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December 31, 2011

【2011年最後の記事】「問題を解決する気がない人」の問題解決にいつまでもつき合うな

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【996本目】1,000エントリーまであと4。

 えー、目標としていました年内1,000エントリーは達成できませんでした、スミマセン・・・今月は記事を19本書いて、DHBRのレビューだけで10本を消化するという強引な(?)技も使ったものの、目標達成ならず。あと4本は2012年に持ち越し。

 今年最後の記事ということで、簡単に1年を振り返ってみると、今年は”何にもない1年”だった。悲しいかな、30年生きてきてこれほどまでに収穫のない年は初めてだ。それでもたった1つ教訓になったことがあるとすれば、「問題を解決する気がない人の問題を、いつまでも解決しようとするな」ということか?「何をエラそうなことを!?」と思われる方がいらっしゃるかもしれないが、どんな問題でも自分が解決できると思って首を突っ込むのは、利他主義の名を借りた一種の利己主義ではなかろうか?

 私は決してお節介な性格ではないけれども、自分も多少関係している問題については、解決の力になればと思って協力したくなる。しかし、どんなに手を変え品を変えてあれこれ議論したり説得したりしても、頑なに考えを変えない人、あるいは何を考えているのか腹の底がつかめない人にいつまでも関わるのは、時間と精神を擦り減らすだけだ。そういう場合はさっさと見切りをつけて、もっと前向きに問題解決したいと望んでいる人たちのために自分のパワーを使った方が、よっぽど有益だと悟ったわけである。

 私がSEとして最初の会社に就職した時に、「SEの必読書」として紹介された『ライト、ついてますか』という本には、こんな一文がある。今になって、この言葉の意味がよく解る気がする。
 あとから調べてみれば、本当に問題を解いてほしかった人はそんなにいないものだ。
(※太字は原文ママ)
ライト、ついてますか―問題発見の人間学ライト、ついてますか―問題発見の人間学
ドナルド・C・ゴース G.M.ワインバーグ 木村 泉

共立出版 1987-10

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 ここから突然孔子の話になるが、『論語』には孔子が人々とどのように接していたのかがうかがえる一説があり、非常に興味深い。
 子曰く、吾知ること有らんか、知ることなきなり。鄙夫(ひふ)あり、来たりて我に問う。空空如(くうくうじょ)たり。我その両端を叩き而して竭(つく)せり。(子罕)
 まず、孔子は基本的なスタンスとして、「私は何か知っていることがあるだろか?いや、何も知らない」と宣言し、ソクラテスの「無知の知」とも共通する謙虚な姿勢を見せる。そんな自分に、「鄙夫」=身分が低く、知識に乏しい男が「空空如」と質問をしてきたら、すなわち真面目に質問をしてきたならば、孔子は「自分の頭を隅々まで叩いて、知恵を絞り真剣に答えてやる」と言う。

 しかし、他の箇所では次のようにも述べている。
 子曰く、狂にして直ならず、どう(※人偏に「同」)にして愿(げん)ならず、くうくう(※「くう」は立心偏に「空」)として信ならずんば、吾これを知らず。(泰伯)
 「狂」とは志は大きいが実行が伴わないことを指す。「どう」は無知であることを、「くうくう」は無芸無能であることを意味する。「狂」なのに正直でなく、「どう」である上に愿=真面目でなく、「くうくう」である上に誠実でないならば、孔子にもどうしようもない。孔子は身分の貴賎や知識の深浅を問わず、あらゆる人と議論を交わす準備をしていた。とはいえ、相手の性格に難がある場合は、「吾これを知らず」とあっさり手を引いてしまうのである。

 聖人・孔子ですらこうなのだ。いわんや凡人であるこの私が、全ての問題解決にこだわる理由などあるだろうか?来年はもっと人を観る眼を養おう。それでは皆さん、よいお年を。


(※)『論語』の原文と日本語訳は、竹内均編『渋沢栄一 「論語」の読み方』(三笠書房)を参考にした。

渋沢栄一「論語」の読み方渋沢栄一「論語」の読み方
渋沢 栄一 竹内 均

三笠書房 2004-10

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September 15, 2010

「個人的な怨讐」を超越した渋沢の精神力−『渋沢栄一「論語」の読み方』

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渋沢 栄一
三笠書房
2004-10
おすすめ平均:
渋沢さんの心、論語の心、それらが相俟って浮き彫りにされていく本
論語を理解するには、不適
論語の入門書に最適でしょう。
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 またまたこの本で1つ記事を書いてみた。「どれだけ引っ張るんだ?」という突っ込みはやめてね。 

 渋沢は何千もの企業や非営利組織の設立、運営に関わっていたから、当然のことながら様々な交渉の場に顔を出す必要があった。しかし、渋沢は今でいうアップルのジョブズみたいなタフ・ネゴシエーターというよりも、その丸顔からイメージされる通りの温厚な性格をいつも崩さなかった。どんなに厳しく難しい交渉であっても、交渉が終わって部屋から出てくる渋沢の表情はニコニコしていたと言われる。とかく交渉のテーブルでは、怒りや憎しみといった個人的な感情が交錯するものだが、渋沢はそうした感情を超えて意思決定をすることができる人物であった。

 『論語』の一番最初の文章は、
 子曰く、学びて時にこれを習う。また説(よろこ)ばしからずや。朋遠方より来たるあり。また楽しからずや。人知らずして慍(いきどおら)ず、また君子ならずや。(学而第一−一)
【現代語訳】 先生がおっしゃった。「物事を学習して日常生活の中で復習する。これは非常に嬉しいことだ。自分と同じく学問を志す友人が遠くから訪ねてくる。これは非常に楽しいことだ。他人が自分のことを評価しないからと言って怒ったりしない。これは君子として立派な態度だ」
である。渋沢は、とりわけ最後の「人知らずして慍ず、また君子ならずや」という部分を重要な教訓として、終生大事にしていたようだ。
 私は今日まで『論語』のこの教訓を肝に銘じてきた。自分の尽くすべきことを尽くしさえすれば、たとえそのことが人に知られず、世間に受け入れられようが入れられまいが、いっこうに気にせず、けっして、慍るとか立腹するとかいうことはせずにきたつもりである。
 怒りは冷静な判断を阻害し、意思決定の質を歪める方向に作用する。そのことを『論語』を通じて知っていた渋沢は、どんな局面でも努めて冷静に振舞うよう、日頃から精神を鍛えていた。いやー、本当に尊敬するなぁ。私なんかは、自分で「果たして意思決定に感情は不要なのか?」という記事を書いておきながら、どちらかというと短気な性格が未だに直らないから、まだまだ人間として未熟だ…。

 前述の通り、渋沢は怒りの感情を封印していたとはいうものの、渋沢が争いごとを好まなかったわけではない。むしろ、他人と争うことには肯定的であり、やるからには徹底的にやるという覚悟も持っている。
 私も若いときから争わねばならぬことにはずいぶん争ってきた。威望天下を圧していた大久保利通大蔵卿とも侃侃諤諤の議論を闘わしたこともある。八十の坂を越した今日でも、私の信じるところをくつがえそうとする者が現れれば、私は断乎としてその人と争うことを辞さない。私が自ら信じて正しいとするところは、いかなる場合にも、けっして他人に譲るようなことをしない。
 渋沢の考えと真っ向から対立する人物の代表格が、三菱の創始者・岩崎弥太郎である。渋沢は多数の株主から出資を募る「合本主義」を唱え、合議による経営を是としていたのに対し、岩崎は自らが資本も経営も独占するという典型的な「専制主義」の立場をとっていた。

 両者の対立が最もヒートアップしたのは、三菱の独占的な海運事業に対抗して、渋沢と井上馨らが共同運輸会社を設立した時であろう。2社は熾烈な値引き合戦を繰り広げたため、ついには双方の経営が危うくなるほどであった。共倒れを回避したい渋沢は、最終的には2社を合併することで決着させる。こうして生まれたのが、現在の日本郵船である。

 だが、渋沢がいくら争いごとで立腹しないといっても、これほどの過激な争いをいつも続けていたら、さすがに身がもたないだろう。渋沢は、基本的には臨戦態勢を見せているものの、ほどほどでやめることも心得ていたようだ。
 私の多年の経験によれば、自分と処世の流儀が全然違う人に対しては、どれほど自分の意見を述べて同意させようとしてみても、それは聞き入れられるものではなく、無駄な努力に終わる。釈迦も「縁なき衆生は度し難し」と言っている。
 では、渋沢が師と仰ぐ孔子はどうなのか?『論語』の文章を丁寧に読んでいくと、面白いことに気づかされる。
 子曰く、吾知ること有らんか、知ることなきなり。鄙夫(ひふ)あり、来たりて我に問う、空空如(くうくうじょ)たり。我れその両端を叩き而して竭(つく)せり。(子罕第九−八)
【現代語訳】 先生がおっしゃった。「私はあらゆることを知っているだろうか。いや、そんなことはない。卑しい男が私のもとにやって来て、真面目な態度で質問するならば、私は自分の頭を隅々まで叩いて、納得するまで答えてやるつもりだ」
 孔子も、相手が誰かを問わず、知恵を絞って真摯に教えることを基本姿勢としている。ただし、これには「相手が真面目な態度であること」という条件がついている。

