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新ブログ 谷藤友彦ー本と飯と中小企業診断士
October 06, 2010
マネジメント・イノベーションがもたらす「自由」と「責任」−『経営の未来』
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またまたこの本だけで3本目の記事に突入。それだけこの本からは学ぶことが多いということなんだよ〜
<1本目>この本を読んで、前提が崩れたマネジメント手法を整理してみた−『経営の未来』
<2本目>企業経営に市場原理を入れてみよう!でもマネジャーの仕事はどうなる?−『経営の未来』
ハメルの主張を端的にまとめれば、伝統的な上意下達の階層組織ではなく、現場社員をもっと信頼して彼らに自由を与え、組織の未来を左右する重要なアイデアや、組織の成長を後押しする優れた能力を現場社員から引き出せる組織こそが、激動の21世紀を勝ち残るだろう、ということである。
これは、組織の歯車と揶揄され、組織のルールに縛られて創造性を阻害されている現場社員にとっては願ってもない朗報だろう。同書では、現場社員が実際にそのような自由を手にしている企業として、ホールフーズ(有機野菜などを販売し、ウォルマートのような低価格路線とは逆の戦略を展開している小売業)、W・L・ゴア&アソシエイト(アウトドア製品などに用いられる防水透湿性素材「ゴアテックス」などを製造する化学メーカー)、グーグルの名前が挙がっている。
ハメルが主張するのは性善説的な立場に立ったマネジメントと言えるが、ここで私は「自由には責任が伴う」ことを強調しておきたいと思う。責任が伴わない自由は悪であり、どんなに革新的な組織であっても許されるものではない。前述の3社が社員に与えた自由と、それに対して社員が負うことになる責任を以下にまとめてみた(「自由」の内容は同書の事例に拠るが、「責任」の内容は私なりに考えてみたものである)。
【自由】
管理職が現場社員に権限委譲を行い、現場社員の裁量を拡大する。(ホールフーズ)
【責任】
現場社員は自らの権限と裁量に基づいて行った行動、およびその結果について、説明責任を負う。
また、通常の企業では、現場社員は能力重視で評価され、ポストが上がるにつれて結果評価の比重が高くなるが、現場社員に権限委譲された場合は、結果も厳しく評価される。
【自由】
現場社員は、勤務時間の一定割合を自由に研究や実験にあてることができる。(W・L・ゴア、グーグル)
【責任】
「自分はこれがやりたい」という強い好奇心がないとやっていけない。指示待ち人間は淘汰される。
自由時間の間は、自分に指示してくれる人がいないため、自分で仕事をマネジメントすることになる。
さらに、1人で完結する研究は稀であるから、研究テーマに賛同してくれる社員を探し出し、協力を仰がなければならない。
【自由】
階層型組織ではなく、格子型組織によって社員がネットワークを形成する。(W・L・ゴア)
(以前の記事「企業経営に市場原理を入れてみよう!でもマネジャーの仕事はどうなる?−『経営の未来』」を参照)
【責任】
年齢や経験に関係なく、あらゆる社員と円滑にコミュニケーションする能力が求められる。
【自由】
社員は自分の好きな仕事をしてよい。したくない仕事ならば断ることができる。(W・L・ゴア)
【責任】
逆に自分が誰かに仕事を依頼する場合は、その人のニーズを十分に考慮する必要がある。
さらに、なぜ自分はその仕事をしたいと思っているのか、そしてなぜ自分がその人を必要としているのかを相手に説明する義務を負う。
【自由】
管理職というポストは存在せず、誰でもリーダーになることができる。リーダーの数にも限りはない。(W・L・ゴア)
【責任】
管理職という地位パワーに頼って周囲に影響力を及ぼすことはできなくなる。
周囲のメンバーに対し、自分が付き従うに値する信頼できる人物であることを証明しなければならない。
すなわち、確固たる基軸とビジョンを持ち、ビジョン実現のために率先垂範して行動する人物であること、加えてメンバーの潜在能力を解放し、メンバーの成長をサポートする人物であることを示す必要がある。
【自由】
現場社員が上司や同僚を評価することができる。(W・L・ゴア)
【責任】
逆に、現場社員も同僚から評価されることになり、同僚からのプレッシャー(ピア・プレッシャー)を受ける。
