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February 09, 2012

怒りっぽい人が心臓発作に至る過程がリアルで怖かった―『怒りのセルフコントロール』

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怒りのセルフコントロール怒りのセルフコントロール
レッドフォード ウィリアムズ ヴァージニア ウィリアムズ Redford Williams

創元社 1995-05

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 タイトルの通り、本書では怒りをコントロールするための17の方法が紹介されている。著者の2人は名前を見ると解るように夫婦であり、かつ2人とも研究者である。夫のレッドフォードは性格と健康の関係を専門とする医学者、妻のヴァージニアは第1次世界大戦に関する著書などがある歴史学者だそうだ。本書は基本的に夫の研究に基づいているが、面白いことに17のメソッドの中には、夫婦間の危機がきっかけで編み出され、実際に2人で試行されたものも含まれているという。

 アメリカの心臓病学者であるマイヤー・フリードマンとレイ・ローゼンマンは『タイプA―性格と心臓病』の中で、狭心症や心筋梗塞などの心臓疾患になりやすい性格傾向を明らかにし、それをタイプA行動パターンと名づけた。タイプAは、緊張、性急さ、競争心、敵対心などを特徴とする人々である。レッドフォードはタイプAと疾患の関係に関する研究をさらに続け、その結果、タイプAの特徴のうち健康に影響するのはただ一つ、「敵対性」だけであるという結論に達したという。

 その「敵対性」がなぜ心臓疾患につながるのか?そのシナリオが非常に具体的で、読んでいてちょっと怖くなったよ(汗)(『キレないための上手な「怒り方」』にも似たような話が登場するけれど、本書の方がずっとリアル)。簡単にそのシナリオをまとめてみた。
 ・怒りを感じると視床下部が刺激され、神経細胞が副腎にシグナルを送って、アドレナリンとコルチゾールを血中に大量に分泌させる。
 ・アドレナリンは身体を戦闘モードに切り替えるべく、動脈を拡張させて心臓と筋肉に血液を送り込む。
 ・視床下部は交感神経を刺激して、皮膚や腎臓、腸に血液を送る動脈を収縮させる(戦闘モードの時は、食べ物を消化している場合ではないため)。
 ・コルチゾールには、アドレナリンの効果を増幅させる働きがある。さらに視床下部は、副交感神経系の働きを抑制し、これによってアドレナリンの効果を持続させる。
 ・アドレナリン&コルチゾールのタッグで血圧が上昇したことにより、冠状動脈の内膜にある内皮細胞が侵食される。すると、血小板がその傷を治そうと集まってくる。
 ・血小板が分泌する化学物質は、冠状動脈壁の筋肉細胞を動脈内面に移動させ、動脈内で肥大、増殖させる。
 ・血中の細胞群であるマクロファージが冠状動脈の損傷箇所に集まり、傷ついた組織や残骸を飲み込んでいく。
 ・アドレナリンは脂肪細胞にも働きかけ、戦闘に使用するエネルギーを供給するために、脂肪を運動エネルギーに変換する。
 ・しかし、本当に戦闘をするわけではないからエネルギーは過剰となり、余ったエネルギーは肝臓でコレステロールに変えられ、血中に放出される。
 ・血中のコレステロールは、冠状動脈の損傷箇所に溜まっている血小板やマクロファージに吸収されて、泡沫細胞となる。
 ・コレステロールが詰まった泡沫細胞は、怒りを感じるたびに上記のようなプロセスを繰り返して肥大し、冠状動脈を圧迫する。
 ・ある日冠状動脈が完全にふさがれてしまい、心筋梗塞に至る(怖ぇ〜)。
 17のメソッドの詳細はここでは紹介しないが、2人の著者は基本的に、「怒りの大半は大したことではない」という前提に立っているようだ。まず、「敵対性ログ」という方法で、日常生活の中で怒りを感じた出来事を、どんなに些細なことも含めて1つ1つ記録していく。次に、それらの出来事を以下の3つの基準で評価し、本当に重要な怒りのみを絞り込んでいく。
(1)こだわり続ける価値があるほど重要な問題か?
(2)(筆者補記:自分が怒りを感じる)正当な理由はあるか?
(3)(筆者補記:怒りを引き起こした事象に対して)効果的に対処できるか?
 大雑把に言ってしまえば、この3つを全て満たすものだけが真に対応すべき怒りであって、それ以外は早く忘れるか、考えを切り替えるか、相手を許す(!)などした方が、自分の健康のためでもあり、人間関係を円滑にする秘訣だというのが著者の主張である。17のメソッドの9割以上は、「怒りの大半は大したことではない」と思えるようになるためのものだ(それでもまだ怒るだけの正当な理由があり、何かしらの対処法が取れそうな場合は、「主張法」と呼ばれるメソッドを使う。ただし、そのようなケースに有効なメソッドとして著者が挙げているのは、この「主張法」ただ1つだけである)。

