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   新ブログ 谷藤友彦ー本と飯と中小企業診断士
July 12, 2010

「みんなの意見」が案外正しくなるためには、個人が自立していないとダメ

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ジェームズ・スロウィッキー
角川書店
2006-01-31
おすすめ平均:
『投資苑』嫁
この本の要約
集合知 集合愚
posted by Amazon360

 同書の冒頭にも書かれているが、従来は集合知に対して否定的な見解を示す研究が少なくなかった。代表的なものが、ウィリアム・ホワイトが1950年代に「集団思考」と呼んだ現象である。集団で意思決定を行う際に、発言権の強いメンバーが含まれていると、意思決定プロセスの質が下がり、不合理な結論に到達することがある、というものだ。だが、最近ではオープンなネットワークによるイノベーションやシステム開発がそれなりに成功を収めるようになり、集合知は「案外正しい」と認識されつつある。

 しかし、この「案外正しい」という微妙な表現が意味するように、集合的知性が正しく機能するための条件は結構厳しい。同書ではその条件として、(1)多様性、(2)分散性、(3)独立性、(4)集約性という4つを挙げている。(3)独立性とは、「個々の意見が他の意見に影響を受けないこと」を指すが、我々が社会的動物である限り、他者からの影響を完全にシャットアウトすることは非常に難しい。また(4)集約性とは、「様々な意見を1つにまとめ上げる仕組みがあること」を意味するのだが、失敗するオープン・ネットワークはメンバーの意見を取捨選択するガバナンス機能を欠いており、ありとあらゆるアイデアや改善案を盛り込もうとして頓挫する。

 ただし(4)集約性については、同書で解決の方向性がある程度示されている。興味深いことに、「市場原理」を導入することで、正しい集合知を入手できるケースがあるというのだ。例えば、アイオワ大学ビジネスカレッジが運営しているIEMプロジェクトは、アメリカ国内の大統領選、連邦議会選、知事選はもとより、海外各国の選挙に至るまで、あらゆる選挙結果を予測する市場を設けている。

 トレーダーは、各候補者の最終得票率を予測して、先物取引の形で売買を行う。例えば、オバマ氏の最終得票率を50%と予測したら、50セントで「オバマ」という商品を購入するイメージだ(実際のオバマ大統領の最終得票率は52.5%だった)。もしこの市場がうまく機能していれば、各候補者の最終的な取引価格が最終得票率に近くなるはずだ。同書によると、IEMは世論調査より正確な予測をしているという。これはなかなか面白い。

 それならば、企業の意思決定にも市場原理を導入できないものか?例えば、複数の候補者から誰を採用するか、今年のクリスマス商戦にはどの新製品で挑むのか、基幹システムの刷新をどのITベンダーに依頼すればよいか、などといった意思決定は市場原理に委ねることができる。とはいえ、本当にそんなことをしている企業はあるのだろうか?

 いや、あった!ヒューレット・パッカードである。同書によると、HPは1990年代後半にプリンタの売上予測を社内市場で行った。各部門から満遍なく集められた社員が、翌月もしくは翌四半期の売上予測に基づいて株の売買を行う。市場が開設されていた3年の間、この市場の予測は他のメソッドを使った自社の予測よりも75%の割合で正確だったそうだ(現在でもHPが社内市場を使っているかどうかは、残念ながら同書からは解らない)。

 ただし、仮に(4)集約性が上記のような市場原理で解決したとしても、問題なのは(3)独立性である。集約する仕組みが整っていても、集約するための「多様な意見」がないことにはどうしようもない。単に投票するだけの意思決定ならまだしも、選択肢がもっと複雑な場合は(言うまでもなく、実際にはそういうケースの方が圧倒的に多い)、選択肢を洗い出す段階でつまづく可能性がある。

 (3)独立性は、それぞれの意見から他者の影響を排除することを要求するが、前述したように社会的動物である我々がお互いから完全に独立することは極めて困難である。そうなると、もはや「独立であろうとするマインド」に賭けるしかない。端的に言えば、個々人の「自立心」が求められるということだ。会社の会議であれば、それぞれの参加者が他者の考えや批判などに左右されずに、これだという意見を自分で持っていなければならない。

 例え自分の意見が完全にまとまっていなくても、また自分の考えに確信が持てなくても構わない。とにかく、自分の意見を表に出さないことには何も始まらないのだ。「間違いを周囲から責められるのが恐いから」とか、「自分は下っ端の人間だから発言してもムダだ」などと思っていると、会議は簡単に集団思考へと流れていってしまうのである。

 限られた上層部の人間が意思決定を行い、現場はそれを実行するという従来のマネジメントに対して、現場の人間も意思決定の場に加えるという「参画型マネジメント」が時々話題になる。参画型マネジメントのメリットとしては、現場の社員も意思決定に責任を持つことができ、会社へのコミットメント意識が高まる点が挙げられる。

 しかし、ただ闇雲に意思決定の場に社員が参加すればOKかというと、そんなことはない。意思決定の場に「参加するだけ」なのなら、むしろ参加しない方がマシである。発言しないメンバーがいる会議ほど面白くないものはないからだ。意思決定の場に加わるからには、上層部に物申すぐらいの気持ちで自分の意見をびしっと言えないとダメである(もちろん、上層部にはそういう現場社員の態度を受け入れる寛容さが必要だが)。

 参画型マネジメントの本質は、上層部が気づかなかったような視点を現場の社員が提示することにある。上層部の人が何と言おうと、「私はこういう考えを持って普段から仕事をしている」とか、「現場では今こういうことが起こっている」、「競合他社はこんな手を使ってきている」などと毅然とした態度で言える社員がいると、議論は多少混乱するものの、最終的には意思決定の質の向上につながる。自立心ある現場社員の存在があってこそ、参画型マネジメントは集合的知性の恩恵を受けることができると言える。
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