いい加減な評価をすることはできないから、普段から上司や同僚の仕事ぶりをよく観察し、彼らとコミュニケーションをとって、正確な評価材料を集めなければならない。
上司や同僚に気兼ねしてネガティブなフィードバックができないようではダメ。言うべきことは言う勇気が求められる。
【自由】
会議では部門や役職に関係なく、誰もが自由に発言することができる。意思決定は極めて民主主義的なプロセスで行われる。(グーグル)
【責任】
相手の発言には敬意を払う。相手の人格と発言内容を切り離して考える。相手を批判する場合は、人格を批判するのではなく、発言内容を批判する。
自分なりの確固たる意見を持って会議に参加しなければならない。間違いや不十分さを恐れて発言を控える消極さは許されない。
会議を収束させるのは議長だけではなく、参加者全員の責務である。つまり、会議に参加したからには、何らかの結論を導き出す覚悟で臨まなければならない。
(過去の記事「「みんなの意見」が案外正しくなるためには、個人が自立していないとダメ」を参照)
October 01, 2010
この本を読んで、前提が崩れたマネジメント手法を整理してみた−『経営の未来』
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『コア・コンピタンス経営』で知られるゲイリー・ハメルの最新作(と言ってももう2年前だが)。2006年6月号のDIAMONDハーバード・ビジネス・レビューに掲載されていた「いまこそマネジメント・イノベーションを」という論文を読んだ時は「マネジメント・イノベーション」の意味がよく解らなかったのだが(汗)、この本を読んだら大分ハメルの意図するところが理解できた気がする。
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ここ100年あまりの間に、世界中の企業家や経営学者、コンサルタントによって様々なマネジメントの手法が生み出されたが、実際のところその多くは19世紀の終わりから20世紀初頭にかけて考え出されたものであるとハメルは指摘する。20世紀初頭と言えば、製造業に大量生産方式が取り入れられた頃だ。当時と現在では事業環境が比べものにならないほど違っていることに気づかない人はいないが、当時のマネジメント手法をほとんどそのまま使い続けていることに異を唱える人は少ない、とハメルは警告している。
同書は、生物学、心理学、政治学、宗教学、社会学などの最新のトレンドを参考にしつつ、これからのマネジメントのあり方を提言するものである。旧来のマネジメントを刷新するという意味で、ハメルは「マネジメント・イノベーション」という言葉を使っていたんだな。
この本を読みながら、20世紀に誕生した主なマネジメントの手法について、その手法が登場した時点で当然のこととして受け入れられていた「前提」と、時代が変化して前提が崩れたことによって生じている「問題」を列挙してみることにした。
階層別組織
【前提】一部の優秀な人材が合理的な規則に従い、上意下達で指揮命令を下せば、最も能率的に仕事が行える。
【問題】組織の規則はかつては合理的だったかもしれないが、環境の変化とともに合理性を失うことがある。また、管理職は昔のやり方で成功して昇進した人であるから、経験の罠に陥って今の時代には全く適さない意思決定をする可能性がある。
人事部による採用・配置・異動
【前提】人材の処遇については、人材評価に関する専門的知見を有する独立した機関が決定するのが合理的である。
【問題】人事部が膨大な社員の能力をつぶさに把握するのは困難になりつつある。なお、政治の場では、住民が首長を選び、国民が政治家を選ぶといった具合に、下の人間が上の人間を選ぶことになっているが、企業では一般社員が管理職を選ぶことができない(もちろん、国民主権の政治と、株主資本主義とも言われる企業を同列に論じることはできないが、株主でさえ企業の管理職を決めることはできない)。
マネジメントのPDCAサイクル
【前提】計画が適切であれば、後は実行するのみ。最後に確認をして、次に向けた修正を施せば足りる。
【問題】定型化された日常業務であればPDCAサイクルを回すことができるが、計画の不確実性が高まるにつれて、PDCAサイクルはサイクルとしての型をなさなくなる(計画と実行を明確に切り離すことができないし、そもそも何をもって「計画」と呼ぶのかさえ曖昧になる)。
事業部制