 とはいえ、敵対性が強い人=怒りっぽい人(私もそのうちの1人)にとって、(1)(3)はまだ何とかなるかもしれないけれど、(2)が最大の障害になりそうだな。怒っている人は、自分が正しいと思って怒っているのだから、その理由を自分で疑うことは非常に難しいんだよね・・・そんな時には、相手の思考回路にも思いをめぐらせ、相手にも何かしらの事情があるのでは?相手にもそれなりの合理的な理由があるのでは?(こちらから見れば正当な理由に見えなくとも)などと考えるだけでも、怒りが緩和されると著者は述べている。うーん、これは訓練次第だな。

 逆に、前述の3つの基準を満たす重大な怒りは、どのような意味を持つのだろうか?前向きにとらえれば、それはきっと、人生の目的や使命を示唆する怒りなのではないだろうか?(過去の記事「「その課題を解決できるのは自分だけ」という思いが使命感になる―『MBB:思いのマネジメント』(1)(2)」を参照)。

 ものすごく解りやすい例で言うと、マーティン・ルーサー・キングは黒人差別に対して、マハトマ・ガンディーはイギリスの支配に対する大きな怒りを抱いていた。坂本龍馬を始めとする幕末の藩士たちは、旧態依然とした江戸幕府への大きな怒りを、倒幕と開国へのエネルギーへと変換した。

 その倒幕によって生まれた明治政府に対しても、過度な欧化主義によって日本人のアイデンティティが失われることを危惧したジャーナリストたち(陸羯南、三宅雪嶺、志賀重昂など)が、国粋主義の名の下に一生をかけて対抗し続けた。現代に目を向ければ、スティーブ・ジョブズはマイクロソフトへの大きな怒りを感じながら(晩年は、長年の盟友であったグーグルに対しても大きな怒りを向けながら)、アップルを経営した(残念ながら、ジョブズは早世だったが)。大きな怒りはストレスも並大抵ではないものの、「自分の人生の目的が見つかった!!」といった気持ちで、むしろ喜ぶぐらいの方がいいのかもしれない。

 松下幸之助の『指導者の条件』には、西ドイツの首相だったコンラート・アデナウアーの逸話が紹介されている。アデナウアーがアメリカのアイゼンハワー大統領に会った時、人生において重要な3つのことを話したという。1つ目は「人生というものは70歳にして初めて解るものである。だから70歳にならないうちは、本当は人生について語る資格がない」ということ。2つ目は「いくら年をとっても老人になっても、死ぬまで何か仕事を持つことが大事だ」ということ。そして3つ目が興味深いのだが、「怒りを持たなくてはいけない」というのである。

