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January 11, 2009

「収入保障型」の場合はどうなるか?−『生命保険の「罠」』

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 前回の記事「「生命保険が高い!」と思ったら読む本−『生命保険の「罠」』」で死亡保険の原価について考察してみたが、あの記事で取り上げたのは死亡時に一括で3,000万円がもらえるという、昔ながらの保険であった。だが、夫が30代半ばで死亡するのと、50代になって死亡するのとでは、残された家族への影響が異なる。30代半ばで子供がまだ小さければ、高校・大学までの教育費が必要になるし、もし夫の死亡後も賃貸住まいが続くのであれば、家賃の支払いにも備えなければならない。一方、50代になって子供がある程度自立していれば、子供の心配はあまりしなくてよくなる。住宅ローンが残っていても、団体信用保険に任せることができるため、最低限妻の生活費程度がカバーできれば十分かもしれない。

 このように、死亡時の年齢によって、その後の資金需要が異なる(そして通常は、死亡時の年齢が上がるとともに、必要な生活資金は少なくなる)という点を考慮した保険として、「収入保障保険」というものがある。この保険では、被保険者の死亡時から毎年、一定の保険金が受け取れる。具体的には、死亡時から60歳になるまで毎年180万円(毎月15万円)が受け取れる、といった感じだ。

「収入保障保険&特約」(「図解で解る生命保険」)

 では、収入保障保険の場合、保険会社の経費を考えずに毎月の保険料を計算すると、いくらぐらいになるのだろうか?

30歳男性のうち、60歳になるまでに死亡する9人は、どの年齢で死亡するのか?
 死亡時から60歳になるまで毎年180万円ずつ支払われる収入保障保険に、30歳の男性が100人加入しているケースで考えてみる。前回の記事で書いたとおり、30歳の男性が60歳になるまでに死亡する確率は9%なので、加入者のうち9人が保険金の支払対象となる。ある年齢で死亡した場合、60歳までに受け取れる保険金の総額は、「180万円×{60−死亡時の年齢}」で計算できる。つまり、35歳で死亡すると180万円×25年=4,500万円、55歳で死亡すると180万円×5年=900万円となる。問題は、9人の死亡年齢がいつなのか、ということだ。

収入保障保険

 ここで再び、厚生労働省の「生命表」を用いる。生命表には、各年齢の「死亡数」というものがある。文字通り、「ある年齢の人のうち、次の年齢になるまでにどのくらいの人が死亡するのか」を表した数値だ。これを使って、「30歳から60歳になるまでに死亡した人(=厳密に言えば、30歳から59歳の死亡者)がいた場合、その人がどの年齢の時に何%の確率で死亡したのか」を求めてみる。30歳から59歳の死亡者がX歳で死亡した確率は、{X歳の死亡数}÷{30歳から59歳の死亡数合計}で計算できる。計算結果は上表の(C)のようになる。つまり、ある人が30歳から59歳で死亡した場合、その人が40歳で死亡した確率は1.62%、50歳で死亡した確率は4.20%となる。

 上記の確率に、加入者100人中の死亡者数=9人を掛ければ、各年齢の死亡者数の期待値(D)が計算できる。この死亡者数の期待値に、60歳までに受け取れる保険金(A)を掛ける(E)ことで、9人に支払われる保険金の総額が計算できる。上記の表でいくと、その金額は約1億5,442万円となる。

 この金額を残りの91人で負担するわけだから、1人あたりの負担は約171万円。30年かけて支払うので、1月あたりの保険料は約4,744円となる。

保険料を「運用」すると…
 前回の記事と同じように、保険料を「年2%」で運用した場合の月々の保険料を考えてみよう。

保険料を運用する場合(収入保障保険)

 前回と同様に、各年齢における運用後の金額の合計が、支払うべき保険金=1億5,442万円に等しくなるように毎月の保険料を設定してやると、毎月の保険料は約3,510円となる。

後田 亨
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※繰り返しになりますが、私は保険のプロでも保険の販売員でもありません。上記の内容は、あくまで個人的な見解であることをご了承ください。
January 24, 2006

富士火災の成果主義訴訟、和解成立

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 半年ほど前に「気になる法律の問題(2)」という記事で富士火災訴訟のことを取り上げ、判決の動向を気にかけていたのですが、つい先日和解が成立したようです。

 成果主義で手取り月2万円 社員の訴え、和解し制度改正

 「手取りが2万なんてけしからん」と感情論で話をすることはいくらでもできますが、話に説得力を持たせるためにはやはり冷静な理論が必要です。私は、企業は「所得の公正分配機関」としての責任をある程度(「ある程度」としているのは、現実的に全社員が平等に所得を受け取るという事態が想定しがたいため)有していると考えています。「所得の公正分配機関」たる企業という考え方は、私が最近漠然と考えていることなので、当然ながらもっと議論を重ねるべきであることは承知しています。

