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June 15, 2010
民主型リーダーシップの本としての『シンクロニシティ−未来をつくるリーダーシップ』
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(昨日の続き)
(2)リーダーシップの本として
それでは、ジャウォースキーが目指したリーダーシップとは何だったのか?残念ながら、本書にはALFの詳細な活動内容については書かれていない。だが、当時のアメリカの新聞雑誌が問題視していたのは、「多くの人が地域社会や国家への奉仕から遠ざかる」という現象であり、「自分のことにばかり夢中になっている」国民のありさまであった。つまり、極端に個人主義が強くなり、全体とのつながりが希薄化していたということである。
リーダーシップは個人の目を地域社会や国家に向けさせ、分断化されたパーツを統合された全体性の次元へと高めるために機能しなければならない。勘のいい人ならここで気づくだろう。そう、ボームの「内蔵秩序」の概念がリーダーシップ再生のカギを握っているのである。
「実際、きみ(※ボームがジャウォースキーを指して「きみ」と呼んでいる)という人間そのものが人類の全体だ。そしてそれこそが、内蔵秩序の概念であり、あらゆるものはあらゆるものの中に含まれるということなんだ。すべての過去がとても巧妙にわれわれ一人ひとりのなかに含まれている。もし自分自身のなかに深く手を伸ばすなら、人類の本質に到達することになる。そして、意識の根源的な深みへと−人類の全体にとって共通であり、人類の全体がそのなかに含まれる、意識の根源的な深みへと導かれることになる。(中略)われわれはみなつながっている。もしそのことを教えることができるなら、そして人々が理解できるなら、われわれは新しい意識を持つことになるだろう。」古典的なリーダーシップである「状況適応型リーダーシップ」は、もっぱら上司と部下の関係を扱っていた。この理論では、タスクの難易度や部下の習熟度などのパラメータによって、適切なリーダーシップスタイルが規定されるとされた。
ここ20年ぐらいは、ジョン・コッターに代表されるような「変革型リーダーシップ」が注目を集めるようになった。変革型リーダーシップでは、強力なパワーを持つ特定の人が大胆なビジョンを掲げ、トップダウンでそれを実現させるイメージが強い。
これらに対して、ボームの考えを下地としてジャウォースキーらがALFで目指した新しいリーダーシップは、「民主型リーダーシップ」と呼べるだろう(本書の中でこの名称が使われているわけではなく、私が勝手にそう名づけた)。民主型リーダーシップは次のような特徴を持つと私は理解している。
・複数のリーダーが存在する。しかも、どのリーダーも傑出した才能を持つことは求められておらず、ごくごく平凡な人間の集まりである。
・それぞれのリーダーは、各々の内なる声(=自分らしい価値観)に耳を傾ける。
・誰もが皆同じ全体に属しているという前提に立つ(「内蔵秩序」の考え方に基づく)。
・そのため、一見無関係に見える課題は相互にリンクしており、相互連鎖的に解決を図ることができる。
・リーダーたちが意識の根源的な深みのレベルに到達することができれば、未来は自ずと出現する。
・未来は、リーダーたちの意思によって創造することができる。
・リーダーたちの強い意思は、「シンクロニシティ」を呼び込む(フランスの生物学者、ルイ・パスツールの言葉を借りれば、「偶然は、準備のない者に微笑まない」)。
もちろん、ここで述べた「民主型リーダーシップ」の整理はまだまだ甘いと自分でも自覚している。以前の記事「ダイアローグの4プロセスを整理してみた−『ダイアローグ−対立から共生へ、議論から対話へ』」でも、自分で書きながら音を上げそうになったぐらいだ。
民主型リーダーシップを、「どうせ欧米のリーダーシップだから、日本には合わないだろう」と決めつけることは許されない。なぜなら、この新しいリーダーシップの根底にあるのは、実は東洋思想(とりわけ仏教)だからだ。後年のボームは東洋思想に深く傾倒していた。ならば、我々日本人こそが、新しいリーダーシップの「あり方」を先頭に立って探求する義務があると思うのである。
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