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October 25, 2011

D・カーネマンによる「認知バイアスを見抜く12の質問」―『「破壊的」経営論(DHBR2011年11月号)』

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 (DHBR2011年11月号の書評は今回で最後)

認知バイアスを見抜く12の質問 意思決定の行動経済学(ダニエル・カーネマン他)
 最後に取り上げる論文は、2002年にノーベル経済学賞を受賞した行動経済学の権威、ダニエル・カーネマンらによる論文。認知学者によると、人間の思考には「システム1」と「システム2」の2つがあるという。システム1は直観的な思考を、システム2は合理的な思考を支えている。システム1は、我々が日々直面する無数の意思決定の場面で、迅速に判断を下すのに役立つ。しかし一方で、システム1はバイアス(偏見)を生み出し、時に合理的・論理的な思考を妨げてしまう。

 この論文では、周囲からの提案を受けて重要な意思決定を下さなければならないという局面で、システム1による性急な判断を防ぎ、システム2による合理的な決断を導くための12の問いが提示されている。以下、太字で示した質問文は論文からの引用、各質問の補足説明は、論文の内容などに基づき私なりにまとめたものである。

.意思決定者が自問すべき質問
(1)提案チームが「私利私欲にかられて意図的に誤りを犯したのではないか」と疑われる理由はないか?
 表向きは立派な大義名分や目的を掲げているが、実はその裏で提案チームが私腹を肥やしているという話は、官民どちらの世界でもよくあることだ。ただ個人的には、そういう”私的な動機”というのも時には必要だと思う。極端なことを言えば、資本主義とは、個人の利潤動機を社会全体の富の創造へとつなげるシステムである(以前の記事「最初の動機は不純だって構わないんじゃないか?」を参照)。

 私的な動機の存在そのものが問題なのではなく、私的な動機が他の集団や社会にとってメリットを生まないことが問題である。最初の質問は、この点を見極めるのに役立つだろう。

(2)提案者たち自身が、その提案にほれ込んでいるか?
 以前の記事「果たして意思決定に感情は不要なのか?」でも書いたように、意思決定における感情の扱いは非常に難しい。興奮や刺激的といった感情は、チームメンバーを特定の結論へと急がせる傾向があり、多角的な視点から選択肢を洗い出したり、大小様々なリスクを想定したりするのを妨げてしまう。提案チームがあまりに熱心になっている場合は、彼らが行き過ぎた楽観主義に陥っていないかどうか、疑ってかかる必要がある。

 ただ、提案者自身がほれ込んでいないような提案内容では、相手を説得できないのも事実であろう。「私はそれほど魅力的だとは思わないのですが、あなたがやってみたら面白いと思いますよ(棒読み)」などという無責任な提案に耳を貸すマネジャーはいない。相手を説得し、さらに賛同者を増やしていくためには、一定の熱意が必要である。よって、提案を受けた人が識別しなければならないのは、提案チームが提案内容を検討している段階から興奮状態にあったのか、それとも検討プロセス自体は冷静に進められており、私に提案している今この時だけ興奮しているのか、ということである。

(3)提案チームのなかに反対意見があったか?
 質問(2)でも述べたが、提案チームが興奮状態にあると、重要なリスクを過小評価して合意形成に至ることがある。また、提案チームのメンバーの同質性が高いと、いわゆる「グループ・シンキング(集団思考)」に陥りやすくなる。さらに、メンバー間に上下関係があると(上司―部下、部長―課長といった組織図上の公式な上下関係だけでなく、メンバー間で自然と形成される非公式な上下関係も含まれる)、下の地位の人は反対意見を押し殺して、上の地位の人につき従うことがある。

 提案内容の複雑さや難易度の割に、提案チームがあまりにスピーディーに合意に至ったと感じた場合は、質問(3)の出番である。「反対意見がない」イコール「いい提案」ではない。GMのアルフレッド・スローンは、経営会議ですんなりと合意に至った場合には、「来週、もう一度この議題について話し合いましょう」と言って会議室を後にするのがクセだったという。

.提案者に問うべき質問
(4)顕著な類似性が、状況の分析に大きく影響するおそれはないか?
 提案内容の魅力を強調するために、「他社ではこうやっています」とか、「以前に社内でこういう活動をした時には、これぐらいの成果がありました」といった具合に、過去の成功事例を持ち出すことがある。そのような事例は確かに、提案内容の成功の可能性や効果の大きさを推し量る上で、欠かせない情報となる。

