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May 12, 2012

なぜ『理系のトップはなぜダメなのか』という本がダメなのか?

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理系のトップはなぜダメなのか理系のトップはなぜダメなのか
諒 純也

阪急コミュニケーションズ 2012-03-01

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 『TOPPOINT』2012年5月号(※1)で紹介されていた1冊。4ページのサマリだけで突っ込みどころがあったので、敢えて記事にしてみた。本来ならばちゃんと本を買い、全部読んだ上で批評すべきなのだろうけれども、お金と時間がもったいないから、(やり方が卑怯だという批判は承知の上で、)サマリだけを題材に本書を批評してみる。

 本書で「ダメな理系のトップ」としてやり玉に挙がっているのは、民主党の鳩山・菅元総理である。
鳩山総理は、(民主党政権発足後の)国際会議で「温室効果ガス25%削減」を宣言した。それは国家の方針としてロジックの通ったものだったが、企業のコンセンサスを得ずに宣言したため、ひんしゅくを買った。このように理系は、「論理的に成立するもの」=「万人が納得できるもの」と考えがちである。
福島原発の事故の際、菅総理は「俺は原発には詳しいんだ!」と言ったとされ、自らヘリに乗って現場に出かけるなど、相当に非常識な対応をした。こうした「自身の理解力に対する過信」も、理系人間にありがちな側面である。
 そして、「理系トップの陥りやすい罠」として、以下の5つを挙げている。
(1)理系人間には、白黒をはっきりさせ、「正しいこと」がベストだと思い込む習性がある。そのため、徹底的に相手の間違いをあぶり出そうとして、相手の心にしこりを残す。

(2)理系トップは、自己のロジック=全体のロジックと勘違いしがちである。それゆえ自分の希望をゴリ押ししたりする。

(3)理系トップは、頑なである人が多い。状況が変わっても、一度決まった方針はひたすら遵守しようとする。

(4)理系の現場では、現状より性能を何%改良するというように、仕事の数字は「追う」ものである。そのため理系トップは、「数字に追われる」厳しさがわからない。

(5)コミュニケーションする際、理系トップは相手に理解してもらうことよりも、「正しいか、間違っているか」「正確か」といった理系の評価軸にこだわる傾向がある。
 サマリを読む限り、鳩菅2人の失敗を基に「理系のリーダーはダメだ」というレッテルが張られているように感じる。これは、理系の人にとっては著しく不利な論法だろう。そもそも、「コンセンサスを得ない」、「自分の理解力を過信している」、「頑なで方針を変えようとしない」という性格は、理系人間特有のものではない。民主党の例を挙げると、「口先番長」と揶揄される前原誠司氏は京都大学法学部卒、「原理原則主義者」の異名をとる岡田克也氏は東京大学法学部卒であり、2人とも文系である。つまり、理系・文系の問題ではなく、あくまでも個人の問題(あるいは、政治に限って言えば、民主党という組織の風土の問題)なのである。

 著者が挙げている「理系トップが陥りやすい5つの罠」のうち、(1)〜(3)と(5)に関しては、同じような罠に陥っている文系出身者を何人か私も見てきた。コンサルファーム出身者は、文系・理系を問わず(1)と(5)に陥りやすい。また、社内で政治的に振る舞おうとする人は、(2)に陥りやすい。

 なお、(4)は意味がよく解らないのだが、サマリを読む限りでは、文系の人間は「営業は○○円の売上を上げる」という目標が与えられると、その数字に「追われて」目標を必死で達成しようとするのに対し、理系の人間は「性能を○○%改良する」、「コストを○○%ダウンする」という目標を与えられても、「現状からよくなればよい」という甘えのロジックにより、目標に届かなくてもよしとしてしまう、ということを言いたいようである。しかし、経営目標である以上、文系と理系でそういう差が生じる理由などどこにもないのであって、R&Dや製品開発の現場で働く理系の人たちは、目標をクリアするために文系と同じように努力しているはずだ。

 もし本気で「理系のトップはダメ」であることを証明したいのであれば、例えば上場企業の歴代社長について、在任期間中の時価総額の増加率をランキング化し、ランキングの大半を文系出身者が占めることを示すなど、何らかの統計的な手法を用いるべきではないだろうか?この本の著者も理系出身なのだから、この手の分析はお手の物だろう。もちろん、そういう分析にも欠陥はあるのだが(詳しくは脚注を参照)、鳩菅の事例から一般化するよりはましである(※2)。

 皮肉なことに、(というか、これは『TOPPOINT』の編集者がわざとそうしたのではないか?と思うぐらいだけれども、)この本の前で紹介されている『言葉力が人を動かす』の著者・坂根正弘氏(コマツ取締役会長)は、コマツの社長就任直後に直面した創業以来初の赤字から、構造改革によってV字回復を達成した人物であり、大阪市立大学”工学部”出身なのである。

言葉力が人を動かす―結果を出すリーダーの見方・考え方・話し方言葉力が人を動かす―結果を出すリーダーの見方・考え方・話し方
坂根 正弘

東洋経済新報社 2012-02-24

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(※1)『TOPPOINT』は、毎月数多く出版されるビジネス関連の新刊書の中から、アイデアに溢れ、内容が斬新な「一読の価値のある本」を紹介してくれる月刊誌(「TOPPOINT」HPより)。主に取り上げられるのは毎月10冊で、1冊の内容を4ページに要約してくれる。それ以外にも、短い書評が約20冊分掲載されている。

(※2)ハーバード・ビジネス・レビュー誌は、株価を用いたより厳密な手法で世界中のCEOのランキングを作成したことがあり、その詳細はモルテン・T・ハンセン他著「在任期間の業績で評価した世界初のランキング 世界のCEOベスト50」(『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2010年5月号)で公表されている。HBR誌は、1995年から2007年に就任したCEO1,999人について、在任期間中のTSR(total shareholder return:株価の上昇または下降分と配当の総利回り)を算出し、トップ50を選出した)。

 日本人でランクインしているのは、神林留雄氏(28位、NTTデータ、1995〜1999年)、御手洗冨士夫氏(38位、キヤノン、1995〜現在)。そして、この2人を上回る17位に、本文の最後で紹介したコマツの坂根正弘氏(2003〜2007年)が入っている(以前の記事「優れたリーダーは最短距離を走らない(後半)−『人と組織を動かすリーダーシップ(DHBR2010年5月号)』」を参照)。

 もっとも、以前の記事の中でも指摘したように、この手法はいくつかの問題を抱えている点には注意しなければならない。在任期間が短い場合、TSRの増加はそのCEOの実力なのか、それともたまたま事業環境に追い風が吹いていただけなのかが判別しにくい。また、就任前のTSRが高いCEOよりも低いCEOの方が、もっと解りやすく言えば、業績が好調な企業を引き継いだCEOよりもダメな企業を引き継いだCEOの方が、TSRを上げやすく有利である。

 さらに、そのCEOが、CEO就任の少し前にTSRの低下につながるような失敗をしたにもかかわらず、CEO就任後にTSRを回復させた場合、すなわち”自作自演型”のTSR増加の場合は、そのCEOを過大評価してしまうことになる(以前の記事「【論点】事業後継者の資質に優先順位をつけるとしたら?他―『リーダーの役割と使命(DHBR2011年12月号)』」で取り上げた、BMSノースアメリカの社長兼CEOグレゴリー・ベイブはこのケースに近い)。加えて、そもそも論として、TSRの増加をCEO1人の能力と結びつけてよいのか?という問題もある。ひょっとしたら、他に優れた経営メンバーがいたおかげだったかもしれない。

Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2010年 05月号 [雑誌]Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2010年 05月号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2010-04-10

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August 31, 2011

【再考察】菅直人首相はなぜ退陣に追い込まれたのか?(3完)

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(3)「重要度は高いが緊急性が低い」課題に着手し、復興を遅らせた
 今回の震災後に最優先で取り組むべき課題は、「被災地の生活支援と雇用創出」、「福島原発事故の鎮静化と健康被害など各種被害の抑制」の2つである。そして、そのための補正予算を早く成立させなければならない。それが、「国民の生活が第一」を掲げる民主党であればなおさらである。ところが、原発事故処理の失点で信頼を失った菅首相は、信頼を回復させるために、国民の目を別の方向へ向けさせようとした。それが、先ほどの「ソーラーパネル1,000万戸設置宣言」も含めた「再生エネルギーの推進」である。

 確かに、再生エネルギーの推進は重要課題である。原発事故を機に、国民も再生エネルギーを前向きに捉えるようになったことも、菅首相にとっては追い風であった。しかし、今この時期に検討するほど、優先度が高いと言い切れるだろうか?二酸化炭素の排出量が少ない日本は、世界から低酸素社会の早期実現を迫られているわけではない(少なくとも、アメリカほど切迫した課題ではない)。本来であれば、復興のメドがつき、事故処理の道筋が立った段階で、エネルギー戦略と経済成長戦略の見直しとともに、再生エネルギーの議論を始めるのが筋だろう。

 ところが、菅首相が再生エネルギーの推進を急ぎ、退陣条件にも「再生エネルギー特別措置法案の成立」が盛り込まれたものだから、国会で十分な議論が行われないまま法案は成立してしまった。24日に成立した再生エネルギー特別措置法は、

 ・電力会社側の買い取り価格をいくらにするか?
 ・電力会社の買い取りに必要な設備をどうやって増強するか?国はどこまで支援するのか?
 ・仮に、電力会社が買い取りを拒否をした場合はどうするのか?
 ・電力会社による値上げの影響を大きく受ける大口契約者への優遇措置をどうするか?

