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May 21, 2012

高齢社会のビジネス生態系に関する一考(1)―『「競争力再生」アメリカ経済の正念場(DHBR2012年6月号)』

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Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2012年 06月号 [雑誌]Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2012年 06月号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2012-05-10

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 先日の記事「アメリカ金融帝国主義が本当なら経営学は何のためにあるのか?―『「競争力再生」アメリカ経済の正念場(DHBR2012年6月号)』」で触れたポーターらの論文を基にもう1本記事を。

構造的な問題の克服への提言 それでもアメリカ経済は成長する(マイケル・E・ポーター、ジャン・W・リプキン)
 就労年齢の多くの国民が仕事を見つけられない、あるいは探そうともしない経済状況は、短期的には高い生産性をもたらすように見えても、競争力における本質的な問題をはらんでいる。国家の真の競争力を示すのは、現在雇用されている人材ではなく、雇用可能な人材一人当たりにつき、どれだけの生産高を生み出せるかである。

 競争力の向上は雇用の創出と同義ではない。政策立案者は、建築業など、国際競争にさらされていない地場の労働集約型産業の需要を人為的に高めることで、短期的に雇用を刺激することができる。しかし、生産性の向上がないまま雇用を創出しても、国家の生活水準を高める持続可能な雇用にはつながらない。
 アメリカは、1990年代後半から2000年代前半にかけて他の先進国よりも高い生産性を記録し、金融危機以降も生産性を維持してるものの、実は統計上のからくりが潜んでいる。生産性は「付加価値額÷労働力人口」で算出されるため、企業が人員を削減しながら高付加価値路線へと突き進めば、数字上は生産性を高めることができる。しかし、その一方で失業率が高止まりしているのは周知の事実である(随分昔にこのブログでも、アメリカと似たようなことが日本でも起きている可能性を指摘したことがあった[文章がかなりプアーだが・・・]⇒「労働生産性が向上しても労働力人口の割合が低下すれば1人あたりGDPは減少する」)。

 「競争力の向上は雇用の創出と同義ではない」という部分を読んで、最近のNTTのニュースを思い出した。
 NTTグループの主要各社が来年度から、30代半ば以降の社員の賃下げを計画していることがわかった。浮いた人件費を、新たに導入する65歳までの再雇用制度に回す。政府は来年度から、企業に60歳以降も働き続けたい人の再雇用を義務づける方針で、人件費の総額を抑えるために追随する動きが広がりそうだ。
(「NTT、30代半ば以降の賃下げ計画 再雇用費に充当」毎日新聞、2012年4月22日)
 未曽有の高齢社会の突入に向けて、政府は高齢者の雇用を確保しようと法案を準備しているが、その結果がこれである。企業はシニア層のために新たに仕事を創り出すのではなく、社員全員で痛みを少しずつ分け合って、シニア層の給与を捻出しようというのだ。企業が富の再配分機関になってしまっては、競争力の向上は見込めない。富の再配分はあくまでも政府の役割であって、企業の役割は富を”創出”することである。

 こうした動きが他の企業にも広がると、企業はシニア人材の雇用維持を優先するために、賃金の再配分に加えて、若手社員の採用も抑制するようになるだろう。現在、多くの企業で社員の年齢構成をグラフ化してみると、バブル期に大量採用したミドル層が膨れ上がった「ひし型」になる。ところが、数十年後にはそのミドル層がシニア層へ移行し、さらに若者の採用が削減されれば、年齢構成のグラフは「逆三角形」になるに違いない。数十年後の社会は、高齢者がマジョリティ、若者がマイノリティになるのである。だが、歴史を振り返ると、社会を不安と混乱に陥れるのは、マジョリティではなく、マイノリティが声を上げた時であることを忘れてはならない(最近の例で言えば、2006年にフランスで起きた若者の暴動や、ニューヨークを中心に世界中に広がった昨年の「格差社会反対キャンペーン」はその典型例だ)。

 では、来たるべき高齢社会には、どういうビジネス生態系が望ましいのだろうか?かなり極端で乱暴な論法かもしれないけれども、ここで1つのシナリオを示してみたいと思う。その前に、前提条件を整理しておく。前半2つは組織の基本的な原則であり、後半2つは今後予想される政策に関するものである。

<前提1:組織は年功序列的なピラミッド型が最も安定する>
 どんなに組織のフラット化が進んでも、階層が完全になくなることはない。なぜならば、業務や役割の難易度によって序列が作られるし、また一定数の社員をマネジメントして、彼らの成果に対して責任を負うべき人間が不可欠だからだ。

 しかも、そのピラミッド構造は年功序列的である方が安定する。もっとも、私自身は年功序列の人事制度には消極的な立場を取っている。事業環境の変化によって、年上の社員の能力よりも年下の社員の能力の方が重要になれば、年下の社員を上司として、その下に年上の社員がつく、という人員配置が今後は増えると考える(以前の記事「これからの人事制度は「上を下への人事異動」が必要になる?」を参照)。とはいえ、社内のあちこちで、例えば30代の上司の下に50代、60代の部下ばかりがずらりと並ぶという組織は考えにくいし、よくも悪くも封建的な精神を受け継いでいる日本人には合わないようにも感じる。

<前提2:企業が成長するためには、ピラミッドの下層の人員を増やす必要がある>
 これは敢えて補足するまでもないだろう。ピラミッドの形を維持したまま組織の規模を大きくするには、ピラミッドの下層、すなわち若手社員を増やし続ける必要がある。バブル崩壊後に新卒採用を絞った企業では、バブル期に大量採用した現在のミドル層が十分な数の部下を持つことができず、長い間プレイヤー中心で働いてきたために、マネジメント能力が不足していると言われる。その結果、数少ない若手社員さえもうまく育成できず(最悪の場合、彼らの成果をミドル層が横取りする、などということまで起こる)、若手社員のモチベーションを阻害してしまう。モチベーションの低下は組織全体に伝播しやすく、業績の足を引っ張るリスクが高まる。

 この「プレイヤーとしては優秀かもしれないが、マネジャーとしては中途半端」な状態のミドル層に企業は手を焼いているから、「【企業幹部が激白】クビにしたい40代の特徴」(日刊SPA!、2012年4月23日)などという穏やかでない記事まで出る始末なのである(←まぁ、ここでネタ系雑誌の記事を持ってくるのもいかがなものかと自分でも思うわけだが・・・)。

 (残りの2つの前提条件は次回の記事で)
May 19, 2012

アメリカ金融帝国主義が本当なら経営学は何のためにあるのか?―『「競争力再生」アメリカ経済の正念場(DHBR2012年6月号)』

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ダイヤモンド社 2012-05-10

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 今月のDIAMONDハーバード・ビジネス・レビューは、マクロ経済、金融、政治が絡んでいるので、私にとっては非常に難易度が高かった。こういう時に政治や経済をもっと勉強しておけばなぁ・・・と後悔するんだよね。それでも何とか頑張って3本ぐらいレビュー記事を書こうと思うのだが、なにぶん知識不足ゆえに内容が誤っているかもしれないので、お気づきの方はご指摘いただければ幸いです。

構造的な問題の克服への提言 それでもアメリカ経済は成長する(マイケル・E・ポーター、ジャン・W・リプキン)
 公共財への投資が不十分であるため、アメリカは事業を展開するうえで魅力の乏しい国となり、企業は外国に投資しようとする。企業活動が国外へ移り、それに伴い税収が失われるので、政府にとって公共財への充分な投資はいっそう難しくなる。

 企業が雇用を国外に移して記録的な利益を上げる一方で、アメリカ人の賃金が伸び悩み、社会ではビジネスの制度面に対する懐疑的な見方が高まる。そうなると政治家は、アメリカでビジネス支援策を成立させることがより難しくなり、企業はますます国外拠点を目指すようになる。

 反対に、好循環をうまく利用しているのが中国である。その政策と莫大な規模を考えれば、同国の存在はアメリカにとって深刻な課題である。中国は余剰資金を生産性向上への投資に回し、それがさらに余剰資金を生む。拡大する国内市場が多様な国々の投資を呼び、それがまた国内の賃金や購買力を押し上げ、・・・というように。
 この論文でポーターらが最も懸念しているのは、「アメリカで熟練労働者、R&Dの能力、先進的な製造能力、国内サプライヤーのネットワーク、国内教育機関への投資が減少している」ことだ。ポーターが産業クラスタの競争力を論じる際に用いる「ダイヤモンド・モデル」に従えば、アメリカはとりわけ「要素条件」が弱っている、ということになるだろう(「ダイヤモンド・モデル」については、以前の記事「サステナビリティ=環境経営になってない?−『戦略の実現力(DHBR2010年11月号)』」を参照)。引用文にある「公共財への投資が不十分」とは、要素条件を支える教育や研究開発への投資が不十分であることを意味している。

 引用文にあるアメリカと中国の対比を読んでいて、『TOPPOINT』2012年4月号で紹介されていた中谷巌著『資本主義以後の世界』と、原田武夫著『教科書やニュースではわからない 最もリアルなアメリカ入門』の2冊のことを思い出した。まず『資本主義以後の世界』によると、アダム・スミスが描いた理想的な資本主義に近いのは、アメリカではなく中国の方であるようだ。
 スミスが『国富論』の中で考えた資本主義発展のあるべき姿は、まず農業の生産性の向上からスタートして、国内の社会基盤を整え、徐々に工業化へ進む。そして余力ができたら、商業、金融を整備し、最後に外国との交易を通じて豊かな社会を築く。つまり、社会が内部からゆっくり成長していく、「自然な」発展形態を理想としていた。(イタリア人学者の)ジョヴァンニ・アリギによれば、中国経済の発展はまさにこうのスケジュール通りに進展してきた、という。
(※『TOPPOINT』2012年4月号からの引用)
資本主義以後の世界―日本は「文明の転換」を主導できるか資本主義以後の世界―日本は「文明の転換」を主導できるか
中谷 巌

徳間書店 2012-01

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 もう少し補足すれば、理想的な資本主義は、

 農業の生産性向上⇒所得の増加⇒余剰資金の発生⇒銀行の登場⇒余剰資金を銀行に預金
 ⇒銀行は預金を元手に工業へ融資⇒工業化の進行⇒所得の増加⇒余剰資金の発生
 ⇒余剰資金を銀行に預金⇒銀行は預金を元手にさらに工業へ融資(=いわゆる信用創造機能)
 ⇒工業化のさらなる進行⇒農作物や簡単な工業品を輸出
 ⇒外貨の取得⇒所得の増加⇒高度な工業品の輸入
 ⇒高度な工業品を国内でも生産(政府の保護主義により、輸入は制限される)
 ⇒国民が高度な工業品を購入&輸出(輸出規模が大きくなるにつれて、政府の保護主義は弱められる)

という流れ(かなり大雑把だが・・・)で発展していくものと思われる。ただし、このシナリオには1つ条件がある。それは、発展途上の段階で、自国の製品を輸出する相手国が存在しなければならない、ということである。しかし、最初に本格的に資本主義化した国、つまり(イギリスではなく)アメリカには、主たる輸出相手国がいない。輸出ができなければ、外貨が取得できず、所得を増やすことができない。そこでアメリカがひねり出したのが「金融帝国主義」という考え方なのではないか?という気がしてきた。

 もう1冊の『最もリアルなアメリカ入門』によると、「金融帝国主義」が生まれたのは、1890年頃のこととされる。当時のアメリカは西部を開拓し尽くしており、帝国主義を掲げてアジア・アフリカなどを支配し始めていたヨーロッパに対抗すべく、海外の植民地化に乗り出そうとしていた。しかし、イギリスの迫害を逃れて誕生したアメリカが、他国を侵略するのはアメリカの精神に反するということで、世論は批判的であった。そこで、時のセオドア・ルーズベルト大統領は、武力ではなく金融の力で支配することにしたのである。
 まず表向きは、中南米の国々に対する経済的な支援という体裁をとり、各国の発行した国債を買い取る。次に、経済使節団を派遣して、その国の経済政策を徹底的に変えさせ、繁栄させる。この結果、その国の政府はアメリカが持っている国債の償還に応じることができ、アメリカは儲かるという仕組みを作り上げたのである。
(※『TOPPOINT』2012年4月号からの引用)
教科書やニュースではわからない 最もリアルなアメリカ入門教科書やニュースではわからない 最もリアルなアメリカ入門
原田武夫

かんき出版 2012-01-21

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 原田氏によれば、現在のアメリカの「金融帝国主義」はさらに進んで、次のようになっているという。
(1)アメリカが外国から借金をする(=米国債を購入してもらう)。そして、借りたマネーで景気がよくなるよう、国内にそれを流していく。
(2)その結果、アメリカ国内はカネ余りの状態が生じ、アメリカの株価が上昇する。
(3)アメリカ人が高騰を続ける株に続々と投資をし始める。そこで儲かったマネーを使って、外国製品を次々に購入・消費していく。
(4)繊維・自動車・半導体といったモノを生産し、アメリカで儲けた国々には貿易代金の決済のため大量の米ドルが蓄積されていく。これらの国々は放っておいては増えることのないこの外貨で、米国債を再び購入する。その結果、このプロセスの振り出しである(1)に戻る。
(※『TOPPOINT』2012年4月号からの引用)
 すなわち、「国債」を使って錬金術的にカネを増やせるようになっているというわけだ。先ほどのセオドア・ルーズベルト大統領が取った方法と合わせると、アメリカの「金融帝国主義」は次のようにまとめられる。

(A)新興国・途上国に対しては、その国の国債を購入し、アメリカに有利になるようにその国の経済を発展させる。
(B)先進国には米国債を購入させ、キャッシュリッチになったアメリカ人が先進国からの輸入品を購入する。
(C)新興国・途上国も、米国債を購入できるレベルまで発展すれば、(B)の仕組みに組み込まれる。

 「モノを作るためにカネが必要」という本来の資本主義ではなく、「モノとは関係なく、カネがカネを呼ぶ」というのがアメリカの資本主義なのである。だから、冒頭でポーターが提示した問題に対しても、「金融帝国主義」の立場からすれば、公共財になど投資せず、国債を刷りまくって米国企業に投資させておけば、勝手に所得が増えていくからOK、ということになる。

 もっとも、これはかなり極端なモデル化のようで、本当にそう言えるのかどうかは検証が必要であろう。ただ、もしこれがそれなりに妥当性を持っているとすれば、経営資源をうまく活用して、顧客に製品やサービスを購入してもらうための方法を一生懸命に追求している経営学は、一体何のためにあるのだろうか?と、ちょっと空しい気持ちになった。
May 16, 2012

スタッフ部門はどこも現場の業務改革を支援すべき(2)―『日経情報ストラテジー(2012年6月号)』

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日経情報ストラテジー

日経BP社 2012-04-28

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 (前回の続き)

 製造プロセスの改革にあたって、購買部門が重要な役割を果たすことを教えてくれる事例を、『日経情報ストラテジー』2012年2月号から紹介したい。冷蔵庫や製氷機、食器洗浄機・給茶機などの業務用厨房機器を製造するホシザキ電機は、2003年から開始した製造プロセス改革によってジャスト・イン・タイムの生産体制を目指し、部品発注にかんばん方式を導入することにした。かんばん方式の導入によって生じた問題と、その解決策について、以下やや長くなるが引用する。
 かんばん方式を進めると課題も出てきた。部品メーカーは毎日配送しなければならなくなるのだ。部品メーカーはホシザキ電機に納入する部品を自社便や路線便を使って配送していた。外装などの板金部品や樹脂部品などもともと毎日運ぶだけの荷量があれば、部品の内訳が変わるだけだが、荷量が少ないと週1〜2回だった納品が毎日になり、物流コストが増えてしまう。部品メーカーは増加した物流コストを負担してまで毎日納品をしたくない。もちろんホシザキもかんばん方式のために物流費が増えた分だけ購入単価をアップするつもりはなかった。(中略)

 (その解決策として、)一般に牛乳メーカーが毎日牧場を巡回して牛乳を集荷するさまになぞらえて「ミルクラン」と呼ばれる仕組みを構築することを目標とした。ホシザキ電機が物流業者に依頼して、近隣の部品メーカーを毎日1回以上決められたルートで回り部品を集荷するのだ。(中略)

 これを拡大するなかで苦労したのは部品メーカーの説得だった。ホシザキ電機がいまどのような取り組みをしているのか、ミルクランは部品メーカーにとってもメリットがある、などを理解してもらった。物流業者が集配するので、部品メーカーは配達の負担を減らせる。一方で、ホシザキ電機は必要に応じて適量の部品を受け取れるようになった。
日経情報ストラテジー 2012年 02月号 [雑誌]日経情報ストラテジー 2012年 02月号 [雑誌]
日経情報ストラテジー

日経BP社 2011-12-28

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 ホシザキ電機の事例は、ジャスト・イン・タイムの原則に沿った製造プロセスへの転換に向けて、購買部門が各工程に投入する「モノ」、すなわち部品の量やタイミングを、「ミルクラン」方式の調達方法によって調整した、と言えるだろう。製造現場のプロセス改革は、購買部門の支援なしには実現しえないのである(引用文では特に触れなかったが、IT部門ももちろん、新しい生産管理システムの構築を通じて、ジャスト・イン・タイムの実現を支援している)。前回の記事で情シスや人事部門について述べたことの繰り返しになるけれども、「モノ」という経営資源を担う購買部門もまた、現場の実情を熟知し、業務プロセスの生産性を上げるにはどうすればよいか?という視点から、「モノ」の調達を最適化する必要がある。

 「知識」という、新しくて重要な経営資源についてはどうだろうか?なお、ここで言う知識とは、R&D部門などに蓄積されている技術にとどまらず、各部門が日常業務の中で活用している様々なナレッジやノウハウを含む幅広い概念である。製造現場には手先の微妙な感覚に埋め込まれた熟練技能が、営業現場には優れたセールストークのハウツーや提案書作成のノウハウが、物流現場にはITだけでは調整が難しい細かい配送スケジュールを引くテクニックが、コールセンターには顧客にクロスセルを行うための製品知識が、アフターサポート部門には自社製品の複雑なメンテナンスのやり方がある。

 R&D部門の技術についてはR&D部門自身や知財部門が責任を持つとして、ノウハウやナレッジと呼ばれる「知識」にはどの部門が責任を持てばよいだろうか?これらの「知識」は、ITによって移転や共有が可能なものと、社員の頭(あるいは身体)の中にしかとどめておくことができないものに分けられる。前者については情シスが、後者については人事部門が責任を持つとよいだろう。

 先ほど例示した「知識」をもう少し丁寧に分類すると、

 (1)形式知化が可能で、しかも習得にそれほど時間がかからないもの(コールセンターの製品知識や、営業現場で使われる比較的簡単な提案書など)
 (2)形式知化が可能だが、習得には訓練が必要なもの(営業現場のセールストークや大規模商談の提案書など)
 (3)暗黙知であり、習得するのに非常に長い時間がかかるもの(製造現場の熟練技能やアフターサポート部門のメンテナンス技法など)

 の3つに分けられると思う。(1)は「情報」の性質に近いので、情シス部門が責任を持つ。ナレッジマネジメントシステムによる事例の共有や、iPadなどの端末を利用したリアルタイムでの製品知識の提供などはその例である。(2)については、人事部門が責任を持ち、研修という形で社員のノウハウを平準化・底上げする。

 (3)については、通常は現場による自主的な勉強会などに委ねられていることが多いようである。だが個人的には、(3)についても人事部門が責任を持つべきではないか?と考える。すなわち、プロセスのスピードアップやアウトプットの品質向上に大きく寄与する重要な暗黙知を人事部門が特定し、その暗黙知を部署内の他の社員、さらには部署を超えて共有するためのコミュニケーションの場を、人事部門が率先して設定・運営するのである。現場による自主的な運動に任せておくと、どうしても現場によって温度差が生じ、せっかくの暗黙知が局地的にしか広まらない。各部門の業務を幅広く見ている人事部門の方が、暗黙知の全体最適化には向いていると思うのである。

 情シスと人事は連携しながら現場を観察して、現場のプロセスを支えている重要な「知識」を発掘し、また現場のプロセスを高度化するのに必要な「知識」を特定する。そして、その知識の性質に応じて、どちらの部門がその知識の伝搬・共有・精緻化に責任を持つのかを決定する。責任を引き受けた部門は、適切な仕組みを構築してその知識を組織に配分する。「知識」という経営資源をめぐっては、情シスと人事の両部門の間でこうした協業作業が求められるに違いない。

 「カネ」を担う経理・財務部門の話が最後になってしまったけれども、「カネ」は、それ以外の経営資源「ヒト」、「モノ」、「情報」、「知識」を動かす上で常に必要となる経営資源である。その意味で、経理・財務部門には人事、購買、情シスとの緊密な連携が求められる。経理・財務部門は、各部門の予算を「前年比○○%増、あるいは減」といった慣習的な方法で調整したり、各部門から上がってくる投資案件に資金をあてがったりするだけの部門であってはならない(もちろん、帳票を処理するだけの部門であってはならない)。

 経理・財務部門は、それぞれの稟議案件の投資対効果を厳しく検証する必要がある(もっとも、稟議を上げる部門の方も投資対効果を試算するのが望ましいわけだが)。ただし、コストと効果の金額や回収期間といった数字だけを見て決断を下すのは早まった行動であろう。

 その案件によって現場のビジネスや業務プロセスはどのように変わるのか?望ましいビジネスや業務プロセスを実現するにあたって、この案件がベストな選択肢と言えるのか?もっと高い投資対効果が得られる別の選択肢があるのではないか?あるいはもっと踏み込んで、「稟議を上げてきた現場が考える望ましいビジネスや業務プロセス」よりも望ましいビジネスや業務プロセスがあるのではないか?といった視点から案件を吟味する役割を、経理・財務部門が積極的に引き受けるべきだと思うのである。

 《関連記事》
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 スタッフ部門は現場のCクラス社員の受け皿でいいのか?
May 15, 2012

スタッフ部門はどこも現場の業務改革を支援すべき(1)―『日経情報ストラテジー(2012年6月号)』

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日経情報ストラテジー

日経BP社 2012-04-28

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 メインの特集は、スコラ・コンサルトの柴田昌治氏による「組織風土改革の方法と事例」。スコラ・コンサルトの本はたくさん出版されているけれども(そのうちの1冊について、以前の記事「「課題の洗い出しが上手」という社風は、実は「ビジョン欠如」の裏返し―『衰退産業・崖っぷち会社の起死回生』」で取り上げた)、本号の特集では同社のコンサルティングメソッドが簡単にまとめられているので、風土改革のアプローチを手っ取り早く知りたい方にはお勧めだろう。

 本号を読んで私が気になったのは、特集の内容よりも、以下に引用する情報システム部門の責任者の言葉である。
 CIOの役割はビジネス変革と業務改善に尽きます。情報システムはそのためのツールの1つです。情報システムを作ったり買ったりすることがCIOの役割だと考えると、ものすごく間違えます。企業のビジネスプロセスを上流から下流まで整理し、どこに物と情報の滞留があるか、どこがお客様に対して不満足な要因になっているかをとらえ、スルーで改善していかなくてはなりません。事業部門は縦割りになるので、それを貫けるのはCIOだけ。全体をスルーで見て、業務改善を進められなければなりませんね。
(トヨタ自動車 常務役員 事業開発本部本部長 IT本部本部長 友山茂樹氏)
 これまでは日常業務に支障がないようにシステム管理をしていればよかったが、今後は業務プロセス改革にまで踏み込み、システム部門の存在意義を高める。
(中央化学 情報システム部部長 菊池千春氏)
 一般的に組織は、ライン部門とスタッフ部門から構成される。スタッフ部門はさらに、「戦略の立案を担う部門」と「経営資源の投入・配分・最適化を担う部門」に分けられる。前者の代表は、経営企画部やマーケティング部である。ドラッカーの考え方によれば、事業戦略にはマーケティングとイノベーションの両面があることを踏まえると、本来はイノベーション部という部署もあった方がいいのではないか?と私は思うのだが、マーケティング部に比べるとまだまだマイナーな存在のようである。

 R&D部門は多くの企業に見られるものの、R&Dを統括し、R&Dで生まれた新技術からイノベーションを生み出す、あるいは、イノベーティブな製品コンセプトを先に構想し、それを具現化する新技術の研究・開発をR&Dに依頼する、といった役割を担う部隊としてのイノベーション部を設置している企業は、それほど多くないとの印象である。

 後者の「経営資源の投入・配分・最適化を担う部門」については、「ヒト」を担うのが人事部門、「モノ」を担うのが購買部門、「カネ」を担うのが経理・財務部門、「情報」を担うのが情報システム部門だと言える。情報システム部門は、「システム」に責任を負っているのではなく、「情報」に責任を負っているのである。

 私が知る限り、引用文のような主張はもう何年も前からずっとあるのだが(過去の自分の記事を振り返ってみたところ、7年前に「情報システム構築とは、ハードやソフトの導入ではなく『情報の流れの組織化』である」という記事を、当時の未熟な自分が、おそらくIT関連の記事をあれこれと参照しながら書いていたということは、少なくとも7年前から指摘されていたことであろう)、未だに「システムの構築・管理」が情シスのメインの仕事だと考えられているのかと思い、少し残念な気持ちになった。

 情報システム部門は、現場のビジネスと社員間の業務のフローを十分に理解し、どこでどのような情報がやり取りされているかをつぶさに把握しなければならない。そして、ビジネスの成果を量・質の両面から改善し、業務プロセスの生産性を上げるためには、プロセスのどの部分にどういう情報を追加すればよいか、逆にどのような情報を削らなければならないか、また、どの情報の精度やインプットのスピードを上げるとよいか、などを検討する必要がある。

 これこそが情シスの仕事である。引用文にある通り、システムは情報の流れを最適化するツールの1つにすぎない。ツールありきの発想ではなく、ビジネス・業務の視点に立つことが情シスには求められるのである。

 実は同じことが他の部門にも言える。人事部門は、単に採用活動を行ったり、評価や昇進・昇給を決定したり、給与計算をしたり、研修を運営したりする部門にとどまってはならないと思う。人事部門も情シスと同様に現場のビジネスや業務を理解し、どのプロセスでどのような能力を持った人材が何人使われているのか、現状をよく認識する必要がある。それと同時に、現場が将来的に目指しているビジネスをよく理解し、それに従って新しい業務プロセスを設計した場合に、どういう能力を持った人材が何人ぐらい求められるのかをシミュレーションする。

 この将来像と現状のギャップを埋めるために、採用によって人員を外部調達するのか、異動や昇格によって内部調整するのか、それともトレーニングによって現有戦力の底上げを図るのか、などを意思決定しなければならない。言い換えれば、採用、異動、昇格、研修などは、ギャップを埋める手段にすぎないのである。

 《参考》
 戦略とリンクした人材育成計画を作成するための5ステップ(1)
 戦略とリンクした人材育成計画を作成するための5ステップ(2)
 人材育成計画の立案時に陥りやすい4つの落とし穴(1)
 人材育成計画の立案時に陥りやすい4つの落とし穴(2)

 購買部門も同じである。製造現場を例にとると、設備投資を行うにあたってまず考えるべきは、望ましい製造プロセス・製造手順である。その上で、自動化できそうなプロセス、人間よりも機械の方が早く正確に実行できるプロセスを特定して、適切な設備を購入する(以前の記事「工場でもまず考えるべきは『人の動き』、次に設備投資」)。

 原材料の調達にあたっては、製造現場からの発注依頼に受動的に応じるだけでは不十分である。また、製造原価を抑制するべく、取引先メーカーとの価格交渉に奔走するだけでも不十分である。製造プロセス全体の生産性を向上させ、各工程の在庫を最小限に抑えるには、どの部品をどのタイミングでどの程度発注すべきかを製造現場に提案できるくらいにならないといけないだろう。購買部門がこうした能動的な提案を行うには、製造プロセスに対する深い理解と、理想的な製造プロセスをデザインする能力が不可欠である。

 (続く)
May 12, 2012

なぜ『理系のトップはなぜダメなのか』という本がダメなのか?

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理系のトップはなぜダメなのか理系のトップはなぜダメなのか
諒 純也

阪急コミュニケーションズ 2012-03-01

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 『TOPPOINT』2012年5月号(※1)で紹介されていた1冊。4ページのサマリだけで突っ込みどころがあったので、敢えて記事にしてみた。本来ならばちゃんと本を買い、全部読んだ上で批評すべきなのだろうけれども、お金と時間がもったいないから、(やり方が卑怯だという批判は承知の上で、)サマリだけを題材に本書を批評してみる。

 本書で「ダメな理系のトップ」としてやり玉に挙がっているのは、民主党の鳩山・菅元総理である。
鳩山総理は、(民主党政権発足後の)国際会議で「温室効果ガス25%削減」を宣言した。それは国家の方針としてロジックの通ったものだったが、企業のコンセンサスを得ずに宣言したため、ひんしゅくを買った。このように理系は、「論理的に成立するもの」=「万人が納得できるもの」と考えがちである。
福島原発の事故の際、菅総理は「俺は原発には詳しいんだ!」と言ったとされ、自らヘリに乗って現場に出かけるなど、相当に非常識な対応をした。こうした「自身の理解力に対する過信」も、理系人間にありがちな側面である。
 そして、「理系トップの陥りやすい罠」として、以下の5つを挙げている。
(1)理系人間には、白黒をはっきりさせ、「正しいこと」がベストだと思い込む習性がある。そのため、徹底的に相手の間違いをあぶり出そうとして、相手の心にしこりを残す。

(2)理系トップは、自己のロジック=全体のロジックと勘違いしがちである。それゆえ自分の希望をゴリ押ししたりする。

(3)理系トップは、頑なである人が多い。状況が変わっても、一度決まった方針はひたすら遵守しようとする。

(4)理系の現場では、現状より性能を何%改良するというように、仕事の数字は「追う」ものである。そのため理系トップは、「数字に追われる」厳しさがわからない。

(5)コミュニケーションする際、理系トップは相手に理解してもらうことよりも、「正しいか、間違っているか」「正確か」といった理系の評価軸にこだわる傾向がある。
 サマリを読む限り、鳩菅2人の失敗を基に「理系のリーダーはダメだ」というレッテルが張られているように感じる。これは、理系の人にとっては著しく不利な論法だろう。そもそも、「コンセンサスを得ない」、「自分の理解力を過信している」、「頑なで方針を変えようとしない」という性格は、理系人間特有のものではない。民主党の例を挙げると、「口先番長」と揶揄される前原誠司氏は京都大学法学部卒、「原理原則主義者」の異名をとる岡田克也氏は東京大学法学部卒であり、2人とも文系である。つまり、理系・文系の問題ではなく、あくまでも個人の問題(あるいは、政治に限って言えば、民主党という組織の風土の問題)なのである。

 著者が挙げている「理系トップが陥りやすい5つの罠」のうち、(1)〜(3)と(5)に関しては、同じような罠に陥っている文系出身者を何人か私も見てきた。コンサルファーム出身者は、文系・理系を問わず(1)と(5)に陥りやすい。また、社内で政治的に振る舞おうとする人は、(2)に陥りやすい。

 なお、(4)は意味がよく解らないのだが、サマリを読む限りでは、文系の人間は「営業は○○円の売上を上げる」という目標が与えられると、その数字に「追われて」目標を必死で達成しようとするのに対し、理系の人間は「性能を○○%改良する」、「コストを○○%ダウンする」という目標を与えられても、「現状からよくなればよい」という甘えのロジックにより、目標に届かなくてもよしとしてしまう、ということを言いたいようである。しかし、経営目標である以上、文系と理系でそういう差が生じる理由などどこにもないのであって、R&Dや製品開発の現場で働く理系の人たちは、目標をクリアするために文系と同じように努力しているはずだ。

 もし本気で「理系のトップはダメ」であることを証明したいのであれば、例えば上場企業の歴代社長について、在任期間中の時価総額の増加率をランキング化し、ランキングの大半を文系出身者が占めることを示すなど、何らかの統計的な手法を用いるべきではないだろうか?この本の著者も理系出身なのだから、この手の分析はお手の物だろう。もちろん、そういう分析にも欠陥はあるのだが(詳しくは脚注を参照)、鳩菅の事例から一般化するよりはましである(※2)。

 皮肉なことに、(というか、これは『TOPPOINT』の編集者がわざとそうしたのではないか?と思うぐらいだけれども、)この本の前で紹介されている『言葉力が人を動かす』の著者・坂根正弘氏(コマツ取締役会長)は、コマツの社長就任直後に直面した創業以来初の赤字から、構造改革によってV字回復を達成した人物であり、大阪市立大学”工学部”出身なのである。

言葉力が人を動かす―結果を出すリーダーの見方・考え方・話し方言葉力が人を動かす―結果を出すリーダーの見方・考え方・話し方
坂根 正弘

東洋経済新報社 2012-02-24

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(※1)『TOPPOINT』は、毎月数多く出版されるビジネス関連の新刊書の中から、アイデアに溢れ、内容が斬新な「一読の価値のある本」を紹介してくれる月刊誌(「TOPPOINT」HPより)。主に取り上げられるのは毎月10冊で、1冊の内容を4ページに要約してくれる。それ以外にも、短い書評が約20冊分掲載されている。

(※2)ハーバード・ビジネス・レビュー誌は、株価を用いたより厳密な手法で世界中のCEOのランキングを作成したことがあり、その詳細はモルテン・T・ハンセン他著「在任期間の業績で評価した世界初のランキング 世界のCEOベスト50」(『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2010年5月号)で公表されている。HBR誌は、1995年から2007年に就任したCEO1,999人について、在任期間中のTSR(total shareholder return:株価の上昇または下降分と配当の総利回り)を算出し、トップ50を選出した)。

 日本人でランクインしているのは、神林留雄氏(28位、NTTデータ、1995〜1999年)、御手洗冨士夫氏(38位、キヤノン、1995〜現在)。そして、この2人を上回る17位に、本文の最後で紹介したコマツの坂根正弘氏(2003〜2007年)が入っている(以前の記事「優れたリーダーは最短距離を走らない(後半)−『人と組織を動かすリーダーシップ(DHBR2010年5月号)』」を参照)。

 もっとも、以前の記事の中でも指摘したように、この手法はいくつかの問題を抱えている点には注意しなければならない。在任期間が短い場合、TSRの増加はそのCEOの実力なのか、それともたまたま事業環境に追い風が吹いていただけなのかが判別しにくい。また、就任前のTSRが高いCEOよりも低いCEOの方が、もっと解りやすく言えば、業績が好調な企業を引き継いだCEOよりもダメな企業を引き継いだCEOの方が、TSRを上げやすく有利である。

 さらに、そのCEOが、CEO就任の少し前にTSRの低下につながるような失敗をしたにもかかわらず、CEO就任後にTSRを回復させた場合、すなわち”自作自演型”のTSR増加の場合は、そのCEOを過大評価してしまうことになる(以前の記事「【論点】事業後継者の資質に優先順位をつけるとしたら?他―『リーダーの役割と使命(DHBR2011年12月号)』」で取り上げた、BMSノースアメリカの社長兼CEOグレゴリー・ベイブはこのケースに近い)。加えて、そもそも論として、TSRの増加をCEO1人の能力と結びつけてよいのか?という問題もある。ひょっとしたら、他に優れた経営メンバーがいたおかげだったかもしれない。

Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2010年 05月号 [雑誌]Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2010年 05月号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2010-04-10

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April 20, 2012

国・地域別に見た日本の海外現地法人数と売上高合計をグラフ化してみた―『幸福の戦略(DHBR2012年5月号)』

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ダイヤモンド社 2012-04-10

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 DHBR2012年5月号のレビューは今回で最後。今回は特集以外の論文を集めてみた。今回の論文から解ることは、現在進行しているのはボーダーレスな世界を志向する「グローバリゼーション」というよりも、より地域性を意識した「グローカリゼーション」の方だということである。

経済の発展段階から考える 最後の巨大市場 アフリカの攻略法(ムーツァ・チロンガ、アチャ・レーケ他)
・2000〜2009年の10年間を対象としたアフリカの年間実質GDPの平均伸び率は4.7%。1980年代および90年代の成長の2倍のペースで伸びている。
・2009年には、アフリカ諸国全体のGDPが、ブラジルやロシアとほとんど変わらない1兆6000億ドルにまで拡大した。
・アフリカ大陸では、2008年、財とサービスの購入に8600億ドルが投じられた。これは、財とサービスに対するインドの支出(6350億ドル)を35%上回り、ロシアの消費支出(8210億ドル)を若干上回る額である。
・アフリカの消費者は2020年には1兆4000億ドルの財とサービスを購入することになる。インドの場合、その額は1兆7000億ドルと見積もられているので、インドのレベルに到達するにはあと一歩必要となるが、ロシアの9600億ドルは追い抜いている。
・2000年から2008年にかけてのGDPの伸びに対する天然資源の直接的な寄与度は全体の約4分の1(24%)にすぎず、残りの部分は卸売・小売業、運輸業、通信事業、製造業といった他の産業で占められている。
・年間所得が2万ドルを超える世帯は、アフリカ全体で2008年に1600万世帯(※全世帯の8%)に達した。それだけの所得があれば、住宅、自動車、電化製品、あるいはブランド製品の購入も可能となる。
・年間所得が1万〜2万ドルの世帯数は2700万世帯(※同14%)で、さらに4100万世帯(※同21%)が5000〜1万ドルの所得(所得の半分以上を食品以外に充てることが可能となり始める所得水準)を申告した。
・これら3つの所得層を合わせると、2020年までに1億2800万世帯(※52%)に到達する。
 アフリカ大陸の経済のポテンシャルを示す記述を論文から抜粋してみた。確かに、全体でみるとロシアやインドと並ぶ購買力が存在するものの、アフリカ大陸には約50の国があり、民族も文化も経済発展の段階もバラバラである。だから、多国籍企業がインドや中国で追求した規模の経済を、アフリカでも同じように期待するのは難しいかもしれない。

 また、後述のパンカジュ・ゲマワットの論文とも関連するが、日本にとってアフリカ諸国は、距離的にも文化的にも遠い国々であり、政治形態も全く異なる国が多い。ヨーロッパ諸国にはかつてアフリカ諸国を植民地した歴史があり、よくも悪くもそうした歴史的背景が、現地の理解に役立っていると思われる。だから、ヨーロッパの企業からすれば、アフリカ市場への参入は、多少困難があっても一応戦略としては成り立つのだろう。しかし、そのようなアドバンテージがない日本企業が、アフリカ大陸のポテンシャルだけに惹かれて参入しようとするのは、非常にハイリスクであるに違いない。

 (2年近く前に、「29歳の誕生日に「自分がやりたいこと」を再整理してみる(2)」という記事で、「アフリカに注目したい」と書いたのが、今となってはやや恥ずかしく思える・・・。いや、別に注目するのは構わないのだけれども、優先順位はアフリカよりもアジアの方が上だろう??と自分で自分に突っ込みを入れてみる)

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コスモポリタン企業への道 ワールド3.0の時代(パンカジュ・ゲマワット)
 ワールド3.0とは、別々の民族国家の集まり(ワールド1.0)でもなければ、多くの企業の戦略に内在しているように見える理想的な無国籍社会(ワールド2.0)でもない。ワールド3.0では母国も大切だが、外国も大事である。すべてが同じように近かったり遠かったりするわけではない。その代わり、ドイツの哲学者マルティン・ハイデガーが50年に提唱した「距離の法則」はいまだに多くの活動に当てはまる。地理的、文化的、行政・政治的、経済的な距離(隔たり)が広がれば、国境を越えた交流は減るようになるのだ。
 『コークの味は国ごとに違うべきか』の著者であるパンカジュ・ゲマワットの論文。同書でもこの論文でも登場するが、国外進出を検討している企業は、「CAGEフレームワーク」を用いて、進出先の国・地域と自国の相違点を十分に検討した上で、進出の是非を決定すべきだ、というのがゲマワットの一貫した主張である。すなわち、C=Culture(文化)、A=Administration/Politics(行政・政治)、G=Geography(地理)、E=Economics(経済)の共通点が多い国・地域には比較的進出しやすいが、違いが多い国・地域だと進出の成功確率が下がるというのである。

コークの味は国ごとに違うべきかコークの味は国ごとに違うべきか
パンカジ・ゲマワット

文藝春秋 2009-04-23

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 だから、ゲマワットによれば、最もグローバル化が進んでいるとされるアメリカ企業でさえ、2004年時点で国外に事業拠点を置く企業は全体の1%であり、その中で最も多いのは、国外拠点は1か国のみという企業であったという。そしてその1か国とは、アメリカと地理的に近接するカナダが60%、地理的にも経済的にも近いイギリスが10%だそうだ(もちろん、これは2004年の数字なので、今ならもう少し違う結果になるだろう)。

 ゲマワットは、進出先の国・地域で取るべき戦略を「トリプルA」と名づけている。「トリプルA」とは、(1)適応(Adaptation)、(2)集約(Aggregation)、(3)裁定取引(Arbitrage)の3つである。「適応」とは文字通り現地の事情に自国のビジネスを適応させることであり、「集約」とは異なる国・地域でも共通する製品仕様や業務などを集約して、規模の経済を実現させることである。「裁定取引」とは、コストの安い国・地域で仕入・生産を行い、高く売れる国・地域でそれを販売する(=簡単に言えば、利ザヤを稼ぐ)戦略のことだ。多国籍企業はこれら3つの戦略のバランスを取ることが求められるが、今後の多国籍企業は「適応」戦略をより重要しなければならなくなるだろう、とゲマワットは指摘している。

 ちなみに、日本企業の海外進出度合いはどうなっているのだろう?と思い、経済産業省の「第41回海外事業活動基本調査結果概要―平成22(2010)年度実績―」を基に、国・地域別に見た日本の海外現地法人数と売上高合計のグラフを作成してみた。なお、経済産業省の調査における「海外現地法人」とは、「海外子会社」と「海外孫会社」の総称であり、「海外子会社」とは、日本側出資比率が10%以上の外国法人を、「海外孫会社」とは、日本側出資比率が50%超の海外子会社が50%超の出資を行っている外国法人を指す。(経済産業省「調査の概要|海外事業活動基本調査」を参照)。

国・地域別に見た海外現地法人数(2010年度)
国・地域別_海外現地法人数(2010年度)
 隣国の中国が最も多く、次いでアメリカが多い。ヨーロッパは全体を合計すると2,070社となり、アメリカの2,649社とだいたい同じになる。2000年代前半からBRICsが注目されている割には、インドやブラジルに海外拠点を置く企業は少なく、ロシアに至ってはニュージーランドよりも少ない。また、5年ほど前にはドバイが脚光を浴び、イスラム圏でのビジネスチャンスが拡大したと話題になったものの、中東の数字はさして大きくないことが解る。

国・地域別に見た海外現地法人の売上高合計(2010年度、単位:10億円)
国・地域別_海外現地法人売上高合計(2010年度)
 同じような傾向は売上高合計にも当てはまる。やはり、売上高が大きいのはアメリカと中国である。ヨーロッパは全体を合計しても約29兆円にしかならず、アメリカの約48兆円の約6割である。ヨーロッパは1拠点あたりの売上高がアメリカに比べ小さいようだ。
April 19, 2012

日本のHDI(人間開発指数)は世界12位(2011年)―『幸福の戦略(DHBR2012年5月号)』

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ダイヤモンド社 2012-04-10

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「幸せ」はGDPで測れない 幸福の経済学(ジャスティン・フォックス)
 GDPに代わる指標としては、1972年にブータン前国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクが提唱したGNH(Gross National Happiness:国民総幸福量)などがあるが(ブータンは、昨年の東日本大震災の際に、いち早く日本の復興支援を表明し、ジグミ・ケサル国王夫妻が日本を訪問したことでも話題になった)、本論文の著者によると、そもそもGDPには以下の3つの欠陥があるという。
(1)GDPはそれ自体欠陥のある指標である。
 ・GDPの算出にあたっては、価値を簡単に測定できる財とサービスの方が好まれ、価値を推定しなければならない経済活動は敬遠される。例えば、無償の家事労働などは経済的に重要だが、計算からは除外されている。また、医療の提供などの政府プログラムの価値は、実際より過小評価される。
 ・一方で、推定を嫌う傾向も首尾一貫したものではない。例えば住宅所有者が住宅を所有していなければ支払っていたであろう金額の推定値である「帰属地代」は、アメリカのGDPの約10%を占める。
 ・海外からの直接投資が多い開発途上国では、GNPよりGDPの方がはるかに早く成長したが、必ずしもその恩恵を被ったわけではない。投資収益のほとんどは多国籍企業の手に渡ったからである。

(2)持続可能性や持続性を考慮に入れていない。
 ・GDPは、天然資源をむしばむ経済活動(杉林の伐採など)、将来の浄化コストや病気の原因となる経済活動(汚染など)、あるいは、コスト計上されない災害の単なる復旧(救急車など)と、国富を増大させる経済活動とを区別できない。

(3)進歩と発展の測定には別の指標のほうが優れている場合がある。
 ・生活の中にある、価値ある事物の多くは、GDPによって完全にとらえることはできない。しかし、健康、教育、政治的自由などの指標によってこれらを測定することが可能となる。
 ・1989年にUNDP(国連開発計画)に参画したパキスタンの経済学者マブーブル・ハクは、パキスタンなどの貧しい国々にとって、GDPだけを基準に開発を迅速に推し進めることの難しさに長い間頭を抱えていた。そこで、経済発展の測定方法を改善するプロジェクトを企画し、大学時代の友人だったインドの経済学者アマルティア・センを始めとする数人の著名な経済学者に協力を依頼した。このプロジェクトは、平均余命と学歴のデータでGDPを補完することにした。また、これらの数値を組み合わせてシンプルな指標を作り、各国をランク付けできるようにした。これがHDI(人間開発指数)である。
 GDPに関する私の個人的な疑問も、この論文で結構すっきりした。グローバル化が進んで海外で働く日本人が増え、逆に国内市場に参入する外国企業も増えている現在、純粋に日本人の富を測定するならば、GDPではなくGNPの方が向いているのではないか?と思っていたのだけれども、この論文によると、「貿易と投資がグローバルで成長するにつれて、雇用や工業生産といった国内指標とGNPに食い違いが見られるようになった」ため、単純に国内生産を測定するGDPに移行したとのことである。

