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January 19, 2012

怒りを上手に表現できないと人生で割を食う―『どうしても「許せない」人』

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加藤 諦三

ベストセラーズ 2008-01-09

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 決して読みやすい本ではなかったのだが、それなりに考えさせられるところがあった本。「どうしても許せない人たち」に苦しんでいる人は、どうすればその苦しみから脱することができるか?という内容である。

 「『どうしても許せない人たち』に苦しんでいる人」というのは、本書を読むと2タイプに大別できるようだ。1つ目のタイプは、蓄積した怒りが一般化・誇張されてしまった人である。このタイプの人たちは、怒りを表現することは少ないものの、陰では「私は『いつも』酷い目に遭っている」、「あの人のことは『絶対に』許せない」、「『私だけ』が惨めな思いをしている」と繰り返す癖があり、過去の出来事をいつまでも引きずる傾向があるという。

 もう1つのタイプは、怒りを無意識のうちに抑制してしまっている人であり、相手とトラブルになっても、「悪いのは全部自分のせい」、「自分は相手よりも劣っているのだから、相手には従うべきだ」と考えてしまう。確かに、何か問題が起きた際に、全てを相手の責任にせず、自分にも非があるのではないか?と反省することは、対人関係を円滑にする1つのコツではある。しかし、世の中にはどうしようもなく非道で下劣な人間も存在するのであって、そういう人間と対峙しても自分のせいだと思うのは行き過ぎだと著者は警告している(※)。

 2つのタイプは、口癖だけを見れば両極端なのだが、怒りを過剰に抑え込んでいるという点では同じである。そして、こういうタイプの人は概して「人生で割を食う」。なぜなら、「他人を意のままに利用しようとする人たち」にとって、彼らは格好の”カモ”だからだ。そういうズルい人たちから見ると、どちらのタイプも怒りを表立って表さないので、多少おかしな要求や無茶な仕事を押しつけても大丈夫だと勘違いしてしまう。そして、予想通り彼らからの反発がなければ、ズルい人たちはまた同じように滅茶苦茶な要求をつきつけるのである(往々にして、その要求はエスカレートしていく)。

 「どうしても許せない人たち」に苦しんで「割を食っている人」というのは結構いるもので、私もそういう人たちを少なからず見てきた。私が見た中で一番可哀そうだった人は、

 ・ある会社で、社長の肝入りで新規事業の子会社を設立することになったのだが、最初の担当者が途中で仕事を放り投げてしまい、その人が知らぬ間に後釜に据えられてしまった。
 ・新会社の製品は海外の技術を利用しており、その人が英語に長けているという理由だけで、海外との交渉やマニュアルの日本語化などを一人で全部やらされた。
 ・新会社の社長に就任した人が極端に時間にルーズで、ミーティングのドタキャンは当たり前。また、ミーティングが2時間、3時間遅れて始まることも日常茶飯事(一番酷かったのは、社長がキャバ嬢へのプレゼントを買っていてミーティングに遅刻したという話)。しかも、仕事とは無関係な社長のプライベート話でミーティングが長引く。
 ・新規顧客獲得のためのセミナーで、新会社の社長が「製品説明は全部オレがするから」と言っていたのに、いざ説明を始めたら途中から説明できなくなり、突然その人にバトンタッチした(しかも、無茶振りされた箇所は、まだ十分に開発が進んでいない機能であった)。
 ・そんな社長なので当然のことながら仕事が取れるはずもなく、親会社の社長からは「高い給料に見合った働きをしていない」と酷評され1年足らずで社長が交代。会社も売却されることになり、諸々のゴタゴタに伴ってその人も転職を余儀なくされた。

 という人である。その人からあまりにたくさんの話を聞いたため、全部のエピソードはさすがに覚えていない(汗)。その人からは冗談半分で「うちの会社に来て仕事を手伝ってよ〜」とよく言われたけれど、「いやいや、そんな話を聞かされた後で手伝おうと思う人なんかいないよ・・・」と苦笑いで返していた記憶がある。

