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October 06, 2011

ギアいじったっけ?ロー入っちゃって もうウィリーさ!―水曜どうでしょうDVD『72時間!原付東日本縦断ラリー/シェフ大泉 夏野菜スペシャル』

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北海道テレビ(HTB)
2011-10-05

(※画像、リンクをクリックすると、Amazonではなく、HTBオンラインショップのページに移動します)

 ジョセフ・ナイ関連の記事は小休止で、今日は小ネタ。いや〜遂に出ました、水曜どうでしょうDVD第16弾。名作揃いの1999年の企画の中でも、特に人気が高い「72時間!原付東日本縦断ラリー」と「シェフ大泉 夏野菜スペシャル」を収録した豪華版。「原付東日本」は全5夜、「シェフ大泉」は全4夜、さらに両方とも約20分の未公開シーンが追加されているので、実質的には11夜分がこのDVDに収められているわけです。

 そう考えると、第2弾の「サイコロ1/粗大ごみで家を作ろう/闘痔の旅」は、全体で4夜分+α(未公開シーン)しかないのに、今回のDVDと同じ値段ってのはどうなんだ??(もっとストレートに言えば、「第2弾は高かったんじゃないのか?」)って突っ込みたくなるのだけれども、そこはストップウォッチを片手に、畑を開墾する3人のタレントを分単位で杓子定規にマネジメントする「融通の利かねぇ」藤村Dのこと、どのDVDでも値段は一緒だ!というスタンスを全く変えませんな(苦笑)。

水曜どうでしょう_ウィリー紙ずもう(原付東日本) 予約特典として、「シェフ大泉」に登場する「どうでしょう農園 開墾予定地」と書かれたボードの再現ストラップがついてくることは事前情報で知っていたのですが、もう1つおまけが入っていました。それがこれ。

 「ウィリー紙ずもう」と名づけられた「切抜き工作」ですよ。何だか、昔の学研の付録を思い出しますなぁ。でも、意外と切れ目が細かくて、手で無理に切ろうとすると、違う部分を破ってしまいそう・・・。カッターで地道に切ることをお勧めします。


水曜どうでしょう_だるま屋ウィリー事件(原付東日本) 一応、「紙ずもう」ということになっているものの、対戦相手は特にいないという、何とも乱暴な設定。敢えて相手を挙げるならば、あの「信号機」か?せっかくなので、「安全第一」と書かれたところに、全く安全第一じゃない形で大泉さんが突っ込んでいく「だるま屋ウィリー事件」を再現してみました。

 【大】「なまら恐かったよ」
 【大】「動かないからアレと思って、ギアいじったっけ?ロー入っちゃって もうウィリーさ!」
 【ミ】「いいなぁ、おいしいなぁ」
 【ミ】「やっぱやることが派手だもの。ビジュアル考えているもの」

 もう名言のオンパレードです。お腹痛い・・・。

 カップリングの「シェフ大泉」も抱腹絶倒。名言「おい、パイ食わねぇか!」を久しぶりに聞くことができたよ。ミスターとD陣の2人は、さんざん大泉さんを騙しまくって面白がっているけれど、最後の最後に「おばけみたいな」(藤村D談)料理を大泉さんからお見舞いされ、結局どっちが騙されたのかよく解らなくなってしまったという、めちゃくちゃな料理番組。「大泉VS藤村」の喧嘩は見物です。

 ただ、個人的には、次の第17弾で出るであろう「ヨーロッパ・リベンジ」の方が楽しみなんだね。最近Classicでやっていたので久々に見たけれど、前枠(特に「鶴の恩返し」)、道中のとんでもないハプニング、ミスターの変装小ネタ、オスロで購入した”ムンクさん”の風船から派生した連続ドラマ「フィヨルドの恋人」など、どれをとってもやはり秀逸。今年はもう2本DVDが出たから、出るとしたら来年の頭かな?