 しかし、その成功事例と今回の提案内容では、どのくらい状況が類似しているのかを提案者に問わなければならない。言い換えれば、事例の成功要件が、今回の提案内容でも本当に再現可能なのかどうかを十分に吟味する必要がある。

(5)信頼できる代替案が検討されたか?
 この質問の重要性は言うまでもないだろう。提案を受けた人は、チームの提案内容が”結論ありき”のものになっていないかどうかを、この質問を使って見定めなければならない。

(6)一年後に、同じ意思決定を繰り返さなければならないとしたら、どのような情報が必要になるか?それをいま入手できるか?
 この質問の意図をもっと端的に表すならば、提案を受けた人はその場で即決せずに、もう少し時間の猶予があるつもりで意思決定しよう、ということである。切羽詰まった状況に置かれた人間は、その時手元にある情報をうまくつなぎ合わせて、物事を何とか説明しようとする傾向がある。

 この傾向が裏目に出ると、提案を受けた人は、本当ならば提案内容のストーリーに欠陥があるにもかかわらず、全体としては何となく筋が通っているからOK、といった感じで、ついジャッジが甘くなってしまう。そして案の定、その欠陥が命取りとなって、提案内容が実行フェーズで失敗するのである。時間の誘惑に負けない姿勢が意思決定者には求められる。

(7)数字の出所を承知しているか?
 提案内容の効果が定量的な数値でシミュレーションしている場合には、提案チームに数値の根拠や試算のロジックを尋ねて、どこまでが事実に基づく数値・算定ロジックであり、どこからが仮説ベースなのかをはっきりさせる必要がある。試算の出発点となる数値自体が仮説ベースであるならば、効果が大幅に上下する可能性を覚悟しなければならない。

(8)「ハロー効果」が見られないか?
 ハロー効果とは、ある対象を評価をする時に、顕著な特徴に引きずられて、他の特徴についての評価が歪められる現象のことである。とりわけ、成功事例を目にすると、その事例のよいところばかりが”後光”(halo)のように輝いて見え、マイナス面を見失ってしまうことがある(故スティーブ・ジョブズに対する評価は、ハロー効果に陥りやすい一例と言えるだろう)。

 質問(4)とも関連するが、ハロー効果は他社のベストプラクティスを自社に導入する際に陥りやすい。ベストプラクティスの成功要件を自社で再現できるかどうかを問うのが質問(4)であるならば、質問(8)はベストプラクティスが潜在的に抱えているリスクやデメリットを炙り出すものである。

.提案を評価するための質問
(9)提案者たちは過去の意思決定にこだわりすぎていないか?
 人間は、”負け”が込んでくると、過去の負けを取り戻すために、通常よりも大胆な方法を選択する傾向がある。これは、カジノや賭け事で敗者を追い詰める心理である。提案チームが過去に何度か手痛い失敗を重ねているケースでは、自分たちの名誉を挽回するために、思い切った施策を提案してくるかもしれない。

 しかし、この場面で重要なのは、今ここで議論の的となっている投資案件が、投資に見合ったリターンをもたらすかどうかであって、投資に加えて過去の埋没費用まで取り戻せるほど高いリターンがあるかどうかではない。この点を間違えると、不相応のリスクを犯して危ない行動を選択することになるし、本来ならば適切な投資対効果がある案件を却下してしまうことになる。

(10)基本となるケースは楽観的すぎないか?
(11)最悪のケースは、本当に最悪なのだろうか?
(12)提案チームは慎重すぎないか?
 質問(10)〜(12)はセットでとらえた方がいいだろう。通常、ある提案を行う場合には、提案内容を実行した後のシナリオを何パターンか作成するものである。IT投資であれば、新システムの構築によってどのくらいのコスト削減が見込めるのかを試算するし、マーケティングへの投資であれば、各種プロモーション施策によって、どの程度の新規顧客が獲得できそうなのか、あるいは顧客満足度がどのくらい改善されそうなのかを推測する。一般的には、ノーマルなシナリオに、楽観的・悲観的という2つのシナリオを加えた3パターンのシナリオを作成するのが望ましいとされる。

 だが実際には、時間の都合や情報の制約のために、シナリオを3パターンも作らないことの方が多いだろう。2パターン用意されていれば、提案チームが楽観的・悲観的のどちらに傾いているかを察知することができる。ところが、1パターンしか提示されなかった場合には、提案チームの心理的傾向を図ることができない。そこで、この質問(10)〜(12)を用いて、提案チームのスタンスを探る必要がある。