 「どうしても許せない人たち」に振り回される2タイプの人たちに共通しているのは、「怒りを上手に表現できない」ことだと思う。1つ目のタイプの人は、最初に何か些細な問題が発生した時、自分の怒りを相手にちゃんと伝えればよかったのに、それができなかった。しかも、問題発生から時間が経過するほど、自分の怒りを相手に訴えることが困難になるものである。

 すると、「あの時ちゃんと言っておけばよかった」という後悔だけが残る。次に問題が起きても、また怒りを表現できず後悔する⇒さらに問題が起きてもやっぱり我慢してしまう・・・この繰り返しで雪だるま式に怒りが蓄積されていき、ついには「あの人は私に対して『いつも』酷いことをする」といった具合に、怒りが一般化されるのである(稀に溜めていた怒りが爆発することもあるが、怒りに含まれる過去の出来事が多すぎて、合理的に説明できないことが多い)。

 もう一方のタイプは、怒りを自分で意識していない分だけより深刻である。相手に酷いことをされると、怒りの感情よりも先に「あの人に嫌われたくない」、「あの人に見捨てられたら自分の居場所がなくなる」という自己防衛の心理が働く。だが、あくまで怒りを意識していないだけであって、潜在的には怒っているのである。「相手に嫌われたくない」という気持ちが湧き上がった時は、実は怒りのサインだと考えた方がよい。

 そのサインを見過ごしていい人を演じ続ければ、表面的には人間関係がスムーズに進むかもしれない。しかしその反面、いつしか身体の方が悲鳴を上げてしまい、食欲不振や吐き気、不眠などの症状に陥る。また心理的にも、うつ病までは行かないが、気分が優れない、何となくやる気が出ない、無気力であるといった状態になるという。

 人生で割を食わないようにするためには、上手な怒りの表し方を身につけた方がよさそうだ。1つ目のタイプの人であれば、問題が大きくならないうちに、そして時間が経たないうちに勇気を出して怒りを訴えてみる。2つ目のタイプの人は、「あの人に嫌われたくない」という潜在的な怒りのサインを読み取って、「自分に非があるのではないか?」という発想を敢えてひっくり返し、「実は相手にも非があるのではないか?」と考えてみる。

 もちろん、自分より年上や目上の人、自分と大事な関係にある人に対して怒りを表現することは容易ではない。自分が怒りを訴えたことで、本当に関係が壊れてしまう危険性もある(閑職に追いやられる、部課内で孤立する、友人を失う、離婚させられる、など)。とはいえ、こちらから少し怒りを伝えただけで簡単に関係が壊れてしまうようであれば、「その人は本当の意味で大事な人ではなかったのだ」と割り切ることも必要なのかもしれない。その方が、怒りを訴えないまま誰にも解ってもらえない苦しい思いを続けるよりも、精神的にはずっとマシな生活を送れる気がするのである。

 何でこんな記事を書いたかというと、恥ずかしながら私自身も怒りの表現が上手ではないという自覚症状があるからだ。「相手に遠慮せずに、言うべきことは言う」というスタンスは、ある意味、大人としての美徳の1つと言っても過言ではない気がする。


(※)本書には、もう1つのタイプとして、ナルシストのような神経症の人が挙げられている。神経症の人は、自分の要求レベルが高すぎるために、相手がその要求に応えてくれないと怒りをあらわにする。ただこのタイプは、本文で述べた2つのタイプとは異なり、怒りを上手に表現できないことに問題があるのではなく、自分の期待水準や欲求が世間一般の基準と照らし合わせても過剰である点に問題があるので、治療法が異なる。
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コメント

私も一生許せない人がいます。

川○と言うその人は、色んな人に悪る口を言ったりしてる人です。

土下座しても一生許せません。

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