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March 08, 2012

【ドラッカー再訪】「強みに集中せよ」と言っても、エグゼクティブに求められる能力は広く深い(2)―『経営者の条件』

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ドラッカー名著集1 経営者の条件ドラッカー名著集1 経営者の条件
P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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 前回の記事「【ドラッカー再訪】「強みに集中せよ」と言っても、エグゼクティブに求められる能力は広く深い(1)―『経営者の役割』」では、エグゼクティブが知識労働者たりうる所以であるところの専門知識は、いくら「強みに集中せよ」とは言え、幅広いものが求められることを書いた。だがそれに加えて、ドラッカーが指摘する「成果を上げるための5つの能力」が、エグゼクティブに対しさらに高い要求を突きつける。解りやすいところから言えば、1番目は「時間管理」であり、4番目は「優先順位づけ」の能力である(※)。

 2番目の「貢献(成果)に焦点を当てる」は、成果は組織の外部にしか存在しない、すなわち顧客が成果を規定するという点を踏まえると、顧客のニーズを的確に捉え、それに適切に応えることを意味するから、一言で言えば「マーケティングの能力」である(顧客と直接接する機会が少ないスタッフ部門に関しては、スタッフ部門の成果は、スタッフ部門の外にあるライン部門という”社内顧客”が規定する、と考えればよいだろう)。

 3番目は、「強みに集中する」という部分もさることながら、「上司、同僚、部下の強みを活かさなければならない」という点も非常に重要である。つまり、エグゼクティブの仕事は個人単位では完結せず、必ず他者との協業を必要とする。したがって、対人関係能力やコミュニケーション能力、チームビルディングの能力、動機づけの能力などといった、複合的なヒューマンスキルが必須となる。

 5番目は意思決定について述べられているが、意思決定の大部分は会議を通じて下されるから、「会議を運営する能力」と言い換えられるだろう。だが一口に会議を運営する能力と言っても、以下に示す通り、実に幅広い行動とマインドをエグゼクティブは習得しなければならない。

 ・会議の適切な目的、アジェンダを設定する。
 ・意思決定によって影響を受ける社内外の利害関係者を特定する。
 ・利害関係者をモレなく会議に出席させる。
 ・議論に必要な情報を前もって準備する。
 ・会議の出席者から、追加的な情報を引き出す。
 ・情報の意味や解釈をめぐって、出席者の見解を擦り合わせる。
 ・下準備した情報と、会議の場で出た情報に基づいて、選択肢を形成する。
 ・選択肢を取捨選択する際の基準を設定する。
 ・上記の基準に従って、それぞれの選択肢のメリット、デメリットを十分に検討する。
 ・リスクを伴う選択肢の場合は、リスクを低減する補完的な施策も検討する。
 ・最終的に選択肢を絞り込み、それを現場でのアクションに落とし込む。
 (誰が、何を、いつまでにするのか?そのタスクの成否は何によって判断するのか?)
 ・(会議全体を通じて、)出席者からモレなく公平に意見を引き出す。
 ・(会議全体を通じて、)各出席者の意見を尊重して最後まで聞く。反対意見を歓迎する。また、エグゼクティブ自身だけでなく、出席者全員にも同じマインドで会議に臨んでもらうよう要請する。
 ・(会議終了後、)会議で意見が採用されなかった出席者、他の出席者から批判を受けた出席者を心理的にフォローする。
 ・(会議終了後、)選択肢の実行によって、不利益や負担を被る利害関係者を事後フォローする。

 この5つの能力を全て身につけよというのは、ものすごくハードルが高い。ところが、恐ろしいことに、5つの能力の一部にでも著しい欠陥があると、いくら優れた専門知識を有していても、それが無価値になる。あるコンサルティングファームの方から聞いた話を紹介すると、そのファームには「顧客満足度」を専門とするコンサルタントがいたそうだ。彼の専門知識は非常に高度で、何の下準備もなしに半日程度のセミナーを難なくこなせるほど卓越していた。

 しかし皮肉なことに、彼が手がけるコンサルティングプロジェクトの顧客満足度は、社内でも最低ランクだったという。彼は、顧客満足度とは何たるかを誰よりも深く知っていたのに、実際に自分のクライアントの満足度を上げることができなかった。おそらくは、ヒューマンスキルの面で何らかの重大な欠陥があったのだろう。

 もう1つ、私が以前取引をしていた別の企業の話をしよう。この企業は、「時間管理」と「会議を運営する能力」が不足しており、一緒に仕事をしていて随分と悩まされた(もうその企業とは取引していない)。時間管理に関しては、「単位作業」あたりの必要時間を理解している人間があまりに少なすぎて驚いた。「単位作業」とは、平たく言えば「パワポ1枚を書き上げる作業」などのことである。より具体的な話をすると、

 ・各種データのエクセル集計に何時間かかるか?(分析データの種類、ボリューム、分析の粒度別に)
 ・会議の議事録をまとめるのに何時間かかるか?
 ・パワーポイントの資料作成に何時間かかるか?(資料のテーマ別、ボリューム別、難易度別に)
 ・顧客向けの提案書を書くのに何時間かかるか?(製品・サービス別、カスタマイズの範囲やレベル別に)
 ・製品・サービスのカスタマイズに何日かかるか?(製品・サービス別、カスタマイズの範囲やレベル別に)
 ・製品・サービスのバージョンアップに何週間かかるか?(製品・サービス別、追加機能の種類や難易度別に)
 ・(「成果を上げる5つの能力」の5番目とも関連するが、)会議の時間枠は何時間にするべきか?(会議のタイプ別、アジェンダの難易度別に)
 ・会社HPの1ページ分の原稿を書くのに何時間かかるか?(HPの記載内容別に)
 ・新規顧客を効率的に獲得するためには、顧客訪問を何回までにとどめるべきか?
 ・既存顧客のリピート案件を効率的に受注するためには、顧客訪問を何回までにとどめるべきか?

などに対する理解が、組織の上から下まで足りていない企業であった。この仕事は、取引先の社員の方々にもいろいろと作業をお願いしながら進めるプロジェクトだったのだけれども、いかんせんこういう状態だったので、私もスケジュールの立てようがなく、相当苦労した覚えがある。

 私も決して時間管理が上手とは言えないし、最後の方に挙げた営業活動に関しては、私自身も営業の経験がほとんどないため、これといった目安は持っていない(また、業種によって営業活動ボリュームの基準は大きく異なるはず)。とはいえ、個人的に経験則で作り上げた標準作業時間の目安をいくつか持っている。

 ・顧客企業との会議や、顧客企業の社員へのインタビューの議事録作成は、会議やインタビューの実施時間以内に収める。例えば、1時間のインタビューの議事録であれば、1時間以内に作成する。
 (※ちなみに、社内会議の議事録は、基本的にとっていない。ホワイトボードに全部まとめて、ホワイトボードの写真を参加者に送るだけである。顧客企業との会議に関しても、重要度が低ければこの方法にしたいのだが、コンサルティングの成果物として正式な議事録の納品を要求されることが多く、なかなか難しい)
 ・パワポの資料は、まずは1枚=1時間で作成する(レイアウトを構想してノートに下書きする時間を含む)。その後、社内レビュー・顧客チェックを経て修正が必要になった場合、修正に費やす時間は1枚=30分を目安とする。したがって、パワポ1枚あたりの平均作成時間は、1.5時間となる。
 ・Webや雑誌に寄稿するコラムは、1,000字=1時間を目安とする。なお、この原則はこのブログにも活かされている。
 ・上記の3原則については、作業が途中で中断されないように、まとまった時間を確保する。例えば、5枚のパワポを書く場合は、まず5時間の連続した時間を確保する。2,000字程度のコラムを書く場合は、2時間の連続した時間を確保する。これは、作業を中断してしまうと、作業再開時に思考回路を元に戻すのに時間がかかるためである。
 ・原則、2時間を超える会議は設定しない。2時間を超えると、私自身の集中力が持たない。2時間を超える場合は、決めようとしているアジェンダが多すぎるから、会議を分割すべき。
 ・逆に、30分という会議も設定しない。30分で決まる内容ならば、わざわざ会議の招集・運営という事務作業を伴わずに、業務中のコミュニケーションで解決すべきである。ただし、人事考課のフィードバックのように、プライバシーに配慮しなければならない内容は例外。

 これでも、標準作業の範囲と時間がもっと細かく設定されている工場のマネジャーが見たら、一笑に付すに違いない。しかし、この程度の大まかな基準でさえ、持っている人は少なかった。だから、その人自身が製品開発から携わった製品であるにもかかわらず、カスタマイズのスケジュールがいつまで経っても引けないマネジャーがいたり、私から1,500字程度の原稿を依頼すると平気で1日を費やす中堅社員がいたり、既存顧客のリピート案件なのに、仕様の確認と納品スケジュールの調整だけで5回も6回も顧客を訪問し、挙句の果てに案件自体が延伸になる営業担当者がいたり、といったことが常態化していた。

 「会議を運営する能力」の不足に至ってはもっと悲惨だった。書き出すとキリがないので1つだけにしておくけれども、その企業には「情報共有会議」という名前がついた週次の定例会議があり、私も何度か出席させてもらったことがある。文字通り、各出席者が先週の仕事を報告し、今週の仕事の予定を発表するという、情報共有のための場である。

 だが、この会議は2つの意味で間違っている。1つは、情報共有のため”だけ”の場をわざわざ設けなければならないということは、恒常的に社員の仕事がタコツボ化しており、日常的なコミュニケーションが欠落していることを意味する。つまり、各社員の職務範囲と、社員同士の連携を前提とした業務プロセスの設計が誤っているのである。

 もう1つの誤りは、この会議が意思決定を行う場ではなかった、ということである。情報共有会議の後に、何か具体的なアクションが各社員に割り振られたことはなかった。仮にこの会議が、お互いの仕事の生産性をチェックして改善点を指摘し合うとか、各社員が今の仕事で感じている課題をどんな些細なものでもいいから正直に告白し、その課題解決の支援者を特定するといった会議であったならば、まだ開催する意義もあっただろう。もっとも、こういった根深い問題を認識していながら、解決に導くことができなかった私も、いろんな意味で力不足だった。

 最後の方はかなり話が脱線してしまったけれど、本書に関してはもう1つだけ書きたいことがあるので、あと1回記事を書きます。それにしても、ドラッカーの本1冊に対してこのペースで記事を書いていたら、1か月の記事がDIAMONDハーバード・ビジネス・レビューの書評とドラッカー再訪企画だけでほとんど埋まってしまうなぁ・・・。ちょっとやり方を考えないと(汗)。


(※)余談だが、優先順位づけの能力に関して一番解りやすく書かれているのは、やはりスティーブン・コヴィーの『7つの習慣』だと思う。あの「重要度」×「緊急度」のマトリクスは、非常に使い勝手がよいと感じる。

7つの習慣―成功には原則があった!7つの習慣―成功には原則があった!
スティーブン・R. コヴィー Stephen R. Covey

キングベアー出版 1996-12

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March 06, 2012

【ドラッカー再訪】「強みに集中せよ」と言っても、エグゼクティブに求められる能力は広く深い(1)―『経営者の条件』

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P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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 前回の続き。やや長くなるが、エグゼクティブが成果を上げるために必要な5つの能力を引用しておこう。
(1)何に自分の時間がとられているかを知ることである。そして、残されたわずかな時間を体系的に管理することである。

(2)外部の世界に対する貢献に焦点を当てることである。仕事の過程ではなく、成果にその精力を向けることである。仕事からスタートしてはならない。もちろん、仕事に関する方法や意見などからスタートしてはならない。「期待されている成果は何か」を自問することからスタートしなければならない。

(3)強みを基準に据えることである。そして上司、同僚、部下についても、彼らの強みを中心に据えなければならない。それぞれの状況下における強み、すなわちできることを中心に据えなければならない。弱みを基盤にしてはならない。すなわち、できないことからスタートしてはならない。

(4)優れた仕事が際だった成果をあげる領域に、力を集中することである。優先順位を決定し、その決定を守れるように自らを強制しなければならない。最初に行うべきことを行うことである。二番目に回すべきようなことは、まったく行ってはならない。さもなければ、何事も成し遂げられない。

(5)最後に、成果をあげるよう意思決定を行うことである。意思決定とは、つまるところ、手順の問題である。成果をあげる意思決定は、過去の事実についての合意ではなく、未来についての異なる意見に基づいて行わなければならない。
 このうち、3番目にある「『強み』に集中せよ」というのも、数多あるドラッカーの金言の中で有名な部類に入ると思うけれど、この言葉は解釈が結構厄介だと私は思っている。確かにドラッカーは、「弱みからスタートしてはならない」とは述べている。つまり、ある仕事に就ける人材を決める際に、一部の欠点に着目して、減点主義で候補者を外していくような人材配置は行ってはならない、と主張している。

 しかし、「弱みを直す必要はない」とは一言も言っていない、と私は認識している。強みと弱みをめぐっては、以前の記事「自分の『強み』を活かすのか?『弱み』を克服するのか?」でも私見を述べた。とりわけ若手の場合は、どんなに「自分はこれが強みです」と叫んだところで、所詮は自己評価によるものであって、周囲が期待するレベルからすればまだまだ未熟である。だから自己鍛錬が欠かせない。継続的な訓練を通じて初めて、弱みが克服されると同時に、もともと持っていた”強みらしきもの”にも磨きがかかり、自他ともに文句のつけようがない強みが生まれるというものである。

 だが、中堅・ベテランになると、期待される成果の量も質も広がるから、当然のことながら要求される能力の幅もレベルも上がる。それらの能力を、もともと持っている強みだけで全てカバーすることは到底不可能だ。足りない能力は、中堅・ベテランであっても学習しなければならない(※1)。もっとも、先ほどの記事の中でも書いたことだが、私の経験則からすると、年齢が上がるにつれて弱みを克服するのは難しくなるから、できるだけ既存の強みでカバーできる仕事に就けるのが最善であるのは間違いない。これがドラッカーの言う「『強み』からスタートせよ」ということであろう。

 本書には、強みを活かした人材配置に関するこんなくだりがある。
 個人営業の税理士は、いかに有能であっても、対人関係の能力を欠くことは、重大な障害となる。しかしそのような人も、組織の中にいるならば、自分の机を与えられ、外の人間と直接接触しなくともすむ。組織のおかげで、強みだけを生かし、弱みを意味のないものにすることができる。
 では、この経理担当者(税理士)は、果たしてエグゼクティブと言えるだろうか?ドラッカーによるエグゼクティブの定義は、「地位やその知識ゆえに、日常業務において、組織全体の活動や業績に対して、重要な影響をもつ意思決定を行う経営管理者や専門家などの知識労働者」である。ところが、彼は組織に影響を与える意思決定を何ら下していない。おそらく、現場から上がってくる帳票を処理して、数字の帳尻合わせをしているにすぎないだろう。そんな仕事が通用するのは、せいぜい新卒入社後1年程度であって、あとはITに取って代わられるか、アウトソーシングされるのがオチである。

 彼がエグゼクティブであるならば、たとえ若手であっても適正なコスト水準を導き出して各部門にその水準の遵守を迫り、一定以上の支出に対してはその効果を厳しく検証する役割が期待されることだろう。もう少し上位のエグゼクティブとなれば、戦略・戦術とリンクした効果的な予算配分や、社内の不正を防ぐガバナンスの仕組みの構築を任されるかもしれない。単なる経理の知識に加えて、投資対効果や内部統制、さらには戦略などに関する知識も持っていなければならない。このように、強みに集中せよといっても、高い成果を要求されるエグゼクティブには、幅広い専門知識が必要とされるのである。

 狭い強みしか持たない人間ばかりをたくさん集めても、組織の人数が無駄に膨れ上がるだけだ。しかも、ドラッカーも指摘している通り、エグゼクティブの仕事は1人では完結せず、他のエグゼクティブにも依存しているという性質がある。よって、専門分野が限定されたエグゼクティブが集まると、彼らの間で細かい調整作業が頻繁に発生することになる。そうすると、コミュニケーションが異常に膨れ上がり、一橋大学の沼上幹教授が言う<重い>組織になってしまう(※2)。

 アダム・スミスが提唱した分業は、求められる成果が固定的な肉体労働では効果を発揮するものの、成果が流動する知識労働には通用しない。そして、ドラッカー自身も、先ほどの税理士の例とは裏腹に、エグゼクティブの職務は広く設計すべきだと提言しているのである。
 職務はすべて、多くを要求する大きなものに設計しなければならない。職務は、一人一人の人間に対し、自分の強みを出すよう挑戦させるものでなければならない。(中略)

 最も単純な職務でさえ、要求されるものは必ず変化していく運命にある。しかも、突然変化していく。そのため職務と人間の完全な適合は、急速に不適合へと変わる。したがって、職務は、そもそもの初めから、大きく、かつ多くを要求するものとして設計した場合においてのみ、変化した状況の新しい要求にこ応えていくことができる。
 今日の記事は何だか当たり前のことを書いて終わってしまった感じだけど(汗)、本当に私が言いたかったことはまだ書いていないので、それは次回ということで。


(※1)求められる成果から能力要件を導き出し、人材育成計画へと落とし込んでいく一連のプロセスについては、以下の過去記事を参照。今読み返すと、架空の事例がややイマイチなのだが、ご参考までに。

 戦略とリンクした人材育成計画を作成するための5ステップ(1)
 戦略とリンクした人材育成計画を作成するための5ステップ(2)
 人材育成計画の立案時に陥りやすい4つの落とし穴(1)
 人材育成計画の立案時に陥りやすい4つの落とし穴(2)

(※2)沼上幹他著『組織の“重さ”―日本的企業組織の再点検』(日本経済新聞出版社、2007年)

組織の“重さ”―日本的企業組織の再点検組織の“重さ”―日本的企業組織の再点検
沼上 幹 加藤 俊彦 田中 一弘 島本 実 軽部 大

日本経済新聞出版社 2007-08

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March 05, 2012

【《新連載》ドラッカー再訪】「マネジメント」を万人に開いた1冊―『経営者の条件』

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P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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 「ドラッカー山脈」とも呼ばれるピーター・ドラッカーの大量の著書をもう一度読み返してみようという個人的な企画。月に1冊ずつぐらいのペースで書評を書ければと思っております。とはいえ、ドラッカーの本は30冊以上あるので、この企画が終わるのは、順調に進んでも3年後かい?まぁ、気長にお付き合いください。

 第1弾は、1967年に発表された『経営者の条件』(原題は"The Effective Executive")。思えば、ドラッカーの著書で最初に読んだのは『ネクスト・ソサエティ』だったのだが、本格的にドラッカーを読み込んでみようと思ったきっかけはこの本だった。ドラッカーは、「知識労働者(ナレッジワーカー)」という言葉を半世紀も前から使っていた。そして、現代の組織社会において中心的な存在となりつつある知識労働者のうち、企業や組織の業績に影響を与える意思決定を下す人を、”地位を問わず”「エグゼクティブ」と位置づけている。
 今日では、知識を基盤とする組織が、社会の中心的な存在である。現代社会は、組織の社会である。それら大組織のすべてにおいて、中心的な存在は、筋力や熟練技能ではなく、頭脳を用いて仕事をする知識労働者である。筋力や熟練ではなく、知識や理論を使うよう、学校で教育を受けた人たちが、ますます多く組織の中で働くようになっている。
 私は、地位やその知識ゆえに、日常業務において、組織全体の活動や業績に対して、重要な影響をもつ意思決定を行う経営管理者や専門家などの知識労働者を、エグゼクティブと名づけた。
 われわれはすでに、最下層の経営管理者が、企業の社長や政府機関の長とまったく同じ種類の仕事、すなわち、企画、組織化、統合、調整、動機づけ、そして成果の測定を行うことを知っている。意思決定の範囲は、非常に限られた狭いものかもしれない。しかし、たとえ狭くとも、その範囲内においては、まぎれもないエグゼクティブである。(中略)そして、トップであろうと、新人であろうと、エグゼクティブであるかぎり、成果をあげなければならない。
 極端なことを言えば、組織で働く人々はほぼ例外なく「エグゼクティブ=経営者」であらねばならない、ということだ。経営者の仕事は第一義的にはマネジメントである(もう1つ重要な仕事としてリーダーシップがある)。そのマネジメントを万人に開いたのが、この1冊であると言えよう。若かりし頃の私は、「新人であろうとトップであろうと、地位や役職を問わずマネジメントが要求されるのならば、これを学ばない手はない」と、興味と危機感の入り混じった感情で「ドラッカー山脈」へと足を踏み入れていったものだ。