 確かに、海外の日系企業で日本人とアメリカ人が働いている場合、GNPを計算するにはその企業が生み出した付加価値を日本人とアメリカ人で分け合う必要があるが、その比率をどうするかは難しい問題である。単純に人数の構成比で案分するわけにもいかない。付加価値に対する貢献度合いで割り振ろうとしても、一企業の人事評価においてすら困難な作業なのに、それを世界レベルでやろうとすれば各国の統計局が悲鳴を上げるに違いない。

 そもそもGDPは富の「量」しか測定できないので、例えば消費者が企業から余計なモノやサービスを購入させられたり、政府が国債を刷りまくって公共部門に投資したりしても、GDP自体は増える。だが、これらは必ずしも「良質な」経済活動とは言えない。これまでの経済はもっぱら「富の増大」を目的としてきたため、目的の達成度合いを最も簡単に表現できるGDPが好まれてきたというのが実態なのであろう。とはいえ、これからは経済の「質」を測定する何らかの指標が開発され、定着化する可能性は十分に考えられる。

 しかし、それだけにとどまらず、経済とは社会を構成する複雑なシステムの一部にすぎないから、経済の目的の上位に立つ社会の目的というのも考える必要がある。しかも、経済の目的が「富の増大」に限らず、「質的な成長」を視野に入れつつあること以上に、社会の目的は多義的であり、下位目的が複雑な相互関係を織りなしている。その下位目標の1つが引用文の(3)にあるような「人間の開発と発展」であり、それを測定する指標としてHDIが提唱されている、というわけだ。社会の目的の達成度は、経済指標を含む様々な指標の組み合わせで示されることだろう。

 これは企業レベルの話で言えば、経済的な主体として利益や株主価値の最大化を目指していればよかった企業が、その社会性を強く問われるようになり、近い将来には先日の記事「持続可能な経営に最も必要なのは”顧客の意識改革”かも?―『「チェンジ・ザ・ワールド」の経営論(DHBR2012年3月号)』」で紹介した「VCI(バリューチェーン指数:企業が外部化したコスト=環境に転嫁したコストを定量化する指標)」のような新しい指標と合わせてその業績を評価されるようになるかもしれないことと共通している。

 ちなみに、論文でもランキングが紹介されていたが、2011年のHDIのランキングは1位:ノルウェー、2位:オーストラリア、3位:オランダ、4位:アメリカ、5位:ニュージーランド、6位:カナダ、7位:アイルランド、8位:リヒテンシュタイン、9位:ドイツ、10位:スウェーデン、11位:スイス、12位:日本となっており(※1)、日本はアジアでは1位である。

 このHDIは、(1)Health、(2)Education、(3)Living Standardsという3つの上位因子から構成される。そして、Healthは"Life expectancy at birth"(平均余命)、Educationは"Mean years of schooling"(25歳以上の成人が過去に受けた正規教育の年数)と"Expected years of schooling"(5歳の子どもが生涯のうちに受けられるであろう正規教育の年数)、Living Standardsは"Gross national income at purchasing power parity per capita"(購買力平価で計算した一人当たりGDP)という下位因子で測定される(※2)(※3)。

 なお、"HUMAN DEVELOPMENT REPORTS"のHPには、自分で指標を組み合わせてオリジナルのランキングを作れる"DIY HDI"というページがある。日本を1位にしようと思ったら、日本の平均余命が世界一であることを利用して、Healthの"Life expectancy at birth"だけにチェックを入れればよい。

 HDIを構成する3つの上位因子には、先ほど挙げた下位因子の他に、例えばHealthならば"Expenditure on health, public (% of GDP)"(GDPに占める社会福祉関連支出の割合)や"Under-five mortality rate"(5歳以下の子どもの死亡率)が用意されている。また、上位因子も、前述の3つ以外に"Inequality"(不平等)、"Poverty"(貧困度)などを追加することが可能となっており、これらの因子を取捨選択して、様々なランキングを作成することができる(ただし、"Poverty"など日本のデータが提供されていない因子もあるので注意)。


(※1)"Human Development Index (HDI) | HUMAN DEVELOPMENT REPORTS"より。
(※2)"Human Development Index (HDI) | HUMAN DEVELOPMENT REPORTS""Human Development Index | Wikipedia"
を参照。
(※3)2011年からHDIの測定方法が変更になったようである。「人間開発指数|Wikipedia」に記載されている算出方法は古い算出方法であり、誤りである。どなたかWikipediaの数式を編集できる方は、是非修正をお願いします。

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「笑顔は幸せの象徴」は比較的新しい 幸福の歴史(ピーター・N・スターンズ)
 西洋文化では幸福への執着が強いが、これは比較的現代になってからの傾向である。西洋の価値観を遡ってみると、18世紀までは、現在とは異なり多少悲観的な人生観が好ましいとされ、表情もそれに相応していた。ある厳格なプロテスタントが述べたように「喜びや快楽を享受することなく、いくぶん悲哀を装い、禁欲に身を置く」者に、神は手を差し伸べたのである。
 それまで(※20世紀初頭まで)、幼年期と幸福を一緒に考えることは一般的ではなかった。ただし、昔の子どもたちがあまり幸福ではなかったという意味ではない。子どもは幸せでなければならないというわけではなく、実際大人になって(幼児期の幸福感を)ありありと思い出すことは稀であり、親の責任はいっさい問われなかった。
 「人は幸せを感じると笑う」というのは、人間の生来的な性質ではなく、実は近代の文化の産物である、という論文。18世紀の啓蒙思想によって、宗教観が大きく転換したことが1つの契機であったという(学者の中には、18世紀に歯科技術が発達して虫歯の治療が容易になったために、口を開けて笑うことに抵抗を感じなくなった、と指摘する人もいるらしい)。また、つい100年近く前までは、親は子どもの幸福に責任を持たなくてよいと考えられていたのも意外な事実である。ただ、これは西洋文化における幸福の歴史であるから、この”東洋版”がどのようなものなのかは興味があるな。
April 17, 2012

反証をぶつけて科学的研究の厳密さに迫るHBRのインタビュアーが秀逸―『幸福の戦略(DHBR2012年5月号)』

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些細な出来事の積み重ねが幸福感を左右する 幸福の心理学(ダニエル・ギルバート)
 毎日、些細なことが十数回起こる人は、本当に驚くほど素晴らしいことが1回だけ起こる人よりも幸せである可能性が高いのです。ですから、楽な靴に履き替えたり、奥さんに派手なキスをしたり、フライドポテトを1本こっそりつまみ食いしたりしてみてください。些細なことのように聞こえますし、実際に些細なことです。しかし、その些細なことが大事なのです。

 (中略)我々は、1つか2つの大きな出来事が深い影響を与えると想像しがちですが、幸福は無数の小さな出来事の総和のようなのです。
 ハーバード大学心理学部のダニエル・ギルバート教授に対するHBR誌のエディターのインタビュー記事。「些細な出来事の積み重ねが幸福感を左右する」という点は、先日紹介した論文「幸せな気持ちになると、何事もうまくいく PQ:ポジティブ思考の知能指数」(ショーン・エイカー)と共通である。それよりもこの記事は、インタビュアーの質問の切り口が素晴らしいと感じた。そのいくつかを紹介したいと思う。

―その(幸福という)尺度自体が主観的なのではありませんか。あなたにとっての5点が、私には6点ということもありうるのではないでしょうか。
 この問いに対してギルバート教授は、例えば100人のうち半数の人をインフルエンザウイルスに感染させ、正確な体温を測定できない粗悪な体温計で体温を測らせると、ウイルスに感染した人々の平均体温は、ほぼ確実にそれ以外の人々の平均体温よりも高くなると答えた上で、次のように述べている。
 実際よりも高い温度や低い温度を表示する体温計であったとしても、十分な人数を測ることによって、不正確さは相殺されます。測定器具の精度が低くても、多くのグループを測定すれば、比較は可能なのです。
 インタビュアーの質問の意図もよく解るし、教授の例も解りやすいと思った。ただ、だからと言って、例えば各国の幸福度を比較する際に、単に「あなたは幸福ですか?」という質問だけを投げかけて、その平均スコアを国別に比較すればよいかというと、そういうわけにもいかないだろう。というのも、幸福の意味は多義的であるし、国や地域、文化、民族などによって何にウェイトを置いているかが異なるからである。

 だから、実際の研究では、幸福を構成する要素(例えば仕事、収入、家庭環境、コミュニティ、地域行政、教育・医療サービス水準など)を特定し、それぞれの要素を人生においてどの程度重視しているのか?そして、各要素について現在どの程度幸福感を抱いているのか?を尋ねることになるはずである。これはちょうど、社員満足度調査で、社員満足度を構成する要素を分解し(例えば仕事の難易度、理念やビジョンへの共感度合い、上司・同僚との関係、評価への納得感、給与水準、職場へのアクセス、福利厚生など)、それぞれの重要度と満足度を質問するのと同じである。

―ベートーベンやゴッホ、ヘミングウェイなどの不幸な天才芸術家のことを考えると、ある程度の不幸が刺激となって優れた業績が導かれたのではないでしょうか。
 ある論点を明らかにする際に、逸話を用いる場合と、科学を用いる場合の違いを考えるなら、後者の場合、都合のよい話を選ぶだけでは済まされないことです。事例をすべて検討するか、少なくとも、そこから妥当な標本を抽出して、「不幸ながらも独創的な人は、幸福で独創的な人よりも多いか」「悲惨で独創的でない人は、幸福で独創的でない人よりも多いか」を確認しなければなりません。

 もし不幸が独創性を促すとすれば、幸せな人々よりも、悲惨な状況にある人々の間で、独創的な人の比率が高くなるでしょう。しかし現実にはそうはなりません。概して、幸福な人のほうがより独創的で生産的なのです。
 例外的な事例をめぐる問答。確かに、統計的な処理をして「例外は例外」と片付けてしまうのは一理あるし、その方が簡単ではある。しかし、個人的には例外には着目すべき価値があると思っている。なぜならば、例外は「ブラック・スワン」であるかもしれず、新しい法則をもたらす可能性を秘めているからだ(以前の記事「人間の理性の限界を徹底的に茶化してるな−『ブラック・スワン』」を参照)。

―多くのマネジャーは、充足している社員はあまり生産的ではないので、自分の仕事に少し居心地の悪さ、おそらくは多少の不安感を与え続けたほうがよいと言うでしょう。
 直感に頼るスタイルのマネジャーではなく、データを集めるマネジャーならば、そうは言わないでしょう。私が知る限り、気をもみ、おびえている社員のほうが独創的かつ生産的であることを示すデータはありません。(中略)適度に挑戦しがいがある時、すなわち困難ではあるが、手が届かなくもない目標を達成しようとしている時に、人は最も幸福であることがわかっています。
 昨日の記事「「幸福感」と「モチベーション」の違いがよく解らない印象を受けた―『幸福の戦略(DHBR2012年5月号)』」のように、幸福感とモチベーションを区別して考える立場からすると、インタビュアーがこの質問をした気持ちは非常によく解る。ただ、回答では幸福感とモチベーションが区別されていないようなので、どこか引っかかる感じが否めない。

 「困難ではあるが、手が届かなくもない目標」が、「モチベーション」を高めるという研究があるのは知っている。例えば、「目標設定理論」がそうであるし、ジェームズ・コリンズも、ビジョナリー・カンパニーは「BHAG(Big Hairy Audacious Goal:大胆で野心的な目標)」によって社員を動機づけると指摘している。だが、それが果たして同時に幸福感にもつながるのかどうかは、個人的にはあまりよく解らないところだ。
April 16, 2012

「幸福感」と「モチベーション」の違いがよく解らない印象を受けた―『幸福の戦略(DHBR2012年5月号)』

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 DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー2012年5月号の書評。定期購読を始めてかれこれ7年近くになるのだが、「幸福」をテーマにした特集は初めてじゃないかな??

社員のパフォーマンスを高める 幸福のマネジメント(グレッチェン・スプレイツァー、クリスティーン・ポラス)
 我々が安定的に高業績を上げている組織の秘訣について調査したところ、「幸福感を抱く社員は、そうでない人と比べて長期にわたって高いパフォーマンスを上げる」ということが明らかとなった。欠勤が少なく、離職率が低く、求められた以上の働きをし、自分たちと同様に意欲の高い人材を引き寄せるのだ。しかも、短距離走よりもマラソン向きだといえ、すぐに息切れするようなことがない。
 この論文に限らず、今月号の特集に共通して言えることだけれども、「幸福感」と「モチベーション」、さらには「社員満足度」との違いがいまいちよく解らなかった。引用文の「幸福感を抱く社員」の部分を、「モチベーションが高い社員」とか、「社員満足度が高い社員」に置き換えても文章として十分成立するし、実際そのような結果を示す研究もある。

 社員の幸福感をマネジメントの新しい課題に据えるのであれば、類似概念であるモチベーションや社員満足度との関係をもう少し厳密に整理する必要があると思う。少なくとも幸福感、社員満足度とモチベーションの間には大きな違いがある。それは、幸福感や社員満足度がもっぱら「現在から過去を振り返ってどう感じるか?」を測定している点で”過去志向”であるのに対し、モチベーションは「次の仕事に対するやる気があるか否か?」を問うている点で”未来志向”であるということである。

 したがって、幸福や満足は感じていないけれどもモチベーションは高いケース(例:職場での現在の処遇は不満だが、もっといい待遇が受けられるように、今の仕事で高い成果を上げて上司に認めてもらおうとする)もあるし、逆に現状で十分な幸福や満足を覚えてしまったがためにモチベーションが湧かないというケース(例:何年にも渡る困難なプロジェクトをやり切った充足感で今は一杯だから、しばらくは楽な仕事を続けたい)も考え得る。

 とはいえ、3つの概念には重なる部分があり、「今日も幸福で満足な一日だったから、明日からまた頑張ろうという気持ちになる」ことも事実である。よって、3つの概念の関係を整理した上で、幸福感や満足感とモチベーションを連続させるにはどうすればよいのか?逆に、どういう状況で人は、幸福感や満足感とモチベーションの連続性が切れてしまうのか?を問うことが重要になるように思える。

 幸福感と社員満足度も、似ているようで微妙に異なる概念である。社員満足度は職場に限定されている一方で、幸福感は人生そのものに対する包括的な満足度を指している。だから、厳密にタイプ分けをすれば、幸福ではあるが社員満足度は低い社員(例:もともとプライベート重視志向が強く、現在の私生活は充実している反面、職場には不満がある社員)や、幸福感は低いが社員満足度は高い社員(例:プライベートで問題を抱えており、その問題から逃れるように仕事に没頭する社員)にグルーピングされる人も出てくるはずだ。

 一般的に、「幸福感が高い社員はパフォーマンスが高い」、「社員満足度が高い社員はパフォーマンスが高い」とされるが、こういういわば”ねじれた”幸福感や満足感を抱えている社員のパフォーマンスは、果たしてどういうものになるのだろうか?そして結局のところ、企業は幸福感と社員満足度のどちらを重視すればよいのだろうか?(仮に幸福感の方を重視すべきだという見解に立つならば、企業は社員のプライベートにも一定の責任を有することになるわけだが、それは果たして妥当かつ可能なのであろうか?)
 放っておいても順調に歩み続ける人材ばかりなら、どれほどよいだろう。しかし、仕事への熱意を引き出し続ける方法はいくつもある。我々の調査からは、そのための環境づくりには、(1)判断の裁量を与える、(2)(業績や重要な意思決定に関する)情報を共有する、(3)ぞんざいな扱いを極力なくす、(4)成果についてフィードバックを行う、という4つの方法が有効であることが明らかになった。
 この論文では、社員の幸福度を高めるための4つの方法が提案されている。ただ、引用文に「仕事への『熱意』を引き出し続ける方法」とあるように、これらの方法は幸福感を高める方法というよりも、モチベーションを高める方法のような気がする。以前の記事「《メモ書き》モチベーションと業績の関係モデル―『熱狂する社員』より」で、モチベーションを規定する要素は公平感、達成感、連帯感の3つであると書いた。これに従うと、引用文の(1)は達成感、(2)(4)は公平感、(3)は連帯感と公平感につながると考えられる。もちろん、幸福感を高める方法と、モチベーションを高める方法には共通項も多いだろう。しかし、この論文を読む限り、幸福感とモチベーションがごちゃ混ぜにされてしまっている印象が否めない。

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幸せな気持ちになると、何事もうまくいく PQ:ポジティブ思考の知能指数(ショーン・エイカー)
 パフォーマンスを向上させる要因として誤解されている最たるものが、おそらく「幸福」であろう。その誤解の1つは、ほとんどの人が「成功すると幸福になれる」と信じていることである。たとえば「昇進すれば、幸福な気持ちになる」とか、「営業目標を達成できれば最高である」と考える。

 しかし、成功はたえず変化していく。ある目標を達成したとたん、さらに高い目標が生まれる。成功によって生まれる幸福感はうたかたにすぎない。実際には、「まず成功ありき」ではない。ポジティブ思考を養ってきた人は、困難に直面したときこそ、通常以上の結果を出す。これを、私は「幸福優位」(happiness advantage)と呼んでいるが、脳が活性化している時には、ビジネス関連の成果がもれなく改善されることが示されている。
 論文の著者によれば、「幸福優位」とは「幸福を感じていると成功確率が高まる」ことである。しかも、幸福を感じるのに大げさな出来事は必要ではなく、「1日1回前向きな行動を3週間続けると、その影響がずっと続く」のだという。ここで問題になるのはやはり、幸福優位の原則に従っている社員の高い幸福感をモチベーションに転換するためには、企業はどうすればよいのか?反対に、企業はどのようなことをすると、幸福優位の原則に従っている社員のモチベーションをくじいてしまうのか?(=つまり、成功確率を下げてしまうのか?)ということではないだろうか?
April 12, 2012

「イノベーションのジレンマ」の誤解(?)が見られるので、その点だけ補足―『日経情報ストラテジー(2012年5月号)』

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日経情報ストラテジー 2012年 05月号 [雑誌]日経情報ストラテジー 2012年 05月号 [雑誌]
日経情報ストラテジー

日経BP社 2012-03-29

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 今月号の『日経情報ストラテジー』に関しては、あんまり書くことがないな・・・。本号で紹介されていた事例を基に、昔の記事にちょこっと加筆したぐらい。

 部門のミッションに合ったKPIを設定しよう

 あと、特集名が「”オリンパス化”を防げ」となっているものの、記事の内容は「トップの戦略と現場の業務の整合性をどのように取るのか?」が中心であり、オリンパスのような内部統制に関わる話ではない。取締役会は会社法の規定に従って内部統制システムの整備義務を負うわけだが、私の友人の弁護士に言わせると、「当の取締役会のメンバーが腐敗している場合は、いくら内部統制システムがしっかりしていても、不正の防ぎようがない」らしい。

 一部の余計なことをしてくれる企業のせいで、「じゃあ、内部統制をもっと厳しくしましょう」、「大企業は、新しいルールに従って、従来の内部統制システムを見直してください」、「ITベンダーも、頑張ってシステムを再構築してください」みたいな流れになると、社会的コストばかりが膨れ上がって誰も得しないと危惧したけれども(ITベンダーは多少なりとも得するかもしれないが・・・)、今のところそういう動きにはなっていないようで一安心である。

 今月号の記事で1点、冒頭のシャープ・片山幹雄会長(4月に社長から会長へ就任)へのインタビューで引っかかる部分があったので、そこだけ言及しておこうと思う。
 知らない方も多いのですが、当社は複写機事業も持っています。中国では高い実績を誇るなど欠かせない事業です。先ほどBIG PAD(※タッチパネル式のホワイトボード)の話で「紙を無くして生産性を高める」と言いましたが、同じ社内にはコピー機を推進している部隊もいる。つまりジレンマを抱えている。

 産業研究として有名な(成功体験を持つ企業ほど次の革新を起こしにくくなる)「イノベーションのジレンマ」が日常的に起きているわけです。しかし考えようです。ジレンマに陥らないように「テレビ事業だけではいけない」という声が社内で高まってくるのです。多様な事業を1つの社内に持つからこそ、多角的な視点で議論して、次の市場を見据えることができます。
 この記述には、クレイトン・クリステンセンンの「イノベーションのジレンマ」に対する若干の誤解が感じられる。イノベーションのジレンマとは、企業(特に大手企業)が技術的なイノベーションによって、要求水準の高いハイエンド市場のニーズを満たす高付加価値製品を作っているにもかかわらず、ある日突然、技術水準はあまり高くないが、その代りに利便性の高いローエンド市場向け製品が破竹の勢いで市場を”駆け上がり”、ハイエンド市場までをも取り込んでしまうことを指していたように思う。

 つまり、既存の大手企業からすれば、「ハイエンド市場に存在する重要顧客のニーズに耳を傾ける」というマネジメントの定石を踏んでイノベーション(クリステンセンの言葉では、持続的イノベーション)に励んでいるのに、技術的には劣位の製品による破壊的イノベーションが、自社のビジネスをズタボロにしてしまうから、「イノベーションのジレンマ」と呼ばれるわけである。クリステンセンの『イノベーションのジレンマ』には、
 簡単にいうと、優良企業が成功するのは、顧客の声に鋭敏に耳を傾け、顧客の次代の要望に応えるよう積極的に技術、製品、生産設備に投資するためだ。しかし、逆説的だが、その後優良企業が失敗するのも同じ理由からだ。顧客の声に鋭敏に耳を傾け、顧客の次代の要望に応えるように積極的に技術、製品、生産設備に投資するからなのだ。ここにイノベーターのジレンマの一端がある。
という記述がある。インタビュー記事にあるような、「成功体験を持つ企業ほど次の革新を起こしにくくなる」という説明は、「イノベーションのジレンマ」の補足としては不十分だし、ましてやシャープが一方で紙を必要とする複写機事業を展開し、他方で紙を不要にするBIG PADを販売しているという、一見矛盾する事業を持っていることをジレンマと呼ぶわけではない(中国で販売している複写機が、日本国内のものよりも技術的には劣るが利便性が高く、国内市場の複写機に取って代わる可能性があるというのなら話は別だが)。

イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき (Harvard business school press)イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき (Harvard business school press)
クレイトン・クリステンセン 玉田 俊平太

翔泳社 2001-07

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 シャープは「イノベーションのジレンマ」を意識しているようで、実は自ら破壊的イノベーションを呼び込むようなことをしでかしているような気がしてならない。それが次の記述である。
 32インチとか40インチのテレビは儲からなくなってきている。ただ60とか70インチはまた別の状況があります。米国では家庭の大型テレビでスポート(※原文ママ)やドラマを観るのが好きという方が多い。だから大型液晶テレビが売れています。特に40インチから70インチなどに買い替えるお客さんも多い。大型というジャンルを絞ってみれば商機はあるのです。
 日本の液晶テレビは韓国・台湾メーカーの価格攻勢でボロボロになっている中、シャープはアメリカで大型テレビという残された一部の市場に望みをかけているようだ。しかし、『イノベーションのジレンマ』を読んだ方ならお解りのように、ハイエンド市場に主戦場を移すことは、それだけローエンド市場が大きくなるということであり、破壊的イノベーションの呼び水になる。

 韓国・台湾メーカーが日本製よりも低価格の液晶テレビで攻勢をかけてくるというシナリオもさることながら、液晶テレビよりも技術的には劣るものの、利便性は高く、しかも液晶テレビより格段に低価格という製品が仮に出てきたとしたら、シャープなどは一発でやられてしまうかもしれない(そういう意味で、8,800円というアップルTVが今後どういう展開を見せるのかは非常に興味深い)。
April 01, 2012

「課題の洗い出しが上手」という社風は、実は「ビジョン欠如」の裏返し―『衰退産業・崖っぷち会社の起死回生』

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衰退産業・崖っぷち会社の起死回生衰退産業・崖っぷち会社の起死回生
遠藤 咲子

日本経済新聞出版社 2010-06-25

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 風土改革コンサルティングで有名なスコラ・コンサルト社の本。「コンクリート製電柱」の一貫供給をメイン事業とするメーカー(M社)が、市場の成熟化に伴う業績不振から(電柱は耐久年数が40年以上と長いことから、一旦設置されれば需要は頭打ちになる運命にある)、風土改革を通じて業績回復へ到った道筋が物語仕立てで書かれている。

 本書を読んで、面白かった点と引っかかった点を1つずつ挙げたいと思う。面白かったのは、この会社は「課題を拾い上げるのは得意」という、一見よさそうな組織風土を持っているのだが、逆にそれが「ビジョンのなさ」を表しているという指摘である。
 M社は、「課題を拾い上げるのは得意」という社風があったが、これもビジョンのなさに起因していると考えられた。経営課題をいくら網羅していっても、ビジョンがないと、どの課題から手をつけるべきかの優先順位が定まらず、結局、課題は放置されてしまう。大切なのは、ビジョンに向かって課題を1つひとつ達成していくことであって、課題を数え上げることではないのだ。
 こういう状態が続くと、課題が未解決に終わっても、(それが発覚した直後の会議などでは現場が役員から怒鳴りつけられたりするのだろうが、)大したお咎めもなく、すぐに忘れ去られてしまうに違いない。そうすると、現場には「やってもムダ」という空気が、上層部には「言ってもムダ」という空気が漂い始める。現場と経営陣の間には深い溝が生じ、経営陣からの「やれ」という命令に対して、現場は建前上「ハイ」と答えるものの実際にはやらないという、本書の言葉を使えば「面従腹背の二重構造」ができ上がるのである。

 このくだりを読みながら、ある戦略コンサルタントから聞いた話を思い出した。その方は、いろんな業界で戦略策定のコンサルティングに携わった経験があり、本書でも登場するような「経営陣の合宿」も何度となく経験している実力派である。こういう合宿では、コンサルタントは百戦錬磨の役員たちの議論をファシリテートしなければならず、非常にタフで高度な能力が要求されるのだが、この方が一度だけ、ファシリテーションができずに半ば放棄してしまったことがあるというのだ。

 要は、「あれがやりたい」、「それをやるならこっちが先だ」、「今はこれができていない」、「そういえばあれもできていない」といった具合に、役員たちの発言が脈絡なくあちこちに脱線するので、その方の力をもってしても、論理的にまとめ上げることができなかったというわけである。今思えば、この方が担当していたクライアントにも、おそらくビジョンがなかったのであろう。

 参考までに、ビジョンの必要性などについて書いた最近の記事を載せておく。
 戦略による競争優位からビジョンによる競争優位へ?―『「チェンジ・ザ・ワールド」の経営論(DHBR2012年3月号)』
 競争優位が戦略からビジョンへ移行しつつあることの再発見―『絆の経営(DHBR2012年4月号)』

 もう一方の引っかかった点に話を移したい。M社はこういう状況だったので、果たして経営陣の合宿によってM社のビジョンを策定することとなった。その合宿で作成された草案に、その後社員からなるチームが自分たちの思いを乗せて完成した理念とビジョンが以下の通りである。
経営理念
 (1)コンクリート製品の製造、設置、保守、回収、再利用までそのライフサイクルに責任を持つ。
 (2)すべての工程で品質をつくり込み、人と環境を守り続ける信頼と安心を社会に提供する。
 (3)すべての社員が経営に参画し、対話を通じて情報を共有し、会社の継続的な発展に努める。

経営ビジョン
 (1)メーカーとして、常に新たな付加価値を生み出すことで業界をリードする。
 (2)「2020年・売上高100億円」を達成する。
 (3)継続的に改革を進め、成長し続ける会社になる。
 個人的には、ビジョンを構成する要素は、その企業がなぜ存在するのか、なぜ存在するべきなのかという「目的」、その目的を達成するために社員が守るべき行動規範である「価値観」、目的に向かい価値観に従って仕事を続けた結果、社員を含む各種ステークホルダーはどのような状態になっているかを描写した「未来イメージ」の3つだと考えている。これに従うと、経営理念の(1)と(2)の後半部が「目的」であり、経営理念の(2)の前半部と(3)、および経営ビジョンの(1)と(3)が「価値観」、経営ビジョンの(2)が「未来イメージ」に該当するように思える。

 これはあくまでも整理の軸の話であって、私が引っかかったのはこの箇所ではない。経営陣の合宿では、それぞれの役員に経営課題が1つずつ与えられ、解決の責任を負うことになった。これ自体は何の問題もないのだが、割り振られた課題の内容がどうも引っかかるのである。

 本書の内容に従えば、役員が受け持った経営課題というのは、「ストックヤードの改革」、「パイル事業(メインのコンクリート製電柱事業に次ぐ2つ目の事業の柱)の黒字化」、「チョコ停の根本的解消」、「人員の適正配置」、「技術継承」、「間接部門の業務改善」、「(コスト削減のための)本社移転」のようである。ここで問うべきは、これらの課題と、先ほどの経営理念や経営ビジョンとの整合性が取れているかどうか?である。私の印象だと、理念やビジョンは作ったけれども、それはさておき結局は、それぞれの役員が1番関心のある課題に終始しているようである。

 M社は、地域の電力会社が共同出資して設立した会社で、創業以来、親会社依存が非常に強い企業であった。しかし、冒頭で述べたように、コンクリート製電柱の需要は一巡しており、これ以上の市場の拡大はない。コンクリート製電柱に変わる新しい付加価値製品を生み出し続けなければ、売上高の成長も、脱親会社依存も望めない状況であった。先ほどの経営ビジョンには、まさにその危機感が現れている。ところが、「新製品の開発」や、「新規顧客の開拓」に責任を持つ役員がいないのである。これがどうしても引っかかる。

 M社は確かに、台風によって破損した電柱の徹底分析を活かして、鉄以上の強度を持つコンクリートポールの開発に成功したり、今までは受注してこなかった小ロット・特注品も製造するようになったりと、新しい挑戦を続けているようだ。だが、それらに続く新しい製品が出てこないのが現在の課題であると、本書の最後の方で述べられている。私からすると、その課題に責任を持つ役員がいないのだから、現場の活動もうやむやになるのは当然ではないか?という感じである。もう少し厳しい言い方をすれば、こんな解りやすい欠陥を、スコラのコンサルタントたちは、なぜ経営陣の合宿の最中に指摘しなかったのか?ということである。
March 27, 2012

《メモ書き》野球を見る視点が広がった気がする―『理想の野球』

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理想の野球 (PHP新書)理想の野球 (PHP新書)
野村 克也

PHP研究所 2012-03-15

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 ノムさんの新書。ヤクルトの宮本慎也選手など多くのプロ野球選手も読んでいるという「サンケイスポーツ」の試合評論、「ノムラの考え」を書籍化したもの。落合氏の『采配』は非常に興味深いチームマネジメントの本だったが、ノムさんの本は野球の試合運びに深く切り込んだものであり、その視点はどのページを読んでも実に面白い。今年はこれまで以上に野球を楽しく観られそうな気がする。今日の記事では、この本のエッセンスを列挙してみたいと思う。以下、(※)は私が追記した部分。

采配采配
落合博満

ダイヤモンド社 2011-11-17

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 「落合嫌い」のミドルマネジャーでも1度は読んでほしい1冊―『采配』
 高木・権藤の70代コンビは、きっと”第2次落合長期政権”の布石―『采配』

<球種別の特徴>
・投球は稼ぐ、誘う、見せる、捨てる、勝負するで組み立てられるが、直球は「誘う」「見せる」だけ
・内角直球は原則的には打者の壁を崩すための「見せ球」であって、カウントを「稼ぐ球」ではない
・内角の直球にストライクはいらない
・鉢巻きのスライダー(=外角のボールゾーンからホームベースに食い込んでくるスライダー)は(最近の捕手が好んで使うが、)高等技術である。内角へ投げるなら、打者の体が目印になる。ところが外角には目印がない。外へ外れれば完全なボール。内に入れば真ん中への絶好球。緊張した場面では、まるで綱渡りのような球種なのである
・”困ったときのフォーク”などありえない。落ちなければ半速球となり、打者のえじきになる
・私は「困ったときの原点(=外角低めの直球)」と教えている。それは「外角低めの直球が投手の生命線である」ということと同時に、「投球(配球)の基本に立ち返れ」という意味でもある
・配球の基本には(1)緩急(2)高低(3)横のゆさぶりがあるが、直球、スライダー、チェンジアップだけなら(1)と(2)があっても極端ではない。しかし、カーブは(1)と(2)の幅を広げる

<カウント別の打者の攻め方>
・ボールカウントは、初球(0-0)から、フルカウント(3-2)まで12種類ある。1球ごとに、投手と打者の心理は目まぐるしく変化する
・投球は稼ぐ、誘う、見せる、捨てる、勝負するで組み立てられる
・カウント0-0は、ずばり「投手不利」である。サインを出す捕手には、球種、コースを選択するための根拠となる判断材料がない
・カウント1-1は、投手有利。打者は追い込まれていない分フルスイングできるが、その半面で追い込まれたくないと100%打ち気になりがちだ。その結果、強引に振っていって凡打ゾーンにも手を出してしまうことが多い
・安打が即敗戦につながる緊張の場面での1-1は、「1-2と追い込んだつもりで勝負に行く」のが大原則
・強打者相手にはストライクを2球で稼げ
・「(0-2と)追い込んだらひとつ外せ」。これは日本野球の悪癖ともいえる。V9時代の巨人に「0-2から打たれたら罰金」という制度ができて、「とりあえず外す」習慣ができたのだと記憶している
・「ホームラン即サヨナラ」の場面で4番打者。カウント1-0とはいえ、0-2、1-2に追い込んだつもりで投げろという。何球かかってもいいから、内角高めの「捨て球」や、ゴロゾーンの低めに変化球などの「誘い球」を駆使して打ち取りにいくべきだ(※つまり、「稼ぎ球」はいらない)
・2-2は投手、打者が「五分五分」のカウント。だが投手は3ボールになっていない分だけ、思い切って勝負してくる。
・3-1も3-2も一緒だ。ならば”待て”
・フルカウントには野球の醍醐味が詰まっている。スタンドは固唾を飲んで見守っている。投手の能力、捕手の配球が問われる。なにより重要なのは、投手の「勝負心」
・どんな強打者でも討ち取れる確率が高いのは、「インハイ×アウトロー」のコンビネーションを中心とした配球
・ピンチでは4球、5球かけて打者を料理しなければならない。私はよく、「ひとつのストライクを取るのに2球費やせ」と指導した。つまり「ワンストライク、ワンボール」のペアを積み重ねていくのだ

<打者の心理と心構え>
・技術には限界がある。プロの勝負は技術の先にあるものである。相手の持つ変化球にA型でついていけないのであれば、Aだけでなく、B、C、Dを使い分けなければならない(※ノムさんの打者のタイプ分けはこちらを参照)
・(直球には)常に「二段構え」で備える必要がある。「ストライクの直球だけ」「直球を上から叩く」「直球をバッドのヘッドを立てて叩く」、など、もうひとつの注意事項を加えて備える
・「状況バッティング」とは何か。結局、その打席で自分に課された「使命を果たす」ことだ
・9つの打順には異なる役割がある、最も難しいのは「2番」である。2番打者に必要なのは「功は人に譲れ」の精神である
・打者は、意識を置いていた球と反対のコースで追い込まれると、次の球の気配が見えなくなる
・打者には、詰まらされると(それがたとえ安打になっていても)その詰まらされた球を強く意識する習性がある
・追い込まれるまではボールになったものと同じ変化球を狙いづらい(※2008年の日本シリーズでの西武・細川捕手[現ソフトバンク]はこの点をよく理解しており、巨人の強打者を押さえた)
・(打者の)タイミングの基本はバスターにあり。バントの構えからバットを引いて打って出ると、「イチ、ニ、サン」のリズムの「ニ」が「ニィー」と長くなる。バットを一度引くことで、ボールも手元まで引きつけられる
・ただひとつだけ、イチローが語った全打者に共通する心理がある。「バットのグリップを、いかに捕手に近づけたまま我慢できるかです」(あるテレビのインタビューでのイチローの言葉)
・私が考えるカーブの攻略法は、ただひとつ、「捨てる」だけだ
・強打者、中心打者は、内角直球を捨て球に使われると「ああ見せ球だ。もうオレに真っすぐはこないな」と変化球の気配を察知する。これは私が「強打者の特権」と名付けている(※逆に、ここで裏をかかれて外角直球が来ると手が出ない。ただし、A型を変えないバッター[中日・森野がその例]は、基本は直球のタイミングで変化球にも対応しようとするので、直球と変化球の球速差が小さいと打てることもある)
・(※内野のポップフライが続く阪神・金本について、)打者の老化現象は、内角直球に詰まることから始まる

<日本人打者と外国人打者の基本的な違い>
・日本人打者が追い込まれるまではヤマを張ったとしても、ツーストライクを取られると、見逃し三振を避けようとするためにA型で対応する
・外国人打者は、追い込まれると相手のウイニングショットに意識を置いて待つ傾向が強い
・長距離砲の外国人打者は、追い込まれるまでは直球1本のスイングをしてくる傾向が強い

<捕手の役割>
・捕手の打者分析の基本は、「選球眼がいいか」「変化球への対応はどうか」の2点
・バッテリーとは?私はこう質問されると、必ずこう答えてきた。「投手は”打てるものなら打ってみろ”というプラス思考の人種。捕手は”打たれてはいけない”というマイナス思考の人種。つまりプラスとマイナスがコンビを組む、だからバッテリー(電池)と呼ばれるんです」

<監督の役割>
・野球の試合は、前夜からの「想像野球」で始まる。頭の中で試合展開を決めることが、具体的な作戦選択の判断基準になる
・ツーアウトからの得点には、監督は参加できない。二死では、盗塁、エンドラン、スクイズなどのサインを出すことはできない。つまり、得点できるかどうか、完全に「選手任せ」にせざるをえない
・ツーアウトからの得点には、サインは出せない。こうした場面で選手が中堅方向への打撃を徹底できる土台になるのは、キャンプから積み上げてきた「指示」や「教育」だろう。それこそが監督、コーチの存在意義
March 24, 2012

ルーズリーフでメモを取る上司に不信を抱くグルジア人部下の話、他―『絆の経営(DHBR2012年4月号)』

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Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2012年 04月号 [雑誌]Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2012年 04月号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2012-03-10

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 DHBR2012年4月号のレビュー最終回。1週間、この雑誌だけで引っ張ってしまいました(苦笑)。

「スティーブ・ジョブズ」はいらない イノベーション・カタリスト(ロジャー・L・マーティン)
 インテュイットでは、<パワーポイント>のプレゼンテーションに基づいて意思決定を下していた。そこで管理職たちは、(みずからが考えるところの)優れた製品を開発するだけでなく、上司にコンセプトを売り込むために優れたプレゼンテーション・スキルを身につける必要があった。同社では、このようなシステムの下、アイデアの良し悪しは管理職たちが判断し、これを顧客に販売していた。

 それゆえ、D4D(※「Design for Delight:顧客を感動させるデザイン」と呼ばれる同社のプログラム)の重要な役割の1つが、管理職たちの間に見られるプレゼンテーション重視の傾向を転換させることであった。(経営陣の)ハンソンとクックは、実験を通じてみずから顧客に学ぶほうがよほど効果的であると考えていた。
 アメリカのIT企業であるインテュイット社(※ちなみに、中堅・中小企業向けの会計ソフトで有名な弥生株式会社は、この会社からMBOして独立した企業である)がどのように新製品開発の方法を転換したか?を紹介した論文。一言で言ってしまえば、企画書ベースから実験ベースに移行したということに尽きる。同社では以下の3つのプログラムによって、”顧客密着型”の製品開発を実現している。
(1)ペインストーム(問題の発見)
 顧客の望むところを社内であれこれ想像するのではなく、実顧客の職場や自宅に出向き、直接話を聞き、その行動を観察する。そして、顧客の抱える「ペイン・ポイント」(悩みの種)を見出す。

(2)ソル・ジャム(問題の解決)
 あぶり出されたペイン・ポイントに対処するために、製品やサービスのソリューションのためのコンセプトを思いつく限り並べ上げ、取捨選択した上で、プロトタイピングやテストに備えてリスト化する。プロトタイピングの初期段階では、これら潜在価値の高いソリューションがインテュイットのソフトウエア開発プロセスに組み込まれた。

(3)コード・ジャム(ソース・コードの作成)
 ソル・ジャムから2週間以内に、完璧でなくともよいから顧客に渡せるようなソース・コードを書く。これにより、ペインストリームに始まり新製品に関する最初のユーザー・フィードバックに至るまで、通常4週間で足りることになる。
 個人的には、3つの取り組みはそれほど目新しいものではないという感じだった。顧客の行動を観察しながら潜在ニーズを発掘し、それを新製品へとつなげていく手法は「エスノグラフィー・マーケティング」と呼ばれており、このブログでも何度か取り上げてきた。

 顧客のことは顧客でも解らないことがある−『マーケティングこそすべて(DHBR2010年10月号)』
 P&Gが顧客(=ボス)との距離を極限まで縮めるためにやっていること―『ゲームの変革者』
 今月号はインド企業の事例がいっぱい―『ビジネスモデル 構想と決断(DHBR2011年8月号)』

 なお、論文のタイトルに「イノベーション・カタリスト」とあるものの、インテュイット社の事例は、既存の製品を改善して、既存市場におけるシェアや収益を上げていく「マーケティング」を指しているのか、顧客価値をドラスティックに再定義して、新市場や新しいビジネスモデルを創出する「イノベーション」を指しているのか判然としない。イノベーションに関しては、前述のリンクと以下のリンクで触れているように、P&Gの仕組みの方がはるかに進んでいると感じる。

 柔らかいアイデアの段階で予算をつける勇気がイノベーションのカギ―『ゲームの変革者』
 イノベーションを既存事業部門から敢えて切り離さないP&G―『ゲームの変革者』
 P&Gは”イノベーションは結果が出ればOK”という柔な評価で済まさない―『ゲームの変革者』

 P&Gの仕組みで一番すごいと思ったのは、「柔らかいアイデア創成の段階でも予算がつく」という点である。通常の企業では、アイデアを生み出す段階で予算がつくなどというのは、最初から一定の予算が確保されているR&D部門を除けば、ほとんどないだろう(R&D部門と言えども、新製品につながりやすい応用研究から優先的に予算が割り当てられ、基礎研究は後回しにされることが多いと聞く)。アイデアは社員が空き時間をうまくやりくりしてまとめられ、社内の提案制度などを活用して上層部に上げられる。そして、上層部にアイデアが承認されて初めて予算がつくものだ。

 一例を挙げると、サイバーエージェントが新規事業の継続的な創出を目的として開催している「あした会議」は、まさにこうしたプロセスをたどる。新規事業の構想段階では、予算は出ない。役員、管理職、現場社員など多様なメンバーで構成される戦略立案チームは、忙しい業務時間の合間を縫って企画を考える。晴れて予算がつくのは、「あした会議」のプレゼンで経営陣のGOサインが出た企画のみである。

 ところが、今月号の巻頭コラムを読んでいたら、非常に興味深いくだりがあった。
 基礎研究に1000億円を投資する場合、大型プロジェクトに全額投資するのと、1000人に1万人ずつ配分するのとでは、どちらがイノベーションの創成に貢献するかという議論がある。この時、ノーベル賞を受賞した研究の多くが、後者のプロセスを経て成功したことが忘れられがちである。将来的な研究成果が不明という理由だけで、リスクを取らずに投資の可否を決めては、大きく開花するかもしれない千載一遇のイノベーションを摘み取ることになりかねない。
(安西祐一郎「科学技術の未来」)
 つまり、柔らかいアイデアの段階で、少額でもいいから予算をつけると、イノベーションの確率が上がるというのである。この意味でも、P&Gの仕組みは非常に高度化されていると改めて感じた。

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あなたのコラボレーション・スキルを診断する 部門横断的に巻き込み高業績を実現する力(ハーミニア・イバーラ、モルテン・T・ハンセン)

 多くの企業で部門横断的な取り組みが増えている現在、社員には高いコラボレーション・スキルが要求される。著者によると、コラボレーションに優れた人材は、(1)「コネクター」(※マルコム・グラッドウェルが『ティッピング・ポイント』の中で用いた言葉で、様々な社会と結びついている人々のこと)の役割を果たす、(2)様々な人材と関係を作る、(3)トップがコラボレーションの範を垂れる、(4)チームが泥沼の論争に陥らないために強力な影響力を発揮する、という4つの能力を持っているという。

 この4つのスキルは、「まぁ、そりゃそうだよな」という感じだし、論文をさらっと読むと、「顔が広い」つまり、部門や職位、職種、経験の枠を超えて、幅広く人々とリレーションを構築することがコラボレーションのカギであるかのような印象を受ける。しかし、よく読めば、2点ほど注意すべき点があると私は思った。1つ目の注意点は、次の引用文に出てくる。
 コネクターの重要性は、知り合いの数の多さによって説明することはできない。むしろ、普通ならば遭遇することのない人々やアイデア、資源などを結びつける能力にある。ビジネスの世界では、コネクターはコラボレーションに棹差す役割を果たす。(※太字は私がつけた)
 当たり前だけれども、重要なのは人脈の「数」ではなく「質」である。この点は、『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2012年2月号の論文「数だけが重要ではない ハイ・パフォーマーの人脈投資法」(ロブ・クロス、ロバート・トーマス)でも指摘されている(以前の記事「自分を鍛える人脈 自分をダメにする人脈―『自分を鍛える 人材を育てる(DHBR2012年2月号)』」を参照)。コラボレーションのポイントは、「いかに知り合いを増やすか?」という交友術めいたものではなく、「コラボレーションの目的を達成するために、どのようなタイプの人材と組む必要があるか?」を見極める眼である。