指導者の条件指導者の条件
松下 幸之助

PHP研究所 2006-02

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 この言葉に関して、松下幸之助は次のように分析している。
 これは、単なる個人的な感情、いわゆる私憤ではないと思う。そうでなく、もっと高い立場に立った怒り、つまり公憤をいっているのであろう。(中略)第2次世界大戦でどこよりも徹底的に破壊しつくされた西ドイツを、世界一といってもよい堅実な繁栄国家にまで復興再建させたアデナウアーである。その西ドイツの首相として、これは国家国民のためにならないということに対しては、強い怒りを持ってそれにあたったのであろう。占領下にあって西ドイツが、憲法の制定も教育の改革も受け入れないという確固たる自主独立の方針をつらぬいた根底には、首相であるアデナウアーのそうした公憤があったのではないかと思う。
 アデナウアーは91歳で亡くなったので、十分長生きだったと言える。アデナウアーは、首相、しかも敗戦からの復興を目指す首相という重責を担い、大小様々の事柄に怒りを感じてもおかしくない立場にありながら、自分が本当にこだわり続けるだけの価値と正当性がある問題(=要するに、西ドイツ国家のためには許されざる問題)のみにフォーカスをあてる術を身につけていたのであろう。今度はアデナウアーの伝記でも読んでみるかな?
December 28, 2011

明治時代から浮かんでは消えるリベラル・アーツ渇望論―『リーダーシップ不在の悲劇(DHBR2012年1月号)』

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Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2012年 01月号 [雑誌]Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2012年 01月号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2011-12-10

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【995本目】1,000エントリーまであと5。

総合国策の研究と次世代リーダーの養成 「総力戦研究所」とは何だったのか(土居征夫)
 先日の記事「野中郁次郎氏が分析する「日本軍6つの敗因」―『リーダーシップ不在の悲劇(DHBR2012年1月号)』」の脚注で触れた論文。「総力戦研究所」は、イギリスの国防大学やフランスの国防研究所に倣い、国防国家の支柱となるべき人材を養成する目的で1941年4月に開設された。同研究所では、次代を担うリーダーとして各省庁、民間企業、陸海軍から選抜された人々が、軍事的視点だけでなく、経済、政治、外交、国民生活などを総括した統合国策の立案研究を行っていた。日本軍、政府省庁ともにセクショナリズムが横行していた当時、組織の壁を超えて多様な人材が一堂に会する組織は例外的な存在であっただろう。

 同研究所に集まった若手リーダーは、総力を挙げて日米開戦を前提とした戦局を予想したが、そこで導き出された結論は「日本必敗」であった(必要な船舶量は月10万トン、年間120万トンと試算されたが、当時の日本の造船能力は多く見積もってもその半分であるなど、日本に不利なデータが次々と明らかになった)。彼らの分析結果は、後の太平洋戦争における戦局の推移を、真珠湾攻撃を除いてほぼ正確に予測していたという。

 しかし、シミュレーションの内容を近衛文麿首相とともに聞いていた東条英機陸相は、
 「諸君の研究の労を多とするが、これはあくまで机上の演習でありまして、実際の戦争というものは君たちの考えているようなものではないのであります。日露戦争でわが大日本帝国は、勝てるとは思わなかった。しかし、勝ったのであります。(中略)君たちの考えていることは、机上の空論とはいわないとしても、あくまでも、その意外裡の要素というものをば考慮したものではないのであります」
と述べて、結果を受け入れなかった。実際の戦局では「意外裡の要素」が働くという東条の言葉は確かに一理ある。ただ、当時の東条が、日露戦争で日本に有利に働いた意外な要因とは何だったのか?あるいは、太平洋戦争ではどのような偶発的要因を想定していたのか?また、その偶発的要因が起きる可能性をどの程度と見積もっていたのか?などに関して、確固たる考えを持っていたかどうかは不明だ(論文には特に書かれていない)。

 結局、総力戦研究所はわずか数年で閉鎖され、次代のリーダーを輩出するという目的は完遂されなかった。著者は、日本の軍事教育の欠陥に踏み込み、「リベラル・アーツ教育」の欠如を指摘している。
 陸軍大学校、海軍大学校、帝国大学に代表される明治以降の高等教育は、法律や軍事など実利本位の知識や技術の習得に専念した。その結果、大正・昭和期に、利害打算に長けた深みのない似非リーダーを多く輩出した。(中略)