 本書は、エグゼクティブが成果を上げるための5つの能力について書かれたものである。個々の能力自体は、タイムマネジメントや仕事の優先順位づけなど、世の中に星の数ほどある仕事のハウツー本とそれほど変わらない。しかし、これらの能力の必要性を、
 確かに人生には、成果をあげるエグゼクティブになることよりも高い目標がある。しかし目標があまり高くないからこそ、実現も期待しうるというものである。すなわち、現代社会とその組織が必要とする膨大な数の成果をあげるエグゼクティブを得る、という目標の実現である。(中略)

 大規模組織のニーズは、非凡な成果をあげることのできる普通の人によって満たされなければならない。これこそ、成果をあげるエグゼクティブが応ずべきニーズである。しかも目標は謙虚であって、だれでも努力さえすれば実現可能である。
と社会的な文脈から論じている点が、いかにも”社会生態学者”を自称するドラッカーらしいところである。

 成果を上げるための5つの能力のうち、最初に登場するのが実は「時間管理」というのはちょっと意外な気もする。だが、これはエグゼクティブ特有の事情を反映している。仕事の範囲が狭く限定された肉体労働者であれば(最近はそういう肉体労働者も随分減っていると思うが)、作業スケジュールも1つ1つの作業に費やすべき標準時間もきっちりと決まっているから、それに忠実に従えばよい(従わなければ、工場の監督者から叱り飛ばされるか即刻クビである)。

 これに対して、エグゼクティブの知識集約的な仕事は、定型化が難し上に発生頻度もまちまちで、かつ他のエグゼクティブとの協業を必要とするものが非常に多い。よって、自分で積極的に時間をコントロールしない限り、偶発的な仕事と周囲のエグゼクティブに振り回されてしまうのである。

 こうした実情を同じように指摘しているのが、ヘンリー・ミンツバーグ(※1)やトム・ピーターズ(※2)などである。彼らの考察対象はマネジャーに限られるけれども、2人に共通しているのは「マネジャーが机に座って理路整然と仕事を進めているというのは、学者が勝手に考えた絵空事であって、生身のマネジャーは重要事案の検討から些細な事務処理まで、実に多様な業務を同時並行的にこなしていかなければならない」という現状認識である。

 ミンツバーグやピーターズは、マネジャーの一見場当たり的にも思える仕事のやり方は必然なのであって、それをどうこう変えることは不可能であると割り切っている。ピーターズに至っては、上司や部下、同僚などからアドホックに寄せられる情報の中に、明日のビジネスチャンスのヒントとなる情報が混じっていることもあるのだから、マネジャーの仕事はアドホックで構わないとさえ述べている。

 一方ドラッカーは、エグゼクティブの忙しさを認めつつも、それでもやはり意識的に時間管理を行って、自分で自由に使える時間を一定量確保するべきであると主張している。なぜならば、重要な意思決定や仕事には、ある程度まとまった時間が必要だからである(※3)。特に人事に関する意思決定には、通常よりも多くの時間をかけるべきだという。人事は間違うと取り消しが難しいし、不適格な人材を長くそのポストに張りつけておけば、企業にとって多大な損害をもたらす。
 アルフレッド・P・スローンは、人事についての意思決定はその場では決してしなかったそうである。一応の判断はするが、それにさえ、通常、数時間を使っている。しかも、その数日あるいは数週間後には、初めから考え直していた。二度も三度も同じ名前が出てきたときだけ、人事の最終決定を行った。スローンは、人事の秘訣を聞かれたとき、「秘訣などない。最初に思いつく名前は、概して間違いだということを知っているにすぎない。だから私は、何度も検討し直して、決定することにしている」と答えたという。
 私の記憶が正しければ、ここ10数年で最も大臣の不祥事や失態が少なかった小泉内閣では、内閣改造の度に小泉氏が官邸に何時間も閉じこもって人事を検討していた。そして、小泉氏が官邸から出てくると、小泉氏の机の上には新しい大臣の名前が書かれた紙が置かれていたという。また、GEの「セッションC」などのように、サクセッションプラン(後継者育成計画)が整っている企業は、候補者が若いうちから何度もその適性を厳しく評価する仕組みを整えている。これも人事に時間をかける一例であろう。

 話がちょっと逸れてしまったが、エグゼクティブが徹底的に時間管理を行い、不要な仕事を捨て去って、自由に使える時間をかき集めたとしても、そのボリュームはたかが知れているという。そして、地位が上がれば上がるほど自由に使える時間の割合は小さくなり、トップに至っては4分の1しかない、というのがドラッカーの分析である。
 自分の時間の半分以上をコントロールしており、自分の判断によって自由に使っているなどという者は、実際に自分がどのように時間を使っているかを知らないだけであると断言してよい。組織のトップにいる人たちには、重要なことや、貢献につながることや、報酬を払われている当の目的に使える自由な時間など、4分の1もない。これは、あらゆる組織についていえる。
 エグゼクティブが100%とまでいかなくても、かなり高い割合の時間を自由に使えるとしたら、そのエグゼクティブは自分が想定していない出来事や情報の大半を排除して、既知の世界の中で意思決定を行っていることになる。しかし、言うまでもなく、新しいビジネスチャンスや、逆に既存のビジネスを脅かす変化は、自分が知らない世界からやってくる。その意味では、ピーターズが指摘したように、アドホックであっても例外的な情報を受け取るよう、周囲の人々に門戸を開いておくことは、ひとまとまりの自由な時間を確保することと同様に重要であるように思える。

 (続く)

(※1)ヘンリー・ミンツバーグ著『マネジャーの仕事』(白桃書房、1993年)

マネジャーの仕事マネジャーの仕事
ヘンリー ミンツバーグ Henry Mintzberg

白桃書房 1993-08

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(※2)トム・ピーターズ著「組織論では真の姿に迫れない リーダーの仕事」(『DHBR2008年2月号』、初出は1979年)

Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2008年 02月号 [雑誌]Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2008年 02月号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2008-01-10

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(※3)ちょうど最近、興味深い記事が出ていたのでご紹介(「同時作業が得意な『2%の超人類』」[WIRED、2012年3月1日])。ユタ大学応用認知ラボの主任、デビッド・ストレイヤー氏によると、マルチタスクを処理できず、どちらの課題もパフォーマンスが落ちてしまう人の割合は、全体の98%にも上るらしい。残りの2%は、実際にマルチタスクが可能な「スーパー・タスカー」だが、彼らは脳の構造が一般の人とは決定的に異なっており、シングル・タスカーがスーパー・タスカーになることは期待できないという。

 また、日常的に情報をマルチタスク的に操り、ネットやビデオ、チャット、電話などを同時に駆使する人の方が、認識テストの成績が劣るという研究もあるそうだ。不要な情報を無視したり、作業記憶内で情報を整理したりする能力等が落ちている可能性が指摘されている。

(※4)私が所有しているのは、冒頭で紹介した「ドラッカー名著集」ではなく、その前のシリーズである「ドラッカー選書」であるため、引用文の表現が「ドラッカー名著集」のものとは一部異なるかもしれない点はご了承ください。
October 25, 2011

D・カーネマンによる「認知バイアスを見抜く12の質問」―『「破壊的」経営論(DHBR2011年11月号)』

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 (DHBR2011年11月号の書評は今回で最後)

認知バイアスを見抜く12の質問 意思決定の行動経済学(ダニエル・カーネマン他)
 最後に取り上げる論文は、2002年にノーベル経済学賞を受賞した行動経済学の権威、ダニエル・カーネマンらによる論文。認知学者によると、人間の思考には「システム1」と「システム2」の2つがあるという。システム1は直観的な思考を、システム2は合理的な思考を支えている。システム1は、我々が日々直面する無数の意思決定の場面で、迅速に判断を下すのに役立つ。しかし一方で、システム1はバイアス(偏見)を生み出し、時に合理的・論理的な思考を妨げてしまう。

 この論文では、周囲からの提案を受けて重要な意思決定を下さなければならないという局面で、システム1による性急な判断を防ぎ、システム2による合理的な決断を導くための12の問いが提示されている。以下、太字で示した質問文は論文からの引用、各質問の補足説明は、論文の内容などに基づき私なりにまとめたものである。

.意思決定者が自問すべき質問
(1)提案チームが「私利私欲にかられて意図的に誤りを犯したのではないか」と疑われる理由はないか?
 表向きは立派な大義名分や目的を掲げているが、実はその裏で提案チームが私腹を肥やしているという話は、官民どちらの世界でもよくあることだ。ただ個人的には、そういう”私的な動機”というのも時には必要だと思う。極端なことを言えば、資本主義とは、個人の利潤動機を社会全体の富の創造へとつなげるシステムである(以前の記事「最初の動機は不純だって構わないんじゃないか?」を参照)。

 私的な動機の存在そのものが問題なのではなく、私的な動機が他の集団や社会にとってメリットを生まないことが問題である。最初の質問は、この点を見極めるのに役立つだろう。

(2)提案者たち自身が、その提案にほれ込んでいるか?
 以前の記事「果たして意思決定に感情は不要なのか?」でも書いたように、意思決定における感情の扱いは非常に難しい。興奮や刺激的といった感情は、チームメンバーを特定の結論へと急がせる傾向があり、多角的な視点から選択肢を洗い出したり、大小様々なリスクを想定したりするのを妨げてしまう。提案チームがあまりに熱心になっている場合は、彼らが行き過ぎた楽観主義に陥っていないかどうか、疑ってかかる必要がある。

 ただ、提案者自身がほれ込んでいないような提案内容では、相手を説得できないのも事実であろう。「私はそれほど魅力的だとは思わないのですが、あなたがやってみたら面白いと思いますよ(棒読み)」などという無責任な提案に耳を貸すマネジャーはいない。相手を説得し、さらに賛同者を増やしていくためには、一定の熱意が必要である。よって、提案を受けた人が識別しなければならないのは、提案チームが提案内容を検討している段階から興奮状態にあったのか、それとも検討プロセス自体は冷静に進められており、私に提案している今この時だけ興奮しているのか、ということである。

(3)提案チームのなかに反対意見があったか?
 質問(2)でも述べたが、提案チームが興奮状態にあると、重要なリスクを過小評価して合意形成に至ることがある。また、提案チームのメンバーの同質性が高いと、いわゆる「グループ・シンキング(集団思考)」に陥りやすくなる。さらに、メンバー間に上下関係があると(上司―部下、部長―課長といった組織図上の公式な上下関係だけでなく、メンバー間で自然と形成される非公式な上下関係も含まれる)、下の地位の人は反対意見を押し殺して、上の地位の人につき従うことがある。

 提案内容の複雑さや難易度の割に、提案チームがあまりにスピーディーに合意に至ったと感じた場合は、質問(3)の出番である。「反対意見がない」イコール「いい提案」ではない。GMのアルフレッド・スローンは、経営会議ですんなりと合意に至った場合には、「来週、もう一度この議題について話し合いましょう」と言って会議室を後にするのがクセだったという。

.提案者に問うべき質問
(4)顕著な類似性が、状況の分析に大きく影響するおそれはないか?
 提案内容の魅力を強調するために、「他社ではこうやっています」とか、「以前に社内でこういう活動をした時には、これぐらいの成果がありました」といった具合に、過去の成功事例を持ち出すことがある。そのような事例は確かに、提案内容の成功の可能性や効果の大きさを推し量る上で、欠かせない情報となる。

 しかし、その成功事例と今回の提案内容では、どのくらい状況が類似しているのかを提案者に問わなければならない。言い換えれば、事例の成功要件が、今回の提案内容でも本当に再現可能なのかどうかを十分に吟味する必要がある。

(5)信頼できる代替案が検討されたか?
 この質問の重要性は言うまでもないだろう。提案を受けた人は、チームの提案内容が”結論ありき”のものになっていないかどうかを、この質問を使って見定めなければならない。

(6)一年後に、同じ意思決定を繰り返さなければならないとしたら、どのような情報が必要になるか?それをいま入手できるか?
 この質問の意図をもっと端的に表すならば、提案を受けた人はその場で即決せずに、もう少し時間の猶予があるつもりで意思決定しよう、ということである。切羽詰まった状況に置かれた人間は、その時手元にある情報をうまくつなぎ合わせて、物事を何とか説明しようとする傾向がある。

 この傾向が裏目に出ると、提案を受けた人は、本当ならば提案内容のストーリーに欠陥があるにもかかわらず、全体としては何となく筋が通っているからOK、といった感じで、ついジャッジが甘くなってしまう。そして案の定、その欠陥が命取りとなって、提案内容が実行フェーズで失敗するのである。時間の誘惑に負けない姿勢が意思決定者には求められる。

(7)数字の出所を承知しているか?
 提案内容の効果が定量的な数値でシミュレーションしている場合には、提案チームに数値の根拠や試算のロジックを尋ねて、どこまでが事実に基づく数値・算定ロジックであり、どこからが仮説ベースなのかをはっきりさせる必要がある。試算の出発点となる数値自体が仮説ベースであるならば、効果が大幅に上下する可能性を覚悟しなければならない。

(8)「ハロー効果」が見られないか?
 ハロー効果とは、ある対象を評価をする時に、顕著な特徴に引きずられて、他の特徴についての評価が歪められる現象のことである。とりわけ、成功事例を目にすると、その事例のよいところばかりが”後光”(halo)のように輝いて見え、マイナス面を見失ってしまうことがある(故スティーブ・ジョブズに対する評価は、ハロー効果に陥りやすい一例と言えるだろう)。

 質問(4)とも関連するが、ハロー効果は他社のベストプラクティスを自社に導入する際に陥りやすい。ベストプラクティスの成功要件を自社で再現できるかどうかを問うのが質問(4)であるならば、質問(8)はベストプラクティスが潜在的に抱えているリスクやデメリットを炙り出すものである。

.提案を評価するための質問
(9)提案者たちは過去の意思決定にこだわりすぎていないか?
 人間は、”負け”が込んでくると、過去の負けを取り戻すために、通常よりも大胆な方法を選択する傾向がある。これは、カジノや賭け事で敗者を追い詰める心理である。提案チームが過去に何度か手痛い失敗を重ねているケースでは、自分たちの名誉を挽回するために、思い切った施策を提案してくるかもしれない。

 しかし、この場面で重要なのは、今ここで議論の的となっている投資案件が、投資に見合ったリターンをもたらすかどうかであって、投資に加えて過去の埋没費用まで取り戻せるほど高いリターンがあるかどうかではない。この点を間違えると、不相応のリスクを犯して危ない行動を選択することになるし、本来ならば適切な投資対効果がある案件を却下してしまうことになる。

(10)基本となるケースは楽観的すぎないか?
(11)最悪のケースは、本当に最悪なのだろうか?
(12)提案チームは慎重すぎないか?
 質問(10)〜(12)はセットでとらえた方がいいだろう。通常、ある提案を行う場合には、提案内容を実行した後のシナリオを何パターンか作成するものである。IT投資であれば、新システムの構築によってどのくらいのコスト削減が見込めるのかを試算するし、マーケティングへの投資であれば、各種プロモーション施策によって、どの程度の新規顧客が獲得できそうなのか、あるいは顧客満足度がどのくらい改善されそうなのかを推測する。一般的には、ノーマルなシナリオに、楽観的・悲観的という2つのシナリオを加えた3パターンのシナリオを作成するのが望ましいとされる。

 だが実際には、時間の都合や情報の制約のために、シナリオを3パターンも作らないことの方が多いだろう。2パターン用意されていれば、提案チームが楽観的・悲観的のどちらに傾いているかを察知することができる。ところが、1パターンしか提示されなかった場合には、提案チームの心理的傾向を図ることができない。そこで、この質問(10)〜(12)を用いて、提案チームのスタンスを探る必要がある。

 提案チームが過度に楽観的、または悲観的・慎重になっていることが明らかになったら、提案チームに対して、これまでのスタンスとは逆サイドから、もう1つシナリオを作成することを指示する。すると、楽観的過ぎたチームは見過ごしていたリスクを、悲観的過ぎたチームは明るい材料を発見できるかもしれない。
September 08, 2011

「対話」という言葉が持つソフトなイメージへのアンチテーゼ

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 最近の企業内人材育成のトレンドを見ていると、新しいコミュニケーションの方法として、「対話(ダイアローグ)」がよく目につく。確かに、組織内にはコミュニケーション上の問題が山積している。社員に会社の戦略や方針が伝わらない、上司が意図した通りに部下が仕事をやらないなど、「上から下」のコミュニケーションの問題もあれば、逆に経営層が現場の声に耳を傾けない、部下のキャリア開発のニーズを無視して上司が仕事を割り振ってくるといった、「下から上」のコミュニケーションの問題もある。

 あるいは、顧客に対して手厚いサポートを提供するために、営業・技術部門など複数部門が緊密に連携することが必要なのに、組織が「たこつぼ化」しており協業が生まれないなど、「横同士」のコミュニケーションの問題というのも存在する。こうした組織内のコミュニケーション不全を解決するのが、「対話」というソリューションであるというのが、大方の識者・人材育成の専門家たちの一致した見解だ。

 ところが、私個人だけなのかもしれないが、この「対話」という言葉には、どうも”ソフト”なイメージがつきまとっており、そのことに疑問を感じている。なぜ「対話」をソフトな方法と感じてしまうのだろうか?と自問自答したところ、2つの理由が浮かび上がってきた。

 1つは、「対話」について書かれた書籍や記事に出てくる事例そのものが、ソフトな論調で書かれているということである。例えば、ジョセフ・ジャウォースキーの『シンクロニシティ』や、ピーター・センゲの『出現する未来』などには、「対話」を通じて集団内のメンバーが相互理解を深め、将来の望ましい姿を自らデザインし、その実現こに向けた行動を起こしていく様子が描かれている。ただ、少しひねくれた見方をすると、あまりにもあっさりと「対話」が成功したように見えてしまい、”できすぎた美談”という印象さえ抱いてしまう。紙面の都合や守秘義務の関係もあって、「対話」の内容を全て記述するのが難しいのも、そう感じさせる一因なのだろう。

ジョセフ・ジャウォースキー
英治出版
2007-10-02
おすすめ平均:
「やり方」より「あり方」が大事な理由
哲学書か、量子力学書か、宗教書か、心理学書か。でも大事なリーダーシップ論
迷える世代のバイブル
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P. センゲ
講談社
2006-05-30
おすすめ平均:
ありのままを見つめて、その場と一体になる事で思い描いた未来が現れる
壮大な考え方に触れる本です。
リーダーとしての新しいあり方。忙しい人ほど内省が求められる。
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 (※)一応、この2冊について以前に書いた書評へのリンクを掲載しておく。
 民主型リーダーシップの本としての『シンクロニシティ−未来をつくるリーダーシップ』
 ピーター・センゲのU理論を再解釈してみた−『出現する未来』