 これは単に、自分が知らない領域や、自分に足りない能力を補ってくれる人材を特定することにとどまらず、意見の偏りやリスクの過小評価を避けるために、コラボレーションに否定的な人を敢えて最初から入れることや、コラボレーションの結果として生まれた新しい施策が現場でスムーズに実行されるよう、現場の社員(特に、いわゆる「2:6:2の原則」で言うところの「6」に該当する”普通の社員”)を早い段階で巻き込むことなども含まれると私は考える。

 もう1つの注意点は、次の引用文に潜んでいる。
 チームの活気が失われないように、コラボレーション・リーダーは定期的に新しい人材を招き入れる。コラボレーションをより活性化させる具体的な方法として、Y世代(70年代中頃から2000年代初期の生まれで、オンラインで知識や意見を共有しながら成長してきた人たち)の社員を採用することが挙げられる。実際、リーダー企業の多くが、Y世代のアイデアや視点を活用する技術を活用している。(※同じく、太字は私がつけた)
 確か、GEがeビジネスへの参入を検討した際、当時のジャック・ウェルチCEOはITのことが全く解らなかったので、ITに詳しい20代社員を自分のメンターに指名して、メンターからITのことを学びながらeビジネスを構想したという話を聞いたことがある。チームに新しい視点を取り入れるためには、チームの新陳代謝を促すとよいとしばしば言われる。ところが、そのペースが速すぎると、メンバー間の信頼関係が十分に構築されず、アイデア創出云々かんぬん以前の問題として、日常業務において重大なミスを犯しやすくなると指摘する論者もいる。

 『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2009年9月号の論文「心理学の調査が教える チームワークの嘘」(J・リチャード・ハックマン)によると、アメリカ国家運輸安全委員会(NTSB:National Transportation Safety Board)のNTSBのデータベースに登録されている飛行機事故の73%が、乗務員たちが初顔合わせした日に発生しているそうだ(過去の記事「何でもコラボすりゃいいってもんじゃないんだよ(後半)−『信頼学(DHBR2009年9月号)』」を参照)。

 もっとも、ハックマンもチームメンバーの固定化をよしとしているわけではない。ハックマンが言及しているR&Dチームに関する研究によると、創造性と新しい視点を失わないために、新しい人材を投入することの有効性が示されているという。ただし、その投入ペースは「3〜4年ごとに1人という緩やかなペースである」という。先ほどの引用文で私が太字にしたように、新しい人材は「定期的に」投入しなければならない。このペースを見極めることも、コラボレーション・スキルの重要な一部をなしているように思える。

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現場の自発的関与を促す6つの原則 「依存し合う」経営(ハラランボス・A・ブラフチコス)

 著者が長年に渡り同族企業で経営に携わった経験や、その後のコンサルティングなどから得た、マネジャーが守るべき6つの教訓を紹介した論文。その6つとは、(1)謙虚になる、(2)真摯に耳を傾け、それを部下に知らせる、(3)反対意見を歓迎する、(4)議題の数を絞る、(5)すべて自分で答えを出そうとしない、(6)自分で意思決定することに固執しない、である。著者自身も認めているように、「私が示す教訓は、理論的にはありふれているかもしれない」。ところが、著者が「真の価値は常に細部に宿るものである」と述べているように、よく読むと非常に興味深い箇所があったので、2つほど引用したいと思う。
 私はかつて、グルジアの製粉工場の再建に携わったことがある。私は現地のマネジャーたちを意思決定に巻き込もうと努めたが、彼らは私が提案した変革に抵抗を示していた。そこで、最も不満を持っていたマネジャーの1人と、話し合いの場を持った。自分の提案に私が耳を傾けようとしていないと、彼は主張した。

 「でも、私はすべての会議の細かなメモを取ってきました。あなたもご存知でしょう」と、私は告げた。「たしかにあなたが書き留めているのは見ましたが、ルーズリーフを使っていたので、後できっと捨ててしまうでしょう。私たちの意見を真剣に受け止めているなら、私が使っているような綴じノートを使うはずです」と、彼は答えた。
 この部下は、ノートの形式で「私の上司は本当に自分の話を聞いているのか?」を判断しているのが印象的であり、意外でもあった。「部下は自分が意識している以上に、自分のことを隅々までよく見ている」ことをマネジャーは知っておいた方がいいのかもしれない。

 もう1つは、共産圏の企業とビジネスをする際の教訓。文化的背景の違いを理解することの重要性を教えてくれる事例であった。
 私が以前、アメリカの大手配送会社から受けた依頼は、ベラルーシの現地スタッフからフィードバックがないという問題を解決することだった。同地域を担当していたフィンランド人マネジャーのペッカは、「どんなに働きかけても、反論はおろか提案すらしてくれません」と、こぼしていた。
 ペッカは、会議で現地スタッフを集めて意見を求めても、誰一人としてうんともすんとも言わないことに不満を感じていた。そこで著者が直接現地に赴き、現場のリーダー格とおぼしき社員と個別に話をしたところ、実に具体的な業務改善案を語ってくれたという。
 3世代も続いた独裁的な共産主義のせいで、だれもすすんで意見を言わなくなったこと、ましてや、上司に反論することなど、個人的に意見を求められない限りありえないことを、私はペッカに説明した。そこで、ペッカは個別に助言を求めることにした。数ヶ月もすると、部下が反対意見を述べるようになったという報告があった。
March 23, 2012

マネジメントの究極の目的はマネジャー職をなくすことかもしれない―『絆の経営(DHBR2012年4月号)』

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ダイヤモンド社 2012-03-10

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自主マネジメントを徹底する世界最大のトマト加工業者 マネジャーをつくらない会社(ゲイリー・ハメル)
 組織の拡大とともに、マネジャーにかかるコストは絶対額が増えるばかりか、コスト全体に占める比率も高まっていく。小さな組織であればマネジャー1人で平社員10人を管理できるかもしれない。この1対10という割合を保とうとするなら、平社員10万人の組織ではマネジャーの数は1万1111人になるだろう。マネジャーを管理監督するために1111人が余計に必要なのだ。(中略)仮にマネジャーの報酬が、最下層の社員の平均3倍だとするなら、支払い給与総額の33%がマネジャーに振り向けられている計算になる。どう考えても高コストである。
 「マネジメントは、組織で最も非効率な活動ではないだろうか」という過激な文章で始まるゲイリー・ハメルの論文。位置づけとしては、ハメルの近著『経営の未来』の延長線上にある内容である。

経営の未来経営の未来
ゲイリー ハメル

日本経済新聞出版社 2008-02-16

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 《『経営の未来』のレビュー記事》
 この本を読んで、前提が崩れたマネジメント手法を整理してみた−『経営の未来』
 企業経営に市場原理を入れてみよう!でもマネジャーの仕事はどうなる?−『経営の未来』
 マネジメント・イノベーションがもたらす「自由」と「責任」−『経営の未来』

 ハメルが『経営の未来』で提示した新しいマネジメントとは、伝統的な上意下達の階層組織を前提とせず、組織の階層を減らし、現場社員をもっと信頼して彼らに自由と責任を与え、組織の未来を左右する重要なアイデアや、組織の成長・発展を後押しする優れた能力を現場社員から引き出すマネジメントであった。ハメルはこうしたマネジメント観の移行を「マネジメント・イノベーション」と呼び、その先駆的な企業として、

 ・ホールフーズ(有機野菜などを販売し、ウォルマートの低価格路線とは逆の戦略を展開している小売業)
 ・W・L・ゴア&アソシエイト(アウトドア製品などに用いられる防水透湿性素材「ゴアテックス」などを製造する化学メーカー)
 ・グーグル

の3社を取り上げた。だが、ハメルが今回の論文で分析している「モーニング・スター社」(カリフォルニア州にある世界最大のトマト加工業者で、アメリカの年間加工量の25〜30%を取り扱っている)は、この3社の長所を全て兼ね備えた、まさにマネジメント・イノベーションの先頭を走る企業である。ハメルが同社の評判を聞いた時には、「一も二もなくカリフォルニア州サンホアキンバレーの工場を訪問させてもらうことにした」という気持ちも理解できる。同社のマネジメントには、具体的に以下の10の特徴がある。

(1)使命(ミッション)を上司の代わりにする
 同社では、社員は「誰からの指示も受けない」。代わりに「トマト関連の製品やサービスを提供して、品質や対応の面でお客様の期待に確実にお答えする」という同社の目標が、社員に仕事を命じている。社員は皆、この目標をどのように達成し、自分はどう貢献するのかをミッション・ステートメントに記入する義務を負う。

(2)社員同士で合意を形成させる
 上司がいないため、各自の役割や業務範囲は、社員同士の合意によって決定される。各社員は毎年、自分が仕事上極めて大きな影響を及ぼす同僚たちと相談しながら、合意書(CLOU: Colleague Letter of Understanding)を作成する。CLOUを作成するには、10人以上の同僚と、それぞれ20〜60分ほど話し合う。でき上がったCLOUでは、最大で30もの活動分野が規定され、成果の測定指標も設定される。

(3)全員に本当の意味での権限を与える
 権限とは、言い換えれば経営資源、すなわち人、モノ、カネ、情報、知識を自分の裁量で動かす権利のことである。ただ、モノはカネで買えるし、重要な情報や知識は人に紐付いていることが多いから、実質的には人とカネを動かす権利こそが権限と言える。しばしば、部下のモチベーションや能力を高めるために権限移譲が行われるものの、その多くが行き詰まるのは、上司が困難な仕事だけを部下にやらせて、実質的な権限は与えないからである。

 この点、モーニング・スター社では、本当の意味で権限委譲が行われている(もっとも、同社には初めから上司がいないので、権限が委譲されるわけではないのだが)。すなわち、全社員に購買と採用の権限があるのだ。仕事に使うツールや機器がほしければ、社員は自分で発注する。また、仕事を完遂するために新しい人材が必要になれば、自ら採用活動に乗り出すのである。

(4)社員を枠にはめない
 同社では、会社側が社員の役割を決めないので、社員自身が自分の責任で技能を伸ばしたり、困難な仕事の経験を積んだりする必要がある(論文中に「研修・育成責任者」が登場するので、研修部門は一応存在すると推測される)。ただし、高い技能や経験を有する社員には、より大きな責務を引き受ける機会がやってくる(論文には具体的に書かれていないものの、(2)で述べたCLOU作成プロセスの中で、技能や経験に応じて職務が調整されるものと思われる)。

 また、社員全員があらゆる分野の改善提案を出してよいことになっている。トップダウンで変革が進むことが多い他社に対し、同社では、変革は自分たちの責任で起こすものだと考えられている。

(5)昇進するためではなく、影響を及ぼすための競争を奨励する
 そもそも階層がないので、昇進という概念が同社にはない。とはいえ、このことは社内競争がないことを意味するわけでもない。社内の競争は、誰が日の当たるポストに就くかではなく、誰が最も大きく貢献するかに置かれている。この点についても、論文ではこれ以上詳しくかかれていないが、(4)で述べたのと同様に、CLOUを作成する段階で、同僚から高い評価を受けた社員が、より挑戦的かつ貢献的な仕事を優先的に引き受けることができるのであろう。そしてこの仕組みが、各社員のモチベーションの大きな源泉になっているとも思われる(同社の評価制度については、(9)(10)で後述)。

(6)明確な目標とガラス張りのデータ
 自主管理を実践するには情報が欠かせない。同社は、自分の仕事ぶりを把握して賢明な判断を下すのに必要な情報を、全て社員に与えようとしている。CLOUには必ずマイルストーンが細かく記され、それを拠り所にすれば、各自が同僚のニーズにどれだけ応えられているかを確認できる。加えて、事業部ごとの詳しい収支が月に2回、全社員に公表される。「同僚が責任を果たしているかどうかお互いに注意を払う」という意識が植えつけられている。これだけ透明性が高いと、愚行や怠慢はすぐに見つかる。

(7)計算と協議
 (3)で述べたように、社員は自分の裁量で社費を支出して構わないが、費用対効果を計算して、事業上の妥当性を示さなくてはならない。また、支出にあたり同僚と協議することも期待されている。購買に限らず、同社の社員はその裁量の大きさとは裏腹に、独断を下すことはまずない。誰かが何か新しい活動を進めようとする時には、同僚と協議するよう促される。そしてもちろん、アイデアを握りつぶす権限を持つ人もいない。

(8)対立の解消と適正手続き
 これまで見てきたように、同社は社員に大きな裁量を与え、社員同士の信頼関係に立脚したマネジメントシステムを採用している。しかし、それでも裁量の濫用、恒常的な成績不振、同僚との喧嘩などは発生する。商取引の当事者間で衝突が起きると、調停や裁判で決着をつける場合が多いが、同社でもこれと似たような仕組みを用いている。

(9)同僚による評価と異議の申し立て
 人事考課に関しては、年末には全社員が、CLOU上でつながりのある同僚からフィードバックを受ける。部門の業績評価に関しては、1月に全ての事業部が前年の業績の妥当性を説明することになっている。各事業部は、経営資源を適切に使っていることを説明し、至らない点については認め、改善プランを示す必要がある。

 2月に開かれる戦略会議では、各事業部が全社員を前に20分をかけて年間の事業計画を説明する。聞き手たちは、「これは有望そうだ」と思う戦略に仮想通貨を投じる。このバーチャル投資で十分な資金が集まらないと、社内からの厳しい視線を浴びる。

(10)互選制の報酬委員会
 各社員は年末になると、CLOUで掲げた目標やROI目標などの指標に照らしながら、業績の自己評価を作成する。次いで、互選によって地域ごとに報酬委員を決める。毎年、全社で合計8つほどの委員会が設置される。委員会は社員の自己評価を吟味し、そこから漏れた成果も追加する。そして、これらの情報を慎重に検討した上で、付加価値に見合うよう留意しながら、一人ひとりの報酬額を決める。

 ドラッカーは「マーケティングの究極の目的は、販売をなくすことである」と述べたが、この表現を少し変えれば、「マネジメントの究極の目的は、マネジャー職をなくすこと」なのかもしれない。事実、同社のクリス・ルーファー社長は、次のように述べている。
 「当社では全員がマネジャーなのです。石を投げればマネジャーに当たりますね。マネジメントには経営計画、業務の段取り、指示、人材の手配、管理・監督が含まれ、全従業員にこれらすべてを期待しています。だれもが自分の使命をマネジメントするわけですよ。同僚との取り決めや、仕事をこなすのに必要な経営資源についてもしかり。同僚に責任を果たさせるという意味でも、全員がマネジャー役を担っています」
 同社では、全社員がまさにドラッカーの言うところの「エグゼクティブ」ある。つまり、企業の業績に影響を与える意思決定を下し、その実行に責任を負う知識労働者の集まりなのである。
March 22, 2012

競争優位が戦略からビジョンへ移行しつつあることの再発見―『絆の経営(DHBR2012年4月号)』

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 (1つの論文のレビューだけで2本の記事を使うという贅沢ぶり。単にレビューが長いだけなのだが・・・)

組織の「接着剤」と「潤滑油」が生み出す 「集合的野心」の力(ダグラス・A・レディ、エミリー・トゥルーラブ)

 もう1つの面白い発見は、セフォラ(※LVMH傘下のコスメブランド)の事例から。LVMHは2003年に、問題を抱えていたセフォラの売却を検討したが、セフォラは新しく迎え入れたCEOの下で戦略を再構築した。新しい経営陣は典型的な市場調査も実施したものの、最終的に戦略の決定打となったのは、セフォラの創業者が築いた価値観であった。
 セフォラの場合、楽しいショッピング経験を提供することが目的ならば、他社とは異なるサービスの提供を戦略とすべきであると判断した。すなわち、いわゆる優れたサービスではなく、「自由」「感情的な絆」、そして「大胆さ」という、同社の価値観と一致するサービスである。
 よく、ビジョン、戦略、戦術、組織・・・を上から順番に並べた三角形の図が描かれて(例えば「理念・ビジョン・戦略・戦術|プログラマー社長のブログ」[ITmedia オルタナティブ・ブログ、2010年11月8日]など)、ビジョンと戦略の一貫性を取ることが重要だと言われるが、実際に戦略を策定する段階になると、ビジョンとの関連性が忘れられることがしばしばある。これは、外部環境と内部環境を客観的に分析して、そこから戦略オプションを生成し、経済的価値が最大のもの(=平たく言えば、一番儲かるもの)を選択する、というMBA的な戦略策定プロセスに起因するところが大きい。

 このプロセスに従うと、誰が分析しても結局は同じ戦略に行き着いてしまうというパラドクスが指摘されている(ヘンリー・ミンツバーグなどはその代表)。どの企業も競合他社との差別化を意図し、競合とは異なるコンサルファームの力を借りながら戦略を練ったのに、ふたを開けてみたらどこも大して変わらない戦略だった、というオチになる。

 こうしたパラドクスを回避する上で、ビジョン、その中でもとりわけ価値観が果たす役割は大きい。価値観は社員の行動を規定すると同時に、事業環境に対する社員の見方をも規定する。価値観は主観的であるがゆえに、価値観の違いが事業環境の異なる側面を浮き彫りにする。つまり、セフォラの例で言えば、「我が社が言う『自由』を求めている顧客とは具体的に誰か?」、「我が社が言う『感情的な絆』に最も敏感に反応する顧客はどこにいるか?」、「我が社が『大胆さ』という時、顧客は我が社に何を期待しているのか?」と問う時、セフォラは市場に対し、客観的な市場調査のみに頼る競合他社とは異なる見方をしていることになる。この視点の差が、他社とは異なる市場の機会を発見する可能性を秘めている。

 同じような問いを、セフォラは内部環境に対しても発することができる。すなわち、「我が社が言う『自由』、『感情的な絆』、『大胆さ』を実現するサービスとは何か?どのような場所に、どのようなレイアウトの店舗を構え、どんな製品を揃え、どのようなサービスを販売スタッフは提供し、どんなメッセージを企業として発信すべきか?」、「望ましいサービスを提供するのに必要な組織能力は備わっているか?欠けているものは何か?ギャップを埋めるためにどのような手を打つか?」という問いである。

 このような問いを通じてセフォラは、MBA的な戦略策定アプローチでは得られないような差別化戦略へと到達することが可能となるだろう。そういう意味で、以前「戦略による競争優位からビジョンによる競争優位へ?―『「チェンジ・ザ・ワールド」の経営論(DHBR2012年3月号)』」でも述べたように、競争優位の源泉が、戦略からビジョンへと移行しているように思えるのである(三角形の図に従えば、それが本来のあるべき姿なのだが)。

 ただし、ビジョンは主観的であるがゆえに、絶えざる「解釈」によって常にその意味を肉付けしていく必要がある(以前の記事「<布教>という時代は終わりました−『感じるマネジメント』」を参照)。セフォラの「自由」、「感情的な絆」、「大胆さ」という価値観は、字面だけを見れば至って普通である。そして、これは多くの企業のビジョンにも当てはまる。ビジョンの表現そのものは、得てして凡庸なものだ。ゆえに、その意味を十分に組織内で咀嚼しないまま、ビジョンとリンクした戦略を構想しようとしても、MBA的な戦略策定アプローチと同様に、何とも変わり映えのしない戦略に陥る危険性がある。

 ビジョンを社員の間で解釈し続ける活動は、非常にシンプルである。しかし、地道な努力の積み重ねを要する。ちょうど、長尾吉邦氏の『企業盛衰は「経営」で決まる―中小・中堅企業のための自立経営へのステップ』を読んでいたら、1つ興味深い事例があったので紹介したいと思う。

企業盛衰は「経営」で決まる―中小・中堅企業のための自立経営 へのステップ企業盛衰は「経営」で決まる―中小・中堅企業のための自立経営 へのステップ
長尾 吉邦

ダイヤモンド社 2009-04-17

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 千名の従業員を抱えるあるメーカーは、毎年1月に全社員(部課長を含む)にリポートの提出を義務づけている。テーマは「私が経営理念の実現で行動したこと、成果を上げたこと」。すなわち、毛鋭意理念を実現するために具体的にどうしたのか、どんな成果が上がったのか、そして、なぜそれをしようと思ったのか、などについてリポートさせているわけだ。そして、そのリポートを役員会で審議にかけるだけでなく、「優秀者委員会」を設けてそこでも審査している。(中略)

 大事なのはこの次のステップで、(優秀者委員会で)選ばれた5名は年度方針発表会で表彰されるだけでなく、1人当たり30分間、社員の前で発表しなければならない。社員に聞くと、発表のなかで一番印象に残るのはいつも「なぜ、それをしようと思ったのか(背景)」であると、口をそろえて言う。
 これは、社員が1,000人程度の中堅企業だからできるのだろうと思われるかもしれないが、大企業でも基本的にやり方は同じである。例えば、本体だけで6,000人以上の社員を擁する三井物産は、槍田松瑩前社長が「社長車座集会」という社員との対話の場を設け、社員と食事をしながら、経営の目指す方向や経営の問題意識を語り合う活動を世界中で続けていた(「IT 先進企業 : 三井物産 - 「業態変革」を旗印に社員の意識改革と経営効率化に邁進する」[Microsoftホームページ])。

 また、社員約3,000人のファミリーマートでは、毎年1回、「ファミリーマートらしさ」について考えるワークショップ「らしさDAY」が開催されている。本部や支店ごとに社員が集まり、それぞれの社員が考える理想の仕事像を共有し、製品やサービスに活かすことを目的としている。2009年からはフランチャイズ店のオーナーを対象とした「加盟店ワークショップ」も開催されているという(『日経情報ストラテジー』2012年3月号)。

日経 情報ストラテジー 2012年 03月号 [雑誌]日経 情報ストラテジー 2012年 03月号 [雑誌]
日経情報ストラテジー

日経BP社 2012-01-28

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 逆に、ビジョンが社員の腹に落ちていない企業はどうなってしまうのか?長尾氏の著書から、先ほどのメーカーとは対照的な企業の例を引用しておく。
 フルサービスのガソリンスタンドを営むK社は、毎年「洗車中心」の方針をうたっていた。ところが実際は、目標未達成の連続であった。その原因を探るべく、K社の幹部から末端社員に至るまでヒアリング調査を行ってみた。部長に「方針は?」と問うと、間髪を入れずに「洗車中心です」との答えが返ってきた。次にエリア長・店長に聞くと、やはり「洗車中心です」。社員に聞くと「洗車中心です」。そして、末端のアルバイトに聞いても「洗車中心です」。K社の方針は見事なまでに組織全体に浸透していた。

 ところが、アルバイトに対して「洗車中心という方針を実行するため、あなたは具体的に何をやっていますか?」と問いかけたところ、返ってきたのは「できるだけ気をつけています」というものでしかなかった。つまり、方針そのものは末端まで理解されているものの、行動にまでは移されていなかったのである。
 こういう企業では、ビジョンとリンクした独創的な戦略は期待できない(もっとも、それ以前の問題として、こういう状態では日々のオペレーション自体が機能しないのだが・・・だから、K社はずっと目標未達成が続いているのだろう)。
March 20, 2012

自社のビジョンに利害関係者も巻き込む「価値観連鎖(Values Chain)」の再発見―『絆の経営(DHBR2012年4月号)』

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ダイヤモンド社 2012-03-10

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 (DHBR2012年4月号のレビューの続き)

組織の「接着剤」と「潤滑油」が生み出す 「集合的野心」の力(ダグラス・A・レディ、エミリー・トゥルーラブ)
 集合的野心(collective ambition)とは、リーダーと社員が、みずからの存在理由について、そして、お互いに何を実現したいと考えているのか、その野心の達成に向けてどのように協力するのか、また、ブランドの約束と価値観をどのように整合させるのかについて、集約したものである。
 著者は、リーマンショックや欧州経済危機などの世界的な信用不安の中でも、高い業績を上げている企業には、「集合的野心」というモデルが存在しているという。本論文では、スタンダード・チャータード銀行(SCB)、フォーシーズンズ、フランスの化粧品小売りセフォラ、ダノンのアメリカ法人などの事例に触れながら、「集合的野心」のモデルが解説されている。

 「集合的野心」とは、(1)目的、(2)ビジョン、(3)目標とマイルストーン、(4)戦略上および業務上の優先事項、(5)ブランドの約束、(6)価値観、(7)リーダーの行動という7つの要素から成り立つ。(1)目的、(2)ビジョン、(6)価値観の3要素は、このブログでもたびたび述べているように、企業の「ビジョン」を構成する要素であるから((2)のビジョンは、論文をよく読むと「未来イメージ」とほぼ同じ)、私の解釈としては、「集合的野心」≒「ビジョン」である(以前の記事「ビジョンを構成する要素とは一体何なのだろうか?」を参照)。

 ただ、「集合的野心」は、(4)戦略上および業務上の優先事項と(5)ブランドの約束によって、ビジョンが戦略やマーケティングと紐付けられている点、(3)目標とマイルストーンがあることで、現場での実行プランとの整合性を意識している点、さらに(7)リーダーの行動によって、リーダー自身が率先垂範する決意を表明している点で、ビジョンをより具体化したものと言える。

 事例を読んでいくうちに、2つ面白いことに気づいたので、それについて書いてみたいと思う。1つ目はSCBの事例。SCBは、「長きに渡って営業を続け、その地域のお役に立つ」というブランドの約束を打ち出し、それを「ヒア・フォー・グッド("Here for good")」というフレーズで表現した。しかも、「集合的野心」を自社の社員だけに適用するのではなく、規制当局や顧客にまで広げている。
 SCBはまた、その国の法規制を遵守している顧客だけと取引しており、規制当局については、健全な事業環境をつくり出すためのパートナーと認識している。(中略)SCBはさらに、核となるビジネスプロセスにも「ヒア・フォー・グッド」を浸透させている。たとえば融資を申し込む人は、自分が「ヒア・フォー・グッド」を果たすことをSCBに納得させる書類を作成しなければならない。具体的には、製造業者が新しい工場を建設するために融資を受けたい場合、持続可能な方法によって廃棄物を処理することを求められる可能性がある。
 その国の法規制を遵守している顧客だけと取引をするのは、コンプライアンスの観点から当然だとしても、融資を希望する顧客企業に「ヒア・フォー・グッド」を約束させるところがユニークである。SCBの「その地域のお役に立つ」という価値観、言い換えれば地域のサステナビリティに貢献するという価値観に沿った行動を、顧客企業にも要求しているわけだ。規制当局との関係について、引用文以上の分析がなかったのが残念だけれども、おそらく規制当局ともSCBの価値観が共有されているものと推測される。自社とステークホルダーとのこうした関係は、実は以前、最強のローカル番組と評される「水曜どうでしょう」の考察を通じて得られた「価値観連鎖(Values Chain)」に通じるところがある。

 【水曜どうでしょう論(3/6)】外部のパートナーを巻き込んで「価値観連鎖(バリューズ・チェーン)」を形成する
 【水曜どうでしょう論(4/6)】素人さえも「価値観連鎖(バリューズ・チェーン)」に組み込んでしまう凄さ
 【水曜どうでしょう論(6/6)】作り手の「価値観連鎖」と受け手の「憧れ」が交錯する所でビジネスは成立する

 ジェームズ・コリンズの『ビジョナリー・カンパニー』が示す通り、強い企業=長きに渡って高業績を上げ続けている企業では、ビジョンがある意味カルトのように組織の隅々まで浸透している。ビジョナリー・カンパニーの選定基準の妥当性が高いことは、最近の記事「《補足》ビジョナリー・カンパニーのリーマンショック後の株価推移」でもある程度明らかになった。だが、さらに先駆的で、真に強い企業のビジョンは、自社だけにとどまらず広く利害関係者とも共有されており、かつビジョンに強く共感する特定の利害関係者と特別な「絆」を築いているように思える。これが、ポーターの「価値連鎖(Value Chain)」ならぬ、「価値観連鎖(Values Chain)」が形成されている状態である。

 (もう1つの発見については次回)
March 19, 2012

知識労働に「トヨタ生産方式」を浸透させる道のりはまだ遠い―『絆の経営(DHBR2012年4月号)』

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 『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2012年4月号のレビュー。定期購読者には書店での発売日(毎月10日)より早く届くから、その時間差を利用して発売日前にレビューをブログにアップしてみたいんだけど、なかなかできないね・・・。今月号で一番面白かったのは、(今日の記事には出てこないけど)ゲイリー・ハメルの「自主マネジメントを徹底する世界最大のトマト加工業者 マネジャーをつくらない会社」。その次に興味深かったのは、ブラッドレイ・R・スターツらの「暗黙知を明文化し、無駄を省く トヨタ生産方式で知識労働を改善する」かな?

暗黙知を明文化し、無駄を省く トヨタ生産方式で知識労働を改善する(ブラッドレイ・R・スターツ、デイビッド・M・アプトン)
 TPS(トヨタ生産方式)の導入に成功した企業を見ると、その大半が、はっきりした大きな無駄はすでに処理し終わっているが、概して知識労働の職場では、だれも拾ったりしない小銭のような小さな無駄があちこちに散見される。

 自分の職場について考えてみよう。必要もなくCCの欄に名前を入れられたために送られてきたeメールが受信トレイに何通あるか。出席者が三々五々集まってきたせいで、定例会議が始まるまでどれほど待たされたか。作成したにもかかわらず、だれも読まない報告書がいくつあるか。

 無駄を見つけて取り除くことを習慣化するには、些細なことに目を向けるようにしなければならない。つまり、自分の周りにどれほど無駄があるか、社員たちに気づかせ、無駄を減らせば価値の高い(かつ報われる)仕事をする余裕ができることをわからせるのだ。
 トヨタ生産方式はまず、「7つのムダ」を徹底的に減らすことを目指す。7つのムダとは、「つくりすぎのムダ」、「手待ちのムダ」、「運搬のムダ」、「加工そのもののムダ」、「在庫のムダ」、「動作のムダ」、「不良をつくるムダ」のことである。この論文では、知識労働の現場で7つのムダの撲滅に取り組む企業の事例が紹介されているし、私事で恐縮だが、私自身も自分の仕事を7つのムダの観点から検証するという記事を以前書いたことがある(「トヨタの「7つのムダ」を自分の仕事に置き換えて考えてみた」)。

 引用文にメールの例が出てきたけれども、ちょうど最近私も同じような経験をしたので、愚痴がてら(苦笑)1つ書いておこうと思う。ある人に会議の日程調整を依頼した時のことである。会議といっても、出席者は私を含めてせいぜい4〜5人、時間も1時間程度のごくごく小規模なものである。だが、私が日程調整を依頼した人は、最終的に日程を確定させるまでに10通以上のメールを費やしていた。その全てのメールのCCに私が入っていたものだから、私は「そろそろ日程が決まっただろう」と思ってメールを開くものの、「やっぱりこの日はダメになりました」、「時間をずらしてもいいですか?」、「場所はどうしますか?」といった内容ばかりで辟易してしまった。メールのチェックに使ったのはたかだか数分にすぎないとしても、その時間を返してほしいわ!

 トヨタ生産方式(というか、一般的な製造業の工場はどこもそうだが)では、ムダをなくしながら作業を標準化していき、誰がやっても同じ時間で、同じ品質と量のアウトプットが出てくるようにプロセスが設計される。ところが、最近いろんな会社で製造以外の部門を訪問すると、「顧客の要望がバラバラだから、どうしても個別対応が多くなる」、「その結果、作業が属人化してしまう」という声をよく耳にする。確かに、顧客のニーズは細部まで見ていけば人によって全然違うし、そのために「One-to-Oneマーケティング」というコンセプトも生まれたぐらいだから、顧客のニーズが多様であるという実態は認めよう。

 しかし、だからといって業務の標準化をしなくてよいという理由にはならないと思う。現に、トヨタ生産方式では、各工程の作業を徹底的に標準化しながら、幅広い車種を少量生産することに成功しているではないか?最終製品・サービスの多様化と、業務プロセスの標準化は両立可能なはずなのである。

 そもそも、「顧客の要望がバラバラだから、どうしても個別対応が多くなる」などと言う人は、組織を作って、正社員という身分で知識労働者を束ねている意味合いをもっとよく考えた方がよい。知識労働者が基本ルールに従い、限られた経営資源のレバレッジを利かせて、各々が個別に動くよりも大きな成果を上げるために組織は存在しているのである。それができないと諦めて、個人の好き勝手なやり方を許すのならば、正社員としてではなく、個人事業主として契約した方がマシである。

 残念ながら2010年に亡くなられたC・K・プラハラードの日本での最後の著書『イノベーションの新時代』を、私は「イノベーションの本というよりも、One-to-Oneマーケティングの本」と評したが、同書ではOne-to-Oneマーケティングの実現に必要なのは(プラハラードからすれば、「イノベーションを起こす上で必要なのは」ということになるが)、「融通の利く、磨き上げられた業務プロセス」だとされている。そういう業務プロセスを持つ代表例としてプラハラードが挙げているのが、ウォルマートやフェデックスである。

 ウォルマートというと、どこの店舗でも同じ製品を揃え、店舗オペレーションを完全に標準化させているイメージがあるけれども、数年前から地域性を重視し、店舗によって異なる品揃えを実現する戦略へとシフトしている。フェデックスに関しても、荷主のニーズというのは実に多岐に渡るもので、荷物の種類や届け日、支払手段や支払いサイト、荷物の追跡サービスなど、顧客の要望をリスト化すればキリがないだろう。しかもグローバルで事業展開をしているので、国による商習慣の違いも考慮しなければならない。ウォルマートもフェデックスも、顧客の多様なニーズを吸収できる柔軟かつ堅牢な業務プロセスを確立し、オペレーション優位性を築いている(その背後に、高度なITシステムがあることは言うまでもない)。

イノベーションの新時代イノベーションの新時代
M S クリシュナン C K プラハラード 有賀 裕子

日本経済新聞出版社 2009-06-11

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 逆に、そういう磨き上げられた業務プロセスを持たない企業は、こんな感じになってしまう。
 ある大手の多国籍企業では、販売契約の中身を記録する作業に500人以上がたずさわっていた。契約は何年にもおよび、条件の交渉や中身の実行も難しい。調べたところ、この作業に取り組む人材の80%あまりは、業務プロセスの不備を補う役目を果たしていた。なぜこのような人海戦術が求められたかというと、ビジネスモデルや契約条件が改められたにもかかわらず、業務プロセスが従来のままで、必要な変更が加えられていなかったからだ。ひとつにはITシステムが妨げとなった。
 ドラッカー風に言えば、「昨日の問題を解決するのに優秀な人材があてがわれている」わけだ。こうした現状は、割と多くの企業にみられるものだと私は感じる。

 話が随分と脱線してしまったが、業務の無駄をなくし、類似の業務を集めて標準化するというのは、実はトヨタ生産方式の第一歩でしかない。その次に、作業の標準化と最終製品・サービスの多様化を両立させるというフェーズが来るのだが、今回の論文はそこまで踏み込んでいないような気がした。さらに言えば、トヨタ生産方式の最大のポイントは、「必要なものを、必要な時に、必要な分だけ作り、在庫をできるだけ持たない」という点である。これを知識労働においてどのように実現するかも重要なテーマである。もう少し厳密に言うと、知識労働には基本的に在庫がないから、「必要なサービスを、必要な時に、必要な分だけ提供し、知識労働者の稼働率をできるだけ上げる」ことがテーマとなる。

 知識労働のようなサービス業が製造業と決定的に違うのは、「作り置きができない」ことだ。トヨタ生産方式の場合、実は顧客の納期を調整することで工場内のジャスト・イン・タイム(JIT)を実現している(トヨタと言えども、ディーラーで自動車を注文しても、納車までには一定の期間がかかる)。言い換えれば、工場内のJITを崩さないよう、顧客を待たせているわけだ。自動車の半製品は作り置きができるからこそなせる業である。

 これに対してサービス業では、顧客(社内顧客も含む)がほしいと言ったその瞬間にサービスを提供しなければならない。例えば病院では、患者が集中すれば医療スタッフをフル稼働させてでも対応する。一方、患者が来なければ、医療スタッフの手が空いてしまう。その分、稼働率の低下というムダが生じる。

 この点を踏まえると、知識労働にトヨタ生産方式を導入する上で1つ重要なカギを握るのは、「顧客の需要変動を平準化すること」であろう。もっとも病院の場合は、患者に対して「今は混んでいますが、別の時間帯なら空いていますので、その時間帯にいらしてください」とはなかなか言えない。ただ、他の知識労働では何かと工夫の余地があるように思える。

 一例を挙げれば、予約優先制のマッサージ店は、予約した顧客が直前でキャンセルをすると、その時間帯にちょうどうまい具合に予約なしの顧客が入り込まない限り、機会損失が発生する。だが、ホテルが宿泊キャンセル料を取るのと同じように、その損失を顧客に補填してもらう店舗は、ほとんど皆無に近い。確かに、「キャンセルしたらキャンセル料を取ります」と表明するのは、サービス業として不躾かもしれない(それをやっているホテル業はどうなるんだ??と突っ込まれそうだが・・・)。そこで、「予約時間通りに来たらサービス料を割引します」といった形で、顧客が予約時間通りに来るよう動機づける施策が考えられるのではないか?

 何はともあれ、今回の論文は、言ってしまえば、科学的管理法を確立したフレデリック・テイラーや、IE(インダストリアル・エンジニアリング)の基礎を築いたガルフレイス夫妻の世界の話にとどまっているようで、知識労働にトヨタ生産方式を導入する道のりはまだまだ長いという印象であった。

 (例のごとく続きますよ)
March 06, 2012

【ドラッカー再訪】「強みに集中せよ」と言っても、エグゼクティブに求められる能力は広く深い(1)―『経営者の条件』

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P.F.ドラッカー

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 前回の続き。やや長くなるが、エグゼクティブが成果を上げるために必要な5つの能力を引用しておこう。
(1)何に自分の時間がとられているかを知ることである。そして、残されたわずかな時間を体系的に管理することである。

(2)外部の世界に対する貢献に焦点を当てることである。仕事の過程ではなく、成果にその精力を向けることである。仕事からスタートしてはならない。もちろん、仕事に関する方法や意見などからスタートしてはならない。「期待されている成果は何か」を自問することからスタートしなければならない。

(3)強みを基準に据えることである。そして上司、同僚、部下についても、彼らの強みを中心に据えなければならない。それぞれの状況下における強み、すなわちできることを中心に据えなければならない。弱みを基盤にしてはならない。すなわち、できないことからスタートしてはならない。

(4)優れた仕事が際だった成果をあげる領域に、力を集中することである。優先順位を決定し、その決定を守れるように自らを強制しなければならない。最初に行うべきことを行うことである。二番目に回すべきようなことは、まったく行ってはならない。さもなければ、何事も成し遂げられない。

(5)最後に、成果をあげるよう意思決定を行うことである。意思決定とは、つまるところ、手順の問題である。成果をあげる意思決定は、過去の事実についての合意ではなく、未来についての異なる意見に基づいて行わなければならない。
 このうち、3番目にある「『強み』に集中せよ」というのも、数多あるドラッカーの金言の中で有名な部類に入ると思うけれど、この言葉は解釈が結構厄介だと私は思っている。確かにドラッカーは、「弱みからスタートしてはならない」とは述べている。つまり、ある仕事に就ける人材を決める際に、一部の欠点に着目して、減点主義で候補者を外していくような人材配置は行ってはならない、と主張している。

 しかし、「弱みを直す必要はない」とは一言も言っていない、と私は認識している。強みと弱みをめぐっては、以前の記事「自分の『強み』を活かすのか?『弱み』を克服するのか?」でも私見を述べた。とりわけ若手の場合は、どんなに「自分はこれが強みです」と叫んだところで、所詮は自己評価によるものであって、周囲が期待するレベルからすればまだまだ未熟である。だから自己鍛錬が欠かせない。継続的な訓練を通じて初めて、弱みが克服されると同時に、もともと持っていた”強みらしきもの”にも磨きがかかり、自他ともに文句のつけようがない強みが生まれるというものである。

 だが、中堅・ベテランになると、期待される成果の量も質も広がるから、当然のことながら要求される能力の幅もレベルも上がる。それらの能力を、もともと持っている強みだけで全てカバーすることは到底不可能だ。足りない能力は、中堅・ベテランであっても学習しなければならない(※1)。もっとも、先ほどの記事の中でも書いたことだが、私の経験則からすると、年齢が上がるにつれて弱みを克服するのは難しくなるから、できるだけ既存の強みでカバーできる仕事に就けるのが最善であるのは間違いない。これがドラッカーの言う「『強み』からスタートせよ」ということであろう。

 本書には、強みを活かした人材配置に関するこんなくだりがある。
 個人営業の税理士は、いかに有能であっても、対人関係の能力を欠くことは、重大な障害となる。しかしそのような人も、組織の中にいるならば、自分の机を与えられ、外の人間と直接接触しなくともすむ。組織のおかげで、強みだけを生かし、弱みを意味のないものにすることができる。
 では、この経理担当者(税理士)は、果たしてエグゼクティブと言えるだろうか?ドラッカーによるエグゼクティブの定義は、「地位やその知識ゆえに、日常業務において、組織全体の活動や業績に対して、重要な影響をもつ意思決定を行う経営管理者や専門家などの知識労働者」である。ところが、彼は組織に影響を与える意思決定を何ら下していない。おそらく、現場から上がってくる帳票を処理して、数字の帳尻合わせをしているにすぎないだろう。そんな仕事が通用するのは、せいぜい新卒入社後1年程度であって、あとはITに取って代わられるか、アウトソーシングされるのがオチである。

 彼がエグゼクティブであるならば、たとえ若手であっても適正なコスト水準を導き出して各部門にその水準の遵守を迫り、一定以上の支出に対してはその効果を厳しく検証する役割が期待されることだろう。もう少し上位のエグゼクティブとなれば、戦略・戦術とリンクした効果的な予算配分や、社内の不正を防ぐガバナンスの仕組みの構築を任されるかもしれない。単なる経理の知識に加えて、投資対効果や内部統制、さらには戦略などに関する知識も持っていなければならない。このように、強みに集中せよといっても、高い成果を要求されるエグゼクティブには、幅広い専門知識が必要とされるのである。

 狭い強みしか持たない人間ばかりをたくさん集めても、組織の人数が無駄に膨れ上がるだけだ。しかも、ドラッカーも指摘している通り、エグゼクティブの仕事は1人では完結せず、他のエグゼクティブにも依存しているという性質がある。よって、専門分野が限定されたエグゼクティブが集まると、彼らの間で細かい調整作業が頻繁に発生することになる。そうすると、コミュニケーションが異常に膨れ上がり、一橋大学の沼上幹教授が言う<重い>組織になってしまう(※2)。

 アダム・スミスが提唱した分業は、求められる成果が固定的な肉体労働では効果を発揮するものの、成果が流動する知識労働には通用しない。そして、ドラッカー自身も、先ほどの税理士の例とは裏腹に、エグゼクティブの職務は広く設計すべきだと提言しているのである。
 職務はすべて、多くを要求する大きなものに設計しなければならない。職務は、一人一人の人間に対し、自分の強みを出すよう挑戦させるものでなければならない。(中略)

 最も単純な職務でさえ、要求されるものは必ず変化していく運命にある。しかも、突然変化していく。そのため職務と人間の完全な適合は、急速に不適合へと変わる。したがって、職務は、そもそもの初めから、大きく、かつ多くを要求するものとして設計した場合においてのみ、変化した状況の新しい要求にこ応えていくことができる。
 今日の記事は何だか当たり前のことを書いて終わってしまった感じだけど(汗)、本当に私が言いたかったことはまだ書いていないので、それは次回ということで。


(※1)求められる成果から能力要件を導き出し、人材育成計画へと落とし込んでいく一連のプロセスについては、以下の過去記事を参照。今読み返すと、架空の事例がややイマイチなのだが、ご参考までに。

 戦略とリンクした人材育成計画を作成するための5ステップ(1)
 戦略とリンクした人材育成計画を作成するための5ステップ(2)
 人材育成計画の立案時に陥りやすい4つの落とし穴(1)
 人材育成計画の立案時に陥りやすい4つの落とし穴(2)

(※2)沼上幹他著『組織の“重さ”―日本的企業組織の再点検』(日本経済新聞出版社、2007年)

組織の“重さ”―日本的企業組織の再点検組織の“重さ”―日本的企業組織の再点検
沼上 幹 加藤 俊彦 田中 一弘 島本 実 軽部 大

日本経済新聞出版社 2007-08

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March 03, 2012

「安さ創り」というより、組織設計の原則を再確認した特集だった―『日経情報ストラテジー2012年4月号』

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 (続き)

現場に権限委譲する場合、どの権限を委譲し、どの権限を本社に残すか?
 現場での意思決定を迅速化し、現場を活性化するために「権限委譲(※1)」が効果的であるという主張は昔から見られるものである。そのための組織設計のアイデアもいくつか出ており、例えばロバート・K・グリーンリーフらの『サーバントリーダーシップ』では、顧客を一番上に、経営層を最下層に位置づけた逆ピラミッド型の組織図が登場する。

 もう少し具体的な組織設計の方法論となると、私の蔵書の中ではJ・R・ガルブレイスの『顧客中心組織のマネジメント―「製品中心企業」から「顧客中心企業」へ』が挙げられる。この本は、何でもかんでも現場に権限委譲すればいいというスタンスは取らず、

 ・「製品の規模と範囲」・・・同一顧客に提供している製品・サービスの種類が多いか?
 ・「統合化」・・・同一顧客に提供している製品・サービスが相互に関連しているか?別の言い方をすれば、たくさんの製品・サービスをバラバラに提供することが多いか(例:食品小売)、まとめてパッケージ化することが多いか(例:SIer)?

