※2012年12月1日より新ブログに移行しました。自分で言うのもおこがましいですが、20代の頃に書いた本ブログよりも、30代に入ってから書いている現行ブログの方がはるかに中身が濃く、内容が多岐にわたり、面白いと思いますので、是非ご覧いただけるとありがたいです!
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February 09, 2012

怒りっぽい人が心臓発作に至る過程がリアルで怖かった―『怒りのセルフコントロール』

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怒りのセルフコントロール怒りのセルフコントロール
レッドフォード ウィリアムズ ヴァージニア ウィリアムズ Redford Williams

創元社 1995-05

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 タイトルの通り、本書では怒りをコントロールするための17の方法が紹介されている。著者の2人は名前を見ると解るように夫婦であり、かつ2人とも研究者である。夫のレッドフォードは性格と健康の関係を専門とする医学者、妻のヴァージニアは第1次世界大戦に関する著書などがある歴史学者だそうだ。本書は基本的に夫の研究に基づいているが、面白いことに17のメソッドの中には、夫婦間の危機がきっかけで編み出され、実際に2人で試行されたものも含まれているという。

 アメリカの心臓病学者であるマイヤー・フリードマンとレイ・ローゼンマンは『タイプA―性格と心臓病』の中で、狭心症や心筋梗塞などの心臓疾患になりやすい性格傾向を明らかにし、それをタイプA行動パターンと名づけた。タイプAは、緊張、性急さ、競争心、敵対心などを特徴とする人々である。レッドフォードはタイプAと疾患の関係に関する研究をさらに続け、その結果、タイプAの特徴のうち健康に影響するのはただ一つ、「敵対性」だけであるという結論に達したという。

 その「敵対性」がなぜ心臓疾患につながるのか?そのシナリオが非常に具体的で、読んでいてちょっと怖くなったよ(汗)(『キレないための上手な「怒り方」』にも似たような話が登場するけれど、本書の方がずっとリアル)。簡単にそのシナリオをまとめてみた。
 ・怒りを感じると視床下部が刺激され、神経細胞が副腎にシグナルを送って、アドレナリンとコルチゾールを血中に大量に分泌させる。
 ・アドレナリンは身体を戦闘モードに切り替えるべく、動脈を拡張させて心臓と筋肉に血液を送り込む。
 ・視床下部は交感神経を刺激して、皮膚や腎臓、腸に血液を送る動脈を収縮させる(戦闘モードの時は、食べ物を消化している場合ではないため)。
 ・コルチゾールには、アドレナリンの効果を増幅させる働きがある。さらに視床下部は、副交感神経系の働きを抑制し、これによってアドレナリンの効果を持続させる。
 ・アドレナリン&コルチゾールのタッグで血圧が上昇したことにより、冠状動脈の内膜にある内皮細胞が侵食される。すると、血小板がその傷を治そうと集まってくる。
 ・血小板が分泌する化学物質は、冠状動脈壁の筋肉細胞を動脈内面に移動させ、動脈内で肥大、増殖させる。
 ・血中の細胞群であるマクロファージが冠状動脈の損傷箇所に集まり、傷ついた組織や残骸を飲み込んでいく。
 ・アドレナリンは脂肪細胞にも働きかけ、戦闘に使用するエネルギーを供給するために、脂肪を運動エネルギーに変換する。
 ・しかし、本当に戦闘をするわけではないからエネルギーは過剰となり、余ったエネルギーは肝臓でコレステロールに変えられ、血中に放出される。
 ・血中のコレステロールは、冠状動脈の損傷箇所に溜まっている血小板やマクロファージに吸収されて、泡沫細胞となる。
 ・コレステロールが詰まった泡沫細胞は、怒りを感じるたびに上記のようなプロセスを繰り返して肥大し、冠状動脈を圧迫する。
 ・ある日冠状動脈が完全にふさがれてしまい、心筋梗塞に至る(怖ぇ〜)。
 17のメソッドの詳細はここでは紹介しないが、2人の著者は基本的に、「怒りの大半は大したことではない」という前提に立っているようだ。まず、「敵対性ログ」という方法で、日常生活の中で怒りを感じた出来事を、どんなに些細なことも含めて1つ1つ記録していく。次に、それらの出来事を以下の3つの基準で評価し、本当に重要な怒りのみを絞り込んでいく。
(1)こだわり続ける価値があるほど重要な問題か?
(2)(筆者補記:自分が怒りを感じる)正当な理由はあるか?
(3)(筆者補記:怒りを引き起こした事象に対して)効果的に対処できるか?
 大雑把に言ってしまえば、この3つを全て満たすものだけが真に対応すべき怒りであって、それ以外は早く忘れるか、考えを切り替えるか、相手を許す(!)などした方が、自分の健康のためでもあり、人間関係を円滑にする秘訣だというのが著者の主張である。17のメソッドの9割以上は、「怒りの大半は大したことではない」と思えるようになるためのものだ(それでもまだ怒るだけの正当な理由があり、何かしらの対処法が取れそうな場合は、「主張法」と呼ばれるメソッドを使う。ただし、そのようなケースに有効なメソッドとして著者が挙げているのは、この「主張法」ただ1つだけである)。