 もう1つは、国際ニュースを見ていると、紛争が起こっている地域で、首脳陣らが「双方の『対話』を通じて、建設的に解決策を模索していきたい」といった発言をよく耳にするためだと思う。つまりこの発言は、「紛争」という武力的なやり方に対する”非武力的な解決策”として、「対話」を位置づけていると解釈できるわけだ。しかし、いったん「対話」が破綻すると、再び「紛争」へと戻ってしまう例は、枚挙にいとまがない。こうした揺り戻しの動きが、「対話」という言葉のソフトなイメージを、より一層鮮明なものにしているのかもしれない。

 一般的に、「対話」の対極に位置づけられるのは、「議論(ディスカッション)」である。この2つが二律背反の関係にあるとすれば、「議論」の定義や特徴をひっくり返すことで、「対話」の全容を浮き彫りにすることができるはずだ。「議論」の特徴を思いつくままに列挙してみると、こんな感じだろうか?
議論(ディスカッション)
 (1)議論の目的(何についての意思決定を下すか?)を明確にする。
 (2)客観的な事実やデータに基づいて、考えうる選択肢を洗い出す。
 (3)明快な言葉、解釈の余地が少ない図、異論が出にくい数値など、誰にとっても理解しやすい情報を用いて、論理的に検討を進める。
 (4)利害関係者をあらかじめ明確にし、それぞれの利害を代表する人に参加してもらう。
 (5)組織内のフォーマルな関係、あるいは権力の大小が検討プロセスに影響を与える。
 (6)感情が意思決定に与える影響を最小限にとどめる。
 (7)複数の選択肢の中から、論理的な基準に基づいて、最適な選択肢を選択する。
 (1)〜(3)および(7)については、意思決定に関する本を読めば、だいたい同じようなことが書かれている(下記を参照)。(4)については、以前の記事「合意形成の実践的手引書だね−『コンセンサス・ビルディング入門』」を参照していただきたい。(5)は、同じ内容の発言でも、部長が発言するのと若手社員が発言するのとでは、重みが全く違うことを想像していただければ解りやすいだろう。(6)に関しては、心理学の先行研究が数多く存在し、興奮や怒りといった感情が、合理的な意思決定を妨げることが明らかになっている(これも過去記事「果たして意思決定に感情は不要なのか?」を参照)。

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 では、これらの特徴を裏返すことで導かれる「対話」とは、一体どのようなものだろうか?
対話(ダイアローグ)
 (1')対話を開始するにあたり、特定の目的は設定しない。
 (2')参加者は、個人的・主観的な認識、印象、感覚、思想、嗜好なども俎上に載せる。
 (3')メタファ(暗喩)やストーリーのような解釈の余地が大きい情報、参加者の表情・態度・ボディランゲージといった非言語的な情報、さらには一見つじつまの合わない非論理的な話さえも許容される。
 (4')参加者は流動的であり、自由に出入りできる(対話のテーマによって、利害関係者が動的に変化する)。
 (5')参加者の社会的な地位やパワーは、対話の場では無関係になり、全員が対等になる。
 (6')参加者は時に感情的になり、感情に支配される。
 (7')参加者は、対話のゴールを協創する(世代間ギャップがある社員同士の相互理解を促進する、職場や組織における望ましい人間関係のあり方を明らかにする、自社の経営陣が打ち出している変革プログラムの必要性や意味を共有する、など)
 (3')(6')以外の5つについては、先ほど紹介した2冊の中でも十分に論じられている。ここで私が強調したいのは、(3')と(6')の重要性である。我々は、(一昔前の「ロジカル・シンキング」ブームもあって、)論理的に考え、論理的にかつ端的に表現するように教育されている。だが、このような表現方法をとると、往々にして微妙なニュアンスが抜け落ちるものである。そういう抜け漏れが積み重なった結果、組織のあちこちで誤解や認識のズレが生じ、コミュニケーション不全に陥るのである。

 「対話」は、「議論」が重視しない点を重視する。すなわち、「言っていることは正しいかもしれないが、どこか引っかかる部分がある」とか、「私とあなたでは仕事のやり方に対する考えが違うので、一緒に仕事をしていてもうっとうしい」といった、感情的なコミュニケーションを受け入れるのである。今月号のDIAMONDハーバード・ビジネス・レビューに、ホンダの有名な「ワイガヤ」に関する記述があったので、引用しておく。
 ホンダの「ワイガヤ」も場である。プロジェクト・チームを構成する30人ものメンバーがホテルや温泉旅館に集まって三日三晩を共にする。夜は酒を飲み、大浴場に入る。議題は決まっていないが、たいていはまず上司の悪口を言い、欲求不満を共有する。酒を飲みながら、互いに言いたいことを言い始めると、けんかになることも珍しくない。口げんかばかりか、手が出ることさえある。しかし、2日目になると、メンバー間の壁がなくなり、お互いの意欲や気持ちがわかるようになってくる。相手に耳を傾け、共感しようとする。3日目には、彼らはしばしば「帰納的飛躍」を遂げる。個人的な問題を克服すると同時に、チームとして問題解決をする方法を獲得するようになるのである。

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 本当の意味での「対話」とは、その語感がもたらすソフトなイメージとは違い、お互いに取っ組み合いの喧嘩になるほど激しいものなのである。

 例えば、あるミーティングで、終始むっすりとした態度で会議の流れを見守っている人がいたとしよう。「議論」の場であれば、「あの人はちょっと機嫌が悪そうだったけど、特に何も言わなかったから、異論なしということでOKだろう」ということで済んでしまうかもしれない。多少気の利く人であれば、「私があの人の意見を聞いて、後で君に伝えるよ」と、2人の間を仲介してくれるかもしれない。

 だが、これが「対話」の場となると、そういう態度を取る人に対して、思わずイラっときたプレゼンターが「てめぇ、何黙ってんだ?」と挑発的な言葉を発する。すると、それまでだんまりを決め込んでいた相手も、「お前の仕事のやり方が気に食わねぇんだよ!」と、顔を真っ赤にして反論する。そこからは、お互いの感情がもつれ合った、聞くに堪えない喧嘩が始まる。会議に同席しているメンバーも、どちらかの味方について、コミュニケーションをヒートアップさせる。もうほとんどプロ野球の乱闘のようなものである(そういえば、最近のプロ野球は、西武対オリックスぐらいでしか乱闘が見られなくなったが・・・)。

 あらかたお互いに言いたいことを言い合った後、実はプレゼンター(以下Aさん)とずっと黙っていた人(以下Bさん)の2人は同期で、BさんはAさんと同じぐらい高い業績を上げているのに、Aさんの方が先に出世して、大事な会議でもプレゼンを任せられるようになっていたのが不満だったと明らかになった。そこから、なぜそういう評価の差が生じたのかについて、会議に同席していたメンバーも、自分や周りの人の体験談を(時にBさんのように怒りを込めながら)語り始める。

 最初は、AさんとBさんの上司に、評価能力の差があるのかと思われた。しかし、さらに話を詰めていくと、どうやらBさんの所属部門は、経営層の中でAさんの所属部門よりも優先順位が低く見られており、その点が評価の差につながっているようだという結論に至った。また、Bさんも決してAさんの仕事ぶりや人格を否定的に見ているのではなく、むしろ優れた能力を持つライバルだと思っていること、そしてAさんも、若い頃Bさんと同じ部門にいた時期に、難しい局面で随分と助けてもらったことに感謝していることをお互いに確認し合った。

 この「対話」では、評価制度の不備や経営陣の意識の問題を変える具体策は出てきていない。しかし、会議に出ている人たちは、自分も日頃何となく感じていた問題を共有し合うことで、言葉にはしがたい一体感・連帯感を感じ、AさんとBさんは会議前よりも前向きなコミュニケーションが取れるようになった。「対話」としてはこれで十分なのである(ちなみに、以上の話は私が即興で作ったフィクションなのでご注意を)。

 多くの「対話」は(6')まで至らないか、(6')でストップしてしまう。「対話」で一番難しいのは、(6')から次に進むプロセスなのである。(6')で止まってしまうと、その場にいる全員が感情的なしこりを残したままとなり、「対話」を始める前よりもひどい状態になる。(6')のフェーズで我慢に我慢を重ね、様々な感情が渦巻くドロドロとした空間を抜け切った時に、初めて「対話」は意味を持つと思うのである。

《補足》
 余談になるが、外交の場における「対話」は、相当な困難を伴うものであろう。なぜならば、「対話」の肝である「感情的な対立」や「取っ組み合いのような喧嘩」という状況を、会議の中で作り出すことがほとんど不可能だからである。もしも、会議の途中で外交官同士が殴り合いなんかをしようものなら、即座に戦争へと発展するだろう。これは見方を変えれば、彼らの中では「対話」と「紛争」が密接しているとも言える。

 本論の中では、紛争地域で「対話」の重要性が説かれることが多く、「紛争」と「対話」が正反対に位置づけられているようだと書いた。けれども、実際には(残念なことではあるが、)「対話」と「紛争」の間に境界線はなく、むしろ「対話」の一部に「紛争」が存在すると捉えた方が適切なのかもしれない。
August 13, 2011

民主党・自民党への個人的な期待と、我々自身がするべきこと(2/2)―『日本の壊れる音がする』

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 (これで最後)

 <自民党に対して>
 自民党に関しては、いっそのこと、いい意味で官僚と癒着し(つまり、官僚をフルに活用し)、筋の通った政策の立案・実行を期待している。それと同時に、自民党には重要なタスクを課したい。それは、今回の東日本大震災をめぐる一連の意思決定プロセスについて、

 ・どの意思決定はOKで、どの意思決定はNGだったのか?
 ・意思決定に至るプロセスで、どのような問題が生じたのか?その問題を引き起こした原因は何だったのか?
 ・意思決定の結果はOKだったが、プロセスに問題があったケースは何か?その場合、どのようなプロセスを踏むべきだったのか?
 ・自民党ならばどのようなプロセスを踏み、どのような意思決定を下していたか?

などといった観点から独自に検証し、震災対応に関する知見を蓄積してもらいたい、ということである。福島原発事故に対する政府の対応を自民党は批判するけれども、原発を推進してきたのは他ならぬ自民党なのだから、今回の大震災から重要な教訓を引き出さなければならない。

 実は、阪神淡路大震災の時も自民党は野党であり(社民党の村山政権だった)、自民党は大型の震災に直面した経験がない。村山政権や菅政権を”反面教師”として、近いうちに必ず起きると言われている東海大震災、首都圏直下型地震に備えてもらいたいのである。

 自民党も、どのぐらいの危機管理能力があるのかは未知数だ。過去には「えひめ丸号事件」をめぐって、チョンボをやらかしている。2001年、ハワイ沖で日本の高校生の練習船「えひめ丸」が、アメリカ海軍の原子力潜水艦と衝突して沈没、日本人9名が死亡する事件が起きた。事件発生時、森喜朗総理(当時)はゴルフ場におり、連絡はSPの携帯電話を通じて入った。

 衝突により日本人が多数海に投げ込まれたことや、相手がアメリカ軍であることも判明していたが、森元総理は第二報、さらに第三報が入るまで1時間半の間プレーを続け、これが危機管理意識上の問題となった(※5)。だからこそ、今回の大震災をめぐる様々な意思決定については、専門のワークグループを立ち上げて、数年を費やしてでもじっくりと検証するだけの意義と価値があると思うのである。

 <我々国民はどうすべきか?>
 我々がなすべきことは、端的に言えば「テレビを見るな」、「幅広い分野に興味を持て」、「情報源を多角化せよ」の3つである。テレビで流れる政治関連のニュースは、どこの局もほとんど同じだし、内容が偏っている。これは、閉鎖的な記者クラブ制度がもたらしている弊害である。

 だから、もっと視野を広げる必要がある。我々はどうしても自分の生活に直結する問題ばかりに関心を寄せがちだが、政治の役割は実に幅広い。いつの時代でも最優先とされるべき課題は、

 ・国家を外敵から守るための軍事・安全保障と、
 ・国内では取得できない資源を海外から得るための資源外交

の2つである。なぜなら、この2つがないがしろにされると、国家が潰れてしまうからだ。これに加えて、

 ・経済成長を実現するマクロ政策や金融政策
 ・政府や自治体の財政健全化
 ・国民の生命や健康を守る医療サービス
 ・高齢社会を支える介護・福祉、ならびに年金制度
 ・今後も経済成長を持続させるために必要な人口構成の実現(具体的には、出産・子育て支援)
 ・子どもたちを、教養と実務能力を備えた日本人へと育て上げる教育制度
 ・上記の政治的課題と関連する各種税制の整備

などが並ぶ。どれ1つをとっても大きなテーマだし、お互いに複雑に関連し合っているため、理解するのは容易ではない。しかし、自分の生活と直結したテーマだけに焦点を絞るのは、近視眼的な捉え方である(経営学でいうところの「マーケティング・マイオピア」ならぬ、「ポリティクス・マイオピア」である)。

 日常生活との関係性が薄く、あまり実感が持てない分野であっても、中長期的に見れば自分たちの生活に跳ね返ってくるものばかりである。したがって、それぞれの分野を理解する努力を惜しまず、自分なりの”座標軸”をはっきりさせることが我々にも必要なのである。

 そのためには、情報源の多角化が必須となる。テレビが論外なのは先ほども述べたが、新聞、書籍、ブログ、ネットニュース、地元の議員の講演会など、幅広いチャネルに目を向けて、様々な情報に敏感にならなければならない。その際に留意すべきなのは、一方のイデオロギーに偏らないことである。新聞であれば、例えば「産経と朝日」といった具合に、思想的傾向が異なるものを2部取るのが望ましい。

 我々は、自分にとって有利な情報や、自分の主張を裏づける情報ばかりを集めたがる傾向がある。心理学では、この傾向を「確証バイアス」と呼ぶ。この「確証バイアス」に陥らないようにするには、敢えて自分の考えとは反対の見解が述べられている情報リソースに目を向けることが有益である。

 自分が好きではない情報に、自ら首を突っ込んでいくことは、非常に苦痛である。だが、同じ論点でも多様な見方があることを知り、バランスのとれた基軸を自分の中に確立するのであれば、この苦痛は避けては通れないものなのである。

(※5)「森喜朗|Wikipedia」の「えひめ丸号事件」の項を参照。
January 29, 2011

日本軍の失敗から意思決定の教訓を引き出そう―『日本軍「戦略なき組織」失敗の本質(DHBR2011年1月号)』

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 DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー2011年1月号のレビューの続き。

戦艦大和特攻作戦で再現する 合理的に失敗する組織(菊澤研宗)
 戦艦<大和>の沖縄特攻作戦をめぐる意思決定プロセスを分析した論文。この作戦については、早い段階から<大和>の燃料不足が指摘されていた。<大和>の積載燃料では沖縄に到着するのがやっとであり、沖縄から帰還できない可能性があったのだ。案の定、いざ実行の段階になって、<大和>を指揮する伊藤長官がこの作戦に反対した。

 しかし、その伊藤長官も、草鹿参謀長と三上作戦参謀の「一億玉砕の魁(さきがけ)になってもらいたい」という一言で沖縄出撃を受け入れてしまう。各艦長向けの作戦説明の場でも、伊藤長官は「我々は死に場所を与えられたのだ」と発言して、艦長たちの批判を封じ込めたという。

 合理的かつ冷静に考えれば無茶だと解っている意思決定にあっさりと人が従ってしまうのはなぜか?著者はオリバー・E・ウィリアムソンの「取引コスト理論」を用いて、「交渉や反論によって誰かの意思決定をひっくり返そうとするには、多大な時間と労力がかかる。その取引コストの大きさゆえに、意思決定の内容が非合理的であっても、人は敢えて沈黙を選択するのである」といった趣旨の説明を展開している。

 私なりに2点ほど補足。まず第一に、人は負けが込んでくると、物質的なダメージの大きさ以上に心理的なダメージを受けてしまい、その心理的ダメージを回復させるべく、昔と同じ戦術(たとえそれが非合理的であっても)に頼る傾向があるらしい。

 この点については、例えばギャンブルで負けが込んできても、いつか負けを取り戻せると信じてお金を賭け続けてしまうギャンブル依存症の人を想像すれば、何となくお解りいただけるのではないだろうか?(同じく菊澤研宗氏が以前DHBRに寄稿した「リーダーの心理会計」『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2006年2月号を参照。同論文では、陸軍大佐・辻政信の心理分析が行われている)。

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 <大和>の沖縄特攻作戦が計画された頃には、すでに日本軍が各地で敗戦を重ねており、さらに特攻隊が多数の犠牲者を出している最中であった。こうした状況が海軍を心理的に追い込み、無謀な作戦へと走らせたとも言えそうである。

 2点目は<大和>の沖縄特攻作戦から得られる教訓であるが、「大義名分が掲げられた時こそ要注意」ということだ。窮地におけるリーダーの役割は、メンバー個々人の利害や動機を超えた共通目的を設定することである。

 リーダーはメンバーがそれまで安住していた世界を一変させようとしているのだから、本当に正しい共通目的であれば、必ずどこかの部分でメンバー個人の利害と対立する。逆に言えば、周囲からの反対意見が出ない共通目的は、むしろ正しくない可能性すらあると言えるだろう。

 リーダーは、それぞれのメンバーの利害に共感し、変革によって失うことになる利害と、変革によって得られるメリットとの間で忍耐強く調整を行う。この作業を通じて、メンバーの関心を共通目的へと束ねていくことが、リーダーには求められるのだ。

 ところが、伊藤長官の「我々は死に場所を与えられたのだ」という大義名分は、軍人たちの利害調整を行う機会を奪ってしまった。大義名分は、一見もっともらしい理由を与えてくれるから非常に厄介だ。伊藤長官が示した大義名分によって、軍人たちは「作戦が失敗しても、国家のために戦ったという示しがつく」、「<大和>を出撃させれば、『海軍にはもう艦はいないのか?』と迫る天皇陛下にも一応の説明がつく」といった具合に、個人的な利害をおかしな形で大義名分に迎合させてしまったのである。

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ノモンハン事件「失敗の教訓」 情報敗戦:本当に「欧州ノ天地ハ複雑怪奇」だったのか(杉之尾宜生)
 日本とドイツの板ばさみにあって窮地に追い込まれていたソ連は、1939年8月に独ソ不可侵条約を締結し、日本への反撃に転じた。これにより、日本軍は極東での主導権を失う。反共のドイツと反ファシズムのソ連が手を結ぶことを日本軍の上層部は予期していなかった。一方、現場レベルでは、同年の4月頃からソ連がドイツに接近しているという情報をすでに入手していたという。

 なぜこの情報が黙殺されたのか?そのいきさつを検証しながら、日本軍の情報敗戦の原因を明らかにする、というのがこの論文の内容である。結論としては、「日本軍には、現場のインフォメーション(情報)をインテリジェンス(知性)に変換する中央集権的な組織が存在しなかったことが原因だ」ということになっている。この結論自体は割とよく聞く話だなぁ、という印象だった。

 企業でも、戦略の立案を目的とした中央集権的な組織を本社に設置することが多い。このスタッフ部門のメンバーは、現場が断片的に持っている情報や、彼らが独自に入手した情報を基に、高度な分析手法を用いて戦略オプションを導き出す。

 だが、こうした中央集権的な組織は、ややもすると現場との乖離を招くリスクも抱えている。現場はスタッフ部門のことを「現場を知らない連中が作った戦略などに従っていられるか!」と反発し、スタッフ部門は現場のことを「戦略の『せ』の字も知らない低レベルな連中だ」と見下すことが往々にしてある。