という2つの指標を使って、両方のスコアが高ければ顧客中心型の組織を設計し、現場への権限委譲を進めるべきだと提案している(※2)。

サーバントリーダーシップサーバントリーダーシップ
ロバート・K・グリーンリーフ ラリー・C・スピアーズ

英治出版 2008-12-24

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顧客中心組織のマネジメント―「製品中心企業」から「顧客中心企業」へ顧客中心組織のマネジメント―「製品中心企業」から「顧客中心企業」へ
Jay R. Galbraith

生産性出版 2006-06

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 ここで問題になるのは、現場に権限委譲する場合、どの権限を委譲するのか?換言すれば、何に関する意思決定権を現場に付与するのか?ということである。この権限配分を間違えると、顧客への迅速な対応という当初の目的も達成されず、現場の暴走を招くことになりかねない。

 委譲の対象となる権限として真っ先に検討しなければならないのは、マーケティング・ミックスの4Pのうち、Place(チャネル)を除く3つである。すなわち、Product(製品)、Price(価格)、Promotion(プロモーション)の3つだ(Placeに関しては、現場そのものがPlaceに該当するから、権限委譲できない)。Productに関する権限はさらに、「製品・サービスの種類」(具体的には新製品企画)と、「製品・サービスの量」(具体的には発注・在庫調整)に関する権限に分けることができる。

 この3つのうち、どれを現場に委譲するかを決定するにあたって拠り所となる原則は、「そのチャネルがターゲットとする顧客のニーズで、最も変動が大きいものに関する意思決定権を委譲すること」だと思う。以下、『日経情報ストラテジー』2012年4月号に登場する事例で見てみると、

《H・I・S》※Productのうち、「製品・サービスの種類」に関する意思決定権を委譲。
・現地ツアーは、本社ではなく現地法人が企画・販売を行うようにした(かつては日本本社が企画やチケットの仕入れ、コースの段取りを行い、現地法人は旅行客が到着した後のサポートのみを担当)。
←【筆者補足】旅行客がどのような現地ツアーを望んでいるかは、旅行先の国や地域によってバラバラであるから、本社が全部まとめて企画するより、現地の魅力を一番よく知っている現地法人に任せた方が早い。

《カルビー》※Productのうち、「製品・サービスの種類」に関する意思決定権を委譲。
・ペプシコの資本参加を受けた2009年以降、製品別カンパニー製から地域別の事業本部制に改め、地域限定製品を企画する権限を各事業本部に委譲した。
←【筆者補足】前回の記事「「安さ創り」というよりマーケと組織設計の原則を再確認した特集だった(1)―『日経情報ストラテジー2012年4月号』」でも紹介したように、カルビーは地域限定製品をお土産としてではなく、その地域の人々に販売しようとしている。お土産用であれば、各地の旅行客数からおおよその需要は予測できるし、各地の名物の中で特に知名度が高いものを選べば、製品企画は割とスムーズに進む。ところが、その地域の人に愛される製品となると、各地域の食習慣や嗜好をより深く知る必要がある。そのために、製品企画の権限を地域別事業本部に委譲したと思われる。

《サンエース(塩化ビニールの添加剤メーカー)》※Priceの意思決定権を委譲。
・M&Aによってオーストラリアやサウジアラビアなど世界9カ国に14拠点を展開するが、買収先である現地法人の自主性を尊重。特に価格に関しては、「国内では長期取引が一般的だが、海外では毎月見積もりを求められ、より安い価格を提示した会社がそのつど選ばれる」という商習慣の違いに配慮し、価格決定権を現地法人に委譲している。
←【筆者補足】BtoBビジネスは、それぞれの顧客と個別に価格交渉が生じるのが常であるから、価格決定権はたいてい現場に委譲されているものだが、サンエースの事例で重要なのは、現地法人の経営陣が全て現地の人々によって構成されており、彼らが決定権を握っているという点である。現地の商習慣を一番よく理解した人が現地のビジネスを進める、というスタイルができ上がっている。

 本号の特集では、Productのうち「製品・サービスの量」に関する意思決定権と、Promotionに関する意思決定権を委譲している事例がなかったのだが、後者に関しては、例えば保険業界で、保険会社から顧客に対してDMを送るだけでなく、代理店が顧客1人1人に手書きのメッセージを添えてDMを送るといった販促活動が該当するだろう(私自身の経験だと、保険会社から直接DMが届くことは皆無に等しく、DMは代理店から来る)。これは、1人1人の顧客のことをよく知っている代理店にPromotionを任せた方が得策との判断によるものであろう。

 前者に関しては、多くの小売業が各店舗に発注権限を与えている(セブンイレブンの仮説検証型経営はその最たる例)。小売業の場合、本社がモデル商圏を設定し、モデル商圏の顧客構成や顧客数に近い商圏を選択して出店するため、製品・サービスの中身自体にはそれほど差が出ないようになっている。ただし、各地の気候やイベントなどの地域特性によって、各製品の”販売数”は店舗固有の変動を見せるので、その変動に合わせて発注量を調整する役割が現場に与えられる。

 逆に、各店舗に「製品・サービスの種類」に関する意思決定権、言い換えれば新製品企画・調達の権限まで与えている小売業はほとんどない。確かに、顧客のニーズを一番よく知っている現場に、新製品企画の権限を与えてもよいのではないか?という考え方もあるかもしれない。しかし、店舗の本業は”製品を販売すること”であり、また、言うまでもなく特殊製品が増えるとスケールメリットが得られなくなる上に、全社的にも製品管理が煩雑になりコストが増える。したがって、多くの小売業では、新製品のアイデアを吸い上げる仕組みを整備するにとどまっている。この点、店舗ごとに独自メニューを揃え、さらに価格の変更まで許容している王将は、かなり例外的な存在のような気がする。


(※1)「権限委譲」に該当する英語には"delegation"と"empowerment"の2つがある。"delegation"は単に意思決定権や責任を委譲することを指すが、"empowerment"には自立を促しそれを支援するといった意味合いがある(「MBA経営辞書―goo辞書」を参照)。

 "empowerment"は、もともと市民運動において生まれた概念であり、「個人や集団が自らの生活への統御感を獲得し、組織的、社会的、構造に外郭的な影響を与えるようになること」と定義される。"empowerment"という概念を初めて用いたのは、ブラジルの教育思想家であるパウロ・フレイレであり、その後、ラテンアメリカを始めとする世界の先住民運動や女性運動、あるいは広義の市民運動などの場面で用いられ、実践されるようになった。こうした経緯もあって、"empowerment"には、「力を与える」、すなわち、個人の主体性や関心を高めるといったニュアンスが含まれている(「エンパワーメント―Wikipedia」を参照)。

(※2)この本はいい本なんだけど、日本語訳がとにかくひどいので、読まれる方はそれなりの覚悟を持って読んでください(苦笑)。プログラム言語であるJavaが「ジャバ」と表記されていた時は、さすがにひっくり返りそうになった。
March 02, 2012

「安さ創り」というより、マーケティングの原則を再確認した特集だった―『日経情報ストラテジー2012年4月号』

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 今月の特集は「『安さ』を創る20の法則」。確かに、燃料電池車(FCV)の技術や過去製品の開発プロセスを再利用することで電気自動車(EV)の価格を抑えた日産、自社のエクセル文化を尊重して、基幹システムのインターフェースを全てエクセルで統一しシステム開発コストを節約したゼンショー、広告費をほとんど使わずに、facebookだけで1億5千万人のファンを集めたサティスファクション・ギャランティードなど、低価格につながりそうな事例も多かったが、それ以外にもマネジメントの原則を再確認させられた特集だった気がする。

「市場を知る」という場合、誰のことを知ればよいのか?
 ドラッカーが「事業の目的は顧客の創造である」と述べたことはあまりにも有名だが、ドラッカーは、顧客の創造にあたって重要なのは、自社の「非顧客(ノンカスタマ)」に着目することであると繰り返し強調している。
 最も重要な情報は、顧客ではなくノンカスタマ(非顧客)についてのものである。変化が起こるのは、ノンカスタマの世界においてである。(『ネクスト・ソサエティ』)
 非顧客に着目しなければならない理由は至極単純である。どんな大企業であっても、顧客よりも非顧客の方が数が多いからだ。数が多い分だけ、ビジネスチャンスも大きいことになる。

ネクスト・ソサエティ ― 歴史が見たことのない未来がはじまるネクスト・ソサエティ ― 歴史が見たことのない未来がはじまる
P・F・ドラッカー 上田 惇生

ダイヤモンド社 2002-05-24

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 厳密に言うと、非顧客は2種類存在する。1つは「同じ業界の競合他社の顧客になっている人々」であり、もう1つは「同一業界のどの企業の顧客にもなっていない人々」である。前者については、「彼らはなぜわが社の製品・サービスを購入しないのか?」と問うことで、自社の製品・サービスの改善ポイントが明らかになる。こうした分析は、多くの企業が行っていることだろう。

 だが、本当に重要なのは後者の非顧客である。ぱっと思い浮かぶのは、任天堂のWiiの成功だ(もっとも、Wiiも今では安泰ではないわけだが・・・)。Wiiは、ゲーム業界がほとんど誰も相手にしていなかった主婦層をターゲット顧客とした。任天堂はテストマーケティングを何度も繰り返し、彼女たちをゲームから遠ざけている阻害要因を1つずつ取り払うことで、Wiiを完成させた。

 前者の非顧客に関する考察は、限られた市場におけるシェアの奪い合いになるので、労力の割に業績へのインパクトがそれほど大きくないこともよくある(BtoCのキャンペーン合戦を見ているとそう思えてくる)。これに対し、後者の非顧客について、「彼らは他の業界の製品・サービスを利用することで、本当のところ何に価値を見出しているのか?」と問うと、全く新しいビジネスチャンスが見えてくる。すると、業界全体が取りこぼしていた人々を一気に取り込んで、市場を急拡大させる可能性が出てくる。すなわち、イノベーションが起こるのである。

 逆に、こうした考察を怠ると、異業種からの思わぬ攻勢を受けて、自社の顧客が一気に流出してしまう危険性があるから要注意だ。実際にそうなってしまった例として、ドラッカーは『ネクスト・ソサエティ』の中でデパート業界を挙げている。
 デパートは新しく登場した消費者層、とくに、豊かな新しい世代が顧客になっていないことに関心をもたなかった。80年代も終わり近く、そのノンカスタマが買い物傾向を左右する層となった。自らの顧客だけを見ていたデパートは、この変化にも気づかなかった。こうしてデパートは、ますます数の少なくなる顧客についてのみ、ますます多くの情報を手にするようになった。
 前置きが長くなってしまったけれど、『日経情報ストラテジー』の2012年4月号では、非顧客に着目した事例として以下のものがあった。

《ローソンストア100》
・通常のローソンでは来店客の男女比率が65:35だが、ローソンストア100では50:50と女性客が多い。
・その女性客の中心は、スーパー代わりに利用する主婦や単身の年配層。
・販売する製品は、生鮮食品も冷凍食品も、「1回の食事で使い切れる量」にしている。

《カルビー》
・地域限定製品を、お土産用としてのみならず、地元の人々向けに販売する(例:九州の「博多明太子味ポテトチップス」)。
・「博多明太子味ポテトチップス」に続く地産地消型の製品を増やすことで、ポテトチップスのシェアを70%にまで高める(2012年3月期の第3四半期時点でのシェアは65.7%)。

《モンテローザ》
・3時間飲み放題食べ放題の「女子会プラン」を設定(通常3,500円。クーポンを使うと2,980円)。
・通常の飲み放題は2時間だが、おしゃべりを楽しみたい女性に配慮して3時間とした。
・食べ放題プランの中には、「食べたいけれど、ちょっと高価で普段はなかなか食べられないもの」や、「興味はあるが購入に踏み切れない製品の”お試し”」が含まれる。具体的には、ハーゲンダッツのアイスクリームや、DHCの美容食品・サプリメントがメニューに加わっている。

《マネックス証券》
・「機能はプロの投資家が使うレベル。操作はソニーのゲーム機、プレイステーションのような使いやすさ」という資産設計の総合管理ツールを提供することで、個人投資家の敷居を下げる。

 (続く)
February 27, 2012

自分自身は信頼するが、未来への希望は下がり始めるミドル層―『ミドルの自己信頼が会社を救う(Works No.110)』

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リクルートWorks ミドルの自己信頼が会社を救うWorks No.110 ミドルの自己信頼が会社を救う
リクルートワークス研究所
2012年2月-3月号


 今日はリクルートワークス研究所の機関紙『Works』の最新号についての記事。リクルートワークス研究所は本号で「自己信頼」という新しい概念を提唱しており、「自己信頼とは、現在の自己、将来の自己に対して、信頼と希望をもっていること」と定義づけている。そして「自己信頼」は、(1)自分への信頼、(2)良好な人間関係、(3)未来への希望という3つの要素から成り立つとしている。

 「自己信頼」と類似の概念には、哲学・心理学の分野で昔から用いられている「自尊感情(自尊心)」、カウンセリング領域で生まれた「自己受容」、そして最近になって登場した「自己効力感」があるが、これら既存のコンセプトと「自己信頼」の違いについて、本号では東京未来大学の角川剛教授が次のように述べている。
 「他者からの信頼」という因子があって「関係性」が明確に入っている。また、「未来への希望」という因子で、時間的なパースペクティブ(展望)を含めているという点でも、既存の概念とは規定している中身に違いがあります。
自己信頼3要素 年齢層ごとの変化 その「自己信頼」を構成する3要素のスコアを、年齢層別に調査した結果が左図である。「良好な人間関係」のスコアはどの世代もほぼ変わらず、50〜59歳でやや上昇する。これに対して、残りの2要素は特徴的な変化を見せる。年齢が上がるにつれて、「自分への信頼」のスコアは上昇する一方、「未来への希望」のスコアは下降線をたどるのである。本号では、ミドル層が「35〜49歳」とやや幅広く捉えられているのだが、左の結果から、「ミドル層は、自分への信頼が上がり、未来への希望が下がっていく分岐ゾーンに位置する」と分析されている。

 だが個人的には、「『自分への信頼』が向上する一方で『未来への希望』は低下する」という状態が一体どういうことなのか、どうもしっくりこない。なぜならば、「自分への信頼」を測定する質問には、

 ・将来、状況が変わっても、自分を頼りに乗り切っていけると思う
 ・将来、困難なことが起きたとしても、私は大丈夫だと思う
 ・つらいことがあっても、最後には乗り越えられると思う

といった、「未来への希望」とも関連する項目が含まれているからである。これらの答えがYesならば、「未来への希望」が低下することは考えにくい。1つありうるとすれば、「将来、自分は大丈夫だが、周りはダメかもしれない」という、「自意識過剰に起因する他者不信」とでも言うべき心理状態にミドル層が陥っているのではないか?ということである。

 ここでもう少し考察を進めて、「未来への希望」を測定する質問を見てみると、

 ・新しいことに挑戦していきたい
 ・いろいろな人と出会ってみたい
 ・いろんな役割を果たしていきたいと思う

など、将来の能動的な行動を想定した項目が並ぶ。「自己への信頼」を測定する質問と合わせて考えると、例えば「将来、状況が変わっても、自分を頼りに乗り切っていけると思う」のに、「新しいことに挑戦していきたい」とは思わないというのは、やはり不可解である。やや乱暴な解釈かもしれないけれど、「自分では変化に適応できる力があると思うものの、実際に新しいことに挑戦するのは嫌だ」ということだろうか?ということは、先ほどの「自意識過剰に起因する他者不信」の裏に、潜在的な「自己不信」があるのではないだろうか?

 実はこの心理状態、数年前に速水敏彦氏が著書『他人を見下す若者たち』で提唱した「仮想的有能感」に通じるところがあると思う。「仮想的有能感」に囚われた若者は、自分を有能に見せかけ、他者を貶めることで自分の体面を保つ。しかし、実際のところ彼らは、深層心理の次元では自分に自信を持てていないのであり、それが周囲にバレるのが怖いから、他者に対して攻撃的な態度を取るのだという。

他人を見下す若者たち (講談社現代新書)他人を見下す若者たち (講談社現代新書)
速水 敏彦

講談社 2006-02-17

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 こうした心理が現在のミドル層にまで広まりつつあるとすれば、これはゆゆしき事態である(それを言ってしまえば、「自己への信頼」が最も高く、「未来への希望」が最も低い50〜59歳の層は、もっと深刻な問題を抱えていることになってしまうが・・・)。もちろん、私の解釈はやや極端であり、他の解釈も十分に成り立つであろう。とはいえ今回の調査は、総じて質問項目や結果をどう解釈していいのかが解りにくい印象であった。

(※)他に解りにくかった点としては、(1)要素別のスコアは掲載されているものの、総合的な「自己信頼」のスコアは載っておらず、結局どの年齢層の「自己信頼」が一番高いのかが不明である。(2)3つの要素間で相関分析を行うと、いずれも高い相関係数が出るとのことだが、それならば18〜29歳と50〜59歳で「自己への信頼」と「未来への希望」のスコアがこんなにも離れることを説明できない。

 調査結果などに多少の疑問はあるものの、一旦それに目をつぶって、「ミドル層の『自己信頼』を強化する必要があり、3つの要素をそれぞれ高めていかなければならない」という本号の主張に従うとしよう。しかし、そのための解決策として提案されているものにも、若干の疑問を覚えずにはいられない。例えば、ミドル層は管理職に昇進すると、部下との人間関係に悩むようになり、それが「自己信頼」の構成要素の1つである「良好な人間関係」に影響を与える。そこで、組織としては以下のような支援をすべきだという。
 対応策の1つはマネジメントスキルを高めることです。自己信頼は非常に基盤的な要素なので、その意味ではマネジメントスキルを身につけさせるというのは表層的な対策に見えるかもしれませんが、それでも、コーチング研修で学んだことを使って部下の指導に成功したというような経験が積めれば、一つひとつは小さな成功でも自信をつけることになり、自己信頼を高めることにつながるでしょう。
 しかし、先ほどの図を見ても解るように、「良好な人間関係」は年代によってほとんど上下しない。もちろん、部下との良好な人間関係は、上司や部下本人、そして組織全体にとって非常に重要であることは言うまでもない。だが、前掲の調査結果に素直に従うならば、ミドル層の「自己信頼」を高める上で人間関係よりも優先すべきなのは、「未来への希望」の低下を食い止めることである。その意味では、『フリーライダー』の著者である河合太介氏のアドバイスが、一見不真面目(?)なように見えて、実は一番当を得ているような気がした。
 河合氏はミドル層に対して、「もっと遊んで、現地現物に触れよ」とメッセージする。「たとえば、中国やインドの市場をどう開拓するかが課題になっているなら、不景気で会社がお金を出してくれないなんて言わずに、自腹で遊びに行く」。仕事に直結する「視察」や「調査」はしっかりこなし、一方で遊びを楽しんでいい思い出を作る。「すると、『現地の市場はこうだった』ということが自分のストーリーになり、説得力をもって語れるようになるのです」。
フリーライダー あなたの隣のただのり社員 (講談社現代新書)フリーライダー あなたの隣のただのり社員 (講談社現代新書)
河合 太介 渡部 幹

講談社 2010-06-17

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February 21, 2012

持続可能な経営に最も必要なのは”顧客の意識改革”かも?―『「チェンジ・ザ・ワールド」の経営論(DHBR2012年3月号)』

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Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2012年 03月号 [雑誌]Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2012年 03月号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2012-02-10

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 2012年3月号のレビューは今回で最後。

「共通目的」と「貢献の倫理」が支える 協働する共同体(ポール・アドラー、チャールズ・ヘクシャー他)
 「協業する共同体」(collaborative community)では、各メンバーはグループ活動のために、自分の才能を常に振り絞る。そして、個人的な利益、あるいは創造性を自ら発揮する喜びのみならず、全員を結びつける使命によって動機づけられる。

 共通の目的意識と支援体制をすり合わせ、知識労働者たちの能力と専門知識を結集し、グループ作業を柔軟かつ確実に管理する。このアプローチによって、イノベーションと機動性のみならず、効率性と拡張性が高まる。
 「協働する共同体」とは知識労働者の能力を最大限に活用するモデルであり、著者によると、IBMやCSC(コンピュータ・サイエンス・コーポレーション)、シティバンク、NASA、カイザー・パーマネンテ(アメリカの健康保険会社大手)の一部の部門に見られるという。「協業する共同体」は、(1)「共通目的」を定義し確立する、(2)「貢献の倫理」を啓蒙する、(3)柔軟性と規律を持ち合わせたプロジェクトにおいて、共同作業を可能にするプロセスを構築する、(4)コラボレーションが重視・評価されるインフラを整える、という4つの要件を備えていると著者は指摘する。 

 だが、この4要件を見ると、実はチェスター・バーナードが70年以上前に『経営者の役割』で述べた組織の3つの成立要件、すなわち(1)共通目的、(2)貢献意欲、(3)コミュニケーションとほぼ同じなのでは?という気がする。

 「協働する共同体」の1つ目と2つ目の要件が、バーナードの唱えた組織の成立要件(1)(2)と重なるのは自明である。「協働する共同体」の3つ目の要件である「柔軟性と規律を持ち合わせたプロジェクトにおける、共同作業を可能とするプロセス」は、本論文の中で「相互依存のプロセス」と呼ばれる。これは、全員が遵守すべき基本的な手順やルールを厳格に定める一方で、現実的な仕事の変化や社員の個々のニーズに応じて、随時議論を重ねながら変更が加えられるプロセスである。ということは、必然的に社員同士の密なコミュニケーションが要求されるわけであり、バーナードが言う組織の成立要件の(3)と重なる。

新訳経営者の役割 (経営名著シリーズ 2)新訳経営者の役割 (経営名著シリーズ 2)
C.I.バーナード 山本 安次郎

ダイヤモンド社 1968-08

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 先進的な企業の一部の部門に「協働する共同体」が見られるということは、裏を返せば大半の企業には「協働する共同体」がないということになる。もしもバーナードが生きていたら、「本当の意味で組織と呼べるものは、未だ皆無に等しい」と嘆くに違いない。こういう論文が出てくると、(この論文の著者を責める意図は全くないのだが、)経営学って何のために歴史を積み上げてきたのかなぁ?と疑問に思ってしまう。

 それでもこの論文で1つ興味深かったのは、CMM(能力成熟度モデル)に基づく、官僚的とさえ思える開発プロセスを整備しているCSCの事例である。入社したばかりの社員はその厳格すぎる運用に戸惑うものの、慣れてくるとCMMがあるからこそ様々な専門家の知識を統合させ、高い労働生産性を上げられることに気づくという。この点は、昔の記事「逆説的だが、「個を活かす」ためには「よく整備されたシステムや制度」が必要(1)(2)」に通じるところがあると感じた。

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外部化されたコストを内部化する時代 サステナビリティ3.0(イヴォン・シュイナード、ジブ・エリソン、リック・リッジウェイ)
 サステナビリティという概念は3つの時代を経て進化してきた。当初、それはオペレーション上の関心事であり、企業の環境負荷を減らし無駄を省くといった、主に防衛的な取り組みで構成されていた。ソレがもっと戦略的な方向に進化した。これを「サステナビリティ2.0」と呼ぼう。次に、コスト削減からイノベーションに焦点が移り、バリューチェーン全体を考えた活動が始まった。現在はこの概念がさらに見直されている最中であり、企業のあらゆる意思決定で環境への影響が考慮されている。

 では「サステナビリティ4.0」はどのようなものか。「サステナビリティ3.0」の時代がその言葉を不要にするだろう。経営者は「どうすれば利益を出せるか」または「どうすれば環境への影響を最小化できるか」のいずれかを問うのではなく、それらを同じコインの両面とみなすようになるだろう。サステナビリティがビジネスのあり方そのものになるのだ。
 サステナビリティのあるべき姿を論じた論文。「企業が外部化したコストを内部化する(そして、内部化されたコストをできるだけ抑制する)」というサステナビリティの基本コンセプトは、ここ数年で随分と浸透したと思われるものの、企業が外部コストを実際に測定する方法はなかなか現れなかった。だから各企業は、消費者向けのコマーシャルや投資家向けの環境報告書で、「弊社の新製品Aは、従来の製品に比べ、二酸化炭素の排出量をB%削減しました」、「C工場の工程見直しにより、水使用量をD%削減しました」、などといった具合に、個別の改善ポイントを訴求するにとどまっていた。

 こうした報告が不十分であるのは明らかである。前者の例で言えば、製品本体の二酸化炭素排出量は減ったかもしれないが、その製造過程で従来よりも大量の二酸化炭素を排出している可能性がある。また、後者の例では、C工場の生産量は競合他社に比べると小規模であり、水使用量をD%削減したところで、製品1単位あたりに換算すると自慢できる量ではないかもしれない。要するに、「製品単位で」、「製品のライフサイクル全般に渡る環境負荷を」、「競合他社と比較する」方法がないのである。

 さらにつけ加えるならば、サステナビリティというと環境負荷ばかりがクローズアップされがちであるけれども、例えば工場が立地する新興国や途上国の人々の”生活の質”もサステナビリティの範疇に入れるべきである。先進国の人々が従来よりも1ドル安く製品を入手する代わりに、工場で働く人々は1ドルの収入を失っているかもしれない。そして、その1ドルの収入減が積み重なった結果、その家庭の子どもは学校へ行く機会を逸してしまうというケースも考えられる。

 この家族は健康状態が悪化して追加的な医療コストが必要になる。またその子どもは、本当はもっと良質の教育を受けて収入の高い仕事に就けたはずなのに、その道を絶たれる。ここで発生した医療コストや、本来の仕事と現実の仕事との収入格差も、企業が1ドルの値引きの代わりに外部化したコストと言えるだろう。

 この論文の注目すべき点は、こうした様々な外部コストを定量化する方法「VCI(バリューチェーン指数)」が完成間近だということである。
 VCIは、原材料から消費、廃棄に至る各フェーズで生じる影響力(※ここでの影響力とは、環境負荷と、先ほど述べた地域の人々への影響の両方を含むと考えられる。そうでなければ、単に「環境負荷」という訳語があてられるはずだ)に基づいて、製品を同一条件で比較する手段となる。

 ある業界の何人もの関係者が共同開発したVCIは、ライフサイクル分析により得られる客観的データを活用して、土地利用、水、エネルギー、炭素、有害物資、社会福祉といった幅広いカテゴリーをカバーする。
 こうした方法が完成すると、投資家はVCIの数値が良好な企業に投資をするようになるだろう。事実、SRI(社会的責任投資)と呼ばれる投資方法が既に広まりつつあるので、その傾向に一層の拍車がかかるに違いない。だが、一番のネックになるのは、実は顧客自身の意識であるように思える。

 この論文の著者自身も危惧しているように、企業が外部コストを内部化するために並々ならぬ努力をしたところで、顧客が結局のところ安い製品やサービスに流れてしまうのであれば、VCIのような方法も無意味である。企業としては、投資家に対してのみならず、いや投資家に対して以上に、VCIのスコアが良好な製品・サービスこそがよい製品であることを訴求しなければならないだろう。顧客の意識が変わってくれば、「価格.com」の代わりに「サステナビリティ.com」のような比較サイトが現れるのではないか?そして、適切に啓蒙された顧客は、多少価格が高くても、外部コストを正当な方法で内部化した企業の製品・サービスを選択するようになるに違いない。
February 20, 2012

戦略による競争優位からビジョンによる競争優位へ?―『「チェンジ・ザ・ワールド」の経営論(DHBR2012年3月号)』

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Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2012年 03月号 [雑誌]Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2012年 03月号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2012-02-10

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 まだまだ続くDHBR2012年3月号のレビュー。

価値観を成長の源泉とする インフォシス:尊敬される企業を目指して(N・R・ナラヤナ・ムルティ)
 (創業メンバーと)何度も議論を戦わせた後、私たちは価値観に基づく企業の設立に合意しました。その夜にはビジョン・ステートメントの草案を作成し、「最高の技術ソリューションを顧客に提供し、一流のプロフェッショナルを雇用する、インドで最も尊敬される企業を目指す」という理念を掲げました。

 この時の私たちの話し合いが、インフォシスの価値体系「C-LIFE」の基礎となりました。Cは「顧客第一主義」(Client focus)、Lは「率先垂範のリーダーシップ」(Leadership by example)、Iは「高潔さと透明性」(Integrity and transparency)、Fは「公正さ」(Fairness)、Eは「卓越性」(Excellence)を表しています。

 このビジョンが「私たちは一緒にな何を成し遂げようとしているのか」という問いの答えであり、価値体系は「このビジョンをどのように実現するのか」という問いの答えです。
インドのITアウトソーシング業大手であるインフォシス・ムルティ会長のインタビュー記事。インフォシスには「知性を原動力に、価値観を推進力に」という行動規範(クレド)があるそうだ。ムルティ会長によると、インフォシスの価値観は戦略策定プロセスに組み込まれており、「価値観の重視は我々の差別化の試みの1つ」であるという。

 先日の記事「経済的⇔社会的価値という二項対立を克服するグレート・カンパニー―『「チェンジ・ザ・ワールド」の経営論(DHBR2012年3月号)』」で取り上げたカンターの論文とこのインタビュー記事を読みながら考えたのが、今日の記事タイトルにもしたように、これからは戦略ではなく、組織の共通目的や価値観を包含するビジョン(※)が競争優位のカギになるのではないか?ということである。カンターはグレート・カンパニーの条件として、「共通の目的」、「長期的視点」、「感情的な絆」、「公的組織との連携」、「イノベーション」、「自己組織化」という6つを挙げているが、(「公的組織との連携」や「イノベーション」はひとまず脇に置くとして、)要するに長期的なビジョンを掲げることと、それによって社員の結びつきを強めることの重要性を説いているように思える。

 個人的な話だが、年明けからずっと「戦略に加えてなぜビジョンが必要なのか?」という問いが私の頭から離れずにいた。戦略が適切であれば、企業は競合他社を排し、多数の顧客を取り込んで利益を出すことができる。それなのに、なぜ戦略の他にビジョンまで求められるのだろうか?

 まだ説得力に欠ける部分が大いにあることは承知の上で書くけれども、戦略は「『顧客』を束ねるための構想」であるのに対し、ビジョンは「『社員』を束ねるための構想」という違いがあると考えられる。より発展的なビジョンは、社員だけでなく、仕入先や販売チャネル、投資家、地域社会など、自社を取り巻く多様なステークホルダーをも束ねる。

 ここでポイントとなるのは、戦略は真似されやすいという点である。確かに、マイクロソフトのように10年以上も成長に貢献する強力な戦略や、Amazonのように下手に競合が真似しようものなら返って痛手を被るようなよくできた戦略(※2)もある。しかし、つい先日報道されたばかりの例を挙げると、サークルKサンクスが打ち出した「中高年向けのコンビニ」というコンセプトは、あっさりとセブンイレブンやファミリーマート、ローソンに真似されてしまい、規模で劣るサークルKは、主に東海で店舗を展開する小売業ユニーの完全子会社となって、戦略の再構築を迫られる結果となった(※3)。また、ブルーオーシャン戦略の典型例として一時は絶賛された任天堂のWiiでさえ、ソーシャルゲームという破壊的イノベーションの攻撃を受けて、今や全く安泰ではないのも有名な話である。

 このように、戦略は他社に真似されやすいし、本当によくできた戦略を練ることは非常にハードルが高い。したがって企業は、戦略を次々と生み出す必要がある。戦略を生み出すというと難しく聞こえるものの、噛み砕いて言えば「顧客のためになりそうな製品・サービスのアイデアを持ってくる」ということである。

 やや楽観的ではあるけれども、社員がビジョンによって固く結ばれていると、自社戦略の有効性が失われつつあることに敏感に反応し、自らが忠誠を誓った自社の目的・ミッションに貢献するために、組織の階層を問わずあらゆる社員が、顧客のためになる新しいアイデアを創造し始めると思うのである。より発展的なビジョンを掲げる企業であれば、そのようなアイデアが、取引先や販売チャネルなど、外部のプレイヤーから持ち込まれることもあるだろう。たたき上げの起業家が肌身で感じているように、「人脈が仕事を呼ぶ」という現象が起きるわけだ。ここに、戦略に加えてビジョンが必要とされる理由があるのではないか?

 「日本企業に戦略はない。あるのはオペレーション戦術だけだ」とマイケル・ポーターに酷評されながらも、日本企業はそれなりに世界で成功を収めた時期があった。その要因の1つは、日本企業の経営陣がビジョンの浸透に時間をかけ、さらに終身雇用や年功序列などの仕組みで社員の高いロイヤルティを担保していたためであり、これによって継続的な戦略の策定と実行を可能にしていたというのは言いすぎだろうか?(※3)(もちろん、他にも理由はたくさんある。単にポーターの戦略観が狭かっただけとか、日本が保護主義であったのに対し、欧米市場は開放的だったので加工貿易が成り立ったとか、日本には安くて若い労働力が豊富に存在したなど、様々な要因が関連し合っている)

 逆に、終身雇用や年功序列の制度を維持しにくくなっている現在、社員のロイヤルティを維持・向上させる上でビジョンが果たすべき役割はますます大きくなっている。堅牢なビジョンを持つ企業は、今の事業戦略が多少揺らいでも、社員や他のステークホルダーの力によって、また次の戦略を生み出すに違いない。この点で、今後は競争優位の源泉が戦略からビジョンへと移行するように感じるのである。

 余談だが、インフォシスが価値観に基づいて戦略的な意思決定をした例として、ムルティ会長がこの論文で挙げていたのは、新規事業立ち上げに不可欠だったある海外コンピュータの輸入にあたり、税関担当者が要求してきた賄賂を断った話とか、海外パッケージの輸入販売を計画した際に、他社が会計操作によって高い関税を回避していたのに対し、インフォシスはそういう方法を嫌い、結局はパッケージ販売を断念したという話など、傍から見ると「??」と思うような(もっとストレートに言えば、それほど次元が高くないような)ものだった。論文に出てきた例がたまたまそうであっただけで、実際にはC-LIFEの価値体系に基づいて、もっとレベルの高い議論が交わされているものと信じたい。


(※1)ビジョンの構成要素については、過去の記事
 「ビジョンを構成する要素とは一体何なのだろうか?
 「ビジョンの3要素「目的」「価値観」「未来イメージ」はどう関係し合っているのか?
 「「ビジョンは不要」と言いながらも強力なビジョンを掲げたガースナー−『巨象も踊る』」 を参照。

(※2)楠木建著『ストーリーとしての競争戦略』(東洋経済新報社、2010年)を参照。レビュー記事は「(※注)以降の記述で作品に関する核心部分が明かされています―『ストーリーとしての競争戦略』」。

ストーリーとしての競争戦略 ―優れた戦略の条件 (Hitotsubashi Business Review Books)ストーリーとしての競争戦略 ―優れた戦略の条件 (Hitotsubashi Business Review Books)
楠木 建

東洋経済新報社 2010-04-23

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(※3)「ユニー:サークルKを完全子会社化」(毎日.jp、2011年2月16日)

(※4)日本企業の場合、ミドルマネジャーが戦略の構築と実行フェーズにおける各方面との調整において重要な役割を果たしていたとする研究もある。

変革型ミドルの探求―戦略・革新指向の管理者行動変革型ミドルの探求―戦略・革新指向の管理者行動
金井 壽宏

白桃書房 1991-07

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February 17, 2012

経済的⇔社会的価値という二項対立を克服するグレート・カンパニー―『「チェンジ・ザ・ワールド」の経営論(DHBR2012年3月号)』

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ダイヤモンド社 2012-02-10

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 DHBR2012年3月号のレビューの続き。

「制度の論理」による グレート・カンパニーの経営論(ロザベス・モス・カンター)
 各方面からの評価も高く、好業績を続け、長きにわたって存続してきた企業には、「制度の論理」(institutional logic)が存在している。このような企業では、社会や人間は、後で考えればよいもの、あるいは使い捨てされるものではなく、その目的の中心にある。

 制度の論理では、企業のことを金儲けの道具と考えたりしない。すなわち、社会目的を実現し、そこで働く人々に有意義な生活を提供する手段と考える。この論理に従えば、企業が生み出す価値は、短期利益や給料だけでなく、長期的繁栄の条件をどのように維持しているかという観点からも測定されなければならない。このような企業のリーダーたちは、財務リターンだけでなく、長きにわたって存続しうる組織をつくり上げる。

 グレート・カンパニーは、より多くの経済価値を引き出す手段として組織内のプロセスを設計するのではなく、社会の価値や人間の価値観を意思決定の基準となる(※原文ママ)フレームワークを構築する。
 「制度の論理」(institutional logic)とは、社会学や組織研究における主要概念の1つで、「社会の文脈に従って、個人や組織など行動主体の振る舞いを理解する」という考え方だそうだ(同論文の脚注より)。「制度の論理」の中身はさておき、著者の主張を端的にまとめると、企業は「経済的価値」を実現する(平たく言えば利益を上げる、株主価値を最大化する)だけでは不十分であり、「社会的価値」も同時に追求しなければならない、ということになる。

経済的価値と社会的価値を両立させるグレート・カンパニー ここで、経済的価値と社会的価値を両立させるとはどういうことか、私なりに簡単にまとめてみた。左図のように、経済的価値と社会的価値それぞれのレベルによって、企業は大きく9つに分類される。

 まず経済的価値の軸だが、第一に企業は既存の市場でシェアを獲得し、競合他社よりも優位なポジションを築こうとする。これが「競争の壁」であり、この壁を打ち破るために、マイケル・ポーターが提唱した「競争優位の戦略」を構築し、フィリップ・コトラーが体系化した「マーケティング・マネジメント」を実施しなければならない。

 だが、とりわけ現在の日本がそうであるように、市場が飽和状態になると、パイの奪い合いだけでは利益の出ない消耗戦に陥る。したがって企業は、次のステップとして「イノベーション」を引き起こし、新しい産業や市場を創出する必要性に迫られる。これが「革新」の壁である。経営学者やコンサルタントが世に送り出した多くの理論やツール、フレームワークは、企業が経済的価値の軸を左から右へと進むためにはどうすればよいか?という問いに答えるためのものである。

 一方で、もう何十年前、いや何百年前から聡明な実業家たちが訴えているように、企業は社会的な存在であり、事業を展開する地域や、株主以外の様々なステークホルダーから”正当性”を認められなければならない。別の言い方をすれば、企業は「その地域や社会で事業を展開してもOK」というお墨付きをいただく必要がある。これが社会的価値という第2の軸である。

 社会的価値を実現する上で最初に乗り越えなければならないのは、至極当然のことだが「法律の壁」である。そのために、企業は「コンプライアンス(法令遵守)」の仕組みを構築する。法律を守るなどというのは当たり前すぎる話ではあるけれども、ちょっと油断すると、大企業であっても簡単にこの壁から転落してしまうことは、大王製紙やオリンパスの事件を見ればよく解る。

 さらに先進的な企業は、単なるコンプライアンスを超えて「倫理の壁」に挑み、社会の不文律である倫理や道徳、あるいは野中郁次郎教授がしばしば強調する「共通善」(common good)を目指すようになる(※1)。倫理の壁を超えたばかりの企業は、たいていはCSR(もうちょっと昔の言葉だとフィランソロピー)などによる社会貢献を始める。ただし、CSRはどちらかというと、本業の儲けの一部を、本業とは無関係な分野へ再配分しようとする活動が中心であるように見受けられる。

 これに対して、真に倫理的な企業は、本業を構成するあらゆる要素、すなわち戦略やオペレーション、組織やガバナンスの構造、意思決定のルール、社員同士の人間関係、人事や予算配分などの社内制度、さらには取引先や販売チャネルとの関係にも、厳しい倫理・道徳水準を要求する。そして、経済的価値と社会的価値を同時に実現する右上の「i」に該当する企業こそが、ロザベス・モス・カンターの言う「グレート・カンパニー」ということになる。

 前述の通り、経営学者やコンサルタントの多くが、経済的価値の軸を右方向へ進む方法を模索してきたのと同様に、社会的価値を重視する論者も、大半は社会的価値の軸を上方向へ昇る道を提示してきたように感じる(内部統制やIFRSなどはまさにそうではないだろうか?)。ところが最近になって、経済的価値⇔社会的価値という二分法を克服し、2つの軸を同時に追求する動きが出てきている。

 例えば、C・K・プラハラードのBOPビジネスや、マイケル・ポーターの「共通価値の戦略」(※2)は、新興国や途上国の社会的ニーズ、換言すれば「最低限+αの生活水準を達成したい」というニーズを充足することで人々の生活を改善するとともに、億単位の潜在顧客から構成される新たな市場の開拓を狙うものである。先ほどの図で言うと「e」から「i」へのシフトを志向していると言えるだろう。今後、ますますこうした取り組みが加速するに違いない。


(※1)野中郁次郎著「名将と愚将に学ぶトップの本質 リーダーは実践し、賢慮し、垂範せよ」(『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2012年1月号)

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ダイヤモンド社 2011-12-10

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(※2)マイケル・ポーター著「経済的価値と社会的価値を同時実現する 共通価値の戦略」(『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2011年6月号)

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February 16, 2012

「顧客コミュニティの活用」というビジネスモデル変革―『「チェンジ・ザ・ワールド」の経営論(DHBR2012年3月号)』

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 今回から本格的に論文のレビュー開始。

顧客と企業のつながりをいかに強化するか 成功するSNS戦略(ミコワイ・ジャン・ピスコルスキ)
 (ソーシャル・プラットフォームに参入している60社超を調査した結果、)うまくいっていない企業に共通していたのは、ソーシャル・プラットフォームに「デジタル戦略」を導入し、売らんがためのメッセージを発信し、顧客の反応を求めるというやり方であった。顧客はこのような提案は拒否する。なぜなら、ソーシャル・プラットフォームを利用する主たる目的は、だれか―それは企業ではない―とつながることだからである。

 それに引き換え、大きな利益を得ている企業は、新たな出会いを生み出し、人間関係をより良好なものにする「ソーシャル・ネットワーキング・システム(SNS)戦略」を打ち出していた。夕食の例えで言えば、SNS戦略を採用している企業は、席に着くと、こう言ってくる。「どなたかご紹介いたしましょうか。それとも、いまのお友だちとの仲が深まるようなお手伝いをいたしましょうか」
 著者によると、成功するSNS戦略は、「戦略上の効果」と「人間関係上の効果」という2軸で構成されるマトリクスを用いることで、次の4つに分類できるという(事例は、論文の内容を基に私がまとめたもの)。
(戦略上の効果, 人間関係上の効果)=
(1)(コスト削減, 人間関係の強化)
 《ジンガ》(※facebookで「ファームビル」や「シティビル」などのソーシャルゲームを提供する企業)
 初期状態のユーザが所有する土地や運営できる事業数には限りがあり、これを引き上げるにはバーチャルの製品やサービスを購入する必要があるが(アイテムの購入金額が主たる収益源という、よくあるソーシャルゲームのビジネスモデル)、それ以外に友人の力を借りることで機能制限を取り払うことも可能である。プレイヤーは自分の友人を新たなプレイヤーとして勧誘し、ゲームを通じて交流を続ける。これはジンガ側から見ると、新規プレイヤーの獲得コストを削減したことになる。

(2)(コスト削減, 人間関係の創出)
 《イェルプ》(※レビューサイト)
 「イェルパー」と呼ばれるレビュアー(多くは教育水準の高い30代〜40代)の中でも特に熱心なレビュアーには、特別な出会いの場が提供される。具体的には「エリート・スクワッド」への招待状が届き、美術館でのカクテルパーティーや、サンフランシスコのバブル・ラウンジでの大宴会などのイベントに参加できる。参加者はここで新しい交友関係を築くと同時にイェルプへのロイヤルティを強め、今後もレビューを投稿する気になる。これはイェルプ側にとっては、イベントへの支出だけで、良質なレビューの継続的な獲得に成功したことになる。

(3)(購買意欲の増進, 人間関係の強化)
 《イーベイ》
 2010年末から始まったサービス「グループ・ギフト」では、何人かでお金を出し合って友人へのプレゼントを購入することができる。仕組みは簡単で、プレゼントを贈りたい人は、イーベイのページで贈り物を選択し、facebookの友人にカンパを呼び掛けるというものだ。このサービスによって、贈り主と受取人の人間関係だけでなく、カンパした贈り主同士の人間関係も深まる。また、イーベイ側から見ると、1人ではなかなか買えない高価な贈り物をイーベイで買ってもらえる機会が増えたことになる。さらにイーベイによると、グループ・ギフトの利用者の3分の1がペイパルの口座を開き、3分の1が1か月以内にイーベイでまた別の製品を購入しているという。

(4)(購買意欲の増進, 人間関係の創出)
 《アメリカン・エキスプレス》
 同社の会員制サイト「コネクトデックス」は、カード会員の継続を前提に加入することができるSNSである。同SNSは1万5,000人以上の小規模事業者が利用している。年商10万ドル以上の小規模事業者の半数近くは、他の事業者から何かを学びたいと思っているという調査結果もあり、「コネクトデックス」はまさしくこのニーズに応えるネットワークとなっている。また、アメックス側から見ると、このSNSはユーザのカード離反率を下げるとともに、カードの利用率を上げる効果もある。
 個人的には、「コスト削減⇔購買意欲の促進」、「(既存の)人間関係の強化⇔(新しい)人間関係の創出」という区別は、それほど境界線が明確ではないような気がする。《ジンガ》の例で言えば、新規ユーザを勧誘したことで競争心に火が付き、お互いにバーチャルアイテムを購入し始めたとすれば、これは購買意欲の促進に該当するだろう。また、《イーベイ》の例も、「グループ・ギフト」の利用者の3分の1がペイパルユーザに加わったという点では、顧客獲得コストを節約したと言える。《アメックス》の例では、何もSNSに参加している小規模事業者が全て赤の他人とは限らない。以前から親交のあった小規模事業者同士が、同じアメックスユーザであることを知って、さらに交流を深めるというケースも十分にありうる。

 SNS戦略のポイントは、既存のビジネスモデルによって提供されている顧客価値が、顧客同士のコミュニティによって強化されるか否か?であると思う。SNS戦略で成功している企業は、顧客コミュニティの活用を通じて、顧客価値を強化することに成功した企業と言い換えることができる。これは新しいビジネスモデル変革のパターンだと思った。だから、昨年書いた連載モノ「【シリーズ】ビジネスモデル変革のパターン(全20回)」に、21個目の変革パターンとして「顧客コミュニティを活用する」というのを追加した方がいいのかもしれない。

 《アメックス》のクレジットカードがもたらす顧客価値は、基本的には「小規模事業者の資金調達ニーズを満たす」ことである。だが、小規模事業者の資金調達ニーズとは、もっと深く掘り下げていくと、単なる資金獲得にとどまらない。現在の事業収入でどこまでクレジットを使っても大丈夫なのか?返済計画はどのように練ればよいのか?他の資金調達方法はないのか?といったことも彼らの関心事である。

 そして何より重要なのは、小規模事業者は小規模であるがゆえに孤独であり、そういう悩みを気軽に相談できる人が周囲に少ないということである。「コネクトデックス」はまさに、小規模事業者の孤独を解消するソリューションであり、「小規模事業者の資金調達ニーズを満たす」という本来の顧客価値を強化するのに役立っていると言えるだろう。

 このビジネスモデル変革のもう1つのポイントは、顧客コミュニティの活用によって本来の顧客価値が強化されるのであれば、そのネットワークがバーチャルかリアルかは関係ないということである。バーチャルとリアルのどちらが顧客価値の強化に効果的なのかは、ケースバイケースである。顧客コミュニティの活用と言うと、どうしても流行のソーシャル・メディアばかりに目が向きがちであるけれども、敢えてリアルのコミュニティを選択した方がよいケースもあるはずだ(※)。

 事実、引用文で紹介した《イェルプ》の事例は、バーチャルではなくリアルのコミュニティである。また、「ビジネスモデル変革のパターン」シリーズの「【第2回】高級志向の顧客を狙う」で取り上げたハーレー・ダビッドソンも、リアルのコミュニティを重視している。バイク好きの人には、バイクメーカーに忠誠を誓うだけでなく、同じバイクを乗り回している人たちとも密接につながっていたいという心理があるようだ。同社のライダーコミュニティは、そうした心理的欲求を満たすのに一役買っている。

 (毎度のようにレビューは続きますよ)


(※)ラリー・クレイマー著「フランス企業に学ぶ優良顧客との関係構築法 ネットワークよりリレーション」(『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2011年3月号)によると、フランス企業は安易にバーチャルのソーシャル・メディアに飛びつかず、古典的なリアルのコミュニティを重視する傾向があるという。

Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2011年 04月号 [雑誌]Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2011年 04月号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2011-03-10

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February 15, 2012

大学・企業の協業による学生の能力開発で、返って学生の雇用情勢は悪化するかもしれない

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Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2012年 03月号 [雑誌]Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2012年 03月号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2012-02-10

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 DHBR2012年3月号の論文のレビューに入る前に1つ記事を。巻頭に「若年者雇用の未来」というコラムがあって、若者の厳しい雇用情勢を改善する案が2つ提示されている。1つは「大学と企業の協業による学生の人材開発」であり、もう1つは「『準社員』という制度の創設」である。前者は、新卒社員の育成にかかるコストが企業にとって重荷となっていることから、大学と企業でコストシェアさせるという発想であり、後者は雇用が守られている正社員と、雇用の調整弁として何かと不利な立場に置かれる非正規社員の二極化を避けるための措置であるという。

 私見だが、後者に関しては、「準社員」の理想的な法的地位がコラム内には書かれていないし(「準社員」というカテゴリを実際に設けている企業はあるものの、その実態はまちまちである)、単に雇用形態を多様化したところで、結局は非正規社員と同じ道をたどるだけなのではないか?という疑問が消えない。

 前者に関しては、肯定的・否定的両面の見方ができそうだ。肯定的に捉えるならば、新卒社員のトレーニングのうち、業界を問わず共通のもの(それこそマナーやPCの基本操作など)は、各社が個別でやるよりもまとめて実施した方が効率的であるから、アウトソーシングした方がよいという考え方が成り立つ。ただし、アウトソーシング先が大学でいいのか?という論点は残る。大学の目的は新卒社員の育成ではないし、仮に国公立大学にアウトソーシングされれば、新卒社員の訓練に税金が投入されることになる。それが果たして税金の使い道として適切なのか?という議論は必ず生じるだろう。

 否定的に捉えると、人材育成のアウトソーシングは、人材育成を投資ではなくコストとみなす風潮に拍車をかける危険性があるように思える(今でもその風潮はあって、研修業界に身を投じているとよく解るものだ。不景気になり業績が悪化すると、研修費用は真っ先にカットの候補に挙がる)。人材育成に投じる金額は、確かに会計上はコストとして処理されるけれども、実際には将来的なリターンを期待した投資である。しかも、社員の経験が浅ければ浅いほど、投資がペイするまでに時間がかかるのは自明である。

 新卒社員のトレーニングには時間もお金もかかる。しばしば、入社後3年間はその社員から利益を期待することはできないとも言われる。だからこそ、その3年間に投じた金額を4年目以降に稼ぎ出してもらうために、現場は人事部の後押しを受けながらOJTを徹底的に行い、本人の能力を飛躍的に伸ばす仕事の機会を探り、簡単に離職しないように心理的なケアを欠かさないでおこうとするのではないだろうか?