 提案チームが過度に楽観的、または悲観的・慎重になっていることが明らかになったら、提案チームに対して、これまでのスタンスとは逆サイドから、もう1つシナリオを作成することを指示する。すると、楽観的過ぎたチームは見過ごしていたリスクを、悲観的過ぎたチームは明るい材料を発見できるかもしれない。
September 08, 2011

「対話」という言葉が持つソフトなイメージへのアンチテーゼ

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 最近の企業内人材育成のトレンドを見ていると、新しいコミュニケーションの方法として、「対話(ダイアローグ)」がよく目につく。確かに、組織内にはコミュニケーション上の問題が山積している。社員に会社の戦略や方針が伝わらない、上司が意図した通りに部下が仕事をやらないなど、「上から下」のコミュニケーションの問題もあれば、逆に経営層が現場の声に耳を傾けない、部下のキャリア開発のニーズを無視して上司が仕事を割り振ってくるといった、「下から上」のコミュニケーションの問題もある。

 あるいは、顧客に対して手厚いサポートを提供するために、営業・技術部門など複数部門が緊密に連携することが必要なのに、組織が「たこつぼ化」しており協業が生まれないなど、「横同士」のコミュニケーションの問題というのも存在する。こうした組織内のコミュニケーション不全を解決するのが、「対話」というソリューションであるというのが、大方の識者・人材育成の専門家たちの一致した見解だ。

 ところが、私個人だけなのかもしれないが、この「対話」という言葉には、どうも”ソフト”なイメージがつきまとっており、そのことに疑問を感じている。なぜ「対話」をソフトな方法と感じてしまうのだろうか?と自問自答したところ、2つの理由が浮かび上がってきた。

 1つは、「対話」について書かれた書籍や記事に出てくる事例そのものが、ソフトな論調で書かれているということである。例えば、ジョセフ・ジャウォースキーの『シンクロニシティ』や、ピーター・センゲの『出現する未来』などには、「対話」を通じて集団内のメンバーが相互理解を深め、将来の望ましい姿を自らデザインし、その実現こに向けた行動を起こしていく様子が描かれている。ただ、少しひねくれた見方をすると、あまりにもあっさりと「対話」が成功したように見えてしまい、”できすぎた美談”という印象さえ抱いてしまう。紙面の都合や守秘義務の関係もあって、「対話」の内容を全て記述するのが難しいのも、そう感じさせる一因なのだろう。

ジョセフ・ジャウォースキー
英治出版
2007-10-02
おすすめ平均:
「やり方」より「あり方」が大事な理由
哲学書か、量子力学書か、宗教書か、心理学書か。でも大事なリーダーシップ論
迷える世代のバイブル
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P. センゲ
講談社
2006-05-30
おすすめ平均:
ありのままを見つめて、その場と一体になる事で思い描いた未来が現れる
壮大な考え方に触れる本です。
リーダーとしての新しいあり方。忙しい人ほど内省が求められる。
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 (※)一応、この2冊について以前に書いた書評へのリンクを掲載しておく。
 民主型リーダーシップの本としての『シンクロニシティ−未来をつくるリーダーシップ』
 ピーター・センゲのU理論を再解釈してみた−『出現する未来』

 もう1つは、国際ニュースを見ていると、紛争が起こっている地域で、首脳陣らが「双方の『対話』を通じて、建設的に解決策を模索していきたい」といった発言をよく耳にするためだと思う。つまりこの発言は、「紛争」という武力的なやり方に対する”非武力的な解決策”として、「対話」を位置づけていると解釈できるわけだ。しかし、いったん「対話」が破綻すると、再び「紛争」へと戻ってしまう例は、枚挙にいとまがない。こうした揺り戻しの動きが、「対話」という言葉のソフトなイメージを、より一層鮮明なものにしているのかもしれない。

