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December 20, 2011

高木・権藤の70代コンビは、きっと”第2次落合長期政権”の布石―『采配』

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采配采配
落合博満

ダイヤモンド社 2011-11-17

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 昨日の続き。中日の新監督として就任したのは、中日OBであり86年と92〜95年に監督を務めた高木守道氏だが、この人事を不可解に感じた人は少なくないはずだ。球団側は、落合氏では球団の人気が失われる一方だと判断し、人気回復のために高木氏に白羽の矢を立てたと言うが、どう見ても人気を回復させるための人事とは思えない。

 監督としての高木氏の成績は、過去5年で306勝335敗11分の勝率.477であり、勝率5割を切っている。92年〜95年は私がまだ岐阜に住んでいた時期であり、中日と地元の様子をよく見ていたけれども、高木氏の下で地元が盛り上がった記憶がない(中日の監督は、誰が務めても星野氏と比べられて、人気面でどうしてもマイナスに見られるのは致し方ない面もあるが)。

 それよりも、今回の球団人事のポイントは、高木氏に加えて同じく70代の権藤氏をヘッドに据えた点にあるだろう(70代の監督は、過去に仰木彬氏[オリックス・バファローズ]、野村克也氏[東北楽天イーグルス]の2人がいるが、ヘッドも70代というのは今回が初)。プロ野球はここ10年ぐらいで選手の寿命が延び、今では40代の選手も珍しくはない。これに対して、コーチや監督の寿命はそれほど延びていないから、引退後の選手が”再就職”するポストがどの球団でも不足している。中日は、監督とヘッドをともに70代にすることで、70代でも指導者として生きる道があることを明確にしたかったのではないかとも思う。

 もちろん、引退した選手の生活の面倒を見る義務など球団にはない。中日OBで固められた今回の人事に関しては、外様を中心に組閣した落合氏に対する中日OBの反発に球団側が配慮したという図式では捉えたくない。そうではなく、現場をよく知る好奇心と、自分の持つ野球理論を常に更新し続ける努力があれば、高齢の監督やコーチだって十分にやっていけることを中日は示したいのではないだろうか?そして、この球団側の”采配”は実のところ、何年か経って60代中盤に差し掛かった落合氏が監督に復帰し、第2次長期政権を敷くための布石なのではないかと考えるのは行き過ぎか?
 自分のためにならない欠点や悪癖があれば、直してやるのが指導者の役割だ。しかし、打者出身の私は、シュート回転する投手と出会った時、こんなふうに考えたりする。「このシュート回転するストレートを武器にする手はないだろうか」

 フォームを微調整すればシュート回転しなくなる。だったら、そう仕向けてやるのが選手のためかもしれない。ただ、指の長さや太さが原因でシュート回転するのなら直しようがない。指を長くするわけにはいかないのだから。それに、どこかひとつの欠点を直すということは、肝心の長所まで消してしまう恐れがあるということを、私は現役時代から何度も見てきている。
 私も評論家活動をしていた1999年からの5年間は、12球団すべてのキャンプ地に足を運んだ。キャンプも見ずにあれこれ書くのは失礼だと思っていたし、何よりも自分の目で情報を収集しなければメディアで話すことも書くこともできない。そして、実際に現場に足を運べば勉強になることがいくつもあった。「プロだから見なくてもわかる」という人もいるようだが、私自身は「プロだからこそ見なければわからない」ものだと実感した。プロだから見なくてもわかると言う人は、自分が経験した野球で時間が止まっている。
 守備の名手をあえてコンバートした大きな理由のひとつは、井端と荒木の守備に対する意識を高め、より高い目標を持ってもらうためだ。若い選手はプロ野球という世界に”慣れる”ことが肝心なのだが、数年にわたって実績を残しているレギュラークラスの選手からは、”慣れによる停滞”を取り除かなければいけない。
 「チームリーダー」という”亡霊”が、選手個々の自立心を奪うことがある。最近の若い選手は、巷でチームリーダーと言われている選手に敬意を表し、「あの人についていけば」とか「あの人を中心に」といった発言をするが、それが勝負のかかった場面での依存心になってしまうケースが多い。「僕はあの人のようにはなれません」などと謙遜しているのを見ると、厳しい勝負の世界で生きていけるのだろうかと老婆心が覗いてしまう。
 「毎シーズンAクラス(3位以上)に入れるチームを作ることができた要因は何ですか?」そう問われた時、私が唯一はっきりと答えられるのは「選手時代に下積みを経験し、なおかつトップに立ったこともあるから」である。
 今の時代の若い選手に教えておかなければならないのは、「自分を大成してくれるのは自分しかいない」ということだ。「100回バットを振ったヤツに勝ちたければ、101回バットを振る以外に道はない」という大原則と、自己成長力の大切さを認識すること。まずは、そこがスタートラインになる。
 2003年10月8日に監督に就任後すぐに視察した秋季キャンプ。私は、全選手に対してメッセージを送った。「来年2月1日のキャンプ初日には紅白戦を行います」 私としてみれば、「新監督の謎めいたメッセージ」によって、選手たちが12月から1月の2ヶ月間、常に野球のことを考え、自分なりの準備に取り組んでくれればよかった。何を隠そう、それが誰からも押しつけられたものではなく、自分自身で自分の野球(仕事)を考える第一歩だからだ。