 逆に、人材育成がコストとみなされ、さらにそのコストがアウトソーシングなどによって抑制されてしまうと、現場や人事部は先に述べたような人材育成のインセンティブを失い、たとえ離職者が相次いでも、「あいつにはそれほど金がかかっていないから、辞めても大した痛手にはならない」と考え始めるかもしれない。

 新卒社員の育成に対する熱意が冷めてしまった企業は、とどのつまり他企業などで既に十分なトレーニングを受けた経験者の採用に走るに違いない(中途採用も、本来は自社でやるべきトレーニングを他社でやってもらったわけであるから、一種のアウトソーシングと見ることもできる)。こうなってしまうと、「大学と企業の協業による学生の人材開発」という構想は、全くの逆効果である。個人的には、この負のシナリオの方が実現しそうで非常に怖いのだが、皆さんはどう思われるだろうか?
February 09, 2012

怒りっぽい人が心臓発作に至る過程がリアルで怖かった―『怒りのセルフコントロール』

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怒りのセルフコントロール怒りのセルフコントロール
レッドフォード ウィリアムズ ヴァージニア ウィリアムズ Redford Williams

創元社 1995-05

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 タイトルの通り、本書では怒りをコントロールするための17の方法が紹介されている。著者の2人は名前を見ると解るように夫婦であり、かつ2人とも研究者である。夫のレッドフォードは性格と健康の関係を専門とする医学者、妻のヴァージニアは第1次世界大戦に関する著書などがある歴史学者だそうだ。本書は基本的に夫の研究に基づいているが、面白いことに17のメソッドの中には、夫婦間の危機がきっかけで編み出され、実際に2人で試行されたものも含まれているという。

 アメリカの心臓病学者であるマイヤー・フリードマンとレイ・ローゼンマンは『タイプA―性格と心臓病』の中で、狭心症や心筋梗塞などの心臓疾患になりやすい性格傾向を明らかにし、それをタイプA行動パターンと名づけた。タイプAは、緊張、性急さ、競争心、敵対心などを特徴とする人々である。レッドフォードはタイプAと疾患の関係に関する研究をさらに続け、その結果、タイプAの特徴のうち健康に影響するのはただ一つ、「敵対性」だけであるという結論に達したという。

 その「敵対性」がなぜ心臓疾患につながるのか?そのシナリオが非常に具体的で、読んでいてちょっと怖くなったよ(汗)(『キレないための上手な「怒り方」』にも似たような話が登場するけれど、本書の方がずっとリアル)。簡単にそのシナリオをまとめてみた。
 ・怒りを感じると視床下部が刺激され、神経細胞が副腎にシグナルを送って、アドレナリンとコルチゾールを血中に大量に分泌させる。
 ・アドレナリンは身体を戦闘モードに切り替えるべく、動脈を拡張させて心臓と筋肉に血液を送り込む。
 ・視床下部は交感神経を刺激して、皮膚や腎臓、腸に血液を送る動脈を収縮させる(戦闘モードの時は、食べ物を消化している場合ではないため)。
 ・コルチゾールには、アドレナリンの効果を増幅させる働きがある。さらに視床下部は、副交感神経系の働きを抑制し、これによってアドレナリンの効果を持続させる。
 ・アドレナリン&コルチゾールのタッグで血圧が上昇したことにより、冠状動脈の内膜にある内皮細胞が侵食される。すると、血小板がその傷を治そうと集まってくる。
 ・血小板が分泌する化学物質は、冠状動脈壁の筋肉細胞を動脈内面に移動させ、動脈内で肥大、増殖させる。
 ・血中の細胞群であるマクロファージが冠状動脈の損傷箇所に集まり、傷ついた組織や残骸を飲み込んでいく。
 ・アドレナリンは脂肪細胞にも働きかけ、戦闘に使用するエネルギーを供給するために、脂肪を運動エネルギーに変換する。
 ・しかし、本当に戦闘をするわけではないからエネルギーは過剰となり、余ったエネルギーは肝臓でコレステロールに変えられ、血中に放出される。
 ・血中のコレステロールは、冠状動脈の損傷箇所に溜まっている血小板やマクロファージに吸収されて、泡沫細胞となる。
 ・コレステロールが詰まった泡沫細胞は、怒りを感じるたびに上記のようなプロセスを繰り返して肥大し、冠状動脈を圧迫する。
 ・ある日冠状動脈が完全にふさがれてしまい、心筋梗塞に至る(怖ぇ〜)。
 17のメソッドの詳細はここでは紹介しないが、2人の著者は基本的に、「怒りの大半は大したことではない」という前提に立っているようだ。まず、「敵対性ログ」という方法で、日常生活の中で怒りを感じた出来事を、どんなに些細なことも含めて1つ1つ記録していく。次に、それらの出来事を以下の3つの基準で評価し、本当に重要な怒りのみを絞り込んでいく。
(1)こだわり続ける価値があるほど重要な問題か?
(2)(筆者補記:自分が怒りを感じる)正当な理由はあるか?
(3)(筆者補記:怒りを引き起こした事象に対して)効果的に対処できるか?
 大雑把に言ってしまえば、この3つを全て満たすものだけが真に対応すべき怒りであって、それ以外は早く忘れるか、考えを切り替えるか、相手を許す(!)などした方が、自分の健康のためでもあり、人間関係を円滑にする秘訣だというのが著者の主張である。17のメソッドの9割以上は、「怒りの大半は大したことではない」と思えるようになるためのものだ(それでもまだ怒るだけの正当な理由があり、何かしらの対処法が取れそうな場合は、「主張法」と呼ばれるメソッドを使う。ただし、そのようなケースに有効なメソッドとして著者が挙げているのは、この「主張法」ただ1つだけである)。

 とはいえ、敵対性が強い人=怒りっぽい人(私もそのうちの1人)にとって、(1)(3)はまだ何とかなるかもしれないけれど、(2)が最大の障害になりそうだな。怒っている人は、自分が正しいと思って怒っているのだから、その理由を自分で疑うことは非常に難しいんだよね・・・そんな時には、相手の思考回路にも思いをめぐらせ、相手にも何かしらの事情があるのでは?相手にもそれなりの合理的な理由があるのでは?(こちらから見れば正当な理由に見えなくとも)などと考えるだけでも、怒りが緩和されると著者は述べている。うーん、これは訓練次第だな。

 逆に、前述の3つの基準を満たす重大な怒りは、どのような意味を持つのだろうか?前向きにとらえれば、それはきっと、人生の目的や使命を示唆する怒りなのではないだろうか?(過去の記事「「その課題を解決できるのは自分だけ」という思いが使命感になる―『MBB:思いのマネジメント』(1)(2)」を参照)。

 ものすごく解りやすい例で言うと、マーティン・ルーサー・キングは黒人差別に対して、マハトマ・ガンディーはイギリスの支配に対する大きな怒りを抱いていた。坂本龍馬を始めとする幕末の藩士たちは、旧態依然とした江戸幕府への大きな怒りを、倒幕と開国へのエネルギーへと変換した。

 その倒幕によって生まれた明治政府に対しても、過度な欧化主義によって日本人のアイデンティティが失われることを危惧したジャーナリストたち(陸羯南、三宅雪嶺、志賀重昂など)が、国粋主義の名の下に一生をかけて対抗し続けた。現代に目を向ければ、スティーブ・ジョブズはマイクロソフトへの大きな怒りを感じながら(晩年は、長年の盟友であったグーグルに対しても大きな怒りを向けながら)、アップルを経営した(残念ながら、ジョブズは早世だったが)。大きな怒りはストレスも並大抵ではないものの、「自分の人生の目的が見つかった!!」といった気持ちで、むしろ喜ぶぐらいの方がいいのかもしれない。

 松下幸之助の『指導者の条件』には、西ドイツの首相だったコンラート・アデナウアーの逸話が紹介されている。アデナウアーがアメリカのアイゼンハワー大統領に会った時、人生において重要な3つのことを話したという。1つ目は「人生というものは70歳にして初めて解るものである。だから70歳にならないうちは、本当は人生について語る資格がない」ということ。2つ目は「いくら年をとっても老人になっても、死ぬまで何か仕事を持つことが大事だ」ということ。そして3つ目が興味深いのだが、「怒りを持たなくてはいけない」というのである。

指導者の条件指導者の条件
松下 幸之助

PHP研究所 2006-02

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 この言葉に関して、松下幸之助は次のように分析している。
 これは、単なる個人的な感情、いわゆる私憤ではないと思う。そうでなく、もっと高い立場に立った怒り、つまり公憤をいっているのであろう。(中略)第2次世界大戦でどこよりも徹底的に破壊しつくされた西ドイツを、世界一といってもよい堅実な繁栄国家にまで復興再建させたアデナウアーである。その西ドイツの首相として、これは国家国民のためにならないということに対しては、強い怒りを持ってそれにあたったのであろう。占領下にあって西ドイツが、憲法の制定も教育の改革も受け入れないという確固たる自主独立の方針をつらぬいた根底には、首相であるアデナウアーのそうした公憤があったのではないかと思う。
 アデナウアーは91歳で亡くなったので、十分長生きだったと言える。アデナウアーは、首相、しかも敗戦からの復興を目指す首相という重責を担い、大小様々の事柄に怒りを感じてもおかしくない立場にありながら、自分が本当にこだわり続けるだけの価値と正当性がある問題(=要するに、西ドイツ国家のためには許されざる問題)のみにフォーカスをあてる術を身につけていたのであろう。今度はアデナウアーの伝記でも読んでみるかな?
February 06, 2012

前提となる世界観はデヴィッド・ボームの「ダイアローグ」と共通な気が―『怒り(心の炎の静め方)』

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怒り(心の炎の静め方)怒り(心の炎の静め方)
ティク・ナット・ハン Tich Nhat Hanh

サンガ 2011-04-13

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 相も変わらず「怒り」に関する書籍を読んでいるところ。これまでに紹介した加藤諦三著『どうしても「許せない」人』やクリスティン・デンテマロ他著『キレないための上手な「怒り方」』は、ひとまず相手のことは置いておいて、自分が怒りを感じた時にどう対処するか?という本だったが、今日紹介する本は、双方が怒りを感じている時にどうすればよいか?という本である。そういう意味ではより実践的な本のはずなんだけれども、この本は宗教色が強く(ブッダの教えに立脚している)、読む人を選ぶような気がした。
 内なるブッダに触れるためには、意識的な呼吸や歩行の実践をする必要があります。意識の中にある気づきの種に触れると、顕在意識にブッダが現れ、あなたの怒りを包み込みます。何も心配することなく、ブッダを生かし続けるように呼吸と歩行の実践を続けてください。そうすればすべてがうまくいきます。ブッダは怒りに気づき、受け入れ、和らげ、怒りの本質を深く見つめます。そしてブッダは理解します。この理解が変容をもたらすのです。
 うーん、私は恥ずかしながら仏教に対する理解がないので、こういう話はイメージが難しいな・・・。

 怒りの鎮め方を論じるにあたって、著者は「非二元論」と「相互共存」という2つの原則を拠り所としている。「非二元論」とは、体と心を区別しないことであり、怒りを抱えた心を大事に扱うには、まず体を大切にしなければならないという。仏教では、体と心の形成物を「ナーマルーパ(名色)」と呼ぶそうだ。心に起こることは体にも起こるという考えに基づき、呼吸や歩行、さらには食事を整えることの重要性が強調されている。

 もう1つの「相互共存」(本書を読んだ印象では、こちらの方が重要な気がした)とは、ブッダの言葉を借りれば「人は誰も孤立した存在ではない」ということであり、さらに突き詰めていくと、「私はあなたであり、あなたは私である」といった、人間同士の境界線を取り払う思想に行き着く。

 「相互共存」の原則によれば、「私の怒りは相手の怒り」であり、「私の苦しみは相手の苦しみ」となる。よって、自分が相手に怒りを伝える際には、相手が同じように抱えているであろう怒りにも耳を傾け、尊重しなければならない。端的に言えば、相手を愛さなければならない。しかしここで、「相互共存」の原則に従って、今度は逆に「相手を愛するには、まずは自分を愛する必要がある」という考え方が導かれるのである(この辺りになると、解ったような解らないような、不思議な感覚に襲われる。いや、実際にはよく解っていないのだけれど、汗)。

 「相互共存」の原則は、自分の怒りを相手に伝える際のコミュニケーションに端的に表れている。『キレないための上手な「怒り方」』などでは、効果的な怒りの表現とは、(1)怒りを感じた具体的な状況を特定し、(2)自分がどう感じたのかを率直に表現して、その上で(3)相手の行動をどう改めてほしいのか、要望をストレートに伝えることだとされる。

 これに対して本書の著者は、次の3つの言葉によって相手に怒りを伝えるのが効果的だと述べている。
(1)「私は怒っています。私は苦しんでいます」
 苦しいとき、怒っているときも、あなたの気持ちを相手に伝えなくてはなりません。これが真の愛です。できるだけ穏やかに伝えてください。声に悲しみが表れるかもしれませんが、それは構いません。とにかく相手を罰したり責めたりすることだけは言ってはいけません。「私は怒っています。苦しんでいます。あなたにそれを知ってもらう必要があるのです。」お互いを支え合うという誓いを立てた2人にとって、これは愛の言葉です。

(2)「私は最善を尽くしています」
 これは、あなたが怒りに任せて行動しているのではなく、意識的な呼吸、意識的な歩行を実践し、気づきによって怒りを受け入れようとしていることを意味します。「私は最善を尽くしています」と言うとき、あなたは自分がこれまでに何度も、誤った認識のために怒ってしまったことに気づいています。ですから今、あなたはとても慎重です。自分は相手の言動の犠牲者であると簡単に思い込むべきではないことを知っているからです。自分の中に地獄を創り出していたのは、あなた自身かもしれないのです。

(3)「助けてください」
 3つ目の言葉は自然に後に続くでしょう。これは真の愛の言葉です。相手に腹を立てているとき、「あなたなんて必要ない。私はあなたがいなくても十分やっていけるわ!」と逆のことを言いがちです。でもあなた方はお互いを支え合う誓いを立てました。苦しいとき、たとえ自分で実践の方法を知っていたとしても、相手の協力を必要とするのはとても自然なことです。
 (1)は通常の怒りの表現とほぼ共通しているが、(2)(3)には「相互共存」の思想が色濃く表れている。つまり、自分が怒りを感じた時、これは自分だけの問題ではなく、自分と相手の問題なのであり、お互いの協力による解決を望んでいると相手に訴えているわけである。

 本書を読んでいくうちに、「非二元論」と「相互共存」という2つの原則は、随分前にこのブログで取り上げた物理学者デヴィッド・ボームの『ダイアローグ−対立から共生へ、議論から対話へ』と共通している気がした。ボームは「ホログラフィー宇宙モデル」という二重構造の宇宙モデルを提唱し、その一方を「内臓秩序」と名づけた。内臓秩序は、我々が普段認識している世界とは異なり、物質、精神、時間、空間など、この世のあらゆるものが取り込まれ一体となっている世界だ。

 どんなに深刻な問題を抱え、心理的にズタズタに分断された人々であっても、内臓秩序の世界では分離不可能な関係を形成している。我々は、ダイアローグ(対話)を通じて内臓秩序の次元に到達し、諸々の問題を乗り越えて前進することが可能になるとボームは主張する。しかも、内臓秩序の次元に達した人々は、肉体という物理的な境界を超えて、意識のレベルでつながるという。これはまさに、本書の「非二元論」に通じるところがある。

 ただ、『ダイアローグ−対立から共生へ、議論から対話へ』の書評でも書いたように、ボームのダイアローグ論は、「ダイアローグを根気強く続ければ、自ずと内臓秩序へ昇れる」と言っているような気がして、やや楽観的すぎる印象を受けた(単に私の理解が浅いだけだが・・・)。ディスカッションではなく、敢えてダイアローグを選択しなければならないほど深刻な問題に関わっている人々は、暴発寸前の怒りを抱えているものである(以前の記事「「対話」という言葉が持つソフトなイメージへのアンチテーゼ」を参照)。その点、本書は怒りを出発点としているから、本当はボームのダイアローグ論よりも実践的なのかもしれない。しかし、冒頭で述べた通り、宗教に対する私の理解不足ゆえに、実践知に落とし込めないのが何とも歯がゆいところだ。
February 03, 2012

《補足》「ワーストプラクティスのベンチマーキング」という考え方―『日経情報ストラテジー(2012年3月号)』

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日経情報ストラテジー

日経BP社 2012-01-28

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 昨日の記事「再現性の低い失敗の分析に意味はあるか?という問い―『日経情報ストラテジー(2012年3月号)』」が、個人的にあまりにイマイチだったので、結局何が言いたかったのかをもう一度整理してみた。要するに、東京大学・中尾教授のコラムにあった「人のふり見て我がふり直せ」ではないけども、他社の失敗事例を真剣に検討して自社の仕組みを改善している企業が一体どのくらいあるのか?ということが言いたかったわけ。失敗の再現性があろうとなかろうと、あるいは自社の事業内容とは遠い企業や団体・組織の事例であっても、冷静に分析すれば何らかの教訓は必ず得られる(「歴史から学ぶ」というのは、まさにその一例)。

 多くの企業は、ベストプラクティスのベンチマーキングには力を入れる。日本企業は特に他社事例に敏感なようで(例えば、取引先から新しい技術を採用した製品やサービスを提案されると、「競合が導入しているなら、うちも入れよう」という理由で導入が決まるケースが多いと聞く)、競合はもちろんのこと、異業種も含めて成功要因を深く探ろうとする。ところが、「ワーストプラクティス(=失敗)」のベンチマーキングとなると、どうしてもトーンが下がる気がする。これには2つの要因があるだろう。

 1つは物理的な要因であり、失敗事例はなかなか表に出ないという情報面の制約がある(それでも最近は、失敗事例を集めた書籍が幾ばくか出版されるようになったと思う)。もう1つは、こちらの方が重要だと思うのだが、人間には基本的に楽観志向が埋め込まれているという心理的な要因である。心理学の研究が示すところによると、我々は「自分にはいいことが起こるはずだ」、あるいは「自分は他人のように失敗するはずがない」と考える性向があるという。前者を「非現実的な楽観主義(unrealistic optimism)」、後者を「不死身の錯覚(illusion of personal invulnerability)」と呼ぶ。

 「非現実的な楽観主義」にとらわれた人は、幸せな結婚、出世、長生きなど、よいことが自分に起こる可能性をしばしば過大評価する。また、「不死身の錯誤」に陥ると、人生には災厄のリスクが存在することを客観的に承知しているにもかかわらず、わが身には降りかかってこないと考えてしまう(※)。

 こうした心理的傾向があるために、ベストプラクティスに関しては、「あの会社が成功したのなら、わが社にだってできるに違いない」と確信して必死に勉強するものの、ワーストプラクティスについては、「うちの会社はあそこのように失敗するはずがない」、「わが社だけは危険を回避できる」と考えて、真剣にとり合わないと推測される。

 本号によると、キヤノン電子には他の事業部で発生した失敗事例を分析・共有する「他部門勉強会」が存在するという。だが、他社の失敗事例を分析・共有する仕組みを備えている企業というのは、(私の狭い見聞の範囲内での話だが)今まで聞いたことがない。将来的に今の自分の個人事業を法人化したら、ワーストプラクティスをベンチマーキングする仕組みを検討してみようかなぁ?と思った。


(※)ロデリック・M・クラマー「「過度な信頼」に関する7つのルール 信頼の科学」(『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2009年9月号)

Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2009年 09月号 [雑誌]Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2009年 09月号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2009-08-10

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February 02, 2012

再現性の低い失敗の分析に意味はあるか?という問い―『日経情報ストラテジー(2012年3月号)』

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日経BP社 2012-01-28

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 (前回の続き)

(2)再現性の低い失敗を分析することに果たして意味はあるか?
 本号には、過去の失敗事例を組織的に分析・共有する仕組みを構築している事例がいくつか紹介されている(ノジマ、ライオン、キヤノン電子など)。詳細は割愛させていただくが、事例を読んでいく中で1点気になったのは、『失敗百選』シリーズの著者である東京大学・中尾政之教授のコラムにあった次の記述である。
 「失敗を生かす」というテーマですぐに思いつくのは、再発防止策を作ることだろう。このような意味でとらえた場合、失敗を生かしやすいのは過去の失敗事例から引き出せる教訓の”賞味期限”が長い会社だ。鉄道などの公共インフラ系の企業が当てはあまる。こうした企業は「人のふり見て我がふり直せ」の要領で失敗事例を研究することで、悪い失敗の再発を防止できる。

 一方、ソフトウエア開発をはじめとするIT系など、事業環境の変化や技術進歩が激しい企業の場合は話が異なる。最新技術を次々と採用するために、従来とは違うタイプの失敗が起こりやすい。失敗から得た教訓を生かせる賞味期限も比較的短く、失敗事例をじっくり学んで再発を防ぐといった姿勢を取りにくい。
 中尾教授によれば、ソフトウェア開発以外の民生品でも、失敗の賞味期限が短くなっているという(※)。そうなると、環境も技術もいずれ変化するし、将来的に役に立ちそうにない失敗を分析することに、果たしてどれだけの意味があるのか?という疑問が湧いてくる。

 賞味期限が短いどころか、失敗そのものが特殊すぎる(=失敗を引き起こした環境や技術が特殊すぎる)場合もある。1000年に1度の大津波によって引き起こされたとされる東京電力の福島原発事故は、その一例だろう。もちろん、まだM8〜9規模の余震が東北沖で発生する可能性があるし、他の原発が稼働している地域の沖合で大地震が起きるケースも想定されるわけだが、今回の原発事故は地震の周期を踏まえると特殊な部類に入るに違いない。

 中尾教授が言及しているソフトウェア開発での失敗や東京電力の原発事故などは、まとめると「再現性の低い失敗」と言える。ここで論点となるのは、繰り返しになるけども、そのような再現性の低い失敗を分析することに意義があるのか?ということである。

 とはいえ、少なくとも福島原発事故に関しては、原因分析など不要だと主張する人はさすがにいない。国民を震撼させた大事故に対する説明責任を東京電力が果たさなければならないという意味で、原因分析は必須である。だが、それ以上に、東京電力は今回の原発事故を分析することで、原発以外の全ての事業・業務についても、

 ・想定しているリスクの種類や水準は適切か?(全てにおいて今回の大津波ほどの特殊ケースを想定するのは難しいが、リスクの想定が甘くなっている領域はないか?)
 ・それぞれのリスクに対する対応策は明確化されているか?
 ・重大な問題が起きた際の現場における対応手順が、問題のカテゴリ別に標準化されているか?また、その標準手順は社員に浸透しているか?
 ・重大な問題が起きた際の現場―マネジメント層間における情報収集プロセス、意思決定プロセス、情報伝達プロセスが、問題のカテゴリ別に定義されているか?
 ・いわゆるヒヤリハット(重大な事故には至らないものの、直結してもおかしくない一歩手前の事例)を現場から吸い上げる仕組みは整っているか?
 ・ヒヤリハットの原因分析を行い、改善策を現場にフィードバックするループが整備されているか?

などの視点から総ざらいする機会を得たことになる(実際、東電の中でこれらの議論がどの程度進んでいるのかはよく解らないけども)。さらに言えば、東京電力以外の企業も、上記の論点を自社の業務に当てはめることで、自社のこれまでのリスクマネジメントを見直すことができるはずだ。

 震災後、自社のBCP(事業継続計画)を見直した企業は非常に多いと聞く。しかし、その大部分は、例えば電気の供給が途絶えた場合にどうするのか?部品の供給が滞った場合にどうするのか?自社の社員が通勤できなくなった場合にどうするのか?など、自社が”実際に直面した問題”に対する対策である。しかも、これらのリスクは停電や交通網の乱れ、異常気象などによっても顕在化するから、再現性が高い。前述のように、自社とは無関係な東京電力の「再現性の低い失敗」を参考にして、自社のリスクマネジメント全般を再点検した企業は、一体どのくらいあるだろうか?

 原発事故の話を拡張させると、一般的に「再現性の低い失敗」からも、見方を変えれば学びを引き出すことは十分に可能だと思う。その際にポイントとなるのは、環境や技術のレベルのみを掘り下げるのではなく、マネジメント面に注目することであろう

 「こういう環境に直面したらこうする」とか、「こういう技術を使う時はこのような点に注意する」といった、環境や技術と紐付いた改善策は、おそらく再利用が難しい(例えば、[原発技術のことはよく解らないが、]「冷却装置の強度を上げる」、「冷却装置が落ちた時のバックアップ機能を強化する」といった技術的な対策は、原発の範囲でしか使えない)。だが、環境変化を察知できなかった、あるいは技術的な不備を放置してしまったマネジメントに原因を求めれば、そこから教訓を導き出せることは、東京電力の例からも明らかである。

 と、今日の記事は前回に比べると何となくもやっとした内容になってしまった(汗)。埒が明かないのでこの辺で終了・・・。本当は、再現性の低い失敗を分析し続けることで、社員の「失敗に対する感度」が上がり(言い換えれば、失敗につながりそうな事態に対して敏感になり)、それが緊急事態に役立つ、といったことも書きたかったのだが、うまく表現できなかったため省略。


(※)本論から外れるけれども、失敗の賞味期限が短くなっているというのは個人的にちょっと困った話で、私が以前書いた「「イノベーションに失敗した人」の評価方法に関する素案」の内容をもう一回考え直さなければいけないよなぁと感じた。というのも、この素案では、失敗から得られる教訓が広く横展開できることを前提に、失敗の金額的価値を試算しようとしているからだ。
February 01, 2012

失敗の「基準の明確化」は、失敗の原因分析以上に重要―『日経情報ストラテジー(2012年3月号)』

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日経情報ストラテジー

日経BP社 2012-01-28

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 部外者の印象を申し上げるなら、日本人は批判されることに慣れていない。批判されると、まるで終身刑を言い渡されたように落ち込んでしまう。だが、チーム内で批判し合うことは必要だ。批判に耳を傾ける姿勢や能力は、レベルアップに必要な資質だ。

 日本人は失敗に向き合う姿勢が不十分なのではないか。ミスをミスとして認識し、なぜ失敗したか、責任は誰にあるのか―。「仕方がない」ではなく、それらをはっきりさせれば、同じ失敗を繰り返さずに済むようになる。
 引用文はイビチャ・オシム氏の言葉。「日本人は失敗に向き合う姿勢が不十分」という部分は、特に耳が痛い。日本企業の人事制度は「加点主義」ではなく「減点主義」だと言われるし(※1)、日本人は失敗という”事象”と失敗した人の”性格”を区別するのが苦手なようで、失敗を責めようとするとついつい人格攻撃になりがちだ(※2)(※3)。イノベーションを生み出す企業は、失敗に対して寛容な企業文化を持っているというのは有名な話だが、日本企業にとってはまだまだハードルが高いのかもしれない。

 本号を読んで気づいた点を2点ほど書いてみたいと思う。

(1)失敗の「基準の明確化」は、失敗の原因分析以上に重要
 楽天・野村名誉監督が好んで用いる「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という言葉の通り、失敗には必ず何かしらの原因があるから、原因をきちんと分析して次に活かすことが肝要であるのは、今さら言うまでもないだろう。だが、よく考えると、何をもって”失敗”とみなすのか?は、結構あやふやな場合が多い。例えば、次のようなケースを考えてみる。

<ケースA>
 A社の情報システム部門は、同社のWeb通販が好調なことを受けて、Web通販システムの拡張に乗り出した。具体的には、ユーザーインターフェースを大幅に改良し、取扱可能な製品数を従来の2倍にまで増やした。さらに、最近流行のfacebookなどを活用して、クロスメディアでプロモーション攻勢をかけた。幸い、システム自体は何のトラブルもなく稼働しており、会員数や顧客単価も当初の予定を上回るスピードで増加し続けている。しかし他方で、一気に増えた製品数や注文数に対応するため、自社倉庫の社員が死にそうになりながら働くハメになってしまい、物流部門の社員満足度が低下してしまった。

<ケースB>
 B社は業界では後発のベンチャー企業である。この業界は既存の大手企業との競争が激しく、B社はなかなか業績を伸ばせない。B社の営業部門は、今期も業績目標が達成できそうになく、経営陣から白い目を向けられている。ところが、期末の間際になって、営業担当者のXさんが、大手の競合をひっくり返して、何と5年分の大型案件を受注してきた。これで営業部門は今期の業績目標を達成できたばかりでなく、来期以降もかなり楽に業績目標を達成できる見込みが立った。浮足立った役員の1人が、Xさんに受注の成功要因を尋ねたところ、Xさんは主力製品の価格を3割ほど下げて、競合よりも価格優位に持ち込んだのだという。

<ケースC>
 プロ野球チームCは、投手力が高い反面、打線の得点力は低い。今日の試合もいつも通りロースコアの展開で、投手陣は奮闘して9回を1失点に抑えた。ところが、打撃陣が1点も取れなかったので、結局は0-1で敗戦した。

 <ケースA>に関しては、システムは問題なく動いているし、会員数も顧客単価も伸びているから、経営陣にとってはうれしい限りだろう。情報システム部門の社内ステータスも上がったに違いない。しかし、パンク寸前の物流部門は、今のところ人海戦術で何とか乗り切っているものの、やがて配送ミスや配送途中での製品の破損など、小さなミスを犯すであろうことは目に見えている。そうしたミスが積み重なれば、せっかく増えた会員数は減少し始めるに違いない。

 そういう意味では、A社のWeb通販システム拡張プロジェクトは、完全な成功とは言えない。当たり前の話だが、情報システム部門は、システムの技術的な要件のみにこだわるのではなく、他部門への影響を考慮し、他部門の業務の見直しも含めてシステムを構築するべきだった。

 <ケースB>では、営業部門が今期の業績目標を達成しただけでなく、来期以降の経営の基盤固めにまで貢献したという点では、大成功のように見える。だが、営業担当者のXさんは、目先の案件を取りたいがために大幅な値引きを行った。これによって何が起きるだろうか?まず、B社は少なくとも5年間、本当は正規価格で売れたはずの他の顧客を犠牲にして、3割引の価格でこの顧客に製品を提供し続けなければならない。その分、機会損失が発生することになる。

 さらに悪いことに、B社の値引きに対抗して、競合他社も来期以降はB社以上の値下げをしてくるかもしれない。しかも、相手は大手であり、B社はベンチャーだ。価格勝負が長く続けば、B社の方が圧倒的に不利であろう。これらの点を総合すると、実はXさんの受注は成功ではなく、失敗(しかも、会社を倒産に追いやるかもしれない大失敗)の可能性が高いのである。Xさんもさることながら、Xさんに値引率3割での提案を許した上司、加えて営業部門長も責任を取る必要が出てくるかもしれない。

 <ケースC>は、プロ野球を知っている人ならば、中日ドラゴンズのことだとすぐにお解りいただけるだろう。このケースで、9回を1失点に抑えた投手陣は、果たして成功と失敗のどちらに該当するだろうか?もしもこれが巨人の原監督ならば、投手陣を責める可能性は低い。なぜならば、原監督は「打線は4点以上取り、投手陣は3点以下に抑える」野球を目指しているからだ。この基準に照らすと、投手陣は十分に仕事をしたことになり、非難の矛先は、4点どころか1点も取れなかった打線に向けられる。

 しかし、落合前監督の考え方は違う。落合氏の近著『采配』には、こんなくだりがある。
 監督になったつもりで考えてほしい。0対1の悔しい敗戦が3試合も続いた。恐らく多くの方は、打撃コーチやスコアラーの分析結果も踏まえて、3試合で1点も取れない野手陣に効果的なアドバイスをしようと考えるだろう。つまり、「0対1」の「0」を改善するという考え方だ。

 私は違う。投手陣を集め、こう言うだろう。「打線が援護できないのに、なぜ点を取られるんだ。おまえたちが0点に抑えてくれれば、打てなくても0対0の引き分けになる。勝てないときは負けない努力をするんだ」
采配采配
落合博満

ダイヤモンド社 2011-11-17

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 つまり、落合氏にとって投手陣の成功と失敗を分ける基準は、「打線が挙げた得点以下に、失点を抑えることができたか否か?」なのである。例えば、ノーアウト3塁というピンチを迎えたとしよう。中日以外のチームは、「最低1点は仕方ない」と割り切って、犠牲フライや内野ゴロの間に1点を失う程度は許容する傾向が強い(犠牲フライや内野ゴロで1点が入れば、ランナーがいなくなるので投手の気持ちも楽になる)。

 これに対して中日の投手陣は、「ノーアウト3塁であっても、1点もやらない」というピッチングをしてくる(具体的には、三振を狙いに来る)。にもかかわらず、相手打者が外野フライを打ちやすい球を不用意に投げてしまったり、空振りを狙って投げた変化球がワイルドピッチになったりして1点を失うと、それで失敗になるのである。1点を失った投手は、「なぜあの場面であのコースに投げてしまったのだろう?」、「なぜ暴投になってしまったのだろう?」と原因分析をするに違いない。これが他のチームと決定的に異なる。

 ケースAは「部分的な失敗」、ケースBは「成功に偽装された失敗」、ケースCは「失敗の基準をめぐる錯誤」とでも言えるだろうか?いずれのケースにも共通するのは、同じ事象であっても、見る人が異なれば成功にも失敗にもなるという点である。特に、本人は成功だと思っているけれども、周りは失敗だと捉えている場合は要注意である。失敗の原因分析を始める前に、各関係者がその事象を成功・失敗のどちらと認識しているのか?また、なぜ成功・失敗と位置づけているのか?を十分に議論することは、実は原因分析よりもはるかに重要だと思う。

 (続く)

(※1)永井隆著『人事と出世の方程式』(日本経済新聞出版社、2008年)

人事と出世の方程式 (日経プレミアシリーズ)人事と出世の方程式 (日経プレミアシリーズ)
永井 隆

日本経済新聞出版社 2008-06

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(※2)八代京子他著『異文化トレーニング』(三修社、2009年) 同書では以下の研究が紹介されている。アルフォンス・トロンペナールスとハムデン・ターナーによると、アメリカ人は感情を表に出すが、感情は客観的・合理的な判断から切り離して考える傾向にあるという。一方、デイビッド・マツモトによれば、日本文化においては上下関係がある場合には上司は部下に対して怒りなどの否定的感情を出すことはまれではないのに対し、その反対は抑制されているという。

異文化トレーニング異文化トレーニング
八代 京子 町恵理子 小池浩子 吉田友子

三修社 2009-10-21

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(※3)全くの余談であるけれども、福沢諭吉は1962年に欧州各国の議会を視察した際の印象を、『福翁自伝』の中で次のように述べている。事象と人格を区別するというヨーロッパ人のスタイルに日本人が違和感を覚えるのは、明治の頃から変わっていないようだ。
 党派には保守党と自由党と徒党のやうなものがあつて、双方負けず劣らずしのぎを削って争ふてゐるといふ。何のことだ。太平無事の天下に政治上のけんかをしてゐるといふ。(中略)あの人とこの人とは敵だなんといふて、同じテーブルで酒を飲んでめしを食つてゐる。少しも分らない。ソレがほぼ分るやうになろうといふまでには骨の折れた話で、そのいはれ因縁が少しづつ分るやうになつて来て、入りくんだ事柄になると、五日も十日もかかつてヤツと胸に落ちるといふやうなわけで、ソレが今度洋行の利益でした。
January 29, 2012

「好意的サディスト」という優しい顔をした攻撃者に注意―『キレないための上手な「怒り方」』

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キレないための上手な「怒り方」―怒りたいのに怒れない、怒ると人を傷つけてしまうあなたにキレないための上手な「怒り方」―怒りたいのに怒れない、怒ると人を傷つけてしまうあなたに
クリスティン デンテマロ レイチェル クランツ Christine Dentemaro

花風社 2000-12

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 先日までの記事「『キレないための上手な「怒り方」』(1)(2)」で、上手に怒ることができない3タイプの人を紹介したわけだが、このうちタイプ1「怒りを表に出さず蓄積させてしまう人」とタイプ2「怒りに気づいていない人」は、本人が怒りを表現している自覚がないにもかかわらず、実際には相手に対して強烈な怒りをぶつけていることがある、という著者の指摘にハッとさせられた。

 タイプ1「怒りを表に出さず蓄積させてしまう人」がしばしばとる「沈黙」という手段は、それだけで十分な怒りの表現になる。スコットとジュリーシャの例で言えば、口げんかの末にだんまりを決め込んでしまうスコットは、自分が怒っている理由の解読作業を全てジュリーシャに丸投げしている。スコットは「僕のことが本当に好きなら、僕が何を考えているかぐらい、言わなくても解るはずだろう?」と何気なく口にした後黙り込んでしまうけれど、別の見方をすれば「つき合っている僕の気持ちも解らないなんて、君は愚かだ」と怒っているに等しい(ジュリーシャはそう解釈するかもしれない)。

 もちろん、沈黙を通じて怒りを表していることを本人が自覚している場合もある。一例を挙げると、逮捕理由に不満がある被疑者は、黙秘によって取調官に対し怒りを伝えようとするだろう。また、私の中学校の時の理科の先生は、この手の怒りの表現が得意だった。我々生徒が私語でざわざわしていると、先生は話すのをパタッとやめてしまい、板書だけで授業を進めるのである。終業のチャイムが鳴るまで、教室に響くのはチョークと黒板消しの音のみ。これは非常に怖かった。

 こういうケースであれば、沈黙によって怒りを訴えていることが明白だし、相手も怒りの理由を比較的容易に理解することができる(理科の先生は、生徒の私語で授業が思うように進められないことに怒っている)。スコットの例で重要なのは、怒りが上手に表現できずに押し黙ってしまう人が、意に反して無意識のうちに怒りを表現し、相手に攻撃を加えることがあるという点である(スコットは本当に「ジュリーシャが愚かだ」と言いたかったわけではないはずだ)。

 本人は殻に閉じこもって、「何で自分の気持ちを解ってくれないんだろう」と被害者意識を持っている。しかし一方で、沈黙という武器を振りかざす加害者でもあるのだ。さらに悪いことに、本人には加害者意識がないし、怒りの理由を相手にちゃんと伝えていないから、相手との認識ギャップが大きくなり、問題をこじらせる危険性をはらんでいる。

 沈黙が怒りを表現する武器になる、というのはまだ解りやすいものの、実はタイプ2「怒りに気づいていない人」のように、普段は全く怒らない人でも、別の手段で怒りを表現していることがある。タイプ2の人は、相手から何か不愉快なことをされても、「いいよ、私のことは気にしないで」、「あなたがよければ、私はそれでいいから」と返すクセがある。だが、この相手に対する好意の言葉こそが、怒りの表現になるというのである。

 先日紹介した『どうしても「許せない」人』には、「好意的サディズム」という言葉が登場する。例えば、母親が子どもを思うあまりに、「母さんのことはいいのよ、あなたさえ幸せであれば」と言ったとする。表面的には優しい母親のように見えるけれども、見方を変えると「あなたの幸せは、私の犠牲の上に成り立っているのよ」というメッセージを暗に子どもに伝えていることにもなる。極端な話をすれば、子どもは「自分が幸せにならないと、お母さんは生きている価値すらない」と思い込み、何をするにしても母親が生きている証となるようなことしかできなくなるかもしれない。この母親の行為は、表向きは好意的だが、本質的には「束縛」なので、「好意的サディズム」と呼ばれるようだ。

 これと同じようなことを、タイプ2の人はやってしまう可能性がある。タイプ2の例としてメリエレンを取り上げたが、メリエレンの母親もまたタイプ2に属する人である。ある日母親は、週末は夫婦で休暇に行くから、弟と妹の世話をしてほしいとメリエレンに頼んだ。しかし、メリエレンは週末にデートや買い物の予定が入っていることを理由に、母親のお願いを断ろうとした。すると、母親はこう言った。
 あら、それならべつにいいのよ。そりゃあね、お父さんが最近、どうも体の調子がよくないっていうから、ちょっと町を離れたほうが、体のためじゃないかと思っただけなんだけどね。でも、お父さんにはちょっとくらい待ってもらったって、たいして変わりはないでしょう。それに、ホテルの割引も使えなくなっちゃうけどねえ。有効期限は今週だけなのよ。だけど、それくらいたいしたことじゃないわ。遊んでいらっしゃい。
 母親としては、メリエレンの気持ちを最大限に尊重したつもりだろうが、ここまで言われて喜んで出かけられる子どもはいないだろう。これこそまさに、「好意的サディズム」の一例である。本書では、このような婉曲的な攻撃の仕方を、心理学の言葉を用いて「受動―攻撃的行動」とも呼んでいる。

 タイプ1・2の人たちにとって、今日の記事で取り上げたテーマは非常に厄介だ。なぜなら、自分は怒りを表現するのが上手でないと思っているのに、自分があずかり知らぬところで怒りを表現してしまっているからだ。では、タイプ1・2の人たちはどうすればよいだろうか?

