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新ブログ 谷藤友彦ー本と飯と中小企業診断士
September 13, 2007
「痛みは先延ばし」で最後は首相が辞任する
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後手後手の対応が招いた悲劇
こんなタイミングで安倍首相が辞任するとは予想していなかった。
結局、安倍首相のまずかったところは、「事態が悪くなることが予想されていながら、何とか延命策で場を繋いだ挙句に、やっぱり事態が悪くなったので手を打つ」という後手後手の対応をし続けたことに尽きるだろう。閣僚が相次いで失言をし、「政治とカネ」を巡る問題を起こしたとき、内閣に逆風が吹くことは誰もが解っていた。しかし、安倍首相は「いや、職務を全うしてもらう」と言い張ってポストに据え続けた。
よくよく考えれば、歴代の閣僚で何らかの問題を起こした人が、その後も職務を全うすることができた例というのはほとんどない。安倍首相もさすがにそのくらいは理解していたと思われるが、敢えて首を切らずそのままにした。ところが、世論や与野党からの風当たりが厳しくなって、最終的には問題を起こした大臣はすべて職を辞することになった。
悪性腫瘍が見つかったら、本来であれば摘出手術をすぐにでも行わなければならない。にもかかわらず、鎮痛剤で痛みをごまかし続ける。そして、やがて耐え切れなくなって手術を受ける。しかし、鎮痛剤を打ち続けていた間にも腫瘍は大きくなっており、当初予定していた手術だけでは完全に除去できなくなってしまう。安倍首相が施したのはこうした治療の連続だった。
鎮痛剤は全て使い切ってしまった…
そして、その悪性腫瘍は最後に首相自身にも襲い掛かった。参議院選挙での惨敗である。首相自身の辞任の理由は「議会での求心力がなくなったから」ということらしい。とはいえ、7月の選挙で歴史的大敗を喫したときから、議会の運営が困難になることは明々白々であった。それを承知の上で、「私は職務を全うする」と言ってポストに居座り続けたのである。
しかし、相次ぐ大臣の問題で、鎮痛剤の大半を使い切ってしまっていたため、自身に打つ鎮痛剤はほとんど残っていなかった。結局、首相の所信表明への代表質問がまさに始まるというその日に、不可解な形で辞任することになった。
舵取りをするリーダーにとって、「将来の動きを予測して適切な手を打つ」のは非常に重要な力の1つである。とりわけ不測の事態が起こった場合には、その能力が一段と重要視される。安倍首相にはそれが決定的に欠けていた、ということだろう。首相になる前の専門分野である外交においては、安倍首相もその能力をそれなりに持っていたのだろう。しかし、一国の首相ともなれば、自分の専門外のところで予期せぬ出来事が発生する。それに対処する能力は、安倍首相はまだ持ち合わせていなかったようだ。
適切な「引き際」を決めるのもリーダーの重要な仕事
大方の世論や与野党の見方からすれば、参議院選挙が終了した時点で辞めるべきだった。とはいえ、そこは首相自身が続投すると言い切ってしまったのだから、「引き際」を別のところに設ける必要はあった。安倍首相は「13日以降であったら」いつ辞めるべきだったのだろうか?自分の引き際をしかるべきタイミングに設定するのも、リーダーにとっては重要な仕事である。
しかし、その引き際が「12日」である必要性も意味も全く見出せない。如何せん、代表質問の初日であるし(こんな日に辞めた歴代首相がいただろうか?)、APECで諸外国に様々な約束を取り付けてきたばかりである。職務放棄と受け取られても仕方ないはずだ。
安倍首相がもし辞めるとすれば、少なくとも自分が「職を賭す」と表現したテロ特措法の行く末を見守ってからであるべきだった。重要法案であるテロ特措法の成立が不可能になったために辞職する、というのであればまだ筋が通っていただろう。さらに、健康上の問題を抱えているのであれば、例えば国連総会まで十分に休養を取るという選択肢もあったはずだ。考え方は諸々あったのに、それを全てすっ飛ばしていきなり辞職、というのはやはり理解しがたい(⇒最下部の《追記》を参照)。
個人的な美学は政治上の説明責任に勝るのか?