 果たして、2004年2月1日に紅白戦を実施すると、選手たちはすぐにペナントレースが開幕しても戦える状態に仕上げてきた。そして、「いつでも本番で戦える」状態でキャンプを始めれば、実際の開幕までには、さまざまな練習に取り組むことができると気づいたはずである。
 プロ野球選手なら、ましてや自分がその先輩の残した記録に迫っているのなら、たとえ同じ時期にプレーしていなくても、すでに鬼籍に入られた方であっても、どんな選手だったのかぐらいは知っておくべきではないか。大袈裟かもしれないが、歴史を学ばないということは、その世界や組織の衰退につながるとさえ思う。

 どんな世界でも、その中で仕事をするのなら、その世界や組織の成り立ちから謙虚に学び、先輩たちが残した財産を継承していく姿勢が大切なのではないか。歴史を学べば、それを築いてきた先輩たちが何を考え、どんな業績を残したのかもわかる。成功例だけではなく、失敗例もいくつもあるはずだから、歴史を学ぶことは、同じような失敗を繰り返さないことにもつながるはずだ。
 控えに甘んじ、いつまでも年俸の上がらない選手が「監督を慕っている」という話は聞いたことがない。同じように、100人の社員が100人とも「ここはいいな」と感じている職場などあり得ないのではないか。組織の中には、いい思いをしている人とそうでない人が必ず混在している。ならば、職場に「居心地のよさ」など求めず、コツコツと自分の仕事に打ち込んでチャンスをつかむことに注力したほうがいい。運やチャンスをつかめる人は、このことをよくわかっている。
 技術、仕事の進め方というものには「絶対的な基本」がある。しかし、「絶対的な方法論」はない。より正確に書けば、野球の世界で、勝つため、技術を高めるための絶対的な方法論はまだ見つかっていない。だから、新人にアドバイスする場合に気をつけなければいけないのは、どこまで基本を理解しているかを感じ取り、足りない知識があれば伝えてやること。つまり、あくまで基本の部分に関してコミュニケートすることなのだ。

 ところが、有望な新人が自分と似たタイプだと思い込んだコーチや先輩は、早く一人前になってほしいという親心で、その先の方法論の部分にまで言及してしまう。まだプロの水にも慣れておらず、一方で「言われたことはしっかりやらなければ」と思っている新人にそれをやってしまうと、大概は自分の形、すなわちドラフト1位に選ばれた最高の要素を崩してしまう。
 現在は、色々な意味で「我慢の時代」だと感じている。新たな事業に多額の投資をしていくよりも、これまでの時代の流れを振り返りながら現状を維持する努力を続け、チャンスが訪れたと感じた時に攻める姿勢で前に進めるか。力を蓄えておく時期ともいえる。そしてチャンスが訪れたその際に、即座に陣頭指揮を執れるリーダーを育てておくことも必要だろう。そこで理解しておかなければならないのは、どんなに強いリーダーにも、試行錯誤した時期があったということだ。次代のリーダーになろうとしている人たちを、昔の人と比較してばかりいたらリーダーは育たなくなってしまう。

 これからは、どんな世界でもリーダー候補者に対してもっと温かい目で見てもいいのではないか。いやせめて、「お手並みを拝見してみようか」という視線を向けるべきではないか。少なくとも、何もしていないうちから「彼にはできない」と見るのだけはやめたほうがいい。
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