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June 28, 2010

本気で女性活用するならば、コミュニティ形成だけではなく業務改革すべき

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 数年前から「ダイバーシティマネジメント」という言葉がにわかに注目を浴びるようになった。ダイバーシティ(diversity)は「多様性」を意味する単語であり、ダイバーシティマネジメントとは、社員の多様性を企業の成長の源泉にしようとする取り組みを指す。人間は、性別、人種、年齢、職種などといった目に見える差異に加え、価値観、信条、思考など目に見えない差異を持っており、実に多種多様である。この多様性を経営に活用しようというわけだ。

 もともとは、欧米において女性や少数民族のようなマイノリティに対する差別の是正を目的として始まった取り組みであるが、現在では異なる価値観や考え方を持った社員同士の相互作用から新たなアイデアを生み出し、イノベーションや競争力の強化に結びつけることが期待されている。

 日本企業もこれから積極的にグローバル展開を狙うならば、ダイバーシティマネジメントは避けて通れない道になる。ただし、日本の場合は歴史的に女性の社会進出が他の先進国よりも遅れているという背景もあって、まずは「女性社員の積極的活用」という形でダイバーシティマネジメントに着手する企業が多い。

 これらの企業は、育児休暇制度、時短制度(勤務時間を短くする制度)、育休からの復職プログラム、女性管理職の積極的登用(女性管理職の人数や、全管理職に占める女性管理職の割合についての目標値を定める)、一般職から総合職への職種転換の促進などといった、組織の制度面の充実からスタートすることが一般的であるようだ。

 大企業の多くはすでにこの第一段階をクリアしつつあり、第二段階として女性社員の意識改革に取り組んでいる。職域拡大や昇進に対する女性の意欲を高めるためのキャリア開発支援や、女性社員のコミュニティ形成などを通じて、社員の意識面に切り込んでいくのだ。とりわけ女性社員のコミュニティ形成はウケがいいようで、実例も多数存在する。このコミュニティでは、働く女性ならではの悩みをお互いに共有したり、既に社内で著しい成果を上げ、高い職位で活躍している女性社員をロールモデルとして、彼女からキャリア開発のポイントを学ぶ講習会が開かれたりする。

 だが、たいていの企業はこの第二段階から次に進むことができていない。世に出回っているダイバーシティマネジメントの成功事例を見ても、キャリア支援やコミュニティ形成までしか紹介されていないケースが散見される。

 さらに悪いことに、リーマンショック以降の不況の影響で、人事部や「女性活躍推進室」などと名のつく新部署は、ダイバーシティマネジメント関連の予算を縮小、あるいは凍結せざるを得ない状況に追いやられている(そもそも、経営陣がよほどダイバーシティマネジメントに理解を示している企業でないと、これらの部署に相応の予算はつかないものだ)。ダイバーシティマネジメントは、他の多くのマネジメント手法と同様に、一種の流行で終わってしまうのだろうか?

 個人的には、コミュニティ形成はやり方を間違えると悲惨な結果を招くリスキーな施策だと思っている。なぜならば、今までの均質な男性社会に対抗する形で、ややもすると均質な女性社会を会社内に新たに作り上げているだけにも見受けられるからだ。そこでは男性・女性の異なる価値観が交わることはなく、双方が固有の価値観を強化するだけに終わる。

 ダイバーシティマネジメントの本来の目的を達成するためには、お互いの異なる価値観が調和し、今まで男性中心の考え方の上に成立していた仕事のあり方が抜本的に変化する、つまり業務改革が起こる必要があると思うのである。これは、ダイバーシティマネジメントの第三フェーズと呼んでもよいだろう。

 もう誰もが気づいているように、日本の労働力人口は放っておくと急速に減少していく。人材を確保するために移民を受け入れるのも一つの手かもしれないが、まずは日本国内の女性を戦力化するのが先決だろう。実際、従来であれば女性が働くことが考えられなかったような職場で、女性社員の積極的活用に取り組んでいる企業もある。

