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新ブログ 谷藤友彦ー本と飯と中小企業診断士
January 08, 2010
会議の法則−集合時間の何分前に来るかは責任意識の現れ
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科学的な根拠は特にないが「この会社は伸びそうだな」とか、逆に「この会社はきっと業績がダメだろうな」と感じることは皆さんも経験があるのではないかと思う。数年前『スリッパの法則』という本が出て、投資家が投資対象の企業を選定するユニークな基準が紹介された。スリッパの法則とは、「スリッパに履き替える会社に投資すると不思議に儲からない(除く半導体、食品、医療等の研究所)」というものである。なお、著者である藤野英人氏は他にもいろんな法則を持っていて、「東証:IRの受け手側の視点|〜ファンドマネジャーから見たIR(第8回)〜」で読むことができる。
私も1つ法則を持っており、「会議の法則」と呼んでいる。具体的には、社内会議、取引先との会議など何でもいいのだが、「時間通りに始まらない会議が多い会社はダメな会社」という至ってシンプルなものである。
会議に遅刻する人がいることで時間のロスが生まれ、金銭的な損害をもたらすことを「他人の時間を盗むとはいかがなものか?」という記事で書いたことがあるが、そもそも会議の遅延は金銭的な被害以前に、ビジネスパーソンとしての責任感に関わる問題である。
例えば、あなたが友人と一緒に飲みに行くことになり、居酒屋で現地集合になった場合、あなたなら集合時間の何分前に居酒屋に到着するだろうか?10分前ぐらい前にはすでに来ている律儀な人もいるだろうし、友人同士だから少しぐらいは遅れてもいいかなと5分ぐらい遅刻する人もいるだろう。
それでは、仮にあなたが外務省の役人で、来日する大統領を空港まで迎えに行かなければならないとしよう。あなたなら、飛行機が到着する何分前に空港でスタンバイするだろうか?おそらく、万が一のことも想定し、様々なリスクを考慮したうえで、何分と言わず1時間以上前にはすでに空港にいるのではないだろうか?つまり、アポイントメントの重要性と、集合時間の何分前に来るかは密接に関係している。別の言い方をすれば、集合時間の何分前に来るかは、本人の責任意識の現れなのである。
ということを考えると、「時間通りに始まらない会議が多い会社」は、責任感に乏しい社員が集まっている可能性を感じさせる。業務である以上、どうでもいい会議などないはずだ。だから、どんな会議であっても、出席者は責任感を持って臨まなければならない。それができないとなると、会議以外にも日常業務のあらゆるところで、いい加減な処理が行われ、瑕疵のある製品を作り、さらにはそれらの問題を改めようともしない企業風土が染みついているのではないかと勘ぐってしまう。
ちょっと話が逸れるが、普段からあまり時間管理ができないコンサルタントで、クライアントの社長を含む経営陣に対する最終プレゼンを午後一に控えている大事な日だというのに、会議開始の10分ぐらい前にようやくクライアント先に到着して、さらにそこの食堂でご飯を食べてプレゼンに臨んだという話を聞いたことがある。肝が座っていると言うか無頓着と言うか…私はとても恐くてそんなことはできないし、そういう人と仕事をするのは難しい。
藤野 英人 PHP研究所 2006-05 おすすめ平均: ビジネスモデル>財務諸表 いい会社を見分ける67の法則 「投資をするならこれを読め」に出てた推奨本の一つ |
posted by Amazon360
私も1つ法則を持っており、「会議の法則」と呼んでいる。具体的には、社内会議、取引先との会議など何でもいいのだが、「時間通りに始まらない会議が多い会社はダメな会社」という至ってシンプルなものである。
会議に遅刻する人がいることで時間のロスが生まれ、金銭的な損害をもたらすことを「他人の時間を盗むとはいかがなものか?」という記事で書いたことがあるが、そもそも会議の遅延は金銭的な被害以前に、ビジネスパーソンとしての責任感に関わる問題である。
例えば、あなたが友人と一緒に飲みに行くことになり、居酒屋で現地集合になった場合、あなたなら集合時間の何分前に居酒屋に到着するだろうか?10分前ぐらい前にはすでに来ている律儀な人もいるだろうし、友人同士だから少しぐらいは遅れてもいいかなと5分ぐらい遅刻する人もいるだろう。
それでは、仮にあなたが外務省の役人で、来日する大統領を空港まで迎えに行かなければならないとしよう。あなたなら、飛行機が到着する何分前に空港でスタンバイするだろうか?おそらく、万が一のことも想定し、様々なリスクを考慮したうえで、何分と言わず1時間以上前にはすでに空港にいるのではないだろうか?つまり、アポイントメントの重要性と、集合時間の何分前に来るかは密接に関係している。別の言い方をすれば、集合時間の何分前に来るかは、本人の責任意識の現れなのである。
