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   新ブログ 谷藤友彦ー本と飯と中小企業診断士
January 27, 2011

ミドルの暴走を止められなかった日本軍―『日本軍「戦略なき組織」失敗の本質(DHBR2011年1月号)』

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 昨年の12月には届いていたんだけど、すっかりレビューが遅くなっちゃった(汗)やっぱり日本版オリジナルの特集は面白いなぁ。こういう特集は今のところ年1回ぐらいしかないんだけど、もっとやってくれないかなぁ。

求められる「現場感覚」「大局観」「総合的判断力」 戦場のリーダーシップ(野中郁次郎)
 野中教授と言えば、日本企業の知識創造プロセスを「SECIモデル」によって解明したことで知られるが、SECIモデルの研究の後も「知識創造プロセスを牽引するリーダーシップとは何か?」という課題が残っていたそうだ。このテーマを追求した結果たどり着いたのが、アリストテレスの「フロネシス(賢慮:prudence)」というコンセプトである。フロネシスとは、「共通の善(common good)」という価値基準をベースに、一般論ではなく個別具体的な判断を行う力、文脈に即した絶妙な判断を的確なタイミングで下す力を意味する。

 野中教授は、フロネシスを持つリーダー(=フロネティック・リーダー)の要件として、次の6つを挙げている。
(1)善い目的をつくる能力
(2)場をタイムリーにつくる能力
(3)ありのままの現実を直観する能力
(4)直観の本質を概念化する能力
(5)概念を実現する政治力
(6)実践知を組織化する能力、組織に組み込む能力
 その上で、第2次世界大戦の日本の軍人について、彼らがどの程度のフロネシスを持っていたのかを検証している。論文で取り上げられているのは、
 ・栗林忠道(硫黄島の戦いを指揮)
 ・牛島満(沖縄戦を指揮)
 ・牟田口廉也(インパール作戦を立案・指揮)
 ・根本博(ポツダム宣言受諾後のモンゴル撤退をリード)
 ・栗田健男(レイテ沖海戦を指揮)
 ・木村昌福(キスカ島撤退作戦を実行)
の6人である。

 野中教授は、フロネティック・リーダーの6要件がこの順番でリーダーシップのプロセスを形成しているとまでは言っていないが、論文を読む限りは、フロネティック・リーダーは最初に「善い目的」を設定し、後はその実現に向けて政治力と実行力を駆使してひたすら邁進する、と述べているような印象を受ける。

 しかし、「善い目的」はそう簡単に設定できるものではない。栗林や牛島はアメリカ軍の侵攻に対し、どのような思考プロセスを経て「出血持久の戦い」というミッションを掲げたのか?根本はなぜ4万人の居留邦人の保護が最優先課題であると結論づけたのか?

 おそらく、戦闘状況から自ずと導かれる定石や、その時の個別具体的なコンテキストから編み出された作戦などが合わさって複数のオプションが形成され、最後はリーダー自身の価値観によって目的が選択されたものと思われる。しかも、これら一連の作業は1人では成し得ない。断片的ではあるが有益な情報やアドバイスを与えてくれる周囲の人間との関係が欠かせないはずだ。この辺りの考察がもっと欲しかったなぁという感じだ。

 もう1点つけ加えておくと、「リーダーは、ゆるぎない基軸に基づいて意思決定をすることが重要だ」としばしば言われるものの、リーダー自身の価値観は必ずしも事態を好転させるとは限らない。例えば、レイテ沖海戦を指揮した栗田は、「アメリカの艦隊はレイテ湾にいないかもしれない。それならば、輸送船だけで突入するのは意味がない」と考えた。そして最終的には、「海軍は、艦隊同士の戦いで雌雄を決すべきだ」という価値観に従って、戦闘のジャッジメントを下している。

 しかし、これが大きな誤算だった。日本軍は攻撃のタイミングを逸し、逆に空母4隻を始め多数の艦艇を失うことになってしまったのである。以前もこのブログで書いたかもしれないが、「よい価値観とそうでない価値観」を峻別するのは非常に難ししいんだな。

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昭和期陸軍の病理 プロフェッショナリズムの暴走(戸部良一)
 1920年代から陸軍が政治介入を繰り返すようになった理由を、イギリスの比較政治学者、サミュエル・ファイナーの理論を用いて説明した論文。ファイナーによると、軍人が政治介入をするのは以下の3つの理由からだという。
(1)軍人にはもともと政治に介入する内在的な傾向がある。軍人は国家の後見人、国益の守護者を自任しており、彼らが考える国益を政府が軽視ないし無視すると、それを矯正しようとして政治に介入する。

(2)戦争の敗北などによって国家に重大な恥辱が加えられたり、軍人の威信に大きな打撃が与えられたり、軍人が社会から厳しい批判や軽蔑を浴びたりして、軍人の不満や憤激が昂じた時に、政治介入の意欲は大きくなる。

(3)政治体制に対する国民の支持が弱まり、正統性が動揺すると、いよいよ軍人の政治介入が現実化する。
 昭和20年代は、シベリア出兵の失敗をめぐって陸軍への批判が強まり、さらに政権争奪のために与野党が腐敗・汚職の暴露合戦を繰り広げた時代である。この点で、ファイナーが指摘する政治介入の下地ができあがってしまった時代と言える。そして実際に、陸軍による政治介入はテロやクーデター、事実上の組閣権の掌握という形で実現化したのである。

 戸部氏は、日本陸軍の軍事介入がトップではなく中堅幕僚層、つまりミドルによって行われた点がポイントだと指摘する。トップ(陸軍大臣や参謀総長)のリーダーシップが弱かったために中堅レベルに権力が拡散し、ミドル層の中からリーダーシップを発揮しようとする軍人が登場する。しかし、彼らはいまだ特定領域のスペシャリストにすぎず、全体最適の視点を持つことができない。複数のミドルが部分合理性の世界でリーダーシップを発揮しようとすれば、組織が余計に混乱するのは当然である。

 個人的には、ミドル層からリーダーシップが表出すること自体は何ら問題がないと思っている。以前の記事「「大物リーダー」不在の時代はつまらないか?」や「大事なのはリーダーシップのスタイルじゃないということ-『静かなリーダーシップ』」で述べたように、ミドルマネジャー、さらには役職を持たない現場社員の中からボトムアップでリーダーが出現することを私自身も期待している。

 しかしながら、このことがトップのリーダーシップの否定を意味しているわけではない。別の記事「地位パワーがなくてもリーダーシップは発揮できる(1)-『静かなる改革者』」の中では、トップダウンとボトムアップのリーダーシップが交錯する様子を「デュアル・スタンダード・リーダーシップ」と名づけてみた。

 ボトムのリーダーシップは、局所において具体的な変革のオプションを形成する。これに対してトップのリーダーシップは、局所的なリーダーシップが拡散したり相互に対立したりしないように、組織全体が向かうべき基本的な方向性を示す。両者が絶妙な補完関係を形成する時、組織は劇的な飛躍を遂げるように思える。陸軍にとって悲劇だったのは、トップダウンのリーダーシップが不在であったために、中堅層がよかれと思って発揮したリーダーシップが「暴走」に変質してしまったことである。
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