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May 11, 2010

「ミスター文部省」寺脇氏の理想と現実のギャップが垣間見えた−『それでも、ゆとり教育は間違っていない』

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寺脇 研
扶桑社
2007-09-27
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くだらない男だ。
東大出ても…
心底がっかりした
posted by Amazon360

 「ゆとり教育が方針転換しているというのに、何を今さらこんな本を…」という声が聞こえてきそうだが、ゆとり教育があれだけ批判された中で、「ミスター文部省」こと寺脇研氏がなぜゆとり教育を支持し、推進したのか、その理由が知りたくて読んでみた。Amazonの書評はぼろくそだなぁ。だが、読めば読むほど寺脇氏の教育に対する理想と現実のギャップが見えてくる1冊であり、ミソクソの評価を受けるのもむべなるかな、という気がした。

 寺脇氏が理想としている教育は実はかなり広範に渡っていて、ざっくりと整理すれば次の3点に集約されると考えられる。

(1)高校までの間に子どもに価値観を持たせ、「何となく」という理由での大学進学を防ぐ
 高校生までに身につけるべき価値観には次の2つがある。1つは、世の中で他者とともに生きるために必要な規範やルール、倫理や道徳観といった「社会の価値観」であり、もう1つは将来的に自分の仕事を選択する基準となる「職業観」である。こうした価値観を醸成することで社会への適応能力を高め、明確な理由をもった大学進学を可能にする。

(2)大学では自主性を伸ばし、就職に備える
 主体的な動機を持って大学に入学した学生は、今度は実際に企業で働くための準備に入る。バブル期に見られた、「企業から引き手数多だから、就職活動なんて適当にやっていても数十社から内定がもらえる」などというのはもはや幻である。学生は学問、多様な他者との交わり、アルバイトやサークル活動、ボランティア活動などを通じて、「自分がやりたいこと」を探求すると同時に、いわゆる「社会人基礎力」を磨いていく。

(3)「人生80年時代」に備え、生涯学び続ける環境を作る
 平均寿命が80歳を超える時代では、定年後の暮らしを年金だけに頼るのはもはや苦しい。働く意欲と能力がある人は、おそらく定年後も働き続けなければならない。それが定年まで勤めた会社であるか、別の会社であるか、はたまたNPOやコミュニティ活動であるかは解らないが、とにかく多くの人はセカンドキャリアを歩むことになる。生涯に渡って現役でいられるための学習環境を整備することも、行政の重要な役割となる。

 しかし、実際に起こっているのは次のようなことだ。

(1)総合学習は現場丸投げで、結局中身も成果も解らない
 知識詰め込み型学習への反省から学習内容を削減し、その代わりに上記で述べた「価値観」をはぐくむための時間として「総合学習」が取り入れられた。同書にはいくつかの事例も紹介されている。

 ・毎日新聞の記者派遣制度=記者が学校に出向き、自らの取材体験を生徒に語るとともに、ホットな時事問題をめぐって生徒と議論する。
 ・伊那小学校(長野)=生徒が山羊を飼育する体験を通じて、生命に触れる。
 ・大久保小学校(東京・新宿)=障害者や外国人にとって暮らしやすい街づくりを考える(障害者・外国人へのインタビューを含む)。

 また、総合学習ではないが、それに近いものとして、行政や地域住民が行っている取組みも取り上げられている。

 ・ステューデント・シティ(京都)=京都市教育委員会と経済教育団体「ジュニア・アチーブメント」が廃校となった中学校の校舎を改築して「京都まなびの街生き方探求館」を設立。区役所やショップなどを擬似的に配置した空間の中で、子どもたちは職業体験をすることができる(キッザニアのようなイメージ)。
 ・プレーパーク事業(東京・世田谷)=子どもたちが自分の責任で自由に遊べる空間を用意。資金と場所は世田谷区が用意し、運営は「NPO法人プレーパークせたがや」と地域住民の有志で構成される「プレーパーク世話人会」が担っている。