 ある化学メーカーの工場は、重労働が多いために女性には不向きとされていた。ところが、人材確保が困難になりつつある現状に危機感を抱いた経営陣が、女性を前向きに採用することを決断し、女性が働きやすい工場への変革に着手した。工場のプロセスは安全面、労働負荷の観点から全て見直され、女性でも安全に作業できる機械が新たに導入された。これはまさに業務改革の好例である。

 上記の例は労働力確保という量的な面に着目しているが、競争力強化という質的な面における女性活用も重要である。女性向けの製品やサービスに関しては、女性のニーズを一番よく知るのはやはり女性である。女性社員の声を製品開発やサービス提供に反映させることで、より深く市場のニーズと親和することが可能になる。

 化粧品業界など、明らかに女性向けと解かる業界は女性活用を進めやすい。だが、それ以外の業界でも工夫すれば女性活用のチャンスはある。数年前、日産が自動車を購入する家族を調査したところ、お金を出すのは夫だが、購買決定権は妻が握っていることを突き止め、開発チームに女性社員を混ぜて主婦の目線に立った自動車開発を進めたことがある(新型ティアナや新型キューブはこうして開発された)。この製品開発プロセスの変化も業務改革の一例である。

 先日、ある宅配業者のベテラン男性社員と若い女性社員がペアで荷物を運んでいるのを見かけた。新人の女性社員に対するOJTの最中だったのかもしれない。宅配業も重労働であるために女性には不向きと考えられがちだが、一方で単身の女性にとっては男性よりも女性が配達してくれた方が安心感があるなど、女性によるサービスへのニーズはあると考えられる。

 となると、宅配業者も女性を積極的に活用する道が開けてくる。配達先の住所が単身女性の世帯か否かを判別するシステムを導入し、男性・女性のどちらが配達を担当するのか、適正なリソース配分を行う。そして、先ほどの化学メーカーの例のように、重い荷物でも女性が運べるような機材を導入する。あるいは、最初から男女ペアで配達に回り、単身女性の世帯の場合は女性社員がメインとなって荷物を届ける(男性社員は荷物を運ぶ手伝いをする)。こうした業務改革を行うことによって、女性のニーズにより合致した製品・サービスの提供が可能になると同時に、女性の活躍の場を一気に広げることができると思うのである。
June 09, 2010

なぜリーダーにはリーダー固有の「価値観」が必要なのか?

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 リーダーシップに関する書籍を何冊も読んでいると、その多くが「自分の価値観を明確にする」ことの重要性に触れていることに気づかされる。例えば、ジェームズ・M・クーゼス、バリー・Z・ポスナーの著書『信頼のリーダーシップ』では、リーダーに求められる「6つの規範」の最初に「自らの本質を見極める」という項目が挙げられており、リーダーに自らの価値観の内省を促している。

ジェームズ・M. クーゼス
生産性出版
1995-07
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リーダーシップの力の源を見直す良書
じっくり読み込んで欲しい一冊です
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 メンバーは、彼らのリーダーがその信念に勇気を持つことを当然のことながら期待している。メンバーは、リーダーがその信念のために立ち上がることを期待する。もしリーダー自身の信ずることがはっきりしないと、好き嫌いの感情や世論調査の結果で、その立場を変えることになってしまう。核となる価値観のない人、もしくは立場をただ変えればよいと思っている人は、一貫性のない人と判断され、またその行動が「政治的である」と軽蔑されるであろう。
 ジェームズ・M・クーゼスらのもう1冊の著書『リーダーシップ・チャレンジ』の中でも、リーダーの価値観の働きが別の言葉で表現されている。

ジェームズ・M・クーゼス
海と月社
2010-02-19
おすすめ平均:
人間愛に満ちた実用の書
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 信念は人生に指針を与えてくれる。心の羅針盤となって、日々の生活をみちびいてくれる。信念があれば、道をふみはずす心配もない。

 先の見えない困難な時期はとくに、こうした道しるべが欠かせない。問題が次々と起こり、方向性を見失いそうなときは、自分がいまどこにいるのかを教えてくれる標識が大いに役立つ。
 このブログでも何度か述べたことがあるが、価値観はその人にとって世界の見え方を規定するレンズのようなものであり、またその人が何らかの決断を下し、行動に出る際の判断基準として機能する。