 陸大海大ともに、リーダー(将帥)を養成するための教育は、主として上に立つ者としての徳目教育に終始し、深い人間観、世界観に根差す戦略的思考や、政治と軍事の関係を洞察する識見を養うものではなかった。
 リーダーの養成過程で最も重要なのは、リベラル・アーツ教育の拡充である。アメリカの高等教育機関では、毎回課題図書を与えて討議し、歴史や哲学、宗教、人間観について自分の頭で考える訓練を行う。(中略)

 近代日本では、西洋の列強に追いつけ追い越せとばかり、法学、工学、語学等の実学を重んじた結果、欧米諸国のリベラル・アーツ教育が重視した教養、すなわち文法・論理・修辞学の三学や、天文学、幾何学、算術、音楽などのアーツ、それに哲学、歴史などを学ぶ意義が深く省みられることはなかった。
 軍事教育にリベラル・アーツが欠けていたという主張は、実は野中郁次郎氏の論文「名将と愚将に学ぶトップの本質 リーダーは実践し、賢慮し、垂範せよ」とも共通する。野中氏は同論文の中で、次のように述べている。
 私はリベラル・アーツのなかでも、特に知についての最も基本的な学問である哲学の素養が社会のリーダーには不可欠だと考えている。哲学は存在論と認識論で構成され、その両面から、真・善・美について徹底的に考え抜く。それによって、モノではなくコトでとらえる大局観、物事の背景にある関係性を見抜く力、多面的な観察力が養えるのだ。東洋にも『論語』などの哲学があるが、どうしても道徳論になりがちで、知の飽くなき探求という意味では真善美を追求する西洋哲学に及ばない。
 真善美を学ぶ上では、東洋哲学より西洋哲学の方が優れているという点は、おそらく賛否両論があろう。個人的には、『論語』のような道徳は善の一部であると思うし、「美徳」という言葉があるように、美と道徳も密接な関係にあると考える。ただ、野中氏も土居氏も、哲学や歴史、文学などを学ぶことの意義を同じように強調している点は押さえておかなければならない。

 実のところ、リベラル・アーツ渇望論は、明治時代から3度発生していると私は考える。1回目は明治時代中期であり、明治政府が西洋列強に追いつくために積極的に欧化主義を採用してた頃である。幕末に佐久間象山は「東洋道徳、西洋芸術」という言葉を用いて、東洋の道徳を温存しながら西洋の芸術(技術)を習得することは可能だと主張し、明治政府もその路線を突き進んだ。

 しかし、西洋技術や制度の表面的で過剰な輸入が進むにつれて、日本人は西洋人に対して人種的に劣位にあるという見方が登場し、人種改造論までが真面目に議論されるようになった。こうした事態に耐えかねた人々は、次第に政府に対し反発を見せるようになる。例えば、佐久間象山に師事した西村茂樹は、1886年に発表した『日本道徳論』の中で、「道は本なり、制度は末なり」と説いて、伝統的な儒教観に根差した道徳の重要性を訴えた。

 また、ジャーナリストの陸羯南は、明治政府=国家が国民の上に立っていたずらに西洋を追いかける国家主義的な現状を「日本社会の支離滅裂」と批判し、国家主義に対立する概念として「国民主義」を提唱した。陸の国民主義は、国民の歴史的継続性と、精神的な面までをも含んだ国民の有機的統一性を重視する。

 さらに、同じくジャーナリストの三宅雪嶺は、先ほどの人種改造論に真っ向から反対し、1891年に『真善美日本人』を発表して、日本人の優位性と日本人が世界で果たすべき任務を提示した。三宅は、哲学のみが、個人の自由な活動と、学問を通じた一国の独立という2つの目的を同時に達成することができるとの信念を持ち、スペンサーの影響を受けながら独自の宇宙観を形成している。

 いずれの主張にも共通するのは、道徳観や歴史観などに基づいた社会構築の必要性である。当時はリベラル・アーツなどという言葉はなかったが、その意義を認識している人々は決して少なくなかったわけだ(※)。