 一般的に、「対話」の対極に位置づけられるのは、「議論(ディスカッション)」である。この2つが二律背反の関係にあるとすれば、「議論」の定義や特徴をひっくり返すことで、「対話」の全容を浮き彫りにすることができるはずだ。「議論」の特徴を思いつくままに列挙してみると、こんな感じだろうか?
議論(ディスカッション)
 (1)議論の目的(何についての意思決定を下すか?)を明確にする。
 (2)客観的な事実やデータに基づいて、考えうる選択肢を洗い出す。
 (3)明快な言葉、解釈の余地が少ない図、異論が出にくい数値など、誰にとっても理解しやすい情報を用いて、論理的に検討を進める。
 (4)利害関係者をあらかじめ明確にし、それぞれの利害を代表する人に参加してもらう。
 (5)組織内のフォーマルな関係、あるいは権力の大小が検討プロセスに影響を与える。
 (6)感情が意思決定に与える影響を最小限にとどめる。
 (7)複数の選択肢の中から、論理的な基準に基づいて、最適な選択肢を選択する。
 (1)〜(3)および(7)については、意思決定に関する本を読めば、だいたい同じようなことが書かれている(下記の書籍を参照)。(4)については、以前の記事「合意形成の実践的手引書だね−『コンセンサス・ビルディング入門』」を参照していただきたい。(5)は、同じ内容の発言でも、部長が発言するのと若手社員が発言するのとでは、重みが全く違うことを想像していただければ解りやすいだろう。(6)に関しては、心理学の先行研究が数多く存在し、興奮や怒りといった感情が、合理的な意思決定を妨げることが明らかになっている(これも過去記事「果たして意思決定に感情は不要なのか?」を参照)。

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 では、これらの特徴を裏返すことで導かれる「対話」とは、一体どのようなものだろうか?
対話(ダイアローグ)
 (1')対話を開始するにあたり、特定の目的は設定しない。
 (2')参加者は、個人的・主観的な認識、印象、感覚、思想、嗜好なども俎上に載せる。
 (3')メタファ(暗喩)やストーリーのような解釈の余地が大きい情報、参加者の表情・態度・ボディランゲージといった非言語的な情報、さらには一見つじつまの合わない非論理的な話さえも許容される。
 (4')参加者は流動的であり、自由に出入りできる(対話のテーマによって、利害関係者が動的に変化する)。
 (5')参加者の社会的な地位やパワーは、対話の場では無関係になり、全員が対等になる。
 (6')参加者は時に感情的になり、感情に支配される。
 (7')参加者は、対話のゴールを協創する(世代間ギャップがある社員同士の相互理解を促進する、職場や組織における望ましい人間関係のあり方を明らかにする、自社の経営陣が打ち出している変革プログラムの必要性や意味を共有する、など)
 (3')(6')以外の5つについては、冒頭で紹介した『シンクロニシティ―未来をつくるリーダーシップ』と『出現する未来』の中でも十分に論じられている。ここで私が強調したいのは、(3')と(6')の重要性である。我々は、(一昔前の「ロジカル・シンキング」ブームもあって、)論理的に考え、論理的にかつ端的に表現するように教育されている。だが、このような表現方法をとると、往々にして微妙なニュアンスが抜け落ちるものである。そういう抜け漏れが積み重なった結果、組織のあちこちで誤解や認識のズレが生じ、コミュニケーション不全に陥るのである。

 「対話」は、「議論」が重視しない点を重視する。すなわち、「言っていることは正しいかもしれないが、どこか引っかかる部分がある」とか、「私とあなたでは仕事のやり方に対する考えが違うので、一緒に仕事をしていてもうっとうしい」といった、感情的なコミュニケーションを受け入れるのである。今月号のDIAMONDハーバード・ビジネス・レビューに、ホンダの有名な「ワイガヤ」に関する記述があったので、引用しておく。
 ホンダの「ワイガヤ」も場である。プロジェクト・チームを構成する30人ものメンバーがホテルや温泉旅館に集まって三日三晩を共にする。夜は酒を飲み、大浴場に入る。議題は決まっていないが、たいていはまず上司の悪口を言い、欲求不満を共有する。酒を飲みながら、互いに言いたいことを言い始めると、けんかになることも珍しくない。口げんかばかりか、手が出ることさえある。しかし、2日目になると、メンバー間の壁がなくなり、お互いの意欲や気持ちがわかるようになってくる。相手に耳を傾け、共感しようとする。3日目には、彼らはしばしば「帰納的飛躍」を遂げる。個人的な問題を克服すると同時に、チームとして問題解決をする方法を獲得するようになるのである。

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 本当の意味での「対話」とは、その語感がもたらすソフトなイメージとは違い、お互いに取っ組み合いの喧嘩になるほど激しいものなのである。

 例えば、あるミーティングで、終始むっすりとした態度で会議の流れを見守っている人がいたとしよう。「議論」の場であれば、「あの人はちょっと機嫌が悪そうだったけど、特に何も言わなかったから、異論なしということでOKだろう」ということで済んでしまうかもしれない。多少気の利く人であれば、「私があの人の意見を聞いて、後で君に伝えるよ」と、2人の間を仲介してくれるかもしれない。