など多くの課題を抱えている(※12)。極端な言い方をすれば、今回の法律は”スカスカ”の法律であり、「とりあえず、再生エネルギーを推進することにしました!」と言っているにすぎないのである。

 以上、菅首相が退陣に追い込まれた要因を3つに分けて論じてきた。だが、ここでもう1つの疑問が出てくる。それは、これら3要因は野党側が菅首相を退陣に追い込む理由にはなるけれども、なぜ身内である民主党内でも激しい「菅降ろし」の風が吹いたのか?ということである。ここからは完全に推測の域を出ないけれども、菅首相の性格・資質そのものに問題があったのかもしれない。

 すなわち、東電社員を怒鳴り散らし、思いつきでポンポンと新しい施策を打ち出したように、被災地対応や原発事故対応に当たっている民主党議員にも怒鳴り声を上げ、支離滅裂な指揮命令を出していたことが理由で、”嫌菅”の民主党議員が増えていったのかもしれない。この辺りは、もうしばらくして民主党がぶっ壊れてくれれば、暴露話となってあちこちで表面化するだろう(※13)。

 忘れてはならないのは、東北地方の避難所が相次いで閉鎖へと向かっている中、仮設住宅の建築の遅れなどによって、福島県では現時点でもまだ約5,000人が避難所生活を続けており(※14)、岩手・宮城・福島の3県で震災後に離職を余儀なくされた約15万人のうち、就職したのは約1割の1万4,700人程度にとどまる(※15)という事実である。菅首相が民主党代表選の行方を悠長に眺めている間にも、東北は復興の道のりを歩んでいかなければならないのである。

(※12)「再生可能エネルギー特措法 残る課題 価格の決め方 買い取り拒否 優遇の線引き」(MSN産経ニュース、2011年8月24日)
(※13)MSN産経ニュースの記事「【民主漂流】党を覆う虚脱感 一人はしゃぐ首相、軽口叩きピザをパクリ」(2011年6月22日)では、岡田克也幹事長、さらには気性の荒いことで知られる仙谷由人官房副長官までもが、菅首相に怒鳴りつけられたことが報じられている。
(※14)「福島県内の避難所 10月閉鎖の工程厳しく」(河北新報社、2011年8月24日)
(※15)「民間の力で被災者に職を」(日本経済新聞、2011年8月23日)

【再考察】菅直人首相はなぜ退陣に追い込まれたのか? (1)(2)(3完)
August 30, 2011

【再考察】菅直人首相はなぜ退陣に追い込まれたのか?(2)

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 ジャーナリストの佐々木俊尚氏がtwitter上で触れた記事「菅直人首相の退陣によせて」(Danas je lep dan、2011年8月26日)には、「菅首相以外の誰がやっても、結果は大して変わらなかっただろう」といったことも書かれている。確かに、今回のような事故の対応に「まさにぴったりの適任」という人物はいないだろうし、菅首相自身も「自分以外の誰だったらうまくやれたというのか?」と周囲にもらしたことがあった。

 原発事故処理の遅れや、事故に起因する健康被害、農畜水産物の被害、さらには風評被害のうち、どこまでが菅首相の意思決定に帰すべきものなのかは、今後じっくりと検証されることだろう。一般論で言えば、意思決定とは、「状況の把握⇒解決すべき課題の設定⇒選択肢の列挙⇒選択肢の絞り込みと実行⇒実行した結果のフィードバック(フィードバック内容は、次の状況の把握へとつながっていく)」という一連の流れが、次々と重なっていくものである。

 今回の原発事故対応をめぐっては、

 ・意思決定を下すべき局面がどのくらいあったのか?
 ・それぞれの局面で、菅首相はどのように関与・決断をしたのか?(あるいは関与・決断をしなかったのか?)
 ・菅首相の関与・決断によって、どのような結果がもたらされたのか?(事故処理が遅れたのか、それとも早まったのか?健康被害などが悪化したのか、それとも改善されたのか?)
 ・菅首相の判断は、他の政治家でも下す可能性があったものか?それとも、菅首相だからこそ下した判断だったのか?
 ・菅首相以外の政治家ならば、どのように関与し、どのような決断を下したのだろうか?
 ・その決断によって、どのような結果がもたらされたと想定されるか?(事故はもっと早く終息したのか?健康被害などをもっと抑制することができたのか?)

などといった論点について、各方面の専門家を含めたチームが広範なヒアリングと情報収集を行い、緻密な分析を行う必要がある。これは非常に骨の折れる作業だ。しかし、NASAのコロンビア号が爆発事故を起こした際には、このような事後検証が徹底的に行われた。その結果、コロンビア号の教訓は多くのビジネススクールで教えられているし、書籍にもなって世の中に出回っている(※8)。今回の原発事故対応についても同様の検証を行い、菅首相の責任の範囲を明確にすることが重要であろう(検証結果が出るのは何年後になるかわからないし、重要な議事録が残っていないために、どこまで深く検証できるか不透明な部分はあるけれども、それでも検証を行うべきだ)。

(2)適切な意思決定プロセスを経ないままの決断が多かった
 菅首相が退陣に追い込まれた主たる要因は、これまで述べてきたように、(1)リーダー自身が狼狽してしまい、リスクマネジメントができなかったという点が大きかったわけだが、それ以外にも2つの要因を指摘することができる。2つ目は、「保身のための思いつき」と揶揄された唐突の意思決定が多かったことである。原発事故対応での失点を取り戻すためなのか、菅首相がとっさに発したのが、「浜岡原発の停止要請」と、「ソーラーパネル1,000万戸設置宣言」の2つである。

 浜岡原発は国の耐震基準を満たしており、震災後に経済産業省が各電力会社に指示した緊急安全対策にも対応している。浜岡原発は、東海大震災の想定地のすぐそばに立地しており、事故のリスクが他の原発に比べて高いのは事実である。実際、菅首相の緊急記者会見では、「今後30年以内にマグニチュード8級の東海大地震が発生する可能性が87%」というデータも示されている(※9)。
 
 だが、緊急記者会見以前に、菅首相は経済産業省や中部電力の関係者に、何かしらアプローチをかけたのだろうか?中部電力の取締役会がすぐに結論を出せなかったのを見ると、中部電力にとっては全くの「寝耳に水」だったに違いない。

 もう1つ、日本国民を、というか世界中を驚かせたのが、パリで開かれたOECD(経済協力開発機構)設立50周年記念行事で菅首相が行った講演の内容である。菅首相は、原発事故を受けたエネルギー政策を語る中で、「設置可能な約1,000万戸の家の屋根にすべて太陽光パネルを設置することを目指していく」と日本語で宣言した(※10)。

 この発言は、今度は経済産業省にとって「寝耳に水」であった。なぜなら、事前に用意されていた原稿には1,000万戸という具体的な数字は盛り込まれておらず、菅首相がスピーチの直前に独断でつけ加えたものだったからだ。いくら世論が脱原発&自然エネルギー推進に傾きかけているとはいえ、海江田万里経産相をはじめとする経産省の関係者に何の事前通告もせずに、国際舞台でいきなり発言したのには問題がある。国際舞台において、一国のトップの発言がどれほどの重みを持つかを菅首相が理解していなかったと言われても仕方ないだろう。

 もちろん、緊急事態においては、通常の意思決定プロセスでは時間がかかりすぎると判断した場合に、例外的な意思決定プロセスをとること自体は何ら間違ったことではないし、むしろ推奨されるべきですらある。私自身も、このブログでリーダーシップを論じる際には、この点に何度も言及している。一般的なマネジャーは組織で定められた公式の手続きを尊重するのに対し、リーダーは非公式の手続きをうまく組み合わせて周囲の人々を動かす。それが政治家であれば、超法規的枠組みによる意思決定という形をとることになる。

 しかし、「浜岡原発の停止要請」と「ソーラーパネル1,000万戸設置宣言」については、非公式のプロセスすら省略され、完全に菅首相の独断で進められてしまった。震災直後に、菅首相が挙国一致を目指して「大連立」を構想した時には、いきなりメディアで「大連立を検討します」と発言してから自民党に打診したわけではない。自民党の谷垣総裁や石破政調会長に、事前に水面下で電話をかけているのである(もっとも、谷垣総裁に「復興担当大臣」を打診するという、かなりの”クセ球”だったわけだが)。

 大連立構想の時にはできたことが、なぜ「浜岡原発の停止要請」と「ソーラーパネル1,000万戸設置宣言」の時にはできなかったのだろうか?大連立を断られたことで(あるいは、大連立の件以外にも、民主党内外に非公式に持ちかけた施策が却下されたことが重なって)、「非公式に打診しても拒否されるのがオチだから、いっそ自分で発言して既成事実化してしまおう」と考えたのだろうか?いずれにせよ、菅首相の単独行動が、周囲の不信感を強めたのは間違いないだろう(そして、イタチの最後っ屁とばかりに、退陣の直前でまたしても唐突に「朝鮮学校の無償化の再検討」を指示した(※11))。

 (明日で最後)

(※8)日本でも、例えばマイケル・A・ロベルト著『決断の本質』(英治出版、2006年)などで、コロンビア号爆発事故に関するNASAの意思決定プロセスの問題点を知ることができる。

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(※9)「【日本版コラム】浜岡原発停止要請が引き起こす3つの混乱―追加対策としてPPSの見直しを」(WSJ日本版、2011年5月9日)
(※10)「菅首相『太陽光パネル1000万戸に』 実現可能な数字なのか」(J-CASTニュース、2011年5月26日)
(※11)「菅首相、朝鮮学校の無償化再開指示 退陣直前に唐突に」(MSN産経ニュース、2011年8月29日)
August 29, 2011

【再考察】菅直人首相はなぜ退陣に追い込まれたのか?(1)

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 ジャーナリストの佐々木俊尚氏がtwitter上で「菅直人首相の退陣によせて」(Danas je lep dan、2011年8月26日)という記事に言及し、「私も賛成」との見解を述べていたのだが、改めて菅直人首相とはどういう人物だったのか、なぜ身内からも忌み嫌われる形で退陣に追い込まれたのか、私なりに整理し直してみた。

(1)リーダー自身が狼狽してしまい、リスクマネジメントができなかった
 菅首相が退陣に追い込まれた要因は3つあると私は考えるが、中でもこの1つ目の要因が決定打である。震災直後の菅首相の動きに関する記事(※1)を読み返してみると、福島原発事故と対峙して狼狽する菅首相の姿が改めて浮き彫りになる。冒頭で触れた「菅直人首相の退陣によせて」の中では、誰も経験したことのない事故を目の前にして慌てふためかない人などいない、といったニュアンスのことが書かれているけれども、確かにその考え方にも一理あるのは認めよう。