 2回目は、この論文にあるように第2次世界大戦の時期である。そして、3回目は他ならぬ現代だ。土居氏や野中氏のリベラル・アーツ渇望論は、軍事教育の欠陥にのみ向けられているのではなく、そのまま現代にも通用するものである。3度の渇望論は、「技術が先行した時期」に発生しているという点で共通している。技術の著しい進歩によって、人間が技術に使われるようになると、リベラル・アーツにスポットが当てられると言ってよい。

 ここからは感覚的な記述になって恐縮だが、私自身社会人になってからずっと、「企業が利益を上げるための方法」をいろいろと模索し、顧客企業にも提案してきたつもりではあるけれども、どこか”上滑りしている感覚”があったのは否めない。利益を出すための技術的な方法を挙げろと言われればいくつも思い当たるものの、利益を出せばそれでOKなのか?という疑問に何となく胸が痞えている。

 企業は単に利益を追求するだけではなく、「よい利益」を追求しなければならない。言うまでもなく、「よい」とは価値基準であり、利益のよしあしを評価するのは企業が存立する社会である。ならば、社会がよいと認めるものは何なのかについて、もっと深く洞察する必要がある。社会の価値基準を考察するには、社会を構成する人間というものを深く理解しなければならない。同時に、社会が何百年、何千年と受け継いできた歴史の流れを紐解き、文化の中に埋め込まれた価値基準を掘り当てる必要もあるだろう。これこそまさに、リベラル・アーツの世界である。

 1つ例を挙げると、縮小する国内市場において、限られたパイを手放さないために、CRM(顧客関係管理)に注力して顧客を囲い込もうとする企業が増えている。CRMが成功すれば、確かにLTV(顧客生涯価値)は上がり、持続的な利益の創出が可能になるだろう。しかし一方で、囲い込みは顧客による自由な選択の余地を奪っているとも言える。そこまでして利益を出すことが果たして「よい」ことなのだろうか?むしろ顧客を解放して顧客の自由な選択に委ね、自社を選んでくれたその時には最高の体験を提供するというやり方の方が、「よい」経営とは言えないだろうか?

 来年はリベラル・アーツの世界にも足を突っ込むことにしよう。

(※)朝日ジャーナル編『日本の思想家(上)』(朝日新聞社、1975年)
September 11, 2010

論語が実学であることを身をもって証明した一冊−『渋沢栄一「論語」の読み方』

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渋沢 栄一
三笠書房
2004-10
おすすめ平均:
渋沢さんの心、論語の心、それらが相俟って浮き彫りにされていく本
論語を理解するには、不適
論語の入門書に最適でしょう。
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 渋沢栄一は明治6年、将来が約束された役人の道を捨てて実業界に身を投じた。周囲の反対を押し切っての一大決心だった。それ以降、渋沢は終始『論語』を手放さず、「論語で事業を経営してみせる」とまで言い張ったという。同書は、『論語』の各文について渋沢自身が解説を加えたものである。『論語』の入門書として読むことももちろんできるが、それ以外にも色々な楽しみ方ができる。

(1)『論語』を事業経営に活用する方法を学ぶ本として
 『論語』の意義は、春秋・戦国という乱世において、保守的かつ実践的な処世術を説いた点にある。よって、本来は万人にも理解できる実用書としての性格を持つものであった。ところが、宋の時代に朱子学が確立されて以降、一般人にはおよそ理解し難い複雑な解釈が次々と生まれ、実学としての立場は徐々に失われていった。

 日本でも、江戸時代以前までは古代の解釈=<古注>が中心であったが、江戸時代に儒学者・林羅山が京都の町衆に対して『論語』の講義を行い、それに感銘を受けた徳川家康が儒教を政治の中心に据えた際に基盤としていたのは、宋代に生まれた解釈=<新注>であった。それ以降、江戸の儒学では<新注>が主流となる。

 これに異を唱えたのが、江戸中期に登場した伊藤仁斎と荻生徂徠である。二人は古注の復興を目指し、実学としての『論語』の復活に尽力した。彼らの活動は、中国・清の儒学者にも影響を与えている。(※1)