 だが、これが「対話」の場となると、そういう態度を取る人に対して、思わずイラっときたプレゼンターが「てめぇ、何黙ってんだ?」と挑発的な言葉を発する。すると、それまでだんまりを決め込んでいた相手も、「お前の仕事のやり方が気に食わねぇんだよ!」と、顔を真っ赤にして反論する。そこからは、お互いの感情がもつれ合った、聞くに堪えない喧嘩が始まる。会議に同席しているメンバーも、どちらかの味方について、コミュニケーションをヒートアップさせる。もうほとんどプロ野球の乱闘のようなものである(そういえば、最近のプロ野球は、西武対オリックスぐらいでしか乱闘が見られなくなったが・・・)。

 あらかたお互いに言いたいことを言い合った後、実はプレゼンター(以下Aさん)とずっと黙っていた人(以下Bさん)の2人は同期で、BさんはAさんと同じぐらい高い業績を上げているのに、Aさんの方が先に出世して、大事な会議でもプレゼンを任せられるようになっていたのが不満だったと明らかになった。そこから、なぜそういう評価の差が生じたのかについて、会議に同席していたメンバーも、自分や周りの人の体験談を(時にBさんのように怒りを込めながら)語り始める。

 最初は、AさんとBさんの上司に、評価能力の差があるのかと思われた。しかし、さらに話を詰めていくと、どうやらBさんの所属部門は、経営層の中でAさんの所属部門よりも優先順位が低く見られており、その点が評価の差につながっているようだという結論に至った。また、Bさんも決してAさんの仕事ぶりや人格を否定的に見ているのではなく、むしろ優れた能力を持つライバルだと思っていること、そしてAさんも、若い頃Bさんと同じ部門にいた時期に、難しい局面で随分と助けてもらったことに感謝していることをお互いに確認し合った。

 この「対話」では、評価制度の不備や経営陣の意識の問題を変える具体策は出てきていない。しかし、会議に出ている人たちは、自分も日頃何となく感じていた問題を共有し合うことで、言葉にはしがたい一体感・連帯感を感じ、AさんとBさんは会議前よりも前向きなコミュニケーションが取れるようになった。「対話」としてはこれで十分なのである(ちなみに、以上の話は私が即興で作ったフィクションなのでご注意を)。

 多くの「対話」は(6')まで至らないか、(6')でストップしてしまう。「対話」で一番難しいのは、(6')から次に進むプロセスなのである。(6')で止まってしまうと、その場にいる全員が感情的なしこりを残したままとなり、「対話」を始める前よりもひどい状態になる。(6')のフェーズで我慢に我慢を重ね、様々な感情が渦巻くドロドロとした空間を抜け切った時に、初めて「対話」は意味を持つと思うのである。

《補足》
 余談になるが、外交の場における「対話」は、相当な困難を伴うものであろう。なぜならば、「対話」の肝である「感情的な対立」や「取っ組み合いのような喧嘩」という状況を、会議の中で作り出すことがほとんど不可能だからである。もしも、会議の途中で外交官同士が殴り合いなんかをしようものなら、即座に戦争へと発展するだろう。これは見方を変えれば、彼らの中では「対話」と「紛争」が密接しているとも言える。

 本論の中では、紛争地域で「対話」の重要性が説かれることが多く、「紛争」と「対話」が正反対に位置づけられているようだと書いた。けれども、実際には(残念なことではあるが、)「対話」と「紛争」の間に境界線はなく、むしろ「対話」の一部に「紛争」が存在すると捉えた方が適切なのかもしれない。
August 13, 2011

民主党・自民党への個人的な期待と、我々自身がするべきこと(2/2)―『日本の壊れる音がする』

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 (これで最後)

 <自民党に対して>
 自民党に関しては、いっそのこと、いい意味で官僚と癒着し(つまり、官僚をフルに活用し)、筋の通った政策の立案・実行を期待している。それと同時に、自民党には重要なタスクを課したい。それは、今回の東日本大震災をめぐる一連の意思決定プロセスについて、

 ・どの意思決定はOKで、どの意思決定はNGだったのか?
 ・意思決定に至るプロセスで、どのような問題が生じたのか?その問題を引き起こした原因は何だったのか?
 ・意思決定の結果はOKだったが、プロセスに問題があったケースは何か?その場合、どのようなプロセスを踏むべきだったのか?
 ・自民党ならばどのようなプロセスを踏み、どのような意思決定を下していたか?