 だが、9.11同時多発テロ事件の直後に、ジュリアーニ前ニューヨーク市長が「救援・復興活動が第一優先だが、残りの人は、日頃の消費活動を維持することが大事。安易な自粛モードは、NYの商業施設の売上減などNY経済の低下につながり、いわば、テロの2次被害を招く。卑劣なテロに負けないためにも積極的に飲み食いするなど日頃の商業活動を維持してほしい」と演説し(※2)、事故の10日後には自らコメディ番組に出演して、「みんな笑っていいぞ」と発言した(※3)のに比べると、菅首相が震災直後に国民に向けて発信したメッセージはあまりにも印象が薄い。

 国民に対して積極的にメッセージを発していたのは、菅首相ではなく枝野官房長官だった。不眠不休で政府内や東電の関係者と連絡を取りつつ、連日記者会見を開いていたために疲労が重なり、枝野長官の顔は日に日にやせ細っていった。枝野長官の体調を心配して、ネット上で「枝野寝ろ」運動が起こったことを覚えている方も多いだろう。

 もちろん、アメリカのテロ事件と今回の東日本大震災を単純に比較することはできないし、日本で首相がこんな時期にバラエティ番組に出演しようものなら、野党の格好のエサになって「不謹慎だ」とバッシングを受けるのは間違いない。いつ何時でも楽観的に振る舞い、明るい未来を見出そうとするアメリカ人と、現実的な考え方を望む日本人という民族性の違いを考慮に入れる必要はある。

 しかし、それにしても菅首相は冷静さを欠いていた。東京電力の本社を訪れて東電社員に怒鳴り散らし、「東電が事故処理から撤退する」との噂が流れた時には、東電の清水社長(当時)にも怒声を浴びせたと言われている。メディアが菅首相の言動の一部分のみを切り取って報道している可能性は否定できないものの、リーダー自身がこんなにも狼狽してしまっては、命がけで事故処理にあたっている東電社員を鼓舞するどころか、逆に委縮させ、混乱を増幅させるばかりである。

 この点でも、東京消防庁の隊員を涙ながらにねぎらった石原慎太郎都知事とは対照的だ。福島第1原発で冷却作業にあたったハイパーレスキュー隊員を前にして、石原都知事は「みなさんの家族や奥さんにすまないと思う。ああ…、もう言葉にできません。本当にありがとうございました」、「まさに命がけの国運を左右する戦い。生命を賭して頑張っていただいたおかげで、大惨事になる可能性が軽減された」と涙を流しながら語った(※4)。震災直後に「震災は『天罰』だ」と発言して顰蹙を買った都知事ですら、ここまでの姿を見せているのである。

 一方、当の菅首相は、なまじ原発に関する知識があるばかりに、東電の対応や報告のスピードを余計に遅く感じたのだろう。冷却作業に使用する真水がなくなったため海水注入に踏み切ろうとした東電に対し、再臨界を危惧して「待った」をかけた菅首相であるが、専門家の間では真水より海水の方が再臨界のリスクが低いと考えられていた。

 この一件以外にも、東電が事故処理の方法に関して、いちいち首相の判断を仰がなければならない局面が少なからず存在したようだ。しかし、菅首相が持っている原発の知識は、もう何十年も前のものであり、今回の事故では使い物にならない。事故処理は、最新の原発を熟知している東電の現場に任せておけばよかったのである。

 では、首相として、あるいは政府として何をすべきだったのだろうか?今回の大震災では、「情報が得られないが、事態が深刻化していることだけは解っている」という難しい状況で意思決定を下す必要があった。この場合の鉄則は、「厳格な基準を適用し、最悪のシナリオを想定した行動を通じて、国民の生命を守る」ことに尽きる。

 この点に照らし合わせてみると、原発周辺の避難区域が半径3km、5km、10km、20km圏内と徐々に広がっていったことは、最悪のシナリオを想定していたとは到底思えない判断である。これでは住民の不安をいたずらに煽るだけだ。逆に、最初から半径20km以内を避難区域に設定し、そこから段階的に解除していくのが、適切なリスクマネジメントだったと考えられる。

 基準の適用に関する混乱は他にも見られた。例えば、農作物に含まれる放射性物質の暫定基準(そもそも、いつまで「暫定」なのか?という疑問もあるが・・・)をめぐって、多くの農家と消費者が翻弄された。同量の放射性物質が含まれていても、地域によって「出荷制限」と「出荷自粛」の差が出たこともあった。挙句の果てには、原発の事故処理に当たる作業員が少なくなってきたから、年間被曝量の上限値を引き上げて、基準値を超えない作業員の数を増やそうという、とんでもない議論もあった(※5)。生命に関わる重要な基準を、現場の都合でそんなに簡単に変えられるのならば、一体何のための基準だと言えるのだろうか?例えば、原発先進国のフランスや、震災に対して積極的な支援を申し出ていたアメリカなどに支援を仰ぐという選択肢もあったのではないだろうか?

 「最悪のシナリオを想定して行動する」という点に関して、少しだけ菅首相をフォローできる言動があるとすれば、4月に福島第1原発から半径30km圏内の地域について、「そこには当面住めないだろう。10年住めないのか、20年住めないのか、ということになってくる」と松本健一内閣官房参与に話したことと(※6)、今月27日、福島第1原発周辺の放射線量が高い地域に関して、「長期間にわたって住民の居住が困難な地域が生じる可能性は否定できない」と佐藤雄平福島県知事に伝えたこと(※7)だろう。

 4月の発言については、菅首相がどの程度の情報や仮説に基づいて発したものなのか定かではない。しかしながら、「20年住めないかもしれない」という点は、8月27日に発表された政府の試算結果とも合致している。菅首相のこの見通しだけは、肯定的に評価してよいだろう。

 ただし、仮に20年以上住めないとなった場合に、区域内住民の生活を政府としてどのように設計・支援していくのか?というシナリオを4月の段階から構想しておき、27日の福島県知事との会談でそのシナリオに言及しておけば、「突然じゃないか。非常に困惑している」と佐藤知事が反応することはなかったに違いない。

 (明日へ続く)

(※1)「(1)全ての不信感、東電がはけ口」(MSN産経ニュース、2011年8月25日)から始まる一連の【再検証・菅首相の原発事故対応】の記事など。
(※2)「ジュリアーニNY市長のテロの時のスピーチ」(コンサルタント藤村正宏のエクスマブログ、2011年3月16日)
(※3)「『先行きの展望が欠如』した菅政権」(オーパの幸福実現党応援宣言!、2011年4月27日)
(※4)「『言葉にできない。ありがとう』石原都知事、感極まり言葉詰まらせる 放水活動の消防隊員に謝辞」(MSN産経ニュース、2011年3月21日)
(※5)「【放射能漏れ】原発作業員の年間被曝量、上限撤廃へ 厚労省が特例措置 全国の原発保守を懸念」(MSN産経ニュース、2011年4月28日)
(※6)「原発周辺「20年住めない」=菅首相が発言、その後否定」(asahi.com、2011年4月13日)
(※7)「東日本大震災:福島第1原発事故 帰郷困難、20年超も−−政府試算」(毎日jp、2011年8月28日)
August 13, 2011

民主党・自民党への個人的な期待と、我々自身がするべきこと(2/2)―『日本の壊れる音がする』

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 (これで最後)

 <自民党に対して>
 自民党に関しては、いっそのこと、いい意味で官僚と癒着し(つまり、官僚をフルに活用し)、筋の通った政策の立案・実行を期待している。それと同時に、自民党には重要なタスクを課したい。それは、今回の東日本大震災をめぐる一連の意思決定プロセスについて、

 ・どの意思決定はOKで、どの意思決定はNGだったのか?
 ・意思決定に至るプロセスで、どのような問題が生じたのか?その問題を引き起こした原因は何だったのか?
 ・意思決定の結果はOKだったが、プロセスに問題があったケースは何か?その場合、どのようなプロセスを踏むべきだったのか?
 ・自民党ならばどのようなプロセスを踏み、どのような意思決定を下していたか?

などといった観点から独自に検証し、震災対応に関する知見を蓄積してもらいたい、ということである。福島原発事故に対する政府の対応を自民党は批判するけれども、原発を推進してきたのは他ならぬ自民党なのだから、今回の大震災から重要な教訓を引き出さなければならない。

 実は、阪神淡路大震災の時も自民党は野党であり(社民党の村山政権だった)、自民党は大型の震災に直面した経験がない。村山政権や菅政権を”反面教師”として、近いうちに必ず起きると言われている東海大震災、首都圏直下型地震に備えてもらいたいのである。

 自民党も、どのぐらいの危機管理能力があるのかは未知数だ。過去には「えひめ丸号事件」をめぐって、チョンボをやらかしている。2001年、ハワイ沖で日本の高校生の練習船「えひめ丸」が、アメリカ海軍の原子力潜水艦と衝突して沈没、日本人9名が死亡する事件が起きた。事件発生時、森喜朗総理(当時)はゴルフ場におり、連絡はSPの携帯電話を通じて入った。

 衝突により日本人が多数海に投げ込まれたことや、相手がアメリカ軍であることも判明していたが、森元総理は第二報、さらに第三報が入るまで1時間半の間プレーを続け、これが危機管理意識上の問題となった(※5)。だからこそ、今回の大震災をめぐる様々な意思決定については、専門のワークグループを立ち上げて、数年を費やしてでもじっくりと検証するだけの意義と価値があると思うのである。

 <我々国民はどうすべきか?>
 我々がなすべきことは、端的に言えば「テレビを見るな」、「幅広い分野に興味を持て」、「情報源を多角化せよ」の3つである。テレビで流れる政治関連のニュースは、どこの局もほとんど同じだし、内容が偏っている。これは、閉鎖的な記者クラブ制度がもたらしている弊害である。

 だから、もっと視野を広げる必要がある。我々はどうしても自分の生活に直結する問題ばかりに関心を寄せがちだが、政治の役割は実に幅広い。いつの時代でも最優先とされるべき課題は、

 ・国家を外敵から守るための軍事・安全保障と、
 ・国内では取得できない資源を海外から得るための資源外交

の2つである。なぜなら、この2つがないがしろにされると、国家が潰れてしまうからだ。これに加えて、

 ・経済成長を実現するマクロ政策や金融政策
 ・政府や自治体の財政健全化
 ・国民の生命や健康を守る医療サービス
 ・高齢社会を支える介護・福祉、ならびに年金制度
 ・今後も経済成長を持続させるために必要な人口構成の実現(具体的には、出産・子育て支援)
 ・子どもたちを、教養と実務能力を備えた日本人へと育て上げる教育制度
 ・上記の政治的課題と関連する各種税制の整備