 まずタイプ1の人は、自分が怒りを我慢して押し黙ってしまった時、怒りを表現できなかったことを後悔するだけでなく、(相手が『どうしても「許せない」人』に登場するような、よほどの鈍感でない限り、)相手が自分の怒りを察知している可能性に思いを巡らせた方がよいだろう。しかし、相手は自分の怒りを正しく理解しているとは限らない。むしろ、間違った認識を持っている確率の方が高い。なぜなら、こちらから自分の怒りの内容を伝えていないのだから。よって、双方の誤解を解くためにも、できるだけ早く自分の怒りを相手に説明した方がよさそうだ(至極当たり前だが・・・)。

 タイプ2の人は、相手のためによかれと思って発した好意的な言葉が、実は相手に必要以上に気を遣わせているのではないか?と考えることが大切であろう。ところがこれは、タイプ2の人にとって大きなジレンマを伴う作業かもしれない。そもそもタイプ2の人は、「何か問題が起きたら、相手のせいにせず、自分に非がないかを検討するように」と教えられた人が多く、この思考パターンのせいで、自分を犠牲にし、怒りを無意識の領域に閉じ込めることを覚えてしまった人たちである。

 先日の記事「怒りを上手に表現できないと人生で割を食う―『どうしても「許せない」人』」では、思考パターンをひっくり返して、相手に非がないかを考えてもよいのでは?と述べた。にもかかわらず、再びここで、自分の好意的な言動に問題がないかをチェックしなければならないわけだ。これがジレンマを生み出す大きな要因である。

 しかし、意識せずとも好意的な言動がとれるのはタイプ2の特徴でもあり、周囲の人と良好な人間関係を構築する上での強みでもあるから、それを無理に直そうとする必要はないのかもしれない。ただ1点、好意的な発言をした後で、「本当のことを言うと、自分はこうしてほしいと思っているんだよ」という気持ちをそっと、飾らずに、素直に伝えるだけでも、サディズムは和らぐのではないだろうか?
January 28, 2012

上手に怒れない3タイプの人たちへの処方箋(2/2)―『キレないための上手な「怒り方」』

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 (前回からの続き)

タイプ3:すぐに何でも怒る人(神経症などの精神疾患を抱えた人を除く)
シーオの例(1)
 シーオがバイト先の食料品店に行くと、店長に、今週の土曜日は丸一日出勤してもらうよと言われました。その日はみんなと湖に行くことになっていたのに・・・。(中略)当の土曜日、湖へ行くはずだったのにあきらめて出勤するとまた腹が立ち、帰ってきた友人たちから楽しかった話を聞かされると、なおさら腹が立つのでした。

 そこでシーオは勇気をふるい起こして店長の部屋へ行き、言いました。「店長、先週の土曜日、むりやり出勤させられて、あれはあんまりだと思います」ところが店長は、「ううむ。きみがそう思うのは気の毒だが、これは商売なんだ。わたしは、そのときにこうだと思ったことをやるしかないんだよ」と言うと、どこかへ電話をかけはじめるではありませんか。いまや、かえってこれまで以上に怒りがひどくなってしまいました。

(※本書では、シーオが「すぐに何でも怒る人」に分類されているが、店長からシフト変更を指示された時点で怒らなかった点では、さほどすぐに怒る人ではないようにも感じる。また、時間が経ってから店長に文句を言うのではなく、もっと早く言えば結果が違ったのでは?とも思うものの、その点については一応不問とする)
シーオの例(2)
 「母さん、(生まれたばかりの妹の)キーシャの世話だけど、週に3回はあんまりだよ。なにか他の方法はないの?放課後を好きに過ごせる日が1日もないんじゃ、いやになってしまうよ。バイトか、家の子守りか、どっちかなんだもん」
 「シーオ、つらい思いをさせてほんとうにすまないね。でもいまは、これしかないのよ。母さんだって考えてみたんだけど、これ以上ベビーシッターに払うお金はないし、父さんも母さんも、勤務時間を減らしたらやっていけないの」
 「ほんとになんとかする気があるなら、やっていけるはずだよ!ぼくがピアノをやめるってのはどう?レッスン料が浮くじゃない」
 「年度の途中でやめるなんていけないわ。自分で習いたいって言ったんでしょう?それに、先生に対しても責任ってものがあるのよ。もうしばらくがまんしてちょうだい」(※この後、2人のやり取りがまだ続くけれども、そこは省略)

 シーオはこうして話をしたあとは、ひどく腹が立ち、がっかりしてしまうのでした。問題が解決しなかったばかりでなく、まともにとり合ってもらえなかったという気がするし、自分の無力さをひしひしと感じてしまうのです。「どうしてだれもぼくのことなんか気にかけてくれないんだろう。ぼくの気持ちや都合なんて、だれも考えてくれないじゃないか」
 シーオは「すぐに何でも怒る人」の中ではまだ”おとなしい”方で、本書にはもっと怒りっぽいティナという人物が登場する。だが、ティナのケースは読むに堪えない悪口が並んでいたため省略することにした(汗)。タイプ3の人は、「自分の気持ちは、正直でありさえすれば、どんな表現をしようと構わない」、「怒りを表現すれば、他の人たちは自分の要求を聞き入れてくれる」と信じている。

 しかし言うまでもなく、現実には他人が怒っていても気にしない人やもっと別のことを優先している人、あるいは人の気持ちを大切にしているにもかかわらず言われた通りにしない人が存在するものだ。シーオの例で言えば、店長は前者に、母親は後者に該当する。こういう人たちには、怒りをストレートにぶつけても、状況が改善する見込みは低い。そこで、タイプ3の人に対して著者は、怒りの目的は自分の要求を貫き通すことだけではないことを知るべきだとアドバイスする。

 まず店長に対しては、自分の本当のニーズを再整理してみる。休みを手にすることが大事なのか?それとも、もっと敬意をもって接してもらうことの方が優先なのか?また、この件についてはどのくらい許せないと思っているのか?もっとしつこく食い下がったら、クビになるだろうか?その場合、他のバイトを探す気はあるのか?自分はそのリスクを負う気があるのか?といった具合だ。

 こうしてよく考えた結果、「もっとましな扱いを受けるためなら、クビになる危険を冒してもよい」と思うかもしれないし、「バイトを辞める気はないから、時々無茶な予定変更があるくらいは我慢しよう(その代わり、自分の方からもシフトに関する条件交渉を持ちかけてみよう)」と思うかもしれない。一旦冷静になって自分のニーズを整理することで、土曜日の出勤を命じられたことに対し反射的に怒りをぶつけるのではなく、手持ちのカードを増やすことができるというわけだ。

 また、母親に関しては、母親側のニーズや優先順位を聞き出すことが重要だ、というのが著者の見解である。母親は、幼いキーシャの世話、もっと遊びたいというシーオの気持ち、(おそらくそれほど稼ぎがない)父親との関係、ピアノの先生との関係、シーオにとってのピアノレッスンの重要性などについて、どのような優先順位をつけているのか?あるいは、他に重視していることがあるのか?この点を探っていけば、お互いの優先順位を擦り合わせ、条件交渉の余地が生じると著者は言う。

 引用文の会話では、シーオは母親の懸念事項を聞き出すことには一応成功しているものの、その全てが同列に扱われ、結局母親にとって全部が重要であるかのような流れになっている。そのため、シーオは母親の考えを変えることはムリだとあきらめてしまうのである。

 3つのタイプをまとめると、まず何よりも重要なのは、怒りという感情は決して悪ではなく、現状を好転させるよいきっかけになることを理解し、怒りを素直に自覚することである(特にタイプ2の人)(※1)。怒りを認識できるようになったら、状況から一歩身を引いて、自分が何に対して怒っているのか、怒りの原因を明らかにする。

 怒りの原因が解っても、「怒ったら相手を傷つけるのではないか?」という恐れから、怒りをあらわにすることが憚られることもある(特にタイプ2の人)。しかし、相手を傷つけるのは怒りの感情そのものではなく、怒りの表現の仕方である。奇を衒ったりせず、「何が起きたのか?(事実)」、「それに対して自分はどう感じたのか?(感情)」、「今後、自分はどうしてほしいのか?(要求)」という3点を、素直にかつできるだけ早めに伝えることが肝要である(※2)。

 こうして適切な怒りの表現方法が身につき、以前よりも自分の要求を随分と正直に表現できるようになったとしても、その要求がいつも相手に通用するとは限らない。相手も同じように、相手なりのニーズや要求を持っているからだ。ここで、自分の言い分が通らないことにいちいち腹を立てるのではなく(いちいち腹を立てていると、タイプ3になってしまう)、相手の要求を理解する心の余裕を持たなければならない(同時に、自分のニーズももう一度よく整理してみる)。そうすれば、一方が他方を犠牲にして自分のニーズを充足させるようなゼロサムゲームを回避し、双方のニーズを可能な限り満たす方法をお互いに検討することができるようになるのだろう。(※3)


(※1)以前の記事「感情は問題提起のサインである」を参照(至る所でこの記事を使い回しているが、汗)。
(※2)皮肉が行き過ぎて上司に殺されてしまった一例がこちら。「部下にだって「上司に物申す時の流儀」ってものがある
(※3)ここまで来ると、合意形成のフェーズに入る。合意形成のプロセスに関しては、以前の記事「合意形成の実践的手引書だね−『コンセンサス・ビルディング入門』」を参照。
January 26, 2012

上手に怒れない3タイプの人たちへの処方箋(1/2)―『キレないための上手な「怒り方」』

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 先日の記事「怒りを上手に表現できないと人生で割を食う―『どうしても「許せない」人』」の流れで、「怒りとのつき合い方」に関する本をついついまとめ買いしてしまったので、順番にレビューしてみようと思う。本書の著者はまず、怒りを上手にコントロールできない人をタイプ分けし、それぞれのタイプの人たちが陥っている「誤った認識」を指摘する。その上で、誤った認識を改め、怒りを上手に表現する方法を提示している。

 本書では、「怒りを上手にコントロールできない人」として3つのタイプが挙げられているが、タイプの分類は『どうしても「許せない」人』に登場する3タイプとほぼ一致する。以下、本書の内容を、個人的な見解も交えながら私なりに整理してみた。

タイプ1:怒りを表に出さず蓄積させてしまう人
スコットの例
 スコットとジュリーシャは、近ごろ、けんかをすることが増えたようです。けんかのパターンはいつも同じ。たとえば、サンドウィッチを分けっこするのをいやがるスコットをジュリーシャがからかってけんかになった晩は、こうでした。まず、スコットがむっつりと押し黙り、殻に閉じこもってしまいました。ジュリーシャは何度となくたずねます。「なにが気に入らないの?口もきかないで。どうしたっていうのよ!」スコットの答えはいつも同じ。「どうもしないさ。平気だよ」

(※ちなみに2人のけんかは、スコットが「ぼくは人の食べかけをもらうのはきらいなんだ。それくらい、もう知ってるだろ」と言ったのに対し、ジュリーシャが「なにが怖いっていうんだろ。あたしがバイキン持ってるなら、もうとっくに全部うつっちゃってるのに」と大人げなくからかったのが原因。この後も2人の押し問答が長々と続くのだが、そこは省略)

 ジュリーシャががっかりすればするほど、スコットは黙りこくるばかり。最後には、ジュリーシャは怒りとくやしさで声をかぎりにどなりちらすのですが、スコットはやはりなにも言わないのでした。
 沈黙という手段で怒りを抑制してしまう人には、2つの心理が働いていると著者は言う。1つは、「自分が本心を表してしまったら、あまりの激しさに、相手が傷ついてしまうだろう」というものである。もう1つはこれとは全く逆で、「うっかり人と言い争いなどをしたら、自分は必ず負けるに違いない」という、自分に対する自信のなさから生じる心理である。

 だが、この2つの心理はどちらも正しくない。「オレを怒らすと怖いんだぞ」と思っている(そして、それを公言している人)は、いざ本当に怒っても実はさほど怖くない(なぜなら、その人は”怒り慣れていない”から)というのはよくある話である。また、もう一方の心理についても、怒りを表現する目的は相手と言い争いをすることではないという点が理解できていない。

 スコットのようなタイプの人への処方箋は2つ。1つは、前述の思い込みを捨てて、自分が何に対して怒っているのか思い切って言葉で表現することである。その際に、皮肉を使おうとか、エレガントに表現しようと考えてはならない。「何が起きたのか?(事実)」、「それに対して自分はどう感じたのか?(感情)」、「今後、自分はどうしてほしいのか?(要求)」この3点を、飾らず素直に表現することが大切である。

 言葉にするのが難しい場合は、もう1つの処方箋を使うとよい。すなわち、自分の気持ちを整理するための時間や場所を確保することである。ただし、黙ってこれを実行すると、結局は沈黙の手段と一緒になってしまうから、相手に一言断りを入れるべきである。スコットは、「今はまだ、この件について話をするのは無理だ。近いうちに、改めて話すから。約束するよ」とジュリーシャに言えばよい、と著者は提案している。

タイプ2:怒りに気づいていない人
メリエレンの例
 メリエレンは近ごろ、リサといっしょにいても、あまり楽しくありません。最近、リサとの約束は4回のうち3回もキャンセルされてしまったし、残りの1回だって、リサは1時間以上も遅れてきたのです。理由はいちいちもっともでした。最初は病気。次は、お母さんが急に買い物に連れて行くと言いだしたから。そして3度目は、リサが何年も前から夢中だったグレッグから突然誘われたからでした。メリエレンだって、親友の恋路のじゃまはしたくありませんでした。遅刻してきたのは、家族と教会に行ったら、帰りにお父さんが、昼はみんなで外食しようと言いだしたからでした。

 リサはすてきな友だちです。去年、メリエレンが初めて男の子とデートすることになったとき、リサは3時間も前から家に来て、身じたくを手伝ってくれたのです。リサのお気に入りのセーターにメリエレンがチリソースをこぼしたときも、怒らずに「まあ、そういうこともあるわよ。それよりさ、楽しかった?」と言ってくれたほどです。

 リサはいつもそうやって親切にしてくれます。でも一方で、しょっちゅう約束を破ったり、遅れてきたりするのもほんとうでした。メリエレンは、そんなリサのことを悪く思うと、後ろめたい気分になってしまいます。それに、約束を取り消したときも、おくれてきたときも、いつもちゃんと理由があったじゃないのと思うのです。
 先日の記事でも述べた通り、私自身はタイプ1に近いので、タイプ2の人の気持ちがあまり理解できないのだけれども、私が日ごろ人間観察をしていて「そんなことをされてよく怒らないよなぁ・・・」と感じる人たちは、マクレランドの言う「親和欲求」が強い人、あるいは性格タイプ論の1つであるエニアグラムで言うところの「タイプ9(調停者)」にあたる人は、メリエレンと同じような傾向が強いように思う。

 著者によると、メリエレンのようなタイプの人は、「正当な理由が見つからない限り、腹を立てたりしてはいけない」、「時間が経てば、怒りの感情(厳密に言うと、このタイプの人はその感情を怒りだと認識していないので、「何らかの違和感」と言った方がよいだろう)は消えてしまうに違いない」という認識を持っている。こうした認識は、確かに怒りを心の中から消し去り、無意識の領域に追いやるのには役立つかもしれない。ところが、身体の方は正直なもので、頭痛や腹痛を引き起こしたり、凡ミスや遅刻が増えたり、漠然とした不安にさいなまれたりするようになるらしい(この点は『どうしても「許せない」人』でも述べられている)。

 タイプ2向けの処方箋としては、まずは「何かがおかしい、うまくいっていない」という違和感をキャッチして、「自分が本当は怒っている」ことをちゃんと認識することである。とはいえ、タイプ2の人は、ここですぐに怒りを表現してはならない。タイプ2の人はタイプ1の人以上に怒り慣れていないため、焦ると”一般的なルール”を持ち出して相手を怒ろうとしがちだ(メリエレンの場合、「時間を守るのは当然のルールでしょ?」とリサに言う、など)。ここはぐっとこらえて、自分の怒りの原因、つまり「自分は本当のところ何に対して怒っているのか?」を明らかにする必要がある。これが2つ目の処方箋である。

 メリエレンは、リサに約束を破られるとなぜ怒るのかを考えてみた。その結果、「わたしなんて大事じゃないんだっていう気がするからかな。ほかの人たちは、ちゃんと値打ちも重みもあるのに、わたしだけが虫けらみたいに小さくて、つまらないって気がしてくるのよ。それがつらいんだわ」という結論に達したそうである。ここまで来れば、タイプ1の人と同じように、相手に対して怒りを表現できるようになる。

 普段から”怒り慣れている”人(これが行き過ぎると、後日タイプ3として紹介する「すぐに何でも起こる人」になってしまうが・・・)や、タイプ1のように怒りの表現は下手でも怒りは感じる人にとっては、自分がなぜ怒っているのかを考えるなどというのは、何とまどろっこしい作業なんだと思うかもしれない(タイプ1に近い私もそう思う)。ただ、タイプ2はそもそも怒りという感情自体に不慣れであり、放っておくといつも自分の気持ちを犠牲にして相手の気持ちを優先してしまう。そこで著者は、敢えて自分の感情とじっくり向き合うステップを設けているのだと思われる。

 (続く)
January 19, 2012

怒りを上手に表現できないと人生で割を食う―『どうしても「許せない」人』

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どうしても「許せない」人 (ベスト新書)どうしても「許せない」人 (ベスト新書)
加藤 諦三

ベストセラーズ 2008-01-09

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 決して読みやすい本ではなかったのだが、それなりに考えさせられるところがあった本。「どうしても許せない人たち」に苦しんでいる人は、どうすればその苦しみから脱することができるか?という内容である。

 「『どうしても許せない人たち』に苦しんでいる人」というのは、本書を読むと2タイプに大別できるようだ。1つ目のタイプは、蓄積した怒りが一般化・誇張されてしまった人である。このタイプの人たちは、怒りを表現することは少ないものの、陰では「私は『いつも』酷い目に遭っている」、「あの人のことは『絶対に』許せない」、「『私だけ』が惨めな思いをしている」と繰り返す癖があり、過去の出来事をいつまでも引きずる傾向があるという。

 もう1つのタイプは、怒りを無意識のうちに抑制してしまっている人であり、相手とトラブルになっても、「悪いのは全部自分のせい」、「自分は相手よりも劣っているのだから、相手には従うべきだ」と考えてしまう。確かに、何か問題が起きた際に、全てを相手の責任にせず、自分にも非があるのではないか?と反省することは、対人関係を円滑にする1つのコツではある。しかし、世の中にはどうしようもなく非道で下劣な人間も存在するのであって、そういう人間と対峙しても自分のせいだと思うのは行き過ぎだと著者は警告している(※)。

 2つのタイプは、口癖だけを見れば両極端なのだが、怒りを過剰に抑え込んでいるという点では同じである。そして、こういうタイプの人は概して「人生で割を食う」。なぜなら、「他人を意のままに利用しようとする人たち」にとって、彼らは格好の”カモ”だからだ。そういうズルい人たちから見ると、どちらのタイプも怒りを表立って表さないので、多少おかしな要求や無茶な仕事を押しつけても大丈夫だと勘違いしてしまう。そして、予想通り彼らからの反発がなければ、ズルい人たちはまた同じように滅茶苦茶な要求をつきつけるのである(往々にして、その要求はエスカレートしていく)。

 「どうしても許せない人たち」に苦しんで「割を食っている人」というのは結構いるもので、私もそういう人たちを少なからず見てきた。私が見た中で一番可哀そうだった人は、

 ・ある会社で、社長の肝入りで新規事業の子会社を設立することになったのだが、最初の担当者が途中で仕事を放り投げてしまい、その人が知らぬ間に後釜に据えられてしまった。
 ・新会社の製品は海外の技術を利用しており、その人が英語に長けているという理由だけで、海外との交渉やマニュアルの日本語化などを一人で全部やらされた。
 ・新会社の社長に就任した人が極端に時間にルーズで、ミーティングのドタキャンは当たり前。また、ミーティングが2時間、3時間遅れて始まることも日常茶飯事(一番酷かったのは、社長がキャバ嬢へのプレゼントを買っていてミーティングに遅刻したという話)。しかも、仕事とは無関係な社長のプライベート話でミーティングが長引く。
 ・新規顧客獲得のためのセミナーで、新会社の社長が「製品説明は全部オレがするから」と言っていたのに、いざ説明を始めたら途中から説明できなくなり、突然その人にバトンタッチした(しかも、無茶振りされた箇所は、まだ十分に開発が進んでいない機能であった)。
 ・そんな社長なので当然のことながら仕事が取れるはずもなく、親会社の社長からは「高い給料に見合った働きをしていない」と酷評され1年足らずで社長が交代。会社も売却されることになり、諸々のゴタゴタに伴ってその人も転職を余儀なくされた。

 という人である。その人からあまりにたくさんの話を聞いたため、全部のエピソードはさすがに覚えていない(汗)。その人からは冗談半分で「うちの会社に来て仕事を手伝ってよ〜」とよく言われたけれど、「いやいや、そんな話を聞かされた後で手伝おうと思う人なんかいないよ・・・」と苦笑いで返していた記憶がある。

 「どうしても許せない人たち」に振り回される2タイプの人たちに共通しているのは、「怒りを上手に表現できない」ことだと思う。1つ目のタイプの人は、最初に何か些細な問題が発生した時、自分の怒りを相手にちゃんと伝えればよかったのに、それができなかった。しかも、問題発生から時間が経過するほど、自分の怒りを相手に訴えることが困難になるものである。

 すると、「あの時ちゃんと言っておけばよかった」という後悔だけが残る。次に問題が起きても、また怒りを表現できず後悔する⇒さらに問題が起きてもやっぱり我慢してしまう・・・この繰り返しで雪だるま式に怒りが蓄積されていき、ついには「あの人は私に対して『いつも』酷いことをする」といった具合に、怒りが一般化されるのである(稀に溜めていた怒りが爆発することもあるが、怒りに含まれる過去の出来事が多すぎて、合理的に説明できないことが多い)。

 もう一方のタイプは、怒りを自分で意識していない分だけより深刻である。相手に酷いことをされると、怒りの感情よりも先に「あの人に嫌われたくない」、「あの人に見捨てられたら自分の居場所がなくなる」という自己防衛の心理が働く。だが、あくまで怒りを意識していないだけであって、潜在的には怒っているのである。「相手に嫌われたくない」という気持ちが湧き上がった時は、実は怒りのサインだと考えた方がよい。

 そのサインを見過ごしていい人を演じ続ければ、表面的には人間関係がスムーズに進むかもしれない。しかしその反面、いつしか身体の方が悲鳴を上げてしまい、食欲不振や吐き気、不眠などの症状に陥る。また心理的にも、うつ病までは行かないが、気分が優れない、何となくやる気が出ない、無気力であるといった状態になるという。

 人生で割を食わないようにするためには、上手な怒りの表し方を身につけた方がよさそうだ。1つ目のタイプの人であれば、問題が大きくならないうちに、そして時間が経たないうちに勇気を出して怒りを訴えてみる。2つ目のタイプの人は、「あの人に嫌われたくない」という潜在的な怒りのサインを読み取って、「自分に非があるのではないか?」という発想を敢えてひっくり返し、「実は相手にも非があるのではないか?」と考えてみる。

 もちろん、自分より年上や目上の人、自分と大事な関係にある人に対して怒りを表現することは容易ではない。自分が怒りを訴えたことで、本当に関係が壊れてしまう危険性もある(閑職に追いやられる、部課内で孤立する、友人を失う、離婚させられる、など)。とはいえ、こちらから少し怒りを伝えただけで簡単に関係が壊れてしまうようであれば、「その人は本当の意味で大事な人ではなかったのだ」と割り切ることも必要なのかもしれない。その方が、怒りを訴えないまま誰にも解ってもらえない苦しい思いを続けるよりも、精神的にはずっとマシな生活を送れる気がするのである。

 何でこんな記事を書いたかというと、恥ずかしながら私自身も怒りの表現が上手ではないという自覚症状があるからだ。「相手に遠慮せずに、言うべきことは言う」というスタンスは、ある意味、大人としての美徳の1つと言っても過言ではない気がする。


(※)本書には、もう1つのタイプとして、ナルシストのような神経症の人が挙げられている。神経症の人は、自分の要求レベルが高すぎるために、相手がその要求に応えてくれないと怒りをあらわにする。ただこのタイプは、本文で述べた2つのタイプとは異なり、怒りを上手に表現できないことに問題があるのではなく、自分の期待水準や欲求が世間一般の基準と照らし合わせても過剰である点に問題があるので、治療法が異なる。
January 15, 2012

「協力しないと達成できない目標」で職場に協業は生まれるか?―『自分を鍛える 人材を育てる(DHBR2012年2月号)』

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ダイヤモンド社 2012-01-10

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 2012年2月号のレビューはこれで最後。これまでに紹介した論文以外にも、「仕事の効率を飛躍的に向上させる ビジネス・アスリートの習慣」(デビッド・アレン、トニー・シュワルツ)や、「マルチタスクを支える6つの原則 プロフェッショナルの「超」仕事術」(ロバート・C・ポーゼン)のように、仕事の生産性を上げるTips集みたいなものもあるのだけれど、個人的にそういうのはあまり興味がないので省略。

社員の積極性と生産性を高める6つのルール 職場に「真実の協力」を生み出す(イブ・モリュー)
 一般的には、組織内ではほとんど権限を持たない社員ほど、多くの協力を強いられ、ほめられることもめったにない。彼ら彼女らはこのことに気づくと、多くの場合、協力に背を向け、自分の殻に閉じこもる。これを回避して、協力の輪を広げるには、これらの社員がすすんで他者を信頼し、率先して行動し、業績をオープンにするよう、より大きな権限を委譲する必要がある。(中略)そのためには、社員一人ひとりに、他の同僚や企業業績にとって重要な課題に関係する任務を与えて、新たな権限の拠り所にさせるとよい。
 数年前に『不機嫌な職場―なぜ社員同士で協力できないのか』という本が流行った。同書では、生産性を上げるためによかれと思ってやった専門職化と組織の細分化によって、個人単位で閉じた仕事が増え、社内のコミュニケーションが減ってしまったという分析がなされていた。ここ数年はリーマン・ショックなど立て続けに起こる事業環境の悪化で企業の業績が低下しており、本来であればそういう時こそ社員が一致団結して現状の打開に向かうべきところなのだが、実際にはなかなかそうはならない。

 その原因は、間違った成果主義にあるという指摘もある。間違った成果主義では、極度に細分化された個人目標が設定されるため、不景気になると我が身だけは守ろうと個人目標の達成だけに全力を注ぐようになるからである。社員には、他のメンバーの仕事を助けようという気持ちなどさらさらない。

 こうした事態を避け、社内の協力関係を復活させる処方箋は、本論文に従うと「協力しなければ達成できない目標」を各社員に持たせ、その目標を達成するための十分な権限とリソースを与える、ということになるだろう。確かにこの考え方には一理あると思う。

 例えば、航空業界の優良児と言われるサウスウェスト航空(最近は機体の損傷が相次ぎ、安全神話に陰りが見えつつあるようだが…)は、「ターンアラウンド時間を15分以内にする」という目標をチームに与えている。時間を厳守するために、パイロット、客室乗務員、機内清掃係、機体整備士、地上業務スタッフなどの社員が職種を超えて緊密に連携しなければならない。

 また、最近あるコンサルタントから教えてもらったのだが、現JAL会長である稲森和夫氏の言葉に、「売りは製造が立てる。質は営業が作る」というものがあるそうだ。通常、売上を立てるのは営業、品質を作り込むのは製造の役割である。そうではなく、営業に品質目標を、製造に売上目標を持たせることで、とかく対立しがちな両部門の協業を促そうというのが稲森氏の考えである。

 随分昔にこのブログでも紹介した「オープンブック経営(OBM)」も、協業目標を社員に与えることが狙いである。オープンブック経営では、財務諸表の読み方を社員に教え、社員の職務に合わせて、財務諸表上の様々な数字に対する責任を持たせる。とりわけ、社員の日々の仕事が財務諸表の数字につながりやすい中小企業で有効な手法だと言われていた。

 ただし個人的には、中小企業であっても社員の日常業務と財務諸表の数字は距離が遠いと思う(大企業であればなおさらである)。だから、現実的な話としては、管理会計上の指標や、より実務的なKPI(重要業績評価指標)に対して責任を持たせるのが望ましいと考える。もっとも、これは運用上の課題をどう克服するか?という議論であり、「『協力しなければ達成できない目標』を社員に与える」という根本の部分は揺らがない。

 ここで1つ考えなければいけないのは、(成果主義の行き過ぎた個人目標重視に対する反動として、)協業目標さえ与えれば、果たして社員は協力し合うようになるのか?ということである。実のところ、協業目標を設定する際には、逆説的だが個人目標の重要性がより高まるのではないか?と私は考える。これは簡単な話であって、自分の本職をきちんと遂行できない人が他人の仕事に協力しても、返って混乱を増すだけだからである。

 サウスウェスト航空では、社内の清掃が遅れている場合には、機体整備士が清掃を手伝うこともある。ただし、機体整備士が機内清掃員に協力できるのは、全ての整備工程を確実に遂行し、機体の不備を完璧になくした後である。それができないまま機体整備士が機内清掃を始めたら、その飛行機は次のフライトで深刻な事故を引き起こすに違いない。

 「売りは製造が立てる。質は営業が作る」という稲森氏の言葉に関しても同じである。製造業では、顧客のことを最も間近で見ている営業が、顧客のありとあらゆるニーズを製造現場にフィードバックし、製品改良に役立てようとする部門横断的な取り組みがしばしば行われる。だが、そもそも「多くの顧客と信頼関係を構築し、一定数の商談を作る(そこから受注につなげる)」という営業本来の仕事を全うしなければ、顧客のニーズをつかむことなどできない。それをおろそかにして、営業と製造の両メンバーで構成される製品改善会議などに頻繁に出席しても、製造に協力しているとは言い難い。

 協業目標を設定する上で個人目標が重要であることは、プロ野球を見るとよく解る。昨年から反発性の低い統一球が導入されたことにより、どのチームもスモールベースボールを掲げるようになった。スモールベースボールでは、送りバントや進塁打、ランエンドヒットなどの小技によって点をもぎ取ることがカギとなる。

 仮に、足の速い1番バッターと、その次を打つ2番バッターの2人が、ランエンドヒットの数を増やすように監督から要求されたとしよう。ランエンドヒットは、ランナーとバッターの協業によって実現するものである。とはいえ、そもそも論として、2番バッターのバットコントロールが高くなければ(そして、最低でも進塁打になる打球を打つ技術がなければ)、ランエンドヒットは実行できない。また、1番バッターの立場からすると、自分がヒットを打つなり四球を選ぶなりして出塁しない限りは、ランエンドヒットの状況すら作れないのである。すなわち、2人とも普段から一定の打率や出塁率を残す力がないと、ランエンドヒットという協業は幻に終わる。

 バッターの話をもう少し一般論に拡張すると、バッターがチームの勝利に貢献できるのは、打点を挙げた時である。打点は個人成績のように思われるけれども、自分の前のバッターがチャンスメイクをしない限りは打点を挙げられないという点では(本塁打を除く)、実は協業目標である。では、チャンスの時だけヒットを打てば、打点を挙げられるかというと、そんなことは全くない。チャンス時の打率を表す得点圏打率は、打点との相関関係が非常に低い。打点と相関関係があるのは、長打率である。つまり、チャンスであろうとなかろうと、普段から長打を打てる能力がなければ、いざという時に打点は挙げられないのである(※)。

 組織は個々人の力の総和以上のパフォーマンスを上げるための仕組みであるから、協業目標を設定してメンバー間の協力を促進するという考え方は決して間違っていない。だが同時に、それぞれのメンバーが本分を尽くし、個人として一定のレベルのパフォーマンスを上げられるように目標設定をしなければ、返って足の引っ張り合いになるような気がするのである。


(※)2011年の規定打席到達打者の打撃成績を分析してみると、得点圏打率と打点の相関係数はセ・リーグが0.0076、パ・リーグが0.2813といずれも低い。セ・リーグの得点圏打率トップは巨人の坂本(.361)だが、坂本の打点は59であり、打点王である阪神・新井(93打点)の約6割に過ぎない。ちなみに、打率と打点も相関係数が低い(セ・リーグ0.0731、パ・リーグ0.0201)。長打率と打点の相関係数を見ると、セ・リーグが0.8835、パ・リーグが0.7903で高い相関を示している。
January 14, 2012

社員間の非公式な交流を促進する「職場デザインの3P」―『自分を鍛える 人材を育てる(DHBR2012年2月号)』

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ダイヤモンド社 2012-01-10

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 DHBR2012年2月号のレビューの続き。

知識労働者の生産性を高める 進捗の法則(テレサ・M・アマビール、スティーブン・J・クレイマー)
 知識労働者たちがつけた日誌を詳しく分析することで明らかになったのが、「進捗の法則」(progress principle)である。すなわち、仕事中に「感情」「モチベーション」「認識」を高める可能性があるすべての要素のうち、最も重要なのは「有意義な仕事の進捗を図る」ことである。
 我々が調査のなかで「社員の意欲を高めるカギは何か」について尋ねたところ、「優れた評価に対する評価」が最も重要であると言うマネジャーもいれば、「目に見えるインセンティブ」を重視するマネジャーもいた。「対人関係の支援」の必要性を重んじる者もいれば、「明確な目標」が重要だと考える者もいた。興味深いことに、調査対象のマネジャーのなかで「進捗」を一番目に挙げたのはごくわずかだった。
 要するに、知識労働者は「今日は仕事が進んだなぁ」という実感が持てるとモチベーションが向上する。マネジャーは、知識労働者がそのような実感を持てるような環境づくりや働きかけをする必要がある。

 具体的には、明確な目標を定める、自主性を認める、十分な資源や時間を提供する、仕事を部分的に手伝う、成功を他のメンバーと共有する、メンバー間のアイデアの自由な交換を促進するといった「部下の仕事を後押しする行動」や、部下に対する敬意と評価、激励、問題を抱えた部下への協力といった「対人的な支援行為」が効果的であると著者は言う。

 著者が挙げている「進捗の法則」は、動機づけ理論の1つである「目標設定理論」の考え方と共通しているところがあると思う。ただ、目標設定理論が目標管理制度(MBO)の理論的根拠になっているように、どちらかというと半期や1年単位の目標を想定しているのに対し、「進捗の法則」ではもっと細かい単位で目標設定を行うことになる。すなわち、マネジャーは部下に対して、「今日は/今週はここまで頑張ろう」といった感じで小さな目標を頻繁に設定し、目標の達成度合いについてきめ細かくフィードバックを与えることが重要だ。

 1つ注意しなければならないのは、知識労働者は他者からの干渉をあまり好まないという点である。先日、ある企業の営業担当者と話をする機会があったのだが、その企業にはSFAシステムが導入されており、日報を入力すると上司から翌日にフィードバックが届く仕組みになっている。この営業担当者は、若い頃は上司からのフィードバックが嬉しかったのだけれども、年数を重ねるうちに段々とフィードバックをうっとうしく感じるようになったと話していた(それでもこの上司は、毎日フィードバックをしている分だけ素晴らしいと思う。SFAのフィードバック機能は、私がいろいろと話を聞く限り、次第に使われなくなることの方が多いものだ)。

 知識労働者を部下に持つマネジャーは、それぞれの部下がどのくらいの頻度で、あるいはどういう局面で介入を望んでいるのかを知る必要がある。しかも、前述のように、得てして介入の場面と時間は限定されるものだから、限られた時間の中で部下の目標を設定し、目標達成に不可欠なリソースの提供や、目標達成を阻害する問題の除去に努め、さらにはフィードバックまで与えなければならないだろう。

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組織の活力と良循環を生む 社員を輝かせる5つのステップ(エドワード・M・ハロウェル)
 著者のエドワード・M・ハロウェルは精神科医であり、主に児童の精神治療が本職のようであるが、その著者から見ても現代のビジネスは人とのつながりを欠いていると映るようだ。組織に対する忠誠心の欠如、理念や価値観の希薄化、中傷とえこひいきの蔓延、派閥の対立、攻撃的な言葉が飛び交う社内会議…多くの企業で見られるこれらの症状を著者は「断絶」の病と呼び、断絶を克服する方法を提案している。

 論文の中で著者が紹介している研究結果が興味深かったので引用。
 スウェーデン、フィンランド、ドイツ、ポーランド、それにイタリアの各国で、さまざまな仕事に従事している2万人の労働者を対象とした調査結果によれば、「上司とのつながりがない」と感じている人は病気になったり、仕事を休んだりする傾向が強いばかりか、心臓発作を起こす可能性も高かった。

 対照的に、世論調査結果ギャラップが2007年に公表したデータでは、職場に親友がいる人は、いないひとよりも、仕事に前向きに取り組んでいる確率が7倍高いことが示されている。
 恥ずかしい話だけれども、私は社会人になってから昨年独立するまでの約7年の間で、ちゃんとした上司の下で働いた記憶がない(それを示す証拠の1つとして、上司との評価面談を4回しか経験していない。皮肉なことに、正確な回数が言えるぐらいしか面談をやっていない)。私も心臓発作のリスクが高いのかなぁ(苦笑)

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コラボレーションや創造性を生み出す 「意図せぬ交流」を促す職場デザイン(アンヌ=ロール・ファヤード、ジョン・ウィークス)
 創造的なアイデアを生み出すことを狙って、社内の非公式なコミュニケーションを活性化させるためのオープン・スペースを取り入れる企業が増えている。だが、単に開放的な空間を用意するだけでは、社員同士の交流は進まない。交流を促進するデザインは、”3つのP”を備えていると著者は指摘する。その3つとは、「近接性(proximity)」、「プライバシー(privacy)」、「許可(permission)」である。

 「近接性」には、物理的な距離の近さだけではなく、組織心理学者のトーマス・アレンが「機能的中心性」と呼ぶものも含まれる。機能的中心性とは、入口やトイレ、階段、エレベーター、コピー機、コーヒー・メーカー、冷水器など、人々が共用する資源のことを指す。共用資源を含む空間では、人々の交流が活発になる。

 「プライバシー」は、オープン・スペースというコンセプトとは矛盾するように聞こえるけれども、立ち聞きされたり、邪魔が入ったりするのを社員が気にすると、会話が返って表面的で短くなってしまうという調査結果もあるそうだ。確かに、上司が頻繁に出入りする給湯室では、言いたいことも言えない。他人の接近を自らコントロールできること、さらには、交流を避けたい時には避けられることが重要であるという。

 「許可」とは、社員間のオープンなコミュニケーションが企業風土として認められている状態である。著者が調査したあるコンサルティング会社では、豪華なコーヒー・ラウンジがあるにもかかわらず、社員がコーヒーカップを手に取るとすぐに立ち去ってしまう傾向が見られた。ラウンジの活用を妨げていたのは、「『真の仕事』はデスクか会議室で行われるものだ」というこの会社の企業風土であった。

 この論文を読んでいて意外だったのは、「コピー室」が社員の交流を促進しているという研究だ。コピー室は「機能的中心性」を備えていると同時に、デスクから隔絶された小部屋であるという点で一定のプライバシーが確保されており、さらに「コピー室にいる限りは仕事をしているとみなされるから、多少ムダ話をしてもお咎めは受けない」という心理が相まって、交流が進むようである。

 もっとも、この研究で調査対象となっていたのはフランスの企業である。日本では「コピー室」がある企業をあまり見かけないし、昨今のペーパーレス化によってコピー機周辺での社員の交流が少なくなったという話も聞いたことがない(実際にはそういう由々しき事態が起きているのかもしれないが…)。
January 11, 2012

【通算1,000エントリー】自分を鍛える人脈 自分をダメにする人脈―『自分を鍛える 人材を育てる(DHBR2012年2月号)』

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1,000エントリー達成!