 個人的には、「現場はインフォメーションの収集に、中央はインフォメーションからインテリジェンスへの転換に特化すればよい」といった簡単な話で片付けられる問題ではないと思う。「じゃあ、どうすればいいのだ?」と言われるとなかなか難しいのだけれども、

 ・現場はインフォメーションだけでなく、インフォメーションから導かれる戦略・戦術オプション(もちろん、現場は戦略立案が本職ではないから、断片的な戦略でもよい。また、戦略まで至らない個別具体的な戦術でも構わない)も合わせて提示する。
 ・本社は、現場から上がってきた戦略・戦術オプションに対して、独自の情報と知見を加えてオプションをブラッシュアップし、各オプションの実効性を評価する。

 といった具合に、現場と本社の棲み分けをいい意味で曖昧にして、両者が有機的に連動するような仕組みを目指す方が賢明な気がするんだな(とっても抽象的だけど、汗)。
October 14, 2010

立案と実行を切り離すからおかしなことになるんじゃない?−『戦略の実現力(DHBR2010年11月号)』

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 今月は戦略の特集。ネタが切れてくるとだいたい戦略かリーダーシップの特集になるのは、ここ数年DHBRを読み続けてきてよく解った(笑)。戦略やリーダーシップをテーマにするにしても、もうちょっとスコープを絞ってほしいんだけどなぁ。今月号で言えば、Spotlightsで取り上げられている「持続可能な経営」をテーマにした論文だけで特集を組んでもいいぐらいだ。

 人づてに聞いた調査結果で裏が取れていないのが申し訳ないのだが、海外の研究では「立案された戦略のうち、実行に移されるのは10%程度にすぎない」という結果が出ているらしい。こうした調査の背景にあるのは、「戦略を立てるのはトップマネジメントの仕事で、現場はそれを実行するだけ」という「立案−実行」二元論である。

 ただ、立案と実行を分離するのはどうも違和感がある。トップが戦略の実行に全く手を貸さないなんてことは考えられないし、現場が戦略の構築に全く貢献しないというのも実態とはかけ離れている。特に日本企業の場合は、現場からボトムアップで戦略が構築されることがあり、ミドルマネジャーが局所的に発生する戦略の調整に一役買っているという側面があるように思える。

 実務家が必要としているのは、組織の階層を越えて、立案と実行がオーバーラップしながら進行するような戦略論、あるいは戦略の実行を通じて得られた情報や洞察、組織能力が戦略の修正や新しい戦略の立案に活用されるような、ダイナミックな戦略論ではないだろうか。

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権力の使い方(ジェフリー・フェッファー)
 権力の有効活用はますます重要になりつつある。むろん、以前に比べて、確実に組織はフラット化し、職務横断チームが増加している。しかし、階層の少ない組織で物事をやり遂げるにはより強い影響力が必要だ。戦略がいっそう複雑化するため、実行力のある執行がより重要かつ困難になる。
 戦略を実行する上で「権力」が重要であることを説いた論文。ここで「権限」と「権力」の違いを整理しておくことは有益だろう。

 「権限」は組織から公式に与えられるものであり、役職や地位に付随している。権限は、使用可能な予算や経営資源の種類、下すことができる意思決定の内容、コマンド&コントロールを通じて影響力を及ぼすことができる人材の範囲を公式に規定する。

 これに対して「権力」はフォーマルな権限を超えた影響力と言える。権限が公式に付与されるのに対し、権力は非公式に獲得するという要素が強い。これまでの業務慣行や組織風土をがらりと変えるような戦略を実行する場合、マネジャーたちに与えられている既存の権限の体系では対処できない事柄が増える。予算を大幅に増やしたり、新しい人材や知的財産を社内外から調達したり、今まで一緒に仕事をしたことがない人たちを統率したりしなければならなくなる。

 このようなケースでは、「権力」を行使しなければならない。権限が公式に付与されるという意味で受動的なものであるのに対し、権力は待っていても誰も与えてくれないのだから、非公式な活動を通じて能動的に獲得するしかない。著者も指摘するように、権力という言葉はそのイメージの悪さゆえに敬遠される傾向があるが、リーダーシップを発揮する上では必要不可欠なパワーなのである。

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意思決定を中心とする組織(マーシャ・W・ブレンコ他)
 多くのCEOは、組織構造−組織図中の職名とライン−こそが財務業績の重要な決め手だと思い込んでいる。将校と同じように、しかるべき部隊の全体をしかるべき場所に配置することが自分の仕事だと考えている。(中略)

 たしかに、経営資源の特質、規模、配置は重要だが、一般通念とは違って、それだけで業績が決まるわけではない。軍事的成功は、少なくとも実際の戦闘力と同程度に、現場で将校や兵士が決断し実行する意思決定の質に左右される。同様に、会社の組織構造により業績が上がるのは、組織の能力が改善し、重要な意思決定が競合他社よりも有効かつ迅速に下され実行される場合だけである。
 ベイン・アンド・カンパニーのパートナー陣による論文。ベインの調査によると、既存の組織を統廃合したり、新しい部門を新設したりするといった、単に組織構造をいじくり回すだけの組織変革は、意図した成果を上げられないという。組織変革を成功に導くためには、意思決定の質を高めるように組織デザインを実施する必要がある、というのが著者の主張である。

 この論文を読んでいて、「組織IQ」の概念を思い出した。組織IQとは、企業の業績と因果関係がある組織能力を測定するために生み出された概念であり、次の5つの因子から構成されている。
(1)外部情報認識(EIA:external information awareness)
 組織の各部門がそれぞれに顧客や競合他社、技術動向など、必要な情報をつかんでいる。

(2)効果的決定構造(EDA:effective decision architecture)
 意思決定が適切な人物によって行われるよう組織・権限が設計され、その意思決定者に必要な知識と能力が正しく配分されている。

(3)内部知識流通(IKD:internal knowledge dissemination)
 組織内で各種意思決定に必要な情報・知識をきちんと共有し、組織の成員が業務知識や過去の失敗例などを学習できる環境が整っている。

(4)組織フォーカス(OF:organizational focus)
 事業範囲や管理対象を限定することで、情報氾濫や過度に複雑な意思決定過程を排除し、組織内の情報処理が最適化されている。

(5)継続的革新(CI:continuous innovation)
 事業遂行能力を継続的に改善していくために、組織内で新たなアイデアや知識を創出する仕組みやインセンティブが制度化されている。
http://www.atmarkit.co.jp/aig/04biz/organizationaliq.htmlより)
 組織構造の変革は、組織をより顧客や市場に密着させ、かつ組織内のタスクや情報の流れを効率化することを目的として行われる。これは組織IQでいうところの(1)と(3)に対応している。ただ、それだけでは(2)に掲げられている意思決定の質の向上に貢献するとは限らない。組織IQの概念に照らし合わせれば、著者はおそらくこのように警告するのであろう。

 (残りの論文は続きで)
October 12, 2010

相手の理解を深めるD・I・E法は職場コミュニケーションでも使えるね−『異文化トレーニング』

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八代 京子
三修社
1998-02
おすすめ平均:
読んでよかった。
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 ダイアローグ(対話)に関する本を読みながら、お互いの価値観の違いに気づき、相互理解を深める具体的な方法は何だろうかとあれこれ考えていたのだが、「外国人とのコミュニケーション」を取り扱った本ならば何かヒントが得られるかもしれないと思って手に取ったのがこの本。実践的なトレーニングがたくさん紹介されており、かなり収穫があった。

<収録されている主なトレーニング>
 ・コミュニケーションの場における自己開示の度合いを知る
  (相手によって自己開示の度合いが変わることを知る)
 ・間接的・婉曲的な表現ではなく、直接的・石畳的な表現を心がける
 ・アクティブリスニングで相手の興味・関心・意図を探る
 ・「わたくし文」(「私は・・・」という表現)で自分の興味・関心・意図を明確にする
 ・非言語コミュニケーションが相手に与える意味を考える
 ・相手の非言語コミュニケーションが発する意味を考える
 ・言動の裏にある自分の価値観・思考プロセスを探る
 ・言動の裏にある相手の価値観・思考プロセスを探る
 ・価値観・思考プロセスの多様性に気づく

 これらのトレーニングは相手が外国人の場合を想定しているが、日本人同士のコミュニケーションでも十分に利用できる。日本人は阿吽の呼吸が得意と言いながらも、明確に言葉にしないがゆえに誤解や食い違いが生じるのは日常茶飯事である。そうしたトラブルを解消するのに、これらのトレーニングを使わない手はない。

 個人的には、「D・I・E法」というトレーニングが特に有益だと思った。D・I・Eは、Description(事実の描写)、Interpretation(解釈)、Evaluation(評価)の頭文字を取ったものである(さすがにDIEでは気まずいので、中黒をつけたのだろう)。

 自分と誰かのコミュニケーションを題材として(ぎくしゃくしたコミュニケーションを題材にした方がいい)、まずは2人の間で観察された事実を箇条書きで列挙する(Description)。そして、それぞれの事実の右側に、その事実に対する私の解釈(Interpretation)と、相手に対する私の評価(Evaluation)を書き連ねていく。一方、左側には相手の解釈と、私に対する相手の評価を書き出す。もちろん、相手の心の内は完全には解らないので、間違っていてもよい。大事なのは、想像でも構わないから、とにかく書いてみることである。

 例えば、ある営業マネジャーと営業担当者のこんなコミュニケーションを題材にしてみよう。
マネジャー(以下A):「最近の調子はどうかね?」

営業担当者(以下B):「得意先のX社の案件ですが、ほぼ受注できそうです。納期は2ヵ月後です」

A:「そうか、製品仕様はもう固まっているだろうね?」

B:「いえ、来週X社ともう一度打ち合わせがあるので、そこで確定させる予定です」

A:「おいおい、納期は2ヵ月後だろう?製造部門には伝えてあるのか?ただでさえ他の顧客の案件で忙しいのに、X社の案件が入ったら混乱するぞ」

B:「製造部門にはまだちゃんと伝えていません・・・ただ、仕様が確定したらすぐに製造部門に渡せるよう、あらかじめ自分でP・Q・Rという3パターンの仕様を用意してX社には提示しておきました。最初はQでいこうという話になっていたのですが、やっぱりRにしてくれという連絡が一昨日ありました」

A:「そんな土壇場で仕様が変わるのか?QとRだと仕様が随分違うぞ?仕様が変わった理由をX社から聞いたのか?」

B:「いえ、X社の担当者も急いでいたようなので、理由までは深く突っ込んで聞いていません。ただ、担当者の話しぶりからすると、大した理由があるようには思えませんでした」

A:「しかも、このRの仕様は・・・これだと製造部門で作れない部位があるだろう?以前使った下請会社にお願いするのか?」

B:「そのつもりです」

A:「あの下請は例外中の例外で使っただけだろう。製造部門がOKを出すとは限らないぞ。だいたい、顧客の言うことをハイ、ハイと聞くのが営業の仕事じゃないだろう?Rに変更する理由がそんなに明確でないならば、当初のQでいきましょうと顧客を説得するのが営業の仕事じゃないのか?」

B:「・・・この案件はどうしたらいいですか?」

A:「そうじゃなくて、君の営業のやり方に問題があると言っているのだ!売上が上がれば何でもいいと思ったら大間違いだと何度言ったら解るんだ?うちでできないことを提案しても顧客に迷惑がかかるだけだ。君はうちの製品のことを全然解っていないな」
 両者のコミュニケーションをD・I・E法で整理するとこんな感じになる。表でまとめるのが面倒だったのと、全部の分析をやるとものすごく長くなりそうだったので、部分的な整理にとどまっている点はご容赦ください・・・
【事実】
 製品仕様を心配するBに対し、Aが「いえ、来週X社ともう一度打ち合わせがあるので、そこで確定させる予定です」と言った。

<Aの解釈>
 X社は得意先だから、すんなり仕様も確定できるだろう。
<Bに対する評価>
 こっちが受注できそうだと言っているのだから、もうちょっと喜んでくれてもいいのに。そんなに自分のことが信用できないのだろうか?

<Bの解釈>
 納期が2ヶ月後だというのに、まだ打ち合わせが必要だというのは、普通では考えられない。
<Aに対する評価>
 得意先であることをいいことに、多少手を抜いても問題ないと思っているのではないだろうか?
【事実】
 納期が未確定であることを聞いたAが、やや焦った口調で「おいおい、納期は2ヵ月後だろう?製造部門には伝えてあるのか?ただでさえ他の顧客の案件で忙しいのに、X社の案件が入ったら混乱するぞ」と尋ねた。

<Aの解釈>
 製造部門は突発的な仕事が入るのをものすごく嫌がるんだ。製造部門から文句を言われるこっちの立場にもなってほしいね。
<Bに対する評価>
 こっちが現場の尻拭いでいつも苦労していることに、Bは全く気づいていないんだな。

<Bの解釈>
 製造部門に仕様の話をすると、あーだこーだ言われて話がちっとも進まないから、X社のスケジュールを優先したまでなのに。
<Aに対する評価>
 結局のところ、Aは顧客よりも社内の事情の方が大事なのだろう。営業会議で「顧客第一」と言っているのは真っ赤なウソだな。
【事実】
 一昨日に仕様がQからRに変わったと聞いて、Aが「そんな土壇場で仕様が変わるのか?QとRだと仕様が随分違うぞ?仕様が変わった理由をX社から聞いたのか?」と驚いて言った。

<Aの解釈>
 納期が間近に迫っているというのに、そんな大幅な仕様変更があるのか?X社の内部では、本当にニーズが固まっているのだろうか?もしそうでないとしたら、X社もいい加減な会社だ。
<Bに対する評価>
 Bの営業活動がいい加減だから、いい加減な顧客しかつかないのだろう。

<Bの解釈>
 X社は朝令暮改で方針がコロコロ変わる会社だから、この時期に仕様が変わってもさほど不思議ではない。Aはなぜそんなに驚いているのだろうか?
<Aに対する評価>
 顧客にだって色んなタイプがあるし、この苦しい市況では顧客を選んでいるヒマもない。自社にとって都合のいい顧客を選ぼうとしているAは、あまりに理想主義的すぎる。
【事実】
 X社の案件の進め方を尋ねたBに対し、Aは「そうじゃなくて、君の営業のやり方に問題があると言っているのだ!・・・」とBを責めた。

<Aの解釈>
 X社が得意先か何だか知らないが、どうせいい加減な会社だろうから失注しても構わない。それよりも、Bの根本的な誤りを指摘しないことには気が済まない。これで何回目だと思っているのか?
<Bに対する評価>
 こっちが口を酸っぱくしていろいろと教えているのに、Bはちっとも失敗から学習しない。

<Bの解釈>
 Aがそこまで言うのなら、X社の案件をどうするかAに決めてほしい。次の打ち合わせまで時間がない。それなのに、今ここで自分の営業活動を責められても正直困る。
<Aに対する評価>
 Aは部下を批判するのは得意かもしれないが、自分で意思決定をしたがらないマネジャーだ。
 上記のケースでは、私自身が架空のスクリプトを考えた上で分析しているので、A・B双方の解釈と評価を書き出すのは困難な作業ではない。しかし、これが自分と誰かの間で交わされた実際のコミュニケーションとなると、一気に難易度が上がる。

 自分の方の解釈と評価はすらすらと書けるのだが、相手側の欄は意外と書けないものだ。自分で実際にD・I・E法を使ってみて、いかに相手の理解が足りていないかを痛感させられた。なお、書けなかった箇所については、自分および相手と直接の利害関係がない第三者に協力を仰ぐとよいと思う。第三者は、中立的な立場から有益なアドバイスをくれる。
September 15, 2010

「個人的な怨讐」を超越した渋沢の精神力−『渋沢栄一「論語」の読み方』

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渋沢 栄一
三笠書房
2004-10
おすすめ平均:
渋沢さんの心、論語の心、それらが相俟って浮き彫りにされていく本
論語を理解するには、不適
論語の入門書に最適でしょう。
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 またまたこの本で1つ記事を書いてみた。「どれだけ引っ張るんだ?」という突っ込みはやめてね。 

 渋沢は何千もの企業や非営利組織の設立、運営に関わっていたから、当然のことながら様々な交渉の場に顔を出す必要があった。しかし、渋沢は今でいうアップルのジョブズみたいなタフ・ネゴシエーターというよりも、その丸顔からイメージされる通りの温厚な性格をいつも崩さなかった。どんなに厳しく難しい交渉であっても、交渉が終わって部屋から出てくる渋沢の表情はニコニコしていたと言われる。とかく交渉のテーブルでは、怒りや憎しみといった個人的な感情が交錯するものだが、渋沢はそうした感情を超えて意思決定をすることができる人物であった。

 『論語』の一番最初の文章は、
 子曰く、学びて時にこれを習う。また説(よろこ)ばしからずや。朋遠方より来たるあり。また楽しからずや。人知らずして慍(いきどおら)ず、また君子ならずや。(学而第一−一)
【現代語訳】 先生がおっしゃった。「物事を学習して日常生活の中で復習する。これは非常に嬉しいことだ。自分と同じく学問を志す友人が遠くから訪ねてくる。これは非常に楽しいことだ。他人が自分のことを評価しないからと言って怒ったりしない。これは君子として立派な態度だ」
である。渋沢は、とりわけ最後の「人知らずして慍ず、また君子ならずや」という部分を重要な教訓として、終生大事にしていたようだ。
 私は今日まで『論語』のこの教訓を肝に銘じてきた。自分の尽くすべきことを尽くしさえすれば、たとえそのことが人に知られず、世間に受け入れられようが入れられまいが、いっこうに気にせず、けっして、慍るとか立腹するとかいうことはせずにきたつもりである。
 怒りは冷静な判断を阻害し、意思決定の質を歪める方向に作用する。そのことを『論語』を通じて知っていた渋沢は、どんな局面でも努めて冷静に振舞うよう、日頃から精神を鍛えていた。いやー、本当に尊敬するなぁ。私なんかは、自分で「果たして意思決定に感情は不要なのか?」という記事を書いておきながら、どちらかというと短気な性格が未だに直らないから、まだまだ人間として未熟だ…。

 前述の通り、渋沢は怒りの感情を封印していたとはいうものの、渋沢が争いごとを好まなかったわけではない。むしろ、他人と争うことには肯定的であり、やるからには徹底的にやるという覚悟も持っている。
 私も若いときから争わねばならぬことにはずいぶん争ってきた。威望天下を圧していた大久保利通大蔵卿とも侃侃諤諤の議論を闘わしたこともある。八十の坂を越した今日でも、私の信じるところをくつがえそうとする者が現れれば、私は断乎としてその人と争うことを辞さない。私が自ら信じて正しいとするところは、いかなる場合にも、けっして他人に譲るようなことをしない。
 渋沢の考えと真っ向から対立する人物の代表格が、三菱の創始者・岩崎弥太郎である。渋沢は多数の株主から出資を募る「合本主義」を唱え、合議による経営を是としていたのに対し、岩崎は自らが資本も経営も独占するという典型的な「専制主義」の立場をとっていた。

 両者の対立が最もヒートアップしたのは、三菱の独占的な海運事業に対抗して、渋沢と井上馨らが共同運輸会社を設立した時であろう。2社は熾烈な値引き合戦を繰り広げたため、ついには双方の経営が危うくなるほどであった。共倒れを回避したい渋沢は、最終的には2社を合併することで決着させる。こうして生まれたのが、現在の日本郵船である。