 別の箇所では、孔子は次のように述べている。
 子曰わく、狂にして直ならず、侗(どう)にして愿(げん)ならず、悾悾(くうくう)として信ならずんば、吾れこれを知らず。(泰伯第八−十六)
【現代語訳】 先生がおっしゃった。「志は大きいのに正直でなく、無知なのに真面目でなく、無芸無能なのに誠実でないような人は、私でもどうしようもない」
 孔子はどんな人であっても教えを授ける、というわけではないことがこの一文からも伺える。性格に問題を抱えている人間は自分の手に負えない。孔子ですら、あっさりと切り捨てているのである。

 孔子は自らが理想とする政治の実現に尽力したが、孔子が生きた時代は春秋・戦国という動乱の世である。低俗な動機で動いている人間も少なくなかったはずだ。彼らに孔子のような高潔な考えはなじまない。よって、孔子は自分の主張が受け入れられず、しばしば諸国を転々とせざるを得なかった。

 渋沢が生きた幕末から明治も、社会構造が大きく変わったという点で春秋・戦国時代と共通している。孔子の教えに従った渋沢もまた、何度か苦い経験を味わっている。その1つが「王子製紙乗っ取り事件」だ。

 渋沢は、自らが社長を務める王子製紙の増資の件で、大株主である三井に相談をもちかけた。三井のトップである中上川彦次郎は、増資に同意する代わりに、藤山雷太を役員として派遣する約束を交わした。ところが、役員になった藤山は、社内政治を巧みに利用して渋沢をはじめとする旧経営陣を一掃してしまったのだ。

 ただ、渋沢がすごいと思うのは、「君とは馬が合わないからハイさよなら」と簡単に関係を断ち切るようなことがない点である。
 しかし、あまり早々と見切りをつけるのもよくない。縁が切れてしまえば、いかに主人に欠点を改めさせよう、友人の欠点を矯正してやろうと思っていても、不可能である。絶交してしまったりするよりも、その関係を絶たぬようにしていれば、長い歳月のうちには、よい機会があって多少なりとも、アドバイスできることもあるものである。
 実際、先ほどの藤山雷太に関して言えば、大日本製糖(現大日本明治製糖)が汚職事件を起こして経営に行き詰った際に、渋沢が会社再建のキーマンとして藤山を指名しているくらいだ。かつて自分を社長の椅子から蹴り落とした人間を推薦するとは普通では到底考えられないことだが、渋沢はあくまでも個人的な感情を差し置いて藤山の能力を買ったのである。(※)

(※)中野明著『岩崎弥太郎「三菱」の企業論−ニッポン株式会社の原点』(朝日新聞出版、2010年)
September 11, 2010

論語が実学であることを身をもって証明した一冊−『渋沢栄一「論語」の読み方』

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渋沢 栄一
三笠書房
2004-10
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渋沢さんの心、論語の心、それらが相俟って浮き彫りにされていく本
論語を理解するには、不適
論語の入門書に最適でしょう。
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 渋沢栄一は明治6年、将来が約束された役人の道を捨てて実業界に身を投じた。周囲の反対を押し切っての一大決心だった。それ以降、渋沢は終始『論語』を手放さず、「論語で事業を経営してみせる」とまで言い張ったという。同書は、『論語』の各文について渋沢自身が解説を加えたものである。『論語』の入門書として読むことももちろんできるが、それ以外にも色々な楽しみ方ができる。

(1)『論語』を事業経営に活用する方法を学ぶ本として
 『論語』の意義は、春秋・戦国という乱世において、保守的かつ実践的な処世術を説いた点にある。よって、本来は万人にも理解できる実用書としての性格を持つものであった。ところが、宋の時代に朱子学が確立されて以降、一般人にはおよそ理解し難い複雑な解釈が次々と生まれ、実学としての立場は徐々に失われていった。

 日本でも、江戸時代以前までは古代の解釈=<古注>が中心であったが、江戸時代に儒学者・林羅山が京都の町衆に対して『論語』の講義を行い、それに感銘を受けた徳川家康が儒教を政治の中心に据えた際に基盤としていたのは、宋代に生まれた解釈=<新注>であった。それ以降、江戸の儒学では<新注>が主流となる。

 これに異を唱えたのが、江戸中期に登場した伊藤仁斎と荻生徂徠である。二人は古注の復興を目指し、実学としての『論語』の復活に尽力した。彼らの活動は、中国・清の儒学者にも影響を与えている。(※1)

 渋沢は同書の中で<古注>と<新注>の違いを意識しているわけではないが、『論語』は実学であり、実用できなければ意味がないと言い切っている。「論語で事業を経営してみせる」と豪語した渋沢が、実際にどのように論語を経営に応用したのかが同書を通じて見えてくる(渋沢が常々口にしていた「経済道徳一致説」については、以前にもブログで取り上げた)。

 「渋沢流儒学」とも言うべき1冊(1)−『論語と算盤』
 「渋沢流儒学」とも言うべき1冊(2)−『論語と算盤』

 例えば、事業投資の考え方としては、
 子曰く、約を以てこれを失する者は鮮(すくな)し。(里仁第四−二十三)
【現代語訳】 先生がおっしゃった。「倹約に努めれば、財産を失うことは少ない」
という孔子の言葉を紹介しながら、次のように述べている。
 経費を節約することはもちろん必要であるが、同時に国家として重要な意味をもつ事業に対しては、大いに積極的でなければならない。

 わが国は農業を基幹としているから、開墾その他農業の助成保護に出費を惜しんではならない。工業にしても欧米にくらべれば、進歩が遅れてすべて模倣であり追随であって、一つとして超えたものがない。(中略)こんな状態であるのに、これに対して倹約主義で臨んではならない。
 武士の慎ましい生活をよしとしていた江戸時代の空気が残り、商業が社会的に善なるものとして認識されていなかった明治初期においては、これは先進的な考え方であったと思う。

 また、人の上に立つリーダーは、言行が一致していなければならない。同書には言行一致を説いた孔子の言葉がいくつも引用されている。
 子曰く、君子は言に訥にして、行に敏ならんことを欲す。(里仁第四−二十四)
【現代語訳】 先生がおっしゃった。「君子は言葉を軽々しく発しないが、やると決めたら素早く行動に移そうとする」
はその1つだ。同書には書かれていないが、渋沢の言行一致の徹底ぶりを示すエピソードがある。渋沢は営利事業に加えて慈善事業にも尽力していたため、数多くの慈善団体の設立に関わっている。ある慈善団体の設立記念パーティーに出席した時のこと。パーティーには財界の著名人が多数参加していたのだが、渋沢はパーティーが終わりに近づくと突然姿を消してしまった。

 パーティーが終わって参加者が会場から出ようとすると、出口で渋沢が待ち構えていた。そして一人一人に対して、慈善団体の設立趣旨に賛同していただけるならば、是非寄付をしてほしいとお願いし、寄付の約束を取りつけるまで参加者を帰さなかったという。渋沢が慈善事業に本気であることを示すと同時に、慈善団体に関わろうとする人たちにも、口先だけの賛同ではなく身銭を削ることを要求したのである。

(2)渋沢と同時代に生きた幕末・明治の人物像を知る本として
 同書には、渋沢と同時代を生きた幕末・明治の人物が多数登場する。彼らに対する渋沢の人物評を楽しむのもこの本の読み方の1つだろう。渋沢が実際に会ったり、ともに仕事をしたりした関係だからこそ解る人物像は、普通の歴史書ではなかなか読むことができない。

 例えば、西郷隆盛については、
 たいへん親切な同情心の深い、一見して懐かしく思われる人
と評する一方で、政府に十分な軍事資金がない(新政府は廃藩置県に伴い旧藩の債務を引き受けていたため、深刻な資金不足に陥っていた)にもかかわらず、頑なに征韓論を主張して下野したことについては、
 いかなる名論卓説も実行が伴ってはじめて価値を生ずるのである。実行が伴わなければ、それは空説空論にすぎない。
と批判している。

