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July 01, 2010
ピーター・センゲのU理論を再解釈してみた(1)−『出現する未来』
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数年前に書店で初めて見た時は、「何と胡散臭いタイトルの本なんだろう?ピーター・センゲはせっかく『最強組織の法則』で有名になったのに、どこかで歯車が狂ったのか?」と思ったものだが、狂っていたのは私の思考の方だった。デビッド・ボームの『ダイアローグ−対立から共生へ、議論から対話へ』、ジョセフ・ジャウォースキーの『シンクロニシティ』とこの本はかなり密接に関連している(ジャウォースキー自身も『出現する未来』の共著者)。『シンクロニシティ』のあとがきの中で、金井先生が次のように述べていることが契機となり、この本をちゃんと読むことを決心した。
ジャウォースキーの行動パターンを見ていると、米国の心理学のリチャード・シャームなら「自己原因性」、わが国の経営者で養蜂家の佐藤満さんなら、「原因自分論」という面も伴いつつ、偶然の連鎖を生み出しているように思える。本書で強いコミットメントを強調していることからも、共時性だからといって、百パーセント偶然ではないのだ。著者(=ジャウォースキー)自身は、このあたりを現在では、Uプロセス理論にまで高めている。『出現する未来』は、この「Uプロセス理論」を解説した本である。ベースには、最近何度もこのブログに登場する、デビッド・ボームのホログラフィー宇宙モデルの仮説が横たわっている。Uプロセスとは、変革を起こすリーダーシップのプロセスとも言えるが、同書では次の3ステップから成り立つと説明されている。
(1)センシング(Sensing)しかし、これだとあまりにも抽象的すぎて何のこっちゃ解らんので(汗)、同書で紹介されている実例やそれに対するセンゲらの解説を基に、U理論のプロセスをさらに8つの細かいプロセスに分けてみることにした。
「ひたすら見る」−世界と一体になる
(2)プレゼンシング(Presensing)
「後ろに下がって内省する」−内なる知が浮かび上がるようにする
(3)リアライジング(Realizing)
「流れるように自然に素早く動く」
(1)現実の直視
月並みな表現ではあるが、変革は現実の直視からスタートする。しかし、現実をありのままに見ることは、簡単なようで非常に難しい。我々には無意識のうちに自分が好む情報を取捨選択する傾向がある。ある心理学の実験で、死刑賛成派と反対派それぞれに、死刑に賛成する論文と反対する論文を同じ数だけ読ませた。すると、死刑賛成派はますます賛成の立場を強くし、同じように死刑反対派はますます反対の立場を強くしたという。同書でも次のように述べられている。
人は、目に見えるものを直接的で間違いのないものだと考える。目の前にあるテーブルや本、言葉や文章。だが、そこには、つねに「見えているもの」以上の何かがある。(中略)何かを目にする瞬間、ほんの少し立ち止まれば、行動と経験、過去と現在が溶け合う交響曲がその裏にあることに気づき、それを味わうことができる。だが、ふだんは、交響曲のうち、ひとつかふたつの音しか聞いていない。そして、それは、いちばん耳に馴染んだ音なのだ。思い込みや前提、ステレオタイプを捨てて、真っ白なマインドで現実世界をじっくりと観察する。五感で感じたものに対し即座に判断を加えるのではなく、ただひたすら観察を続ける。これが第一段階である。
(2)矛盾との対峙
現実の直視は新鮮な驚きや感動を与えてくれる一方で、今までの自分の理解を超えた事実の発見をもたらす。そのような事実を目の当たりにすると、我々は「何となくおかしい」、「うまく咀嚼できずむず痒い」という違和感を覚える。あるいは、「これはおかしいのではないか」、「こんなことは馬鹿げている」という攻撃的で怒りに満ちた感情が湧き上がってくる。
だが、以前の記事「感情は問題提起のサインである」でも書いたように、こうした感情の変化は、我々が何らかの問題に直面していることを知らせてくれる重要な合図である。もちろん、決して気持ちのいいことではない。だからといって、マイナスの感情を抑え込むように反射的な態度で臨むと、解決方法を誤ってしまう(曹操に敗れた袁紹のように)。大切なことは、感情の変動に敏感になること、そして、この後に続く問題解決と変革のプロセスに向けた心の準備を入念に行うことである。
(3)与えられた価値観の引き剥がし
表面的に矛盾する出来事の深層には、人々の異なる価値観が存在する。人が何らかの矛盾を感じる時というのは、自分の価値観が別(他者)の価値観によって試されている瞬間でもある。我々は、矛盾との対峙をきっかけに、自らの価値観の見直しをスタートさせる。
価値観は人間のアイデンティティと深く結びついた非常に重要な要素である。しかし、よく見ていくと、a)自分自身が経験の中で体得したものと、b)周囲の人間や組織から知らず知らずのうちに刷り込まれたものの2種類が混在している。多くの人は、普段の生活の中でこの2種類の区別を意識することはまずない。現実の矛盾が個人の価値観に厳しい試練を迫る時、人は初めて2種類の価値観を峻別して考えるようになる。
「日本資本主義の父」と呼ばれた大実業家・渋沢栄一も、若い頃は幕末の世の中を支配していた尊王攘夷の空気の影響で、攘夷に傾いていた。横浜焼き討ちを計画するなど、後の穏やかな性格からは想像できない過激な行動も行っている。ところが、攘夷の考えに支配された渋沢の価値観は、様々な矛盾と対峙する中で大きく揺らぐこととなる。
渋沢が仕官した一橋家では、慶喜(後の徳川慶喜)が写真の趣味にはまっているのを見かける。幕府が外国から攻められるかもしれないという大事な時に、慶喜は外国文化に感化されつつあったのだ。さらに、攘夷思想の持ち主であったはずの西郷隆盛は、当時の日本人にはまだ食べる習慣がなかった豚肉料理で渋沢をもてなした。西洋人と同じ物を食べなければ西洋人には勝てない、というのが西郷の言い分らしい。純粋な攘夷派の人間であれば、西郷を常軌を逸した人物と看做しただろう。
一方で、教条的に尊皇攘夷を掲げて反旗を翻した連中は、次々と死んで行った。しかも、本来なら彼らをかくまってしかるべき慶喜ですら、彼らを弾圧したのだ。こうした動乱の中で、渋沢は完全に拠りどころとなる価値観を見失ってしまったのである。
自分が大切だと思っていたはずの価値観を引き剥がされるのは、矛盾を発見すること以上に不快な経験である。「ネットワーク経済論」を生み出した経済学者のブライアン・アーサーは、ある中国人の道教の先生と出会った際、研究者としての人生の価値観がひっくり返るくらいの言葉をぶつけられ、激高した。しかし、アーサーは即座に香港に引っ越して、道教の先生に弟子入りしたという。
アーサーは、思考の流れが遮られたその瞬間、自分にとて大きな意味をもつことになる旅、見るとはどういうことかを学ぶ旅の始まりを感じ取った。旅に乗り出し、旅を続けるには必要なものがある。当たり前だと思っているものの見方や世界観が崩れる「深い混迷」の瞬間を、幾度となく受け入れようとする意思である。((4)以降は次回の記事で)
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