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April 27, 2012

【ドラッカー書評(再)】『創造する経営者』―ドラッカーの「戦略」を紐解く(4)〜外部環境/内部環境アプローチの両方を包含する戦略論

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創造する経営者 (ドラッカー名著集 6)創造する経営者 (ドラッカー名著集 6)
ピーター・F・ドラッカー 上田 惇生

ダイヤモンド社 2007-05-18

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 (《再掲》一般的な戦略策定プロセス)
戦略策定プロセス

 上図で、「外部環境分析」と「内部環境分析」の両方から矢印が出て「戦略コンセプトの決定」につながっているのには意味がある。戦略論の歴史に関する文献を読んでいると、戦略論の一方にはM・ポーターの競争戦略論に代表される「外部環境からのアプローチ」があり、もう一方にはJ・B・バーニーの資源ベース論に代表される「内部環境からのアプローチ」があると説明されることがよくあるのだが、実務的には両者を組合せて戦略を練ることが多いし、本書におけるドラッカーの戦略論も両方を包含したものになっている。すなわち、「(3)マーケティング分析」から戦略を導く方法と、「(4)知識分析」から戦略を導く方法の両方が説明されている。この点で、ドラッカーの戦略論はバランスが取れている。

 「(3)マーケティング分析」から戦略を導いた一例
 ウェルナー・フォン・ジーメンスは、発電機を発明した結果として、電車を開発したわけではない。彼は、市内交通としての電車という産業を構想し、そのための動力源として発電機を開発した。同じようにトーマス・エジソンも、実用電球を発明した結果、発電所や変電所や配電システムを完成したのではない。総合的な電力供給という産業を構想し、そこに欠落していた電球を開発した。(中略)

 彼らは単なる新しい機械や設計ではなく、新しい産業を生み出していた。彼らは、電気のいかなる応用に、産業としての最大の成功と利益の機会があるかを問うことによって、経済的な機会を最大のものとした。
 よく誤解されるけれども、新しい技術そのものはイノベーションではない。だから、イノベーションを「技術革新」と訳すのは、私は間違っていると考えている。技術が新しい産業や市場を生み出す時、それはイノベーションとなる。ジーメンスやエジソンは、電気が日常生活でどのように利用される可能性があるのか、そのパターンをいくつか洞察し、その中から最もニーズや実現可能性が高いと思うシナリオを選択したのであろう。技術動向に市場分析を加えて戦略を導き出したケースと言える(マーケティング分析において答えるべき問いについては、以前の記事「ドラッカー流マネジメントにみるソクラテス的な「問いかけ」の手法」を参照)。

 「(4)知識分析」から戦略を導いた一例
 短期間にロスチャイルド家を成功に導いたのは、同家の最大の資産、すなわちその人的資源の最大利用にあった。ロスチャイルド家では4人の子供、ネイサン、ヤーコブ、アムシェル、サロモンが最大の資源だった。彼らの父親、あるいは母親が、この4人のそれぞれに対し、それぞれの才能や性格に最も適した機会、すなわちそれぞれが最大の貢献を行える機会を与えた。
 やや特殊な例だけど興味深かったので引用。ロスチャイルド家は、4人の子どもの特性をうまく活かせば、ヨーロッパ主要都市の金融を押さえることができると考えたのだろう。「無骨で横柄に見える」ネイサンは、「作法など意に介さない攻撃的な金融家」があふれる「世界最大の競争的な金融中心地」であるロンドンに送り込まれた。「早くから策に長けており、政治的な戦略家」だったヤーコブは、「ヨーロッパ大陸最大の資本市場」でありながら、「革命、テロ、ナポレオンによる専制、王政の復古」と政変が頻繁に起こり、「最も策略に満ちた」パリを担当した。

 2人とは対照的に「礼儀正しく、尊大なまでに威厳があり、かつ極めて忍耐強かった」サロモンは、ウィーンに行かされた。ウィーンでの仕事とは、「ハプスブルク家との取引」であった。そのハプスブルク家は「遅疑逡巡、優柔不断、儀礼と自尊」が特徴であり、サロモンにしか取引が務まらなかった。そして、「もともと金融の管理的な分野」を好み、「勤勉で誠実」だったアムシェルは、ロスチャイルド家の総支配人として、ロスチャイルド家の本拠地であるフランクフルトが割り当てられた。