【前提】意思決定の権限については、本社に集中させるより各事業部に分散させた方が望ましい。
【問題】確かに意思決定についてはうまくいったが、一方で各事業部が肥大化したことにより、それぞれの事業部が独自に抱えるスタッフ部門の重複が目立つようになった。また、事業部間の「組織の壁」が大きくなり、イノベーションにつながるような部門横断的な活動が難しくなった。
予算配分
【前提】各部門の将来の予算は、過去の延長線上で決定することができる。予測が困難なイノベーションについては、研究開発部門に一定の予算をつけておけば足りる。
【問題】イノベーションは研究開発部門から生まれるとは限らない。ある事業部で新しいイノベーションの種が発見されても、硬直的な予算配分制度がイノベーションへの投資を阻んでしまう。
トップによる戦略プランニング
【前提】戦略立案に必要な知見と情報はトップに集まっているから、トップが戦略を立てるのが最も効果的である。
【問題】トップが少人数のグループで戦略的意思決定を行う場合、お互いの意見や価値観が似ているために、凡庸な戦略しか出てこないことがある。また、戦略立案に必要な情報は、往々にして現場に転がっている。
ブランド・マネジメント
【前提】メーカーが流通チャネルやマスメディアに働きかければ、メーカーの意のままにブランドを構築することができる。
【問題】流通チャネル(特に小売業)がバイイングパワーを急速につけてきており、メーカーの思い通りに動くとは限らない。また、ソーシャルメディアの台頭によって、メーカーが直接影響を及ぼせるメディアの割合が相対的に低下している。
標準作業分析
【前提】製造ラインように反復可能性が高い作業については、標準作業を規定して作業員がそこから逸脱しないようにトレーニングすれば、生産性が飛躍的に向上する。
【問題】製造ラインに従事する社員の割合は年々下がっている。経済のサービス化が進むにつれて、サービスの生産性の方が重要になる。にもかかわらず、未だにサービスの業務プロセスは属人的で非効率なままである。
会計制度
【前提】会計制度自体が、製造業を意識して設計されている。
【問題】会計制度の見直しは何度か実施されているものの、いずれもコーポレートガバナンスの観点からの見直しである。サービス経済、知識経済に適合した会計制度の構築は進んでいない。人的資本、知的資本、顧客資本など、目に見えない資本をどのように計上するかについて、コンセンサスが取れていない。
競争戦略
【前提】「ファイブ・フォーシズ・モデル」によって魅力が高い業界を選択し、適切なポジションを確保すれば、競合他社に打ち勝つことができる。
【問題】どの業界でも参入障壁が下がり、買い手がバイイングパワーを強めているから、魅力的な業界などそうそう存在しない。そもそも、「業界」の名前にこだわりすぎると、本当に重要な競合他社を見誤る(書店がアップルを競合他社として見なす日がくると、業界の誰が予測しただろうか?)。
バリューチェーン分析
【前提】付加価値の高いプロセスを自社で握り、それ以外のプロセスをアウトソーシングすれば、有利に事業を展開できる。
【問題】自社のケイパビリティには限りがあるから、ある程度付加価値の高いプロセスについても外部企業を活用せざるを得ない。結果的に、自社と外部企業は複雑で緊張したネットワークを形成することになり、自社が外部企業をコントロールできない状況が出てくる。さらに、時代によって付加価値がバリューチェーン内を移動する可能性を考慮していない。
知的財産管理
【前提】自社にとって重要な技術やノウハウは、法的なスキームを使えば保護することができる。
【問題】どんなに法的なルールを作ったところで、インターネットがそのルールを打ち破ってしまう。
これ以外にも挙げていけばキリがない。こうした問題を解決する新しいマネジメントの手法を編み出すことが今後は大事になるね。では、ハメルはどのようなマネジメント手法を考案しているのか?続きは次回ということで。
September 11, 2010
論語が実学であることを身をもって証明した一冊−『渋沢栄一「論語」の読み方』
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渋沢栄一は明治6年、将来が約束された役人の道を捨てて実業界に身を投じた。周囲の反対を押し切っての一大決心だった。それ以降、渋沢は終始『論語』を手放さず、「論語で事業を経営してみせる」とまで言い張ったという。同書は、『論語』の各文について渋沢自身が解説を加えたものである。『論語』の入門書として読むことももちろんできるが、それ以外にも色々な楽しみ方ができる。