 また、幕末に一橋家への仕官を勧め、一橋(徳川)慶喜に仕える道を開いてくれた平岡円四郎については、
 この人は実に一を聞いて十を知り、眼から入って鼻に抜けるぐらいの明察力があった。来客があるとその顔色を見て、何の用向きで来たということを、即座に察知するほとであった。
とその明晰ぶりを称えているものの、
 あまりに先が見えすぎて、とかく他人の先回りをするから、自然他人に嫌われ、ひどい目にあったりするものである。平岡が水戸浪士のために暗殺されたのも、明察にすぎて、あまりに先が見えすぎた結果ではなかろうかと思う。
と分析している。

 さらに、渋沢が民部省で役人を勤めていた頃の上司であった井上馨については、
人を用いるには、まずその人の善悪正邪を厳しく識別して、それから登用していた。
と人物を見極める鑑識眼を称賛しつつも、性格に関しては、
学問もあり識見もあり、頭脳もまた明敏であったが、怒りをうつしやすい性質だった。何か一つ気に入らないことがあると、四方八方に当たり散らす悪癖には閉口した。
と回顧している。

 他にも三条実美、岩倉具視、陸奥宗光、勝海舟、伊藤博文、木戸孝允、大隈重信、大久保利通、山県有朋、江藤新平などの素顔が垣間見えて、非常に面白い。

(3)いつの時代にも変わらない自己啓発の原則を学ぶ本として
 『論語』は君主が従うべき道を説いた書であると同時に、自己修練の方法を述べた書でもある。よって、政治の教科書であると同時に、ビジネスパーソンにとっての自己啓発書として楽しむこともできる。

 私が買った本の帯には、「孔子に学ぶ”月給を確実に上げる”秘訣!」という宣伝文句がついている(これはこれでちょっと露骨な釣りだなぁと思ったが…)。その秘訣は、次の文章の中にある。
 子張、禄を干(もと)めんことを学ぶ。子曰く、多く聞きて疑わしきを闕(か)き、慎んでその余を言う。則ち尤(とが)め寡(すくな)し。多く見て殆(あや)うきを闕き、慎んでその余を行う。則ち悔い寡なし。言うて尤め寡く、行い悔寡ければ、禄はその中に在り。(為政第二−十八)
【現代語訳】 子張が先生に高い俸禄をもらう方法を聞いた。先生はおっしゃった。「たくさんの情報を聞いて疑わしい情報を省き、間違いないと確信できるものだけを言えば、他人から咎められることは少ない。たくさんの事象を見て不確実なものを省き、間違いないと確信できることだけを行えば、後悔することは少ない。言動に対して他人から咎められることも自分が後悔することも少なければ、自ずと俸禄は上がる」
 子張は頭脳明晰な弟子であり、政治的手腕に長けていた。その子路が仕官するにあたってアドバイスを求めたものが、上記の文章である。

 要するに「よく調べてから、リスクの少ない確実な方法を取れ」ということだが、一見するとかなり消極的な助言に聞こえる。だが、個人的にこの助言で重要なのは、前半の「よく調べる」という部分だと思う(「よく調べてから、大きなリスクを取る」ことは、時に必要である)。

 「調べる」とは、全ての事柄を明らかにすることではない。調べることの目的は、「調べた結果、おそらくこうなりそうだ」という仮説を持つことと、調べた結果解ったことと、調べても解らないこと・やってみないと解らないことの境界線を認識することである。仮説がなければ、実行によって何を検証するのかが解らないし、境界線が解っていなければ、実行から何を学ぶべきなのが解らない。

 「リスクの少ない方法を取れ」と書くと消極的な印象を与えるが、裏を返せば「確実だと解ったら絶対にやり通せ」という意味になる。特に、君主に対する諫言は、それが正しいと思えば勇気を出して行わなければならない、と孔子は何度も教えている。

 同書では紹介されていないが、『論語』の季子第十六には、魯国の家臣・季孫子に仕える弟子の冉求(ぜんきゅう、先ほどの子張や「孔子十哲」に名を連ねる子路と同じく、政治的能力に優れていた)が、むやみに隣国に攻め入ろうとする季孫子を、君子の道に反するとして止めなかったことに対し苦言を呈する場面も見られる。(※2)

(※1)澤井啓一「江戸の儒学と『論語』」(『歴史に学ぶ』2010年8月号、ダイヤモンド社)
(※2)三田明弘「「芸」の人 冉求のジレンマ」(『歴史に学ぶ』2010年7月号、ダイヤモンド社)
August 16, 2010

最初の動機は不純だって構わないんじゃないか?

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 本ブログでは動機の構造について何度か記事を書いてきた。

 「動機」の構造を自分なりにまとめてみた−『"働く"をじっくりみつめなおすための18の講義』
 入社後3年目までのキャリア開発−仕事の仕組みを知り、自分の得手・不得手を見極める
 入社後4年目からのキャリア開発−内発的動機を育て、仕事に自分色を加える
 「社員の7割が障害者」日本理化学工業・大山泰弘会長のインタビューに感動
 「内発的動機と外発的動機のどっちが重要か?」という問いは意味があるか?

 動機には大きく分けると、他者からの評価や報酬によって触発されるという「外発的動機」と、自分の興味や価値観を源泉とする「内発的動機」の2種類がある。「お金が欲しい」、「出世したい」という利己的な外発的動機はどちらかというと不純なものとされ、「何か社会に影響を与えることを実現したい」、「世のため人のためになりたい」という使命感にも似た内発的動機の方が崇高なものとみなされる傾向がある。

 私自身は猜疑心が強い人間なので、最初から「世の中を変えてみたい」とか「社会に貢献したい」と熱っぽく語る人を見ると、「どこか裏があるのではないか?」と勘ぐってしまう(そのせいで人脈を広げられず、損をすることもあるのだが…)。表面上は立派な理念や大義名分を掲げていても、いざふたを開けてみたら自分の利益や特定の集団の利害を増長することが目的だったという話は枚挙に暇がない。つまり、内発的動機を装って、実際には外発的動機に突き動かされていたというわけだ。特に政治の世界では、こういうことがよく起こっているように感じる。

 誤解を恐れずに言えば、私自身は別に外発的動機が全くの悪だと主張したいのではない。動機の順番が問題なのだ。リーダーが最初に「この改革は皆のためだ」と言っておきながら、実は裏で私服を肥やしていたと解ったら、少なくとも私はどこか騙された気分になる。

 だが、内発的動機と外発的動機の順番が入れ替わって、「この改革をすると私自身は儲かるが、やがては皆さんのためにもなる」と言われると、不思議とその潔いほどの正直さに人間味を覚えて、その人を信頼してみようという気分になるのである。それはちょうど、手塚治虫が描いたブラック・ジャックが、拝金主義にまみれて違法に荒稼ぎしながらも、実は正規の医師以上に純粋な正義を追求し、生命の尊さを訴える姿に共感してしまうのに似ている。

 これを「漫画だから」という一言で片付けるのは簡単だが、実際の世界でも同じような例を発見することができる。社会的使命感を持った起業家の代表格とも言える松下幸之助ですら、最初に事業を始めた時はお金のために働いていたことを認めている。
 ぼくでも、最初は飯を食うために働いたにすぎなかった。しかし、1年、2年たつに従って、また、人が10人、20人集まってくるに従って、だんだん考えざるをえなくなってきた。年じゅう、なんとなしに働いていたのではすまん気がして、これではいかん、一つの理想というか使命というか、そういうものが、ぼく自身ほしくなった。

松下 幸之助
PHP研究所
2009-08-29
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いくつもの原理原則が著者ならではの解り易い言葉で語られている
人生の基本
確固たる経営理念の元に危機を乗り切る
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 本ブログで最近たびたび紹介している渋沢栄一も、最初から日本に資本主義を確立しようと思っていたわけではない。渋沢は幕末に一橋家に仕官し、幕府の費用でフランスを訪れる機会を得た。しかし、フランス滞在中に大政奉還が行われ、幕府は消滅してしまった。

 一橋家に忠義を尽くすならば、日本に帰って慶喜の元に身を寄せるのが筋である。ところが、渋沢はそうはしなかった。幕府が倒れた今となっては、帰国しても身の保証はない。それよりも、いくばくかのお金があることだし、せっかくフランスで勉強するチャンスを与えてもらったのだから、それを最大限に活かすことにした。渋沢はフランスの社会を隅々まで観察して知識を吸収し、同時にフランス人から学んだ資産運用で手持ち資金を運用してかなりのリターンを得たという。