 だが、渋沢がいくら争いごとで立腹しないといっても、これほどの過激な争いをいつも続けていたら、さすがに身がもたないだろう。渋沢は、基本的には臨戦態勢を見せているものの、ほどほどでやめることも心得ていたようだ。
 私の多年の経験によれば、自分と処世の流儀が全然違う人に対しては、どれほど自分の意見を述べて同意させようとしてみても、それは聞き入れられるものではなく、無駄な努力に終わる。釈迦も「縁なき衆生は度し難し」と言っている。
 では、渋沢が師と仰ぐ孔子はどうなのか?『論語』の文章を丁寧に読んでいくと、面白いことに気づかされる。
 子曰く、吾知ること有らんか、知ることなきなり。鄙夫(ひふ)あり、来たりて我に問う、空空如(くうくうじょ)たり。我れその両端を叩き而して竭(つく)せり。(子罕第九−八)
【現代語訳】 先生がおっしゃった。「私はあらゆることを知っているだろうか。いや、そんなことはない。卑しい男が私のもとにやって来て、真面目な態度で質問するならば、私は自分の頭を隅々まで叩いて、納得するまで答えてやるつもりだ」
 孔子も、相手が誰かを問わず、知恵を絞って真摯に教えることを基本姿勢としている。ただし、これには「相手が真面目な態度であること」という条件がついている。

 別の箇所では、孔子は次のように述べている。
 子曰わく、狂にして直ならず、侗(どう)にして愿(げん)ならず、悾悾(くうくう)として信ならずんば、吾れこれを知らず。(泰伯第八−十六)
【現代語訳】 先生がおっしゃった。「志は大きいのに正直でなく、無知なのに真面目でなく、無芸無能なのに誠実でないような人は、私でもどうしようもない」
 孔子はどんな人であっても教えを授ける、というわけではないことがこの一文からも伺える。性格に問題を抱えている人間は自分の手に負えない。孔子ですら、あっさりと切り捨てているのである。

 孔子は自らが理想とする政治の実現に尽力したが、孔子が生きた時代は春秋・戦国という動乱の世である。低俗な動機で動いている人間も少なくなかったはずだ。彼らに孔子のような高潔な考えはなじまない。よって、孔子は自分の主張が受け入れられず、しばしば諸国を転々とせざるを得なかった。

 渋沢が生きた幕末から明治も、社会構造が大きく変わったという点で春秋・戦国時代と共通している。孔子の教えに従った渋沢もまた、何度か苦い経験を味わっている。その1つが「王子製紙乗っ取り事件」だ。

 渋沢は、自らが社長を務める王子製紙の増資の件で、大株主である三井に相談をもちかけた。三井のトップである中上川彦次郎は、増資に同意する代わりに、藤山雷太を役員として派遣する約束を交わした。ところが、役員になった藤山は、社内政治を巧みに利用して渋沢をはじめとする旧経営陣を一掃してしまったのだ。

 ただ、渋沢がすごいと思うのは、「君とは馬が合わないからハイさよなら」と簡単に関係を断ち切るようなことがない点である。
 しかし、あまり早々と見切りをつけるのもよくない。縁が切れてしまえば、いかに主人に欠点を改めさせよう、友人の欠点を矯正してやろうと思っていても、不可能である。絶交してしまったりするよりも、その関係を絶たぬようにしていれば、長い歳月のうちには、よい機会があって多少なりとも、アドバイスできることもあるものである。
 実際、先ほどの藤山雷太に関して言えば、大日本製糖(現大日本明治製糖)が汚職事件を起こして経営に行き詰った際に、渋沢が会社再建のキーマンとして藤山を指名しているくらいだ。かつて自分を社長の椅子から蹴り落とした人間を推薦するとは普通では到底考えられないことだが、渋沢はあくまでも個人的な感情を差し置いて藤山の能力を買ったのである。(※)

(※)中野明著『岩崎弥太郎「三菱」の企業論−ニッポン株式会社の原点』(朝日新聞出版、2010年)
August 06, 2010

地位パワーがなくてもリーダーシップは発揮できる(2)−『静かなる改革者』

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デブラ・E・メイヤーソン
ダイヤモンド社
2009-07-03
おすすめ平均:
なんのこっちゃ?
改革の旗手を待ち望んでいるだけの人々への貴重な提言
自己に忠実に、静かに抵抗する
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 (前回の続き)

(2)ダイバーシティマネジメント、女性活躍推進の担当者
 この本はリーダーシップの本ではあるが、企業でダイバーシティマネジメントを推進している担当者にとっても有益な情報が含まれている。というのも、同書で分析の対象となっているリーダーは、女性社員を始めとして、黒人やアジア人などの有色人種、さらにはゲイやレズビアンといったマイノリティに該当する人々だからである(おそらく、同性愛者を取り扱ったリーダーシップの本は、日本ではこの本以外にほとんどないだろう)。

 本ブログでも、これまで何度かダイバーシティマネジメントについて論じてきた。日本の場合、まずは女性社員の活用からスタートすることが多い。しかしながら、ワークライフバランスを考慮した働きやすい職場作りや、ワーキングマザーのコミュニティ形成などで止まっているケースが多く、欧米に比べると大きく出遅れていると言わざるを得ない。

 本気で女性活用するならば、コミュニティ形成だけではなく業務改革すべき
 法定の育休と時短制度を整備して満足してるようじゃ女性活用は進まない

 マイノリティが社内で活躍の場を広げるためには、単に福利厚生をいじったりネットワークを構築したりするだけでなく、日常業務のあり方を構造的に変える必要がある。マジョリティの価値観に沿って構築されている職務分担、権限配分、業務プロセス、意思決定の方法、仕事のルール、慣行、人事評価の基準などを洗いざらい点検し、マイノリティの価値観と共存できるように再構築していかなければならない。

 本書には、そのような日常業務の改革事例が多数登場する。例えば、ある企業はハードワークが当たり前とされる職場であり、毎週土曜日に経営会議が開かれる慣行があった。ところが、仕事と家庭のバランスを大切にする役員が加わったことがきっかけで、会議日程のルールの見直しが始まる。

 この問題は、平日に経営会議をずらせば済むような簡単なものではなかった。平日に会議を開催すると、今度は役員が部下とコミュニケーションする時間を失い、平日の業務に支障が出るからだ。

 前述の新しい役員も、毎週子どもと遊ぶ必要があるとまでは思っていなかった。そこで、月に1回は平日開催とし、その際には会議の途中で数時間の休憩を挟むことにした。この休憩時間中に、各役員が部下と電話やメールのやり取りを行うことで、日常業務をストップさせずに経営会議を進めることが可能になったという。

 この事例からも解るように、ダイバーシティマネジメントの実践にあたっては、日常業務のかなり細かいところまでメスを入れる必要がある。本書で取り上げられている数多くの事例は、日本企業でダイバーシティマネジメントに取り組む人々にとって大きなヒントとなるに違いない。

(3)日業業務に対する怒りや不満がいっぱいで、今にも爆発しそうな人たち
 日々仕事をする中で、組織の論理に押しつぶされそうになっている人たちは少なくないだろう。組織に譲れない価値観があるのと同じように、社員にも譲れない価値観がある。両者の価値観がせめぎ合う時、社員は強いフラストレーションを感じるものだ。

 だからといって、怒りに任せて何か行動を起こしても、あまりいい結果は得られない。最悪の場合、今までの成功を棒に振ることになる。過去の記事「果たして意思決定に感情は不要なのか?」でも書いたように、怒りは合理的な意思決定を歪める副作用がある。反射的な行動は表面的な問題を解決するかもしれないが、実はその場しのぎで終わる可能性が高い。

 ただし、怒りが合理的な意思決定を妨げるということは、怒りが全く無用であることを意味するわけではない。またしても過去の記事の紹介で恐縮だが、「感情は問題提起のサインである」で述べた通り、怒りは表層的な事象の裏に隠れている構造的な問題の存在を知らせるサインである。本書の著者は次のように助言している。
 身近な出会い(※ここでは、自分の価値観やアイデンティティを脅かす他者の言動を意味する)の背後にある、より大きな問題やその他の手法を追求する努力があれば、広範囲にわたる学習機会をもたらすことができただろう。そのためには、交渉を行うときと同じような広い視野や影響力を手にするための意識的なプロセスが必要である。

 (中略)加えてこれは、対立する利害や立場、懸念、影響力の源泉、問題の別の観点からの意味づけなどを考えることでもある。交渉には規律と行動が必要だ。つまり、人々は問題が展開するプロセスに関与しなくてはならない。
 怒りを感じたらいきなり条件反射で感情をぶちまけるのではなく、一旦深呼吸して今起こっていることをよく観察し、多少なりとも時間を稼いで本質的な解決策を導くよう精神をコントロールすることが必要と言える。

 仕事のフラストレーションが溜まって爆発寸前の人たちにこの本を読む時間的余裕があるのかどうかちょっと疑わしいが、もし何かのきっかけでこの本を見つけたら、頭と心を整理するためにも是非一度読んでほしいと思う。1回の不満爆発でキャリアが台無しになるとしたら、それはあまりにもったいないことだ。
August 04, 2010

地位パワーがなくてもリーダーシップは発揮できる(1)−『静かなる改革者』

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デブラ・E・メイヤーソン
ダイヤモンド社
2009-07-03
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なんのこっちゃ?
改革の旗手を待ち望んでいるだけの人々への貴重な提言
自己に忠実に、静かに抵抗する
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 副題の「『しなやか』に『したたか』に組織を変える人々」を見て、田中康夫氏がかつて長野県知事に就任した際に掲げた「しなやかな県政」というスローガンが曖昧すぎると批判されていたことを思い出した。田中県政の実態について私はよく知らないのだが、この本は実例が豊富なので、著者が副題で言わんとする意味は読者に十分伝わるのではないかと思う。

 以前の記事「大事なのはリーダーシップのスタイルじゃないということ−『静かなリーダーシップ』」で紹介したジョセフ・バダラッコの著書と同様、この本もトップダウンのリーダーシップではなく、ボトムアップのリーダーシップに焦点を当てている。ただし、『静かなリーダーシップ』がトップと現場の板ばさみの中で倫理、道徳に関わる意思決定を求められるミドルマネジャーを扱っているのに対し、同書のターゲットはもっと広く、組織のありとあらゆる階層(非管理職も含む)で観察される草の根的なリーダーシップを論じている。

 著者はトップダウンのリーダーシップを否定してはいない。むしろ、トップダウンとボトムアップのリーダーシップは補完関係にあると断言する。同様の主張は『静かなリーダーシップ』を含む他のリーダーシップの著書でも見られるものだ。このように2つのリーダーシップが重なり合って組織が発展して行く様子は、「デュアル・スタンダード・リーダーシップ」とでも名づけることができるのではないだろうか?

 この本は、下記の3つのカテゴリに該当する人たちに有益なアドバイスを提供してくれると私は思う。

(1)役職に就いていないとリーダーシップは発揮できないと思っている若手社員
 リーダーシップをめぐる誤解の1つに、「リーダーシップは役職や地位に紐づいている」というものがある。もちろん、役職や地位によって与えられる権限や権力が、変革を推進する上で重要なリソースとなることは否定できない。しかし、リーダーになるためには必ずしも地位や役職が必要ではないこと、極端な話をすれば新入社員だってやろうと思えばリーダーシップを発揮できることを本書は教えてくれる。

 著者は、地位や役職を持たない人たちがリーダーとなるための5つの戦略を整理している。(A)から順番に影響力の範囲が広くなるが、その分、難易度も高くなる((A)〜(E)のタイトルは同書から引用、補足説明は同書の内容を基に私がまとめた)。
(A)自己に忠実に、静かに抵抗する
 組織の価値観に同調しつつも、自分の価値観や信念、アイデンティティを表す言動によって静かに抵抗する。例えば、長時間のハードワークが当たり前の職場で働く人が、自分のデスクの上に家族の写真を飾るなど(「自分は仕事と家庭を両立したい」と願っていることをひそかにアピールしている)。

(B)個人の危機をチャンスに変える
 自分の価値観やアイデンティティを脅かす周囲の侮辱的、攻撃的な言動を、双方にとっての学習機会に変える。例えば、ある男性社員と女性社員が同じように高い成果を上げているのにもかかわらず、男性は優秀と評価され、女性は傲慢とレッテルを貼られる現状に対して、女性側が評価のダブルスタンダードの存在を指摘し、男性・女性がお互いに納得のいく評価を行うといったケースが該当する。

(C)交渉を通じて影響力を拡大する
 (B)が個人間の関係におけるリーダーシップであるのに対し、(C)はもう少し組織的な意味合いが強くなる。つまり、時間をかけて戦略を練り、その場での最善の対応はもとより、多くの社員に対して幅広い学習機会を生み出すリーダーシップである。同書では、フェアトレードのプロジェクトを進める社員が、R&D部門・購買部門と交渉する事例が登場する。

 この社員は、プロジェクトの優先度を低く見ている両部門に対し、経営陣の肝煎りだからと押し付けるのではなく、両部門にとっての阻害要因を探る話し合いの場を持ちかけた。すると、R&D部門はフェアトレードで購入する原料に保存料が使われておらず、品質や消費期限が読めないため、製品開発に活用したがらないこと、また購買部門の社員は調達コストの低さで評価されるため、一般の原料よりも割高なフェアトレードはやりたがらないことが判明した。

 そこでこの社員は、両部門と協力して製品開発プロセスや社員の評価基準を見直すことにした。1つのプロジェクトが他部門の従来の業務や制度の中身までも変えてしまったという例である。

(D)小さな勝利を活用する
 簡単に言うと、表面的には組織の論理に従いながら、実際には組織の規範からは逸脱する既成事実を積み上げ、最終的には組織の論理をひっくり返すというものである。著者は、従来の(=白人重視の)採用プロセスにのっとりながら優秀なマイノリティを20年に渡って積極的に採用し、結果的に全社的なダイバーシティマネジメントを実現させた人事担当者の例などを紹介している。

(E)集団行動を組織する
 これはちょっとリスキーな戦略である。危機やチャンスが差し迫っている時、また共通の利害を有するメンバーの組織化が見込める時は、思い切って集団行動に出ることが有効であると著者は言う。

 同書には、MITで性差別に悩む女性研究者が結束し、学長に直談判して性差別の実態解明に向けた委員会の発足を求めるという事例が取り上げられている。この事例では、訴訟などの敵対的な手段が用いられることなく、学長と女性研究者の双方が前向きに問題解決に当たった。この経験を活かして、MITは2001年1月に「科学とエンジニアリング分野における女性研究者」をテーマに、他大学の関係者を招いてサミット会議を開催したそうだ。
 (残り2つのカテゴリについてはその2で)
July 29, 2010

社会的利益が明確でない場合の合意形成は超難問だなぁ−『合意形成の倫理学』

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 今月に入ってから、当ブログでは合意形成に関する本を2冊紹介した。

 「みんなの意見」が案外正しくなるためには、個人が自立していないとダメ・・・(A)
 合意形成の実践的手引書だね−『コンセンサス・ビルディング入門』・・・(B)

 (A)で取り上げたジェームズ・スロウィッキーの『「みんなの意見」は案外正しい』は、個々人の多様な意見を集約し、正しい解を導くための仕組みとして、「市場原理」に着目している。ただ、市場原理が有効であるためには、2つの条件が揃っていなければならないと私は思う。1つは「選択肢が明確であること」、もう1つは「選ばれた選択肢の正しさを確認する方法があること」である。

 例えば、(A)の記事で引用した「選挙結果の予測市場」では、選択肢が立候補者という形で明確に示されているし、予測が正しかったかどうかは選挙後に当選者を見れば解る。また、ヒューレット・パッカードが社内に設けた「プリンタ売上の予測市場」も、金額の刻み方によって選択肢が増えるものの、一応選択肢をきちんと示すことができるし、どの選択肢が正しかったかのかは、期末の業績評価に照らし合わせれば判明する。

 しかしながら、現実の世界では、選択肢がもっと複雑である場面も少なくない。(B)で紹介したローレンス・E・サスカインドらの『コンセンサス・ビルディング入門』がターゲットとしているのは、この手の複雑なケースである。

 同書には、アメリカのある町の生誕200周年記念行事のプログラムを企画するという架空のケースが登場する。記念行事をお祭りとして楽しく盛り上げたいグループ、町の歴史を(民族抑圧という)負の部分も含めて市民に紹介する教育的な行事にしたいと思っているグループ、町の政治家も絡めて政治活動の一環にしようとするグループ、町に住む少数民族のアイデンティティをアピールする場を望んでいるグループなど、この企画には様々なステークホルダーが関わっている。

 彼らがやりたいことを全部詰め込むと、とてもではないが記念行事のスケジュールに収まらない。そこで、各ステークホルダーの利害を調整しながら、どのグループも満足できるような企画内容に仕立て上げていくのがこのケースのストーリーである。

 この場合、どういう記念行事がよいかという選択肢を事前にはっきりと示すことはできない。あくまでもステークホルダー間の条件取引を通じて、選択肢が徐々に形成されていくのである(同書では「パッケージ化」という言葉が使われている)。

 一方で、その選択肢が正しかったかどうかは、各ステークホルダーが合意した案に納得しているかどうかで判断することができる。数学的な処理が好きな人ならば、それぞれの利害関係者の利益をパラメーター化し、町全体の利益が最大になるように各パラメーターの値を調整する方法を生み出すに違いない。

 一番厄介なのは、「選択肢が非常に複雑」であり、かつ「形成された選択肢の正しさを判断することが非常に困難」なケースである。『合意形成の倫理学』で著者が取り上げているのは、安楽死や代理懐胎の是非、宗教対立などといった難易度の高い社会問題である。

 代理懐胎に関して言うと、生殖補助技術の発達によって、現在では様々なパターンの代理懐胎が可能になった。同書では以下の6パターンが紹介されている。

 (1)夫の精子、妻の卵子、他人の腹
 (2)夫の精子、他人の卵子、妻の腹
 (3)夫の精子、他人の卵子、他人の腹
 (4)他人の精子、妻の卵子、妻の腹
 (5)他人の精子、妻の卵子、他人の腹
 (6)他人の精子、他人の卵子、妻の腹

 この場合、母親は誰かという問題が生じるのだが、現行民法では「生んだ人=母親」ということになっており、(1)、(3)、(5)では妻と子どもの間に母子関係が認められない。仮に代理懐胎を認めるとして、どのパターンにおいて妻と子どもの間に母子関係を認めるかとなると、これは非常に難しい問題である。単にどのパターンがOKかを決めるだけでなく、どういう事情の下で代理懐胎を行ってもよいか(夫婦の身体の状況、治療の内容や期間、医師の見解などに応じて代理懐胎の可否を決める)という判断も絡めると、頭が痛くなるほど選択肢は複雑になる。

 著者によると、法哲学者のジョン・ロールズは、一切の利害・関心を排除し「無知のヴェール」をかぶって最初の投票を行うことを勧めているという。
 彼らは、様々な選択対象が自分に特有の事情にどのように影響を与えるのかを知らないし、ただ、一般的な事由にもとづいてのみ原理を評価せざるをえない。そこで、当事者は、ある種の特定の事実を知らないと仮定する。まず、自分の社会における位置とか階級上の地位とか社会的身分を誰も知らない。また、生来の資産や能力の分配に関する自分の運、つまり、自分の知性や体力等々についても知らない。また、自分の善の概念とか、自分の合理的な人生計画に特有の事柄とか、危険回避度あるいは楽観論に陥りやすいかといったような自分の心理に独特の特徴でさえも、誰も知らない。これに加えて、当事者は、自分の属す社会に特有の環境についても知らないと、私は仮定する。つまり、彼らは、その経済的、政治的状況とかこれまでに達成できた文明や文化の水準を知らないのである。
(ジョン・ロールズ著、矢島釣次監訳『正義論』、『合意形成の倫理学』より引用した)
 ロールズは我々に対して、完全に中立的な視点(神の視点と言ってもいいぐらいだ)から意思決定することを求めている。しかし、これはちょっと楽観的過ぎるように思える。そもそも、ロールズがいう無知な人間の設定があまりに非現実的だ。我々はむしろ、利害を抱えているからこそ、合意形成のプロセスにおいてその利害を調整しようとする気持ちになるのではないだろうか?

