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June 11, 2011

(補足)「分析的取り組み」と「解釈的取り組み」の違いのまとめ

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リチャード・K. レスター
生産性出版
2006-03
posted by Amazon360

 最後に、「分析的取り組み」と「解釈的取り組み」の違いを本書から引用して、この本のレビューを終わりにしたいと思う。
分析的取り組み
 ・プロジェクトに焦点を当てる。開始点と終結点が明確である。
 ・問題解決を重視する。
 ・マネジャーは目標を決定する。
 ・マネジャーは会議を招集し、関係者間の交渉によって、見解の相違を解決し、曖昧さを取り除く。
 ・コミュニケーションは情報の正確な交換である。
 ・デザイナーは消費者の意見に耳を傾ける。
 ・手段と達成目標は明確に区別され、流行のモデルで関連づけられる。

解釈的取り組み
 ・プロセスに焦点を当てる。継続的で際限がなく、終わりもない。
 ・新しい意味の発見を重視する。
 ・マネジャーは方針を決定する。
 ・マネジャーは対話を推奨し、異なる見解を許容し、曖昧さに検討を加える。
 ・コミュニケーションは流動的で状況に応じて変化する。
 ・デザイナーは消費者の要望を知るために直観力を養う。
 ・手段と達成目標は明確に区別されない。
 最後の「手段と達成目標は明確に区別され、流行のモデルで関連づけられる」と「手段と達成目標は明確に区別されない」は若干解りにくいので、私なりに解釈を付け加えてみたい。

 「手段と達成目標は明確に区別され、流行のモデルで関連づけられる」とは、例えば「不良品率の削減」という目標に対して「シックスシグマ」という手段が採用され、「顧客生涯価値(CLV: Customer Lifetime Value)の拡大」という目標に対して「CRM(Customer Relationship Management)」のコンセプトに従った顧客DBが構築されるといった具合に、ある特定の経営目標に対して、それを直接的に実現しうる有力で明快な方法論やツールが存在することを指す。

 他方、「手段と達成目標は明確に区別されない」というのは、「達成目標は曖昧で、かつ達成目標とは必ずしも関係なさそうな手段でも許容される」という風に言い換えた方が解りやすい。例えば本書には、リーバイス社のこんな事例が登場する。
 リーバイス社は、若年層市場をさらに年齢ごとに細分化し、それぞれの市場セグメントごとに、各セグメント担当のデザイナーに調査させた。あるデザイナーは、担当する年齢層がよく出入りするクラブを訪れ、彼らが買い物をする店で自分たちも商品を購入し、子どもたちが古着のつるし棚で記録帳を見たり、古着を手に取ったりする様子を伺ったりした。
 デザイナーの目標は、「担当セグメントの顧客をよく理解すること」という非常に抽象的なものである。そして、その目標を達成する手段は、各デザイナーに任されている。しかも、デザイナーは「顧客のどういう生活シーンを観察するか?」という点について、あらかじめ計画を練っていたわけではないと考えられる。それこそ、デザイナーが思いつくままに、あるいは顧客の生活ペースに合わせて観察を続けたのではないだろうか?

 だから、ここからは想像の域を出ないが、顧客がよく読む雑誌やよく聴く音楽に触れてみたり、顧客と一緒に食事をしたりしながら、顧客の価値観や嗜好を探ろうとしたデザイナーもいただろう。あるいは、顧客の友人や恋人までも観察対象にして、その顧客が彼ら彼女らに対しどのような印象を与えたがっているのか、どういうアイデンティティを示そうとしているのかを追求したデザイナーもいたのではないだろうか?

 「顧客を理解するためにそこまでする必要があるのか?」と思えることまでやってしまうのが「解釈的取り組み」である。もっと言えば、目標達成までの道中であっちこっちに脱線したり、ぐるぐると回り道をしたりすることが許されるのが「解釈的取り組み」なのである。
June 09, 2011

「解釈的取り組み」をどう記述するか?という難題―『イノベーション 「曖昧さ」との対話による企業革新』

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リチャード・K. レスター
生産性出版
2006-03
posted by Amazon360

 著者が本書の中で提起している興味深い問題は、「『解釈的取り組み』の具体的な中身をどのように記述するか?」というものである。著者に限らず、すでに多くの経営学者や実務家が、「分析的取り組み」は、特にイノベーションの分野ではあまり有用ではないことに気づいている。そして、「分析的取り組み」に代わる「新しいマネジメント」がこれまでにも数多く開発されてきた。例えば、学習する組織、ネットワーク組織、クロスファンクショナル・チームなどがそうである。