 さらに重要なことは、5人目の子どもであるカルマンに何の仕事も与えなかったことだ、とドラッカーは述べている。ヨーロッパにはまだハンブルクやアムステルダムなどの金融都市があり、アメリカも有望な成長市場だった。ところが、「少なくともロスチャイルド家の基準からは、カルマンには、必要とされる能力も勤勉さもなかった」という。

 ドラッカーの戦略論はバランスがよいと感じるのは、これだけではない。戦略の基本は、外部の「機会」と内部の「強み」を調和させることである(ドラッカーも本書で頻繁に主張している)。その応用としてしばしば、SWOT分析のフレームワークを引き合いに出し、「脅威を機会に変える」、「弱みを強みに変える」ことの重要性が強調される。ただし、これは言葉で言うほど簡単ではなく、その具体的な方法を記載した戦略本はそれほど多くないように思える。その点、ドラッカーはこれについてもちゃんと事例を交えて説明を行っており、厚みのある戦略論となっている(第9〜10章)。

 脅威を機会に変える
 アメリカのデパートの多くは、初めのうち、ディスカウント店を不健全なものとして攻撃した。しかし、戦いに勝てないことが明らかになるや、自ら次々にディスカウント店を開いた。しかし結果は、そのほとんどがお粗末だった。デパートは、ディスカウント店の経営を知らなかった。ある大手のデパートチェーンだけは、まったく違う路線をとった。ディスカウント店を開きはしなかった。逆に、高級化した。あらゆる都市の店を大衆のための高級店に変えた。
 第2次世界大戦後、豊かになった大衆は、保険契約数こそ減らさなかったが、貯蓄のうち生保に回す割合を減らし始めた。この変化に重大な脅威を感じた生命保険会社の多くは、株式投資などの投資手段の危険性を警告する広報活動を展開した。だが、ある保険会社が、そこに機会を見いだした。この会社は、自ら投資信託会社を買収し、その投資信託と生命保険と一緒に売り出した。すなわち、顧客にバランスの取れた投資手段、セット物のマネープランを提供した。
 アメリカのある大手清涼飲料メーカーは、長年の間、低カロリー飲料は流行にすぎないと主張していた。しかし、実際には、マネジメントは、その種の飲料が自社のかなり高カロリーのブランド製品にとって、大きな脅威であると感じていた。ところが、ボトラーたちが低カロリー飲料をより多く扱うようになるにつれ、同社の清涼飲料も、ますます売れるようになっていた。すなわち、低カロリーのダイエット飲料は、市場を侵食するのではなく、昔からの清涼飲料のための市場もつくり出してくれていた。今日では、このメーカー自身が、低カロリー飲料を生産し、販促し、販売している。
 3つの事例から言えることは、脅威を機会に変えるには、(1)棲み分ける(デパートの例)(※1)、(2)選択肢に加える(生保の例)、(3)補完財にする(清涼飲料メーカーの例)という3つの方法があるということである。(2)と(3)は脅威を自社に吸収するという点では共通しており、その違いが微妙であるが、(2)は脅威となる製品と既存製品の間にトレードオフの関係があり、顧客は好きな方を選択するのに対し、(3)は脅威となる製品が売れると、既存の製品もセットで売れるという関係がある。ドラッカーは、低カロリー製品が売れると高カロリー製品が売れる理由までは踏み込んで記述していないけれども、消費者には「カロリーは気になる。でも時々は高カロリーだが自分の口に合った飲物を飲みたい。ただ、それを飲んだ後は、カロリーを調整するために低カロリーの飲料を飲みたい」という心理がはたらいているのかもしれない(※2)。