 渋沢の動機は、武士としては決して褒められたものではない。だが、この時渋沢が大義名分を貫いていたならば、「日本の近代資本主義の父」は誕生しなかったであろう。

 例が古いという声も聞こえてきそうなので、もう1つ最近の話を紹介したい。前ベイン&カンパニー東京事務所代表パートナーで、現在は維真塾を主宰する山本真司氏の話である。これは友人から教えてもらったのだが、山本氏はある講演で、「最初から世のため人のためみたいな動機で仕事をする人は成功しにくい。生活のためとか、コンプレックスとか、もっとネガティブな動機で始めて馬力をつけた人が途中で崇高な動機に目覚めると化ける」とおっしゃっていたそうだ。

 周囲からの批判を恐れて、不純な外発的動機を隠す必要は全くない。不純な動機を取り繕うために、聞こえのいい理想や大義名分を掲げることの方がよっぽど恥ずかしいことだ。不純な外発的動機は、とりわけ物事を始めたばかりの時期にはこの上ない推進力となる。その力をうまく活用して、一気に物事を進めることが肝要だ。使命感やビジョンといった崇高な想いは、もっと後になってから考えても遅くないと思うのである。
July 17, 2010

岩崎・渋沢の相克、そして龍馬・陸奥が張った意外な伏線(2)−『岩崎弥太郎「三菱」の企業論』

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 (昨日の続き)

 岩崎は徹底した「専制主義」で経営を行い、会社の利益を独占しようとした。これに対して渋沢は、フランス留学で持ち帰った株式会社の知識に忠実に従い、多数の出資者による会社設立を基軸とする「合本主義」を貫いた。2人の思想はしばしば激しい対立を引き起こした。最も深刻だったのが、「郵便汽船三菱会社」と「共同運輸会社」の対立である。

 共同運輸会社は、海運を独占する岩崎に対抗して、三井系の人間と渋沢、そして政府も加わってその名の通り共同で設立した半官半民の株式会社である。2社の激しい競争は著しい価格下落を招き(横浜〜神戸間の三等運賃が5円50銭から55銭に下がるという、とんでもない値下げであった)、双方の経営状態が危ぶまれるほどの深刻なダメージを与えた。そこで両社は協議を行い、合併によって会社を存続する道を選択したのである。こうして生まれたのが現在の日本郵船だ。

 合併当初の日本郵船の株主比率を見ると、三菱より共同運輸の方が上であった。ここだけを取り上げれば、岩崎が渋沢に敗れたかのようであるのだが、岩崎は非常にしたたかな人間であった。実のところ、日本郵船が成立した時、岩崎は病に倒れ、既に故人になっていた。だが、残った岩崎家の人々が共同運輸の株を買いあさり、日本郵船の過半数の株式を握ってしまう。やがて、経営陣から共同運輸側の人間を締め出し、三菱側の人間に挿げ替えてしまったのである。

 渋沢はこれ以外にも何度か岩崎に煮え湯を飲まされている。渋沢が設立に関わった「第一国立銀行」でも岩崎による株式の買い占めを食らったし、共同運輸より以前に三井物産が三菱に対抗するために設立し、渋沢も役員となっていた「東京風帆船会社」に対しては、岩崎が渋沢を中傷する文章をメディアに書かせて妨害工作を働いている。岩崎は「合本主義」の弱点を突くような攻撃を何度も仕掛けてきた。それにもかかわらず、渋沢は岩崎を終身憎むことはなかったという。

 著者である中野明氏は、岩崎と渋沢の思想について、ゲーム理論を使いながら次のように説明している。
 選択肢が競争か協調かという資本主義の戦いにおいて、道徳経済合一という「資本の倫理」に軸足を置く渋沢の思想は、圧倒的に不利な立場にある。渋沢の思想は基本的に競争を好まないからである。

 (中略)渋沢の思想が、好戦的な弥太郎の思想と真っ向勝負になると、戦いは渋沢の思想が常に不利になる。さらに押し広げると、競争が基本である資本主義にあって、資本の倫理は資本の論理に対して、常に弱い立場に甘んじるしかない。
 「囚人のジレンマ」では、2人が協調(=自白)した方がお互いにとってメリットがあるにもかかわらず、各人は自分の利益を優先して裏切り(=黙秘)を行う。この場合、全体としては最適な選択にはならない。さらに、一方が自白をし、もう一方が黙秘をすると、黙秘をした方が逃げ得となり、自白した方は重罰を受ける。著者はこの構図を岩崎VS渋沢にも当てはめている。

 しかし、この説明はやや物足りない。というのも、『論語と算盤』を読めば解るように、渋沢は決して競争を避けていたわけではないからだ。むしろ、競争原理の強力な支持者である。岩崎と渋沢の対立の焦点は、「独占を許すか否か?」という1点に尽きる。

 独占理論は、ドラッカーが『企業とは何か−その社会的な使命』の中で指摘したように、「供給が限られ、需要が無限に存在する場合」にのみ成立する理論である。あるいは、初期投資が莫大で、かつ収穫逓増の法則が当てはまるような公共事業においても、独占の有効性が認められている。

 しかし、岩崎が行っていた海運ビジネスはこのどちらにも当てはまらない。既に外国船が日本の海運市場に多数参入していたため、むしろ供給過多の状態であった。また、電力や水道・ガス事業に比べれば、海運事業の初期投資などたかが知れている。よって、独占を許すと三菱が儲かる一方で、社会的便益が著しく損なわれる可能性があるのだ。

 渋沢がどの程度まで当時の経済理論を学習していたのか現時点で情報を収集しきれていないのだが、渋沢は一企業の利益よりも国家全体の利益を常に考えていた。そのためには独占を排除し、競争を促進すべきだという信念の持ち主であった。

 そう考えると、岩崎が「資本の論理」(つまり、資本主義の王道を走っている)の擁護者であり、渋沢が「資本の倫理」(資本主義の暴走を倫理で牽制する)の支持者であるという著者の説明はむしろ逆で、渋沢こそが資本主義の王道を走っていたのであり、岩崎は資本主義の黎明期に見られる特殊なパターン(※)であったと解釈した方がよさそうな気がするのである。

(※)後発の資本主義国では、資本主義を浸透させるために社会主義的な動き=資本の専有が見られることが多い。かつての韓国や現在のインドでは財閥が強い力を持っているし、中国でも資本主義を推進したのは民間に払い下げられた国営企業が中心である。
July 16, 2010

岩崎・渋沢の相克、そして龍馬・陸奥が張った意外な伏線(1)−『岩崎弥太郎「三菱」の企業論』

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 三菱を作り上げた明治の実業家・岩崎弥太郎の実像を、同時代に活躍した渋沢栄一、小栗忠順、坂本龍馬、三野村利左衛門、中上川彦次郎らとの比較を通じて描き出した1冊。幕末に「会社」という概念が生まれ、欧米から輸入された「株式会社」の仕組みが明治維新後に徐々に高度化していく様子が解って、個人的にはとても面白かった。

 三菱の誕生には、実は坂本龍馬の海援隊が深く関連していることをこの本で初めて知った。海援隊の前身は「亀山社中」という結社であり、龍馬を始めとする土佐の武士たちで組織されていた。亀山社中を結成する以前、龍馬は勝海舟に弟子入りしており、神戸海軍操練所で航海術の訓練を受けていた。ところが、勝が幕府に対して謀反を企てているのではないかとの疑惑が浮上し、神戸海軍操練所は解散させられてしまう。勝の蟄居に伴い行き場を失った龍馬は、西郷隆盛がいる薩摩藩で世話になることになった。

 後に龍馬は薩摩から長崎の亀山に移り、そこで亀山社中を立ち上げる。亀山社中は商社のような組織であり、薩長間の武器や食料の売買を仲介していた。これは龍馬が画策していた薩長同盟の一環でもある。その後、亀山社中は、後藤象二郎の手により出身母体である土佐藩の傘下に入る。これを機に、亀山社中は「海援隊」に改名する。海援隊のミッションは、「世界規模で商社ビジネスを展開すると」いう非常に野心に満ちたものであった。

 興味深いことに、ここで陸奥宗光が登場する。陸奥と言えば、「カミソリ大臣」の異名を持つ外務大臣として、不平等条約の改正に辣腕を振るったことが有名であるが、海援隊時代には後の商社ビジネスの基礎となる重要な提言をいくつか行っているのだ。

 陸奥は龍馬に対し、「商法の愚案」という文章の中で「海上保険」と「船為替(今で言うところの荷為替手形)」という新しいサービスを提案している。これらはおそらく、陸奥が外国商人と取引する中で学んだものだろう。商社は単に物資を運ぶだけでなく、付帯的なサービスをパッケージすることでトータルソリューションを提供するという思想は、後の三菱にちゃんと受け継がれている。そういう意味では、陸奥の「商法の愚案」は後世に大きな影響を与えた。同書を通じて、陸奥の意外な功績を垣間見ることができた。

