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新ブログ 谷藤友彦ー本と飯と中小企業診断士
April 05, 2006
増え続ける知識の「在庫コントロール」が必要になる
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知識労働者は、自分自身の頭の中に重要な資本である知識を蓄積しています。それは「知識在庫」と呼べるものです。知識労働者はいつでも自らの知識を適用して仕事が行えるように、日常的に知識在庫を用意し、知識在庫を適切に管理する必要があります。
知識は頭の中にあるとはいえ、知識が脳の中にどのように蓄積されているかは、脳神経学の権威であっても理解しがたいことです。まして、一般の知識労働者があずかり知るところではありません。とはいえ、脳の仕組みを理解しなければ知識在庫を蓄積することができないわけではありません。ごくごく簡便な方法で知識在庫を準備することは可能であり、この記事で論じたいのもそういった方法に関することです。
知識在庫は、一定のルール・形式に従って蓄積されなければなりません。
私達が知識を蓄積する方法として最も頻繁に行うのが、「メモを取る」という手法です。しかし、どんなに優れたメモであっても、それが無秩序に作成されたならば、それらのメモの大半は、書かれた日を最後に二度と私達の目に触れることはないでしょう。私達は乱雑なものを後から掻き分けて探すようなことはしたくないと思うものです。知識在庫が後から参照可能であるためには、少なくとも何らかのルール・形式に従って知識を整理しておくことが必須条件です。
梅棹忠夫『知的生産の技術』で紹介されて以来広く知られるようになった京大カード(京大式カード)は、知識在庫の代表です。京大カードとは、B6サイズの厚手のカードをケースに入れたもので、一般にはメモなどを取るために使用されるものです。もともとは研究者が文献の引用文や思いついたアイデアなどを書き留めておくためのものでした。研究者はケースの中でカードを並べ替えながら、論文や書籍を書くためのストーリーを思い描くのです。
私が友人から聞いた話によると、その友人の学生時代の担当教授は、毎朝自分の研究室に出勤するとすぐにパソコンに向かって、前日に思いついたことを文章にし、ファイルを保存しておくそうです。毎日続けることにより膨大な知識在庫が出来上がります。パソコンの検索機能を利用すれば、目的の文書をすぐに引き当てることができます。また、パソコンの文書はコピー&ペーストを活用すれば簡単に編集ができるため、過去の知識を組合せながら生産的な論文作成が可能になります。
音楽をやっている私の友人は、思いついたメロディー(それがたとえ1小節であっても)を携帯電話に録音して溜めています(※注)。知識労働者は常に知識を所有しているため、極端なことを言えばいつでも仕事が可能です。しかし、いつでも可能であるがゆえに、今やらなくてもいいという甘えも生まれがちです。音楽の場合、ふとした瞬間にいいメロディーが思い浮かぶことがあります。しかし、それを忘れてしまってはせっかくの機会を台無しにすることになります。だから、思いついたその場で録音しておき、後でじっくりと曲を練り上げるのです。
知識在庫は、検索が容易でなければなりません。通常の在庫の場合でも、在庫検索システムは重宝されます。物流を強化するためには在庫検索システムは欠かせない存在です。同様に、知識を適用するスピードを上げ、知識労働の生産性を高めるためには、知識在庫を検索するための仕組みを作る必要があります。知識在庫の検索システムは、いかなる知識があるかという情報をすばやく返すことはもちろんのこと、いかなる知識が「ないか」という情報も瞬時に教えるものでなければなりません。「ない」というシグナルが、知識労働者に新たな知識を獲得させるための契機になるのです。
そして、通常の在庫の場合、定期的に棚卸しを実施して不良在庫を処分し、あるいは資産の回転率を上げるために在庫を圧縮することが求められるのと同様に、知識資本も一定の期間ごとに棚卸しを実施して体系的廃棄を行わなければなりません。
(※注)作曲家も知識労働者である。いかなる音やリズムの組合せがいかなる雰囲気のメロディーを生むかを知っていなければならないし、様々な楽器のバランスを取りながら楽曲を構成するためにどのような編集をすべきかを知っていなければならない。