 弱みを強みに変える
 (アメリカのある中小自動車メーカーが設立したクレジット会社について、)顧客に自動車ローンを提供するためには、大都市すべてに支店を置かなければならない。しかし、中小自動車メーカーとしては、地方支店の管理費を賄えるほどのローンの仕事はない。高度に専門化したクレジット事業の管理に必要なコストを賄うためには、規模があまりに小さすぎた。そこでこのメーカーがとった問題の解決策が、ほかの中小の耐久消費財メーカーのクレジット業務を引き受けることだった。
 加工食品とホテルとケイタリングを事業とするある企業がある。この企業は、ホテルやレストランのための洗濯、加工食品の配送のためのトラック輸送など、いくつかの補助的活動を抱えている。それらの活動は、それぞれ高い水準で運営しなければならない。しかも、かなりの投資を必要とする。おまけに、ピーク時を賄えるようにしておかなければならない。しかしこの企業は、簡単な原則で問題を解決した。本業並みの知識や能力を必要とする洗濯やトラック輸送は、社外の顧客にもサービスを提供する独立した事業にした。
 この2つの事例に共通するのは、本来の製品やサービスに付随するサービスの提供のために、過剰な経営資源を抱えていたという点である。アンバランスな経営資源は通常、弱みとして扱われる。選択と集中をよしとする戦略家であれば、収益性が低い付随業務のアウトソーシングを経営陣に提案したであろう。すなわち、自動車ローンのクレジット業務は大手自動車メーカーに委託し、洗濯やトラック輸送は洗濯や物流の専門業者に委託してしまえばよいというわけである。

 ところが、弱みを強みに変える戦略では、過剰な経営資源を有効活用する方法を模索する。実は、安易なアウトソーシングには落とし穴がある。以前の記事「受賞論文からお気に入りをピックアップ(2009〜2006年)−『マッキンゼー賞 経営の半世紀(DHBR2010年9月号)』」や「「よかれと思ってやったのに・・・」というマネジメントのパラドクス集(その1〜3)」でも書いたように、一見ノンコアに見えるプロセスに継続的な改善を施すと、たとえそれがプロセス・イノベーションにもならないプロセス・インプルーブメントに過ぎないとしても、そこからプロダクト・イノベーションのアイデアが生まれることがあるのである。

 今回の記事はだいぶ長くなってしまったが、前々回まで紹介してきた事業の「暫定的な診断」に比べると、ドラッカーが提唱する「戦略」の中身はかなり骨太であり、かつホログラフィックである(整理して理解するのに苦労したが、汗)。しかも、ドラッカーの戦略論はこれで終わりではない。まだ一度も触れていない第11章では、後の著書『イノベーションと起業家精神』につながるイノベーションの思想的原点が見て取れる。次回はこの点について述べてみたいと思う。


(※1)脅威との棲み分けには一定のリスクがある。脅威が破壊的イノベーションである場合、脅威と棲み分ける、すなわちハイエンド市場へ移動すると、破壊的イノベーションを勢いづける格好の材料となってしまう。また、脅威が破壊的イノベーションでなくても、高級路線へのシフトはいくつかのリスクを負うことになる。つまり、所得水準も高いが要求水準も高い顧客を相手に、購買頻度が低い製品を販売しなければならないため、販売スタッフのサービス水準の向上や顧客リレーション管理、製品の在庫管理に相当の労力を割く必要が出てくる(以前の記事「【第2回】高級志向の顧客を狙う―ビジネスモデル変革のパターン」を参照)。

(※2)余談だが、マクドナルドがここ数年「プレミアムローストコーヒー」を積極的に販売しているのは、てっきりスターバックスなどの脅威に対する対抗策だと思っていた。ところが、原田CEOによると、「コーヒーが売れれば、ビックマックが売れる」という関係があるそうだ。ビックマックは、特別な広告を打たなくても売れる「金のなる木」だという。その金のなる木にもっと金を実らせるために、コーヒーに注力しているわけである。これは脅威を自社に取り込んで、補完財にした例と言えるのではないだろうか?

勝ち続ける経営 日本マクドナルド原田泳幸の経営改革論勝ち続ける経営 日本マクドナルド原田泳幸の経営改革論
原田泳幸

朝日新聞出版 2011-12-07

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