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June 21, 2010
今も昔も教育問題は全然変わっていないことにショック−『論語と算盤』
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渋沢栄一の『論語と算盤』を読んでいて1つ気づいたことがある。それは、渋沢が指摘する教育問題と現代の教育問題に驚くほど共通点が多いということである。以下に挙げる引用文を現代語訳にして、著者名を隠したまま他人に読ませたとしても、よもやそれが明治・大正の文章だとは気づかないだろう。それぐらい、教育問題は全く変わっていないのである。これは結構ショックなことであった。
(1)知識詰め込みで道徳が欠如している
昔の青年は自然と身を修むると共に、常に天下国家の事を憂い、朴実にして廉恥を重んじ、信義を貴ぶという気風が盛んであった、これに反して、現今の教育は智育を重んずるの結果、既に小学校の時代から多くの学科を学び、さらに中学大学に進んでますます多くの智識を積むけれど、精神の修養を等閑に附して心の学問に力を尽くさないから、青年の品性は大いに憂うべきところがある70年代に最高潮に達した知識詰め込み教育は、過当な受験競争を引き起こしているとの批判を受けて80年代から徐々に緩和され、2002年度からはご存知の通り新学習指導要領に基づく「ゆとり教育」が実施された。ところが、今度は知識量を減らしすぎと各方面からの不満の声が噴出し、わずか7年ほどで文科省はゆとり教育の方針転換を決めた。先日も、「小学校の教科書に縄文時代が復活」したことがちょっとした話題になった。
こうした戦後教育の流れを追っていくと、主として「知識をどこまで教えるか?」という点にスポットが当たっており、渋沢のいう「信義を貴ぶ」ということ、現代風に言えば倫理観、道徳観を養うことについては、わずかに「道徳」という科目が残るに留まり、あまり重視されてこなかったと言わざるを得ない。
しかも道徳の授業は、他の主要教科の「バッファ」みたいな役割を持っていて、テスト直前にある科目の授業数が足りなくなると、道徳の時間をその科目の授業に充当することがしばしばあった(私の学校生活を思い返す限り、の話ではあるが)。
一方、戦前教育において渋沢が憂うように道徳教育が全く行われなかったかというと、そうではない。道徳教育は「徳目教育」という名の下で実施されていた。徳目教育とは、道徳を正義・勇気・親切といった徳目として列挙し、それらの徳目の一つ一つを教えることによって道徳性の形成を図る教育である。
1890年の教育勅語によって「修身科」が正式な科目となり、第2次世界大戦が終結するまで「修身教科書」という教科書が用いられていた。この教科書は、最初に徳目を掲げ、次にその徳目を具体的に理解させるための例話や寓話を紹介するという構成であったようだ。
だが、徳目教育はその性質上どうしても形式的、抽象的なものになりがちで、子供たちの実生活から遊離してしまうという欠点があった。それが理由かどうか解からないが(おそらくは徳目教育が行き過ぎた国粋主義へと子供たちを導き、戦争に加担させることになったという左派からの批判を受けてだと思うが)、戦後になって修身教科書は姿を消したのである。
「それでは倫理観や道徳観をどう養うのか?」という問いに答えるのはなかなか難しいが、道徳はやはり実生活の体験を通じて心身に浸透するものであると思う。総合教育はそういう役割を持っていたはずだとこのブログでも何度か書いたが、その効果は検証されておらず、さらに今回のゆとり教育方針転換によって、先行きがさらに不透明になっているのが心配される。
「個性を伸ばす前にやるべきことがある−『ゆとり教育が日本を滅ぼす』」
「「覚える力」と「考える力」を伸ばすためには?−『ゆとり教育が日本を滅ぼす』」
「「ミスター文部省」寺脇氏の理想と現実のギャップが垣間見えた−『それでも、ゆとり教育は間違っていない』」
(2)教師が生徒から全く尊敬されていない