 面白いことに、以前紹介した『ゆとり教育が日本を滅ぼす』でも、上記と似たような取組みが素晴らしい教育として紹介されている。ゆとり教育反対派も推進派も、なぜかここは意見が一致しているのだから不思議だ。

 とはいえ、推進派・反対派がともに称賛するような優れた取組みを行っている学校は少数派であり、総合学習の実態ははっきり言ってよく解らない。これには「総合学習の現場丸投げ」が間違いなく影響している。一般論として、教育は地方に任せるのが原則とされる。しかし、それは建前上の話であって、実際には文科省が定める「学習指導要領」が絶対的な拘束力を持っており、学校も教師もこれに従わざるを得ない。事実上の中央集権なのである。

 ところが、いざ総合学習が導入される段階になって、文科省は手のひらを返して、「総合学習はそれぞれの学校が自由にやっていいですよ」と言うのである。学校側には題材も教材もない。そして、総合学習を運営するノウハウもない。こんな状態で無理やりバトンを握らされた学校はたまったものではないだろう。

 意識の高い教師がいる学校では上記のような優れた授業も展開できるだろうが、それ以外の学校で果たして何が起きているのか、そしてその結果どうなったのか、実態把握と検証は行われていないままなのである。

(2)大学の改革は、少なくとも寺脇氏は着手していない
 大学の教育を視野に入れていながら、寺脇氏自身は大学改革に着手していない。小中高のゆとり教育導入だけでおそらく手一杯だったのだろうが、「企業が必要とする人材を大学で育成する」ための施策には一切携わっていないと思われる。

 ゆとり教育で学習内容を減らしても、大学入試の内容はさほど変わっていない。だから、学校の教育だけでは到底受験をクリアできないということで、高校生は塾や予備校に頼る。学校での授業は真面目に受けない。さらに予備校に肩入れする。この悪循環である。その上、大学入学後も、大学での講義内容についていけるだけの学力がないとレッテルを貼られ、高校の内容をもう一度復習させる大学まで現れるありさまである。

 他方、同じ時期にゆとり教育とは別の次元で「大学院教育の高度化」が進められ、大学院の定員数が増えた。しかし、こちらはポスドクの就職難を招くという、これもまたお粗末な事態に陥っている。要するに、文科省の施策には一貫性と整合性がないのである。

(3)諸外国とは違う意味で広まってしまった「生涯学習」という概念
 寺脇氏はゆとり教育に携わる前に、「生涯学習」の普及に努めていた。さて、生涯学習という言葉を聞いて、皆さんは何を連想するだろうか?「カルチャーセンター(文化施設)」に余暇を持て余した中高年が詰め掛けて、趣味を楽しむ。そんな姿を思い浮かべるのではないだろうか?

 しかし、「生涯学習」がこのような意味で使われているのは日本ぐらいである。そもそも生涯学習とは、「生涯働き続けるための知識や能力を習得する『職業訓練』」のことである。諸外国で「生涯学習」と言えば、普通はこの意味で使われる。なのに、日本ではなぜか趣味を広げ、余生を活き活きと過ごすことが生涯学習であるかのように捉えられている節がある。理想と現実があまりにもかけ離れているのだ。

 最近でこそオープンカレッジ(公開講座)を開いたり、社会人を受け入れるコースを新設したりする大学が増えてきた。とはいえ、まだまだ企業やビジネスパーソンからの要請に応えられる域には達していない。とりわけ、セカンドキャリアを間近に控えた中高年をターゲットとした教育インフラはほとんど整っていない状況と言わざるを得ない。

 これからの日本はますます高齢化が進み、労働人口が減る。その状況で少しでも労働力を確保しようとするのならば、本来の意味での「生涯学習」に本腰で取り組む必要がある。この点については、ゆとり教育の方針転換とは別に、文科省(および経産省)の動向を引き続きウォッチしたいと思う。
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