 さて、前置きが長くなったが、海援隊と岩崎弥太郎はどこで交わったのか?土佐藩の後藤象二郎は、藩内に「開成館」という組織を設け、土佐藩の産物を諸藩や外国に販売しようとした。後藤は同時に、開成館の出先機関として長崎に「土佐商会」を設置し、岩崎をその担当に任命した。諸々の事情があって、土佐商会は海援隊の給与支払窓口としての機能も持つようになり(普通に考えると変な構図だが…)、ここで岩崎と龍馬の接点が生まれたのである。

 海援隊や開成館、土佐商会は明治維新前の組織であり、本来の株式会社の形態とは程遠いものであった。一方、明治時代に入って、欧米の「株式会社」の概念が輸入されると、殖産興業の名の下に次々と株式会社が誕生する。岩崎は龍馬の死によって消滅した海援隊の流れを受け継いで、三菱商会を設立する。そして実業界には、華々しい官僚のキャリアを捨て、「論語で経営をしてみせる」と豪語した渋沢栄一が参入してくる。明治時代における株式会社の発展の歴史は、紛れもなく「岩崎VS渋沢」の相克の歴史であったと言える。

 (その2へ続く)
June 21, 2010

今も昔も教育問題は全然変わっていないことにショック−『論語と算盤』

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澁沢 栄一
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1985-10-01
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 渋沢栄一の『論語と算盤』を読んでいて1つ気づいたことがある。それは、渋沢が指摘する教育問題と現代の教育問題に驚くほど共通点が多いということである。以下に挙げる引用文を現代語訳にして、著者名を隠したまま他人に読ませたとしても、よもやそれが明治・大正の文章だとは気づかないだろう。それぐらい、教育問題は全く変わっていないのである。これは結構ショックなことであった。

(1)知識詰め込みで道徳が欠如している
 昔の青年は自然と身を修むると共に、常に天下国家の事を憂い、朴実にして廉恥を重んじ、信義を貴ぶという気風が盛んであった、これに反して、現今の教育は智育を重んずるの結果、既に小学校の時代から多くの学科を学び、さらに中学大学に進んでますます多くの智識を積むけれど、精神の修養を等閑に附して心の学問に力を尽くさないから、青年の品性は大いに憂うべきところがある
 70年代に最高潮に達した知識詰め込み教育は、過当な受験競争を引き起こしているとの批判を受けて80年代から徐々に緩和され、2002年度からはご存知の通り新学習指導要領に基づく「ゆとり教育」が実施された。ところが、今度は知識量を減らしすぎと各方面からの不満の声が噴出し、わずか7年ほどで文科省はゆとり教育の方針転換を決めた。先日も、「小学校の教科書に縄文時代が復活」したことがちょっとした話題になった。

 こうした戦後教育の流れを追っていくと、主として「知識をどこまで教えるか?」という点にスポットが当たっており、渋沢のいう「信義を貴ぶ」ということ、現代風に言えば倫理観、道徳観を養うことについては、わずかに「道徳」という科目が残るに留まり、あまり重視されてこなかったと言わざるを得ない。

 しかも道徳の授業は、他の主要教科の「バッファ」みたいな役割を持っていて、テスト直前にある科目の授業数が足りなくなると、道徳の時間をその科目の授業に充当することがしばしばあった(私の学校生活を思い返す限り、の話ではあるが)。

 一方、戦前教育において渋沢が憂うように道徳教育が全く行われなかったかというと、そうではない。道徳教育は「徳目教育」という名の下で実施されていた。徳目教育とは、道徳を正義・勇気・親切といった徳目として列挙し、それらの徳目の一つ一つを教えることによって道徳性の形成を図る教育である。

 1890年の教育勅語によって「修身科」が正式な科目となり、第2次世界大戦が終結するまで「修身教科書」という教科書が用いられていた。この教科書は、最初に徳目を掲げ、次にその徳目を具体的に理解させるための例話や寓話を紹介するという構成であったようだ。

 だが、徳目教育はその性質上どうしても形式的、抽象的なものになりがちで、子供たちの実生活から遊離してしまうという欠点があった。それが理由かどうか解からないが(おそらくは徳目教育が行き過ぎた国粋主義へと子供たちを導き、戦争に加担させることになったという左派からの批判を受けてだと思うが)、戦後になって修身教科書は姿を消したのである。

 「それでは倫理観や道徳観をどう養うのか?」という問いに答えるのはなかなか難しいが、道徳はやはり実生活の体験を通じて心身に浸透するものであると思う。総合教育はそういう役割を持っていたはずだとこのブログでも何度か書いたが、その効果は検証されておらず、さらに今回のゆとり教育方針転換によって、先行きがさらに不透明になっているのが心配される。

 「個性を伸ばす前にやるべきことがある−『ゆとり教育が日本を滅ぼす』
 「「覚える力」と「考える力」を伸ばすためには?−『ゆとり教育が日本を滅ぼす』
 「「ミスター文部省」寺脇氏の理想と現実のギャップが垣間見えた−『それでも、ゆとり教育は間違っていない』

(2)教師が生徒から全く尊敬されていない
 現代青年の師弟関係は、まったく乱れてしまって、美(うる)わしい師弟の情宜に乏しいのは寒心の至りである、今の青年は自分の師匠を尊敬しておらぬ、学校の生徒のごときは、その教師を観ること、あたかも落語師か講談師かのごとく、講義が下手だとか、解釈が拙劣であるとか、生徒して有るまじきことを口にしている、これは一面より観れば、学科の制度が昔と異なり、多くの教師に接する為であろうが、総て今の師弟の関係は乱れている、同時に教師もまたその師弟を愛しておらぬという嫌いもあるのである
 渋沢は江戸時代の麗しき師弟関係と比較しながら、学校における教師と生徒の関係の乱れを嘆いている。これは現代でも言えることだ。杉並区立和田中学校の元校長である藤原和博氏は『公教育の未来』という著書の中で、親の学歴が先生の学歴を上回ってしまい、まず親が先生を尊敬しなくなっている、そしてそれを見た子どもも先生を尊敬しない、といった記述を行っている。教育現場の実態を校長という立場から肌身で感じているはずだから、この指摘には一理あるだろう。

 しかしながら、先生の学歴が真の問題であるならば、問題解決のためには全ての先生を東大出身者(あるいはハーバード大出身者?)に限定しなければならない。これはあまりに非現実的である。渋沢はこの問題に対して具体的な解を述べていないが、真の解決策は先生自身が「徳ある人物」になることではないか?と私は考える。

 現在の教師の多くは教育学部の出身である。ところが、教育学部で彼ら彼女らが学ぶことは、効果的な指導方法や学習に関する心理学など、知識面に偏っている。さらに、彼ら彼女ら自身が、小中高を通じて知識偏重の教育を受けて育っている。総じて、教師自身が道徳観や倫理観を身につける(それも人一倍!)機会が欠けているのが現状である。

(3)産業界の多様なニーズに合った人材を育成していない
 社会は千篇一律のものでは無い、従ってこれに要する人物には色々の種類が必要で、高ければ一会社の社長たる人物、卑(ひ)くければ使丁(してい)たり車夫たる人物も必要である、人を使役する側の人は少数なるに対し、人に使役される人は無限の需要がある、されば学生がこの需要多き、人に使役さるる側の人物たらんと志しさえすれば、今日の社会といえどもまだ人物に過剰を生ずるような事はあるまいと考える、しかるに今日の学生の一般は、その少数としか必要とされない、人を使役する側の人物たらんと志しておる、つまり学問して高尚な理窟を知って来たから、馬鹿らしくて人の下などに使われることは出来ないようになってしまっておる、同時に教育の方針もまた若干その意義を取り違え、無暗に詰込主義の智識教育で能事足れるとするから、同一類型の人物ばかり出来上がり、精神修養を閑却した悲しさには、人に屈するということを知らぬので、いたずらに気位ばかり高くなって行くのだ
 渋沢の「人を使役する側−人に使役さるる側」という区分は「世の中には2種類の人間がいる。支配する側と支配される側だ。」という言葉を想起させるのでちょっと心理的抵抗があるのだが、要するに教育界は平均的な人間ばかりを作り上げており、産業界が必要とする人材を育成していないことを渋沢は非難しているわけである。

 だが、皮肉にも大量生産・大量消費の時代には「平均的な人間」ほど必要とされ、彼ら彼女らの労働力・消費力が戦後日本の急成長を支えてきた。そのため、渋沢の問題意識はさほど顧みられなかったように思う。むしろ、市場が成熟化・多様化した現代の方が渋沢の言葉は重みを持つ。今の産業界が必要としているのは、単に「人を使役する側−人に使役さるる側」という二分論を超えて、世の中に数多存在する職業の人材ニーズを埋められるだけの多種多様な人間である。