現代青年の師弟関係は、まったく乱れてしまって、美(うる)わしい師弟の情宜に乏しいのは寒心の至りである、今の青年は自分の師匠を尊敬しておらぬ、学校の生徒のごときは、その教師を観ること、あたかも落語師か講談師かのごとく、講義が下手だとか、解釈が拙劣であるとか、生徒して有るまじきことを口にしている、これは一面より観れば、学科の制度が昔と異なり、多くの教師に接する為であろうが、総て今の師弟の関係は乱れている、同時に教師もまたその師弟を愛しておらぬという嫌いもあるのである渋沢は江戸時代の麗しき師弟関係と比較しながら、学校における教師と生徒の関係の乱れを嘆いている。これは現代でも言えることだ。杉並区立和田中学校の元校長である藤原和博氏は『公教育の未来』という著書の中で、親の学歴が先生の学歴を上回ってしまい、まず親が先生を尊敬しなくなっている、そしてそれを見た子どもも先生を尊敬しない、といった記述を行っている。教育現場の実態を校長という立場から肌身で感じているはずだから、この指摘には一理あるだろう。
しかしながら、先生の学歴が真の問題であるならば、問題解決のためには全ての先生を東大出身者(あるいはハーバード大出身者?)に限定しなければならない。これはあまりに非現実的である。渋沢はこの問題に対して具体的な解を述べていないが、真の解決策は先生自身が「徳ある人物」になることではないか?と私は考える。
現在の教師の多くは教育学部の出身である。ところが、教育学部で彼ら彼女らが学ぶことは、効果的な指導方法や学習に関する心理学など、知識面に偏っている。さらに、彼ら彼女ら自身が、小中高を通じて知識偏重の教育を受けて育っている。総じて、教師自身が道徳観や倫理観を身につける(それも人一倍!)機会が欠けているのが現状である。
(3)産業界の多様なニーズに合った人材を育成していない
社会は千篇一律のものでは無い、従ってこれに要する人物には色々の種類が必要で、高ければ一会社の社長たる人物、卑(ひ)くければ使丁(してい)たり車夫たる人物も必要である、人を使役する側の人は少数なるに対し、人に使役される人は無限の需要がある、されば学生がこの需要多き、人に使役さるる側の人物たらんと志しさえすれば、今日の社会といえどもまだ人物に過剰を生ずるような事はあるまいと考える、しかるに今日の学生の一般は、その少数としか必要とされない、人を使役する側の人物たらんと志しておる、つまり学問して高尚な理窟を知って来たから、馬鹿らしくて人の下などに使われることは出来ないようになってしまっておる、同時に教育の方針もまた若干その意義を取り違え、無暗に詰込主義の智識教育で能事足れるとするから、同一類型の人物ばかり出来上がり、精神修養を閑却した悲しさには、人に屈するということを知らぬので、いたずらに気位ばかり高くなって行くのだ渋沢の「人を使役する側−人に使役さるる側」という区分は「世の中には2種類の人間がいる。支配する側と支配される側だ。」という言葉を想起させるのでちょっと心理的抵抗があるのだが、要するに教育界は平均的な人間ばかりを作り上げており、産業界が必要とする人材を育成していないことを渋沢は非難しているわけである。
だが、皮肉にも大量生産・大量消費の時代には「平均的な人間」ほど必要とされ、彼ら彼女らの労働力・消費力が戦後日本の急成長を支えてきた。そのため、渋沢の問題意識はさほど顧みられなかったように思う。むしろ、市場が成熟化・多様化した現代の方が渋沢の言葉は重みを持つ。今の産業界が必要としているのは、単に「人を使役する側−人に使役さるる側」という二分論を超えて、世の中に数多存在する職業の人材ニーズを埋められるだけの多種多様な人間である。
渋沢は、小学校を卒業したら専門教育に進んで実務的な技術を学ぶべきだと進言している。確かに、生まれてから就職するまでの20数年の間に職業意識を醸成し、多少の技術的なスキルを習得することは重要であろう。ただ、渋沢の時代と現代が大きく違うのは、生涯を一つの職業で全うすることが難しくなっている点だ。
企業を取り巻く環境変化によって事業構造が変わると、意図せぬ形で今までとは違う仕事に就くビジネスパーソンが増えてくる。彼ら彼女らは新しい知識やスキル、さらに道徳観や価値観を習得する必要性に迫られる。この課題を解決するのが本来の「生涯学習」であり(「「ミスター文部省」寺脇氏の理想と現実のギャップが垣間見えた−『それでも、ゆとり教育は間違っていない』」を参照)、産学間の連携による生涯学習のためのインフラ投資がこれからますます重要になるはずである。
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