引き際が適切でないとしたら、最低でも説明責任を果たす必要はあった。与謝野官房長官が「健康上の理由」を指摘していたが、「国会の運営上の問題・民主党との関係上の問題」と「健康上の問題」であれば、どちらが国民の理解を得られただろうか。
前者については、首相が代わったところで参議院の議席数も民主党の態度も変わらないのだから、「状況が打開できる」とは限らないことぐらいは国民もすぐ解る。ならば後者を挙げるしかなかった。それをさせなかったのは、安倍首相の個人的な美徳らしい。しかし、この局面で美徳が説明責任より優先されるというのは、国民軽視と言われても仕方ない。「ばんそうこう大臣」(赤城元農林水産大臣)も病名を明かさず非難を受けたが、同じ轍を首相自身が踏んでしまった格好だ。
簡単に「状況を打開」できない次の内閣を進んで引き受けるのは誰か?
先に述べたとおり、安倍首相が辞めても、劇的に事態が好転するわけではない。待っているのはいばらの道、その道を敢えて進もうとする次期総裁は誰になるのだろうか?しばらく永田町の動向から目が離せなさそうだ。
《追記》2011年9月15日
内閣法第9条には「内閣総理大臣に事故のあるとき、又は内閣総理大臣が欠けたときは、その予め指定する国務大臣が、臨時に、内閣総理大臣の職務を行う」と規定されており、この臨時の国務大臣を「内閣総理大臣臨時代理」と呼ぶ。「内閣総理大臣に事故のあるとき、又は内閣総理大臣が欠けたとき」というのは、総理が任期中に死亡するか(脳梗塞で死去した小渕氏がその例)、総理が判断力を欠き、職務遂行が困難になるほど重度の病気やケガに見舞われたケースを想定している。
安倍氏が入院した慶應大学病院の会見によると、安倍氏の病気は「機能性胃腸症」だったらしい(「安倍首相の病気、再び〜慶應大学病院の会見」を参照)。安倍氏は後に、代理を置かなかった理由について、「この程度の病気では内閣法第9条の要件を満たせず、よって代理を置くことはできないと考えた」といった趣旨の発言をしている(「安倍晋三|Wikipedia」の「入院・内閣総辞職」の項を参照)。
しかし、入院時には「退院までにが1か月ほどかかる」という話も出ており(実際には、2週間後の9月27日に仮退院し、自宅療養に入った)、入院中の総理が職務を行うことは実質的に困難であったから、やはり代理を置くという選択肢をとってもよかったのではないか?と考えられる。
こんなタイミングで安倍首相が辞任するとは予想していなかった。
結局、安倍首相のまずかったところは、「事態が悪くなることが予想されていながら、何とか延命策で場を繋いだ挙句に、やっぱり事態が悪くなったので手を打つ」という後手後手の対応をし続けたことに尽きるだろう。閣僚が相次いで失言をし、「政治とカネ」を巡る問題を起こしたとき、内閣に逆風が吹くことは誰もが解っていた。しかし、安倍首相は「いや、職務を全うしてもらう」と言い張ってポストに据え続けた。
よくよく考えれば、歴代の閣僚で何らかの問題を起こした人が、その後も職務を全うすることができた例というのはほとんどない。安倍首相もさすがにそのくらいは理解していたと思われるが、敢えて首を切らずそのままにした。ところが、世論や与野党からの風当たりが厳しくなって、最終的には問題を起こした大臣はすべて職を辞することになった。
悪性腫瘍が見つかったら、本来であれば摘出手術をすぐにでも行わなければならない。にもかかわらず、鎮痛剤で痛みをごまかし続ける。そして、やがて耐え切れなくなって手術を受ける。しかし、鎮痛剤を打ち続けていた間にも腫瘍は大きくなっており、当初予定していた手術だけでは完全に除去できなくなってしまう。安倍首相が施したのはこうした治療の連続だった。
鎮痛剤は全て使い切ってしまった…
そして、その悪性腫瘍は最後に首相自身にも襲い掛かった。参議院選挙での惨敗である。首相自身の辞任の理由は「議会での求心力がなくなったから」ということらしい。とはいえ、7月の選挙で歴史的大敗を喫したときから、議会の運営が困難になることは明々白々であった。それを承知の上で、「私は職務を全うする」と言ってポストに居座り続けたのである。
しかし、相次ぐ大臣の問題で、鎮痛剤の大半を使い切ってしまっていたため、自身に打つ鎮痛剤はほとんど残っていなかった。結局、首相の所信表明への代表質問がまさに始まるというその日に、不可解な形で辞任することになった。