 昨年末までに達成する予定だった1,000エントリー、10日ほど遅れて達成。2005年5月のブログ開設以来、足掛け約7年でようやく到達しました。いつもブログを読んでくださっている皆様、ありがとうございます。私の記事は1本あたり平均で約1,500字(最近は2,000字超もざらにあるが、初期はもっと短かった)なので、これまでに約150万字書いた計算か。ハードカバーの本だと1ページ約700字、300ページで約21万字だから、150万字ということはハードカバー約7冊分。1年で1冊書いている計算なのね。次の目標は「2018年末に2,000エントリー」ということにしておこう。

本当の長所を見極め、さらなる高みを目指す リーダーシップ・コンピテンシー強化法(ジョン・H・ゼンガー他)
 リーダーに求められるコンピテンシーは多数あるが、弱いコンピテンシーを矯正するよりも、強いコンピテンシーをさらに強化した方が効果的であるという論文。ただし、著者は明確に述べていないものの、強みの強化が有効なのは、あくまでも「一定レベルに達したリーダー」である点に注意が必要だ。このことは、以下のマラソン選手の例えからもうかがえる。
 マラソンの初心者は、ストレッチ運動と週数回のランニングを重ねながら、徐々に走行距離を伸ばし、持久力とマッスル・メモリー(一度強化した筋肉は、しばらくトレーニングを休んでも、再開すれば復活すること)を高めていく。

 一方、ベテラン・ランナーになると、走る距離を伸ばしただけでスピードが目に見えて速くなることはない。もう一段高みに至るには、ウエート・トレーニング、水泳、サイクリング、インターバル・トレーニング、ヨガなどを通じて、既存のトレーニングを補うスキルを身につける必要がある。
 要約すれば、マラソンの初心者はまずは短所を鍛えるべきであり、ベテランになったら長所を伸ばすトレーニングに切り替えるとよい、ということになる。ビジネスパーソンも然り。ドラッカーが「長所を伸ばすべきだ」と頻繁に主張しているからといって、若手社員や新米リーダーにまでドラッカーの主張を当てはめようとすると、道を誤ると思う(以前の記事「自分の「強み」を活かすのか?「弱み」を克服するのか?」を参照)。

 さて、本論文で著者は、リーダーシップ・コンピテンシーを全部で16個挙げている(16個の中身はp31〜32を参照)。コンピテンシーの内容自体は、リーダーに必要なスキルをテーマとした他の書籍や論文とそれほど大差がない。この論文の特徴は、強いコンピテンシーをさらに強化する際に、強みそのものに焦点を当てるのではなく、そのコンピテンシーと補完関係にある他のコンピテンシーを鍛えた方がよいとしている点である(こうした補完関係を、著者は「リーダーシップ・コンパニオン」と呼ぶ)。これは、スポーツにおける「クロス・トレーニング(交差訓練法)」を取り入れた考え方である。

 だが、著者の補完関係の考え方には個人的にやや疑問を感じる。著者によると、それぞれのリーダーシップ・コンピテンシーには、リーダーシップ・コンパニオンを形成する他のリーダーシップ・コンピテンシーが12前後あるそうだが、強いリーダーシップ・コンピテンシーと補完関係にあるコンピテンシーとは、要するに”相対的に弱い”コンピテンシーであり、強みを強化すると言いながら、実は弱みの克服を狙っているようにも見受けられる。しかも、リーダーシップ・コンパニオンがどのコンピテンシーにも12前後あるならば、結局のところほぼ全てのリーダーシップ・コンピテンシーを鍛えよ、と言っているに等しい。

 スポーツにおけるクロス・トレーニングとは、先ほどの引用文にもあるように、マラソン選手がマラソンとは直接関係がなく、自らの専門外であるサイクリングや水泳、ヨガなどに取り組むことを指す。同様に、リーダー育成におけるクロス・トレーニングも、リーダーシップ・コンピテンシーの中で補完関係を探すのではなく、例えば「地域の子どもたちとよく遊ぶ」、「厚い宗教心を持つ」、「戦争の歴史を好んで勉強する」など(これらはあくまでも私の思いつきであり、リーダーのスキル向上に貢献するかどうかは不明)、一見するとリーダーシップとは無関係の活動に糸口を探さなければならないのでは?と思う。

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数だけが重要ではない ハイ・パフォーマーの人脈投資法(ロブ・クロス、ロバート・トーマス)
 明石家さんまさんの「ほんまでっか!?TV」で、「facebookで管理できる人脈の最大数は150ぐらい。最近は300人ぐらいまで増えたが、それでも人数に限界があるのは間違いない」という話があったと記憶している(数字は間違っているかもしれないが、規模感は合っているはず)。だが、著者によると、コアとなる人脈の数はもっと少なく、一般的に12〜18人だそうだ。しかも、人数よりも人脈の質の方が重要であり、次のような人脈構築は「間違った人脈投資」だと断言している。
間違った人脈
(A)形式主義のマネジャーは、会社の正式な職位に重きを置くあまり、非公式の関係がもたらす効率性や機会を見過ごしてしまう。
(B)抱え込みすぎるマネジャーは、同僚や外部の人脈とのつき合いが多すぎて、自分自身が進捗の妨げとなり、燃え尽きてしまう。
(C)孤立したエキスパートは、新しいスキルの獲得へと背中を押す人よりも、完全な既存の専門能力に集中させてくれる人に固執する。
(D)偏見にとらわれがちなリーダーは、十分な情報に基づいた意思決定をするために、部外者に意見を求めるべき場面でも、自分の偏見を助長するような、自分とよく似た(仕事の分野、勤務地、価値観などが同じ)助言者に頼ろうとする。
(E)見せかけネットワーカーは、人脈が大きいほどよいと誤解し、できるだけ多くの人と表面的につき合おうとする。
(F)カメレオンは、人脈のなかで自分がどのグループを相手にするかに合わせて、自分の興味や価値観や性格を買え、結局どのグループとも関係を維持できない。
 反対に、著者がハイパフォーマーを観察する中で発見した「有益な人脈」とは、次の6タイプである。
高業績者が頼りにしている6タイプの人々
(1)新しい情報や専門知識をもたらしてくれる人。
(2)助言や意識づけを行い、政治的に支援し、リソースを提供してくれる公式の権力者(※1)。
(3)ためになるフィードバックを与え、意思決定に異議を唱え、よい方向へと後押しする人々。
(4)個人的にサポートしてくれる人。調子が悪い時に軌道修正を手伝ってくれる仲間や、一緒にいると自分らしさを取り戻せる友人など。
(5)新たな目的意識や価値観をもたらす人々。自分の仕事を認めてくれる上司や顧客、仕事にもっと広い意味があることを気づかせてくれる家族やその他の関係者など。
(6)ワーク・ライフ・バランスを促進し、体の健康、知的意欲、精神的な幸福を改善する活動に責任を持つように促す人々。
 こうして見てみると、facebookなど仮想空間における人脈は、せいぜい(1)や(4)(あとは(6)か?)を補完してくれるに過ぎないように感じる。にもかかわらず、いたずらに人脈の数を増やすと、やり取りの時間ばかりが増えて、「間違った人脈投資」にあったパターン(B)(F)にはまってしまうのだろう。


(※1)女性社員向けのメンタリングが失敗する要因は、メンター(同じく女性社員であることが多い)が人事面であまりパワーを発揮しないからだとされる。男性社員のメンターは、折に触れてメンティー(=メンタリングの対象者のこと)のスキルを人事部門にアピールし、昇進や配置転換を打診してくれるが、女性社員のメンターにはそのような活動が見られない。ゆえに、しばしば女性のマネジャーを増やす目的で導入されるメンタリングは、途中で頓挫するという。

 詳しくは、2011年3月号の「ジェンダー調査機関「カタリスト」がデータに基づいて指摘 メンタリングでは女性リーダーは生まれない」(ハーミニア・イバーラ他)を参照(その時のレビュー記事は、「トリの論文は何と「マネジメントはプロフェッショナル職でない!」―『プロフェッショナル「仕事と人生」論(DHBR2011年3月号)』」)。

Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2011年 03月号 [雑誌]Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2011年 03月号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2011-02-10

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(※2)なお、一般的な人脈ではなく、営業活動における人脈管理をテーマとしたものとして、2006年10月号に「営業人脈を組織的に管理する」(チュバ・ウスチュナー、デイビッド・ゴーズ)という論文があるので、参考までに。

Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2006年 10月号 [雑誌]Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2006年 10月号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2006-09-09

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January 10, 2012

人間は利他的だとしても、純粋な利他的動機だけで富は生まれぬ―『自分を鍛える 人材を育てる(DHBR2012年2月号)』

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Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2012年 02月号 [雑誌]Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2012年 02月号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2012-01-10

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【999本目】1,000エントリーまであと1。

 今月号は特集のタイトルだけ見ると自己啓発がテーマのように感じるものの、編集局が時流を意識したのか、「絆」をテーマとした論文が多かった。今日取り上げる論文がまさにそうだし、他にも後日紹介する「数だけが重要ではない ハイ・パフォーマーの人脈投資法」、「社員の積極性と生産性を高める6つのルール 職場に『真実の協力』を生み出す」、「コラボレーションや創造性を生み出す 『意図せぬ交流』を促す職場デザイン」などが「絆」にフォーカスを当てた論文である。

生物学、心理学、神経科学の知見が教える 利己的でない遺伝子(ヨハイ・ベンクラー)
 トマス・ホッブズの『リヴァイアサン』やアダム・スミスの『国富論』に代表されるように、「人間は生来、利己的である」という考え方は広く浸透しており、社会の様々な制度やルール、組織構造や報酬体系はこの考え方を前提に設計されている。ところが、近年の科学は、人間は思った以上に利他的であるという立場を強めているようだ。本論文にはまず、ハーバード大学の進化生物学者マーティン・ノヴァクが『サイエンス』誌上で語った言葉が登場する。
 おそらく進化の最も注目すべき側面とは、競争社会で協力を生み出す能力である。したがって『突然変異』『自然選択』に次ぐ進化の第三の基本原則として『自然協力』を加えてよいのではないか。
 ノヴァクの言葉に呼応するように、人間は協力的で私心がないことを示す証拠も挙がっている。以下はゲーム理論に関する心理学の実験結果である。
 広範な実験の結果、人間はゲーム理論の予想以上に協力し合うことが示されている。スタンフォード大学教授のリー・ロスの共同実験では、実験の参加者の半分に「コミュニティ・ゲーム(力を合わせて課題を解決していくゲーム)をする」と伝え、残る半分には「ウォールストリート・ゲーム(どれだけ儲けられるかを競うゲーム)をする」ことを伝えた。

 コミュニティ・ゲームのグループでは70%が最初から最後まで協力的だったのに対し、ウォールストリート・ゲームでは逆に70%のプレーヤーが協力し合わなかった。当初、30%は協力的だったが、相手が反応しないと協力するのをやめた。
 また、神経科学では、
 だれかに協力することで脳内の報酬系が活性化することもわかっており、これを科学的な根拠として、「選ぶとすれば、協力したいと考える人間は存在する。なぜなら気持ちがよいからである」といわれている。
そうだ。さらに興味深いのは、人間の協力的な行動は、生まれた後に社会的に学習されるのみならず、遺伝による部分も大きいという点である。
 性格は部分的に遺伝することが、いくつかの研究からわかっている。ミネソタ大学心理学部教授のトマス・プシャードとマット・マクギューの結論によると、外向性、情緒安定性、協調性、開放性などの人格特性は平均で42〜57%が遺伝性であった。しかし一方、ほとんどの人が大きな影響力を持つと考える共有環境要因(家庭など)は、人格と相関性がなかった。
 論文では他にもいくつかの研究が紹介されているが、それらの内容を踏まえて著者は、人間の利他的動機を引き出す協力のシステムを構築すべきだと説く。

 動機に関する研究は古くから数多く存在する。古典的なもので言えば、フレデリック・ハーズバーグの「動機づけ・衛生理論」や、アブラハム・マズローの「欲求5段階説」(ただしこれは仮説にすぎない点に注意。「沼上幹の名言」を参照)、さらにはデイビッド・マクレランドによる動機の分類(「達成動機」、「権力動機」、「親和動機」)などがある。もう少し時代が下ると、エドワード・デシの「内発的動機」や、ミハイ・チクセントミハイの「フロー」の理論が出てくる。また、手前味噌で恐縮だけれども、過去の記事「「キャリア発達」と「動機づけ要因」の関係を整理してみた−『ぶれない「自分の仕事観」をつくるキーワード80』」で、ビジネスパーソンのキャリアとともに、主たる動機づけ要因が変化するという仮説を提示した。

 どの研究にも共通して言えることだが、利己的動機と利他的動機を峻別することは困難であるように思える。欲求5段階説で最上位に位置づけられる「自己実現」は、「自分がやりたいことをやる」という意味では利己的動機である。しかし、「他者や社会への貢献」が自己実現と結びついているならば利他的動機でもある(同じことはマクレランドの「達成動機」やデシの「内発的動機」などにも当てはまる)。

 「親和動機」は文字通りに解釈すれば利他的動機である。だが、相手からの感謝や何らかの物質的な見返りを期待しているならば、利己的動機の側面を否定することができない。あるいは、周囲をサポートする裏で、「周りの人に『あの人は非協力的だ』と思われるのがイヤだ」とか、「周りの人と仲良くしておかないと自分の居場所がなくなる」と考えているとすれば、それもまた利己的動機であろう。

 権力欲求や金銭的欲求は、典型的な利己的動機と捉えられている。ところが、権力や金銭を握ることで初めて可能になる社会貢献もある。首相というポストはその一例だ。かつて小泉純一郎氏は、自らの最大の関心事である郵政改革を実現するために首相になり、「郵便物を配達するのに公務員である必要があるのか?」と主張して郵政民営化を実現した(残念ながら、その後かなり迷走しているが)。小泉氏にとって首相という地位は、長年温め続けてきた自身の政治テーマを実現するという利己的動機と、国民にもっと効率的な郵便サービスを提供するという利他的動機がともに結びついたものであったと言えよう。

 人間が生来的に利己的なのか利他的なのかという議論は非常に興味深いのだが、現実問題として重要なのは、「利己的であると同時に利他的である動機」を持つことではないだろうか?純粋な利己的動機、あるいは純粋な利他的動機というのは、社会の富を増加させない。例えば強盗は、相手から自分に金銭を移動させているだけである。また、何の見返りも要求せずに相手に尽くし続ける人も、自分から相手に富を移動させているにすぎない。

 社会が富を生み出し発展するのは、利己的であると同時に利他的な動機を持つ人々が集まった時である。言葉は悪いが、「私は周囲の人々の富を増加させる。その代わり、私は生み出した富の一部を分け前としてもらう」というスタンスの人が集まると、社会全体として富の創造が可能になる。だから、利己的であると同時に利他的な動機を刺激するような制度やインセンティブの設計こそが必要なのではないだろうか?
January 07, 2012

「戦略を全社員に浸透させる仕組み」の解説書といった感じ―『リーダーシップ・サイクル』

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リーダーシップ・サイクル―教育する組織をつくるリーダーリーダーシップ・サイクル―教育する組織をつくるリーダー
ノール・M. ティシー ナンシー カードウェル Noel M. Tichy

東洋経済新報社 2004-12

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【998本目】1,000エントリーまであと2。

 著者のノール・M・ティシーは、GEのジャック・ウェルチの下でクロトンビル研究所におけるリーダー育成トレーニングの体系を構築した人物。本書は邦訳の出版が2004年とやや古く、現在のGEとは事情が異なる部分もあるだろうが、GEが戦略策定・実現や人材育成に関して取り入れた様々な制度や仕組みが解る本である。

(1)1年で1周するよう整然と設計されたGEの「オペレーティング・システム」
 タイトルにある「リーダーシップ・サイクル」というコンセプトが何を指しているのかやや解りにくかったのだけれども、私なりに解釈すると、「トップが構想した戦略を全社員に浸透させて実行に移し、フィードバックに基づいて新たな戦略を構築するサイクル」を意味していると思われる。本書では、トップが構想する戦略は「教育的見地」と呼ばれており、教育的見地の構築と浸透を繰り返すサイクルが根づいた組織のことを、著者は「教育する組織」と名づけている(ピーター・センゲの「学習する組織」とは異なる点に注意)。
 リーダーは4つの基本的な構成要素を中心とした教育的見地を持たなければならない。4つの構成要素を使ってリーダーは躍動感に富み、人々を魅了するストーリーをつくりあげる。ストーリーを通じてリーダーは会社の現状、未来への方向性、それを達成する戦略を理解するのである。(※4つの構成要素とは、「アイデア」、「価値観」、「感情エネルギー」、「エッジ(大きな決定の力)」とされる。詳細は本書p132〜170を参照)
 勝利するリーダーは教師であり、勝利する組織は教育を奨励し、教育した者を評価する。しかし要はそれだけではない。勝利する組織は意図的に教育する組織になろうとしているのであり、ビジネス・プロセスも、組織構造も、日々の業務も、すべて教育を促進するようにつくられている。
 教育する組織は学習する組織といくつかの点で大きく異なっている。両組織とも企業の成功のためには、従業員は情報や新しい発想、スキルを身につけなければならないという考えを支持しているのだが、教育する組織はそれに加えて、全員が学習者であると同時に教育者でもあるという点を非常に重視している。あらゆる活動が教育と学習につながるという考えが受け入れられると、強力な自己保存機能が組織に生まれて、組織のあらゆる階層で知識が創造され、社員間で共有されるようになる。
 戦略立案・実行のサイクルの例として、本書ではウォルマートに言及している箇所がある。
 ウォルマートのリーダーが毎週現場に出て週末には本社に戻り、発見したことを共有している一種のプロセスは、ウォルマートが戦略を週単位で調整するために使っている業務運営メカニズムである。現場に出ると役員は店舗マネジャーや顧客、競合に教えてもらう。同時に、彼らも店舗マネジャーを教育し、コーチする。さらに本社に戻ると、役員は自分が学んだことを同僚と共有し、一緒になって戦略を練り直す。最終ステップは、役員から教育を受けたうえで、店舗マネジャーが実践に移すということである。
 こうしたサイクルは、多かれ少なかれどの企業でも見られるものだ。セブンイレブンや楽天などは、毎週月曜日に早朝会議を開いて、店舗運営コンサルタントやスーパーバイザー向けに自社の戦略を説明したり、戦略の実現度合いを確認したりしている。

 これに対し、GEのサイクルは1年がかりで1周する、もっと大がかりなものである点に特徴がある。詳細は本書p340を参照していただくとして、サイクルの概要を簡単にまとめるとこうだ。まず、秋になるとウェルチが自分の教育的見地をまとめ、10月の経営幹部会でその内容を役員と共有する。10月から年末にかけて、年明けに開催されるシニア・マネジャーを対象としたミーティングに向け、翌年の戦略と重点施策を具体化していく。そして1月からは、シニア・マネジャー、事業部門リーダー、現場社員を対象としたカウンシルを順番に開催していき、戦略の内容を組織の隅々まで浸透させる。戦略の進捗に関しては、四半期ごとに再び階層別のカウンシルを開き、その中で確認を行うことになっている。

(2)「知」というソフト・パワーの行使にあたり、ハード・パワーも併用する
 リーダーはフォロワーが望ましい行動をとるように、様々な形でパワーを発揮する。高い報酬でやる気を上げ、逆に罰をちらつかせて恐怖心を煽る。これは、アメリカの政治学者ジョセフ・ナイの言葉を借りれば、「ハード・パワー」の一例である。一方、「教育的見地」という「知的パワー」は、知が持つ魅力によって人々を惹きつけようとするものであり、一見すると「ソフト・パワー」のように感じる。

 しかしながら、以前の記事「従来の「ソフト・パワー」は「知的パワー」として再構成できるのでは?―『スマート・パワー』(1)(2)」で述べたように、「知的パワー」にも、ハードとソフトの両面があると考えられる。優れたリーダーはこの点をよく理解しており、実際に行動に移していることが本書から読み取れる。例えば、GEファイナンシャル・サービシーズのトップであったボブ・ライトがNBCのCEOに就任した際、ライトは自らの教育的見地を活用して社員の結束を高めるべく、ハード・パワーを行使した。具体的には、議論を重ねても変わろうとしない役員を容赦なく解雇したのである。

 だが他方で、ライトはソフト・パワーの行使を決して忘れてはいなかった。ハード・パワーの行使と同時に自らをオープンにして自分の希望を周囲に伝えたり、他者の希望や恐怖、アイデアによく耳を傾けたりしたという。知的パワーの発揮には、ハード/ソフトの両面が伴う。本書を読む限り、ウェルチも、ウェルチの後継者であるジェフ・イメルトも、自らの教育的見地の実効性を高めるために、ハード/ソフトの両パワーをうまく組み合わせている。

(3)著者はボトムアップ型のリーダーシップに対して懐疑的?
 本書を読んで1つ物足りなかったのは、全体を通じてトップダウンのリーダーシップに焦点が当たっており、ボトムアップのリーダーシップがほとんど登場しなかった点である。トップダウンとボトムアップのリーダーシップが両輪で機能する「デュアル・リーダーシップ」を理想とする私としては、GEの事例はトップダウンの色が強すぎると感じた。

 確かに、事業部門のリーダーや現場社員は、トップの教育的見地を完成させるのに必要な情報を提供したり、教育的見地を補完するアイデアを提供したりすることで、部分的にボトムアップのリーダーシップを発揮している。しかし、トップの教育的見地の大きな間違いを正したり、トップの教育的見地を超える教育的見地を編み出したりするような強烈なボトムアップのリーダーシップは、本書には全くと言っていいほど登場しない。

 これは、著者がトップダウンのリーダーシップを強く信奉しており、ボトムアップのリーダーシップに対して懐疑的であることが影響していると思われる。特に、クレト・レヴィンの「民主型リーダーシップ」に端を発する一連の学説をかなり痛烈に批判している。
 (クレト・レヴィン以来、)パワーとリーダーシップについて、せいぜいよくて非常にあいまいな考えを持つ学者や実践家からなる、きわめて著名なグループが存在している。彼らは変革をボトムアップ的に、草の根活動として巻き起こる活動と定義している。特に最近は、非常にバイアスのかかったアンチ・リーダーシップ的な意見も強く出されるようになっている。

 彼らの議論は、企業が勝利するのは非常に強力で1つにまとまった文化があり、それゆえに勝利する行動が起こるというものだ。そのために強力なリーダーシップに反対するバイアスが生まれる。しかし同じデータを分析して私が考えるのは、彼らの意見はまったく間違っているということである。
 とはいえ、著者がボトムアップのリーダーシップを完全に排除しているかというと、そういうわけでもなさそうだ。別の箇所では、
 ミッションや計画の達成は、トップ・リーダーの焦点がどれだけ定まっているか、リーダーがどれだけ教育を行うかにかかっている。草の根運動が起こるかどうかも、リーダーがそのような環境をつくれるかどうかにかかっている。
と述べており、トップダウンとボトムアップのリーダーシップが交錯する可能性を匂わせている。事実、本書で唯一例外的にボトムアップのリーダーシップの事例が取り上げられている箇所があり、その事例では何と、「新入社員がトップの教育的見地を塗り替える」という事態が起きている。
 トリロジー・ソフトウェアに入社したての21〜22歳の大学卒新入社員たちがジョー・リーマン(※トリロジーソフトウェアの創業者)に対して、インターネット上で車を販売するというアイデアを突きつけてきた。その当時、eコマースというコンセプトはまだ初期の段階で、イーベイもアマゾン・ドットコムもビジネスを開始したばかりであった。リーマンは彼らに対して、「それはばかげたアイデアだ。どれだけディーラーがeコマースの進出を嫌がり、妨害しようとしていると思っているのだ」と諭した。(中略)

 現在、トリロジーは自動車関連ビジネスで大きな収益を上げている。この重要なマーケットに初期段階で投資をし、陣地を早い段階で獲得してしまい、強力なポジションを築きあげたのだ。これらはすべて6人の新入社員の主張から始まった。「ばかなのはわれわれではない。リーマンがばかなのだ」という主張から。(中略)

 その後、リーマンは新入社員教育の場であるトリロジー大学を、新入社員による基礎研究と製品開発研究所を兼ね備えた組織と位置づけるようになった。1997年以来、トリロジーは新入社員の「ばかげた」アイデアから数多くの新商品を開発し、発売している。
 もちろん、新入社員の教育的見地の内容を点検する上では、トップの側にも確固たる教育的見地が不可欠である。お互いの見解が異なるからこそ、深い議論ができるというものだ。

 双方の議論を通じて、市場や顧客、技術や競合、自社の組織能力や文化に対する見方が修正されていき、より確度の高い戦略が構築されていく。逆に、考えを持たない相手と議論をし、何か新しい知見を生み出すことはできない。ボトムアップのリーダーシップが生まれる条件として、トップダウンのリーダーシップが欠かせないという著者の主張は、この意味で理に適っていると思う。トリロジー・ソフトウェアの事例だけでなく、GEの「デュアル・リーダーシップ」に関する考察がもっと多ければ、本書はもっと面白かっただろうと思う。
December 28, 2011

明治時代から浮かんでは消えるリベラル・アーツ渇望論―『リーダーシップ不在の悲劇(DHBR2012年1月号)』

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Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2012年 01月号 [雑誌]Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2012年 01月号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2011-12-10

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【995本目】1,000エントリーまであと5。

総合国策の研究と次世代リーダーの養成 「総力戦研究所」とは何だったのか(土居征夫)
 先日の記事「野中郁次郎氏が分析する「日本軍6つの敗因」―『リーダーシップ不在の悲劇(DHBR2012年1月号)』」の脚注で触れた論文。「総力戦研究所」は、イギリスの国防大学やフランスの国防研究所に倣い、国防国家の支柱となるべき人材を養成する目的で1941年4月に開設された。同研究所では、次代を担うリーダーとして各省庁、民間企業、陸海軍から選抜された人々が、軍事的視点だけでなく、経済、政治、外交、国民生活などを総括した統合国策の立案研究を行っていた。日本軍、政府省庁ともにセクショナリズムが横行していた当時、組織の壁を超えて多様な人材が一堂に会する組織は例外的な存在であっただろう。

 同研究所に集まった若手リーダーは、総力を挙げて日米開戦を前提とした戦局を予想したが、そこで導き出された結論は「日本必敗」であった(必要な船舶量は月10万トン、年間120万トンと試算されたが、当時の日本の造船能力は多く見積もってもその半分であるなど、日本に不利なデータが次々と明らかになった)。彼らの分析結果は、後の太平洋戦争における戦局の推移を、真珠湾攻撃を除いてほぼ正確に予測していたという。

 しかし、シミュレーションの内容を近衛文麿首相とともに聞いていた東条英機陸相は、
 「諸君の研究の労を多とするが、これはあくまで机上の演習でありまして、実際の戦争というものは君たちの考えているようなものではないのであります。日露戦争でわが大日本帝国は、勝てるとは思わなかった。しかし、勝ったのであります。(中略)君たちの考えていることは、机上の空論とはいわないとしても、あくまでも、その意外裡の要素というものをば考慮したものではないのであります」
と述べて、結果を受け入れなかった。実際の戦局では「意外裡の要素」が働くという東条の言葉は確かに一理ある。ただ、当時の東条が、日露戦争で日本に有利に働いた意外な要因とは何だったのか?あるいは、太平洋戦争ではどのような偶発的要因を想定していたのか?また、その偶発的要因が起きる可能性をどの程度と見積もっていたのか?などに関して、確固たる考えを持っていたかどうかは不明だ(論文には特に書かれていない)。

 結局、総力戦研究所はわずか数年で閉鎖され、次代のリーダーを輩出するという目的は完遂されなかった。著者は、日本の軍事教育の欠陥に踏み込み、「リベラル・アーツ教育」の欠如を指摘している。
 陸軍大学校、海軍大学校、帝国大学に代表される明治以降の高等教育は、法律や軍事など実利本位の知識や技術の習得に専念した。その結果、大正・昭和期に、利害打算に長けた深みのない似非リーダーを多く輩出した。(中略)

 陸大海大ともに、リーダー(将帥)を養成するための教育は、主として上に立つ者としての徳目教育に終始し、深い人間観、世界観に根差す戦略的思考や、政治と軍事の関係を洞察する識見を養うものではなかった。
 リーダーの養成過程で最も重要なのは、リベラル・アーツ教育の拡充である。アメリカの高等教育機関では、毎回課題図書を与えて討議し、歴史や哲学、宗教、人間観について自分の頭で考える訓練を行う。(中略)

 近代日本では、西洋の列強に追いつけ追い越せとばかり、法学、工学、語学等の実学を重んじた結果、欧米諸国のリベラル・アーツ教育が重視した教養、すなわち文法・論理・修辞学の三学や、天文学、幾何学、算術、音楽などのアーツ、それに哲学、歴史などを学ぶ意義が深く省みられることはなかった。
 軍事教育にリベラル・アーツが欠けていたという主張は、実は野中郁次郎氏の論文「名将と愚将に学ぶトップの本質 リーダーは実践し、賢慮し、垂範せよ」とも共通する。野中氏は同論文の中で、次のように述べている。
 私はリベラル・アーツのなかでも、特に知についての最も基本的な学問である哲学の素養が社会のリーダーには不可欠だと考えている。哲学は存在論と認識論で構成され、その両面から、真・善・美について徹底的に考え抜く。それによって、モノではなくコトでとらえる大局観、物事の背景にある関係性を見抜く力、多面的な観察力が養えるのだ。東洋にも『論語』などの哲学があるが、どうしても道徳論になりがちで、知の飽くなき探求という意味では真善美を追求する西洋哲学に及ばない。
 真善美を学ぶ上では、東洋哲学より西洋哲学の方が優れているという点は、おそらく賛否両論があろう。個人的には、『論語』のような道徳は善の一部であると思うし、「美徳」という言葉があるように、美と道徳も密接な関係にあると考える。ただ、野中氏も土居氏も、哲学や歴史、文学などを学ぶことの意義を同じように強調している点は押さえておかなければならない。

 実のところ、リベラル・アーツ渇望論は、明治時代から3度発生していると私は考える。1回目は明治時代中期であり、明治政府が西洋列強に追いつくために積極的に欧化主義を採用してた頃である。幕末に佐久間象山は「東洋道徳、西洋芸術」という言葉を用いて、東洋の道徳を温存しながら西洋の芸術(技術)を習得することは可能だと主張し、明治政府もその路線を突き進んだ。

 しかし、西洋技術や制度の表面的で過剰な輸入が進むにつれて、日本人は西洋人に対して人種的に劣位にあるという見方が登場し、人種改造論までが真面目に議論されるようになった。こうした事態に耐えかねた人々は、次第に政府に対し反発を見せるようになる。例えば、佐久間象山に師事した西村茂樹は、1886年に発表した『日本道徳論』の中で、「道は本なり、制度は末なり」と説いて、伝統的な儒教観に根差した道徳の重要性を訴えた。

 また、ジャーナリストの陸羯南は、明治政府=国家が国民の上に立っていたずらに西洋を追いかける国家主義的な現状を「日本社会の支離滅裂」と批判し、国家主義に対立する概念として「国民主義」を提唱した。陸の国民主義は、国民の歴史的継続性と、精神的な面までをも含んだ国民の有機的統一性を重視する。

 さらに、同じくジャーナリストの三宅雪嶺は、先ほどの人種改造論に真っ向から反対し、1891年に『真善美日本人』を発表して、日本人の優位性と日本人が世界で果たすべき任務を提示した。三宅は、哲学のみが、個人の自由な活動と、学問を通じた一国の独立という2つの目的を同時に達成することができるとの信念を持ち、スペンサーの影響を受けながら独自の宇宙観を形成している。

 いずれの主張にも共通するのは、道徳観や歴史観などに基づいた社会構築の必要性である。当時はリベラル・アーツなどという言葉はなかったが、その意義を認識している人々は決して少なくなかったわけだ(※)。

 2回目は、この論文にあるように第2次世界大戦の時期である。そして、3回目は他ならぬ現代だ。土居氏や野中氏のリベラル・アーツ渇望論は、軍事教育の欠陥にのみ向けられているのではなく、そのまま現代にも通用するものである。3度の渇望論は、「技術が先行した時期」に発生しているという点で共通している。技術の著しい進歩によって、人間が技術に使われるようになると、リベラル・アーツにスポットが当てられると言ってよい。

 ここからは感覚的な記述になって恐縮だが、私自身社会人になってからずっと、「企業が利益を上げるための方法」をいろいろと模索し、顧客企業にも提案してきたつもりではあるけれども、どこか”上滑りしている感覚”があったのは否めない。利益を出すための技術的な方法を挙げろと言われればいくつも思い当たるものの、利益を出せばそれでOKなのか?という疑問に何となく胸が痞えている。

 企業は単に利益を追求するだけではなく、「よい利益」を追求しなければならない。言うまでもなく、「よい」とは価値基準であり、利益のよしあしを評価するのは企業が存立する社会である。ならば、社会がよいと認めるものは何なのかについて、もっと深く洞察する必要がある。社会の価値基準を考察するには、社会を構成する人間というものを深く理解しなければならない。同時に、社会が何百年、何千年と受け継いできた歴史の流れを紐解き、文化の中に埋め込まれた価値基準を掘り当てる必要もあるだろう。これこそまさに、リベラル・アーツの世界である。

 1つ例を挙げると、縮小する国内市場において、限られたパイを手放さないために、CRM(顧客関係管理)に注力して顧客を囲い込もうとする企業が増えている。CRMが成功すれば、確かにLTV(顧客生涯価値)は上がり、持続的な利益の創出が可能になるだろう。しかし一方で、囲い込みは顧客による自由な選択の余地を奪っているとも言える。そこまでして利益を出すことが果たして「よい」ことなのだろうか?むしろ顧客を解放して顧客の自由な選択に委ね、自社を選んでくれたその時には最高の体験を提供するというやり方の方が、「よい」経営とは言えないだろうか?

 来年はリベラル・アーツの世界にも足を突っ込むことにしよう。

(※)朝日ジャーナル編『日本の思想家(上)』(朝日新聞社、1975年)
December 26, 2011

2人の暴走を招いた「そうせい候」的な上司・板垣征四郎―『リーダーシップ不在の悲劇(DHBR2012年1月号)』

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【994本目】1,000エントリーまであと6。

「攻撃は最大の防御」という錯誤 失敗の連鎖:なぜ帝国海軍は過ちを繰り返したのか(杉之尾宜生)
 野中氏の論文は日本軍全体に焦点を当てて敗因を分析したものであるが、この論文は海軍にフォーカスを絞っている。論文では3つの敗因が挙げられている。ただ、(2)を除く2つの原因は、結局のところ日本軍全体に共通するものであるように思える。
(1)戦争イコール武力戦という誤解
 日本は、世界秩序のなかでどのような地位を占め責務を果たすべきかという未来像を描くことなく大東亜戦争に突入した。本来、グランド・ストラテジー(国家戦略、戦争目的)を明確にしたうえで、軍事戦略が構築される。軍事戦略に基づく武力戦は戦争の一部にすぎない。むしろ非武装戦の分野の質と量が、彼我の優劣を決する。

(2)シーレーン防御の誤解
 島国日本にとって、資源供給のためのシーレーン(海上交通連絡船)を確保することが死活問題であることは小学生でも知っていた。だが、帝国艦隊は大艦巨砲主義に基づく艦隊決戦に固執し、「攻撃は最大の防御」という誤った軍事教義に基づく海軍戦略によりシーレーンを寸断破壊され、日本経済はジリ貧からドカ貧に陥って経済的に破綻した。

(3)科学技術に対する先見性の欠如
 大東亜戦争開戦時、日本の科学者たちは世界最先端の成果を上げ、軍事科学技術の質的戦力は欧米に勝るとも劣らないレベルにあった。しかし、日本の政・官・軍の指導者は、先端技術の可能性・有効性と科学者の提言に背を向け、貴重な高質の人的資源を組織的に有効活用しようとする視座を持ち合わせていなかった。
 論文では(3)の例として、東北帝国大学工学部教授の八木秀次が発明した「八木アンテナ」が取り上げられている。八木アンテナは、電波の指向性通信(長さの異なるア棒状のアンテナを並行に並べ、特定の方向だけに発・受信する方式。現在の超短波、極超短波で使用されるほとんど全てのアンテナ系はこの方式による)を可能にする画期的イノベーションであった。しかし、八木アンテナを軍事活用したのは日本ではなく、イギリスやオランダ、そしてアメリカであった。技術的には優位なのに競争に負けるという話は、現在の日本企業の経営でもよく聞く話ではないか??

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-
「組織人」になれなかった天才参謀の蹉跌 石原莞爾:官僚型リーダーに葬り去られた不遇(山内昌之)
 満州事変の首謀者である石原莞爾に関する論文。著者は、石原莞爾の戦略眼について、
明治以降の日本軍人のなかで最も優れた戦略家・兵学家であり、「天才」と言ってもいいのではないかと私は考えている。
と絶賛しているのに対し、組織人としては
 失格者の部類の人間であり、致命的な欠陥のために失敗している
と酷評している。石原が組織人として大成しなかった理由は、1つには多様な職務を経験して出世に必要なキャリアを踏むことがなかったためであり、著者は次のように述べている。
 石原はといえば、教育総監部でほんのわずかの勤務経験があるだけで、後はひたすら作戦畑である。人事やマネジメントの才を必要とする組織人たる力量は、それこそ(東条英機と比べて)雲泥の差があっただろう。
 もう1つの理由は、石原の性格的な問題で、
 石原は、生来の歯に衣着せぬ物言いで、常に周囲と軋轢を生んできた。部隊の部下には慕われたものの、東条をはじめとする上層部や同僚からはかなり煙たがられていた。
という。その石原と全く正反対なのが、引用文でも石原との比較対象になっている東条英機である。東条英機は、組織人としては秀でたマネジメント能力を備えていたけれども、軍人としてはまるで凡庸だったという。
 戦前の日本陸海軍というのは巨大な官僚機構だった。(中略)人事の異動1つ取ってみても、いまの中央官庁の人間の異動以上に精緻さが求められた。当然のことながら、その巨大な組織の隅々にまで目を配り、動かしていく人間が必要になる。努力型の秀才である東条は、そういうマネジメントの能力では秀でていた。

 (一方、)戦略家・兵学家としての東条はまったく冴えたところのない、月並みな人間だった。せいぜい陸軍少将になって、旅団長クラスで終わるはずの軍人だったのだ。
 少将は、旧日本陸軍の将官の中では最下級である。それが首相兼陸相となり、さらに参謀総長を兼任していたのだから、5階級ぐらい過大評価されていたことになるだろうか?東条は「平時のリーダー」に過ぎず、戦時のリーダーシップを備えていなかった。石原は、過大評価された平時のリーダー・東条につぶされてしまった、と著者は述べている。

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独断専行はなぜ止められなかったのか 辻 政信:優秀なれど制御能わざる人材の弊害(戸部良一)
 ノモンハン事件(1939年)、ガダルカナル島の戦い(1942年)で日本陸軍は壊滅的な被害を被ったが、その時の参謀が辻政信である(※)。ノモンハン事件では、少佐、作戦参謀に過ぎなかった辻が、作戦課長の事態静観論を退けてソ連・モンゴル軍への攻撃を主張し、関東軍の方針と作戦計画を方向づけた。そのノモンハン事件で大失敗を犯し左遷された辻であるが、わずか1年で参謀本部の要職に返り咲いている。そして、ガダルカナル島の戦いでは、日本軍の兵站能力を超え制海権・制空権の及ばないガダルカナルへの大兵力投入に疑問を呈する声があったにもかかわらず、敵の初動を制することの必要性を論じ立てた。

 なぜ辻は一介の参謀でありながら、中央以上に権限を持ち、「独断専行」に踏み切ることができたのか?この問いに対し、著者は興味深い答えを提示している。
 辻は必勝の信念、積極果敢、率先垂範、命を鴻毛の軽きに比す、といった当時の陸軍が最も重視していた理念を、体現し実践しようとしていた。より正確に言えば、そうした理念を体現し実践しているように見えた。
 辻の強調する理念は、もともと軍事組織の機能を最大化するために掲げられたものであった。軍事組織の機能発揮のためには必要不可欠な理念であったと言ってもいいかもしれない。
 つまり、辻の言動は、陸軍の理念に合致していたから、「だれも公然と反対できなかった」のである。理念を徹底的に追求しているがゆえに、多少の失敗(ノモンハン事件の失敗は、”多少の”失敗で済まされる次元ではないのだが・・・)があっても、寛容に扱われたのだという。

 では、辻による理念の徹底追求が行き過ぎたものであり、辻のような人物の暴走を止めるにはどうすればよかったのか?著者は、「軍事組織の機能発揮という次元を超えた普遍的な価値」が必要だと指摘する。ただ、ここでいう「普遍的な価値」が何かは論文の中で明らかにされていない。そもそも、必勝の信念、積極果敢、率先垂範といった価値観そのものが、論文で紹介されている作家・杉森久英の言葉にあるように、「小学校の修身教科書が正しいという意味で正しい」のであって、それを超える普遍的価値とは果たして何なのか?(小学校の修身教科書を超える普遍的価値など果たして存在するのか?)やや疑問に感じる。

 論理的な解決の方向性としては、次元の異なる価値観を用意するという方法がありうるのかもしれないが、より実務的な方策としては、陸軍の価値観や理念の意味するところを、上層部と現場がもっと深く対話するべきだったのではないだろうか?必勝の信念、積極果敢などといった言葉の表面的な理解にとどまるのではなく、価値観に沿った行動で成功した例や、価値観に反して失敗した例を題材にしながら、価値観の本当の意味や意義を共有する作業が、陸軍には必要であっただろう。また、個別の意思決定の場面において、一見価値観に沿った行動であっても、本当に望ましい結果が得られるシナリオや算段があるのかを厳しく検討しなければならなかったはずだ。

 こうした仕事は、現場の上に立つ人間の役目に他ならない。しかし、ノモンハン事件では、時の陸相である板垣征四郎がこの仕事を怠り、辻の暴走を招くきっかけを作ってしまったと言える。
 関東軍の作戦準備は陸軍中央の了解なしに進められ、実行間近になって大本営に報告された。陸軍中央では作戦の可否をめぐって議論が白熱、賛否両論が伯仲したが、最終的には、「一個師団程度のことならば関東軍に任せてもいいではないか」という板垣陸相の一言で決着がついた。
 さらに言えば、板垣征四郎は、石原莞爾が満州事変を起こした時の上司でもある(当時は関東軍高級参謀)。先の論文「「組織人」になれなかった天才参謀の蹉跌 石原莞爾:官僚型リーダーに葬り去られた不遇」では、
 板垣は東条と違って優秀な部下と張り合うことはせず、鷹揚にすべてを任せるタイプだったようで、そんな上司の下で石原は力を発揮したのである。
と板垣のことが肯定的に捉えられているものの、満州事変以降、陸軍では現場による「独断専行」が頻発するようになった。そして、その独断専行に苦しんだ人物の一人が、石原だったのである。石原は、満州国を軸として「五族協和」、「王道楽土」の理念を実現しようとしており、中国との戦争は望んでいなかった。ところが、部下が引き起こした1942年の盧溝橋事件(当時の石原は参謀本部作戦部長)によって陸軍は対中戦争へと傾き、石原の構想は大きく狂ってしまったのである。

 板垣がノモンハン事件の際に辻を制していれば、さらには満州事変の際に石原を制していれば、陸軍に「独断専行」の文化が生まれることはなかったかもしれない。以前の記事「上司が無能でも部下が育つというパラドクスをどう考えるか?」では、幕末の長州藩主・毛利敬親の「そうせい候」的な態度に触れたけれども、「そうせい候」ではいかに部下が優秀でも組織を正しい方向に導くことができない。もっと言えば、部下が好きなようにやるのであれば、上司など不要である。なぜ上司というポストが必要なのか?上司がなすべき仕事とは何か?を考えるにあたって、板垣を反面教師にしなければならないと思う。

(※)辻正信については、DHBR2006年2月号所収の菊澤研宗氏の論文「リーダーの心理会計」も参照されたい。

Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2006年 02月号Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2006年 02月号

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December 25, 2011

「淡白課長」から「人情課長」へと移行するアメリカ人―『リーダーシップ不在の悲劇(DHBR2012年1月号)』

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日米比較:名もなき兵士たちの分析研究 「最前線」指揮官の条件(河野仁)
 日米両軍の兵士が初めて直接対決したガダルカナル島の戦い(1942年)を生き抜いた兵士の言葉から、現場の泥臭い戦闘を指揮するリーダーに求められる能力や資質を考察した論文。よくある軍本部や政府のリーダーシップとは毛色の異なる内容で、本号の特集の中では一番興味深かった。アメリカ軍が「バンザイ作戦」と呼んだ白兵突撃作戦には首を傾げざるを得ないものの、論文を読み進めると、アメリカよりも日本の方が現場リーダーとして望ましい人材が集まっていたように思える。

 1953年から継続する「日本人の国民性調査」(統計数理研究所)には、次のような質問がある。
 ある会社に次のような2人の課長がいます。もしあなたが使われるとしたら、どちらの課長に使われるほうがよいと思いますか?