などが並ぶ。どれ1つをとっても大きなテーマだし、お互いに複雑に関連し合っているため、理解するのは容易ではない。しかし、自分の生活と直結したテーマだけに焦点を絞るのは、近視眼的な捉え方である(経営学でいうところの「マーケティング・マイオピア」ならぬ、「ポリティクス・マイオピア」である)。

 日常生活との関係性が薄く、あまり実感が持てない分野であっても、中長期的に見れば自分たちの生活に跳ね返ってくるものばかりである。したがって、それぞれの分野を理解する努力を惜しまず、自分なりの”座標軸”をはっきりさせることが我々にも必要なのである。

 そのためには、情報源の多角化が必須となる。テレビが論外なのは先ほども述べたが、新聞、書籍、ブログ、ネットニュース、地元の議員の講演会など、幅広いチャネルに目を向けて、様々な情報に敏感にならなければならない。その際に留意すべきなのは、一方のイデオロギーに偏らないことである。新聞であれば、例えば「産経と朝日」といった具合に、思想的傾向が異なるものを2部取るのが望ましい。

 我々は、自分にとって有利な情報や、自分の主張を裏づける情報ばかりを集めたがる傾向がある。心理学では、この傾向を「確証バイアス」と呼ぶ。この「確証バイアス」に陥らないようにするには、敢えて自分の考えとは反対の見解が述べられている情報リソースに目を向けることが有益である。

 自分が好きではない情報に、自ら首を突っ込んでいくことは、非常に苦痛である。だが、同じ論点でも多様な見方があることを知り、バランスのとれた基軸を自分の中に確立するのであれば、この苦痛は避けては通れないものなのである。

(※5)「森喜朗|Wikipedia」の「えひめ丸号事件」の項を参照。
August 12, 2011

民主党・自民党への個人的な期待と、我々自身がするべきこと(1/2)―『日本の壊れる音がする』

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 (前回からの続き)

 だんだん話が複雑になり、自分でも収集がつかなくなってきているけれども(汗)、何はともあれ、小泉氏が政界から引退した今となっhttp://blog.livedoor.jp/zattanamono/ては、時計の針を戻すことなどできないから、将来を見据えた前向きな議論をしなければならない。民主党、自民党に期待すること、そして我々国民がなすべきことを、私なりにまとめてみた(「こいつはバカげたことを書いている」と思われる方がいらっしゃるかもしれないが、その辺はご容赦ください。そして、誤りなどをコメントで指摘していただけるとありがたいです)。

 <民主党に対して>
 まず、民主党は”脱官僚”ではなく、官僚に頭を下げていろいろと勉強させてもらうべきだ。自民党は官僚べったりで、官僚から必要な知識や情報をいつでも収集できる状態にあった。だが、長く野党の地位にあった民主党は、官僚との接点が相対的に少なく、政策に関する知識や政策立案のノウハウは、どうしても自民党より劣る。

 その状態で”脱官僚”を掲げたわけだから、民主党が政権を握った途端に、議員の不勉強ぶりが露呈してしまったのは、ある意味では当然の結果だ。普天間基地問題では、県外移設やグアム移設など様々な案が飛び交ったが、普天間基地は空軍ではなく海軍の拠点であり、台湾で有事が起きた際にすぐさま海軍を派遣するためのものである。だから、県外といっても台湾から遠い土地へは移転できないし、そもそもグアムなどという案が出てくるのはお門違いなのである(※4)。

 さらに、乗数効果や消費性向の意味を答えられずに恥をかいた議員(菅総理も含まれる)は、経済についてもっと勉強してもらいたい。マクロ経済の基本を知らない議員が、まともな経済成長戦略を描けるとは思えない。経済で大切なのは、国民のウケを狙ってカネをばらまくことではなく、産業自体のパイが拡大するように市場のルールを整備することと、カネが効率的に流れる仕組みを作ることである。

 マクロ経済の細かい知識に関しては、百歩譲って議員が知る必要がないとしても、簡単な計算でつじつまが合わないことがバレてしまうようなマニフェストを掲げるのはやめてもらいたい。高速道路無料化は早々と中止になり、子ども手当についても、結局は財源不足により、昔の児童手当に逆戻りしてしまった。

 民主党は、政権を奪取した時の目玉政策が次々とつぶれているのだから、自民党の谷垣総裁が言うように、政権の正統性を失っている。民主党の失策は、企業で例えれば、任天堂が「Wiiの後継機の開発ができなくなりました」とか、スズキ自動車が「インドでの軽自動車販売ができなくなりました」と言うようなものである。そんなことをすれば、株主からは痛烈なバッシングを受け、顧客も大量に離反していく。「民自公の3党間で、子ども手当を見直す方向で合意が得られた」などと報じられたけれども、そんな風にのほほんと構えている場合ではないのである。政策の実現可能性や数字のロジックを十分に吟味した上で、マニフェストに盛り込むのが本来の姿というものである。

 その上で、民主党は、現在の玉石混合の状態を解消する必要がある。小沢一郎氏は、新党結成の可能性を何度も示唆しているものの、菅総理に対する牽制球程度の効果しかもたらしていない。小沢氏には、90年代に『日本改造計画』を書いた頃のような輝きを取り戻し、田中角栄氏の意を受け継ぐ政党として、自民党に対抗できる保守政党を作ってほしい。

 一方、「思想的には右寄りだが小沢氏は嫌いだ」という民主議員は、まとめて民主党を離脱し、これもまた新党を作るべきだろう。この新党は少数政党になるであろうから、立ち上がれ日本やみんなの党との連携が必要になる。こうして民主党を”解体”し、残った議員から構成される民主党は、純粋な左派政党として、右派政党の対抗馬になるのがベストだと思う。

 小沢氏主導による”民主党解体”の余波は、自民党にも及ぶ可能性が高い。小沢氏に近い議員は、新党結成の波に乗じて小沢新党へ移ることが考えられる。一方で、反小沢の立場をとりながら民主党から分離独立した新党にも、自民党から議員が流れ込むかもしれない。ただ、どちらの動きも限定的であり、自民党を離れる議員は、多く見積もっても10数名程度ではないだろうか?

 菅総理が退陣し、次の首相が誕生しても、東北地方の復興と福島原発事故への対応が一段落ついた時点で即座に、国民の信を問うための解散総選挙が行われる公算が高い。おそらく、この総選挙では自民党が第一党に返り咲くだろう。しかし、新党が乱立した状態で行われるため、自民党も単独では過半数を取ることができないと考えられる。そうなった時に、果たして自民党がどの党と連立を組むのかは、非常に重要なポイントになりそうである。

(※4)過去の記事「電子書籍の洗礼を思いっきり受けたよ(涙)−『緊急提言 普天間基地圏外移設案』」を参照。

 (続く)
August 11, 2011

嗚呼、懐かしや小泉純一郎政権―『日本の壊れる音がする』

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 (前回からの続き)

 島田晴雄教授は、小泉政権時に内閣府特命顧問を務めた人物であるから、どうしても小泉政権のことを高く評価してしまうのはやむを得ないだろう。島田氏が指摘している小泉改革の成果に加え、本書から読み取れる小泉政権のプラスの側面としては、次の5つが挙げられる。

(1)プライマリーバランスの大幅な改善
 2000年代初頭には28兆円(GDP比5%)の赤字になったが、2006年には9兆円(GDP比1.8%)、2007年には6兆円(GDP比1.2%)まで赤字が縮小した。このまま行けば、2011年には黒字化される可能性もあった。

(2)財政債務残高(対GDP比)の増大スピードの抑制((1)とも関連)
 ・小泉政権前:1997年がGDP比100.5%、2001年(※小泉政権は2001年4月にスタートしており、2001年度予算には関与していないため、2001年は小泉政権前と位置づけている)がGDP比143.7%。4年間で43.2%もパーセンテージが悪化。
 ・小泉政権下:小泉政権の下で最後に予算が組まれた2006年の数値は、GDP比172.1%。2001年のパーセンテージと比較すると、5年間で28.4%の悪化にとどまっている。
 ・小泉政権後:民主党政権が誕生してから初めて予算が組まれた2010年の数値は、GDP比197.2%。2006年のパーセンテージと比較すると、4年で25.2%悪化しており、小泉政権のペースを上回っている。

(3)対内直接投資残高(対GDP比)の倍増
 先進諸国に比べて、日本は異常に対内直接投資が少ない(つまり、海外企業はほとんど日本に参入できない)。小泉氏は、5年間で対日直接投資残高の対GDP比を倍増にするという方針を打ち出し、6年間でこれを達成した。

(4)失業率の低下
 小泉政権が発足した2001年の失業率は5.0%。その翌年には5.4%を記録するが、これが小泉政権下における失業率のワーストである。その後失業率は回復し、2005年は4.4%、2006年は4.1%となっている。

(5)格差の縮小
 構造改革の負の側面として、「格差の拡大」が挙げられることが多いが、これは人口構造の変化によるものであり、構造改革の結果ではないと著者は反論している。若年層に比べると、高齢者層はもともと世代内の格差が大きい。高齢化に伴って、格差が大きい高齢者層が増えたため、全体を押しなべて見れば、格差が広がったように見えるという。

 私も個人的には、島田氏が述べた通り、小泉政権は最近の自民党政権の中で、最も目覚ましい成果を上げた政権だと思っている。だからこそ、小泉政権が懐かしく思えてくるのだ。小泉氏は派閥を否定した一匹狼だったため、因習やしがらみに縛られることなく、数々の構造改革を実行することができた。

 しかし同時に、一匹狼だったがゆえに、後継者へのバトンタッチがうまくいかなかったことが、国民にとって不幸であった。小泉氏は「小泉チルドレン」の面倒をほとんど見なかったし(当選直後に、小泉氏に引き連れられた小泉チルドレンが、国会内部をキャッキャ言いながら見学したという、おまぬけなニュースは流れたが・・・)、後継者として指名した安倍氏に対しても、十分な引き継ぎがなされなかった。