舵取りをするリーダーにとって、「将来の動きを予測して適切な手を打つ」のは非常に重要な力の1つである。とりわけ不測の事態が起こった場合には、その能力が一段と重要視される。安倍首相にはそれが決定的に欠けていた、ということだろう。首相になる前の専門分野である外交においては、安倍首相もその能力をそれなりに持っていたのだろう。しかし、一国の首相ともなれば、自分の専門外のところで予期せぬ出来事が発生する。それに対処する能力は、安倍首相はまだ持ち合わせていなかったようだ。
適切な「引き際」を決めるのもリーダーの重要な仕事
大方の世論や与野党の見方からすれば、参議院選挙が終了した時点で辞めるべきだった。とはいえ、そこは首相自身が続投すると言い切ってしまったのだから、「引き際」を別のところに設ける必要はあった。安倍首相は「13日以降であったら」いつ辞めるべきだったのだろうか?自分の引き際をしかるべきタイミングに設定するのも、リーダーにとっては重要な仕事である。
しかし、その引き際が「12日」である必要性も意味も全く見出せない。如何せん、代表質問の初日であるし(こんな日に辞めた歴代首相がいただろうか?)、APECで諸外国に様々な約束を取り付けてきたばかりである。職務放棄と受け取られても仕方ないはずだ。
安倍首相がもし辞めるとすれば、少なくとも自分が「職を賭す」と表現したテロ特措法の行く末を見守ってからであるべきだった。重要法案であるテロ特措法の成立が不可能になったために辞職する、というのであればまだ筋が通っていただろう。さらに、健康上の問題を抱えているのであれば、例えば国連総会まで十分に休養を取るという選択肢もあったはずだ。考え方は諸々あったのに、それを全てすっ飛ばしていきなり辞職、というのはやはり理解しがたい(⇒最下部の《追記》を参照)。
個人的な美学は政治上の説明責任に勝るのか?
引き際が適切でないとしたら、最低でも説明責任を果たす必要はあった。与謝野官房長官が「健康上の理由」を指摘していたが、「国会の運営上の問題・民主党との関係上の問題」と「健康上の問題」であれば、どちらが国民の理解を得られただろうか。
前者については、首相が代わったところで参議院の議席数も民主党の態度も変わらないのだから、「状況が打開できる」とは限らないことぐらいは国民もすぐ解る。ならば後者を挙げるしかなかった。それをさせなかったのは、安倍首相の個人的な美徳らしい。しかし、この局面で美徳が説明責任より優先されるというのは、国民軽視と言われても仕方ない。「ばんそうこう大臣」(赤城元農林水産大臣)も病名を明かさず非難を受けたが、同じ轍を首相自身が踏んでしまった格好だ。
簡単に「状況を打開」できない次の内閣を進んで引き受けるのは誰か?
先に述べたとおり、安倍首相が辞めても、劇的に事態が好転するわけではない。待っているのはいばらの道、その道を敢えて進もうとする次期総裁は誰になるのだろうか?しばらく永田町の動向から目が離せなさそうだ。
《追記》2011年9月15日
内閣法第9条には「内閣総理大臣に事故のあるとき、又は内閣総理大臣が欠けたときは、その予め指定する国務大臣が、臨時に、内閣総理大臣の職務を行う」と規定されており、この臨時の国務大臣を「内閣総理大臣臨時代理」と呼ぶ。「内閣総理大臣に事故のあるとき、又は内閣総理大臣が欠けたとき」というのは、総理が任期中に死亡するか(脳梗塞で死去した小渕氏がその例)、総理が判断力を欠き、職務遂行が困難になるほど重度の病気やケガに見舞われたケースを想定している。
安倍氏が入院した慶應大学病院の会見によると、安倍氏の病気は「機能性胃腸症」だったらしい(「安倍首相の病気、再び〜慶應大学病院の会見」を参照)。安倍氏は後に、代理を置かなかった理由について、「この程度の病気では内閣法第9条の要件を満たせず、よって代理を置くことはできないと考えた」といった趣旨の発言をしている(「安倍晋三|Wikipedia」の「入院・内閣総辞職」の項を参照)。
しかし、入院時には「退院までにが1か月ほどかかる」という話も出ており(実際には、2週間後の9月27日に仮退院し、自宅療養に入った)、入院中の総理が職務を行うことは実質的に困難であったから、やはり代理を置くという選択肢をとってもよかったのではないか?と考えられる。
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