 しかしながら、こうした新しいコンセプトやツールは、根源的な問題を抱えているという。
 この種の論述で非常に難しい問題がある。マネジメントにおける解釈的側面を洞察した文献が、「分析的思考」の用語を使って書かれているのである。たとえば、ネットワーク組織について考えてみよう。結節点が、情報通信の経路によって連結するシステムである。社会学者、ロナルド・バートは、このようなネットワークの「構造上の穴」に着目する。結節点と結節点との間で関係が断絶している状態である。これらの結節点がつながると、共通の言葉と語彙が発達することが期待できる。

 バートは、これを「裁定取引」という用語で説明している。仲介者は、一つの結節点から別の結節点に情報を送り込むことに可能性を見出すことができる。ちょうど外国為替市場のトレーダーが、ニューヨークとロンドンの交換レートの差を有利に使って売買するのと同じである。
 クレイトン・クリステンセンが長年に渡って研究テーマとしている「破壊的イノベーション」も、分析的な記述にとどまっていると著者は指摘する。
 クリステンセンの方法論は、本質的に分析的である。自律的事業単位(※クリステンセンが提唱した組織形態。既存事業から切り離された、破壊的イノベーションを担う組織のこと)の主な機能は、破壊的技術の解決策を「実施すること」である。(中略)

 「分析的取り組み」の優れた方法は、いろいろな顧客グループを含めた広範囲の情報源から技術動向の情報を収集し、どの新しい技術が破壊的と考えられるかについて客観的基準を適用し、破壊的技術を実施するための自律的な事業単位を設定することである。これらを系統的に組織的に行う。これがクリステンセンが実質的に提案した取り組み方である。
 クリステンセンが提案した方法に従ってイノベーションを推進したが、失敗に終わった事例が本書の中で1つ紹介されている。照明コントロール製品を手がけるルートロン社は、同社の標準製品とは異なる製品の開発を目的として「カーディナル・プロジェクト」を立ち上げた。プロジェクトは既存事業から切り離され、メンバーには非顧客との対話が期待されていた。ところが、
 カーディナル・プロジェクトが当初のビジョンから離れて、クリステンセンの処方による「分析的手法」を始めたところ、問題がこじれてしまった。カーディナルの経営陣は、ユニットの事業分野を拡大しようと試みた結果、独立採算制を採用した。事業の選択基準をイノベーション能力から収益性基準に変更し、他の事業部と競争するようになった。特注品をわずかに改善して、標準部品以外の注文に応じた。こうして当初あったプロジェクトの「解釈的取り組み」は消滅し、この時点で、カーディナル・プロジェクトは解体した。
 だが、個人的には、これらの一連の記述は、クリステンセンの本来の主張とは異なるように感じるんだね。クリステンセンは、自律的事業単位に対しては、既存事業とは異なる業績評価制度が必要だとし、特に収益に関しては寛容であるべきだと強調していた記憶がある。業績の中で厳しく見なければならないのは、むしろ売上の方なんだな(新しい顧客に新製品が受け入れられているかどうかを測る試金石になるため)。

 また、先ほどの引用文の中に、「どの新しい技術が破壊的と考えられるかについて客観的基準を適用し」とあるが、クリステンセンは『イノベーションのジレンマ』などの著作の中で、破壊的技術の客観的基準など定めていなかったはず。むしろ、同じ技術であっても、企業によっては破壊的技術になったり、持続的技術になったりすると述べているぐらいだし。要するに、それこそ「解釈次第」なんだな。

 著者は別の箇所で、「解釈的取り組み」によって製品コンセプトや仕様がある程度固まれば、その後は「分析的取り組み」へと移行し、安定的な生産と販売を実現し、収益が出る体制を実現しなければならないと述べている。ルートロン社の失敗は、クリステンセンの理論の欠陥に原因があるというより、ルートロン社が「解釈的取り組み」から「分析的取り組み」へと移行するタイミングを間違えた(早まった)と考えた方が、私としては納得感があるよ。

 「解釈的取り組み」に近い内容を研究している学者として著者が名前を挙げるのは、ダグラス・ノース、ドナルド・ショーン、ピーター・センゲ、カール・ワイクなど、ごく一部の学者に限られる。それでも著者は、彼らでさえ「分析」と「解釈」を明確に峻別していないと、何とも手厳しい評価を下している。ピーター・センゲと同じような分野を研究している野中郁次郎については、
 センゲが使用する端的な用語は、野中、竹内の用語にきわめて近い。「学習する組織」という言葉は、「知識創造企業」にきわめて似ている。普通に本を読む以上に、かなり細かく読み込まないと、これらの書籍が根本的に違うことを言っていることに気づかないだろう。詳細に言うと、センゲの論評は、私たちが理解する以上の内容があり、そのことが目立っている。野中と竹内の議論はセンゲの分析的な世界観を補強するものであり、根本的に異なるもう一つの考え方に対して貢献しているわけではない。
と評されているぐらいだ。