知識は頭の中にあるとはいえ、知識が脳の中にどのように蓄積されているかは、脳神経学の権威であっても理解しがたいことです。まして、一般の知識労働者があずかり知るところではありません。とはいえ、脳の仕組みを理解しなければ知識在庫を蓄積することができないわけではありません。ごくごく簡便な方法で知識在庫を準備することは可能であり、この記事で論じたいのもそういった方法に関することです。
知識在庫は、一定のルール・形式に従って蓄積されなければなりません。
私達が知識を蓄積する方法として最も頻繁に行うのが、「メモを取る」という手法です。しかし、どんなに優れたメモであっても、それが無秩序に作成されたならば、それらのメモの大半は、書かれた日を最後に二度と私達の目に触れることはないでしょう。私達は乱雑なものを後から掻き分けて探すようなことはしたくないと思うものです。知識在庫が後から参照可能であるためには、少なくとも何らかのルール・形式に従って知識を整理しておくことが必須条件です。
梅棹忠夫『知的生産の技術』で紹介されて以来広く知られるようになった京大カード(京大式カード)は、知識在庫の代表です。京大カードとは、B6サイズの厚手のカードをケースに入れたもので、一般にはメモなどを取るために使用されるものです。もともとは研究者が文献の引用文や思いついたアイデアなどを書き留めておくためのものでした。研究者はケースの中でカードを並べ替えながら、論文や書籍を書くためのストーリーを思い描くのです。
知的生産の技術 (岩波新書) 梅棹 忠夫 岩波書店 1969-07-21 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
私が友人から聞いた話によると、その友人の学生時代の担当教授は、毎朝自分の研究室に出勤するとすぐにパソコンに向かって、前日に思いついたことを文章にし、ファイルを保存しておくそうです。毎日続けることにより膨大な知識在庫が出来上がります。パソコンの検索機能を利用すれば、目的の文書をすぐに引き当てることができます。また、パソコンの文書はコピー&ペーストを活用すれば簡単に編集ができるため、過去の知識を組合せながら生産的な論文作成が可能になります。
音楽をやっている私の友人は、思いついたメロディー(それがたとえ1小節であっても)を携帯電話に録音して溜めています(※注)。知識労働者は常に知識を所有しているため、極端なことを言えばいつでも仕事が可能です。しかし、いつでも可能であるがゆえに、今やらなくてもいいという甘えも生まれがちです。音楽の場合、ふとした瞬間にいいメロディーが思い浮かぶことがあります。しかし、それを忘れてしまってはせっかくの機会を台無しにすることになります。だから、思いついたその場で録音しておき、後でじっくりと曲を練り上げるのです。
知識在庫は、検索が容易でなければなりません。通常の在庫の場合でも、在庫検索システムは重宝されます。物流を強化するためには在庫検索システムは欠かせない存在です。同様に、知識を適用するスピードを上げ、知識労働の生産性を高めるためには、知識在庫を検索するための仕組みを作る必要があります。知識在庫の検索システムは、いかなる知識があるかという情報をすばやく返すことはもちろんのこと、いかなる知識が「ないか」という情報も瞬時に教えるものでなければなりません。「ない」というシグナルが、知識労働者に新たな知識を獲得させるための契機になるのです。
そして、通常の在庫の場合、定期的に棚卸しを実施して不良在庫を処分し、あるいは資産の回転率を上げるために在庫を圧縮することが求められるのと同様に、知識資本も一定の期間ごとに棚卸しを実施して体系的廃棄を行わなければなりません。
(※注)作曲家も知識労働者である。いかなる音やリズムの組合せがいかなる雰囲気のメロディーを生むかを知っていなければならないし、様々な楽器のバランスを取りながら楽曲を構成するためにどのような編集をすべきかを知っていなければならない。
March 27, 2006
レスター・C・サローの名言
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「賃金格差の広がりに対する正しい対応策は、技能格差を縮小することである。経済格差の広がりは、グローバリゼーション、資本主義、そして知識資本主義によるという議論は正しくない。正しい対応策とは教育と技能水準を上げることである。これはつまり全員が生活の糧となるような技能を身につけ、生涯にわたって新しい技能を収得していくことに前向きに努力していくことである。十八や二十二歳までに収得した技能で、生涯生活できるということは稀となるであろう。『生涯教育の実施』は現実のものであり、よく話題にのぼるが、さして実行されない単なる標語ではないのである。」レスター・C・サロー
(レスター・C・サロー著、三上義一訳『知識資本主義』ダイヤモンド社、2004年)