 渋沢は同書の中で<古注>と<新注>の違いを意識しているわけではないが、『論語』は実学であり、実用できなければ意味がないと言い切っている。「論語で事業を経営してみせる」と豪語した渋沢が、実際にどのように論語を経営に応用したのかが同書を通じて見えてくる(渋沢が常々口にしていた「経済道徳一致説」については、以前にもブログで取り上げた)。

 「渋沢流儒学」とも言うべき1冊(1)−『論語と算盤』
 「渋沢流儒学」とも言うべき1冊(2)−『論語と算盤』

 例えば、事業投資の考え方としては、
 子曰く、約を以てこれを失する者は鮮(すくな)し。(里仁第四−二十三)
【現代語訳】 先生がおっしゃった。「倹約に努めれば、財産を失うことは少ない」
という孔子の言葉を紹介しながら、次のように述べている。
 経費を節約することはもちろん必要であるが、同時に国家として重要な意味をもつ事業に対しては、大いに積極的でなければならない。

 わが国は農業を基幹としているから、開墾その他農業の助成保護に出費を惜しんではならない。工業にしても欧米にくらべれば、進歩が遅れてすべて模倣であり追随であって、一つとして超えたものがない。(中略)こんな状態であるのに、これに対して倹約主義で臨んではならない。
 武士の慎ましい生活をよしとしていた江戸時代の空気が残り、商業が社会的に善なるものとして認識されていなかった明治初期においては、これは先進的な考え方であったと思う。

 また、人の上に立つリーダーは、言行が一致していなければならない。同書には言行一致を説いた孔子の言葉がいくつも引用されている。
 子曰く、君子は言に訥にして、行に敏ならんことを欲す。(里仁第四−二十四)
【現代語訳】 先生がおっしゃった。「君子は言葉を軽々しく発しないが、やると決めたら素早く行動に移そうとする」
はその1つだ。同書には書かれていないが、渋沢の言行一致の徹底ぶりを示すエピソードがある。渋沢は営利事業に加えて慈善事業にも尽力していたため、数多くの慈善団体の設立に関わっている。ある慈善団体の設立記念パーティーに出席した時のこと。パーティーには財界の著名人が多数参加していたのだが、渋沢はパーティーが終わりに近づくと突然姿を消してしまった。

 パーティーが終わって参加者が会場から出ようとすると、出口で渋沢が待ち構えていた。そして一人一人に対して、慈善団体の設立趣旨に賛同していただけるならば、是非寄付をしてほしいとお願いし、寄付の約束を取りつけるまで参加者を帰さなかったという。渋沢が慈善事業に本気であることを示すと同時に、慈善団体に関わろうとする人たちにも、口先だけの賛同ではなく身銭を削ることを要求したのである。

(2)渋沢と同時代に生きた幕末・明治の人物像を知る本として
 同書には、渋沢と同時代を生きた幕末・明治の人物が多数登場する。彼らに対する渋沢の人物評を楽しむのもこの本の読み方の1つだろう。渋沢が実際に会ったり、ともに仕事をしたりした関係だからこそ解る人物像は、普通の歴史書ではなかなか読むことができない。

 例えば、西郷隆盛については、
 たいへん親切な同情心の深い、一見して懐かしく思われる人
と評する一方で、政府に十分な軍事資金がない(新政府は廃藩置県に伴い旧藩の債務を引き受けていたため、深刻な資金不足に陥っていた)にもかかわらず、頑なに征韓論を主張して下野したことについては、
 いかなる名論卓説も実行が伴ってはじめて価値を生ずるのである。実行が伴わなければ、それは空説空論にすぎない。
と批判している。

 また、幕末に一橋家への仕官を勧め、一橋(徳川)慶喜に仕える道を開いてくれた平岡円四郎については、
 この人は実に一を聞いて十を知り、眼から入って鼻に抜けるぐらいの明察力があった。来客があるとその顔色を見て、何の用向きで来たということを、即座に察知するほとであった。
とその明晰ぶりを称えているものの、
 あまりに先が見えすぎて、とかく他人の先回りをするから、自然他人に嫌われ、ひどい目にあったりするものである。平岡が水戸浪士のために暗殺されたのも、明察にすぎて、あまりに先が見えすぎた結果ではなかろうかと思う。
と分析している。