 大泉さんが北極圏で壊れ、藤村Dが「『鉄道員』観てぇ〜」と泣き叫び、嬉野Dは旅の終盤でひどい風邪にやられてしまい、ミスターは企画を総括して、「何がつらいのかははっきり定かではないが、つらいです」と漏らした「ヨーロッパ・リベンジ」。北欧の美しい国々を、”人間を破壊する国々”へと貶めてしまったあの企画、藤村Dが当時のつらさを思い出しながら、年末にかけて編集する作業が目に浮かびますよ。ふふふ。

《2011年11月6日追記》
 DVD第16弾のシークレット映像(副音声収録場面)の出し方。今回は全てDisc1に隠されていた。

(1)ミスター
 チャプター選択画面で「第一夜」を選択した後「→」を押す。
 ⇒ミスターの似顔絵と”GET”の文字が出てくるので決定ボタンを押す。
(2)安田さん
 チャプター選択画面で「第三夜」を選択した後「↑」を押す。
 ⇒安田さんの似顔絵と”GET”の文字が出てくるので決定ボタンを押す。
(3)大泉さん
 チャプター選択画面で「最終夜」を選択した後「←」を押す。
 ⇒大泉さんの似顔絵と”GET”の文字が出てくるので決定ボタンを押す。
September 10, 2011

【水曜どうでしょう論(6/6)】作り手の「価値観連鎖」と受け手の「憧れ」が交錯する所でビジネスは成立する

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 いつの間にか結構な文量の連載になってしまったが、今回が最終回。今日は、「価値観連鎖」がマーケティングにおいて果たす役割を論じ、どうでしょうが長年にわたって安定した顧客基盤を維持できている要因に迫りたいと思う。

 どうでしょうの話に入る前に、「価値観連鎖」の持つ役割が非常に解りやすいアップルを例にとってみたい。アップルの目的は、「ITを使って生活を豊かにすること」であろう。目的レベルで見れば、おそらくMSなどの競合他社も、それほど変わらない目的を掲げているに違いない。しかし、アップルは「価値観連鎖」の中身が他社とは大きく異なる。想像の域を出ないけれども、アップルの「価値観連鎖」は、以下の価値観を含んでいるのではないだろうか?(※)。

 ・市場調査やアナリストの意見はあまり重視しない。
 ・アップルの社員自身が欲しいと思うクールな製品を作る。
 ・アップルの社員が、家族や友人に勧めたいと思う製品を作る。
 ・スタイリッシュで洗練されたデザインにこだわる。
 ・最先端のテクノロジーを積極的に採用する。
 ・競合他社の真似などしない。競合他社の製品をクソ扱いし、競合の製品と品質、コストパフォーマンスなど、あらゆる面で圧倒的な差をつける。
 ・困難な仕事であっても、熱狂的に(というか、ジョブズのために)仕事をする。
 ・外部企業を含むネットワークを積極的に構築するが、どのネットワークでもアップルが主導権を握る。
 (iTunes Store、App Storeなど)
 ・新製品に関する機密情報を完璧に守り切り、アップルブランドに対する顧客の期待感を煽る。
 ・自社の製品やサービス、ブランドイメージを傷つける情報が流れていれば、強制的に削除する。

 本当はもっとたくさんの価値観が複雑に絡み合っているのだろうが、アップルの「価値観連鎖」のポイントは、「デザイン」、「最先端技術」、「権力」という3つのキーワードに集約されるように思える。そして、「価値観連鎖」の主観的な内容は、製品コンセプトに投影され、さらには企業が顧客に対して発信するメッセージにも反映される。アップルは、「デザイン」、「最先端技術」、「権力」という3つのキーワードを使って、(あくまでも推測であるが)次のようなメッセージを市場に向けて発信しているのではないだろうか?
「最新の技術を使ったら、こんなカッコいい製品ができたんだ。これを使うと、驚くほど仕事の効率が上がるし、日常生活が刺激的でクリエイティブなものになるのさ。どうだい、うらやましいだろう?え、それほどでもないって?君らはどこの製品を使っているの?はぁ?バッカじゃなかろかルンバ。あんな製品は何の役にも立たないでき損ないだぞ。

