという大事な時に、慶喜は外国文化に感化されつつあったのだ。さらに、攘夷思想の持ち主であったはずの西郷隆盛は、当時の日本人にはまだ食べる習慣がなかった豚肉料理で渋沢をもてなした。西洋人と同じ物を食べなければ西洋人には勝てない、というのが西郷の言い分らしい。純粋な攘夷派の人間であれば、西郷を常軌を逸した人物と看做しただろう。

 一方で、教条的に尊皇攘夷を掲げて反旗を翻した連中は、次々と死んで行った。しかも、本来なら彼らをかくまってしかるべき慶喜ですら、彼らを弾圧したのだ。こうした動乱の中で、渋沢は完全に拠りどころとなる価値観を見失ってしまったのである。

 自分が大切だと思っていたはずの価値観を引き剥がされるのは、矛盾を発見すること以上に不快な経験である。「ネットワーク経済論」を生み出した経済学者のブライアン・アーサーは、ある中国人の道教の先生と出会った際、研究者としての人生の価値観がひっくり返るくらいの言葉をぶつけられ、激高した。しかし、アーサーは即座に香港に引っ越して、道教の先生に弟子入りしたという。
 アーサーは、思考の流れが遮られたその瞬間、自分にとて大きな意味をもつことになる旅、見るとはどういうことかを学ぶ旅の始まりを感じ取った。旅に乗り出し、旅を続けるには必要なものがある。当たり前だと思っているものの見方や世界観が崩れる「深い混迷」の瞬間を、幾度となく受け入れようとする意思である。
 ((4)以降は次回の記事で)