ということを考えると、「時間通りに始まらない会議が多い会社」は、責任感に乏しい社員が集まっている可能性を感じさせる。業務である以上、どうでもいい会議などないはずだ。だから、どんな会議であっても、出席者は責任感を持って臨まなければならない。それができないとなると、会議以外にも日常業務のあらゆるところで、いい加減な処理が行われ、瑕疵のある製品を作り、さらにはそれらの問題を改めようともしない企業風土が染みついているのではないかと勘ぐってしまう。
ちょっと話が逸れるが、普段からあまり時間管理ができないコンサルタントで、クライアントの社長を含む経営陣に対する最終プレゼンを午後一に控えている大事な日だというのに、会議開始の10分ぐらい前にようやくクライアント先に到着して、さらにそこの食堂でご飯を食べてプレゼンに臨んだという話を聞いたことがある。肝が座っていると言うか無頓着と言うか…私はとても恐くてそんなことはできないし、そういう人と仕事をするのは難しい。
April 19, 2006
業務時間に強制的に制約をかければ、効率化のアイデアが自然と出てくる
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私が現在いるプロジェクトでは、毎朝決まった時間にメンバーがホテルのロビーに集合して、車でクライアント先に移動し、夜には再び決まった時間に全員揃ってホテルに戻ってくるというスタイルをとっています。コンサルティングのプロジェクトというと、「とにかく忙しい」「際限なく仕事をする」というイメージがありますが、今のプロジェクトは比較的スケジュール通りに進んでおり、生産的な仕事をしています。もちろん、ホテルの自室で残った仕事をすることはありますが、意外なことに(?)徹夜は今のところありません。
移動時間が決まっている、クライアント先にいることのできる時間に限りがあるという制約条件が、逆説的に大きなメリットをもたらしていると考えられます。時間が限られているために、どの仕事をするのか、逆にどの仕事をしないのか(※注)という優先順位づけに対してとてもシビアになります。また、なすべき仕事についても段取りに気を遣うようになります。こういったタイムマネジメントが暗黙のうちに行われていることもあってか、大きな手戻りもなく、予定された成果を上げながらプロジェクトが順調に進んでいます。
知識労働者は、仕事の波が予測しやすく労働時間に比例して成果も増大する肉体労働者とは大きく異なります。そのため、肉体労働者の賃金体系は知識労働者にはそぐわず、知識労働者に対しては裁量労働制が適用されるようになりました。企業としては一定の賃金しか労働者に払わない(深夜・休日割増賃金は別)代わりに、各個人は好きな時間にやりやすい方法で仕事をしてよいというのが裁量労働制です。企業にとっては人件費を抑制する効果が、労働者にとっては生産性を向上させることができる効果があると言われています。しかし、前者の効果はあるとしても、後者に関しては私はかなり懐疑的です。
好きな時間に仕事をしていいと言われると、だいたい人間は予定通り仕事をしなくなります。時間の使い方を自由に決定できる学生は、たいていスケジュール通りにレポートや論文を仕上げることができません。学生と社会人は違うと反論する人もいるでしょうが、エリヤフ・ゴールドラット博士の『クリティカルチェーン』を読めば納得してもらえるのではないかと思います。
1人か数人で仕事をする場合は別としても、大部分の知識労働者はチームで仕事をします。チームである以上、各メンバーの仕事には依存関係があります。Aさんの仕事の成果物が、Bさんの仕事のインプットになる、という具合です。それぞれのメンバーの仕事は密接に連携し合っているにもかかわらず、裁量労働制だからといってメンバーが好きな時間に出勤・退社しようものならば、できるはずの仕事もできなくなってしまいます。
実際には、いくら裁量労働制とはいえ、夕方の4時に堂々と出社する人は特別な事情がない限りいません。皆だいたい朝には出社します。ところが、「だいたい朝」というのがミソで、ある人は9時半、ある人は10時というふうに、微妙に出社時間がずれているものです。その数十分のタイムラグのために、朝できたはずの仕事が後回しになります。しかし、遅れた仕事はそれほど影響が大きくないという理由でしばしば無視されてしまいます。けれども、そういった後回しが積み重なればかなりの時間ロスになるのです。
裁量労働制は、よほどうまく運用しない限り仕事の生産性はおそらく上がりません。知識労働者であっても、時間に区切りをつけて仕事をする必要があります。仕事の生産性を上げるためには、投入できる資源に限りがあることを十二分に認識することが欠かせないのです。