 さらに、渋沢が民部省で役人を勤めていた頃の上司であった井上馨については、
人を用いるには、まずその人の善悪正邪を厳しく識別して、それから登用していた。
と人物を見極める鑑識眼を称賛しつつも、性格に関しては、
学問もあり識見もあり、頭脳もまた明敏であったが、怒りをうつしやすい性質だった。何か一つ気に入らないことがあると、四方八方に当たり散らす悪癖には閉口した。
と回顧している。

 他にも三条実美、岩倉具視、陸奥宗光、勝海舟、伊藤博文、木戸孝允、大隈重信、大久保利通、山県有朋、江藤新平などの素顔が垣間見えて、非常に面白い。

(3)いつの時代にも変わらない自己啓発の原則を学ぶ本として
 『論語』は君主が従うべき道を説いた書であると同時に、自己修練の方法を述べた書でもある。よって、政治の教科書であると同時に、ビジネスパーソンにとっての自己啓発書として楽しむこともできる。

 私が買った本の帯には、「孔子に学ぶ”月給を確実に上げる”秘訣!」という宣伝文句がついている(これはこれでちょっと露骨な釣りだなぁと思ったが…)。その秘訣は、次の文章の中にある。
 子張、禄を干(もと)めんことを学ぶ。子曰く、多く聞きて疑わしきを闕(か)き、慎んでその余を言う。則ち尤(とが)め寡(すくな)し。多く見て殆(あや)うきを闕き、慎んでその余を行う。則ち悔い寡なし。言うて尤め寡く、行い悔寡ければ、禄はその中に在り。(為政第二−十八)
【現代語訳】 子張が先生に高い俸禄をもらう方法を聞いた。先生はおっしゃった。「たくさんの情報を聞いて疑わしい情報を省き、間違いないと確信できるものだけを言えば、他人から咎められることは少ない。たくさんの事象を見て不確実なものを省き、間違いないと確信できることだけを行えば、後悔することは少ない。言動に対して他人から咎められることも自分が後悔することも少なければ、自ずと俸禄は上がる」
 子張は頭脳明晰な弟子であり、政治的手腕に長けていた。その子路が仕官するにあたってアドバイスを求めたものが、上記の文章である。

 要するに「よく調べてから、リスクの少ない確実な方法を取れ」ということだが、一見するとかなり消極的な助言に聞こえる。だが、個人的にこの助言で重要なのは、前半の「よく調べる」という部分だと思う(「よく調べてから、大きなリスクを取る」ことは、時に必要である)。

 「調べる」とは、全ての事柄を明らかにすることではない。調べることの目的は、「調べた結果、おそらくこうなりそうだ」という仮説を持つことと、調べた結果解ったことと、調べても解らないこと・やってみないと解らないことの境界線を認識することである。仮説がなければ、実行によって何を検証するのかが解らないし、境界線が解っていなければ、実行から何を学ぶべきなのが解らない。

 「リスクの少ない方法を取れ」と書くと消極的な印象を与えるが、裏を返せば「確実だと解ったら絶対にやり通せ」という意味になる。特に、君主に対する諫言は、それが正しいと思えば勇気を出して行わなければならない、と孔子は何度も教えている。

 同書では紹介されていないが、『論語』の季子第十六には、魯国の家臣・季孫子に仕える弟子の冉求(ぜんきゅう、先ほどの子張や「孔子十哲」に名を連ねる子路と同じく、政治的能力に優れていた)が、むやみに隣国に攻め入ろうとする季孫子を、君子の道に反するとして止めなかったことに対し苦言を呈する場面も見られる。(※2)

(※1)澤井啓一「江戸の儒学と『論語』」(『歴史に学ぶ』2010年8月号、ダイヤモンド社)
(※2)三田明弘「「芸」の人 冉求のジレンマ」(『歴史に学ぶ』2010年7月号、ダイヤモンド社)