 とはいえ、敵対性が強い人=怒りっぽい人(私もそのうちの1人)にとって、(1)(3)はまだ何とかなるかもしれないけれど、(2)が最大の障害になりそうだな。怒っている人は、自分が正しいと思って怒っているのだから、その理由を自分で疑うことは非常に難しいんだよね・・・そんな時には、相手の思考回路にも思いをめぐらせ、相手にも何かしらの事情があるのでは?相手にもそれなりの合理的な理由があるのでは?(こちらから見れば正当な理由に見えなくとも)などと考えるだけでも、怒りが緩和されると著者は述べている。うーん、これは訓練次第だな。

 逆に、前述の3つの基準を満たす重大な怒りは、どのような意味を持つのだろうか?前向きにとらえれば、それはきっと、人生の目的や使命を示唆する怒りなのではないだろうか?(過去の記事「「その課題を解決できるのは自分だけ」という思いが使命感になる―『MBB:思いのマネジメント』(1)(2)」を参照)。

 ものすごく解りやすい例で言うと、マーティン・ルーサー・キングは黒人差別に対して、マハトマ・ガンディーはイギリスの支配に対する大きな怒りを抱いていた。坂本龍馬を始めとする幕末の藩士たちは、旧態依然とした江戸幕府への大きな怒りを、倒幕と開国へのエネルギーへと変換した。

 その倒幕によって生まれた明治政府に対しても、過度な欧化主義によって日本人のアイデンティティが失われることを危惧したジャーナリストたち(陸羯南、三宅雪嶺、志賀重昂など)が、国粋主義の名の下に一生をかけて対抗し続けた。現代に目を向ければ、スティーブ・ジョブズはマイクロソフトへの大きな怒りを感じながら(晩年は、長年の盟友であったグーグルに対しても大きな怒りを向けながら)、アップルを経営した(残念ながら、ジョブズは早世だったが)。大きな怒りはストレスも並大抵ではないものの、「自分の人生の目的が見つかった!!」といった気持ちで、むしろ喜ぶぐらいの方がいいのかもしれない。

 松下幸之助の『指導者の条件』には、西ドイツの首相だったコンラート・アデナウアーの逸話が紹介されている。アデナウアーがアメリカのアイゼンハワー大統領に会った時、人生において重要な3つのことを話したという。1つ目は「人生というものは70歳にして初めて解るものである。だから70歳にならないうちは、本当は人生について語る資格がない」ということ。2つ目は「いくら年をとっても老人になっても、死ぬまで何か仕事を持つことが大事だ」ということ。そして3つ目が興味深いのだが、「怒りを持たなくてはいけない」というのである。

指導者の条件指導者の条件
松下 幸之助

PHP研究所 2006-02

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 この言葉に関して、松下幸之助は次のように分析している。
 これは、単なる個人的な感情、いわゆる私憤ではないと思う。そうでなく、もっと高い立場に立った怒り、つまり公憤をいっているのであろう。(中略)第2次世界大戦でどこよりも徹底的に破壊しつくされた西ドイツを、世界一といってもよい堅実な繁栄国家にまで復興再建させたアデナウアーである。その西ドイツの首相として、これは国家国民のためにならないということに対しては、強い怒りを持ってそれにあたったのであろう。占領下にあって西ドイツが、憲法の制定も教育の改革も受け入れないという確固たる自主独立の方針をつらぬいた根底には、首相であるアデナウアーのそうした公憤があったのではないかと思う。
 アデナウアーは91歳で亡くなったので、十分長生きだったと言える。アデナウアーは、首相、しかも敗戦からの復興を目指す首相という重責を担い、大小様々の事柄に怒りを感じてもおかしくない立場にありながら、自分が本当にこだわり続けるだけの価値と正当性がある問題(=要するに、西ドイツ国家のためには許されざる問題)のみにフォーカスをあてる術を身につけていたのであろう。今度はアデナウアーの伝記でも読んでみるかな?
August 16, 2010

最初の動機は不純だって構わないんじゃないか?