 けれども、私が思うに、著者自身も「『解釈的取り組み』の具体的な中身をどのように記述するか?」という問題に対して、明確な解答を示すことはできていない。本書の大半は、

 ・「分析的取り組み」と「解釈的取り組み」は同じ組織の中で共存しうること
 ・マネジャーは両方の取り組みに責任を負う必要があるということ

の説明に割かれている。「解釈的取り組み」のコアである「”曖昧さ”との対話」とは一体どのようなものなのか?この点については、残念ながら詳しく知ることができない。ふむー、自宅の本棚に置きっ放しになっている『U理論』や、「対話」と言えば必ず出てくる物理学者デビッド・ボームの著書を読みこんでみるとするか。
June 07, 2011

保護された「公共空間」の重要性―『イノベーション 「曖昧さ」との対話を通じた企業革新』

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リチャード・K. レスター
生産性出版
2006-03
posted by Amazon360

 (前回からの続き)

 とはいえ、先ほどの2つの命題が間違いだったとは私は思わない。この2つの命題が広まった80年代から90年代初頭の時代背景を考慮する必要がある。この時期のアメリカでは、アメリカ製よりも日本製やドイツ製の方が好まれた。これは紛れもなく、日本製やドイツ製の方が、顧客のニーズに合致していたからだ。安くてめったに故障しない日本車は、高い金を払っているのに頻繁に故障するビッグスリーの車に悩まされていたアメリカ人にとって、願ってもない製品だったに違いない。だから、「アメリカ企業は、日本やドイツの企業のように、もっと顧客の声を聞くべきだ」という命題が導かれたと推測される。

 また、もう一方のコア・コンピタンスの命題は、アメリカ企業のコングロマリット化に対するアンチテーゼとして提示されたものであろう。事業の多角化を狙ってM&Aが盛んに行われていたが、買収後の企業価値が、しばしば買収前の2社の企業価値の合計を下回ることが研究者の間でも指摘されていた(マイケル・ポーターもM&Aに関する研究を行っており、シナジー効果のないM&Aには早くから警鐘を鳴らしていた)。

 シナジーという単語は、M&Aを正当化するのには非常に便利な言葉である。しかし、M&Aの成功確率の低さが明るみになると、その反動として、「もっと自社の足元を見つめ直し、本当の強みを見極めるべきだ」という方向に議論が傾いたと考えられる。

 だから、2つの命題は、時代背景に照らし合わせれば至極全うなものであった。さらに言えば、マーケティングなしに企業の存続は考えられないから、2つの命題は今でも十分に有効である。ただし、それはマーケティングの分野に限られた話である。生産性の向上や市場シェアの拡大だけを志向しても、いずれは限界がくる。そこからさらなる成長を実現するには、「解釈的取り組み」を通じたイノベーションを追加しなければならない。つまり、「分析的取り組み」と「解釈的取り組み」の両方を同時進行させる必要がある、というわけだ。

 「分析的取り組み」が企業活動のムダを排除しようとするのとは対照的に、「解釈的取り組み」は冗長性を推奨する。部門間の交流、異なる技術間の交流、サプライヤーや外部機関との交流、非顧客との交流など、「分析的取り組み」であれば排除されるような、既存の枠組みを超えた異質・曖昧さとの交流がよしとされる。こうした冗長な活動をひっくるめて、著者は「対話」と呼んでいる。そして、「対話」を「分析的取り組み」の圧力から守るために、「公共空間」が必要だと説く。個人的には、この点が非常に興味深く感じた。

 日常業務から離れたオープンなスペースでの「対話」の重要性は、1年半ぐらい前に紹介した『ダイアローグ−対話する組織』という書籍でも指摘されている。ただし、この本では、こうしたオープンスペースがどのようなものになるのか?といった具体的な記述は見られなかった。

中原 淳
ダイヤモンド社
2009-02-27
おすすめ平均:
うーん、これは厳しい。
さらっと読んだのですが・・・
学習する組織のための対話とは
powerd by Amazon360

 一方、『イノベーション 「曖昧さ」との対話を通じた企業革新』では、「公共空間」として(1)企業内の場、(2)企業間のネットワーク、(3)規制、(4)大学という4つの具体例を挙げている。(1)企業内の場とは、例えばAT&TやIBM、デュポンなどが所有していた企業内研究所を指す。(2)企業間のネットワークとは、P&Gの「コネクト・アンド・ディベロップ」のような活動を想起していただければ解りやすい(以前の記事「柔らかいアイデアの段階で予算をつける勇気がイノベーションのカギ―『ゲームの変革者』」などを参照)。