 渋沢は、小学校を卒業したら専門教育に進んで実務的な技術を学ぶべきだと進言している。確かに、生まれてから就職するまでの20数年の間に職業意識を醸成し、多少の技術的なスキルを習得することは重要であろう。ただ、渋沢の時代と現代が大きく違うのは、生涯を一つの職業で全うすることが難しくなっている点だ。

 企業を取り巻く環境変化によって事業構造が変わると、意図せぬ形で今までとは違う仕事に就くビジネスパーソンが増えてくる。彼ら彼女らは新しい知識やスキル、さらに道徳観や価値観を習得する必要性に迫られる。この課題を解決するのが本来の「生涯学習」であり(「「ミスター文部省」寺脇氏の理想と現実のギャップが垣間見えた−『それでも、ゆとり教育は間違っていない』」を参照)、産学間の連携による生涯学習のためのインフラ投資がこれからますます重要になるはずである。
June 19, 2010

「渋沢流儒学」とも言うべき1冊(2)−『論語と算盤』

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澁沢 栄一
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 (その1からの続き)

(3)独占を排除し、競争を促進する
 渋沢は、孟子の「敵国外患無き者は国恒に亡ぶ」(競争する国や敵国がなくて外国に攻められる心配もない国は、国全体に緊張を欠き油断を生じてついには国が滅亡する:デジタル大辞泉の用語解説)という言葉を事業にも当てはめて次のように述べている。
 国家が健全なる発達を遂げて参ろうとするには、商工業においても、学術技芸においても、外交においても、常に外国と争って必ずこれに勝って見せるという意気込みがなければならぬものである、ただに国家のみならず、一個人におきましても、常に四囲に敵があってこれに苦しめられ、その敵と争って必ず勝って見せましょうとの気がなくては、決して発達進歩するものでない
 渋沢は日本の産業が発達する上で競争は欠かせないという信念を強く持っていた。これと全く異なる思想を持っていたのが、同じく日本資本主義の礎を築き、三菱という巨大財閥を作り上げた岩崎弥太郎であった。岩崎は独占を是とする考えの持ち主であり、しばしば渋沢とは意見が衝突した。

 岩崎が独占しようとしたのは利益だけではなかった。経営権の独占も目論んだのである。岩崎は徹底した専制主義により、一人で何でも意思決定する経営スタイルを好んだ。一方、渋沢は多人数の共同出資による「合本組織」を理想としており、この点でも両者の意見は食い違った。

 最大の対立は、三菱の海運独占に対抗して、岩崎が共同運輸会社を設立したことだろう。渋沢自身は『経営論語』の中で、「私は個人として別に弥太郎氏を憎く思っていたのではない」と振り返っているが、岩崎は渋沢の一連の行動に憤慨したため、二人は完全に疎遠になってしまった。

 岩崎の死後、三菱と共同運輸会社の競争があまりに激化してしまい、このままでは共倒れになってしまうということで、政府と渋沢が間に入って両社の合併を行った。こうして誕生したのが現在の日本郵船である。

(4)朱子学に対する批判
 『論語』を人生の教科書とした渋沢ではあるが、朱子学に対しては手厳しい批判を行っている。朱子学は、宋の時代に朱熹が『論語集注』を著して完成させたものであり、「四書」「五経」の内容を高度に体系化して、宇宙と人間とに通底する真理の存在を明らかにした。

 朱子学のもう1つの特徴は、「智」を排除したことにある。もともと儒教には、「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」という8つの徳目が存在する。朱熹は、「智」が人間を詐術に走らせる弊害多きものと批判し、そんなものは商売によって功利を追求する平民だけが持っていればよいと、八徳から追い出してしまったのである。他方で、為政者たるものは、智に惑わされることなく、ただひたすら修身に努めるべきと説いた。この点について、渋沢は次のように痛烈な批判を浴びせかけている。
 これは大なる誤思謬見で、仮に一身だけ悪事がないからいいと手を束ねている人のみとなったらどんなものであろうか、そういう人は世に処し社会に立ってなんらの貢献するところもない、それでは人生の目的が那辺(なへん)に存するかを知るに苦しまねばならぬ

 (中略)もし智の働きに強い検束を加えたら、その結果はどうであろう、悪事を働かぬことにはなりもしようが、人心が次第に消極的に傾き、真に善事のためにも活動する者が少なくなってしまわねばよいがと、甚だ新あぴに堪えぬわけである
 朱子学は、為政者は仁義道徳のみを、国民は智に基づく商売の成功のみを追求すればよいというふうに、両者の役割をばっさりと分断してしまった。その結果、為政者は空理空論に走り、国民は私利私欲に溺れるというありさまで、モンゴル民族に滅ぼされてしまう。『論語』の解釈が最も高度に発達した時代に国力が最も衰退し、あろうことか外部の民族に国を乗っ取られるというのは、何という歴史のいたずらだろうか?

 前回の記事で「士魂商才」という言葉を紹介したが、これは決して士魂だけを重視すればよいことを意味するのではない。士魂と商才の両立こそが肝要なのであって、商才を発揮するには「智」の力が欠かせないことを渋沢は見抜いていたのである。

(5)論語にも西洋思想のような権利意識は存在する
 渋沢はどんな人とでも心を開いて話をし、どんな交渉でもその丸顔に笑みを浮かべながら話を進めるような、「調和」を尊ぶ人物であったそうだ(だから、岩崎が渋沢を憎むことはあっても、その逆はなかった)。そうした性格は、思想面にも現れている。よくありがちな西洋VS東洋といった対立論に持ち込むことをせずに、両者の共通点を見出そうと努力していた。

 一般に、西洋(特にキリスト教)は権利意識から、東洋は義務意識からスタートしていると言われる。渋沢も、西洋では「汝の欲するところをなせ」と積極的な表現を用いるのに対し、東洋では「己の欲せざる所人に施すことなかれ」と消極的に表現することを引き合いにして、この点を認めている。

 しかし、だからといって『論語』に権利意識が全くないのかというと、そうではないと渋沢は言う。
 論語にも明らかに権利思想の含まれておることは、孔子が「仁に当っては師に譲らず」と言った一句、これを証して余りあることと思う、道理正しきところに向こうては飽くまでも自己の主張を通してよい、師は尊敬すべき人であるが、仁に対してはその師にすら譲らなくともよいとの一語中には、権利観念が躍如としているではないか
 渋沢はもっとマクロの視点から、東洋・西洋の思想を包括する考え方を模索していた。「帰一教会」がそれである。結局のところ、いずれの思想も「本当の富を創出するためには、仁義道徳と生産利殖を両立させる必要がある」という一点に帰結するのではないか?というのが渋沢の仮説であった。帰一教会には日本人に加え、欧米人も参加して研究を進めていたという。

 私は最近、個人的に「宗教とリーダーシップの関係」に関心を寄せており、東洋と西洋のリーダーシップのあり方の背景には、宗教が強く影響していると見ている。もちろん、それぞれの宗教がたどった歴史の違いが、両者のリーダーシップの違いとなって多々表出しているとは思うが、根底ではどこかでつながっている部分があるような気もしているのだ。これは長い時間をかけて追いかけてみたいテーマである。
June 17, 2010

「渋沢流儒学」とも言うべき1冊(1)−『論語と算盤』

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澁沢 栄一
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 以前の記事「論語を経営学の次元に高めた渋沢栄一−『論語の経営学(DHBR2009年10月号)』」で紹介した1冊。「私は論語で経営をしてやる」とまで言い切り、生涯論語を手放さなかった渋沢の思想がぎっしりと詰まっている。古典的な解釈にとらわれない渋沢流の解釈が随所に散りばめられており、「日本資本主義の父」がいかにして中国最高の古典である『論語』を当時の最先端のイデオロギーである「資本主義」に活かしていったのかが解る。以下に、論語に対する渋沢の特徴的な考え方を5点ほど整理してみたいと思う。

(1)仁義道徳と利益は両立可能
 渋沢の主張で最も重要なポイントはこれだろう。明治維新後、欧米から様々な新しい技術が入ってくるようになると、菅原道真が唱えたとされる「和魂漢才」を文字って「和魂洋才」という言葉が生まれた。日本人が歴史の中で脈々と受け継いできた精神の上に諸外国の技術を構築することで、新しい日本文明の発展を狙った言葉である。

 渋沢は「和魂洋才」をさらに文字って、「士魂商才」という言葉を作り出した。これは、武士の精神に則って商売を展開しようという意味である。武士の精神とは「武士道」のことであり、その起源は仏教や神教、そして儒教に遡ることができる。渋沢はその中でもとりわけ儒教の重要性に着目したというわけだ。