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 本ブログでは動機の構造について何度か記事を書いてきた。

 「動機」の構造を自分なりにまとめてみた−『"働く"をじっくりみつめなおすための18の講義』
 入社後3年目までのキャリア開発−仕事の仕組みを知り、自分の得手・不得手を見極める
 入社後4年目からのキャリア開発−内発的動機を育て、仕事に自分色を加える
 「社員の7割が障害者」日本理化学工業・大山泰弘会長のインタビューに感動
 「内発的動機と外発的動機のどっちが重要か?」という問いは意味があるか?

 動機には大きく分けると、他者からの評価や報酬によって触発されるという「外発的動機」と、自分の興味や価値観を源泉とする「内発的動機」の2種類がある。「お金が欲しい」、「出世したい」という利己的な外発的動機はどちらかというと不純なものとされ、「何か社会に影響を与えることを実現したい」、「世のため人のためになりたい」という使命感にも似た内発的動機の方が崇高なものとみなされる傾向がある。

 私自身は猜疑心が強い人間なので、最初から「世の中を変えてみたい」とか「社会に貢献したい」と熱っぽく語る人を見ると、「どこか裏があるのではないか?」と勘ぐってしまう(そのせいで人脈を広げられず、損をすることもあるのだが…)。表面上は立派な理念や大義名分を掲げていても、いざふたを開けてみたら自分の利益や特定の集団の利害を増長することが目的だったという話は枚挙に暇がない。つまり、内発的動機を装って、実際には外発的動機に突き動かされていたというわけだ。特に政治の世界では、こういうことがよく起こっているように感じる。

 誤解を恐れずに言えば、私自身は別に外発的動機が全くの悪だと主張したいのではない。動機の順番が問題なのだ。リーダーが最初に「この改革は皆のためだ」と言っておきながら、実は裏で私服を肥やしていたと解ったら、少なくとも私はどこか騙された気分になる。

 だが、内発的動機と外発的動機の順番が入れ替わって、「この改革をすると私自身は儲かるが、やがては皆さんのためにもなる」と言われると、不思議とその潔いほどの正直さに人間味を覚えて、その人を信頼してみようという気分になるのである。それはちょうど、手塚治虫が描いたブラック・ジャックが、拝金主義にまみれて違法に荒稼ぎしながらも、実は正規の医師以上に純粋な正義を追求し、生命の尊さを訴える姿に共感してしまうのに似ている。

 これを「漫画だから」という一言で片付けるのは簡単だが、実際の世界でも同じような例を発見することができる。社会的使命感を持った起業家の代表格とも言える松下幸之助ですら、最初に事業を始めた時はお金のために働いていたことを認めている。
 ぼくでも、最初は飯を食うために働いたにすぎなかった。しかし、1年、2年たつに従って、また、人が10人、20人集まってくるに従って、だんだん考えざるをえなくなってきた。年じゅう、なんとなしに働いていたのではすまん気がして、これではいかん、一つの理想というか使命というか、そういうものが、ぼく自身ほしくなった。

松下 幸之助
PHP研究所
2009-08-29
おすすめ平均:
いくつもの原理原則が著者ならではの解り易い言葉で語られている
人生の基本
確固たる経営理念の元に危機を乗り切る
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 本ブログで最近たびたび紹介している渋沢栄一も、最初から日本に資本主義を確立しようと思っていたわけではない。渋沢は幕末に一橋家に仕官し、幕府の費用でフランスを訪れる機会を得た。しかし、フランス滞在中に大政奉還が行われ、幕府は消滅してしまった。

 一橋家に忠義を尽くすならば、日本に帰って慶喜の元に身を寄せるのが筋である。ところが、渋沢はそうはしなかった。幕府が倒れた今となっては、帰国しても身の保証はない。それよりも、いくばくかのお金があることだし、せっかくフランスで勉強するチャンスを与えてもらったのだから、それを最大限に活かすことにした。渋沢はフランスの社会を隅々まで観察して知識を吸収し、同時にフランス人から学んだ資産運用で手持ち資金を運用してかなりのリターンを得たという。

 渋沢の動機は、武士としては決して褒められたものではない。だが、この時渋沢が大義名分を貫いていたならば、「日本の近代資本主義の父」は誕生しなかったであろう。

 例が古いという声も聞こえてきそうなので、もう1つ最近の話を紹介したい。前ベイン&カンパニー東京事務所代表パートナーで、現在は維真塾を主宰する山本真司氏の話である。これは友人から教えてもらったのだが、山本氏はある講演で、「最初から世のため人のためみたいな動機で仕事をする人は成功しにくい。生活のためとか、コンプレックスとか、もっとネガティブな動機で始めて馬力をつけた人が途中で崇高な動機に目覚めると化ける」とおっしゃっていたそうだ。