 では、なぜリーダーシップを発揮する際に、リーダー自身の価値観がこれほどまでに重要になるのだろうか?強い信念はリーダーの力の源泉となり、チームの変革を後押しするという一面ももちろんあるだろう。意思が弱い人間に大きな行動を起こすことはできない。だが、そのような精神論めいた理由以上に、リーダーの固有の価値観は重大な意味を持っていると私は思う。

 リーダーシップの役割とは、言うまでもなく変革を起こすことであり、現在の世界を異なる高みへと非線形的に導くことである。どんなにうまくマネジメントされてきた組織でも、周囲を取り巻く様々な要因が変化すると、従来のやり方が通用しなくなる。いわゆる「成功の罠」というものである。そんな時こそ、リーダーシップの出番である。

 組織が採用しているマネジメントには、その組織の価値観や仮定が組み込まれている。それらを経営陣や社員が意識しているかどうかは問題ではない。とにかく、あらゆるマネジメントには、その組織が長年にわたって脈々と受け継ぎ、蓄積してきた価値観が色濃く反映される。

 例えば、アップルのマネジメントの根底には、「顧客をあっと驚かせる製品を生み出す」、「デザインや機能性において完璧を追求する」という価値観が存在する。ディズニーでは「安全性」、「礼儀正しさ」、「ショー」、「効率」という4つの価値観が明確に定められており、かつこの順番で優先順位がつけられている。つまり、ディズニーの社員はいつ何時でも、顧客の安全性を最優先に行動することが求められる(究極のエンターテイメントを追求するディズニーのイメージからすると、これはちょっと意外に思われるかもしれない)。

 しかし、マネジメントが機能不全に陥るということは、マネジメントが前提としている組織の価値観や仮定が時代遅になっていることを意味する。残念ながら、永遠で普遍的なマネジメントというものは存在しない。環境が変われば、旧来のマネジメントはミスマッチを起こす宿命にある。

 組織が下り坂を転げ落ちる前に、組織の価値観を時代に適合した(あるいは時代を先取りした)ものに書き換えなければならない。ところが、社員が全員古くさい価値観に染まっていると、誰一人として価値観の書き換え作業を行うことができない。新興企業のイノベーションを見くびって変革を怠り、その結果として苦境に陥った大企業は、この手の失敗を犯している。

 トヨタが何十年も前にアメリカ市場に参入した時、GMはトヨタのサブコンパクト・カーを見て、利益率が最も低い市場セグメントを守るために競争しても意味がないと判断した。GMは「利益率を守る」という価値観に従ってトヨタとの競争を避け、ハイエンドの市場へとシフトしていった。その結果、長い年月の果てに片方はアメリカ市場で覇権を握り、もう片方は債務超過で破綻した。

 最近はKindleやiPadの登場によって電子書籍がホットである。これもまた新しい市場を切り開くイノベーションであるのだが、東京電機大出版局長は次のように述べて、日本における電子書籍の成功にあっさりと「No」と言ってしまった。
 日米では、読書習慣や出版文化が明確に違う。しかもそれは急には変わらない。米国人にとって「読書は消費」だといわれており、バカンスに本を4〜5冊持って行き読み終わったら捨てて帰る人が多いという。日本人は紙質や装丁にこだわり、読み終えても取っておく人が多い。米国で成功したから日本でもというのは、分析が足りないと思う。
(「電子書籍:「元年」出版界に危機感 東京電機大出版局長・植村八潮さんに聞く)」
 しかし、未来が過去の延長である保障はどこにもない。だいたい、「読み終えても取っておく人が多い」ならば、ブックオフがここまで巨大化することはなかったはずだ。さらに、「本を自炊する(=スキャンしてPDF化し、PCに取り込む)」という言葉が市民権を獲得しつつあり、「紙にこだわりを持つ人が多い」という分析自体が甘い可能性もある。出版業界に根づている古い価値観で日本の書籍市場を眺めているから、こうした発言になってしまうのである。