 ・規則を曲げてまで無理な仕事をさせることはありませんが、仕事以外では人の面倒を見ません。
 ・時には規則を曲げて無理な仕事をさせることもありますが、仕事以外でも人の面倒をよく見ます。
 論文の著者は、前者を「淡白課長」、後者を「人情課長」と呼んでいる。日本人の8割以上が常に人情課長を支持してきた。この結果を国際レベルで比較すると、人情課長に対する支持率が最も高いのが日本(87%)であり、次いでオランダ(78%)、西ドイツ(69%)、フランス(64%)と続き、アメリカ(51%)はイタリア(48%)に続き支持率が低い。日本が人情課長を支持し、アメリカが淡白課長を支持するというのは、我々の日常的な認識にも合致していると思う(※1)。

 ただし、アメリカ人が人情課長を否定的に見ているかというと、そうとは言えないだろう。先の国際比較でも、アメリカ人の51%が淡白課長を支持したということは、裏を返せば49%は人情課長を支持したことになる。また、そんな回りくどい解釈をしなくても、別の調査を見ると、危機的な状況下ではアメリカ人でも人情課長への支持が高まる可能性が見えてくる。

 論文で紹介されている「アメリカ軍兵士の戦闘意欲」という1949年の調査結果は、アメリカ軍兵士の戦闘への動機づけ要因を将校と下士官・兵で比較したものである。将校の回答は「統率・軍紀」が19%と最も高く、「連帯感」(15%)、「使命感・自尊心」(15%)、「任務完遂」(14%)、「復讐心」(12%、太平洋戦線に限れば18%)と続く。これに対して、下士官・兵の回答は、「任務完遂」(39%)が1位であり、2位以降は「連帯感」(14%)、「家族・恋人」(10%)、「使命感・自尊心」(9%)、「自己保存」(6%)となっている(※2)。

 ここで注目したいのは、どちらの回答でも2位に「連帯感」がランクインしている点である。論文の著者も、
 筆者のインタビュー調査でも、アメリカ兵たちは「戦友を守る」「部隊への忠誠」「戦友愛」「生き延びるためにはお互いが必要だ」など、表現こそ違え、連帯感が彼らを戦闘へと駆り立てたことを指摘した。彼らは、戦友同士が家族のように感じ、まるで兄弟のような、あるいは兄弟よりも親しい関係にあった、と語るのが常だった。
と述べている。つまりアメリカ人は、連帯感を感じさせてくれるリーダーについて行きたいと考えているのである。そのようなリーダー像は、人情課長の特性に他ならない。一方で日本兵はどうかというと、そのような連帯感が明確に意識されていたわけではないと著者は言う。しかし、日本兵が決して連帯感を軽視していたわけではなく、一種自明のものとして受け止めていたためと分析している。

 さらに、論文の最後では、イラクやアフガニスタンで行われている「COIN作戦」(反乱鎮圧作戦:counter-insurgency opreation)という作戦地域住民の人身掌握作戦にも言及されているが、約10年に渡るCOIN作戦を通じて、アメリカ軍の指揮官には「相手の立場に立って考えること」ができるかどうかが問われるようになったという。アメリカ軍が一方的に支援を”押しつける”のではなく、現地住民が本当に欲している支援を提供すること、あるいは住民が欲している支援であっても、住民の中長期的な自立のためであれば敢えて支援をやめることが重要になっている。

 こうしたCOIN作戦の教訓を受けて、2006年に改訂されたリーダーシップに関する野戦教範(Army Leadership FM622)では、指揮官に必要不可欠な能力として「共感力」(empathy)が明記された。これこそまさに、日本人が人情課長に期待している能力に他ならない。極論すれば、日本人が戦前からずっと一貫して重視している人情課長の特性が、アメリカでは現代になってようやく明確に認識されるようになったというわけだ。

 にもかかわらず、太平洋戦争では日本はアメリカに敗れた。連帯感を醸成するのに長けた優れたリーダーがどれだけ現場に揃っていても、間違った目的のために人々を結集させてしまえば意味がない。”正しい目的”に向けて結束を高めるのが、現場リーダーの役割である。そして、その”正しい目的”を設定するのは、他ならぬ上層部のリーダーシップの役割だ。アメリカが自国の理念である「自由」を守るために戦ったのに対し、日本は「国家のため」、「天皇のため」という抽象的な目的をついに脱することができなかった。この論文は、「日本は現場レベルではアメリカに勝るリーダーシップがあったのに、上層部にはそれがなかった」というメッセージを暗に発信しているような気がする。


(※1)余談だが、アンケート調査では細かい言葉の使い回しが結果に微妙な影響を与える。日本人は、文章の最後の言葉の印象に左右されるという話を何かの本で読んだ記憶がある(記憶が曖昧でスミマセン・・・)。すなわち、日本人は「肯定的+否定的」、「否定的+肯定的」という2種類の文を読むと、後者をより前向きに評価する傾向がある。よって、先の課長の調査では、必然的に人情課長の方が実際よりも高めに評価されてしまうのではないか?こうしたバイアスを避けるには、前者の選択肢を「仕事以外では人の面倒を見ませんが、規則を曲げてまで無理な仕事をさせることはありません」という具合に、前後の入れ替えをしなければならないと思う。

(※2)これもまた余談であるけれども、軍の実態をきちんと定量調査するのは何ともアメリカらしいと感じた(日本もあまり公に出てこないだけで、定量調査をやっているのかもしれないが)。本論文にはこれ以外にも、戦場における精神疾患の発症率や、戦場における「祈り」の効果に関する調査などというのも登場する。ちなみに、下士官の70%、将校の62%が、激戦の時は神への祈りが「とても役立った」と答えているそうだ。

野中郁次郎氏が分析する「日本軍6つの敗因」(2/2)―『リーダーシップ不在の悲劇(DHBR2012年1月号)』

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 (昨日の続き)

(4)日本軍そのものの社会的孤立
 真珠湾攻撃は軍事面では成功例であったけれども、政治・外交面では失敗例だった。攻撃の30分前にアメリカ政府に宣戦布告の最後通牒を手渡すという手順が、在米日本大使館の不手際で狂い、結果的に手渡されたのが攻撃が始まった1時間後だったからだ。肝心な場面で、日本軍と在米日本大使館の連携の悪さが露呈したのである(もっとも、これには諸説あって、陸軍がわざと発信を遅らせたという説や、アメリカ側は日本からの暗号を既に解読しており、F・ルーズベルト大統領は日本が自ら戦端を開くのを解っていたという説もあるらしい)。

 さらに言えば、日本軍は社会そのものから孤立していた。アメリカやイギリスは、特殊技能者および知的労働者には軍の抱える問題を提示し、それに対する解決手法を研究させていた(経営学で出てくる「オペレーションズ・リサーチ(OR)」は、こうした研究から生まれた手法の1つである)。また、軍の中枢に法律家や研究者など、多種多様な人たちを配していた。民間人を一時的に抜擢し、用向きが済んだら元に戻すという一時的昇進人事が陸海空でごく普通に行われていた。

 これに対し日本軍の人事は基本的に年功序列で、抜擢はほとんどなかった(※1)。また、軍人教育機関で教えられていた内容も非常に偏っており、哲学、文学、芸術、自然科学といったリベラル・アーツは皆無だった(※2)。英米との戦争も予想されるというのに、陸軍大学校では英語も教えられていなかったのである。

(5)共有されない作戦目的
 日本軍が大敗北を喫した1942年6月5日のミッドウェー海戦では、連合艦隊司令長官の山本五十六大将と、第一次機動艦隊司令長官の南雲忠一中将との間で作戦目的が共有されていなかった。山本が考えた作戦の狙いは、真珠湾攻撃で撃ち漏らした敵の太平洋艦隊の空母を根こそぎ撃沈させることだった。ミッドウェーの占領そのものは目的ではなく、それによって空母を誘い出し、そこに航空決戦を仕掛けようというものだった。一方の南雲は、作戦目的はミッドウェー攻略にあり、アメリカ軍の機動部隊が出てくることがあってもその後だ、という根拠のない認識を持っていた。

 個別の作戦レベルで目的が共有されていないだけでなく、そもそも陸軍と海軍では思い描いていた目的が異なっていた。日本陸軍は、自分たちの戦場はあくまで極東ソ連およびインド・中国大陸だという認識で凝り固まっていた。他方、海軍はアメリカ主力艦隊の撃沈を第一目標としていた。双方が異なった戦略構想を描いていたがゆえに、アメリカ軍の現状を直視する目を曇らせ、両軍ともアメリカが海兵隊を中心として水陸両用作戦を展開し、太平洋の正面から本土に向かってくる危険性を意識することができなかった。

(6)悪しき演繹主義の蔓延
 山本五十六は、入念なアメリカ視察に基づいてアメリカ軍の戦力を把握し、自軍の戦力的劣勢をカバーするために空母と艦載機を組み合わせた奇襲作戦を思いついた。また、1945年2月から3月の硫黄島の戦いを指揮した栗林忠道中将は、硫黄島の単調な形状を島南部の擂鉢山の頂上から眺めながら、それまでの常道だった海岸で敵の上陸を迎え撃つ水際防御作戦をやめ、長い地下壕を掘り、そこに隠れて敵を撃つという新たな作戦を編み出した。

 こうした”帰納主義”は、日本軍の中では例外だった。日本軍は、日露戦争の成功体験から得た「海軍は艦隊決戦、陸軍は白兵銃剣突撃」というコンセプトを墨守するのみで、”悪しき演繹主義”に陥っていた。イノベーションは演繹的思考では実現しない。そうではなく、個別具体の現実から出発し、新しいコンセプトや物事の見方を打ち立てようという強い思いから生まれる帰納的思考が、イノベーションには不可欠であると野中氏は述べている(※3)。


 この論文で1つ非常に興味深かったのが、昨日の記事で登場したバトル・オブ・ブリテンの際のイギリス・チャーチル首相をめぐるエピソードである。チャーチルは、ドイツのイギリス本土侵攻について側近に語り続けていたが、その内容は目前のドイツによるものではなく、900年近くも前のノルマン人のイングランド島侵攻についてだったという。野中氏は、「こうした歴史についての深い理解が、戦時指導者としての水際立った活躍を可能にしたのだろう」と評している。

 チャーチルが話していたのはおそらく、1066年にノルマンディー公ウィリアムがイングランド島に攻め込んでウィリアム1世として即位し、ノルマン王朝を立てた頃のことだと思われる。チャーチルの話の内容を詳しく知りたいものだ。それと同時に、成功体験は数十年しかもたないけれども(日露戦争で得た成功体験が第2次世界大戦では通用しなかった)、失敗の教訓は何百年も生きることを改めて感じさせられた。ならば、戦争を直接体験していない我々の世代も、第2次世界大戦の日本軍の失敗を的確に後世に伝えていかなければならないであろう。


(※1)日露戦争では、桂太郎内閣の副総理、内閣大臣権台湾総督であった児玉源太郎が自ら”降格人事”を申し出て、参謀本部次長に就任している(「戦時には戦時の人事制度ってものが必要だ」を参照)。そのような人事は、第2次世界大戦では見られなかったようだ。

(※2)論文ではこのように述べられているが、リベラル・アーツを学ぶ機会が日本に全くなかったわけではなさそうだ。本号の特集の最後に登場する「「総力戦研究所」とは何だったのか」を読むと、イギリスの国防大学やフランスの国防研究所に倣い、国防国家の支柱となるべき人材を養成する目的で「総力戦研究所」が1941年4月に開設されたとある。同研究所では、次代を担うリーダーとして各省庁、民間企業、陸海軍から選抜された人々が、軍事的視点だけでなく、経済、政治、外交、国民生活などを総括した統合国策の立案研究を行っていた。

(※3)演繹的思考と帰納的思考の区別は、マネジメントとリーダーシップを峻別する際に有益であると私は考えている。詳しくは「マネジメントとリーダーシップの違いを自分なりにまとめてみた」、「リーダーが帰納的に課題を設定するとはどういうことか?」を参照。
December 24, 2011

野中郁次郎氏が分析する「日本軍6つの敗因」(1/2)―『リーダーシップ不在の悲劇(DHBR2012年1月号)』

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【991本目】1,000エントリーまであと9。

 ちょうど1年前の特集「検証 失敗の本質 日本軍「戦略なき組織」」に続く、日本軍の分析特集。参考までに、その時のレビュー記事のリンクを掲載しておく。

 ミドルの暴走を止められなかった日本軍―『日本軍「戦略なき組織」失敗の本質(DHBR2011年1月号)』
 日本軍の失敗から意思決定の教訓を引き出そう―『日本軍「戦略なき組織」失敗の本質(DHBR2011年1月号)』

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名将と愚将に学ぶトップの本質 リーダーは実践し、賢慮し、垂範せよ(野中郁次郎)
 野中氏の論文は、1年前の「求められる「現場感覚」「大局観」「総合的判断力」 戦場のリーダーシップ」、4ヶ月の「「実践知」を身につけよ 賢慮のリーダー」に続いて、この1年間で3本目。「フロネティック・リーダー(賢慮するリーダー)」のコンセプトに基づいて、日本軍のリーダーシップを検証するという論文であるが、個人的な感触としては、野中氏が掲げるフロネティック・リーダーの6つの能力
(1)「善い」目的をつくる能力
(2)場をタイムリーにつくる能力
(3)ありのままの現実を直観する能力
(4)直観の本質を概念化する能力
(5)概念を実現する政治力
(6)実践知を組織化する能力
のうち、(3)と(4)にフォーカスが当たっており、最も重要な要件である(1)がやや薄まってしまっているように思えた。もっとも、戦時下における「善い」目的とは何か?というのは、非常に難易度の高い問いではあるが。この論文で野中氏が指摘している日本軍の失敗の原因をまとめてみると、次の6つになる。

(1)既存アイテムの組み合わせから新しいアイデアを導く努力の欠如
 野中氏は、真珠湾攻撃は空母と艦載機を使った大胆極まる戦法であり、自国の近海で敵艦隊を叩く大艦巨砲主義が主流だった当時としては、”画期的なイノベーション”だったと述べている。ところが、この戦法をモノにしたのはアメリカ軍であった。

 太平洋艦隊司令長官のチェスター・W・ミニッツは、真珠湾攻撃を指揮した山本五十六のアイデアに基づき、特定の任務遂行を目的として、空母を中核として巡洋艦、駆逐艦などで編成されるタスクフォース部隊(高速空母機動部隊)を創設している。それが後に、陸・海・空の戦力を統合し、海兵隊を尖兵とした水陸両用作戦を敢行する新たなタスクフォースにつながっていく。

 一方の日本軍は、<零戦><大和><武蔵>といった既存の兵器体系の精緻化には努めたが、それらを組み合わせてどう戦うかという発想を生み出すことができなかった。真珠湾攻撃以降は大艦巨砲主義に戻ってしまい、山本の成功例が生かされることはなかった。日本軍はアメリカ軍に「知的に敗れた」と野中氏は喝破する。

(2)現実を直視せず、不都合な情報を黙殺
 日本はドイツとの同盟(日独伊三国同盟)を結ぶ際に、重要な情報を2度黙殺している。1939年1月、平沼騏一郎内閣が発足する直前、ドイツのヒトラーが三国同盟を提案してきた。陸軍は、ドイツと手を結んでソ連を攻撃することを理由に賛成したのに対し、海軍の少数派は、ドイツとの同盟はイギリス・アメリカを敵に回す亡国の道だと反対していた。

 喧々囂々の議論が続いてなかなか結論が出なかったその時、「独ソ不可侵条約の締結」という驚愕のニュースが飛び込んでくる。日本がドイツの力を借りてソ連を攻撃するというシナリオは脆くも崩れ、平沼首相は「欧州の天地は複雑怪奇」という迷言を残して同年8月に辞職した。だが、当時の資料を調べると、ドイツとソ連の接近をうかがわせる多数の情報が陸軍や海軍、外務省に上がっていたと野中氏は言う。情報は上層部で黙殺されたのである。これが1回目の黙殺だ。

 それでも日本は、ドイツと同盟を結ぶ道を模索していた。それは対米戦争に備えるためである。1940年1月、アメリカが日米通商航海条約を完全破棄し、くず鉄や石油などの対日輸出を許可制とした。これは、石油がなければ軍艦を動かせない海軍にとって特に衝撃的であった。三国同盟に反対していた一部の海軍幹部も、対米戦争必死という方向へ折れていき、9月15日、海軍も三国同盟に賛成ということになった。

 当時のドイツは、破竹の勢いでヨーロッパを制圧していた。1939年9月のポーランド侵攻に始まり、ノルウェー、デンマーク、オランダ、ベルギーを次々と降伏させた。そして1940年6月14日にはパリを無欠占領し、22日にはフランスも降伏、残りはイギリスだけとなった。ドイツは7月10日からイギリスへの攻撃を開始する。

 しかし、イギリスも負けてはいなかった。くしくも海軍が三国同盟に賛成した9月15日は、イギリスでは「バトル・オブ・ブリテン記念日」と呼ばれる。この日ロンドン上空で行われた戦いの結果、イギリスの損害は26機にとどまったの対し、ドイツは60機以上と形成が逆転する。ドイツ軍は、イギリス本土の制空権の獲得は永遠に不可能と悟ったのである。このバトル・オブ・ブリテンにおけるドイツの苦境は、ロンドンの日本大使館付武官から正確な情報が日本にもたらされていた。だが、大本営の統帥関係者たちは「ドイツ強し」という先入観を改めず、同盟樹立へひた走った。これが2度目の情報の黙殺である。

(3)表面的な事象にのみ目を奪われ、事象の背景にある関連性に盲目
 2つ目の原因は、情報そのものを黙殺してしまったケースであるが、情報を正しく捉えていても意思決定を誤ることがある。これが3つ目の原因であり、1936年12月12日の西安事件に端緒に現れている。当時中国では、蒋介石率いる国民政府軍と、毛沢東を領有にいただく共産党軍が争いを繰り広げていた。

 共産党の指導者は、このまま内戦を続けていても日本を利するだけだと感じ、国民政府軍と手を結んで抗日統一戦線を模索し始める。そこで、国民政府軍の隷下にあった東北軍閥の領有・張学良をそそのかし、共産党の意向に賛同した張も共産党軍との戦いを避け始める。これに怒った蒋介石が、西安に駐屯していた張の元にやってきたところを、逆に張によって捕らえられ軟禁されてしまった。

 せっかくの抗日統一戦線への道を邪魔する蒋介石を毛沢東は銃殺しようとしたが、モスクワのコミンテルン中枢にいたスターリンから横槍が入り、蒋介石の救出を共産党に命じた。すぐ周恩来が西安に赴き、蒋介石を本拠地の南京に無事連れ戻した。これがきっかけとなって国民政府と共産党が手を結び、翌年の盧溝橋事件を経て、第二次国共合作につながっていく。

 この西安事件に関して日本陸軍は、一軍閥の頭領が起こした下克上事件という認識であり、事の重大性を的確かつ深刻に理解していなかった。ましてやその裏で糸を引いているのがソ連であり、抗日統一戦線を構築させることで、自国の東部領において目の上のコブであった日本陸軍を、中国大陸の泥沼に踏み込ませ疲弊させる戦略であったことに毛ほども気づいていなかったと野中氏は言う。

 (続く)
December 20, 2011

高木・権藤の70代コンビは、きっと”第2次落合長期政権”の布石―『采配』

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采配采配
落合博満

ダイヤモンド社 2011-11-17

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 昨日の続き。中日の新監督として就任したのは、中日OBであり86年と92〜95年に監督を務めた高木守道氏だが、この人事を不可解に感じた人は少なくないはずだ。球団側は、落合氏では球団の人気が失われる一方だと判断し、人気回復のために高木氏に白羽の矢を立てたと言うが、どう見ても人気を回復させるための人事とは思えない。

 監督としての高木氏の成績は、過去5年で306勝335敗11分の勝率.477であり、勝率5割を切っている。92年〜95年は私がまだ岐阜に住んでいた時期であり、中日と地元の様子をよく見ていたけれども、高木氏の下で地元が盛り上がった記憶がない(中日の監督は、誰が務めても星野氏と比べられて、人気面でどうしてもマイナスに見られるのは致し方ない面もあるが)。

 それよりも、今回の球団人事のポイントは、高木氏に加えて同じく70代の権藤氏をヘッドに据えた点にあるだろう(70代の監督は、過去に仰木彬氏[オリックス・バファローズ]、野村克也氏[東北楽天イーグルス]の2人がいるが、ヘッドも70代というのは今回が初)。プロ野球はここ10年ぐらいで選手の寿命が延び、今では40代の選手も珍しくはない。これに対して、コーチや監督の寿命はそれほど延びていないから、引退後の選手が”再就職”するポストがどの球団でも不足している。中日は、監督とヘッドをともに70代にすることで、70代でも指導者として生きる道があることを明確にしたかったのではないかとも思う。

 もちろん、引退した選手の生活の面倒を見る義務など球団にはない。中日OBで固められた今回の人事に関しては、外様を中心に組閣した落合氏に対する中日OBの反発に球団側が配慮したという図式では捉えたくない。そうではなく、現場をよく知る好奇心と、自分の持つ野球理論を常に更新し続ける努力があれば、高齢の監督やコーチだって十分にやっていけることを中日は示したいのではないだろうか?そして、この球団側の”采配”は実のところ、何年か経って60代中盤に差し掛かった落合氏が監督に復帰し、第2次長期政権を敷くための布石なのではないかと考えるのは行き過ぎか?
 自分のためにならない欠点や悪癖があれば、直してやるのが指導者の役割だ。しかし、打者出身の私は、シュート回転する投手と出会った時、こんなふうに考えたりする。「このシュート回転するストレートを武器にする手はないだろうか」

 フォームを微調整すればシュート回転しなくなる。だったら、そう仕向けてやるのが選手のためかもしれない。ただ、指の長さや太さが原因でシュート回転するのなら直しようがない。指を長くするわけにはいかないのだから。それに、どこかひとつの欠点を直すということは、肝心の長所まで消してしまう恐れがあるということを、私は現役時代から何度も見てきている。
 私も評論家活動をしていた1999年からの5年間は、12球団すべてのキャンプ地に足を運んだ。キャンプも見ずにあれこれ書くのは失礼だと思っていたし、何よりも自分の目で情報を収集しなければメディアで話すことも書くこともできない。そして、実際に現場に足を運べば勉強になることがいくつもあった。「プロだから見なくてもわかる」という人もいるようだが、私自身は「プロだからこそ見なければわからない」ものだと実感した。プロだから見なくてもわかると言う人は、自分が経験した野球で時間が止まっている。
 守備の名手をあえてコンバートした大きな理由のひとつは、井端と荒木の守備に対する意識を高め、より高い目標を持ってもらうためだ。若い選手はプロ野球という世界に”慣れる”ことが肝心なのだが、数年にわたって実績を残しているレギュラークラスの選手からは、”慣れによる停滞”を取り除かなければいけない。
 「チームリーダー」という”亡霊”が、選手個々の自立心を奪うことがある。最近の若い選手は、巷でチームリーダーと言われている選手に敬意を表し、「あの人についていけば」とか「あの人を中心に」といった発言をするが、それが勝負のかかった場面での依存心になってしまうケースが多い。「僕はあの人のようにはなれません」などと謙遜しているのを見ると、厳しい勝負の世界で生きていけるのだろうかと老婆心が覗いてしまう。
 「毎シーズンAクラス(3位以上)に入れるチームを作ることができた要因は何ですか?」そう問われた時、私が唯一はっきりと答えられるのは「選手時代に下積みを経験し、なおかつトップに立ったこともあるから」である。
 今の時代の若い選手に教えておかなければならないのは、「自分を大成してくれるのは自分しかいない」ということだ。「100回バットを振ったヤツに勝ちたければ、101回バットを振る以外に道はない」という大原則と、自己成長力の大切さを認識すること。まずは、そこがスタートラインになる。
 2003年10月8日に監督に就任後すぐに視察した秋季キャンプ。私は、全選手に対してメッセージを送った。「来年2月1日のキャンプ初日には紅白戦を行います」 私としてみれば、「新監督の謎めいたメッセージ」によって、選手たちが12月から1月の2ヶ月間、常に野球のことを考え、自分なりの準備に取り組んでくれればよかった。何を隠そう、それが誰からも押しつけられたものではなく、自分自身で自分の野球(仕事)を考える第一歩だからだ。

 果たして、2004年2月1日に紅白戦を実施すると、選手たちはすぐにペナントレースが開幕しても戦える状態に仕上げてきた。そして、「いつでも本番で戦える」状態でキャンプを始めれば、実際の開幕までには、さまざまな練習に取り組むことができると気づいたはずである。
 プロ野球選手なら、ましてや自分がその先輩の残した記録に迫っているのなら、たとえ同じ時期にプレーしていなくても、すでに鬼籍に入られた方であっても、どんな選手だったのかぐらいは知っておくべきではないか。大袈裟かもしれないが、歴史を学ばないということは、その世界や組織の衰退につながるとさえ思う。

 どんな世界でも、その中で仕事をするのなら、その世界や組織の成り立ちから謙虚に学び、先輩たちが残した財産を継承していく姿勢が大切なのではないか。歴史を学べば、それを築いてきた先輩たちが何を考え、どんな業績を残したのかもわかる。成功例だけではなく、失敗例もいくつもあるはずだから、歴史を学ぶことは、同じような失敗を繰り返さないことにもつながるはずだ。
 控えに甘んじ、いつまでも年俸の上がらない選手が「監督を慕っている」という話は聞いたことがない。同じように、100人の社員が100人とも「ここはいいな」と感じている職場などあり得ないのではないか。組織の中には、いい思いをしている人とそうでない人が必ず混在している。ならば、職場に「居心地のよさ」など求めず、コツコツと自分の仕事に打ち込んでチャンスをつかむことに注力したほうがいい。運やチャンスをつかめる人は、このことをよくわかっている。
 技術、仕事の進め方というものには「絶対的な基本」がある。しかし、「絶対的な方法論」はない。より正確に書けば、野球の世界で、勝つため、技術を高めるための絶対的な方法論はまだ見つかっていない。だから、新人にアドバイスする場合に気をつけなければいけないのは、どこまで基本を理解しているかを感じ取り、足りない知識があれば伝えてやること。つまり、あくまで基本の部分に関してコミュニケートすることなのだ。

 ところが、有望な新人が自分と似たタイプだと思い込んだコーチや先輩は、早く一人前になってほしいという親心で、その先の方法論の部分にまで言及してしまう。まだプロの水にも慣れておらず、一方で「言われたことはしっかりやらなければ」と思っている新人にそれをやってしまうと、大概は自分の形、すなわちドラフト1位に選ばれた最高の要素を崩してしまう。
 現在は、色々な意味で「我慢の時代」だと感じている。新たな事業に多額の投資をしていくよりも、これまでの時代の流れを振り返りながら現状を維持する努力を続け、チャンスが訪れたと感じた時に攻める姿勢で前に進めるか。力を蓄えておく時期ともいえる。そしてチャンスが訪れたその際に、即座に陣頭指揮を執れるリーダーを育てておくことも必要だろう。そこで理解しておかなければならないのは、どんなに強いリーダーにも、試行錯誤した時期があったということだ。次代のリーダーになろうとしている人たちを、昔の人と比較してばかりいたらリーダーは育たなくなってしまう。

 これからは、どんな世界でもリーダー候補者に対してもっと温かい目で見てもいいのではないか。いやせめて、「お手並みを拝見してみようか」という視線を向けるべきではないか。少なくとも、何もしていないうちから「彼にはできない」と見るのだけはやめたほうがいい。
December 19, 2011

「落合嫌い」のミドルマネジャーでも1度は読んでほしい1冊―『采配』

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采配采配
落合博満

ダイヤモンド社 2011-11-17

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【988本目】1,000エントリーまであと12。

 年末まで毎日更新すると、ちょうど大晦日に1,000エントリーに到達するペースか。いよいよ後がなくなった(汗)。中日の落合博満前監督が日本シリーズでソフトバンクに敗れ、8年間の長期政権にピリオドを打った直後、私の自宅近くの書店は、テリー伊藤氏の『なぜ日本人は落合博満が嫌いか?』という本を平積みにしているところが多かった。

なぜ日本人は落合博満が嫌いか? (角川oneテーマ21)なぜ日本人は落合博満が嫌いか? (角川oneテーマ21)
テリー 伊藤

角川書店(角川グループパブリッシング) 2010-05-10

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 さすがにこれは釣りだろ?ということで手を出さなかった。その後しばらくしたら、facebook上でいろんな人が落合氏の『采配』を読んで絶賛を寄せていたので、そっちには手を出してみた。結論から言えば、「これは読んだ方がいい」。特に、自分の下にマネジャークラスの部下と現場社員クラスの部下の両方を持つミドルマネジャーにはお勧めだ。

 『采配』というタイトルであるけれども、個々の試合で落合氏が下した采配について振り返っている本ではない(この辺りが野村克也氏の書籍とは異なる)。それは、采配に関する落合氏の
 責任ある立場の人間が下す決断―采配の是非は、それがもたらした結果とともに、歴史が評価してくれるのではないか。ならばその場面に立ち会った者は、この瞬間に最善と思える決断をするしかない。そこがブレてはいけないのだと思う。「こんな判断をしたら、周りから何と言われるだろう」そうした邪念を振り払い、今、この一瞬に最善を尽くす。監督の采配とは、ひと言で言えば、そういうものだと思う。
という考え方が影響していることだろう(本書に登場する具体的な采配の場面と言えば、2007年の日本シリーズで完全試合目前の先発・山井を9回に交代させた場面ぐらいである)。本書で言う采配とは、試合以外でも下される幅広い意思決定の局面を指しており、ビジネスパーソンが直面するものと共通点が多い。

 具体的には、チームの目標にどうやってフォーカスするか?現場社員(野球で言えば選手)にどのように接するか?部下であるマネジャー(同じく野球で言えばコーチ)にはどう接するか?一流、さらに「超」一流の人材になるにはどうすればよいのか?そして、一流、「超」一流を育てるにはどうすればよいか?などをめぐる決断である。その意味で、本書は立派なビジネス書である。今日は、落合氏が本書の中で提示している含蓄に富んだ言葉の数々から、私のお気に入りを並べてみたいと思う。

 ちなみにこの2冊、Amazonのランキングを見てみると、12月19日時点で落合氏が6位、テリー伊藤氏は2,296位だった。テリー伊藤氏の書籍が出版されたのは昨年のことだから単純には比較できないものの、売上、レビューともに落合氏がテリー伊藤氏を圧倒している。これでもテリー伊藤氏は、日本人は落合が嫌いと言い張るのだろうか?
 (※1人で過ごしたい若者が増えていることに触れて、)自分の時間は1人で過ごしたいのに、グラウンド(仕事)では「どうすればいいですか」「何か指示を出してください」「これで間違っていませんか」という頼りなげな視線を向けてくる。それでは困る。自分1人で決めねばならないのだ。

 野球は9人対9人で戦うチームスポーツだが、実際は投手と打者による1対1の勝負である。しかも、投手の指先をボールが離れると、コンマ何秒で勝負がついてしまう。そんな一瞬の勝負に、長々とアドバイスしている時間はない。孤独に勝たなければ、勝負に勝てないのだ。
 私が(現役時代の)半強制的なポスト・シーズンの練習で学んだのは、「不安だから練習する」という原則である。試合開始まで横になって寛ぎ、プレイボールがかかってグラウンドに出れば活躍する。そんな選手になれたら練習は必要ない。私もそういう選手になりたかった。だが、どんなに練習してもそれほどの選手になることは不可能であり、誰もが何らかの不安を抱えてプレーしているからこそ、少しでも不安を払拭しようと練習するのだ。
 3割を超えられない選手の傾向を分析すると、3割を目標にしているケースがほとんどである。一方、3割の壁を突破していく選手は、一度も3割をマークしていないにもかかわらず、3割3分あたりを目指している。毎試合3打数1安打なら、打率は3割3分3厘になるというのが目標になる根拠だが、そうやって「達成するのは不可能じゃないか」と自分でも思えるような目標を設定して初めて、現実的に到達可能な目標をクリアできるのだ。
 レギュラーになれるチャンスが目の前に転がっている時は、他のすべてのことを忘れてつかみ取りに行かなければ、絶対に手にすることはできない。ビジネスマンでも同じような境遇に置かれることがあるはずだ。そこで自分の仕事に没頭できるか。それとも普段と変わらぬ取り組みでチャンスを逃すか。あるいはチャンスだということさえ見逃すか。自分の目標を達成したり、充実した生活を送るためには、必ず一兎だけを追い続けなければならないタイミングがある。
 「一流の領域までは自分一人の力でいける。でも、超一流になろうとしたら、、周りに協力者が必要になる」(※信子夫人が知人から聞いた言葉。この話を聞いた現役時代の落合氏は、スランプに陥ると裏方のスタッフにまでどこが悪いか助言を求めたという)
 監督になったつもりで考えてほしい。0対1の悔しい敗戦が3試合も続いた。恐らく多くの方は、打撃コーチやスコアラーの分析結果も踏まえて、3試合で1点も取れない野手陣に効果的なアドバイスをしようと考えるだろう。つまり、「0対1」の「0」を改善するという考え方だ。

 私は違う。投手陣を集め、こう言うだろう。「打線が援護できないのに、なぜ点を取られるんだ。おまえたちが0点に抑えてくれれば、打てなくても0対0の引き分けになる。勝てないときは負けない努力をするんだ」
 先発投手から浅尾、岩瀬という継投を、私は勝利に近づくための最善策としかとらえていない。ゆえに、試合の流れや岩瀬の状態を考慮して、9回に浅尾を使うこともあれば、この二人が出てくるだろうという場面で他の投手を使うこともある。岩瀬や浅尾という投手への信頼感とは別の次元で、私は「岩瀬を出せば勝てる」と思ったことは一度もない。岩瀬に対して「抑えてくれよ」と思っているが、一方で頭の中は岩瀬が打たれた場合の戦い方も、シミュレーションしている。

 勝負に絶対はない。しかし、「勝敗の方程式」(※勝負を少しでも有利に進めるための原則論。「勝利の方程式」ではない)を駆使して最善の策を講じていけば、仮に負けても次に勝つ道筋が見える。そう考え、戦ってきたのだ。
 私が選手を叱るのはどういう場面か。それは「手抜き」によるミスをした、つまり、自分のできることをやらなかった時である。打者が打てなかった、投手が打たれてしまったということではない。投手が走者の動きをケアせずに盗塁された。捕手が意図の感じられないリードをした。野手がカバーリングを怠った。試合の勝敗とは直接関係なくても、できることをやらなかった時は、コーチや他の選手もいる前で叱責する。注意しなければ気づかないような小さなものでも、「手抜き」を放置するとチームには致命的な穴が開く。
 まだまだ紹介したい文章があるので、もう1回記事を書くことにします。

 (続く)
December 15, 2011

「残念な上司」を生まないために各社がやっていること(2/2)―『日経情報ストラテジー(2012年1月号)』

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日経 情報ストラテジー 2012年 01月号 [雑誌]日経 情報ストラテジー 2012年 01月号 [雑誌]
日経情報ストラテジー

日経BP社 2011-11-29

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【987本目】1,000エントリーまであと13。てか、今年残りあと16日で13本書かないとダメってか??

 (前回の続き)

(3)巻き込み
マツダ:「i-stop」を搭載するために300人の技術者を1人ずつ巻き込み
 「i-stop」はアイドリングストップを軸とした省エネルギー技術であり、デミオ、プレマシー、ビアンテなどマツダを代表する車種に搭載されている。ただし、i-stop搭載車の量産には全社の賛同が不可欠だった。i-stopが作動すると、エンジンが止まるのはもちろん、エンジンからの電力で動く空調や制御機器などの機能まで全てストップしてしまうのだ。止めることなく省エネを実現している他の自動車のハイブリッドカーとは、思想が根本的に異なる。完全に止めてしまう分だけ、他社技術より省エネ効果は大きいものの、全ての部品を連動させなければ、十分な効果を発揮できない。

 i-stop開発者は、総勢300人の技術者を1人ずつ地道に巻き込む作戦を練った。「i-stop解説書」と銘打った自作の小冊子を配りに社内を歩き回り、興味を示した技術者には、すかさず試作車でのドライブを持ちかけた。技術的な議論は一切せず、とにかくi-stopのことを知ってもらうことだけに数ヶ月の時間をかけた。

 試乗したエアコンの技術者からは、「エアコンも止まってしまうのは不便だね」と指摘された。だが、こうした反応こそ期待していたものであった。「具体的に問題点を指摘されるのは巻き込み成功のサイン。そこから先は課題の解決に向けて自然に話が進んだ」という。
《一言コメント》5つの力のうち、この「巻き込み」だけは、「なぜなぜ分析」のような明確な方法論が未だ存在しないし、「あした会議」のように能力を底上げする社内制度も存在しないと思う。その意味では、非常に属人的なヒューマンスキルである。だが、ジョン・コッターがリーダーの役割を「アジェンダ(課題)設定」と「ネットワーキング」に大別していることからも解るように、「巻き込み」は変革の推進に必要な仕事の半分を占めている。個人的には、どうにかしてこの「巻き込み」、「ネットワーキング」の能力を学習できるツールを開発したいと思っているんだけどなぁ・・・

宝島社:雑誌にマーケティング・ミックスを導入
 宝島社は、MBAを修了したマーケティング本部の部長の下で、出版業界にはあまり馴染みのなかったマーケティングを取り入れた。具体的には、マーケティング・ミックス(マーケティングの4P)のうち、価格(Price)とチャネル(Place)を変えることにした。価格に関しては、雑誌は固定価格であるという常識に反して、その都度価格を変えるよう、営業と編集を巻き込んだ議論を行った。

 チャネルについては、今度は書店を巻き込んだ。2010年から、書店の一角に「宝島社書店」と呼ぶスペースを設けてもらう取り組みを開始。「宝島社書店」では、立てる・つるすといった立体的な陳列を導入したり、動画CMを流したりする。「整然と陳列する」、「売り場は静かにする」といった書店の常識に反する取り組みであったが、興味を示してくれる店長を探し、店長権限で売り場変更が可能な店舗を徐々に巻き込んでいった。
《一言コメント》記事には書かれていなかったけれども、「整然と陳列する」、「売り場は静かにする」といった書店の常識をめぐる議論と合わせて、この取り組みが書店と宝島社の双方にとって、”数字上のメリット”をもたらすことを明確にしておかなければならないだろう。

 書店にとってのメリットとは、(1)従来の陳列を取り払って「宝島社書店」を設けた方が、同じスペースからの売上が高くなること、(2)「宝島社書店」の効果で来店者数が増え、他のスペースからの売上も上がることの2つである。宝島社にとってのメリットとは、新しい陳列棚や動画CMなどの追加コストを自社で負担しても、それをカバーできる利益が「宝島社書店」から得られることである。

(4)部下理解
三井化学:外国人部下の増加に伴って「エンパシー(共感力)」を強化
 三井化学は2005年から外国人も含め、海外経験者の採用を強化している。2009年には新卒採用者に占める外国人の比率は10%弱にまで高まった。ところが、取り組みを進めるうちに、外国人を部下に持つミドルに戸惑いが広まったため、2011年9月から「PEDI(Personal Effectiveness for Diversity and Inclusion)」研修を開始した。この研修では、「EAR(Empathy/Ask/Reflection)」と呼ばれる傾聴の理論を学習する。まずは聴く耳を持ち、自分との違いを理解することに主眼を置いている。

川崎重工業:「傾聴」にポイントを置いたミドル向け研修
 川崎重工業は2007年、「傾聴」にポイントを置いた研修を課長向けに開始し、2009年には部長にも広げた。狙いはミドルが備えるべき資質と位置づける「部下育成」、「リーダーシップ」、「部門目標達成」の3本柱の強化である。研修を受講した課長からは、「報告待ちの姿勢では部下の本音は解らない。情報を得るために傾聴を意識するようになった」という声も寄せられている。
《一言コメント》PEDI研修については、どこの研修会社なのか調べたが解りませんでした(汗)。2つの事例に対して共通のコメントを2点ほど。まず1つ目は、「ミドルが理解すべきは部下だけなのか?」ということ。答えは当然Noであって、ミドルは上司や顧客、取引先とも関係を持つし、何か大きな改革を行う際には他部門のメンバーとも関わりを持つ必要が出てくる。

 上司のことを理解できていないミドルは、「口癖で解る残念な上司チェックシート」にもあったように、「何だよ、あの上司は」とか、「上が決めたことだから」などとと口走るに違いない。ところが、研修となるとなぜか部下理解に焦点が当たってしまうのが、研修業界に片足を突っ込んでいる私としては、非常に不可解であり不満でもある。

 2つ目は、1つ目とも関連するが、「自分の周囲にいる日本人のことを理解できないうちに、外国人のことを理解できるのか?」ということである。これには異論があるだろうが、個人的には日本人を十分に理解できないうちは、外国人も理解できないと思う。組織のダイバーシティを高めるために外国人採用を強化し、ダイバーシティ研修を行う前に、日本人の相互理解という組織の基本的なケイパビリティが備わっているかどうか注意する必要があるだろう。

(5)危機管理
日立アプライアンス:リスクの発生確率や低減効果も定量化
 日立アプライアンスは、冷蔵庫や洗濯機、エアコンまで家電製品を幅広く製造する。安全対策には力を入れており、2006年に体系化した管理手法を確立した。日本科学技術連盟の「R-Map(リスクマップ)」という手法に基づく独自のリスクアセスメント手法「PSPTA(Product Safety Potential Tree Analysis)」がそれで、製品事故のリスクを定量的に分析し、原因と対策を体系立てて整理するものだ。

 同社はこれに基づき、設計部門を中心にPSPTAが開発や製造に活用できているかを確認する「PSRA(製品安全リスクアセスメント)実践的検討会」を、ミドルが中心となって定期的に開いている。1つの製品開発プロジェクトが完了するまでに15回程度実施するという。特徴は、製品開発に携わっていないミドルが第三者として参加することである。
December 14, 2011

「残念な上司」を生まないために各社がやっていること(1/2)―『日経情報ストラテジー(2012年1月号)』

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【985本目】1,000エントリーまであと15

 昨日の「口癖で解る残念な上司チェックシート」は半分お遊びみたいなもので、あれだけだったら単なる飲み屋の愚痴になってしまう。それよりも大事なのは、「どうすれば『残念な上司』の繁殖を防ぐことができるか?」ということ。そこで、本号で紹介されている各社の取り組みを、ミドルに必要とされる5つの力(1)問題解決、(2)困難突破、(3)巻き込み、(4)部下理解、(5)危機管理に沿って整理してみた(《一言コメント》がある事例とない事例がある点はあらかじめご容赦ください)。

(1)問題解決
東レ:「なぜなぜ分析」を1,600人に伝承
 滋賀事業場で蓄積したなぜなぜ分析のノウハウを独自の教科書にまとめ、国内外の工場に広めている。なぜなぜ分析で重要なことは、「問題を正確に定義すること」。だから、「〜不良」、「〜不足」、「〜不十分」という曖昧な表現を避ける。例えば、色調検査で異常品を見落とした場合、「注意不足」ではなく、「Aさんは異常に気づかなかった」とする。さらに、「比較サンプルを間違えて判断した」、「異常品の判断ができなかった」などと「なぜ」を並べて、責任の所在を明確にする。

 もう1つ重要なのは、「普段から部下ときちんと対話すること」だという。そうすれば、何か問題が起きても作業者や若手の輪の中に自然に入っていくことができ、率直な意見を聞けて問題の所在や中身が確認できる。
《一言コメント》普段から部下ときちんと対話することが重要というのはなるほどと思う。心理学の調査によると、男性は女性に比べて「なぜ」と聞かれることに心理的抵抗を感じるらしい。オープンな人間関係を構築する前になぜなぜ分析を始めると、返って問題をこじらせるので要注意だ。

ソニー:当事者よりもQMO課で先に分析
 放送向けのテレビ設備など業務用製品を扱うプロフェッショナル・ソリューション事業本部は、異常品質処理の業務ルーチンを確立しているが、現場よりも先にQMO(クオリティマネジメントオフィス)課という専門部署でなぜなぜ分析を行う点に特徴がある。

 トラブル直後は当事者のミドルが火消しに追われており、現場でなぜなぜ分析をじっくりと行えない。そこで、まずは「どの段階で何が起きたのか?」を克明に記録することだけに専念してもらう。そして、問題をある意味俯瞰的な立場から眺めているQMO課で原因の”当たり”をつけてから、改めて関係者や技術の専門家を集めて「分析会」を開くという流れである。
《一言コメント》これは絶対に私以外にも思った人がいるに違いないが、なぜこの業務ルーチンがPSN(PlayStation(R)Network)に活かされなかったのだろうか??

明星電気:朝会で「なぜなぜ分析」
 明星電気の主力製品は、気象庁の「アメダス」や計測震度計、小惑星探査機「はやぶさ」に搭載された観測装置など、官公庁向けの精密機器である。従来は、顧客の求めに応じた過剰な品質の作り込みや仕様変更が頻発し、多くの無駄を生んでいた。これが、なぜなぜ分析を導入する契機であった。そのなぜなぜ分析は現在、朝会にも取り入れられている。社長は「私の仕事の半分は教育」と語り、幹部は朝会を「試練の1時間」と呼んでいる。

 ちなみに、先ほどの過剰品質やミスの原因は、「営業担当者が専門性の高い技術的な話を理解できておらず、要求仕様を読み違えていたこと」にあった。そこで、技術者を同席させたところ、問題が大幅に改善されたという。

(2)困難突破
アサヒビール:スーパードライのブランドマネジャー職に若手ミドルを登用
 スーパードライの中核顧客層である40〜50代の消費量が10年後には減少することは明白であった。これを補うには、現在20代の若者層のスーパードライファンを増やしていく必要がある。アサヒビールは2009年、初めてスーパードライのブランドマネジャー職を設け、当時33歳の社員を抜擢した。

 ブランドマネジャーが率いるチームがたどり着いた解は、「ビールを氷点下に冷やす」ことであった。スーパードライをマイナス2度に冷やして消費者に飲んでもらうと、50代の評価は「冷たすぎる」と低かったのに対し、20代には「味がクリアになる」、「苦味がなくて飲みやすい」と好評だった。今年ヒットした「アサヒスーパードライ エクストラゴールド」は、「ビールは4〜8度が適温」という常識を打ち破る大胆な挑戦であった。
《一言コメント》若手を重職に抜擢すると必ず起こるのが、「年上ミドルとの軋轢」問題である。今回の記事はそこまで踏み込んでいなかった。また、市場調査で20代に好評であるという明白な結果が出ていたから、年上ミドルによる反対はそこまで大きくなかったのかもしれない。

 だが、若手ミドルが打ち出したアイデアが、まだ一部の顧客層にしか支持されていない段階では、それを受け入れられない年上ミドルとの間で間違いなく揉める。ここをどう潜り抜けるかは、後述する「(4)巻き込み」とも関連するテーマであろう。

サイバーエージェント:新規事業を生み出す「あした会議」
 年に1回開かれる「あした会議」とは、まず7人の役員がそれぞれスタッフを指名してチームを作り、事業プランを練る。それを藤田社長の前でプレゼンテーションして、事業化するプランを決定するというものである(あした会議は、サイバーエージェントのHPブログでも紹介されているし、ベンチャー企業のユニークな人事制度として取り上げられることも多いので、ご存知の方も多いはず)。

 あした会議は、1998年に社員の平均年齢29.9歳で創業した同社の”中年太り”を防ぐための施策でもあった。藤田社長は、「ベテランこそ提案を」とミドルに挑戦を働きかけている。

 (続く)
December 13, 2011

口癖で解る残念な上司チェックシート―『日経情報ストラテジー(2012年1月号)』

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【984本目】1,000エントリーまであと16

 DHBRのレビューが長かったから、今日は短めに。最近、日経情報ストラテジーの定期購読も始めてみた。2012年1月号の特集は「『残念な上司』はいらない!ミドルが輝く5つの力」。今のミドルに必要とされる力を(1)問題解決、(2)困難突破、(3)巻き込み、(4)部下理解、(5)危機管理の5つとした上で、これらの能力に著しく欠けた「残念な上司」についても解説している。その「残念な上司」を口癖で見分ける簡単なチェックシートが面白かったのでメモっておこう。
口癖で解る残念な上司チェックシート
(A)部下が判断や教えを求めている時
 「それで君はどう思う?」
  尋ねられているのに逆に聞き返している
 「君がそれでいいなら、それでいこう」
  部下に責任を押しつけている
 「じゃあ、みんなで話すか」
  何でも議論するのがいいと勘違いしている

(B)普段交わされる部下とのやり取り
 「でもさ・・・」
  否定から受け答えを始めないと気が済まない
 「あり得ない」「無理」
  今っぽい表現とはいえ、全否定なので要注意
 「これ、やっといて」
  頻繁に使う言葉だが、「いつまでに」が抜けているのは駄目
 「何度も言うけどさ・・・」
  繰り返し言わなくてもいいようにするのもミドルの仕事
 「上が決めたことだから」
  決定事項に不満があるなら、納得できるまで交渉してくる
 「何で相談に来なかったんだ」
  あなたには相談したくないと思われているかも
 「えーと、今日は何の話だっけ?」
  会議の冒頭などで、この一言から始まるとしらける
 「私が先に言うと、そうなっちゃうからさ」
  正しい結論であれば、先に言われても不平不満は出ない
 「こいつが悪いんです」
  ミスを部下のせいにしても、管理できていないミドルはもっと悪い
 「期待しているよ」
  今の君には不満だと部下に受け取られる恐れあり

(C)部下に言ってはいけないNGワード
 「何でできないの?」
  スキル不足を責めてもらちが明かない
 「何だよ、あの客(上司)は」
  顧客や上司に対する文句は部下に広がる
 「給料分は働けよな」
  自分も給料をもらって働いている身である
 「嫌なら辞めちまえ」
  リーダーとしての品格を疑われる

※3つの想定ケースで、1つでも口癖が当てはまる人は残念な上司になりかかっている。
残念な人の思考法(日経プレミアシリーズ)残念な人の思考法(日経プレミアシリーズ)
山崎将志

日本経済新聞出版社 2010-04-09

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アスコム 2010-09-20

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