 周囲からの批判を恐れて、不純な外発的動機を隠す必要は全くない。不純な動機を取り繕うために、聞こえのいい理想や大義名分を掲げることの方がよっぽど恥ずかしいことだ。不純な外発的動機は、とりわけ物事を始めたばかりの時期にはこの上ない推進力となる。その力をうまく活用して、一気に物事を進めることが肝要だ。使命感やビジョンといった崇高な想いは、もっと後になってから考えても遅くないと思うのである。
February 14, 2010

孤独と闘う「準備ルーチン」が創造性を生む

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 「良質の『準備ルーチン』は創造性を生む」、「良質の『準備ルーチン』は創造性を生む(補足)」という2つの記事で、「準備ルーチン」についていろいろと見てきたが、良質の「準備ルーチン」には「業務外(本番以外)で行われる」という点以外に何か共通点はないのだろうか?

 準備ルーチンの中には、菅野寛氏の「エモーショナル・メッセージの記述」ように、特定スキルの習得にフォーカスが絞られた明確な目的を持つものもあれば、立命館小学校のモジュールタイムのように、それ自体は知識の習得を目的としないものもある。また、松下幸之助の「素直な心を持つための祈り」などは、本業との関連も薄く抽象的な行為である。だから、目的の明確さや本業との関連性はあまり重要でないように思える。

 それよりも注目すべきもう1つの共通点は、良質の準備ルーチンは「1人で行われる」という点である(モジュールタイムは学級全員がやっているが、やっている行為自体は個々人に完全に委ねられている)。昨日紹介した村山昇著『ぶれない「自分の仕事観」をつくるキーワード80』を読んでいたら、アン・モロウ・リンドバーグの『海からの贈物』に次のような一節があることを知った。
 我々が一人でいる時というのは、我々の一生のうちで極めて重要な役割を果たすものなのである。或る種の力は、我々が一人でいる時だけにしか湧いてこないものであって、芸術家は創造するために、文筆家は考えを練るために、音楽家は作曲するために、そして聖者は祈るために一人にならなければならない。

 しかし女にとっては、自分というものの本質を再び見いだすために一人になる必要があるので、その時に見いだした自分というものが、女のいろいろな複雑な人間関係の、なくてはならない中心になるのである。女はチャールズ・モーガンが言う、『回転している車の軸が不動であるのと同様に、精神と肉体の活動のうちに不動である魂の静寂』を得なければならない。

アン・モロウ・リンドバーグ
新潮社
1967-07
おすすめ平均:
ああ、なんという
一歩を踏み出す勇気があれば!
現代社会において忘れがちなことを思い出させてくれる
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 後半の女性に関する記述は、男性にも当てはまると思う。創造的な作品は1人だけでは完成させることができないが、基となる創造的なアイデアは1人で思索する時間から生まれるものだ、ということをリンドバーグは言いたいのだろう。

 どこの研究だったか忘れてしまったが(記憶違いならご容赦いただきたい)、日本とアメリカの経営者の時間の使い方を調べた研究があって、アメリカの経営者は日本の経営者よりも1人で考える時間が長いことが明らかになったという。もっとも、この調査結果だけを見て「日本の経営者よりもアメリカの経営者の方が創造的だ」と言うつもりは毛頭ないし、日本が合意による意思決定を重視するのに対し、アメリカはトップの決断に頼るケースが多いという文化的背景の違いもある。

 ただ、合意による意思決定がうまくいくのは、1人1人が確固たる意見を持っており、それらが衝突し揉まれる中で新たなアイデアに至る場合だ。発言力の強い人間がいたり、他人の意見に流されやすいフリーライダー的存在が混じっていたりすると、いわゆる「グループシンキング」の罠にはまってしまう。各人が確固たる意見を持つためには、意思決定の前に1人で考えをまとめる時間を持つ必要があると思うのである。1人で思索にふける「準備ルーチン」を持つ経営者は、真っ当な意思決定に到達できる確率が高いのではないだろうか?

 「準備ルーチン」を1人で黙々とこなす中で、集中力が増し、神経が研ぎ澄まされ、感度が高くなる。すると、通常の人ならば見過ごしてしまうような情報やサインをキャッチできるようになり、それが創造的なアイデアにつながるのかもしれない。良質の準備ルーチンとは、孤独と闘う準備ルーチンでもあると言えそうだ。