 代理懐胎をめぐる合意形成を難しくしているもう1つのポイントは、代理懐胎を認めることによって得られる、あるいは失われる社会的利益が不明瞭なことである。つまり、選択肢の正しさを確認するのがとても難しいのである。

 代理懐胎は人間の尊厳に関わる問題だとも言われるが、人間の尊厳の大きさや重要性をどうやって推し量るのか?また、代理懐胎によって複雑化する母子関係が社会に与える負の影響をどこまで正確に見積もることができるのか?さらには、生まれてくる子どもの利益は誰が代弁し、どうやって社会的利益に反映すればよいのか?これらのことを考え出すと、もう頭が割れそうである。

 宗教対立も非常に難易度が高い社会問題の典型例である。特に、イスラム原理主義をめぐる問題は世界的にインパクトが強い。今年に入ってからも、パレスチナのガザ地区に支援物資を届けようとしたトルコの船がイスラエルによって襲撃されるという事件が起きた。ガザ地区はイスラム過激派であるハマスの居住地域であり、イスラムVSユダヤの根深い対立がまたしても浮き彫りになった形だ。

 著者はドイツの哲学者ハンス・ゲオルク・ガダマーの主張を踏まえ、こうした宗教対立を解決するには、各宗教の古典的テキストの深い理解を通じて、「解釈学的破壊」を起こす必要があると提唱している。つまり、排他的になっているそれぞれの宗教の狭くて古い枠組みをぶち壊し、我々が根源の部分でお互いにつながっていることを確認するというものである。
 ガダマーの言いたいことは、「われわれが、お互いを経験し、歴史の伝統を経験し、われわれの実存や世界での自然の出来事を経験するそのありようも真に解釈学的宇宙を形成している」ということ、すなわち、われわれの相互理解、歴史理解、実存体験、自然経験のすべてが「解釈学的宇宙」すなわち、古典のテキストとの対話的関係のなかにあるということである。
 この解決策は聞こえはいいかもしれないが、何千年という長い歴史の中で蓄積されてきたテキストを再解釈しようと思ったら、膨大な時間と大量の研究者が必要になってしまう。しかも、インターネットを通じて解釈が爆発的に増えて行くことを考えると、果たして現実的な方法と言えるかどうかは個人的に疑問が残るところである。彼らが書庫にこもってテキストと向き合っている間にも、各地で紛争やテロが起き、市民の生活が脅かされ、多数の犠牲者が出ているのである。

 何だか批判ばかりで自分なりの代替案を提示できていないのが歯痒いのだが、ここまでで既に頭がパニック状態になりかけているので、本エントリーはこれにて一旦終了。

《追記》
 こういう本を読むと、学生時代にもっと政治学、倫理学、哲学を真面目に勉強しておけばよかったと後悔するんだよなぁ。文系科目は社会に出てからその有用性と重要性に気づかされるものだ。
July 19, 2010

合意形成の実践的手引書だね−『コンセンサス・ビルディング入門』

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ローレンス・E.サスカインド
有斐閣
2008-04-11
おすすめ平均:
具体的、実践的、体系的
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 何度かダイアローグのプロセスについて取り上げてきたが、何となく表面的なプロセスをなぞっているだけで、ダイアローグがどのように変化を創出するのかについてはほとんど書けていない気がしていた。例えて言うならば、自動車の部品構造については説明したが、それらの部品がどのように作用し合って動力を生み出しているのかについては言及していないような感じだった。

<過去のダイアローグに関する記事>
 ダイアローグの4プロセスを整理してみた−『ダイアローグ−対立から共生へ、議論から対話へ』
 ピーター・センゲのU理論を再解釈してみた(1)−『出現する未来』
 ピーター・センゲのU理論を再解釈してみた(2)−『出現する未来』

 そこで、「もっと実務的な観点からダイアローグを扱った本はないか?」と探してたどり着いたのがこの本。タイトルに「コンセンサス・ビルディング(合意形成)」という言葉が使われ、取り上げられているケースも「公共政策」に関するものではあるが、ダイアローグの理解を深める上では十分に有益な本であった。

 「合意形成」というと、全員が納得するような意思決定を指しているようなイメージがあり、「そんなのは非現実的だ」と言いたくなるのだが、同書ではこの出発点をうまく変えている。つまり、合意形成とは「ほぼ全員の同意」であり、「合意しないよりは合意した方が各ステークホルダーにとって利益となる状態」を作り出すことだとしている。これはかなり実務的な定義だ。

 訳者の補論には、「同床異夢」という言葉が出てくる。お互いの利害(=夢)が一致する必要はないが、相互に共存できる状態を目指すのが合意形成であるという。そうか!デビッド・ボームが『ダイアローグ−対立から共生へ、議論から対話へ』の中で、「お互いの『見解』を合致させることは必ずしも必要ではなく、『意味』を共有することが重要である」と述べたのは、こういう意図だったのかもしれない。

 「合意しないよりは合意した方が各ステークホルダーにとって利益となる状態」は、それぞれのステークホルダーが持っている複雑な「利害」を、様々な「取引」を通じて調整することで達成されるという。取引の際の具体的なやりとりも、架空のケースを用いながら丁寧に記述されているのが読者にとっては嬉しい。その意味でも、同書はダイアローグの「動力」にまで踏み込んだ良書であると思う(欲を言えば、例示にとどまらず、利害の取引方法についてもっと一般化された解説があるとよかったが…)。

 かといって、同書では合意形成の「プロセス」が軽視されているわけではない。むしろ、属人的で個別対応になりがちな合意形成に、割と厳格なプロセスを導入しようとしている(※)。例えば、合意形成を行うメンバーを選定するにあたって、「紛争処理アセスメント」という手続きを踏み、利害関係のある組織・団体と彼らの利害をモレなく洗い出し、各ステークホルダーの利害を的確に代表するメンバーを選出することを勧めている。

 また、合意内容を文書にまとめた後、メンバーが文書を所属元の組織・団体に持ち帰って承認を得る(=単にOKをもらうのではなく、文書に印鑑をもらう)ことの重要性を説いている(もちろん、所属元から異論が出れば、メンバーはそれを合意形成の場にフィードバックし、合意内容を修正する)。

 そして、最終的な合意文書に対しては、各ステークホルダーの承認に加え、合意形成に参画したそれぞれのメンバーも個人として承認を下すことを求めている。当たり前といえば当たり前のことだが、後から合意内容を不合理な理由でひっくり返されないためにも、こういう手続はとても大事だ。

 日本にはもともと根回し文化があり、欧米人に比べれば合意形成には慣れている方だと思う。ちょっと話が脱線するが、城山三郎の小説『雄気堂々』(下)には、大隈重信が「八百万の神達、神計りに計らいたまえ」という言葉を引き合いに出して、様々な能力を持った人々をかき集め、ありとあらゆる角度から議論を行って、新しい国家の仕組みを作り上げていく様子が描かれている。

城山 三郎
新潮社
1976-05
おすすめ平均:
城山歴史小説の隠れた佳作
日本初の財界人
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 企業経営でも政治でも、根回しは意思決定を左右する重要な要素である。だから、本書を読む人の中には、「日本人にとっては当たり前の内容ではないか?」と感じる方もいらっしゃるかもしれない。しかし、全ての根回しがうまく機能しているわけではない。前述した通り、往々にして非公式に行われる根回しは属人的で場当たり的である。特定のステークホルダーを意図的に外して、利害が近い者同士で合意形成を進め、既成事実を作ってしまうというケースも多々見られる。

 訳者の補論では、日本の公共政策における合意形成の現状が記述されている。これを読むと、日本でも合意形成が必ずしもうまくいっているとは言えないことが解る。一つには先ほど述べたステークホルダーの選出に関する問題があるが、もう1つの問題として、「形式的なプロセスを重視しすぎている」という点も指摘されている。

 「手続が公正ならば、その結果も公正である」という手続き的正義を支持する行政側は、合意内容の「正統性」を担保するために、プロセスを厳格にしようとする。しかし、この形式主義が、合意形成の本来のメリットである「柔軟な利害調整」を妨げているのである。

 私は民間に身を置く立場なので、企業やNPOなどで役に立つダイアローグ、合意形成の方法を構築したいと思っているのだが、日本の行政と同じ轍を踏まないよう気をつけなければ、と気を引き締め直したところだ。

(※)日本ではあまり馴染みがない(私も恥ずかしながら知らなかった)のだが、アメリカには多数決原理に基づいて意思決定を効率的に進めるための「ロバート議事規則」という詳細なルールブックが存在する。

 しかし、あまりにルールが細かく定められているために、意思決定が形式主義に陥りやすいという欠点がある。著者のローレンス・E.サスカインドも、「ロバート議事規則」の反省を十分に踏まえ、合意形成に形式的なプロセスを導入することには慎重になっていることがうかがえる。
July 12, 2010

「みんなの意見」が案外正しくなるためには、個人が自立していないとダメ

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ジェームズ・スロウィッキー
角川書店
2006-01-31
おすすめ平均:
『投資苑』嫁
この本の要約
集合知 集合愚
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 同書の冒頭にも書かれているが、従来は集合知に対して否定的な見解を示す研究が少なくなかった。代表的なものが、ウィリアム・ホワイトが1950年代に「集団思考」と呼んだ現象である。集団で意思決定を行う際に、発言権の強いメンバーが含まれていると、意思決定プロセスの質が下がり、不合理な結論に到達することがある、というものだ。だが、最近ではオープンなネットワークによるイノベーションやシステム開発がそれなりに成功を収めるようになり、集合知は「案外正しい」と認識されつつある。

 しかし、この「案外正しい」という微妙な表現が意味するように、集合的知性が正しく機能するための条件は結構厳しい。同書ではその条件として、(1)多様性、(2)分散性、(3)独立性、(4)集約性という4つを挙げている。(3)独立性とは、「個々の意見が他の意見に影響を受けないこと」を指すが、我々が社会的動物である限り、他者からの影響を完全にシャットアウトすることは非常に難しい。また(4)集約性とは、「様々な意見を1つにまとめ上げる仕組みがあること」を意味するのだが、失敗するオープン・ネットワークはメンバーの意見を取捨選択するガバナンス機能を欠いており、ありとあらゆるアイデアや改善案を盛り込もうとして頓挫する。

 ただし(4)集約性については、同書で解決の方向性がある程度示されている。興味深いことに、「市場原理」を導入することで、正しい集合知を入手できるケースがあるというのだ。例えば、アイオワ大学ビジネスカレッジが運営しているIEMプロジェクトは、アメリカ国内の大統領選、連邦議会選、知事選はもとより、海外各国の選挙に至るまで、あらゆる選挙結果を予測する市場を設けている。

 トレーダーは、各候補者の最終得票率を予測して、先物取引の形で売買を行う。例えば、オバマ氏の最終得票率を50%と予測したら、50セントで「オバマ」という商品を購入するイメージだ(実際のオバマ大統領の最終得票率は52.5%だった)。もしこの市場がうまく機能していれば、各候補者の最終的な取引価格が最終得票率に近くなるはずだ。同書によると、IEMは世論調査より正確な予測をしているという。これはなかなか面白い。

 それならば、企業の意思決定にも市場原理を導入できないものか?例えば、複数の候補者から誰を採用するか、今年のクリスマス商戦にはどの新製品で挑むのか、基幹システムの刷新をどのITベンダーに依頼すればよいか、などといった意思決定は市場原理に委ねることができる。とはいえ、本当にそんなことをしている企業はあるのだろうか?

 いや、あった!ヒューレット・パッカードである。同書によると、HPは1990年代後半にプリンタの売上予測を社内市場で行った。各部門から満遍なく集められた社員が、翌月もしくは翌四半期の売上予測に基づいて株の売買を行う。市場が開設されていた3年の間、この市場の予測は他のメソッドを使った自社の予測よりも75%の割合で正確だったそうだ(現在でもHPが社内市場を使っているかどうかは、残念ながら同書からは解らない)。

 ただし、仮に(4)集約性が上記のような市場原理で解決したとしても、問題なのは(3)独立性である。集約する仕組みが整っていても、集約するための「多様な意見」がないことにはどうしようもない。単に投票するだけの意思決定ならまだしも、選択肢がもっと複雑な場合は(言うまでもなく、実際にはそういうケースの方が圧倒的に多い)、選択肢を洗い出す段階でつまづく可能性がある。

 (3)独立性は、それぞれの意見から他者の影響を排除することを要求するが、前述したように社会的動物である我々がお互いから完全に独立することは極めて困難である。そうなると、もはや「独立であろうとするマインド」に賭けるしかない。端的に言えば、個々人の「自立心」が求められるということだ。会社の会議であれば、それぞれの参加者が他者の考えや批判などに左右されずに、これだという意見を自分で持っていなければならない。

 例え自分の意見が完全にまとまっていなくても、また自分の考えに確信が持てなくても構わない。とにかく、自分の意見を表に出さないことには何も始まらないのだ。「間違いを周囲から責められるのが恐いから」とか、「自分は下っ端の人間だから発言してもムダだ」などと思っていると、会議は簡単に集団思考へと流れていってしまうのである。

 限られた上層部の人間が意思決定を行い、現場はそれを実行するという従来のマネジメントに対して、現場の人間も意思決定の場に加えるという「参画型マネジメント」が時々話題になる。参画型マネジメントのメリットとしては、現場の社員も意思決定に責任を持つことができ、会社へのコミットメント意識が高まる点が挙げられる。

 しかし、ただ闇雲に意思決定の場に社員が参加すればOKかというと、そんなことはない。意思決定の場に「参加するだけ」なのなら、むしろ参加しない方がマシである。発言しないメンバーがいる会議ほど面白くないものはないからだ。意思決定の場に加わるからには、上層部に物申すぐらいの気持ちで自分の意見をびしっと言えないとダメである(もちろん、上層部にはそういう現場社員の態度を受け入れる寛容さが必要だが)。

 参画型マネジメントの本質は、上層部が気づかなかったような視点を現場の社員が提示することにある。上層部の人が何と言おうと、「私はこういう考えを持って普段から仕事をしている」とか、「現場では今こういうことが起こっている」、「競合他社はこんな手を使ってきている」などと毅然とした態度で言える社員がいると、議論は多少混乱するものの、最終的には意思決定の質の向上につながる。自立心ある現場社員の存在があってこそ、参画型マネジメントは集合的知性の恩恵を受けることができると言える。
March 12, 2010

感情は問題提起のサインである

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 先日の記事「果たして意思決定に感情は不要なのか?」では、感情を完全に取っ払えば人間は合理的な意思決定ができるわけではなく、感情は理性と連携を取りながら意思決定を導き出しているという脳科学の研究を紹介した。しかし一方で、感情が意思決定を歪めるケースが多いことも指摘した(「怒り」が合理的な意思決定を歪める一例として、「最後通牒ゲーム」がある)。

 兵法の最高の教科書と言われる『孫子』には、「主は怒りを以て師を興すべからず、将は慍(いか)りを以て戦を封ずべからず」という一文がある。怒りは戦いにおける合理的な意思決定を妨げ、自らの命を危険にさらすと孫子は警告しているのである。

 中国の三国時代、袁紹(えんしょう)という人物はこの過ちを犯し、自滅の道をたどった。袁紹は当初、後漢の政権を脅かした董卓(とうたく)を倒して漢を復興することを目指していた。袁紹の元には曹操がいた。しかし曹操は、董卓に対していつまでも煮え切らない態度を取る袁紹から次第に距離を置くようになり、魏国の地盤を広げて独自の勢力を形成した。ついに両者は「官渡の戦い」(官渡は現在の河南省中牟の近く)で激突する。

 官渡で両者の膠着が続いた時、袁紹の臣下は『孫子』に基づいて官渡の死守にこだわらない別の作戦を進言した。だが、袁紹はそれを無視した。袁紹は官渡の戦いの前哨戦で曹操の誘導作戦にまんまと引っかかり、2人の武将を失ったがゆえに怒り心頭であったようだ。袁紹はあくまでも官渡で戦いを続けることに固執し、無茶な攻城法に出た。その作戦は、孫子が「莫大な資源と労力を必要とするから、やむを得ない時にしかやってはいけない」と警告した作戦であった。

 孫子の警告通り、袁紹の無理がたたって軍は大いに疲弊し、膠着状態は解決しなかった。最終的には、袁紹の重臣である許攸(きょゆう)が袁紹を見限って曹操に降伏したため、袁紹軍は総崩れとなった。袁紹は曹操に対するつまらない怒りが原因で、合理的な意思決定ができなくなってしまったのである。(※)

 冒頭の記事では、最終的に私の中で「意思決定にプラスに作用する感情は『冷静さ』ぐらいではないか?」という結論に達したわけだが、ここで1つ別の疑問が出てくる。それは「感情は何のためにあるのか?」ということである。感情が意思決定にマイナスの影響を及ぼすことが多いのであれば、我々が感じる不安や怒り、競争心あるいは喜びなどの感情は、一体何のために存在するのだろうか?

 本当に突き詰めて考えると脳科学や心理学、哲学の専門的な分野に入っていく必要がありそうなので止めておくが、マネジメントの世界で感情の意義を考えるならば、それは「組織における問題発生のサインである」というのが私の考えである。

 以前、「『小さな問題意識』が若手社員のキャリア開発のきっかけとなる」という記事で、銀行に勤める私の知人の苦悩を紹介した。彼は銀行の方針に対して不安を抱えている。しかしながら、不安に煽られて衝動的に上司に掛け合ったり、何か運動を起こしてみたりしても何の効果もないだろう。彼は冗談半分で「政治家になって金融庁の方針を変えさせてやりたいよ」などと言っていたが、だからと言って「じゃあ、明日から銀行を辞めて次の国会議員選挙に出馬します!」とはならない。

 彼が感じる不安は、今の銀行のマネジメントに潜む何らかの深刻な問題のサインと言える。彼に必要なのは、果たして銀行の方針がころころ変わるのはなぜなのか?本当の問題はどこにあるのか?その問題を解決するためにはどうすればいいのか?今動くべきなのか、もっと年月が経って自分の意見に同調してくれる味方が増え、昇進に伴って権限が広がった時に動くべきではないのか?という冷静な分析と判断である。心の中に渦巻くマイナスの感情の存在に気づくことは非常に重要である。だが、その感情に任せて意思決定をすると道を踏み外す。マイナスの感情が芽生えた時には、「これは何かの問題のサインだ」と捉えて冷静にならないといけないのである。

 ポジティブな感情でも同じようなことが言える。例えば、ある新製品が大ヒットし、嬉しくて興奮しているマネジャーがいるとしよう。彼は、今のうちに売れるだけ売ってしまおうと考え、勢いに任せて営業担当者をガンガン採用する。だが、採用した社員はトレーニングもそこそこに現場に放り込まれ、マネジャー自身も一気に部下が増えたことで全員に目が行き届かなくなる。やがて、いい加減な営業活動に対する顧客からのクレームが増え、会社の売上と信用を落とすことになる。

 この場合は興奮して積極攻勢に出るのではなく、一歩引いた視点から、「今わが社は成長期を迎えているが、現在の体制で果たしてやっていけるのか?」と問う必要がある。「勝って兜の緒を締める」という言葉があるように、一時の勝利で浮き足立っているようではダメだ。勝利の美酒は未来の問題に対する知覚を麻痺させる。

 適度な競争心は組織や社員を成長させるが、過剰な競争心もまた組織を間違った方向に導く。例えば、ライバル会社を徹底的に潰すことばかりを考えていると、顧客のニーズに応えるという本来の事業の目的から遠ざかってしまい、顧客の離反を招く恐れがある。また、(再び営業の例で恐縮だが、)営業部門が売上偏重主義で、担当者の売上高による競争を煽りすぎると、営業担当者は自分の売上を立てることばかりを考えて重要な顧客情報やナレッジをお互いに共有しなかったり、違法すれすれの営業活動を平気でしたりするようになり、部門の雰囲気が殺伐としたものになっていく。もし自分の中に異常なまでの競争心が沸き起こってくるようならば、組織のどこかに何らかの歪みが生じている可能性があると考えた方が賢明だ。

 感情は問題提起のサインである。だから決して無視してはいけない。だが、感情が問題を解決するわけではない。自分の中に通常とは異なる感情が湧き上がった時には、「今の組織に何かしらの問題が起きている予兆かもしれない」と冷静になることが大事だ。感情の赴くままに問題解決に取り組むのはご法度である。問題解決のための意思決定は、あくまでも「冷静」に下さなければならないのである。

(※)袁紹に関する記述は、山本七平「『孫子の兵法』で『三国志』を読む(第2回)」(『歴史に学ぶ』2009年6月)を参考にしている。
March 10, 2010

『論理思考は万能ではない』がAmazon「ロジカル・シンキング」で5位に

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松丘 啓司
ファーストプレス
2010-01-20
おすすめ平均:
本当の提案活動
仕事ができない自分の、原因をずばずば教えてくれる本でした
読みやすいが、内容は深い。
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 1月に弊社代表の松丘啓司が出した本。今日(3月10日)Amazonのランキングを見たら、「ロジカル・シンキング」で5位に上がっていたねぇ!カスタマーレビューも好意的な評価ばかりで嬉しい限りです。ご購入いただいた皆様には御礼申し上げます。

 「ビジネス・経済・キャリア」全体でもっとぐいっとランキング上がらないかなぁ…。

 
February 22, 2010

果たして意思決定に感情は不要なのか?