 小泉政権下で長く続いた好景気は、企業が過去最高の利益を続々と記録したのに対し、社員の給与はほとんど増えなかったことから、「実感なき経済回復」などと呼ばれた。だが、バブル崩壊の経験を通じて、固定資産や固定費が多い企業は、通常の企業に比べ経済後退の影響をモロに受けることを学んでいた企業は、固定費である人件費の増額に踏み切れるほどの体力が自社に備わるまで、あと数年待っていたのではないか?と私は思う。

 だから、もう少し小泉政権が続くか、後継者が構造改革を継続していれば、やがては社員も給与増の恩恵を受けられたかもしれない(もっとも、リーマンショックだけは、誰が総理でもどうしようもなかっただろうが・・・)。一般企業でさえ、戦略を大幅に見直し、それが組織全体に浸透するまでには10年前後かかる。優良企業として取り上げられる企業も、戦略の構築から十分なケイパビリティの獲得までには、長い時間がかかっているものだ(※3)。まして国政レベルとなれば、もっと中長期的な取り組みが必要になるであろう。

 しかし、現実は全く逆であった。安倍氏は機能性胃腸炎によって総理の座を降りることになってしまったし、福田氏は消費者庁の設置で満足してしまったのか、こちらも1年ほどで政権が終了。自民党の信頼は失墜し、最悪なタイミングで首相を引き受けてしまった麻生氏は、特に何もしていないのに、失言や読み間違いなど、どうでもいいところを執拗にマスコミから攻撃され総選挙で大敗。またしても短命の内閣となってしまった。

 さらに言えば、自民党政権が長く続きすぎたこと自体が、国民にとって不幸だったのかもしれない。通常の2大政党制の国では、どちらの政党も偏りなく政権を担当するものである(米英がよい例)。しかし日本の場合、戦後長らく自民党が政権の椅子に座り、現在の民主党が誕生するまで「1.5大政党制」と揶揄されるほど、強力な野党が現れなかった。結果的に、政権運営能力を有する政党や政治家が限られてしまったわけだ。

(※3)例えば、ウォルマートは、今でこそ毎年数百単位で新規店舗を出し続けているが、1962年の創業から100店舗を超えるのに約10年かかっている。また、スタバが急成長を遂げたのは、1971年の創業から20年ほど経過した1990年代以降であり、日本での成長も2000年代に入ってからである。マイクロソフトも、Windows95でOS市場のデファクトスタンダードを握るまでに、10年ほどの年月を費やしている。

 日本企業に目を向けると、ユニクロはもう何十年もSPAのビジネスモデルを地道に改善し続けている。トヨタのトヨタ生産方式に至っては、半世紀近い歴史があるけれども、世界のトップ企業にのし上がった今でさえ、トヨタの人ならば「いやいや、まだ不十分だよ」と言うに違いない。

 (続く)
August 10, 2011

民主党がマニフェストを取りやめた方が国債は少なくて済むらしい―『日本の壊れる音がする』

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 先日の記事「「ニーズはあるがお金はかけたくない」事業をどう成立させるかがカギ―『「雇用を創る」構造改革』」などで取り上げた島田晴雄教授の本。本書は、政権交代後の民主党が犯してきた数々の失策を並べ立てるところからスタートしているのだが、それだけで本全体の約3分の1を占めている。自民党はバブル崩壊前後から20年あまりをかけてゆっくりと衰退していったのに対し、民主党はたった2年で崩壊してしまった感がある。

 こう書くと「後出しジャンケンだろう?」と言われるかもしれないけれど、2009年8月の衆院総選挙(民主党が308議席を獲得し、鳩山内閣が誕生した時の選挙)の際には、「民主党には政権を運営するだけの能力がない」と私は思っていた(この選挙では、私は自民党に投票した)。それは、民主党は今まで政権を執ったことがなく、党内には閣僚経験者も少ないため、政権運営のノウハウが少ないという、単純な理由からである。

 民主党がマニフェストの中で大々的に掲げた子ども手当や高速道路無料化、高等教育無償化などの主要政策を推進している裏で、

 ・日本国家の主権を揺るがしかねない「東アジア共同体構想」を進め、
 ・国内ではマイノリティーにあたる在日韓国人の要求で、「外国人参政権」を導入しようとし(※1)、
 ・社民党(というか福島党首を含む一部のジェンダー論者)からの要請に応じて、「選択的夫婦別姓」を盛り込んだ改正民法の成立を目指し(※2)、
 ・国際的な”人権”(特に、子どもの人権)の定義とはかけ離れた、過剰な人権擁護の内容を盛り込み、教育現場の混乱を招くかもしれない「人権擁護法案」を策定し、
 ・地方分権と言いつつ、地方議会の存在を無に帰す危険性がある「住民自治条例」を、各地で成立させようとしている

などといったリベラルな側面については、恥ずかしながら全くと言っていいほど知らなかった。

 そもそも民主党は、政党の成り立ちからして、保守中道を掲げる旧民政党系と、中道左派を掲げる旧民主党系が入り混じった集団であり、政党内の価値観が必ずしも一致していない。だが、前述のような政権交代後の民主党の動きをみると、民主党は「右派の仮面をかぶった左派」と捉えた方が適切である。

 そして、党内の混乱が政治と国民の混乱を引き起こしている間に、中国は尖閣諸島周辺に頻繁に巡廻船を送り出し、韓国は竹島の実効支配を強め、ロシアは大統領が北方領土に足を踏み入れるなど、領土問題が一気に悪化してしまった。戦後の政治を振り返っても、中韓露の3国がほぼ同時期に領土問題に火をつけたことは、おそらくなかったであろう。民主党政権は、周辺諸国から完全に舐められているのである。

 本書を読んで一番驚いたのは、「民主党がマニフェスト通りに各施策を実行すると、国債が恐ろしく膨れ上がる」ということだ。島田氏は、「民主党がマニフェストを全て実行した場合」、「民主党がマニフェストを取りやめた場合」、「マニフェストを取りやめた上で、増税をした場合」の3パターンについて、将来の予算をシミュレーションしている。

 試算の過程が書かれておらず、シミュレーションの信頼性を検証することができないのだが、国債が最も少なくて済むのは、実は最後の「マニフェストを取りやめた上で、増税をした場合」なのである(ちなみに、このケースでは、消費税を12%に引き上げた場合を想定している)。シミュレーションによると、民主党がマニフェストを実行した場合は、2013年度の国債は64.9兆円になる。逆に、民主党がマニフェストをやめて増税に踏み切ると、2013年度の国債は40.6兆円で収まり、約25兆円もの差が生じるのである(本書p66〜p67)。

(※1)過去の記事「外国人参政権を一部でも認めれば、なし崩し的に全部認めることになる」を参照。
(※2)過去の記事「夫婦別姓の根底にある行き過ぎた個人主義の危険性」を参照。

 (続く)
December 28, 2010

今年読んだリーダーシップの本の中で最もしっくりきたよ(2)―『最前線のリーダーシップ』

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マーティ・リンスキー
ファーストプレス
2007-11-08
おすすめ平均:
組織を動かすための業(わざ)と心を伝える素晴らしい本
【座右】リーダーシップ、問題解決、そしていかにして生き残っていくかについての処方箋
リーダーシップを発揮するということは、危険な生き方をするということである
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 前回からの続き。この本を読んで印象に残ったことを3点ほどまとめておきたいと思う。

(1)「変革によって失うもの」に対する共感力
 適応の作業には時間がかかる。尊重している価値観と実際の行動のギャップ、つまりわれわれの生活やコミュニティのなかにある内部矛盾に立ち向かうには、喪失を受け入れる必要がある。適応の仕事はしばしば、われわれに自らのルーツへの忠誠を裏切ることを求める。
 人々が長年、あるいは何世代にもわたって抱いてきたものを捨てるように求めるのは、実際にはその人にあなた自身を追い払うように促しているのと同じことだ。リーダーはときに、人々に求める犠牲の大きさを正しく認識していないことが理由になって排除される。そうしたリーダーは、変化が非常に大きな犠牲を伴うものであることに気づいていないため、他人にとってそれがどういうことなのかを想像できないのだ。
 企業を構成するあらゆる要素には、その企業特有の価値観が反映されている。例えば、ターゲットとする顧客層、提供する製品やサービス、顧客対応のあり方、株主との関係、仕入先との取引、品質改善への取り組み、研究開発、組織構造、各部門の業務プロセスや権限・責任の範囲、活用している情報システム、意思決定の構造、予算配分のメカニズム、採用や人員配置のシステム、人材育成のプログラム、評価・報酬制度などをじっくりと観察すれば、根底には何らかの価値観が横たわっていることが解る。

 さらに、企業に価値観があるのと同様に、企業で働く社員も多種多様な価値観を持っている。もちろん、同じ組織で働く以上、企業の価値観と社員の価値観はある程度一致しているものの、微妙に異なる部分があるのも確かである(企業と個人の価値観の微妙なズレに着目して、「ビジネスパーソンのキャリア開発」という新たな研究分野を切り開いたのが、組織心理学者のエドガー・シャインだ)。

 リーダーが新しい現実に組織や個人を適応させるために、組織の構成要素や個人の働き方、活動の仕方を変える場合、それは表面的な変化を要求するだけでなく、組織や個人がもともと備えている価値観の変更を迫ることになる。

 リーダーは、複雑で多岐に渡る価値観の取捨選択と調整を通じて、組織全体のパフォーマンスが従来よりも飛躍的に増大するように導く。しかしその一方で、副作用として「組織や個人が大事にしてきた価値観の喪失」という多大な苦痛が生まれる。

 「リーダーは未来の青写真を明確に示し、ビジョンが実現されれば、今よりもずっとよい状態になれることを周囲のメンバーに訴えることが重要だ」という話をよく聞くが(私も過去にこのブログで書いたかもしれない)、これはまだ話の半分に過ぎないんだね。メンバーが比較しているのは「現状維持」と「変革後の未来」なのではなく、「変革によって失われるもの」と「変革によって得られるもの」なのである。

