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June 01, 2010
これは宗教なのか?科学なのか?−『ダイアローグ−対立から共生へ、議論から対話へ』
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最近の欧米のリーダーシップ論には、しばしばデビッド・ボームの名前が登場する。しかし、ボームは経営学者ではない。量子力学の発展に多大なる貢献をした物理学者である。ボームはキャリアの後半において、物理学の枠を超え、現代社会の様々な問題に対する思索と提言を行っている。この本もその1つである。
本の内容はタイトルの通り、「ダイアローグ」つまり「対話」の重要性について書かれたものである。だが、ダイアローグの中身に入る前に、ボームの思想的基盤を整理しておくことが有益だと思う。
冒頭でも述べたように、ボームは物理学者である。ボームが学者としてのキャリアを歩み始めた頃の自然科学界を支配していたのは、依然としてデカルトやニュートンの思想であった。つまり、「物事を細かく分けていけばいくほど、本質にたどり着きやすくなる」といった要素還元主義や、「精神と物質は分けて考える」という物心二分論に代表されるような二元論である。
ところが、ハイゼンベルクやシュレディンガーらの研究によって、デカルト=ニュートン的世界観では説明できない事実が次々と発見される。ニュートン力学に従えば、あらゆる物体の初期条件が測定できれば、その後の運動(位置と運動量)を完全に記述することができるはずだ。しかし、実際には原子や分子、電子、素粒子などの非常に小さなスケールの現象を扱うと、粒子の位置と運動量を同時に測定することはできない。
また、原子や電子が粒子としての特徴を持つと同時に波としての特徴を持つことが解り、さらに光や電波のような電磁波も、波としての性質と粒子としての性質を同時に有することも判明した。こうなると、要素還元主義も二元論も役に立たない。ここに新たな物理学の領域として「量子力学」が誕生したのである。
ボーム自身も、プラズマ現象を発展させた「ボーム拡散」という電子現象の発見や、アインシュタインとの共同研究などを通じて、量子力学に大きな功績を残している。だが、ボームはオーソドックスな量子力学へのアプローチに満足できなくなり、「ボーム解釈」という彼なりのアプローチを生み出した。その予想は、後に「非決定的量子理論」として受け入れられることとなる。
その後ボームは、1970年代に入ってから「ホログラフィー宇宙モデル」という大胆な仮説を提唱する。宇宙は二重構造になっており、我々がよく知っている物質的な宇宙の背後に、「もうひとつの見えない宇宙」が存在するという仮説である。目に見える物質的な宇宙を「明在系(顕前秩序)」、もうひとつの目に見えない宇宙を「暗在系(内臓秩序)」と呼ぶ。
そしてここからが非常に重要なポイントなのだが、「『暗在系』では『明在系』のすべての物質、精神、時間、空間などが全体としてたたみ込まれており、分離不可能である」とボームは言うのである。この法則を、宇宙という次元を離れて一般的な言葉で表現するならば、「全体を構成するいかなる部分を取り出しても、その全体に関する情報が入っている」ということになる。
全体を構成するいかなる部分を取り出しても、その全体に関する情報が入っている−つまり、部分は全体であり、全体は部分でもある。従来のデカルト=ニュートン的世界観とは全く異なる世界観である。
興味深いことに、こうしたボームの考え方はすでに東洋の思想の中に見られる。例えば、世界最古の仏教哲学であるウパニシャッド哲学・バラモン教の「ヴェーダ経典」に書かれているところの「一即多(一(神)からすべてが生じた)」や、禅の世界で言うところの「一即一切(一つのことが全体につながっている)」という教えがそうである。
さらに、華厳経の経典には、「極小世界は同時に極大世界であると知り、極大世界は同時に極小世界であると知り、少しの世界は多くの世界、多くの世界は少しの世界、広い世界は狭い世界であると同時に、狭い世界は広い世界であると知り、一つの世界は無限の世界で、無限の世界は一つの世界であり・・・」という文章があり(※1)、ホログラフィー宇宙モデルとの共通点をはっきりと見て取れる。
ボームだけでなく、現代物理学者の中には、晩年になると東洋的な宗教に傾倒する人が多かったと言われる。ボーム以外にも、アインシュタイン、ボーア、ハイゼンベルク、シュレディンガーらが東洋思想に強い関心を寄せたそうだ。彼らが研究対象とした世界が東洋的な世界観に極めて近いことが、彼らを東洋思想へと引き寄せたのは間違いないだろう。
以上のようなボームの思想的背景があってこの本が書かれているのだが、本題である「ダイアローグ」の中身については次回の記事で書くことにしよう。
《補足》
「欧米のリーダーシップ論の中に東洋的な思想が出てきたということは、キリスト教の影響力が弱まったのか?」という疑問が出てくるが、これは必ずしもYesとは言えない。ケン・ブランチャードはキリスト教の「愛」という言葉によってリーダーシップを説明しようとしているし、「サーバント・リーダーシップ(奉仕型リーダーシップ)」は「奉仕」というまさにキリスト教の基本的な教えに基づくリーダーシップである。
そもそも、「東洋思想と西洋思想は相反するのか?」というかなり根本的な問いに少しだけ立ち入ってみると、確かに両者には大きな違いはあるものの、共通点も見つかる。例えば、ケルト思想( アイルランドを代表とした地域における、キリスト教が普及する以前の土着の思想)には「輪廻転生」が存在するという(※2)。
さらに、キリスト教にも「全体と一部を分離しない」という考え方はある。「セルフ」に対する「ハイヤー・セルフ」という言葉がそうだ。「ハイヤーセルフ」とは、いわば自己を超越した存在=神のことである。ハイヤー・セルフの中の各部分はお互いに切り離すことができない。そして、ハイヤー・セルフの自己表現の形が人間であり、その人間もまたお互いに分離してはおらず、全体としてつながっているというのである。
「宗教とリーダーシップ」という題名で本が書けたら相当面白いだろうなぁと思うが、かなりの調査と思考が必要になりそうなので、しばらくはアイデアだけあたため続けておくことにしよう。
(※1)「慧智和尚の辻説法」(http://www.ryobo.org/bbs/)より引用(リンク先は2010年6月1日に確認済み)。
(※2)「環境思想|環境と品質のためのデータサイエンス」(http://heartland.geocities.jp/ecodata222/ed/edj2-1-4-1.html)を参照(リンク先は2010年6月1日に確認済み)。
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