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ダイヤモンド社
2009-09-10
おすすめ平均:
論語と算盤の解説本として
中曽根インタビューが一番面白かった
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 2009年10月号のもう1つの特集が「脳科学とビジネス」であった。脳科学のことはまるで知識不足なのだが、私が学生時代に聞いた話では「毎日(※毎月ではない)、本1冊分ぐらいの新しい論文が出る」と言われるぐらい、日進月歩が激しい分野らしい。

 ビジネスとの関係でよく取り上げられるトピックが、「意思決定と感情」の関係である。この特集もこの点にフォーカスが当たっている。かつて、「合理的な意思決定を下すためには、感情は不要である」との考え方が主流だった時期があったそうだ。確かに、怒り、不安、恐怖、競争心、興奮といった感情が、合理的な意思決定を阻害するという研究はたくさん存在する(「不確実性を一般的に論ずるのは難しい−『不確実性に克つ「科学的思考」(DHBR2009年7月号)』」でも少し触れた)。

 怒りが合理的な意思決定を歪める例として、「最後通牒ゲーム」というのがある。AさんとBさんが1万円を分け合うケースにおいて、 まずAさんが1万円のうち好きな金額をBさんに与えることを提案する。Bさんは、Aさんの提案を受諾するか否かを選ぶ。Bさんが受諾すれば提案された金額を受け取ることができ、Aさんも残りの金額をもらうことができる。ただし、Bさんが提案を拒否すると、2人とも1円ももらえない。

 この条件下では、Bさんはどのような意思決定をすることが最も合理的なのか?ゲーム理論の世界では、たとえAさんが超ドケチで1円しか提案しない場合でも、Bさんが拒否してしまうと1円ももらえないわけだから、拒否せずにAさんの提示額をそのまま受諾するのが最も合理的であると説明される。

 だが、生身の人間に実際にこれをやらせてみると、Aさんの提示額が低い場合、Bさんは1円ももらえないと解っているにもかかわらず、提案を拒否することが多いことが実験で明らかになっている。Bさんに理由を聞くと、「相手のケチさに腹が立った」というのが主たる理由だという。つまり、怒りがBさんの合理的な意思決定を歪めていることになる。

 脳の中で感情をつかさどるのは大脳辺縁系という部位である。ここで浮かび上がってくるのは、「この部位を取り除いてしまって、感情の影響をゼロにしてしまえば、人間は完璧な意思決定ができるのではないか?」という論点である。

 だが、これもまた誤りである。本号に収録されているガーディナー・モースの「脳の意思決定メカニズム」と言う論文に、神経学者アントニオ・R・ダマシオの研究が紹介されている。ダマシオは、前頭前野の中で感情を処理する部位に損傷があると、日常的な意思決定すらできないことを発見した。

 この発見は、ダマシオがある脳腫瘍の患者を治療したことがきっかけであった。患者の脳腫瘍はオレンジ大の大きさがあり、前頭葉を圧迫していた。ダマシオは脳腫瘍を除去する手術に成功したものの、患者の意思決定能力は以前とは比べ物にならないくらい落ちてしまった。患者は優秀なビジネスマンであったが、退院後は職場で集中力を失い、スケジュール管理もできなくなってしまったという。

 その後、同じように大脳辺縁系が損傷している患者を50人以上調べた結果、彼らは通常の人に比べてうまく意思決定できないことを確認した。結局、感情は意思決定に重要な影響を与えているのである。

 意思決定は理性と感情の対話によって下される。しかしながら、怒り、不安、恐怖、競争心、興奮といった感情は、この対話にマイナスの影響を与えることが多い。となると、どんな感情ならばいいのか?そう、非常に当たり前の結論になってしまうが、「冷静さ」でしかないと私は思う。この感情こそが、合理的な意思決定を導く可能性を最も高くする。

 冷静な意思決定に長けていた人物の例として面白いと思うのが、魏の曹操である。曹操は、父が殺された除州で住民に対する大虐殺を行うなど激情的なイメージがつきまとうが、内部の人材登用に関しては非情に冷静であったという。出自や素行に多少問題があっても、能力がある者をどんどん登用した。陳寿は『三国志』の中で、「情を矯(ま)げて算に任じ、旧悪を念(おも)はず」と曹操を評している。

 曹操は自分の個人的な感情を抑えて、利害得失のみに集中するように努めた。反乱軍の捕虜の中に自分の家族がいるという理由で寝返った畢遏覆劼弔犬鵝砲紡个靴討蓮反乱軍を制圧した後、「親に孝行な奴は君主にも忠誠を誓うはずだ」という理由で重職に任命している。また、曹操との戦いに際して曹操一家のことをけちょんけちょんにこき下ろした檄文を送りつけた名文家の陳琳に対しても、一旦は捕虜にしたものの「お前には文才がある」という理由で保釈している。(※)

 人材の登用をめぐっては、とかく個人的な感情が入りやすい。「この人とは気が合いそうだ」というだけで簡単に採用したり、「こいつは嫌な奴だ」というだけで閑職に追いやったりしてしまう。だが、曹操には全くそのようなことがなかった。だからこそ、三国が競って人材探しを行う中、いち早く優秀な人材を集めることに成功し、呉と蜀を制圧することができたのだと思う。

(※)曹操に関する記述は、陳舜臣「曹操(第2回)」(『Management & History 歴史の知をビジネスに生かす』2009年2月)を参考にしている。
February 12, 2010

不確実性を一般的に論ずるのは難しい−『不確実性に克つ「科学的思考」(DHBR2009年7月号)』

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 去年の中盤からDIAMONDハーバード・ビジネス・レビューを読むのをさぼっていたために、どんどん未読号が溜まってしまっていた。年末から徐々に読み進めてようやく最新号まで追いついたので、今さらではあるが2009年7月号から順番に少しずつ感想をまとめておきたいと思う(一応、2月中に2010年3月号まで書く予定)。

ダイヤモンド社
2009-06-10
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今月は事業戦略特集 -難易度高-
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「科学的実験」で仮説を検証する経営(トーマス・H・ダベンポート)
 『分析力を武器とする企業』の著者であるトーマス・H・ダベンポートの論文。経験や勘に頼って新規市場の開拓や顧客満足度の向上を狙うのではなく、科学的実験をうまく活用することが重要であると説いた論文。アマゾンやイーベイがサイトのユーザビリティや顧客の購買単価を上げるために無数の科学的実験を日々繰り返している事例が紹介されている。ただし、実験におけるデータの解析方法といった細かいところまでは触れられていない。その辺りは統計学の本に頼るしかなさそうだ。

トーマス・H・ダベンポート
日経BP社
2008-07-24
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企業における分析力がわかる
分析力を武器とする企業マニュアル
見える化を発展
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 論文には出てこないが、西松屋の面白いテストマーケティングの事例を思い出した。西松屋は全国の店舗ネットワークを活用して、その年に流行する子供服をかなり高い確率で当てる方法を知っている。それは、夏物は2月頃から沖縄で先行販売し、売れ行きが好調な商品のみをその他の店舗で販売する(それ以外は全て生産中止にする)というやり方である。逆に冬物の場合は、9月頃から北海道で先行販売して売れ筋を見極めるそうだ。

ライバルの反撃を予測する法(ケビン・P・コイン、ジョン・T・ホーン)
 「ゲーム理論」はライバルの行動パターンを読む理論として発展してきたが、著者はゲーム理論の前提にいきなり疑問をぶつけており、とても興味深い。
 ゲーム理論は、すべての参加者がゲーム理論の基本原則に従うことを前提としている。そもそもこのような前提がおかしい。しかも、ライバルがさまざまな選択肢を持っている時もあれば、ライバルがどのような基準で選択肢を評価するのかわからない時もあるし、ライバルが多数存在し、それぞれの反応が異なる時もある。
 そして、著者は必ずしもライバル企業が反撃に出るとは限らず、むしろ反撃に出ないケースも多いことを調査から明らかにしている。確かにこの主張は現実的な気もする。ライバルが実際にどういう行動に出るかは、机の上に座っていろんなパターンを考えるよりも、各社員がアンテナを張って生の情報を集めるしかないような気もする。

 だが、これは海外企業だからこそ言える傾向なのかもしれない。日本企業の場合はむしろ、ある企業が何かをやると、ライバル企業がこぞって「あの企業が新製品にこの機能をつけたからうちの会社もそうしよう」という具合に、一斉に似たようなことをやり始めることが多い。大前研一氏はそうした日本企業の戦略に警鐘を鳴らし、もっと顧客視点に立った戦略を立てるべきだという至極当たり前のことをわざわざ論文にしていた記憶がある(「競争は戦略の目的ではない」DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー2007年2月号)。

不確実性時代の戦略思考(ヒュー・コートニー、パトリック・ビゲリー他)
 不確実性のレベルを4つに分け、それぞれどのような分析ツールを使えばよいのかを解説した論文。
レベル1「確実に見通せる未来」
 ⇒分析ツール:オーソドックスな戦略ツール
レベル2「他の可能性もある未来」
 ⇒分析ツール:意思決定分析、オプション評価モデル、ゲーム理論
レベル3「可能性の範囲が見えている未来」
 ⇒分析ツール:潜在需要の調査、技術予測、シナリオ・プランニング
レベル4「まったく読めない未来」
 ⇒分析ツール:アナロジーとパターン認識、非線形ダイナミック・モデル
 まぁ、なんとなーくは解るが、抽象的だなぁ。おそらく現代の不確実性はレベル3、4が多いのだろうけど、知られている分析ツールは「シナリオ・プランニング」ぐらいじゃないか?他の分析ツールはよく解らん。1つだけ言えることがあるとしたら、レベル2までの分析ツールに比べて、レベル3以降は「客観力」よりも「主観力」が問われるということだろうな。つまり、未来は予定調和的に決まるのではなく、人々によって如何ようにも創造されるということである。

アートすべき時、科学すべき時(ジョセフ・M・ホール、M・エリック・ジョンソン)
 非定型の業務プロセスが増えた現在の企業においては、科学的管理法に端を発する従来の業務効率化のメソッドだけでは不十分であり、新たな方法論を確立する必要があると説いている。「プロセスの中身や品質にばらつきがあり、かつそのばらつきを顧客が肯定的に評価するプロセス」を「アート的プロセス」と呼び、アート的プロセスには「顧客からのフィードバック」を組み込むことが有益とされる。

 典型的なアート型プロセスである営業活動を取り上げてみると、確かに顧客からのフィードバックを組み込むことは営業活動の質を高めるのに役に立つ。個人的に、「非定型の業務プロセスが大半を占める現代企業の業務プロセスの価値をどのように高めるのか?」ということは非常に関心の高いテーマであり、この論文で1つ面白いヒントがもらえた。

脳科学が解明する意思決定リスク(アンドリュー・キャンベル、シドニー・フィンケルスタイン他)
 「過去の経験」や「感情」、「バイアス」が意思決定を歪めるというよくある内容の論文。著者は意思決定を歪める要因を「レッド・フラッグ」と呼び、それらを発見する7つのプロセスを提唱している。それぞれのプロセスはありきたりのものなのだが、実際の仕事でちゃんとやっているかどうか自問自答してみると、やっぱり結構怪しいもんだな。
1.選択肢の幅を明らかにする
2.意思決定の主要関係者のリストを作成する
3.中心となる1人の意思決定者を選ぶ
4.不適切な個人的利害や判断を歪めそうな思い入れがないか、チェックする
5.判断ミスに至らしめるような記憶をチェックする
6.2番目に影響力のある人物について同じ分析を試みる
7.特定されたレッド・フラッグのリストを再確認する
February 10, 2010

会議の法則その2−長時間の会議が頻発する会社は危ない

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 1ヶ月ほど前の記事「会議の法則−集合時間の何分前に来るかは責任意識の現れ」では、会議に遅刻する社員が多い会社は日常業務に対する責任感も薄れている可能性を指摘した。今回はもう1つ会議に関連する「組織力低下のサイン」として、「頻発する長時間の会議」を挙げてみたいと思う。

 私自身、会議はあまり好きではない(会議が好きという人がいるのかどうかよく解らないが・・・)ので、2時間を超えるような長時間の会議が続くと正直うんざりしてくる。忙しい経営陣が何とかスケジュールを合わせて、重要事項について一気に議論するために長時間の会議が何度も設定されるのなら解る。なぜなら、経営陣の仕事は意思決定をすることだからだ。

 しかし、現場レベルとなると話は違ってくる。週に何回も2時間超の会議に参加しなければならない社員が多い会社はどこかがおかしい。そもそも会議は何のためにやるのかというと、日常業務を進める上での重要な論点について意見の摺り合わせを行い、今後の各人のタスクとスケジュールについて決定するためである。その会議に何度も何度も参加しなければならないというのは、日頃から社員同士のコミュニケーションが希薄でお互いの現状が解っておらず、各人の役割分担や責任範囲も不明確なまま仕事をしている証拠である。そんな会社の日常業務がちゃんと回っているとは到底思えない。

 だいたい、長時間の会議に限って「さあ、今日は何から話しましょうか?」という議題の話から始まることが多い。そして、めいめいが好き勝手なことを発言し、収拾がつかなくなって、「じゃあ、次回に持ち越しにしましょう」となるのがオチである。私自身もマーケティングという仕事の特性上、営業チームや商品チームのいろんな会議に頻繁に借り出されたことが一時期あったのだが、あまりに実りのない会議が続くので「もう勘弁してくれ!」と音を上げてしまったことがある(笑)。

 主催者が長時間の会議を設定するのは、議論が短時間の間に収束しない可能性を見越しているからである。だが、それは適切なリスクヘッジとは言えない。主催者はできるだけ短い時間の間で議論の落としどころを見つける責務がある。そのためには、会議で議論すべきアジェンダをあらかじめ明確にし、参加者がその議題について十分意見を言えるような資料なり情報なりを事前に準備しておかなければならない。それがないままに会議をスタートしてしまうから、無駄に会議が長引いてしまう。

 「会議のコストを考えよ」ということをコンサルタントの先輩からよく言われた。コンサルティングの場合は、会議に参加するメンバーの役職が高いため、その分時間単価も高い。それを人数分掛け合わせると、1回の会議に費やされている人件費は数十万円単位になることも珍しくない。そのコストを上回る収穫が得られない会議ならば完全に失敗であると教えられた。

 だが、会議にかかるコストは実は参加者の人件費だけではない。各参加者が会議に出ていなければ得られたであろう利益=機会費用を考慮する必要がある。現場レベルの会議は、機会費用が考えやすい。営業会議を開くと、提案書を書いたりクライアントと商談をしたりする時間が失われることになる。会議をせずに営業活動をしていれば、ひょっとしたら受注できた案件があったかもしれない。また、われわれのような研修事業について言えば、講師がクライアント先で研修実施をするのに最低でも丸々1日必要になる。下手に会議を入れてしまうと、もうその日は研修を実施することができなくなる。つまり、売上が立たなくなるということである。

 こうした機会費用は、参加者の人件費よりも多額に上るにもかかわらず、意識されることが少ない。それぞれの会議は、本当に人件費や機会費用を上回るだけの価値があるだろうか?こうした点は常に意識しないといけないと思う。
January 20, 2010

エム・アイ・アソシエイツの新刊発行のお知らせ−『論理思考は万能ではない』

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 ハーバード・ポケットブック・シリーズ以来、約2年ぶりとなるエム・アイ・アソシエイツの書籍が出版されました。弊社代表取締役社長・松丘啓司による『論理思考は万能ではない−異なる価値観の調和から創造的な仮説が生まれる』が本日よりAmazonで購入可能となっています。

松丘 啓司
ファーストプレス
2010-01-20
posted by Amazon360

 ビジネスパーソンの間に広がる「ロジカルシンキング万能説」に異議を唱え、論理思考力を高める以前に必要な、「主観的な主張力、選択力」の重要性を説いた革新的な本です。「論理思考の信奉者の集まり」とも言えるコンサルティングの現場で長年働き、さらにパートナー(共同経営者)を6年間務めた松丘自身が、自らの経験を振り返りながら論理的思考を批判的に論じるという、チャレンジングな内容となっています。

 また同時に、エム・アイ・アソシエイツの研修サービスの根底に流れる基本コンセプトも紹介されているので、人事・人材育成のご担当者様にも是非読んでいただきたい1冊です。

 以下、プレスリリース全文です。

エム・アイ・アソシエイツ、新刊『論理思考は万能ではない−異なる価値観の調和から創造的な仮説が生まれる』を出版

 企業研修を提供するエム・アイ・アソシエイツ株式会社(本社:東京都港区)の代表取締役社長である松丘啓司が執筆した新刊、『論理思考は万能ではない−異なる価値観の調和から創造的な仮説が生まれる』が、2010年1月14日に株式会社ファーストプレスより発行されました。

 本書はビジネスパーソンに求められる新たな創造的思考法を提示するとともに、企業における人材開発の重要なコンセプトについて解説するものです。

<内容紹介>
●目次
第1章 論理思考は万能ではない
1.事実の嘘
2.因果関係の嘘
3.MECEの嘘
4.論理思考の誤解
第2章 未来を見る
1.論理思考の正しい使い方
2.価値観とは何か
3.自己理解の方法
4.未来からの選択
第3章 調和する力
1.創造的な仮説を生み出す
2.調和のためのコミュニケーション
3.組織を変える
4.成長のために
第4章 提案の本質
1.提案はなぜ失敗するか
2.調和する提案
3.『何か』を問う