(※この点で、今回の民主党政権は、政治家にとっても国民にとっても大きな教訓だ。民主党は、マニフェストの実行によって、自民党政権が長期に渡って築き上げてきた日米関係などの遺産が壊されることに無頓着だったし、国民も民主党政権になることで何かが変わることばかりを期待し、何が失われるかまで考えをめぐらせることができなかった)

 だから、リーダーは変革によるメリットを示すと同時に、変革がもたらす犠牲も明示しなければならない。何かを新たに始めるということは、同時に何かを失うことでもある。そうした「喪失」に敏感になり、共感を寄せること。当たり前といえば当たり前なのだが、改めてその重要性を認識させられたなぁ。

(2)「その問題は誰の問題か?」を見極める冷静さ
 適応が求められる問題を(リーダー自身が)引き受けてしまうことは危険を伴う。そのような問題を引き受けると、あなたがその問題になる。そうなってしまうと、問題を取り除く方法は、あなたを取り除くことになってしまうのだ。
 人々は、あなたにその問題の真ん中に入って立て直すこと、立ち上がって問題を解決することを期待する。そういった期待を満たしたとき、勇気に満ちた立派な人間だと言われるだろう。しかしそれはお世辞にすぎない。彼らの自分に対する期待や依存心に挑むことのほうが、よっぽど勇気が必要なのだ。
 リーダーはあらゆる問題を解決したいという欲求に駆られるし、周囲もリーダーが最後は問題を解決してくれることを期待するものだ。しかし、そうした欲求や期待に素直に従ってしまうと、墓穴を掘る危険性があると著者は警告している。

 同書では一例として、リンドン・ジョンソン大統領の名が挙がっている。ジョンソンは、ベトナム戦争の責任を自分で全て背負い込もうとした。しかし真の問題は、敗北を認めてベトナムから撤退するのか、勝利を収めるために莫大な財務的・人的な犠牲を負い続けるのかについて、議会や世論に投げかけることであった。それをしなかったジョンソンは、反戦活動家から集中的に非難を浴びる結果になったと著者は分析している。

(※私はベトナム戦争の背景に詳しいわけではないので、この事例をうまく解釈しきれていない部分があることは正直に認めるよ。戦争を開始する意思決定は大統領が下すはずだから、戦争の続行or終結を決める責任も大統領にあるんじゃないか?という気もする。

 ただ一方で、著者が言いたいのは、戦争に伴う財政支出の規模や財源の捻出方法、さらには犠牲者の数を最小限にとどめる方策といった個別具体的な事案については、議会や軍が責任を負うべきであり、大統領がそこまで首を深く突っ込むべきではなかった、ということだったようにも思える。著者は大統領に対して、「東側諸国との関係をどうするのか?」という大局的な視点で問題を提起することを望んでいたのかもしれない)

 ジョンソンの事例はやや極端かもしれないけれど、企業の世界でも似たようなことは頻繁に起きる。リーダーに対する周囲の依存度が高いと、本来はリーダーがやらなくてもいいような些細な問題までリーダーのもとに持ち込まれる。リーダーはよかれと思って彼らの問題を肩代わりするが、それは同時にメンバーの成長機会を奪うことにもなる。

 さらに、リーダーも万能な人間ではないから、小さな問題であっても時にうまく解決できないこともあるだろう。すると周囲は、「リーダーのくせに、あんな小さな問題で失敗した」と冷淡な視線を向けるようになる。リーダーに対する期待の大きさと、リーダーが取り組んでいた問題のレベルの低さのギャップが大きければ大きいほど、こうした批判は強くなる。そして、リーダーは周囲の支持を失い、失脚するのである。

 リーダーは、「全ての問題を解決できる英雄になりたい」という欲求とおさらばしなければならない。リーダーは全ての問題を自分で解決する必要はない。「その問題の『所有者』は誰なのか?」を冷静に考え、自分が出る幕でないと感じたら、問題の当事者に作業を投げ返すぐらいでちょうどいいんだね。

(3)個人攻撃による「問題のすり替え」に騙されない用心深さ
 個人攻撃もまた、人の変化に向けた取り組みを葬り去るために長年使われてきた方法である。どんな形の攻撃であれ、もし攻撃を加えられた人間の会話の内容が、いま取り組んでいる問題から性格や仕事のやり方、あるいは攻撃の内容そのものに変わったのならば、その問題を議題から消し去ることに成功したといえる。
 人は、自分が間違った形で論じられたり、だれか別の人間の問題を体現する立場としてのレッテルを貼られたりすれば、議論に飛び込んでいきたくなる。しかし、自分自身について説明しようと奮闘すると、他人の問題を自分自身の問題に変えてしまうことになる。
 これは政治の世界では常套手段だもんね。同書では、ジョージ・W・ブッシュ大統領がたまたま漏らした偏見的な発言がマスコミに伝わって、大統領としての資質を問われる事態になった事例などが紹介されている。

 つい先日の記事「他人からのアドバイスにはどのくらい耳を傾ければいいんだろうか?―『リーダーへの旅路』」で、「リーダー個人の資質や性格、行動に関するフィードバックには真摯に耳を傾けた方がいい」と書いたけれど、これはまだ内容としては不十分だったなぁ(汗)。

 もちろん、ここで私自身の主張を撤回するつもりはない。「あなたは部下とのコミュニケーションが足りていない」、「あなたは部下に対する要求水準が高すぎる」、「あなたの方針が頻繁に変わるから、社員が疲弊している」などといった直接的なフィードバックには、十分すぎるほどの意味がある。実際、同書にも外部コンサルタントからのフィードバックによって自らの行動規範を変えたCEOの例が紹介されている。

 先日の私の記事に欠けていたのは、こうした直接的なフィードバックの重みは、リーダーとフィードバックをする人の間の「リレーションの深さ」によってかなり変わってくるという点だ。リレーションが深い場合は、2人のこれまでの関係をリスクにさらした上で敢えて批判しているわけだから、その内容には相当の重みがある(配偶者からの批判は、誰からのフィードバックよりも心に突き刺さるものだ)。

 これに対して双方の関係が浅い場合、フィードバックする人が批判によって失うものは少ないから、好き勝手にリーダーを批判することもできる。その典型例が、政治家とマスコミ(世論)の関係である。本来的には、マスコミは政治家の活動を監視・牽制する役割を担っているはずなのだが、最近はどうも「紙面や放送時間の枠を簡単に埋められる、そんなに難しくない話題」ばかりを探している気がしてならない。その結果、どうでもいい失態を大げさに取り上げて政治家を批判する傾向が強くなっている。政治家の方も、マスコミのどうでもいい批判に過剰反応するものだから、政治がちっとも進展しない。

 「尖閣諸島」と「政治とカネ」を同列に並べ立てて、「どちらもうまく対処できない菅首相は、意思決定能力が欠けている」などとマスコミが批判するのは、お門違いもはなはだしい話だ。「政治とカネ」の問題は小沢氏個人の問題であり、それを民主党全体の問題のように拡大解釈しててんやわんやになっているようでは、菅首相はマスコミの策略に完全にはまっているとしか言いようがない。この2つに限って言えば、「尖閣諸島」の方が国益に関わる点でよっぽど重要である。その問題に取り組むための貴重な時間を、マスコミの謀略によってそぎ落とされているのである。

 首相の役割は、マスコミが問題だと騒ぎ立てるもの(=それが真の意味で問題であるとは限らない)にいちいち回答することではなく、日本の将来を考えた場合に優先的に取り組むべき課題の順番を明示することであろう。そしてそれらの課題を着実に実行する時間を確保するには、リーダー本来の役割とは関係のない、的外れな個人攻撃を華麗にスルーする術を身につけることも大事なんだね。
November 11, 2010

マッキンゼーのコンサル手法が垣間見えて面白い−『行政の経営分析 大阪市の挑戦』

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上山 信一
時事通信出版局
2008-11-19
おすすめ平均:
行政改革に取り組む自治体実務者におすすめ
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 著者の上山信一氏(慶應義塾大学総合政策学部教授)は、かつてマッキンゼーのパートナー(共同経営者)も務めた方。マッキンゼー時代には企業向けの経営コンサルティングに加え、ボランティアで自治体向けのコンサルティングをやっていたそうな。マッキンゼーには確か、行政やNPOに対してほぼ無償でコンサルサービスを提供し、そのプロジェクトを若手コンサルタントの育成の場として活用する仕組みがあったはず。おそらく、上山氏はそういったプロジェクトのマネジメントも手がけていたんだろうな。

 で、マッキンゼーを退職した後も行政改革に取り組んでおり、関連書籍も多数出版している。本書は、2005年から2007年に大阪市で実施された行政分析の事例が載っているということで、読んでみた。いやー、なかなか面白かった。行政の経営分析ってこうやってやるんだなー、というのが実感できた。「これはいかにもマッキンゼーっぽい図だな」ってのもいっぱいあった(余談ですが、BCGっぽい図、アクセンチュアっぽい図ってのもあるんですよ。ドキュメントにはコンサルファームの色が反映されているんですね)。

 行政分析の代表的な方法として、「事務事業評価」というものがある。これは、行政の予算を構成する「事務」、「事業」という単位ごとに、ムダや非効率を網羅的に洗い出すのが目的だ。いわば、もぐら叩きのような行政評価である。もともとは三重県庁が1995年に試験的に実施し、96年から制度化したのがきっかけで、全国の自治体および中央官庁へ広がったという経緯がある。

 ただし、行政が規定する「事務」、「事業」の範囲は、企業でいう事業の範囲とは比べものにならないほど細かい。そのため、分析をしても限定的な改善策しか出てこないというデメリットがある。そこで上山氏は、大阪市の各事務・事業について、目的や機能が類似するものをまとめて67の「事業ユニット」を定義し、事業ユニットごとに企業と同じような経営分析を実施したそうだ。以下、事務事業評価と大阪市の経営分析の違いをまとめておく。

<事務事業評価>
・分析対象は予算とリンクしている「事務」、「事業」。
・予算のムダや業務の非効率を洗い出すのが目的。
・担当者自身が評価を行う。
・議論の対象となるのは、現場の担当者レベルの視点から見た課題が中心。
・統一フォーマットに従って評価を進める。
・評価シートは一般に公開されるが、シートの記述が細かすぎて、市民はおろか有識者でも理解が難しい。