などといった観点から独自に検証し、震災対応に関する知見を蓄積してもらいたい、ということである。福島原発事故に対する政府の対応を自民党は批判するけれども、原発を推進してきたのは他ならぬ自民党なのだから、今回の大震災から重要な教訓を引き出さなければならない。

 実は、阪神淡路大震災の時も自民党は野党であり(社民党の村山政権だった)、自民党は大型の震災に直面した経験がない。村山政権や菅政権を”反面教師”として、近いうちに必ず起きると言われている東海大震災、首都圏直下型地震に備えてもらいたいのである。

 自民党も、どのぐらいの危機管理能力があるのかは未知数だ。過去には「えひめ丸号事件」をめぐって、チョンボをやらかしている。2001年、ハワイ沖で日本の高校生の練習船「えひめ丸」が、アメリカ海軍の原子力潜水艦と衝突して沈没、日本人9名が死亡する事件が起きた。事件発生時、森喜朗総理(当時)はゴルフ場におり、連絡はSPの携帯電話を通じて入った。

 衝突により日本人が多数海に投げ込まれたことや、相手がアメリカ軍であることも判明していたが、森元総理は第二報、さらに第三報が入るまで1時間半の間プレーを続け、これが危機管理意識上の問題となった(※5)。だからこそ、今回の大震災をめぐる様々な意思決定については、専門のワークグループを立ち上げて、数年を費やしてでもじっくりと検証するだけの意義と価値があると思うのである。

 <我々国民はどうすべきか?>
 我々がなすべきことは、端的に言えば「テレビを見るな」、「幅広い分野に興味を持て」、「情報源を多角化せよ」の3つである。テレビで流れる政治関連のニュースは、どこの局もほとんど同じだし、内容が偏っている。これは、閉鎖的な記者クラブ制度がもたらしている弊害である。

 だから、もっと視野を広げる必要がある。我々はどうしても自分の生活に直結する問題ばかりに関心を寄せがちだが、政治の役割は実に幅広い。いつの時代でも最優先とされるべき課題は、

 ・国家を外敵から守るための軍事・安全保障と、
 ・国内では取得できない資源を海外から得るための資源外交

の2つである。なぜなら、この2つがないがしろにされると、国家が潰れてしまうからだ。これに加えて、

 ・経済成長を実現するマクロ政策や金融政策
 ・政府や自治体の財政健全化
 ・国民の生命や健康を守る医療サービス
 ・高齢社会を支える介護・福祉、ならびに年金制度
 ・今後も経済成長を持続させるために必要な人口構成の実現(具体的には、出産・子育て支援)
 ・子どもたちを、教養と実務能力を備えた日本人へと育て上げる教育制度
 ・上記の政治的課題と関連する各種税制の整備

などが並ぶ。どれ1つをとっても大きなテーマだし、お互いに複雑に関連し合っているため、理解するのは容易ではない。しかし、自分の生活と直結したテーマだけに焦点を絞るのは、近視眼的な捉え方である(経営学でいうところの「マーケティング・マイオピア」ならぬ、「ポリティクス・マイオピア」である)。

 日常生活との関係性が薄く、あまり実感が持てない分野であっても、中長期的に見れば自分たちの生活に跳ね返ってくるものばかりである。したがって、それぞれの分野を理解する努力を惜しまず、自分なりの”座標軸”をはっきりさせることが我々にも必要なのである。

 そのためには、情報源の多角化が必須となる。テレビが論外なのは先ほども述べたが、新聞、書籍、ブログ、ネットニュース、地元の議員の講演会など、幅広いチャネルに目を向けて、様々な情報に敏感にならなければならない。その際に留意すべきなのは、一方のイデオロギーに偏らないことである。新聞であれば、例えば「産経と朝日」といった具合に、思想的傾向が異なるものを2部取るのが望ましい。

 我々は、自分にとって有利な情報や、自分の主張を裏づける情報ばかりを集めたがる傾向がある。心理学では、この傾向を「確証バイアス」と呼ぶ。この「確証バイアス」に陥らないようにするには、敢えて自分の考えとは反対の見解が述べられている情報リソースに目を向けることが有益である。

 自分が好きではない情報に、自ら首を突っ込んでいくことは、非常に苦痛である。だが、同じ論点でも多様な見方があることを知り、バランスのとれた基軸を自分の中に確立するのであれば、この苦痛は避けては通れないものなのである。

(※5)「森喜朗|Wikipedia」の「えひめ丸号事件」の項を参照。