(※注) 「どの仕事をしないのか」という意思決定は決して軽視できません。「どの仕事をするのか」という意思決定のみでは、知らず知らずのうちに、やらなくてもよい仕事まで増えてしまうという事態が往々にして起こります。「しない」という決断により、無駄な作業を省くことが重要です。
移動時間が決まっている、クライアント先にいることのできる時間に限りがあるという制約条件が、逆説的に大きなメリットをもたらしていると考えられます。時間が限られているために、どの仕事をするのか、逆にどの仕事をしないのか(※注)という優先順位づけに対してとてもシビアになります。また、なすべき仕事についても段取りに気を遣うようになります。こういったタイムマネジメントが暗黙のうちに行われていることもあってか、大きな手戻りもなく、予定された成果を上げながらプロジェクトが順調に進んでいます。
知識労働者は、仕事の波が予測しやすく労働時間に比例して成果も増大する肉体労働者とは大きく異なります。そのため、肉体労働者の賃金体系は知識労働者にはそぐわず、知識労働者に対しては裁量労働制が適用されるようになりました。企業としては一定の賃金しか労働者に払わない(深夜・休日割増賃金は別)代わりに、各個人は好きな時間にやりやすい方法で仕事をしてよいというのが裁量労働制です。企業にとっては人件費を抑制する効果が、労働者にとっては生産性を向上させることができる効果があると言われています。しかし、前者の効果はあるとしても、後者に関しては私はかなり懐疑的です。
好きな時間に仕事をしていいと言われると、だいたい人間は予定通り仕事をしなくなります。時間の使い方を自由に決定できる学生は、たいていスケジュール通りにレポートや論文を仕上げることができません。学生と社会人は違うと反論する人もいるでしょうが、エリヤフ・ゴールドラット博士の『クリティカルチェーン』を読めば納得してもらえるのではないかと思います。
クリティカルチェーン―なぜ、プロジェクトは予定どおりに進まないのか? エリヤフ ゴールドラット 三本木 亮 ダイヤモンド社 2003-10-31 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
1人か数人で仕事をする場合は別としても、大部分の知識労働者はチームで仕事をします。チームである以上、各メンバーの仕事には依存関係があります。Aさんの仕事の成果物が、Bさんの仕事のインプットになる、という具合です。それぞれのメンバーの仕事は密接に連携し合っているにもかかわらず、裁量労働制だからといってメンバーが好きな時間に出勤・退社しようものならば、できるはずの仕事もできなくなってしまいます。
実際には、いくら裁量労働制とはいえ、夕方の4時に堂々と出社する人は特別な事情がない限りいません。皆だいたい朝には出社します。ところが、「だいたい朝」というのがミソで、ある人は9時半、ある人は10時というふうに、微妙に出社時間がずれているものです。その数十分のタイムラグのために、朝できたはずの仕事が後回しになります。しかし、遅れた仕事はそれほど影響が大きくないという理由でしばしば無視されてしまいます。けれども、そういった後回しが積み重なればかなりの時間ロスになるのです。
裁量労働制は、よほどうまく運用しない限り仕事の生産性はおそらく上がりません。知識労働者であっても、時間に区切りをつけて仕事をする必要があります。仕事の生産性を上げるためには、投入できる資源に限りがあることを十二分に認識することが欠かせないのです。
(※注) 「どの仕事をしないのか」という意思決定は決して軽視できません。「どの仕事をするのか」という意思決定のみでは、知らず知らずのうちに、やらなくてもよい仕事まで増えてしまうという事態が往々にして起こります。「しない」という決断により、無駄な作業を省くことが重要です。
January 07, 2006
自ら進んで長時間働いているのか?それとも働かされているのか?
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著しい成果を上げ、社会的に認知された功績を残している人には、1日10時間はおろか、12時間、15時間の仕事をもいとわない人が少なくありません。彼らは自ら進んで長時間の仕事を引き受けています。しかし一方で、同じくらいの長い時間を毎日仕事に費やしながら、組織の歯車に成り下がり、目立った業績も残せず、人生の大半を棒に振ってしまう人も信じられないほど多く存在します。
もし自分が、労働法の想定を超えて長い時間を仕事に費やしているならば、どちらのタイプの人間になろうとしているのか真剣に考えた方がよい、と思う今日この頃です。
もし自分が、労働法の想定を超えて長い時間を仕事に費やしているならば、どちらのタイプの人間になろうとしているのか真剣に考えた方がよい、と思う今日この頃です。