<大阪市の経営分析>
・分析対象は「事業ユニット」。
・ムダや非効率の洗い出しに加え、今後の事業の方向性や投資分野も検討する。
・行政改革の担当部門に加え、コンサルタントや民間の委員がパートタイムのボランティアとして参画し、第三者の視点を反映させる。
・議論の対象となるのは、局長と市長との間で話題に上るような大きなテーマ(企業でいう経営課題に相当するテーマ)。
・統一フォーマットは存在しない。よって、事業ユニットごとに分析プロセスが異なる。
・報告書は一般に公開される。報告書は市民が読むことを前提に、事業内容や行政サービスの費用対効果、経営課題と改革の方向性などを、数字や図表を交えて解りやすく構成する。

 この本には報告書の一部が図表入りで紹介されているし、大阪市のHPには全67の事業ユニットの分析資料が全て公開されている。

 http://www.city.osaka.lg.jp/shiseikaikakushitsu/page/0000013573.html

 ちなみに、民主党の「事業仕分け」で使われている資料は行政刷新会議のHP(http://www.cao.go.jp/sasshin/shiwake.html)で見ることができるが、大阪市の資料とレベル感が違いすぎてビックリするね。収入の内訳も大雑把にしか書かれていないし、コスト構造にいたっては記載すらされていないものがある。資産に関する説明も曖昧だから、経営の効率性を判断することができない。

 さらに、各事業が実施している業務内容の記述も、図が情けないポンチ絵で何が言いたいのかよく解らないし、組織構造も記載が見当たらない。また、他の組織や民間企業とのベンチマークをやった形跡もないから、何を基準に議論していいのかも解らない。

 この資料を見ながら、しかも短時間で事業の妥当性を評価しろって言われても、そりゃ無理だよ。しかも、事業の区分が「事務事業評価」と同じようにかなり細かいから、類似・隣接する事業との関係性を探りにくい。だから、どのワーキンググループの結論を参照しても、「天下りをやめる」とか「アウトソーシングを進める」とか「国や自治体に移管する」とか「事業を縮小・廃止する」といった、柔らかい結論しかないんだな。

 ちなみに、大阪市の場合は、1つの事業ユニットの分析にだいたい5ヶ月前後を費やしたらしいよ。もちろん、時間が長ければいい議論ができるとは限らないけれど、それにしても国と大阪市でレベル差がありすぎるな。
August 14, 2010

外国人参政権を一部でも認めれば、なし崩し的に全部認めることになる

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外国人参政権にNoと言おう(日本政策研究センター) 先月の参議院選挙で夫婦別姓と並んで全くマスコミが取り上げなかったのがこの「外国人参政権」の話題。あまりにもマスコミが黙殺するものだから、ネット上では「外国人参政権を推進する団体がマスコミに圧力をかけて、『外国人参政権』という言葉自体を禁句にした」という根拠があるようなないような噂まで流れていた。

 外国人参政権の導入を推し進めているのは、日本に約30万人いる在日韓国人の利害を代表する「在日本大韓民国民団(民団)」である。民団は、在日韓国人は日本人と同じように日本に長く住んでおり、日本人と同じように税金を納めているのだから、参政権を認めるべきだと言う。さらに、韓国では外国人参政権を認めているのであり、相互主義にのっとって日本も外国人参政権を認めるべきだと主張する。

 左上のピクチャにある『外国人参政権にNoと言おう』(日本政策研究センター)というブックレットでは、外国人参政権を認めるべきではない理由が解りやすく整理されている。

 議論の出発点として、「参政権は憲法前文および第1条に掲げられている『国民主権』の原理に基づく権利である」という大前提がある。つまり、現行憲法では、国籍によって参政権の有無が決まるというわけだ。この点をもって民団の主張を突っぱねてもいいのだが、さすがにそれだけでは民団も納得しないから、民団の主張に対して1つ1つ反論を展開している。

 まず、「日本に長く住んでいるから参政権を認めるべきだ」という点については、韓国の事例を持ち出して反論する。韓国では、憲法改正によって、一定の手続を踏めば海外に住んでいても大統領選挙や国会議員選挙で投票ができるようになった。さらに地方選挙に関しては、選挙権に加えて被選挙権も認められている(何と、海外にいながら地方の首長や議員に立候補できてしまうのだ!)。つまり、韓国自身が憲法改正によって、居住地と参政権は無関係であることを示してしまっているのである。

 次に、「税金を納めているから参政権を認めるべきだ」という主張は、非常に簡単な理由で却下される。納税と参政権を結びつけるのは、前近代的な考え方であるからだ。日本国民であっても、納税額が少ないからといって参政権が制限されることはないし、税金を納めていないからといって(もちろん、納税は国民の義務だが)参政権が剥奪されることもない。

 最後に、韓国との相互主義についてだが、韓国で選挙登録されている日本人は、2006年時点でわずか51人しかいない。在日韓国人の30万人とは桁が違うのであって、相互主義の土俵に上げる方がおかしいというわけだ。

 参政権と一言で言っても、国政レベルと地方自治体レベルという軸、選挙権と被選挙権という軸の2つがあるから、実際には全部で4種類の権利が存在することになる。外国人参政権推進論者は、まずは「地方自治体レベルにおける選挙権」を認めようと動いているのだが、私が学生時代に受講していた憲法の講義では、現行憲法下ではいずれの権利も認められないと習った。
 国会議員選挙については、《国民主権》の原理が当該国民自身の意思決定に基づいて国家統治が遂行されるべきことを要請することから、選挙権・被選挙権のいずれについても、国籍を有する者に限定されるとする点において、多くの見解は一致している。(中略)

 国政レヴェルの選挙権の問題は「国民主権原理」が貫徹すべき憲法第15条1項の問題であるが、地方自治体レヴェルの選挙権の問題は憲法第93条2項の問題だ、というように両者を切断して考えることはできない。憲法は地方公共団体という制度を保障し、その組織・運営に関する事項を法律で定めるとしている(第92条)のであってみれば、地方自治権についての純然たる独立機能説に立つのでない限り、地方自治の正当性の根拠もやはり憲法にあると解されるのであって、地方公共団体においても、基本的には国民主権原理が貫かれるべきだからである。
(初宿正典『憲法2 基本権』)
 仮に「地方自治体レベルにおける選挙権」を認めたとすると、国政レベルと地方自治体レベルの議論は切り離すことはできないという初宿教授の指摘、および国政レベルの参政権に関しては、国民主権原理の当然の帰結として選挙権・被選挙権が同時に与えられるという通説からして、残りの3つの権利を認めない理由がなくなる。言い換えれば、1つの権利を認めると、言わばなし崩し的に他の権利も認めざるを得ないのである。

 この辺りは法技術的な話なので詳しくは法律の専門家に委ねるとして、我々国民としては、外国人参政権が認められた場合のリスクを知っておく必要があるだろう。

 最も怖いのは、領土問題、領海問題を抱えている地方自治体において、外国人が数の論理だけで政治を左右することである。例えば、竹島がある島根県隠岐の島町で韓国人が参政権を持つと、竹島は日本領土だと主張する立候補は当選しなくなるかもしれない。仮に当選したとしても、韓国人からの圧力で、竹島の不法占拠を黙認せざるを得ない事態も想定される。

 現在約30万人いる在日韓国人は、今後毎年約1万人ずつ減っていくと言われている。在日韓国人よりもっと動きが読めないのは、何といっても中国人である。中国人が沖縄県政に強い影響を及ぼすようになると、一瞬にして沖縄から米軍基地が一掃される可能性もある。そうすると、台湾に対する軍事抑制力が弱まり、中国の脅威が目の前にまで迫ってくることになる。

 さらに、ガス油田問題に象徴されるように、日本と中国は海洋資源をめぐって複数の対立を抱えている。もしも中国人が海洋資源のある地方自治体で参政権を持つようになれば、その結果は推して知るべしだ。中国は日本の10倍もの人口があるのだから、これらの自治体に自国民を送り込んで永住権を獲得させる、なんてことを国家戦略として実行することも考えられなくはないのである(そんなバカな?と思うかもしれないが、どんなに中国の市場が開放的になっても、政治面では共産党の独裁支配が今でも続いていることを忘れてはいけない)。

 外国人参政権の構想はEUを真似ているそうだが、EUと日本では事情が違いすぎる。EUは各国の政治形態が似ているし、人口も近い。だから、万一外国人参政権によって自国の利益が損なわれことがあれば、相手国に仕返しをしますよといった具合に、お互いに牽制を効かせることができる。

 ところが、アジア諸国はどこも政治形態がバラバラだし、人口規模も違いすぎる。この状態で外国人参政権を認めたらどんなリスクが想定されるか慎重に議論をしてほしいし、国民にも十分に情報を開示するべきだと思う。
July 26, 2010

夫婦別姓の根底にある行き過ぎた個人主義の危険性

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だから危ない夫婦別姓(日本政策研究センター) 先日の参議院選挙において、神奈川選挙区では自民の現職・小泉昭男氏がトップ当選し、現職の法務大臣である民主・千葉景子氏が落選した。にもかかわらず、千葉氏が法相の続投を決定したことに対して、ネット上では「民意を無視している」との批判が噴出している。憲法の規定によれば、国務大臣は過半数が国会議員であればよいため、千葉氏の続投自体は憲法違反ではない。しかし、現職の大臣が落選後も大臣を務めるのは異例のことである。

 千葉氏の続投が物議を醸しているのは、千葉氏が夫婦別姓の推進者であるからだ(同時に、外国人参政権にも賛成の立場を取っている)。一方、トップ当選した小泉氏は、夫婦別姓、外国人参政権ともに、明確に反対を表明している。つまり、神奈川県民の多数の民意とは異なる人物が、落選後も法務大臣を続けるという事態に、とりわけ保守系の国民は不満をあらわにしている。

 夫婦別姓の推進者は、結婚後の改姓手続が非常に煩雑であることと、仕事上混乱を招くことを理由に、夫婦別姓の導入を支持する。確かに、名字が変わるとパスポート、運転免許証、年金手帳などの変更手続が必要になるし、利用している民間のサービスに関しても登録されている個人情報を全て修正しなければならない。だが、手続の手間は一時的なものであるし、仕事で通称を使用することは法律でも認められつつある。

 もっと強力に夫婦別姓を推進する論者の中には、「結婚による改姓は人格権の侵害だ」と主張する人もいる。例えば、千葉氏は「自分というのは『千葉景子』というものでずっと構成されてきた。名前は人格というか、尊厳と密接につながっている」(『夫婦別姓−家族をここからかえる』)と述べている。だが、そもそも人間は生まれた時点で名字も名前も選択できるものではない。改姓が人格権の侵害だと言う人は、まさか親が子どもに名前をつけることすら人格権の侵害だと言うのであろうか?

