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March 27, 2006

【ミニ書評】タルコット・パーソンズ著『知識社会学と思想史』

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知識社会学と思想史知識社会学と思想史
タルコット パーソンズ 油井 清光

学文社 2003-11

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 タルコット・パーソンズ著、油井清光他訳。パーソンズが1970から75年頃に執筆した論考を世界で初めて邦訳公刊したもの。デカルト、カント、ウェーバーといった近代哲学から、知識社会学の創始者であるカール・マンハイムの理論に至るまでの思想史をたどりながら、パーソンズの観念論的な知識社会学がどのように構築されていったのかが述べられている。ただし、この本の内容は私には敷居が高かった。近代哲学やマンハイムの『イデオロギーとユートピア』を十分に学習すれば、もっとこの本の内容がよく理解できたかもしれない。数年後にもう一度読み返したい一冊。
February 06, 2006

概念化や新語の量産はいいが、もっと中身のある新語を

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 前回の記事で小泉首相や猪口大臣が持ち出した「待ち組」なる新語にちょっとした異議を唱えましたが、新語を創造すること自体を責めているわけではありません。新語ができるのは、何か新しい概念が誕生するときです。概念は物事を整理して理解するのに非常に役立ちます。その意味では、概念化し、新語を創造することはむしろ推奨すべきことです。

 概念化や新語の創造を最も得意としているのは学者でしょう。
 
「学問分野における概念の豊富さを示す一つの指標は−もちろん、確たる根拠があるわけではないが−新語を量産する能力である。新しい概念が生まれる時、新しい言葉が生まれるからだ。そして、新しい概念が生まれたのは、何か新しいことが起こったからである。」
 政治学、法律学、経済学、医学、薬学、物理学、化学など代表的な学問分野はどれをとっても豊富な専門用語で溢れています(その多さに門外漢は閉口してしまうのですが…)。学者は様々な角度から概念化を試みることで、現実世界で生じる事象や人間の知覚・認識などをより合理的・論理的に説明しようとしています。

 もちろん、概念化は学者の専売特許ではなく、日常的に様々な人が行っていることです。私の友人は、アメリカ人の経営コンサルタントは新語を生み出すのが得意だと言っています。なるほど確かにマネジメントの世界には、毎年経営コンサルタントが発明した新たな用語が数多く誕生しています。

 概念化と新語の創造には、物事が理解しやすくなるという利点に加えて、コミュニケーションが容易になるという利点もあります。「肩凝り」という言葉を作り出したのは夏目漱石であるという説があります。『門』という小説の中で初めて「肩凝り」という言葉が用いられたということです。それまでは肩がはっている、肩が何となく重い、首を回すと肩が痛いなど、いろいろと言葉を尽くして医者に説明しなければならなかったのが、たった一言「肩凝りになった」と言えば足りるようになりました。もちろん、新しい概念、新しい言葉が誕生してしばらくの間は、発明者がその概念の意味するところを人々に対して十分に説明しなければなりません。しかし、何回か説明すれば人々もその概念を覚えます。そうすれば、新語を用いて自由にコミュニケーションをすることに問題はありません。

 とはいえ、概念が多いことが優れたことであるかというと、必ずしもそうではありません。マネジメントの世界には毎年多くの新参者(新しい概念)が入ってきますが、その多くは一時のブームを経験した後でマネジメントの世界から退場させられているのも事実です。

 新しい概念、新しい言葉が生み出される時、少なくとも次の2つの試験はパスしていなければなりません。

 第一に、新しい概念・言葉が何を指しているのかを適切に説明できなければなりません。概念とは枠組みであり、箱です。その中に何を入れるのかが明確でなければ、概念には存在価値がありません。冒頭で指摘した「待ち組」という言葉はこのテストに合格していないと思います。小泉首相らの説明では足りません。「勝ち組」「負け組」ですら国民のコンセンサスが得られていないのに、新たな用語を作るのは早とちりであるという感が否めません。

 第二に、新しい概念・言葉が過去の概念や言葉の言い換えに過ぎないという事態を避けなければなりません。他の学問分野のことは解りませんが、マネジメントの世界では過去の焼き直しに過ぎない概念をしばしば見かけます。もっとも、世代を超えて知識を伝達する場合には、古い概念に多少の手を加え、新しい概念として再び世の中に送り出すということが行われます。これを否定するものではありません。しかし、同一の考え方が違う言葉で語られるとしたら、聞いている方は事象を理解するどころか逆に混乱してしまいます。

 もちろん、他にも基準はあります。概念が本当に有用かどうかは長い時間をかけて判断されるものでもあります。しかし、この2つのテストは最低限の形式要件です。満たされていなければ即無効と判断されるものです。

 この2つの試験を実施すべきなのは新しい概念・言葉の考案者であることはもちろんなのですが、新しい概念・言葉に触れる側の人間こそがテストの真の実施者であるべきです。事実、新しい概念を有用でないものとして却下できるのは、聞き手側の人間でしかありません。用語の氾濫に飲み込まれることなく、真に有用な概念を見分ける思考を持ちたいものです。
January 07, 2006

(当たり前だが)経営はビジネス書に書かれた通りには進まない

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 マネジメントについて社員に研修を行おうとしたが、「本に書いてある通りにはいかない」と研修担当者が嘆いているという話や、経営コンサルタントが本に書いてあるフレームワークをそのまま転用してしまい、クライアントにとっては価値の低いプレゼンテーションしかしてくれないという話を耳にすることがあります。しかしよく考えれば、現実世界が本に書いてある通りにはならないのは至極当然のことです。

 第一に、本に書いてあるのは概念的な事柄です。概念とは例えるならば空っぽの箱です。概念は現実の世界と関連付ける必要があります。概念という空の箱には、現実世界から抽出した事実・事象という中身を詰めなければなりません。こうして初めて、概念は現実世界において意味を持つことができます。箱は中に詰める物に仕えるために存在します。中に物を入れて初めて箱はその役割を果たしたことになります。空の箱は可燃ごみにしかなりません。

 第二に、本に書いてあるのは一般的な理論です。一般的な理論が想定しているケース、立脚している条件と、その理論を用いようとしている現実世界には何らかの隔たりが存在するものです。そしてこの隔たりが、決定的な意味を持つことがあります。現実世界で真に理論を有効たらしめるためには、多少理論を調整しなければなりません。先ほどの箱の例えを用いるならば、中に詰める物の寸法が想定と異なれば、箱の大きさも変えなければならないのと同じです。理論の調整には熟考が求められます。これを無視すれば、優れた理論といえども無用なものになってしまいます。決して本に書いてある理論が悪いのではありません。本に書いてある理論を使う人が悪いのです。

 「知識は本の中には、ない」というのはドラッカーの言葉ですが、本に書いてあるのは情報です。私たちは情報に「基づいて」思考し、行動します。しかし、情報そのものが直接的に何かを生み出すことはありません。情報は現実に適用可能で、現実の問題を直接的に解決する知識に変換する必要があります。そして、情報を知識に変換することができるのは、人間の思考と行動でしかないのです。