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   新ブログ 谷藤友彦ー本と飯と中小企業診断士
May 21, 2010

リーダーは「アジェンダ設定」と「ネットワーキング」を行ったり来たり−『ビジネス・リーダー論』

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ジョン P.コッター
ダイヤモンド社
2009-03-13
おすすめ平均:
納得感のある一冊
GMの仕事
実証研究は高く評価
posted by Amazon360

 昔、「マネジメントとリーダーシップの違いを自分なりにまとめてみた」という記事で、両者の違いを次のようにまとめた。まず、いずれも「課題関連行動」と「人間関係行動」(ジョン・コッターの言葉を借りれば、「アジェンダ設定」と「ネットワーキング」)の2つの行動から構成されるという前提に立った上で、
マネジメント=(課題の演繹的設定+課題実現のための経営資源の配分)
 ×(社員に対する十分な説明を通じた課題の正当性の証明+タスクと個人の動機の適合)
リーダーシップ=(課題の帰納的設定+課題実現のための経営資源の新結合)
 ×(社員との対話を通じた課題の正当性の獲得+新しいタスクを社員に課すための社員の動機の昇華)
 という違いがあると整理した。

 この記事を書いた後に、読者から「アジェンダ設定ができた段階で、ある程度ネットワーキングもできていると思う」といった指摘を受けた。確かにこれはその通りだ。

 マネジメントの場合は、「課題の演繹的設定」⇒「社員に対する課題の説明」⇒「タスクの切り分けに伴う資源の配分」⇒「タスクと個人の動機の適合」といった論理的な順序がある程度存在するように思える。これに対して、優れたリーダーは「課題関連行動(アジェンダ設定)」と「人間関係行動(ネットワーキング)」をあえて区別しない。

 ジョン・コッターの『ビジネス・リーダー論』を読むとその点が非常によく解る。この本は、ゼネラルマネジャーのフィールド調査を通じて、彼らの職務の特徴を明らかにしたものである。同書の調査は、1976年から81年にかけて実施された。全米各地の9社から15人のゼネラルマネジャーを選び出し、実際に彼らにぴったりと張り付いて仕事の内容を詳細に記録し、時にインタビューを交えながら彼らの業務の実態を紐解いていった。

 この調査で得られたデータを分析するのに、パートタイムながら2年以上の時間がかかったという。恐ろしく気の遠くなるようなフィールド調査だ。しかも、研究を開始した1976年時点で、コッターはまだ29歳というのだからもう脱帽である。ただ、この調査は相当大変だったようで、コッターは同書の最後の方でこんなことを書いている。
 若い研究者が長期的な研究プロジェクトに従事するには、時間も足りないし励みとなるものもない。事業組織における報奨制度のように、学界でのそれも短期的指標に偏りがちである。研究時間のすべてをフィールド調査に費やすような准教授に、大学の審査でで昇進の最低必要条件である論文・著書のリストは提出できないであろう。
 といいつつも、1980年にコッターは当時としては史上最年少の33歳でハーバード大学の正教授に就任している。恐るべしコッター。その仕事量にはもはや感服せざるを得ない。

 話が逸れてしまったが、コッターのこの本を読むと、リーダーは「アジェンダ設定」と「ネットワーキング」を行ったり来たりしていることが解る。企業が何らかの変革を必要としている時、リーダーは外部・内部環境の現状に関する情報や、現状を打破するアイデアの欠片を誰かから手に入れたいと思うものである。そうすれば必然的に、公式・非公式を問わず、リーダーは組織内のあらゆる人たちにアプローチするよう動機づけられる。

 こうしてネットワーキングを形成しつつ、リーダーは彼らの意見を集約し、自らの見解を補いながら変革の実現に向けた課題を導き出す。この段階で、すでにリーダーと接触を持った人たちは、リーダーとの対話を通じてある程度課題に対して賛同しているものである。その意味では、アジェンダ設定とネットワーキングが部分的に同時進行していると言っていいかもしれない。

 しかし、他方で課題の内容をまだ知らない人たちにとっては、自分たちのこれまでの仕事をひっくり返してしまうかもしれない新たな課題に難色を示す可能性もある。そこで再びネットワーキングに走る。反対派や懐疑派がどこにいるのかを突き止めて彼らとの接触を試み、この課題がなぜ今必要なのかを熱心に説くとともに、彼らの不安や怒りにも耳を傾け、彼らを受容する懐の深さも見せる必要がある。

 もちろん、反対派の言い分を全て聞き入れることはできない。合理的な要求と非合理的な要求を区別して後者を却下し、前者をどのように課題に取り入れるのかをリーダーは検討する。ここで再び、ネットワーキングからアジェンダ設定にブーメランのように戻ってくるのである。こうした行きつ戻りつを繰り返しながら、社員の大多数が合意できる課題を設定する(全員が賛同できる課題を設定するのは、基本的にはムリである)。

 こうして何とか課題については賛同を得られたとしても、それを実行する段階になると再び様々な問題が噴出してくる。いわゆる「総論賛成、各論反対」の状態である。仮にリーダーが課題を実現するためのプランとして、新しい業務プロセスや組織をデザインしたり、逆に廃止する業務や組織を決めたりしても、それがすんなり現場に受け入れられることは稀だろう。

 そこで再びネットワーキングに奔走する。特に、新しい業務を受け持つことに対する動揺や、これまで慣れ親しんだ組織を離れることに対する抵抗を感じる人たちとは密なコミュニケーションが求められる。リーダーは「皆さんが合意した課題から論理的に導き出されるタスクを考えれば、自ずとこうなります」と言って、プランを押し付けたくなるかもしれないが、そこはぐっと我慢しなければならない。

 彼らが動揺や抵抗を感じるのにはそれなりの理由があるに違いない。例えば、リーダーが本来考慮すべき現場の細かい実情を汲み取っていないのかもしれない。あるいは、リーダーのプランでは現場のリスクが過小評価されているのかもしれない。現場との緻密な、そして根気のいる調整を経て、経営資源の再結合のプランを精緻化していく。

 と同時に、彼らの個人的な動機をより高次の次元へと昇華させることも忘れてはならない。社員がそれぞれ抱いている動機や価値観を尊重しつつも、それが今の経営環境では通用しなくなりつつあることを宣告するのがリーダーである。残酷と思われても、それができなければリーダーとは言えない。

 その上で、今回の変革が短期的には社員に苦しみを与えるかもしれないが、長期的には必ず報われることを社員と約束する。そして、変革のために自らが率先垂範して行動すること、さらに変革に立ち向かう社員に対して最大限のサポートを行うことを宣言する。ここでもまた、アジェンダ設定とネットワーキングは同時進行的に進んでいる。

 アジェンダ設定とネットワーキングが同時かつ複雑に進行しているため、傍から見るとリーダーの行動は非常に非効率的に見える。しかし、これはリーダーが置かれている状況を考えれば当然の行動であって、コッターも「非効率という効率」と呼んでいる。リーダーとは、こうしたファジーな状況に耐えうる知覚と忍耐力を必要とする職務であると言える。
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