1938年生まれ。68年よりマサチューセッツ工科大学経済・経営学教授。87年から93年にかけて同大スローン・スクール経営大学院長を務めた。経済学の世界的権威であり、グローバリズムに対して肯定的な見方をしている。
日本でも格差社会が話題となっているが、最近の賃金格差拡大は様々な要因が絡み合って引き起こされているので、因果関係を特定するのが容易ではない。引用文のように、グローバリゼーション、資本主義、そして知識資本主義のせいではない、と言い切れるかどうかも解らない。
ただ、これからの知識資本主義の時代は、知識(ここでいう知識は、学校教育で教えられる知識のことではない。顧客に対して価値を提供することができる源泉となる知識のことである)を持たない人間にとっては厳しい時代になることは確実である。実は、ドラッカーも20年ほど前から似たような指摘をしている。「生涯教育」は確かに必要だが、教育制度が整備されるのにはまだ時間がかかる。それまでは各々が「生涯学習」を自発的に行うしかない。このことに気づいている者とそうでない者との間で、今後さらに賃金格差が拡大する可能性が高い。
知識資本主義 レスター・C・サロー 三上 義一 ダイヤモンド社 2004-09-10 Amazonで詳しく見るby G-Tools |
January 13, 2006
上司のマネジメント〜「報・連・相」以上に、上司に対し自分の仕事内容を具体的に伝える責任
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最近、「上司のマネジメント」という検索フレーズで私のブログを訪問してくださる方がいらっしゃいます。以前に書いた「上司のマネジメント」という記事にたどり着くのですが、如何せん問題提起だけで終わっている走り書きのような記事なので、せっかく訪問してくださった方をがっかりさせてしまったに違いありません。これ以上失望させてはなるまいと思い、上司のマネジメントをテーマに記事を書きたいと思います。
上司のマネジメントは、上司自身が期待された仕事上の成果を上げるために部下に何ができるか、上司が部下との関係において職務上の責任を全うするために部下に何ができるか、といった問いに答えることです。
近年の組織における上司と部下の関係について伝統的組織と決定的に異なるのは、近年では上司が部下の仕事を知らないケースが増えているということです。伝統的組織においては、上司と部下は命令によって繋がる関係でした。上司は部下がすべき仕事をすべて把握していました。なぜなら、上司はその仕事の経験を通じて上司に昇進したからです。上司は自分がかつてしていた仕事を、部下にするように命令していました。少なくとも、伝統的な組織論はこうした事態を想定していました。
ところが、最近は上司が部下の仕事を把握できないことが多くなっています。第一に、労働市場の流動化により、上司が中途採用された者である場合が増加したためです。中途採用者は当然ながら部下の仕事を知らないまま上司としての職務を全うしなければなりません。
第二に、組織を取り巻く環境の変化、技術革新、事業の再構築、業務のたゆまぬ改善などによって、長年のうちに仕事内容が大きく変わることがあるためです。組織は様々なことが契機となって変化します。変化のたびに仕事内容も変容します。上司が昇進前に行っていた仕事は、数年後には全く内容の異なるものになっていることもあるのです。
第三に、権限委譲によって部下の仕事が変わる可能性があるためです。権限委譲は通常、上司がかつて持っていた権限を部下に委譲することを意味します。しかし現実には、上司と部下の間で権限委譲に関して明示的に文書を交わすわけでもないため、上司が把握していないところで部下が権限を得ることも考えられます。向上心の強い部下であれば、委譲された権限をきっかけとして、自ら進んで仕事を拡大することもあるでしょう。
しかし、上司と部下の関係は消えません。ある人の仕事の結果に対して一定の範囲あるいは全面的に責任を有する者が別に必要になります。それは他ならぬ上司です。また、上司は部下の評価、教育訓練、能力育成を行う義務もあります。
こうした状況下で、部下が上司に対してやるべき基本的なことは、自らの仕事内容を上司にきちんと伝えることです。これはよく部下が上司に対して欠かしてはいけないと言われる『ほうれんそう(報告・連絡・相談)』以上のことを意味します。報告や連絡などは、上司が部下の仕事内容の全部とまではいかなくても大半を理解しているという前提のもと、上司が部下の進捗を確認するために行われるという意味合いがあります。しかしここで重要なのは、上司が知らない部下の仕事内容を、上司にも理解できるように部下が知らせる必要があるということです。部下は、「今私は何をしているのか」を的確に上司に説明しなければならないのです。