 所得の分配機能は政府特有のものではありません。むしろ、政府が有しているのは所得の「再」分配機能であり、第一義的には所得を分配するのは企業の役割です。現に、国民所得のうち約70%は労働者の報酬に支払われており、今回の富士火災のようなケースを例外とすれば、通常は最低賃金法や生活保護法の規定する金額を十分上回る額の報酬が支払われています。さらに、職種によって企業の売上や利益に対する貢献度が異なるとはいえ、職種ごとに大幅な賃金格差が生じるということもあまりありません。企業は所得の公正分配機関たるべきであり、実際に一定の機能を果たしています。

 今回の富士火災訴訟については、成果主義の功罪に関して様々な議論がなされていますが、企業が果たすべき責任である所得分配機能という観点からも議論すべきなのではないかと思っています。
August 10, 2005

知識労働者の家庭と自己啓発のためにも、労働時間の規制は必要

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 労働基準法第32条2項では「使用者は、1週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き1日について8時間を超えて、労働させてはならない。」と規定されています。

 工場などでの肉体労働が主流だった時代においては、使用者からの不当な労働力搾取の防止と、労働者の健康保護が目的でした。

 現代は肉体労働者に代わって知識労働者が主流となりましたが、知識労働者もその労働の特質を考えれば、1日8時間労働の規制がなお有効であるということは昨日も述べました。

 これに加えて、労働時間規制を維持すべき理由が2つあります。

 一つは家族の機能維持のために、労働者を家庭に帰すべきであるということです。

 家事や育児など、家庭における諸々の仕事を男女で分担するのが理想とされる時代です。女性が社会でさらに活躍するならばなおさらです。男女が家事を分担するためには、夫婦の双方が一定の時間家庭にいなければ話になりません。

 企業は労働力だけを欲しがる強欲を抑えなければなりません。家族の安定が、その労働者の活力の源になるのです。

 そしてもう一つは、知識労働者が新たな知識を習得するために学習をし、教育を受ける時間を確保する必要があるということです。

 知識労働者は仕事のために新たな知識を定期的に習得する必要があります。仕事をしていれば必要な知識はすべて身に付けることができると考えている経営者もいますが、それでは不十分です。企業は学校にはなれません。企業の使命と学校の使命は決定的に異なります。

 現実世界に正しく適用できる知識は体系的に獲得する必要があります。しかし、企業は知識を体系的に提供する組織ではありません。それは企業にはできません。知識を体系的に学ぶ最も効果的な場は、いつでも企業の外にあるのです。

 企業は、知識労働者が企業外の学習・教育の場に踏み込むことを是認すべきです。もし社内の学習と社外の学習をバランスよく組み合わせることができたならば、彼らが外から持ってきた新しい知識で、十分に企業に報いてくれるはずです。

《2012年5月16日追記》
 以上に加えて、労働時間規制の必要性をもう1つ挙げるならば、それは「企業側に知識労働者の生産性向上の知恵を絞らせるため」であろう。もっとも、労働基準法は労働者の権利を守るためのものであって、企業の経済的な成果を拡大するためのものではないから、こうした目的のために法律を制定することは非現実的なわけだが・・・。

 知識労働者は肉体労働者と異なり、成果の量が労働時間に比例しない。そのため、ちょっと油断すると、知識労働者は成果が出るまでいつまでもだらだらと仕事を続けてしまう(企業側も、裁量労働制の導入などによって、返ってこうした事態を助長している)。知識労働者の仕事は肉体労働と異なり、多種多様で非定型的な要素が多いため、IE(インダストリアル・エンジニアリング)のような手法で生産性を改善するのが難しい。だから、いっそのこと最初から勤務時間の枠をはめることで、強制的にその時間内で仕事を完遂するように動機づけるのである。

 人間は制約を与えられると、その範囲内で何とかやりくりしようとする性質がある。例えが悪いけれども、昔テレビ朝日で放送されていた『銭形金太郎』には、極度の低収入で貧乏生活を送っている人が登場し、常識では考えられないような方法で日々の暮らしを乗り切っている様子が紹介されていた。金銭的な制約が、ユニークな生活の知恵を生み出すのである。

 一部の企業は、残業禁止制度を導入して、社員の生産性向上に努めている(定時になるとオフィスの照明が消えて、強制的に帰宅させられる、など)。また、長時間労働が当たり前になっているコンサルティング業界でも、ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)が似たような労働時間の規制を実施したことがあった。具体的には、プロジェクトメンバーは必ず所定の日数だけ休暇を取得することをルール化したのである。その結果、プロジェクトの生産性は以前よりも改善されたという(以前の記事「前提をあえてひっくり返してみよう(2)−『逆転の思考 ステレオタイプを排す(DHBR2010年3月号)』」を参照)。