 社員が皆古い価値観に染まっていると、組織は変化を起こすことができず沈没する。一方、誰かが組織の価値観に染まり切らず、別の価値観を持っていれば、旧来の価値観をひっくり返す確率が出てくる。その別の価値観を持つ人物こそが、リーダーになる資格を持っているのだ。組織から見れば「異端」に映る彼の価値観が、実は変革のカギを握っている。

 リーダー固有の価値観を通じて見ると、それまでの組織の価値観では認識できなかった市場、顧客ニーズ、競合、技術が見えてくる。すると、従来のマネジメントが見過ごしていたビジネスチャンスが出現する。さらに、リーダー固有の価値観は、ビジネスチャンスをつかむための製品開発、マーケティング、製造工程、サービスプロセス、意思決定、コミュニケーション、人材育成などの方法を、これまでのマネジメントにおける方法とは全く異なるものに変えてしまう。リーダー固有の価値観は、まさにこの点で変革を推進する原動力となっているのである。

 キャリア論の大家であるエドガー・シャインは、長年にわたる組織文化とビジネスパーソンのキャリアの研究を通じて、「組織にも個人にも譲れないものがある」ことを発見した。企業は組織の価値観で社員を”洗脳”しようとするが、社員は必ずしも自分の価値観を全て捨ててしまうわけではない。どこかの部分では、自分らしい価値観を固持しようとする。

 これは決して悪いことではない。むしろ奨励されるべきことなのだ。なぜならば、組織の価値観に完全に染まらない余白を持つ社員が何人かいれば、いざという時には彼らがリーダーシップを発揮して組織を救ってくれるからである。
March 12, 2010

感情は問題提起のサインである

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 先日の記事「果たして意思決定に感情は不要なのか?」では、感情を完全に取っ払えば人間は合理的な意思決定ができるわけではなく、感情は理性と連携を取りながら意思決定を導き出しているという脳科学の研究を紹介した。しかし一方で、感情が意思決定を歪めるケースが多いことも指摘した(「怒り」が合理的な意思決定を歪める一例として、「最後通牒ゲーム」がある)。

 兵法の最高の教科書と言われる『孫子』には、「主は怒りを以て師を興すべからず、将は慍(いか)りを以て戦を封ずべからず」という一文がある。怒りは戦いにおける合理的な意思決定を妨げ、自らの命を危険にさらすと孫子は警告しているのである。

 中国の三国時代、袁紹(えんしょう)という人物はこの過ちを犯し、自滅の道をたどった。袁紹は当初、後漢の政権を脅かした董卓(とうたく)を倒して漢を復興することを目指していた。袁紹の元には曹操がいた。しかし曹操は、董卓に対していつまでも煮え切らない態度を取る袁紹から次第に距離を置くようになり、魏国の地盤を広げて独自の勢力を形成した。ついに両者は「官渡の戦い」(官渡は現在の河南省中牟の近く)で激突する。

 官渡で両者の膠着が続いた時、袁紹の臣下は『孫子』に基づいて官渡の死守にこだわらない別の作戦を進言した。だが、袁紹はそれを無視した。袁紹は官渡の戦いの前哨戦で曹操の誘導作戦にまんまと引っかかり、2人の武将を失ったがゆえに怒り心頭であったようだ。袁紹はあくまでも官渡で戦いを続けることに固執し、無茶な攻城法に出た。その作戦は、孫子が「莫大な資源と労力を必要とするから、やむを得ない時にしかやってはいけない」と警告した作戦であった。

 孫子の警告通り、袁紹の無理がたたって軍は大いに疲弊し、膠着状態は解決しなかった。最終的には、袁紹の重臣である許攸(きょゆう)が袁紹を見限って曹操に降伏したため、袁紹軍は総崩れとなった。袁紹は曹操に対するつまらない怒りが原因で、合理的な意思決定ができなくなってしまったのである。(※)

 冒頭の記事では、最終的に私の中で「意思決定にプラスに作用する感情は『冷静さ』ぐらいではないか?」という結論に達したわけだが、ここで1つ別の疑問が出てくる。それは「感情は何のためにあるのか?」ということである。感情が意思決定にマイナスの影響を及ぼすことが多いのであれば、我々が感じる不安や怒り、競争心あるいは喜びなどの感情は、一体何のために存在するのだろうか?