 それよりもこの製品を使いなよ。オレがカッコいいと言っているんだから、カッコいいんだよ。オレが便利だと言っているんだから、便利なんだよ。君らも早く使ってみるべきだね。そうじゃないと、世界のトレンドから取り残されるのは時間の問題さ」
 デザインと技術を極限まで追求する一方で、人間の権力欲求にも訴える。その下地となっているのが、アップルを中心としたネットワークが持っている、独特の「価値観連鎖」なのである。そして、アップルというブランドそのものを愛するコアなファンは、個別単体の製品やサービスの機能を評価しているという理由に加え、アップルが醸し出す「価値観連鎖」への「憧れ」から、アップルの製品やサービスを購入する。

 最先端の技術やデザインに強く惹かれる人、それを入手して周りに自慢したがる自己顕示欲の強い人、アップルの製品を使うとどのくらい劇的に日常生活が楽しくなるのかを友人たちに熱弁したい人、アップルがクソだと名指しした製品を使っている人の前に仁王立ちして優越感を味わいたい人・・・人間の腹黒い一面も含まれているけれども、そういう人たちがアップルの顧客になっていくのであろう。

 アップルの例からどうでしょうの例に戻ると、何だかすごくのんびりした話になってしまうのだが、どうでしょう班とどうでしょうファンの関係もこれと同じである。どうでしょう班、およびどうでしょう班と連携している外部プレイヤーによって形成される「価値観連鎖」は、「たまにはちょっと怠けたい」という人間の本能をくすぐり、「人生、多少手を抜いても、多少いい加減でも大丈夫なんだ」ということに気づかせてくれる。
「最初からそんなに一生懸命計画を作ったって、絶対に計画通りに進まないんだって。だから、いっそのこと計画など捨てて、目の前の物事にトライしてみれば?偶然の出来事や偶然の出会いが、人生を意外な方向へと導いてくれるかもしれないよ?それがたとえ自分の希望とと違っていたとしても、きっとそれが運命なんだって。

 あと、世間というのは何かと世知辛いし、正直者が損をするようにできている。だから、多少腹黒いぐらいでちょうどいいのさ。正義とか理想とかに縛られて、他人の犠牲になってしまったとしたら、それは本当に理想の姿だと言えるのかい?

 少しぐらい手を抜いて、それで他の人に迷惑がかかるとしても、そんなに気にしなくたっていい。だって、向こうだってこっちに迷惑がかかるかもしれないと思いながら、同じように手を抜いているかもしれないんだから。たまに本気を出して120%の力を出す必要があるかもしれないけど、普段は70%、80%ぐらいの力でやり過ごせばOKなんだよ」
 これが、どうでしょうの「価値観連鎖」がもたらすメッセージではないだろうか?アップルが発信するメッセージとは全く違う内容ではあるが、どうでしょうの「価値観連鎖」が示すメッセージに憧れている人たちは、実際には非常に多いと思われる(だから、どのDVDも未だに10万枚近く売れる)。

 というのも、現実の世界では、何をやるにしても事前に詳細な計画が必要とされるし、失敗に対する許容度も低い。もし失敗をすれば、それなりの説明責任が生じる。責任のなすりつけ合いなどをしようものなら、もっと厳しい弾劾の対象になるだろう。それから、「早く成果を出せ」という上司からのプレッシャーや、会社の体育会的なカルチャーが、回り道をしたり、脇道に逸れたりすることを許してくれない。本当は、そういうムダや遊びがあった方が、予想外の発見を得られるかもしれない、というのにも関わらずである。

 この息苦しい日常のことを、わずかな間ではあるが忘れさせてくれ、自分が心の奥底で憧れている生活を体現してくれているのが、他ならぬ「水曜どうでしょう」なのである。いみじくも大泉さんが『ヨーロッパ20か国完全走破 完結編』の中で、「私は『サラリーマンの入浴剤みたいな存在』ですよ」と発言したのは、まさにその通りなのだ。