●『はじめに』より
 論理思考は万能であるかのような妄信が生まれているように感じる。たとえば、論理思考によって意思決定が可能であると、錯覚されることがある。さらには、仮説を検証していけば解が得られると誤解され、その誤解に疑いすらもたれないこともある。論理思考を身につければ、正解が得られ、正しい意思決定ができると考えるのは危険なことだ。
 論理思考力を高める以前に、主観的な主張力、選択力が鍛えられなければならない。

●『本文』より
 企業が成長するためには、創造的な進歩が不可欠であることは言うまでもない。同質的な組織における同質的な発想からは、そのような創造性は生まれない。したがって創造のためには、個々人が内発的価値観に基づく、自分らしさを表現することが不可欠だが、さらに一歩、進んで異質の調和に取り組む必要がある。
それによって、より創造的な仮説が得られる可能性が大きく高まるのである。

●『おわりに』より
 私自身は仕事柄、年間100社ほどの企業の人事部門の方とお会いし、人材開発上の課題について意見交換をさせていただいている。キャリア開発、リーダーシップ開発、ダイバーシティ(多様性)の活用など、企業によって課題の切り口や呼び方は異なるが、今日の企業における人材開発課題の本質には、驚くほど共通点があるように思う。それは、世の中にあふれている実用的なビジネススキルの類ではなく、本書に記したような人と組織の価値観に深く関わる課題である。


<著者紹介>
松丘啓司(まつおか・けいじ)
エム・アイ・アソシエイツ株式会社 代表取締役
1986年に東京大学法学部を卒業後、アクセンチュアに入社し、多数の企業変革プロジェクトに参画。同社のパートナー職を経て、2003年にエム・アイ・アソシエイツ株式会社を設立。同社は人と組織の潜在力の発揮を促進する独自の研修、コンサルティングサービスを提供している。
主な著書に『組織営業力』(ファーストプレス)、『提案営業の進め方』(日経文庫)、共著書に『人を変え組織を動かす25の鉄則』(ダイヤモンド社)などがある。


<書籍概要>
単行本(ソフトカバー):224ページ
著者:松丘啓司
出版社:株式会社ファーストプレス
価格:1,575円(税込)
初版発行日:2010年1月14日
ISBN:978-4-904336-42-7


<エム・アイ・アソシエイツ株式会社について>
社名  :エム・アイ・アソシエイツ株式会社
代表者 :代表取締役社長 松丘 啓司
資本金 :7,150万円
設立 :2005年7月(エム・アイ・ホールディングス株式会社(2003年10月設立)から分社化)
本社  :〒107-0062 東京都港区南青山2-11-16 AIG青山ビル2F
URL   :http://www.mia.co.jp/

 エム・アイ・アソシエイツ株式会社(略称:MIA)は、企業内キャリア開発、リーダー育成などをテーマとした社員研修、個人・組織診断サービスを通じて、企業における人材育成・人材開発を支援しています。
January 12, 2010

良質の「準備ルーチン」は創造性を生む

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 「認知限界」などの概念を生み出し、意思決定理論に大きな影響を与えたアメリカの認知学者ハーバード・サイモンは、「悪貨は良貨を駆逐する」というグレシャムの法則を組織に応用して、「ルーチンは創造性を駆逐する」と述べた(「計画のグレシャムの法則」)。人は日常のルーチン業務ばかりに追われていると、長期的かつ重要な計画を考えなくなってしまうことを指した言葉である(過去の記事「ルーチンは目的を駆逐する」を参照)。

 だが昨年、「イチローはなぜ、同じ毎日をくり返しているのに未来をつくれるのか」というNTT東日本のCMが頻繁に流れているのを見て、ルーチンが必ずしも創造性を奪うとは限らないのではないか?と思うようになった。ご存知の方も多いかもしれないが、イチローは毎日同じ練習メニューをこなし、試合中もネクストバッターサークルから打席に向かい、バットを構えるまでの一連の動作がいつも全く変わらないと言われている。

 イチローに限らず、一流のアスリートやアーティストの多くは、「10年ルール」という言葉があるように、同じ練習を長期に渡って反復することでプロフェッショナルの座へと上り詰めている。また、ある学者は、毎朝研究室に入ると必ずパソコンに向かい、何でもいいからある程度まとまった量の文章を書くことを習慣化しているという話を以前聞いたことがあるし、テレビ東京の「ソロモン流」を見ていると、賢人の中には定期的な運動を習慣化している人が多いことに気づかされる。

 さらに先日、フジテレビの「エチカの鏡」を見ていたら、京都の立命館小学校の「モジュールタイム」というユニークな取り組みが紹介されていた。1時間目よりも前に、モジュールタイムと呼ばれる15分程度の学習時間が設けてあり、国語や英語の音読、計算などを集中して行う。小学校1年生で平家物語を音読し、小学校6年生になると平家物語を何と暗唱するという衝撃的な映像であった。モジュールタイムは、脳の前頭前野を活性化させ、1日の学習効果を高めるとされている。

 これらのルーチンに共通するのは、業務そのもののルーチンではなく、「準備のルーチン」であるということだ。同じ準備運動を反復することで脳が活性化され、集中力が高まる。それが本番での創造的な結果につながる。だから、良質の「準備ルーチン」であれば、創造性を奪うどころか、むしろ創造性を生み出すことにつながるという考え方もできる。

 では、これをビジネスの世界に活かすことはできないだろうか?企業にも、準備のルーチンに該当する活動はないことはない。例えば朝礼や社訓の唱和がそれに当たる。だが、朝礼において持ち回りで何か話をするルールが皆の心理的負担になっていたり、日常業務の内容と遠く離れた抽象的な社訓をただ読まされたりしているようでは、良質のルーチンとはいえない。

 頼りない見解ではあるが、個々の社員が自分なりの良質の「準備ルーチン」を持つことを職場で奨励することが、今のところ最も無難な策と言えるのかもしれない。そこから一歩進んで、良質な「準備ルーチン」を職場に埋め込み、仕組み化するためにはどうすればよいか、今後も検討を続けたいと思う。
July 30, 2007

梶井厚志の名言

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 ノーベル経済学賞を受賞したロバート・マートン(1944〜)は、今風に言えば「金融工学」を創始した人である。私の留学時代にハーバード・ビジネス・スクールで聴講した彼の金融理論の講義の中で1つ記憶に鮮明に残っている言葉がある。それは、
 「世の中には賢い人と運の良い人がいる。賢い人は手法を誇るが、運の良い人は結果を誇る」
というものだ。まったく偶然でも、結果が出ることがある。したがって問題は、それが必然だったのか偶然だったのかを見分けることのはずだ。自分の手柄ばかりを強調する人に対しては警戒心を抱くべきだし、実際そのような態度に対しては嫌悪感まで抱くことがあるのはもっともなことだといえる。
(梶井厚志著『戦略的思考の技術−ゲーム理論を実践する』中公新書、2002年)
 梶井厚志(1963〜) 
 経済学者。専門はゲーム理論・数理経済学。2003年より京都大学経済研究所教授。

 梶井厚志教授の名言というよりも、ロバート・マートン教授の名言というべきなのだろうが、心に響いたので引用させていただいた(しかも、本の主要な内容であるゲーム理論とは全然関係のないくだり、汗)。全くもって同感、この一言に尽きる。

戦略的思考の技術―ゲーム理論を実践する (中公新書)戦略的思考の技術―ゲーム理論を実践する (中公新書)
梶井 厚志

中央公論新社 2002-09

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August 23, 2005

権限・責任一致の原則について

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 権限・責任一致の原則は、組織論や経営理論の教科書などにおいて、組織構造を基礎付ける原則の一つとして取り上げられているものです。

 権限と責任は、組織上の目的や目的のための様々な目標を達成するために、組織活動にとって必要不可欠な要件です。職務において、「義務」、「責任」、「権限」は三面等価の関係にあり、職務を与えられれば必然的に義務と責任を負い、その義務と責任を全うするために職務遂行の権限も同等に与えられなければなりません。これを「権限・責任一致の原則」といいます。

 私はこの原則について、以下の2点を指摘したいと思います。

 第一に、「権限」の意味する内容です。権限が権力ではないことは明らかです。前者は「あることを成しうること」を意味するのに対し、後者は「あることを命じること」を意味するからです。しかし、権限が何を成しうるのかは、慎重に明らかにしなければなりません。

 今年度の中小企業診断士第1次試験の「企業経営理論」という科目の中で、権限に関する問いが出題されました。この問題では、権限とは「職務を遂行するための、組織内の諸資源(ヒト、モノ、カネ、情報など)を一定の自由裁量の範囲内で使用する権利」とされていました。

 ところが、これは真理の半面でしかないと私は考えています。先ほどの説明は、組織内の諸資源の分配に関する説明でしかありません。

 組織は自らが目的とする成果を上げるために活動をしています。組織は、諸資源を投入して、成果を産出しているのです。そして、この投入−産出の図式は、組織に属する各個人の活動にも当てはめることができます。

 権限が諸資源の分配のみを説明するのであれば、個人が組織にとって有益な成果を生み出すことの保証が得られません。それはちょうど、かつての経済学が財の適正配分のみを説明し、経済成長を説明することができなかったという限界と類似しています。

 権限は、組織の諸資源の使用に加えて、組織の目的に合致するように成果を生み出すことにも与えられなければならないのです。

 第二に、権限・責任一致の原則は、決して権限を有する範囲においてのみ責任を有するということを意味しないということです。権限を有しなくても責任が生じることがあります。(JR福知山線の脱線事故をめぐる一連の出来事を思い出してみてください。)

 組織の成員には、権限を超えた責任が課せられるということこそが、組織が組織たる所以なのです。だから、「権限・責任一致の原則」というよりは、「権限≦責任の原則」と呼ぶのがむしろ相応しいと思うのです。
August 14, 2005

情報システム構築とは、ハードやソフトの導入ではなく「情報の流れの組織化」である

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 「情報システム」というと、おそらくコンピュータを用いたシステムを想定していることが多いと思います。実際、IT用語辞典で調べてみると、次のような説明がされています。


 「情報を適切に保存・管理・流通するための仕組み。通常、コンピュータとネットワーク、およびそれを制御するソフトウェア、その運用体制までを含んだものを指す。コンピュータを用いない『情報システム』は、言葉の意味として矛盾しているわけではないが、現代ではほとんどの場合、情報システムは『コンピュータシステム』と同義として用いられる。」


 私は、この定義ではやはり不十分であると思っています。

 情報といっても、その種類は実に様々です。定型的なものと非定型的なもの、定期的に現れるものとその出現が不定期なもの、定量的なものと定性的なもの、編集が可能なものと編集が困難なもの、参照性が高いものと低いもの、いろいろな対立軸によって捉えることが可能です。

 コンピューターは、定量的、定型的なデータを論理的な算術によって貯蓄、検索、更新、削除するのに長けています。しかし、それだけのことです。ネットワークは、情報の機密性を保ち、情報を高速に伝達することができるのが特徴です。しかし、それ以外にはできません。

 ITを用いた情報システムで扱うことのできる情報は、実はほんの一部に過ぎないのです。私たちが使用する情報の大半は、実はITを使用していません。実に「ローテク」な方法で情報を用いています。

 「私たちの業務のどこに『(ITを用いた)情報システム』を導入することができるのか」というのは適切な問いではありません。

 投げかけるべき質問は次の通りです。

 「自分が用いている情報はいかなるものか」
 「その情報はどこから仕入れているのか」
 「手に入れた情報の使い道はいかなるものか。ただ参照するだけか。加工して他の誰かに引き渡すのか。それとも何もしないで破棄しているのか」
 「その情報を他の手段で入手できるとしたらどのような方法があるか」
 「自分が誰かに引き渡した情報はどのように使われているのか」
 「自分が情報を手に入れる段階、または誰かに情報を受け渡す段階で障害になっているものは何か」
 「自分は情報を用いて期待されている成果を上げることができているか」
 「自分が他人に渡した情報は、彼が期待されている成果を上げるのに役に立っているか」

 情報の流れを分析し、不要な流れを遮断し、生産的な情報の流通経路、利用方法を構築し、それによって組織がより大きな成果を上げられるようにするのが真の情報システムの構築なのです。真の情報システムを構築することは、仕事に対する高度な知覚を必要とする作業です。
June 28, 2005

初めてドラッカーを読むなら『経営者の条件』がお勧め

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 初めてドラッカーを読む人に、数ある著書の中から1冊だけ薦めるとしたら『経営者の条件』という本を薦める。

ドラッカー名著集1 経営者の条件ドラッカー名著集1 経営者の条件
P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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 タイトルは「経営者」となっているが、この本は企業をはじめとする組織で働く万人のために書かれた本である。それは次の記述から窺い知ることができる。

 「私は、地位やその知識のゆえに、日常業務において、組織全体の活動や業績に対して、重要な影響をもつ意思決定を行う経営管理者や専門家などの知識労働者を、エグゼクティブ(=経営者)と名づけた。」

 この「エグゼクティブ」の定義に従えば、組織で働く知識労働者はすべて経営者ということになる。
 
 だが、この定義は非常に重要なものであるにもかかわらず、それほど一般に浸透したものではない。この点について次のようにも述べられている。

 「しかし今日、企業、政府機関、研究所、病院のうち、最も平凡な組織においてすら、重要かつ決定的な意思決定を行う人たちが、いかに多くいるかということについては、ほとんど認識されていない。」

 すなわち、知識労働者の中には、自らが経営者であるということ、つまり、組織の意思決定に関して自らが重要な役割を果たしているということを自覚している者がまだ少ないことを指摘している。

 現代の組織は知識を主要な資本と位置づけ、知識集約的な活動を展開している。そこで投入される知識はすべて知識労働者の頭の中にある。ということは、知識労働者が自らの知識を用いて仕事をするということは、その仕事がそのまま組織の活動に重要な影響をもつことを意味している。

 (もし、自らが知識労働者でありながら、組織の意思決定に何の影響力も及ぼしえないと感じている者がいるならば、誰かが彼の成果を食い物にしてしまっているか、そもそも彼が従事している職務の定義が誤っており、組織にとって全く必要のない仕事である可能性がある。こうした事態には知識労働者は激しく抗議しなければならない。希少な知識という資源を浪費するものを許してはならない。)

 『経営者の条件』には、時間の使い方を知る、強みを分析する、最重要事項から始める、といった成果を挙げるために必要な行動の処方箋が記されている。これらの行動は、一般的な意味における「経営者」だけのものではない。すべての知識労働者に求められるものである。

 組織においてより優れた仕事をしたいと思う人にはぜひお勧めしたい。また、ドラッカーの本の中では最も取っ付きやすい内容を扱っているので、初めての人にはうってつけだと思う。
June 16, 2005

組織デザインの原則は「情報を有する者」と「意思決定を行う者」をできるだけ等しくすること

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 当然ながら、意思決定をする際には情報が必要である。しかし、意思決定を行う者と、その意思決定にとって重要な情報を持っている者が違うということが組織内では頻繁に起こる。情報を持っている者に十分な決定権限がない。情報を持っている者が、情報を持っていない者の決定を仰ぎ、その決定に従わなければならない、という事態が生じる。

 根本的な問題は、組織における「階層」と「管理」という概念にある。かつての組織は、上位の階層の者が下位の階層の者を管理した。しかし、そうした関係が正当化されていたのは、上位の者が下位の者より常に重要な情報を有していたからである。上位の者が自ら重要な情報に基づいて意思決定を下すことができた。だから、上位者が自分の決定を下位の者に命令するという管理体制が成立しえたのである。情報は、組織の上部から下部に流れるのが通常であった。下位者が情報を入手するのは、技術的、能力的、そして組織の性質上、困難だった。

 しかし、現代では事情が異なる。情報はどこからでも入手できる。もちろん情報技術の発展に負うところが大きい。しかし、現在主流を占めつつある知識労働者は、情報の使い方に熟練しているかどうかはさておき、情報を収集することには熱心である。旧来の階層構造において下位に位置する者が、上位者よりも重要な情報を持っていることも少なくない。

 情報を持っている者には、意思決定のすべてとはいわなくとも、主要な部分には関与させなければならない。旧来の組織で前提とされていた情報の流れの原則が変わったのである。前提が変われば、組織に関する考え方も改めなければならない。

 これは信頼関係の問題である。情報を有しない者の決定に、情報を有する者が易々と従うはずがない。両者の間に信頼関係が生まれるはずがない。意思決定のための情報を持っている者に、決定の権限を持たせなければならない。と同時に、自らの決定に責任が伴うことも自覚させなければならない。

 情報を有する者へ権限を委譲しつつ組織を再編成していくと、階層の数が大幅に減少する。なぜならば、従来の階層の多くは、上からの情報を下へと流すだけの役割に過ぎなかったものだからだ。

 しかし、かといって階層がすべてなくなることはない。階層は依然として存在する。だが、階層の存在意義が以前とは異なる。過去の階層を正当化していたのは、命令権の存在であった。しかし、現代の階層を正当化するのは、責任である。どんなに下位層の者に権限を委譲し、責任を負わせるとしても、意思決定に関するすべての責任を彼に持たせることは不可能である。彼にとって重圧過ぎる。そういうときにこそ、上位者が責任を取る。全体の責任を負うという意味において、現代組織における階層は正当化される。
May 22, 2005

情報と知識の違い

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 知識と情報は最も混同される概念の組み合わせの1つだろう。そして多くの場合は両者が混同されたまま放置されている。企業における知識創造活動が重要視されているが、単なる情報処理活動を知識創造活動と勘違いしているケースが往々にしてある。これは危険である。知識創造活動は明日の利益を生むが、情報処理活動は今日までの利益を消費する。

 情報とは過去に関するものである。すでに起こった事実の説明や、自分を含む誰かがすでに明らかにした理論、あるいは考えついた思想である。書籍にあるのは知識ではない。文字列は情報に過ぎない。また、自己の経験も厳密には情報である。もちろん、我々の通常の感覚では過去の経験は重要な知識として位置づけられている。しかし、知識創造活動においては、過去の経験そのものは情報として捉えるべきである。ストーリーとして記憶されている経験、あるいは身体に刺激として染み付いている体験も、それ自体は情報として扱う必要がある。

 知識創造活動における知識は、我々が現状から大幅にステップアップすることを可能にするものでなければならない。今日までとはまったく異なる明日を創造するものを知識と呼ばなければならない。もちろん言うまでもないことだが、知識を創造する上で情報の果たす役割はとてつもなく大きい。情報がなければ知識はできない。しかし、情報だけでは知識はできない。

 情報を、意思決定という精力的な営みによって活性化し、統合しなければならない。デカルトが「死んだ者との対話」と呼んだコミュニケーションをとらなければならない。情報そのものは静止している。我々によって再び呼び起こされるのを待っている。情報に新たな意味を与えるのが我々である。そして我々は意思決定を行動に移さなければならない。もしそれによって我々が素晴らしい明日を手に入れることができたならば、初めてそれまでの一連の活動が知識だったと断言することができるのである。知識は動的な営みだ。知識の寿命は短い。しかし、そのエネルギーは計り知れない。

 我々の日常の活動の多くは情報処理活動である。昨日の情報に基づいて昨日の問題を扱っている。もちろん情報処理活動も必要である。我々は昨日の成果を無駄にするわけにはいかない。せっかくの成果ならばしばらくは使い続けたいと思うものである。しかし、やがて過去の成果も陳腐化する。永遠の成果は存在しない。明日を支配するために我々は今日知識を創造する必要があるのだ。

《参考文献》
斎藤 慶典 『デカルト−「われ思う」のは誰か』シリーズ・哲学のエッセンス

デカルト―「われ思う」のは誰か (シリーズ・哲学のエッセンス)デカルト―「われ思う」のは誰か (シリーズ・哲学のエッセンス)
斎藤 慶典

日本放送出版協会 2003-05

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