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   新ブログ 谷藤友彦ー本と飯と中小企業診断士
March 12, 2010

感情は問題提起のサインである

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 先日の記事「果たして意思決定に感情は不要なのか?」では、感情を完全に取っ払えば人間は合理的な意思決定ができるわけではなく、感情は理性と連携を取りながら意思決定を導き出しているという脳科学の研究を紹介した。しかし一方で、感情が意思決定を歪めるケースが多いことも指摘した(「怒り」が合理的な意思決定を歪める一例として、「最後通牒ゲーム」がある)。

 兵法の最高の教科書と言われる『孫子』には、「主は怒りを以て師を興すべからず、将は慍(いか)りを以て戦を封ずべからず」という一文がある。怒りは戦いにおける合理的な意思決定を妨げ、自らの命を危険にさらすと孫子は警告しているのである。

 中国の三国時代、袁紹(えんしょう)という人物はこの過ちを犯し、自滅の道をたどった。袁紹は当初、後漢の政権を脅かした董卓(とうたく)を倒して漢を復興することを目指していた。袁紹の元には曹操がいた。しかし曹操は、董卓に対していつまでも煮え切らない態度を取る袁紹から次第に距離を置くようになり、魏国の地盤を広げて独自の勢力を形成した。ついに両者は「官渡の戦い」(官渡は現在の河南省中牟の近く)で激突する。

 官渡で両者の膠着が続いた時、袁紹の臣下は『孫子』に基づいて官渡の死守にこだわらない別の作戦を進言した。だが、袁紹はそれを無視した。袁紹は官渡の戦いの前哨戦で曹操の誘導作戦にまんまと引っかかり、2人の武将を失ったがゆえに怒り心頭であったようだ。袁紹はあくまでも官渡で戦いを続けることに固執し、無茶な攻城法に出た。その作戦は、孫子が「莫大な資源と労力を必要とするから、やむを得ない時にしかやってはいけない」と警告した作戦であった。

 孫子の警告通り、袁紹の無理がたたって軍は大いに疲弊し、膠着状態は解決しなかった。最終的には、袁紹の重臣である許攸(きょゆう)が袁紹を見限って曹操に降伏したため、袁紹軍は総崩れとなった。袁紹は曹操に対するつまらない怒りが原因で、合理的な意思決定ができなくなってしまったのである。(※)

 冒頭の記事では、最終的に私の中で「意思決定にプラスに作用する感情は『冷静さ』ぐらいではないか?」という結論に達したわけだが、ここで1つ別の疑問が出てくる。それは「感情は何のためにあるのか?」ということである。感情が意思決定にマイナスの影響を及ぼすことが多いのであれば、我々が感じる不安や怒り、競争心あるいは喜びなどの感情は、一体何のために存在するのだろうか?

 本当に突き詰めて考えると脳科学や心理学、哲学の専門的な分野に入っていく必要がありそうなので止めておくが、マネジメントの世界で感情の意義を考えるならば、それは「組織における問題発生のサインである」というのが私の考えである。

 以前、「『小さな問題意識』が若手社員のキャリア開発のきっかけとなる」という記事で、銀行に勤める私の知人の苦悩を紹介した。彼は銀行の方針に対して不安を抱えている。しかしながら、不安に煽られて衝動的に上司に掛け合ったり、何か運動を起こしてみたりしても何の効果もないだろう。彼は冗談半分で「政治家になって金融庁の方針を変えさせてやりたいよ」などと言っていたが、だからと言って「じゃあ、明日から銀行を辞めて次の国会議員選挙に出馬します!」とはならない。

 彼が感じる不安は、今の銀行のマネジメントに潜む何らかの深刻な問題のサインと言える。彼に必要なのは、果たして銀行の方針がころころ変わるのはなぜなのか?本当の問題はどこにあるのか?その問題を解決するためにはどうすればいいのか?今動くべきなのか、もっと年月が経って自分の意見に同調してくれる味方が増え、昇進に伴って権限が広がった時に動くべきではないのか?という冷静な分析と判断である。心の中に渦巻くマイナスの感情の存在に気づくことは非常に重要である。だが、その感情に任せて意思決定をすると道を踏み外す。マイナスの感情が芽生えた時には、「これは何かの問題のサインだ」と捉えて冷静にならないといけないのである。

 ポジティブな感情でも同じようなことが言える。例えば、ある新製品が大ヒットし、嬉しくて興奮しているマネジャーがいるとしよう。彼は、今のうちに売れるだけ売ってしまおうと考え、勢いに任せて営業担当者をガンガン採用する。だが、採用した社員はトレーニングもそこそこに現場に放り込まれ、マネジャー自身も一気に部下が増えたことで全員に目が行き届かなくなる。やがて、いい加減な営業活動に対する顧客からのクレームが増え、会社の売上と信用を落とすことになる。

 この場合は興奮して積極攻勢に出るのではなく、一歩引いた視点から、「今わが社は成長期を迎えているが、現在の体制で果たしてやっていけるのか?」と問う必要がある。「勝って兜の緒を締める」という言葉があるように、一時の勝利で浮き足立っているようではダメだ。勝利の美酒は未来の問題に対する知覚を麻痺させる。

 適度な競争心は組織や社員を成長させるが、過剰な競争心もまた組織を間違った方向に導く。例えば、ライバル会社を徹底的に潰すことばかりを考えていると、顧客のニーズに応えるという本来の事業の目的から遠ざかってしまい、顧客の離反を招く恐れがある。また、(再び営業の例で恐縮だが、)営業部門が売上偏重主義で、担当者の売上高による競争を煽りすぎると、営業担当者は自分の売上を立てることばかりを考えて重要な顧客情報やナレッジをお互いに共有しなかったり、違法すれすれの営業活動を平気でしたりするようになり、部門の雰囲気が殺伐としたものになっていく。もし自分の中に異常なまでの競争心が沸き起こってくるようならば、組織のどこかに何らかの歪みが生じている可能性があると考えた方が賢明だ。

 感情は問題提起のサインである。だから決して無視してはいけない。だが、感情が問題を解決するわけではない。自分の中に通常とは異なる感情が湧き上がった時には、「今の組織に何かしらの問題が起きている予兆かもしれない」と冷静になることが大事だ。感情の赴くままに問題解決に取り組むのはご法度である。問題解決のための意思決定は、あくまでも「冷静」に下さなければならないのである。

(※)袁紹に関する記述は、山本七平「『孫子の兵法』で『三国志』を読む(第2回)」(『歴史に学ぶ』2009年6月)を参考にしている。
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