 渋沢も若い頃は、世の中に吹き荒れる尊皇攘夷の風に影響されて、教条的に攘夷を掲げていた時期があった。しかし、一橋家への仕官やフランス留学を経て、今の日本の国力では諸外国に立ち向かうことは到底できないこと、そして日本が欧米列強と肩を並べるには産業による富国が必要であることを悟る。

 ただし、江戸時代までは「金儲けは卑しいこと」と看做されており、士農工商という言葉からも解かるように、商人の地位は著しく低いものであった。武士は階級社会の一番上に君臨して、ただ武士道を追求すればよい。そういう時代であった。江戸幕府が260年もの長きに渡って安定した政権を維持できたのには、権力ある者(=武士)に富が集中しないようにするこの身分制度に負うところが大きいという指摘もあるようだが、渋沢は権力と富の分離によって産業が発達しなかったことが、諸外国に100年分の遅れを取ることになった要因であると主張している。

 さて、四民平等により、誰もが産業を興せる自由な時代が到来した。とはいえ、それまで長年に渡って卑下されてきた金儲けのことである。もし仮に人間が私利私欲のままに金儲けに走ってしまうと、社会が混乱してしまい、産声を上げたばかりの明治政府では対応しきれないだろう。渋沢は『論語』に、資本主義の暴走に対する抑止力の働きを期待したのである。
 論語の中に「富と貴きとはこれ人の欲する所なり、其の道を以てせずして之を得れば処(お)らざるなり、貧と賤とはこれ人の悪(にく)む所なり、その道を以てせずして之を得れば去らざるなり」という句がある、この言葉はいかにも言裡に富貴を軽んじたところがあるようにも思われるが、実は側面から説かれたもので、仔細に考えて見れば、富貴を賤しんだところは一つもない、その主旨は富貴に淫するものを戒められたまでで、これをもってただちに孔子は富貴を厭悪したとすれば、誤謬もまた甚しと言はなければならぬ、孔子の言わんと欲する所は、道理を持った富貴でなければむしろ貧賤の方がよいが、もし正しい道理を踏んで得たる富貴ならばあえて差支えないとの意である
 「正しい道理」とは言うまでもなく儒教の教えのことであり、その中核には「仁義道徳」の精神がある。渋沢は同書の中で、しつこいぐらいに「仁義道徳」と「利益」の両立を説いている。

(2)適材適所による富国の実現
 儒教は元々消極的な現世主義の色合いが強い。「罪を天に獲(う)れば、祷るところなし」(無理な真似をして不自然の行動に出ると必ず悪い結果を招くことになり、その結果はどんなに祈っても消し去ることができない、つまりどんな人間でも天命に逆らうことはできないという意味)、「心の欲する所にしたがって矩を踰えず」(心の赴くままに分に安じて進めば、道理を外すことはない)などという文章からは、自らの本分を外さずに慎ましく生きる現実的な処世術がうかがえる。神戸大学大学院の加護野忠男教授は、和辻哲郎の『孔子』の内容を踏まえて次のように述べていることは以前も紹介した。
 現世における人の道(人倫)にこそ意義があるというのが、孔子の説教の特徴であり、それが儒教の精神として後世に受け継がれていった。現世を肯定する孔子にとって、革新は不要であった。他の三聖人(※和辻哲郎は釈迦、孔子、ソクラテス、イエスの4人を「世界の四聖」と呼んでいる)のような、時代の革新者としての側面が弱いのは、そのためであると、和辻は指摘する。
 だが、渋沢は「分をわきまえる」という言葉を積極的な意味で解釈した。つまり、「適材適所」である。それぞれの人間の分に合ったポジションを与えることで彼らの能力を最大限に引き出し、富国を実現しようとしたのだ。渋沢は、徳川家康こそが最も適材適所の術に優れた人物であると最大限の賛辞を送っており、自らも適材適所の実現に並々ならぬエネルギーを注いでいたことが記されている。
 私の素志は適所に適材を得ることに存するのである、適材の適所に処して、しかしてなんらかの成績を挙げることは、これその人の国家社会に貢献する本来の道であって、やがてまたそれが渋沢の国家社会に貢献する道となるのである、私はこの信念の下に人物を待つのである
 「人物を待つ」という言葉は、さらっと書かれているが実に深い意味を持っている。中国には「周公三たび哺(ほ)を吐き、沛公三たび髪を梳(くしけず)る」という言葉がある(渋沢も同書で紹介している)。周公は孔子が聖人と崇めるほどの人物であり、どんな人が訪問してきても食事を中断して必ず面会したと言われる。また、沛公とは漢の高祖のことであり、髪を整えている最中にどんな客が訪ねてきても、必ずその人に会ったと伝えられている。つまり、周公も沛公も、適材を探すために時間を惜しまなかったのである。

 渋沢もこの言葉を実践し、数多くの事業に携わる忙しい身でありながら、誰かが尋ねてくれば必ず話を聞くようにしていたそうだ。中には金を貸してくれだの職をあてがってくれだのといったろくでもない頼みごともあったようだが、それでも必ず話は聞いた。渋沢は適材をずっと「待って」いたのである。

 (記事が長くなったので分割します。その2へ続く)
February 21, 2010

記念すべき600回目の記事は渋沢栄一の名言で

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 2005年5月のブログ開設以来、足掛け5年弱でようやく600個目の記事にたどり着いた。アクセス数も来月中にはおそらく10万に達する見込み。いつも読んでくださる皆様、どうもありがとうございます。アクセスカウンターを設置した日には、6桁目が埋まる日は遠いなぁと思っていたが、ここにきて現実味が出てきてドキドキ。

 記念すべき600回目は、久しぶりに「勝手に集めた名言集」シリーズをやってみようと思う。紹介するのは、「論語を経営学の次元に高めた渋沢栄一−『論語の経営学(DHBR2009年10月号)』」でも取り上げた渋沢栄一の名言。
 金は働きのカスだ。機械が運転しているとカスがたまるように、人間もよく働いていれば金がたまる。

 仁義道徳と金儲けの商売とが、その根本において異背するように思われるが、けっしてそうではない。論語を礎として商業を営み、算盤をとって士道を説くこそ非常の功である。
(引用は『Management & History 歴史の知をビジネスに生かす』2009年1月による)

城山 三郎
新潮社
1976-05
おすすめ平均:
実業家・渋沢栄一の波乱万丈の前半生を描く
渋沢栄一の半生を描く名作
渋沢栄一伝
城山 三郎
新潮社
1976-05
おすすめ平均:
城山歴史小説の隠れた佳作
日本初の財界人
渋沢 栄一
筑摩書房
2010-02-10
おすすめ平均:
名著「論語と算盤」のわかりやすい現代語訳版
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 先日の記事でも書いたように、渋沢は『論語』に基づいた経営、つまり道徳と経済の両立を目指していた。モラルの追求と利益の追求という一見相反する2つのベクトルを、渋沢は『論語』(をはじめとする中国古典)を深く読み込むことで統合させることに成功した。

 それが顕著に現れているのが、孔子の「富と貴(たつと)きとは、是れ人の欲するところなり。その道を以てせずしてこれを得れば、処(お)らざるなり。貧しきと賤しきとは、是れ人の悪(にく)むところなり。その道を以てせずしてこれを得れば去らざるなり」という言葉をめぐる解釈であろう。

 渋沢は「孔子は決して富貴を嫌ったわけではない。『道を以てせずしてこれを得れば』という言葉によく注目なければならない。道理を伴った富貴でなければむしろ貧賤の方がましだが、道理を伴った富貴であれば問題ないという意味だ」と捉えている。要するに、利益の追求を道徳の追求の範囲内で正当化したのである。

 欧米では、「企業」という存在そのものの正当性に疑問が投げかけられた時期があった。企業否定派は、企業の利益は国家の利益と相反するものであり、企業が繁栄すればするほど、国家が本来もっていた「財やサービスの提供」という機能が弱められ、社会全体の雇用が不安定になると主張した。企業の正当性をめぐる論争は20世紀に入ってからも数十年続いていた。

 渋沢は、明治維新後の日本が欧米列強と対等に渡り歩くためには、国家が豊かになる必要がある。そのためには、企業が利益を上げ、産業界を盛り上げることが不可欠であると考えていた。渋沢は早くから、国家と企業の利益は一致することに気づいていたのである。ピーター・ドラッカーが1940年代の著書で、
 企業はと社会は、企業の経営の健全性について共通の利害を有する。企業の経営の失敗は国民経済を害し、ひいては社会の安定を害する。社会は、優れた経営陣だけが実現することのできる価格政策、雇用、人事、マネジメントを必要とする。
(※GMの破綻やJALの再建問題が社会全体の関心事となり、国民に大きな影響を及ぼしていることを考えれば、この文章の意味するところがよく解る)
(ピーター・ドラッカー著、上田惇生訳『企業とは何か−その社会的な使命』ダイヤモンド社、2005年)
と述べるよりもはるか昔のことである。この先見性は改めてすごいと思う。
February 19, 2010

