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   新ブログ 谷藤友彦ー本と飯と中小企業診断士
February 21, 2010

記念すべき600回目の記事は渋沢栄一の名言で

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 2005年5月のブログ開設以来、足掛け5年弱でようやく600個目の記事にたどり着いた。アクセス数も来月中にはおそらく10万に達する見込み。いつも読んでくださる皆様、どうもありがとうございます。アクセスカウンターを設置した日には、6桁目が埋まる日は遠いなぁと思っていたが、ここにきて現実味が出てきてドキドキ。

 記念すべき600回目は、久しぶりに「勝手に集めた名言集」シリーズをやってみようと思う。紹介するのは、「論語を経営学の次元に高めた渋沢栄一−『論語の経営学(DHBR2009年10月号)』」でも取り上げた渋沢栄一の名言。
 金は働きのカスだ。機械が運転しているとカスがたまるように、人間もよく働いていれば金がたまる。

 仁義道徳と金儲けの商売とが、その根本において異背するように思われるが、けっしてそうではない。論語を礎として商業を営み、算盤をとって士道を説くこそ非常の功である。
(引用は『Management & History 歴史の知をビジネスに生かす』2009年1月による)

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実業家・渋沢栄一の波乱万丈の前半生を描く
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 先日の記事でも書いたように、渋沢は『論語』に基づいた経営、つまり道徳と経済の両立を目指していた。モラルの追求と利益の追求という一見相反する2つのベクトルを、渋沢は『論語』(をはじめとする中国古典)を深く読み込むことで統合させることに成功した。

 それが顕著に現れているのが、孔子の「富と貴(たつと)きとは、是れ人の欲するところなり。その道を以てせずしてこれを得れば、処(お)らざるなり。貧しきと賤しきとは、是れ人の悪(にく)むところなり。その道を以てせずしてこれを得れば去らざるなり」という言葉をめぐる解釈であろう。

 渋沢は「孔子は決して富貴を嫌ったわけではない。『道を以てせずしてこれを得れば』という言葉によく注目なければならない。道理を伴った富貴でなければむしろ貧賤の方がましだが、道理を伴った富貴であれば問題ないという意味だ」と捉えている。要するに、利益の追求を道徳の追求の範囲内で正当化したのである。

 欧米では、「企業」という存在そのものの正当性に疑問が投げかけられた時期があった。企業否定派は、企業の利益は国家の利益と相反するものであり、企業が繁栄すればするほど、国家が本来もっていた「財やサービスの提供」という機能が弱められ、社会全体の雇用が不安定になると主張した。企業の正当性をめぐる論争は20世紀に入ってからも数十年続いていた。

 渋沢は、明治維新後の日本が欧米列強と対等に渡り歩くためには、国家が豊かになる必要がある。そのためには、企業が利益を上げ、産業界を盛り上げることが不可欠であると考えていた。渋沢は早くから、国家と企業の利益は一致することに気づいていたのである。ピーター・ドラッカーが1940年代の著書で、
 企業はと社会は、企業の経営の健全性について共通の利害を有する。企業の経営の失敗は国民経済を害し、ひいては社会の安定を害する。社会は、優れた経営陣だけが実現することのできる価格政策、雇用、人事、マネジメントを必要とする。
(※GMの破綻やJALの再建問題が社会全体の関心事となり、国民に大きな影響を及ぼしていることを考えれば、この文章の意味するところがよく解る)
(ピーター・ドラッカー著、上田惇生訳『企業とは何か−その社会的な使命』ダイヤモンド社、2005年)
と述べるよりもはるか昔のことである。この先見性は改めてすごいと思う。
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