 夫婦別姓を採用した場合、子どもは必然的にどちらかの親とは別姓になる。両親は自分の自由で別姓を選択できるのに、子どもにしてみれば両親の都合で親子別姓を強制されることになる。これこそ、子どもの利益を無視した行為とは言えないだろうか?

 社民党の福島瑞穂党首も夫婦別姓推進論者であるが、福島氏は「子どもが18歳になったら『家族解散式』をやる」とまで明言している。福島氏には事実婚の夫と娘が1人いる。おそらく、娘はすでに20歳になっているから、福島氏は家族解散式を実行したはずだ。福島氏はこの家族解散式の様子を克明に報告するとともに、娘も自分の家族についてどう思っているのか世の中に発表した方がいいと思う。

 夫婦別姓のミソは「選択制」であるという点だ。つまり、同姓にするのも別姓にするのも個人の自由というわけである。これは聞こえのいい個人主義のようで、実は非常に危険な個人主義でもある。なぜならば、全ての価値を相対化し、個人の選択の自由に委ねることを意味するからだ。

 実際、千葉氏や福島氏のような夫婦別姓推進論者は、改姓の自由に加えて、子どもを生まない自由、法律婚か事実婚かを選ぶ自由、同性を愛する自由などといったところまで議論を延長している(私は、特別な事情があって子どもが「生めない」人や、同性「しか」愛せない人を非難するつもりは全くない)。

 この個人主義がさらに拡張され、何でもかんでも個人の自由に委ねればよいということになると、極端なことを言えば働かない自由、税金を納めない自由、教育を受けない自由、自殺する自由、果ては他人を殺す自由などといった自由まで相対化されることになりかねない。夫婦別姓推進論者がそこまで意識しているかどうかは解らないが、彼女らの言葉の奥には、行き過ぎた個人主義の行く末が見えてぞっとするのである。

 言うまでもなく、社会を維持、存続、発展させるためには個人の自由は制限されることがある。夫婦別姓が本当に社会の維持・存続に勝る個人の自由と言えるかどうかは甚だ怪しいというのが現時点での私の見解である。
May 15, 2010

電子書籍の洗礼を思いっきり受けたよ(涙)−『緊急提言 普天間基地圏外移設案』

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緊急発言普天間基地圏外移設案 混迷を続ける普天間基地移設問題に対し、朝日新聞社が「緊急発言 普天間基地圏外移設案」(大澤真幸)という電子書籍を5/14(金)に出版した。有料版の提供に先立って、5/11(月)の正午から「先着1,000名無料ダウンロード」というサービスをやるというので、アクセス混雑をかいくぐって無料PDFのゲットに成功した。

 が、私はKindleなどの端末を持っていないので、結局印刷して読むことに(汗)。まぁ、それも1つの洗礼なのだが、書籍(といっても、実際は数十ページの小冊子)の内容にがっかりした。

 著者の大澤真幸氏は「沖縄米軍基地の軍事上の必要性」についても、「日本国内の米軍基地に対するアメリカの世論」についても十分な情報を持っていない。そのことは著者自身も認めている。その上で基地のことを論じているのだから、何とも頼りない限りである。

 私なりにこの本の内容をまとめるならば、「とりあえず沖縄も徳之島も嫌がっているし、それをグアムに持っていったって同じように嫌がられるだけだから、ここはいっそのこと『日本に普天間基地は要らない』と騒ごう。そうすれば、アメリカだって同盟国である日本の世論を無視できなくなるはずだ」ということになる。タイトルの「圏外移設」とはつまり、「普天間基地そのものをなくしてしまう」ことを意味している。

 それで解決するんだったら、この問題はとっくに解決しているよ。でも、この問題は変数が多すぎて複雑だから困っているんじゃないか。緊急出版なので多少中身が粗いことは覚悟していたが、著者は社会学者なんだから、少なくとも変数を紐解く努力ぐらいはしてほしいものだ。

 話は電子書籍の一般論に変わるが、ジャーナリストの佐々木俊尚氏は最新の著書『電子書籍の衝撃』の中で、電子書籍はこれまでの出版のあり方をがらりと変えると述べた。書き手<<<出版社のパワーバランスが崩れ、誰もがローリスクで自由に書籍を出版できるようになる時代が来るのである。

佐々木 俊尚
ディスカヴァー・トゥエンティワン
2010-04-15
おすすめ平均:
状況はよくわかるのだが
本に関する概念が変わる時代の為に読んでおきたい一冊
タイムリーに出た警世の書
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 だが、これは1つの危険をはらんでいる。それは、これまで埋もれていた良書が電子書籍によって発掘される一方で、その良書の数を上回る駄本が多数出回るという事態である。インターネットの登場によって様々な情報に触れる機会が増えたのと同時に、どうしようもないゴミみたいな情報も大量に読まなければならなくなったのと同じである。

 本書は、少なくとも私にとっては駄本の部類であった。そういう意味で、電子書籍の洗礼を思いっきり受けてしまったのである。
February 24, 2010

何だかんだで楽観的なアメリカ人と、パニック状態の日本人−『経済の新秩序(DHBR2009年11月号)』

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 タイトルから察しがつくように、金融危機後の世界経済の方向性について論じた特集。読んでいて特に印象深かった(というか驚かされた)のは、ニーアル・ファガーソンの「2013年のアメリカ」という論文。

 過去の金融史を参考に、3年後の未来を予測しているのだが、「アメリカの実質成長率が予想に反して1%台に落ち込む」とか、「アメリカ国債の買い手がいなくなって金利が値上がりし、激しいインフレが起こる」といったネガティブなシナリオが描かれている一方で、「ドルに代わる基軸通貨は存在せず(IMFが提唱するSDR[特別引出権]への移行は困難である)、アメリカは世界経済において依然として影響力を持つ」とか、「世界各国で経済危機に端を発する政治不安が頻発すれば、実はアメリカが最も安全な国家であることが示されるであろう」といった非常に楽観的なシナリオも併記されている(後者のシナリオは、あまりにポジティブだったためにびっくりしてしまった)。

 こうしたアメリカのポジティブさは一種の国民性なのかもしれない。リーマン・ショックの直後にアメリカなどを訪問したある中小企業の社長が、「アメリカ人は皆、『何とかなるよ』と言っていた。中国人もシンガポール人も意外と冷静に受け止めているみたいだ」と言っていたのを思い出した。実際、サブプライム問題の震源地であるアメリカは、何だかんだ言って実需が回復傾向にあるのに対し、当初サブプライム問題の影響はあまり受けないであろうと言われていた日本が現在、需要増の見込めないデフレ経済に引きずり込まれている(ヨーロッパはギリシャの財政危機があるので、また別の問題を抱えているわけだが)。

 今や多くの日本人は、出口が見えない経済状況の中で非常に悲観的になっているように思える。トヨタのリコール問題もあって、経済面の明るいニュースをすっかり耳にしなくなった。その経済を後押しするはずの政治に目を向けても、「政治とカネ」の問題にほとんどの時間が費やされ、肝心の経済・財政政策や雇用対策の議論は棚上げ状態になっている。ガス抜き程度に提供される明るい話題と言えば、10代や20代の若いアスリートが世界で活躍する姿ぐらいである。こんなのははっきり言って異常だ。政治家とマスコミがグルになって国民を愚民にしようとしているのではないか?と思うほどである。

 そんなグルに惑わされた国民は、自民党がダメだから民主党に投票して政権交代を実現させたにもかかわらず、早くも最近の地方選で民主党離れを起こしているぐらいであり、国民の判断軸もブレブレ状態なのである。

 個人的には、アメリカ人のポジティブさを見習おうとは思わない。悲観的な気持ちを跳ね除けて前進するパワーに変えることができることを知っているからだ。だが、今の私たちは悲観的である上に混乱している。もう少し冷静になって、1人ひとりが企業の中で、あるいは政治に対してどうすればいいのか考えた方がいい気がするなぁ。
November 24, 2009

「骨太の日本」ではなく「先細りする日本」?

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(※今日の記事は若干感情的に書いており、あまり中身が伴っていないかも…)

 不景気による税収減を補い、膨れ上がる国家予算の財源を確保するために国会議員が躍起になっている。消費税率アップはもはや避けられないという雰囲気になっているし、今日もネットでニュースを読んでいたら、たばこを1,000円に値上げするとその後の9年間で9兆円の税収増が見込めるという厚生労働省の試算があった(その試算が合っているかどうかはここでは問題視しない)。
 厚生労働省の研究班が昨年実施した試算の結果を挙げる。試算によると、1箱300円を1000円にすれば、その後の9年間で(値上げをしなかったケースと比べ)合計で9兆円以上の税収増が見込めるという。
喫煙は病気?文化? 分かれる「増税」効果
 税金というのは、国民や企業などの経済活動の果実から、その一部を公共サービスや政策のために徴収するものである。変な言い方をすれば、1つのパイから分け前をもらうようなものだ。

 だが、どうも議論の流れを見ていると、「いかに限られたパイから多くを取るか?」ということばかりが考えられている気がしてならない。たばこの値上げに至っては、喫煙者の数を減らしてでも=パイの大きさを犠牲にしてでも、小さくなったパイからより多く取るという発想である。また、民主党が力を注いでいる事業仕分けも、政治の無駄をなくすという意味ではいいと思うのだが、今のところはただそれだけのことにすぎない。

 要は「どうすればパイ全体を広げられるか?」という議論がもっとあっても然るべきでは?と思うのである。パイ全体が大きくなれば、自ずと税収は増えるし国債も減る。個人的にはそういうことを政治に期待している。麻生前首相は「骨太の日本」という言葉を使っていたが、このままではゆっくりと日本が先細りしていくのではないかと心配だ。