上司は部下の仕事に一定の責任を有しています。上司が部下の仕事を知らないならば、上司は知らないことに対して責任を負わなければならないことになります。これはあまりに酷です。上司が責任を全うするために、部下には仕事の説明責任が生じるのです。
上司が部下を適切に評価し、最適な訓練を施すためには、当然ながら部下の仕事ぶりを十分に理解する必要があります。もちろん、上司も積極的に部下のことを理解しようとしなければなりません。しかし、やはり仕事を実際に行っている部下自身が、仕事について十分に上司に知らせることが最も効果的です。半期ないし1年に一度行われる業績考課の面談で説明するだけでは不十分です。半年ないし1年の仕事は数時間の面談では理解しえません。普段から上司と密接なコミュニケーションが求められるのです。
上司のマネジメントは、上司自身が期待された仕事上の成果を上げるために部下に何ができるか、上司が部下との関係において職務上の責任を全うするために部下に何ができるか、といった問いに答えることです。
近年の組織における上司と部下の関係について伝統的組織と決定的に異なるのは、近年では上司が部下の仕事を知らないケースが増えているということです。伝統的組織においては、上司と部下は命令によって繋がる関係でした。上司は部下がすべき仕事をすべて把握していました。なぜなら、上司はその仕事の経験を通じて上司に昇進したからです。上司は自分がかつてしていた仕事を、部下にするように命令していました。少なくとも、伝統的な組織論はこうした事態を想定していました。
ところが、最近は上司が部下の仕事を把握できないことが多くなっています。第一に、労働市場の流動化により、上司が中途採用された者である場合が増加したためです。中途採用者は当然ながら部下の仕事を知らないまま上司としての職務を全うしなければなりません。
第二に、組織を取り巻く環境の変化、技術革新、事業の再構築、業務のたゆまぬ改善などによって、長年のうちに仕事内容が大きく変わることがあるためです。組織は様々なことが契機となって変化します。変化のたびに仕事内容も変容します。上司が昇進前に行っていた仕事は、数年後には全く内容の異なるものになっていることもあるのです。
第三に、権限委譲によって部下の仕事が変わる可能性があるためです。権限委譲は通常、上司がかつて持っていた権限を部下に委譲することを意味します。しかし現実には、上司と部下の間で権限委譲に関して明示的に文書を交わすわけでもないため、上司が把握していないところで部下が権限を得ることも考えられます。向上心の強い部下であれば、委譲された権限をきっかけとして、自ら進んで仕事を拡大することもあるでしょう。
しかし、上司と部下の関係は消えません。ある人の仕事の結果に対して一定の範囲あるいは全面的に責任を有する者が別に必要になります。それは他ならぬ上司です。また、上司は部下の評価、教育訓練、能力育成を行う義務もあります。
こうした状況下で、部下が上司に対してやるべき基本的なことは、自らの仕事内容を上司にきちんと伝えることです。これはよく部下が上司に対して欠かしてはいけないと言われる『ほうれんそう(報告・連絡・相談)』以上のことを意味します。報告や連絡などは、上司が部下の仕事内容の全部とまではいかなくても大半を理解しているという前提のもと、上司が部下の進捗を確認するために行われるという意味合いがあります。しかしここで重要なのは、上司が知らない部下の仕事内容を、上司にも理解できるように部下が知らせる必要があるということです。部下は、「今私は何をしているのか」を的確に上司に説明しなければならないのです。
上司は部下の仕事に一定の責任を有しています。上司が部下の仕事を知らないならば、上司は知らないことに対して責任を負わなければならないことになります。これはあまりに酷です。上司が責任を全うするために、部下には仕事の説明責任が生じるのです。
上司が部下を適切に評価し、最適な訓練を施すためには、当然ながら部下の仕事ぶりを十分に理解する必要があります。もちろん、上司も積極的に部下のことを理解しようとしなければなりません。しかし、やはり仕事を実際に行っている部下自身が、仕事について十分に上司に知らせることが最も効果的です。半期ないし1年に一度行われる業績考課の面談で説明するだけでは不十分です。半年ないし1年の仕事は数時間の面談では理解しえません。普段から上司と密接なコミュニケーションが求められるのです。