(1)『論語』を事業経営に活用する方法を学ぶ本として
『論語』の意義は、春秋・戦国という乱世において、保守的かつ実践的な処世術を説いた点にある。よって、本来は万人にも理解できる実用書としての性格を持つものであった。ところが、宋の時代に朱子学が確立されて以降、一般人にはおよそ理解し難い複雑な解釈が次々と生まれ、実学としての立場は徐々に失われていった。
日本でも、江戸時代以前までは古代の解釈=<古注>が中心であったが、江戸時代に儒学者・林羅山が京都の町衆に対して『論語』の講義を行い、それに感銘を受けた徳川家康が儒教を政治の中心に据えた際に基盤としていたのは、宋代に生まれた解釈=<新注>であった。それ以降、江戸の儒学では<新注>が主流となる。
これに異を唱えたのが、江戸中期に登場した伊藤仁斎と荻生徂徠である。二人は古注の復興を目指し、実学としての『論語』の復活に尽力した。彼らの活動は、中国・清の儒学者にも影響を与えている。(※1)
渋沢は同書の中で<古注>と<新注>の違いを意識しているわけではないが、『論語』は実学であり、実用できなければ意味がないと言い切っている。「論語で事業を経営してみせる」と豪語した渋沢が、実際にどのように論語を経営に応用したのかが同書を通じて見えてくる(渋沢が常々口にしていた「経済道徳一致説」については、以前にもブログで取り上げた)。
「渋沢流儒学」とも言うべき1冊(1)−『論語と算盤』
「渋沢流儒学」とも言うべき1冊(2)−『論語と算盤』
例えば、事業投資の考え方としては、
子曰く、約を以てこれを失する者は鮮(すくな)し。(里仁第四−二十三)という孔子の言葉を紹介しながら、次のように述べている。
【現代語訳】 先生がおっしゃった。「倹約に努めれば、財産を失うことは少ない」
経費を節約することはもちろん必要であるが、同時に国家として重要な意味をもつ事業に対しては、大いに積極的でなければならない。武士の慎ましい生活をよしとしていた江戸時代の空気が残り、商業が社会的に善なるものとして認識されていなかった明治初期においては、これは先進的な考え方であったと思う。
わが国は農業を基幹としているから、開墾その他農業の助成保護に出費を惜しんではならない。工業にしても欧米にくらべれば、進歩が遅れてすべて模倣であり追随であって、一つとして超えたものがない。(中略)こんな状態であるのに、これに対して倹約主義で臨んではならない。
また、人の上に立つリーダーは、言行が一致していなければならない。同書には言行一致を説いた孔子の言葉がいくつも引用されている。
子曰く、君子は言に訥にして、行に敏ならんことを欲す。(里仁第四−二十四)はその1つだ。同書には書かれていないが、渋沢の言行一致の徹底ぶりを示すエピソードがある。渋沢は営利事業に加えて慈善事業にも尽力していたため、数多くの慈善団体の設立に関わっている。ある慈善団体の設立記念パーティーに出席した時のこと。パーティーには財界の著名人が多数参加していたのだが、渋沢はパーティーが終わりに近づくと突然姿を消してしまった。
【現代語訳】 先生がおっしゃった。「君子は言葉を軽々しく発しないが、やると決めたら素早く行動に移そうとする」
パーティーが終わって参加者が会場から出ようとすると、出口で渋沢が待ち構えていた。そして一人一人に対して、慈善団体の設立趣旨に賛同していただけるならば、是非寄付をしてほしいとお願いし、寄付の約束を取りつけるまで参加者を帰さなかったという。渋沢が慈善事業に本気であることを示すと同時に、慈善団体に関わろうとする人たちにも、口先だけの賛同ではなく身銭を削ることを要求したのである。
(2)渋沢と同時代に生きた幕末・明治の人物像を知る本として
同書には、渋沢と同時代を生きた幕末・明治の人物が多数登場する。彼らに対する渋沢の人物評を楽しむのもこの本の読み方の1つだろう。渋沢が実際に会ったり、ともに仕事をしたりした関係だからこそ解る人物像は、普通の歴史書ではなかなか読むことができない。
例えば、西郷隆盛については、
たいへん親切な同情心の深い、一見して懐かしく思われる人と評する一方で、政府に十分な軍事資金がない(新政府は廃藩置県に伴い旧藩の債務を引き受けていたため、深刻な資金不足に陥っていた)にもかかわらず、頑なに征韓論を主張して下野したことについては、