(※)一部の価値観は、「フィル・シラー氏に聞く:アップル流イノベーションが大きく花開いた2010年(後編)」(ITMedia、2010年12月10日)の表現を拝借している。

【水曜どうでしょう論】シリーズ
 (1)某局のコンセプト「楽しくなければテレビじゃない」を本当の意味で体現しているのがどうでしょう
 (2)どうでしょう班の4人をつないでいる「共有価値観」
 (3)外部のパートナーを巻き込んで「価値観連鎖(バリューズ・チェーン)」を形成する
 (4)素人さえも「価値観連鎖(バリューズ・チェーン)」に組み込んでしまう凄さ
 (5)従来のマーケティングが軽視してしまった「作り手の主観的な意思」
 (6完)作り手の「価値観連鎖」と受け手の「憧れ」が交錯する所でビジネスは成立する
September 06, 2011

【水曜どうでしょう論(5/6)】従来のマーケティングが軽視してしまった「作り手の主観的な意思」

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 4回にわたり、どうでしょう班との関係が深い外部パートナーや、番組の面白さを際立たせる個性的な素人さんたちを紹介してきた。どうでしょうにおいて、彼らのようなちょっと変わった人たちとのネットワークが重要なのは、彼らの価値観がどうでしょう班の共有価値観と非常によく似ており、彼らがどうでしょう班と接触することで、強固な「価値観連鎖(バリューズ・チェーン)」が生じるからである。

 今回の一連の記事では取り上げられなかったが、どうでしょうのスポンサー企業の担当者や、新作をいち早く全国で放送したVOD(パナソニックが運営するアクトビラなどのビデオ・オン・デマンド事業)の担当者、さらにはHTBからどうでしょうのコンテンツを購入してOAしている地方テレビ局の担当者に関しても、どうでしょう班の共有価値観に通ずるところがあり、「価値観連鎖」を強化する役割を担っているのかもしれない。

 ここまで「価値観」にこだわっているのは、マーケティングを論じる上で、作り手の主観面である価値観が重視されることが今までは少なかったからである。これにはある合理的な理由が存在する。マーケティングという言葉が使われ始めた時代のコンテキストを紐解くと、その合理的な理由が理解できると思われる。

 第2次世界大戦後、まだ需要が供給を上回っていた頃のアメリカは、メーカーが製品を製造すればそれだけで売れる時代だった。ところが、1960年代ごろから情勢が逆転して供給が需要を上回るようになり、単に製品を作るだけではダメだということに各社が気づき始めたのである。

 ここにきて各企業は、(1)市場をよく分析し、(2)自社製品を購入してくれそうな顧客層を特定して、(3)その顧客層に対し、具体的にはどんな製品をいくらで売るのが望ましいのかを真剣に考えるようになった。さらに、(4)どういう販売チャネルを構築すれば、自社が狙っている顧客層にモレなくアプローチできるか?あるいは、(5)どのようなプロモーションを打てば、顧客層のハートをキャッチできるのか?といった問題を提起して、十分な議論を重ねる必要が出てきた。お解りのように、(1)はセグメンテーション、(2)はターゲティング、(3)〜(5)はマーケティング・ミックス(マーケティングの4P)のことである。

 マーケティングの登場は、一言で言えば、「プロダクト中心」の考え方から、「顧客中心」の考え方へのパラダイムシフトを意味する。「顧客のことをよく理解せよ」、「顧客のニーズを第一に考えよ」―マーケティングを勉強した人たちは、こうしたフレーズを何度耳にしたことだろうか?

