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March 02, 2006

富士通の成果主義(1)−結局何が問題だったのか?

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内側から見た富士通「成果主義」の崩壊 (ペーパーバックス)内側から見た富士通「成果主義」の崩壊 (ペーパーバックス)
城 繁幸

光文社 2004-07-23

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 もう2年ぐらい前の本ですが、読んでみました。シリコンバレーの企業が成果主義を導入していることに触発され、バブル崩壊直後の1993年に日本で始めて成果主義を導入した富士通が、その後どういう道のりをたどっていったかを、富士通の人事部で仕事をしていた著者が書き綴ったものです。

 成果主義導入後、どういう問題が起こったかをざっと列挙してみると、だいたい次のようになります。

○成果主義でありながら、制度導入当初は年功序列的な相対評価であった。

○期首に記入する目標シートには誰も目を通していなかった。当然、期末に業績評価を行った後で、上司から部下にフィードバックが行われることもなかった。

○相対評価であるため、各段階の評価をもらえる人数は決まっていた。そのため、異なる部門の管理職同士で評価の調整が行われた。業務の優先順位が低い部門、力関係の弱い部門の管理職は必然的に悪い評価を受け入れざるを得なかった。

○変化の激しいIT業界にあって、期首に半年後の予定を見越して目標を立てることは困難だった。特に成果が出るまでに時間がかかる研究職の社員にとっては酷だった。時間が経つにつれて、社員だんだんと達成が容易な目標しか立てなくなった。

○成果主義導入に当たり、社員は裁量労働制の適用を受けるか否かを自ら決定することになった。成果主義で評価してほしい社員は裁量労働制を選択し、これまで通りの方法で評価してほしい社員は通常勤務を選択した。通常勤務を選択した社員は、成果主義による給与差を埋め合わせるために、やたらと残業代を請求した。

○相対評価はさすがに問題だと判断し、途中から絶対評価に変えたが、社員がみな達成が容易な目標ばかりを立てるために、多くの社員の評価が「A」となった。しかし、業績が改善したわけでもなく、その上会社は賞与として支払う総額を一定にしていたため、評価が「A」でも賞与は増えなかった。

○管理職自身の評価は野放し状態で、みな良い評価だった。さらに、成果主義を導入した張本人である人事部の社員も評価面で優遇されていた。しかも、社員の利害を守る立場にあるはずの組合が人事部にべったりで、組合の牽制力が働かなかった。

○「社内等級制度」が残っており、徒弟制度のような上下関係が残っていた。特に若年層は管理職からは「見習い」のように扱われ、成果を上げても報われないシステムになっていた。


 読めば読むほど嫌になるような内容でした。しかも、本には分量で限りがあるため、これでも富士通の実態をすべて書き尽しているわけではないでしょう。事実はさらにどろどろとしたものだったと推測されます。
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