いかなる名論卓説も実行が伴ってはじめて価値を生ずるのである。実行が伴わなければ、それは空説空論にすぎない。と批判している。
また、幕末に一橋家への仕官を勧め、一橋(徳川)慶喜に仕える道を開いてくれた平岡円四郎については、
この人は実に一を聞いて十を知り、眼から入って鼻に抜けるぐらいの明察力があった。来客があるとその顔色を見て、何の用向きで来たということを、即座に察知するほとであった。とその明晰ぶりを称えているものの、
あまりに先が見えすぎて、とかく他人の先回りをするから、自然他人に嫌われ、ひどい目にあったりするものである。平岡が水戸浪士のために暗殺されたのも、明察にすぎて、あまりに先が見えすぎた結果ではなかろうかと思う。と分析している。
さらに、渋沢が民部省で役人を勤めていた頃の上司であった井上馨については、
人を用いるには、まずその人の善悪正邪を厳しく識別して、それから登用していた。と人物を見極める鑑識眼を称賛しつつも、性格に関しては、
学問もあり識見もあり、頭脳もまた明敏であったが、怒りをうつしやすい性質だった。何か一つ気に入らないことがあると、四方八方に当たり散らす悪癖には閉口した。と回顧している。
他にも三条実美、岩倉具視、陸奥宗光、勝海舟、伊藤博文、木戸孝允、大隈重信、大久保利通、山県有朋、江藤新平などの素顔が垣間見えて、非常に面白い。
(3)いつの時代にも変わらない自己啓発の原則を学ぶ本として
『論語』は君主が従うべき道を説いた書であると同時に、自己修練の方法を述べた書でもある。よって、政治の教科書であると同時に、ビジネスパーソンにとっての自己啓発書として楽しむこともできる。
私が買った本の帯には、「孔子に学ぶ”月給を確実に上げる”秘訣!」という宣伝文句がついている(これはこれでちょっと露骨な釣りだなぁと思ったが…)。その秘訣は、次の文章の中にある。
子張、禄を干(もと)めんことを学ぶ。子曰く、多く聞きて疑わしきを闕(か)き、慎んでその余を言う。則ち尤(とが)め寡(すくな)し。多く見て殆(あや)うきを闕き、慎んでその余を行う。則ち悔い寡なし。言うて尤め寡く、行い悔寡ければ、禄はその中に在り。(為政第二−十八)子張は頭脳明晰な弟子であり、政治的手腕に長けていた。その子路が仕官するにあたってアドバイスを求めたものが、上記の文章である。
【現代語訳】 子張が先生に高い俸禄をもらう方法を聞いた。先生はおっしゃった。「たくさんの情報を聞いて疑わしい情報を省き、間違いないと確信できるものだけを言えば、他人から咎められることは少ない。たくさんの事象を見て不確実なものを省き、間違いないと確信できることだけを行えば、後悔することは少ない。言動に対して他人から咎められることも自分が後悔することも少なければ、自ずと俸禄は上がる」
要するに「よく調べてから、リスクの少ない確実な方法を取れ」ということだが、一見するとかなり消極的な助言に聞こえる。だが、個人的にこの助言で重要なのは、前半の「よく調べる」という部分だと思う(「よく調べてから、大きなリスクを取る」ことは、時に必要である)。
「調べる」とは、全ての事柄を明らかにすることではない。調べることの目的は、「調べた結果、おそらくこうなりそうだ」という仮説を持つことと、調べた結果解ったことと、調べても解らないこと・やってみないと解らないことの境界線を認識することである。仮説がなければ、実行によって何を検証するのかが解らないし、境界線が解っていなければ、実行から何を学ぶべきなのが解らない。
「リスクの少ない方法を取れ」と書くと消極的な印象を与えるが、裏を返せば「確実だと解ったら絶対にやり通せ」という意味になる。特に、君主に対する諫言は、それが正しいと思えば勇気を出して行わなければならない、と孔子は何度も教えている。
同書では紹介されていないが、『論語』の季子第十六には、魯国の家臣・季孫子に仕える弟子の冉求(ぜんきゅう、先ほどの子張や「孔子十哲」に名を連ねる子路と同じく、政治的能力に優れていた)が、むやみに隣国に攻め入ろうとする季孫子を、君子の道に反するとして止めなかったことに対し苦言を呈する場面も見られる。(※2)
(※1)澤井啓一「江戸の儒学と『論語』」(『歴史に学ぶ』2010年8月号、ダイヤモンド社)
(※2)三田明弘「「芸」の人 冉求のジレンマ」(『歴史に学ぶ』2010年7月号、ダイヤモンド社)


訳がひどい。。。
混沌と階層化

論語を理解するには、不適