 「プロダクト中心」から「顧客中心」へのパラダイムシフトに拍車をかけたのは、同時期に大企業を相手に頻発していた「消費者運動」である。大企業は、作れば作るほど売れる時代の考え方に慣れきっており、製品に問題が起きても、対策をを先延ばしにしていた。

 しかし、弁護士で消費者運動のリーダーであるラルフ・ネーダーが、自動車の安全性に関する企業告発を行ったことをきっかけに、今まで幾度となく我慢を強いられ、煮え湯を飲まされてきた顧客の不満が爆発し、60年代から70年代にかけて、一気に消費者運動が盛り上がったのである(※1)。

 ドラッカーは「消費者運動の発生は、マーケティングの敗北を意味している」と、持ち前の過激な論調で企業をけん制した。このような時代の流れもあって、企業はマーケティングの意味を真剣に考えざるを得なくなり、顧客第一主義を体現する企業へと変革を進めることになった。

 ただ、「プロダクト中心」から「顧客中心」に一気に針が触れてしまうと、大事な視点が抜け落ちてしまう。それは、「売り手の意思」である。特定の業界に属する全ての企業が、「顧客中心」の考え方を貫いて、市場に投入する製品を開発すると仮定する。これはマーケティングの王道に沿った理想的な行動のように思える。しかし、逆説的ではあるが、各社から出てくる製品は、どこか似たり寄ったりなものになってしまうのである。

 なぜならば、供給過剰の状態では、複数の企業が同じセグメントをターゲット顧客として設定する可能性が高くなるからだ。そして、そのターゲット顧客に向けて各企業が投入する製品は、企業の組織能力や技術の違いによって多少の違いは出るものの、パッと見ただけではほとんど区別がつかない。

 実際、スーパーやコンビニ、家電量販店に足を運んでも、「どのメーカーも同じような製品だなぁ」と感じる人は決して少なくないはずだ。メーカー間、製品間の違いを知るためには、マニアックなほどに製品に精通している販売スタッフに声をかけるしかない。

 それぞれの企業がより個性的になり、エッジの効いた製品やサービスを世に送り出し、とんがったブランドイメージを確立し、他社との違いをより鮮明に打ち出すには、どうすればよいだろうか?ここで、マーケティングに対する見方をガラリと変えてみることを提案したい。

 一般的なマーケティングでは、「顧客が欲しがっている製品を製造し、顧客が求めているサービスを提供すれば、ビジネスになる」と考える。顧客のニーズは多種多様であるけれども、市場調査から得られたデータを統計的手法で分析すれば、客観的に顧客ニーズを体系化できるという前提に立っている。

 これに対して、新しいマーケティングでは、「自社を中心とするネットワークの『価値観連鎖』と顧客の『憧れ』が一致する時に、ビジネスが成立する」と考える。一般的なマーケティングに比べると、双方の主観的な側面がより強調されるのである。

 「価値観」とは、これまでも述べてきたように、企業が己の目的を実現する過程で直面する様々な課題に対して、想定される選択肢の中から、自社にとって最適なものを抽出する判断基準のことである。

 ただ、完全な垂直統合によって自社だけでバリュー・チェーンをカバーしている企業は非常に少なく、たいていは外部の組織や人材を活用しながら製品・サービスを提供している。外部のプレイヤーも、そのプレイヤーなりの価値観を持っているが、その価値観が自社のものと近ければ、プレイヤー間の連携がよりスムーズになり、製品やサービスをもっと効果的・効率的に提供できるようになる。自社と外部のプレイヤーが、類似の価値観を軸として緊密な関係を構築している状態を「価値観連鎖(バリューズ・チェーン)」と呼ぶ。これは、今まで述べてきた通りである。

 次回は、どうでしょうの「価値観連鎖」が顧客に対して発しているメッセージを具体的に考察してみたいと思う(次回で【水曜どうでしょう論】は最終回)。

(※)「消費者|Wikipedia」の「消費者問題・消費者運動」の項を参照。

【水曜どうでしょう論】シリーズ
 (1)某局のコンセプト「楽しくなければテレビじゃない」を本当の意味で体現しているのがどうでしょう
 (2)どうでしょう班の4人をつないでいる「共有価値観」
 (3)外部のパートナーを巻き込んで「価値観連鎖(バリューズ・チェーン)」を形成する
 (4)素人さえも「価値観連鎖(バリューズ・チェーン)」に組み込んでしまう凄さ
 (5)従来のマーケティングが軽視してしまった「作り手の主観的な意思」