 (3)規制が「公共空間」になるという指摘が面白いのだが、これは、行政が既存の規制を企業に適用する場面ではなく、行政と企業が共同で新しい規制を構築するケースを指している。新しい規制が形成される過程では、行政・企業のメンバーが、消費者のニーズやトレンド、産業を構成する各種プレイヤーの動向、技術発展の見通しなどをめぐって、自由闊達に情報交換する。さらに、規制すべきプレイヤーは誰であって、その利害は何か?逆に、規制によって保護すべきプレイヤーは誰で、その利害は何なのか?などといった、踏み込んだ「対話」が展開されるというのである。

 本書では、パナソニックがかつて連邦政府通信委員会(FCC)の諮問委員会のメンバーから外されてしまい、国外のインフラ基盤事業において事実上競争することができなくなってしまった、という事例が取り上げられている。逆の見方をすれば、FCCが規制を形にしていく段階で、アメリカ国内のインフラ基盤事業の方向性が巧妙に固められていたというわけだ。規制策定に参加していた企業は、この方向性に沿って自社のビジネスを展開できる。他方、メンバー外の企業は、規制の中身を理解することから出発しなければならず、スタート段階でいきなり競合の後塵を拝してしまうのである。

 (4)大学とは、いわゆる産学連携のことを意味している。ここに「官」が加わって産学官連携になると、(3)と(4)がミックスした公共空間が生まれるかもしれない。

 もっとも、「公共空間」を作ればイノベーションが加速すると考えるのは甘い見通しであろう。(1)企業内の場については、そもそも企業自体が「分析的取り組み」の塊と化しているため、そこに「解釈的取り組み」の場をつけ加えることが困難になりつつある(この点は、『ダイアローグする組織』の著者である中原淳准教授も指摘していた)。

 また、(2)企業間ネットワークについては、ネットワークを構成するそれぞれのプレイヤーにも「公共空間」に対する十分な理解が求められる。「分析的取り組み」でガチガチになっている企業がネットワークに入ってきてしまったら、かえって「対話」の邪魔になることは容易に想像がつく。

 となると、(3)規制や(4)大学に望みを託すのか?ということになるが、この2つはやや特殊な例だと思われる。本書で論述の対象となっている業界には、携帯電話や医療機器メーカーなど、法的な規制や大学の研究との関係が深いものが実は多い。個人的には、(3)(4)はこうした事情から導かれたと考えている。

 では、「公共空間」は空論と諦めるしかないのか?というと、それはそれでまた早急な判断であろう(議論がグルグル回って恐縮だが・・・)。(2)〜(4)は利害関係者が多くなるので、その分「公共空間」の構築には様々な困難な伴う。それに比べれば、(1)は企業単独で実施可能だ。私は、まずはこれに望みを託したい。その際には、業務や組織のデザインをがらりと変える必要がある。例えば、

 ・「解釈的取り組み」に参画するのは誰か?グーグルや3Mのように、全社員が一部の業務時間を「対話」につぎ込むことができるようにするのか?それとも、「公共空間」の名にふさわしい、既存事業部門からは隔離された部署を設立するのか?

 ・上記の変更に伴って、各社員のジョブ・スクリプション(職務定義書)はどのように変わるのか?(日本だと明確な職務定義書が存在しないが、目標管理制度[MBO]などを採用している企業であれば、期初に設定する目標の中身が従来とは変わるはず)

 ・マネジャーの役割はどうなるのか?「分析的取り組み」と「解釈的取り組み」を状況に応じて首尾よく切り替えるスイッチの役割を果たすのか?それとも、「解釈的取り組み」を専門とし、「解釈的取り組み」の成果に責任を持つマネジャーを新たに任命するのか?

 ・「解釈的取り組み」につぎ込む予算はどのように捻出するのか?また、「解釈的取り組み」から生まれる各種プロジェクトに、どうやって予算を割り振るのか?

 ・「解釈的取り組み」の成果をどのように測定するのか?また、その成果をどうやって人事考課(給与・等級)に反映させるのか?

 ・「解釈的取り組み」に必要なスキル・知識とは何か?それを現場社員やマネジャーに習得してもらうためには、どのようなトレーニングを実施すればよいか?

 などなど、幅広い問いに対し一貫性のある解を用意しなければならないだろう。

 (まだまだ続くよ)