論語を経営学の次元に高めた渋沢栄一−『論語の経営学(DHBR2009年10月号)』

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ダイヤモンド社
2009-09-10
おすすめ平均:
論語と算盤の解説本として
中曽根インタビューが一番面白かった
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 この号はとてもよかった。海外の最新の論文の翻訳もいいけれど、たまにはこの号みたいに日本人が書いた論文も年に何回かは特集を組んでほしいな。

 先日電車に乗っていたら、たまたま中学生が『論語』の話をしており、「子曰く、吾れ十有五にして学に志ざす。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳従う。七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。」という有名な一文を暗唱していて、すごいなぁと思った。そういえば、昔は学校で必ず『論語』を勉強することになっていたそうだ。だから、比較的年配の方は『論語』に詳しいし、ちょっと前の企業経営者には『論語』に明るい人が多かったと聞く。

 自分のことを思い返してみると、『論語』は高校の漢文の授業で、文法を覚える例文として「朋あり遠方より来る、亦楽しからずや」、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」、「子曰く、故きを温ねて、新しきを知れば、以って師と為るべし」などに触れたぐらいの記憶しかなく、社会人になってからもいろんな本で部分的にかじった程度に過ぎない。『論語』をまるまる全部読んだことは、恥ずかしながら今まで一度もないのだ。

 しかし、『論語』は古来より多くの日本人に読まれ、日本人の精神に深く根づいていることをこの特集で思い知らされた。やっぱりそういう伝統は大切にしないといけないと思う。これは是が非でも『論語』を通読せねば。

【抄録】渋沢栄一の『論語と算盤』(渋沢栄一、[解説]由井常彦)
 『論語』を企業経営に活用した最初の人物は渋沢栄一だろう。渋沢は第一国立銀行(現在のみずほ銀行、みずほコーポレート銀行)をはじめ、東京海上、王子製紙、日本郵船など、近代産業のあらゆる分野の企業・団体の創設に携わり、その数は500以上とも言われる。渋沢が企業経営を行うにあたって大いに参考にしていたのが『論語』であった。

 だが、『論語』は諸刃の剣の側面を持っている。神戸大学大学院の加護野忠男教授は同号で、和辻哲郎の『孔子』の内容を踏まえて次のように述べている。
 現世における人の道(人倫)にこそ意義があるというのが、孔子の説教の特徴であり、それが儒教の精神として後世に受け継がれていった。現世を肯定する孔子にとって、革新は不要であった。他の三聖人(※和辻哲郎は釈迦、孔子、ソクラテス、イエスの4人を「世界の四聖」と呼んでいる)のような、時代の革新者としての側面が弱いのは、そのためであると、和辻は指摘する。
 孔子の教えは徹底した現状維持であり、現世にいかに適応するかという命題に答えるものであった。この点に関連して、作家の陳舜臣氏は「漢は儒によって滅んだ」と言い放ち、漢が滅亡に至るまでの経緯をたどる中で儒教の限界を説明している。
 孝を最大の徳目としている儒は、とうぜん家族主義の面が濃厚である。外戚が力を持つのは、家族主義からいって、避けられないことであろう。宦官の弊害も、もとをただせば、家族主義に根ざしているといえよう。宦官は家庭の使用人にほかならない。「家奴」である。家庭を重んじるので、家庭のことに精通する家奴が力をもつようになる。
(陳舜臣「曹操 第1回」『Management & History 歴史の知をビジネスに生かす』2009年1月)
 最終的に、漢は外戚と宦官の対立によって滅亡する。その元凶は他ならぬ孔子の教えにあると陳氏は言うのだ。

 渋沢が『論語』のこのような側面をどう認識していたのかは解らないが、渋沢は実業家としての経験を踏まえ、自分なりの解釈を加えながら、『論語』を経営学の次元にまで高めることに成功した。その表れが『論語と算盤』である。渋沢は、革新を否定する頑なな保守主義に終始するのではなく、保守的でありながら近代日本を発展させる道を見出し、保守と革新の融合を達成したのである。その意味でも、渋沢は本当に偉大な人物だなぁと思う。

澁沢 栄一
国書刊行会
1985-10-01
おすすめ平均:
ちょいと読みにくいかな?
ビジネスマンの正義
渋沢 栄一
筑摩書房
2010-02-10
おすすめ平均:
名著「論語と算盤」のわかりやすい現代語訳版

渋沢 栄一
三笠書房
2004-10
おすすめ平均:
非常に面白いです。
論語を理解するには、不適
論語の入門書に最適でしょう。
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 保守と革新の融合という点で特筆すべきは、渋沢が早くから「道徳と経済の両立」を目指していたことであろう。欧米企業がCSR(企業の社会的責任)というキーワードを持ち出し、行き過ぎた株主重視経営の代わりに倫理や道徳を重視する姿勢を見せ始めるよりもはるか昔に、「企業は経済性と社会性を両立する存在であるべきだ」という考えを持っていたのである。

 この考え方は戦後の起業家にもきちんと受け継がれた。松下幸之助、本田宗一郎、盛田昭夫といった現代の大企業の礎を築いた経営者は皆、企業が「社会的公器」であることを自覚し、「公益」を追求することの重要性を認識していた。

 海外の新しいマネジメントの理論のよさを取り入れることはもちろん重要だが、日本企業がどのような文脈の中で発展してきたのかを理解し、海外企業にはないよさを持っていることを認識することは、日々の仕事に重要な深みを与えてくれると思う。

声に出して読みたい『論語』10選(齋藤孝)
 齋藤教授お得意の「声に出して読みたい」シリーズ『論語』編である。ビジネスで直面する10のケースに対し、論語の文章から解決のヒントを導き出す、という構成になっている。

 個人的には、「子の曰わく、人の己を知らざることを患(うれ)えず、己の能なきを患う」という文章が気に入っている。他人が自分を評価してくれない時に、「何でちゃんと評価してくれないんだろう」とか「あの人は自分のことを全然解ってくれない」と嘆く前に、自分の能力のなさを自覚し、能力を高めることに集中すべき、という意味である。

 話がちょっとずれるが、いわゆる「ゆとり世代」の社員は、自分の成果が上司の期待を下回っていたとしても、「自分なりにはこれでも精一杯頑張ったので、もう限界です」などということを平気で言うらしい。そんなゆとり社員には、是非この孔子の言葉を送りたい。

私が『論語』に学んだこと(中曽根康弘)
 元総理がDHBRのインタビュー記事に登場するとは本当に珍しい。反佐藤の立場にありながら、佐藤栄作から直々に沖縄返還への協力を要請され快諾したこと(それが原因で、マスコミから「風見鶏」というあだ名がついた)など、興味深いエピソードがいくつも書かれていて面白かった。

 中曽根元総理が言うリーダーの4つの条件を引用しておこう。
目測力
 事態の推移を予測し、自分が下した判断を遂行するために問題を提起し、いかにゴールに到達させるかを把握する能力。

説得力
 文字通り、内外に対するコミュニケーション能力。

結合力
 素晴らしい人材と情報、そして資金を集めて結合させる力。

人間的魅力
 前三者の基礎となってそれぞれの能力を最大限に発揮させる根本的な力。
 「マネジメントとリーダーシップの違いを自分なりにまとめておいた」で書いた「課題の帰納的設定」に「目測力」が、「資源の新結合」に「結合力」が、「対話による課題の正当性の証明」と「個人的動機の昇華」に「説得力」が何となく対応している気がする。

『論語』の世界(松岡正剛)
 松岡氏はいつも「本の上手な読み方」を教えてくれる。このインタビューでも、単に『論語』を文字通り読むだけではなく、孔子が政治の場で自分の理想を実現できず不遇の人生を歩んだ無念さや、各地を彷徨する中で直面した内面的な葛藤を感じながら読むと、より一層味わいが感じられる、といったことを述べている。

 松岡氏がお勧めの『論語』解説本はこれ。早速買ってみよう。

吉川 幸次郎
朝日新聞社
1996-10
おすすめ平均:
名著中の名著
吉川 幸次郎
朝日新聞社
1996-10
おすすめ平均:
論語の楽しみ方
白川 静
中央公論新社
2003-01
おすすめ平均:
読み通させる力
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