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April 08, 2010

エドガー・シャイン自身のキャリアがよく解る−『キャリア・デザイン・ガイド』

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 エドガー・シャインの『キャリア・アンカー』(『キャリア・アンカー』については、過去の記事「私のキャリア・アンカーは『専門・職能別コンピタンス』だった」で紹介した)、『キャリア・サバイバル』に続く第3弾として、金井先生がキャリア論をまとめた一冊。学術的な内容もさることながら、最後に書かれていた「シャイン教授のキャリアと研究業績を考えるために」という付録が非常に充実していた。キャリア論の第一人者であるシャイン自身がどのようなキャリアを歩んできたのかはとても興味深い。付録の内容からすると、シャインのキャリアは3つのフェーズに分けられそうだ。

(1)組織による「洗脳」、「教化」の研究
 シャインの最初の研究テーマは「洗脳(brainwashing)」であった。朝鮮戦争が起こっていた1953年、シャインの元にアメリカ軍から電報が届き、急遽韓国へ向かうことになる。電報に先立って、アメリカと北朝鮮・中国の間で停戦協定が結ばれ、捕虜の交換の実施が決定された。その9ヶ月前から予備的な捕虜交換は行われていたが、捕虜になったアメリカ兵がありもしない細菌戦争のことを口にするなど、どうやら中国共産党の洗脳を受けているのではないか?という疑いが持たれていた(当時はまだ「洗脳」という言葉はなかったらしい)。

 アメリカ軍は「洗脳」というよく解らない状況をもっと具体的に把握するため、約3,000名の捕虜を韓国から船でアメリカに送還する際に、彼らがどのような情緒的・心理的状態であったかを診断し、治療することを決めた。シャインは心理学者、精神科医、ソーシャル・ワーカーから構成されるチームの一員として、そのミッションに当たることになったのである。

 シャインは洗脳のメカニズムを調査して「強制的説得(coercive persuasion)」と名づけ、「物理的(肉体的)な強制」と「洗練された対人関係」の2つの条件が揃った時に強制的説得は多大な力を発揮する、と結論づけた。経営学者としても知られるシャインのキャリアは、実は軍人の研究からスタートしていたとは驚きだ。

 その後、MITスローン経営大学院に移ったシャインは、「洗脳」の企業版、つまり「教化」の研究に着手する。当時のアメリカ企業には、マネジャーに自社の価値観やイデオロギーを注入(=教化)しており、それがマネジャーの創造性を奪っているのではないか?という批判が向けられるようになった(現在はクロトンビルにあるGEの研修センターも、ある時期までは「ゼネラル・エレクトリック教化センター」という看板を掲げていたらしい)。そこでシャインは、組織に入ってきた新入社員に対して、企業の価値観がどのような影響を与えるのかを研究する複数年のプロジェクトを計画したのである。

(2)組織から個人へと視点を転換
 シャインはMITのMBA大学院にいた院生を調査対象に、彼らの価値観が入社後の時間経過とともにどのように変化していくのか、数年ごとのグループインタビューを通じて明らかにしようとした。だが、この研究は失敗に終わる。企業の価値観に染まる人もいれば、そうでない人もおり、仮説が実証されなかったからだ。同じ会社にいても、転職して別の職場に移っても、自分の中で貫き通すものを持っている人が存在したのだ。

 皮肉にもこの失敗が、シャインの視点を組織から個人へと向けさせる契機になる。組織が「洗脳」や「教化」によって構成員に刷り込みたいと思うような、ゆずれない価値観があるのと同様に、個人の側にもゆずれない価値観があることをシャインは発見した。これが後に、シャインのキャリア論の中核をなす「キャリア・アンカー」という概念にまとめられていく。

 「教化」研究の失敗がなければ、シャインのキャリア論は誕生しなかったかもしれない。シャイン自身のキャリアもまた、偶然に左右されているのである。

(3)そして再び組織文化の研究へ
 ビジネスパーソンのキャリアの研究を経て、シャインの視点は再び組織へと戻ってくる。シャインはアメリカ企業とスイス企業の2社にコンサルティングを実施していた折、一方の企業では彼の発言が教授だからといって特別扱いされるわけではないのに対し、もう一方の企業では権威ある発言として社内に広まることに気づいた。アメリカとスイスという国家レベルの文化の影響もあるだろうが、組織レベルでも文化の違いが関係しているはずだとシャインは考えた。

 こうして、「組織文化」の研究が始まり、その成果は著書『組織文化とリーダーシップ』にまとめられた。シャインは、組織文化には(1)文物、(2)価値観、(3)仮定という3つのレベルがあると説いた。彼がキャリアの初期に関心を寄せた「組織の価値観は個人の態度にどのような影響を与えるか?」という研究テーマは、一度は失敗したものの深いレベルではずっと持続していて、最終的にはその失敗すら取り込み、「組織文化」の研究に昇華されていったのである。

 シャインの研究成果を一言で表すならば、「組織にも個人にも譲れないものがある」ということだろう。組織がばらばらの個人を束ねるために、組織固有の価値観を浸透させようとするのは理にかなった行為だ。教育はその1つの手段である。だが、それだけでは十分ではない。教育のもう1つの目的は、個性を伸ばすことでもある。つまり、個人の価値観のよさを引き出し、既存の組織の価値観からだけでは生まれなかったであろう新しい成果につなげることも教育の大切な役割なのだ。

 個人の側から見ても、自分の価値観を貫き通すだけでは組織でうまく立ち回れない。組織社会を生き抜くためには、ある面で組織の価値観を受け入れなければならない。しかし、自分の価値観を全て組織の価値観で塗り替える必要はない。なぜならば、個人のゆずれない価値観はアイデンティティと深く結びついており、生きるエネルギーの源になっているからだ。自分の魂を売ってまで組織に従属するのは健全な生き方とは言えない。組織と個人の価値観は、いい意味で緊張関係にあるのが理想的だろう。

 こうして見てみると、シャイン自身のキャリアも偶然や失敗とは無縁ではない。ジョン・クランボルツが提唱した「計画的偶発性理論」がぴったりと当てはまる。ただし、シャインは自らの態度を「創造的機会主義」と呼ぶ。シャインの次の言葉がとても印象的だった。
 わたしのキャリアを振り返ったときに、ふたつのことを思います。一方では、いいときにいい場所にいたという意味で、びっくりするほど運がよかったように思えます。他方で、機会を創造的な成果に結晶させるために、その瞬間をつかみとるすべをすでに学習していたのではないかとも思います。
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