 本当に突き詰めて考えると脳科学や心理学、哲学の専門的な分野に入っていく必要がありそうなので止めておくが、マネジメントの世界で感情の意義を考えるならば、それは「組織における問題発生のサインである」というのが私の考えである。

 以前、「『小さな問題意識』が若手社員のキャリア開発のきっかけとなる」という記事で、銀行に勤める私の知人の苦悩を紹介した。彼は銀行の方針に対して不安を抱えている。しかしながら、不安に煽られて衝動的に上司に掛け合ったり、何か運動を起こしてみたりしても何の効果もないだろう。彼は冗談半分で「政治家になって金融庁の方針を変えさせてやりたいよ」などと言っていたが、だからと言って「じゃあ、明日から銀行を辞めて次の国会議員選挙に出馬します!」とはならない。

 彼が感じる不安は、今の銀行のマネジメントに潜む何らかの深刻な問題のサインと言える。彼に必要なのは、果たして銀行の方針がころころ変わるのはなぜなのか?本当の問題はどこにあるのか?その問題を解決するためにはどうすればいいのか?今動くべきなのか、もっと年月が経って自分の意見に同調してくれる味方が増え、昇進に伴って権限が広がった時に動くべきではないのか?という冷静な分析と判断である。心の中に渦巻くマイナスの感情の存在に気づくことは非常に重要である。だが、その感情に任せて意思決定をすると道を踏み外す。マイナスの感情が芽生えた時には、「これは何かの問題のサインだ」と捉えて冷静にならないといけないのである。

 ポジティブな感情でも同じようなことが言える。例えば、ある新製品が大ヒットし、嬉しくて興奮しているマネジャーがいるとしよう。彼は、今のうちに売れるだけ売ってしまおうと考え、勢いに任せて営業担当者をガンガン採用する。だが、採用した社員はトレーニングもそこそこに現場に放り込まれ、マネジャー自身も一気に部下が増えたことで全員に目が行き届かなくなる。やがて、いい加減な営業活動に対する顧客からのクレームが増え、会社の売上と信用を落とすことになる。

 この場合は興奮して積極攻勢に出るのではなく、一歩引いた視点から、「今わが社は成長期を迎えているが、現在の体制で果たしてやっていけるのか?」と問う必要がある。「勝って兜の緒を締める」という言葉があるように、一時の勝利で浮き足立っているようではダメだ。勝利の美酒は未来の問題に対する知覚を麻痺させる。

 適度な競争心は組織や社員を成長させるが、過剰な競争心もまた組織を間違った方向に導く。例えば、ライバル会社を徹底的に潰すことばかりを考えていると、顧客のニーズに応えるという本来の事業の目的から遠ざかってしまい、顧客の離反を招く恐れがある。また、(再び営業の例で恐縮だが、)営業部門が売上偏重主義で、担当者の売上高による競争を煽りすぎると、営業担当者は自分の売上を立てることばかりを考えて重要な顧客情報やナレッジをお互いに共有しなかったり、違法すれすれの営業活動を平気でしたりするようになり、部門の雰囲気が殺伐としたものになっていく。もし自分の中に異常なまでの競争心が沸き起こってくるようならば、組織のどこかに何らかの歪みが生じている可能性があると考えた方が賢明だ。

 感情は問題提起のサインである。だから決して無視してはいけない。だが、感情が問題を解決するわけではない。自分の中に通常とは異なる感情が湧き上がった時には、「今の組織に何かしらの問題が起きている予兆かもしれない」と冷静になることが大事だ。感情の赴くままに問題解決に取り組むのはご法度である。問題解決のための意思決定は、あくまでも「冷静」に下さなければならないのである。

(※)袁紹に関する記述は、山本七平「『孫子の兵法』で『三国志』を読む(第2回)」(『歴史に学ぶ』2009年6月)を参考にしている。