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February 03, 2012

《補足》「ワーストプラクティスのベンチマーキング」という考え方―『日経情報ストラテジー(2012年3月号)』

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日経 情報ストラテジー 2012年 03月号 [雑誌]日経 情報ストラテジー 2012年 03月号 [雑誌]
日経情報ストラテジー

日経BP社 2012-01-28

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 昨日の記事「再現性の低い失敗の分析に意味はあるか?という問い―『日経情報ストラテジー(2012年3月号)』」が、個人的にあまりにイマイチだったので、結局何が言いたかったのかをもう一度整理してみた。要するに、東京大学・中尾教授のコラムにあった「人のふり見て我がふり直せ」ではないけども、他社の失敗事例を真剣に検討して自社の仕組みを改善している企業が一体どのくらいあるのか?ということが言いたかったわけ。失敗の再現性があろうとなかろうと、あるいは自社の事業内容とは遠い企業や団体・組織の事例であっても、冷静に分析すれば何らかの教訓は必ず得られる(「歴史から学ぶ」というのは、まさにその一例)。

 多くの企業は、ベストプラクティスのベンチマーキングには力を入れる。日本企業は特に他社事例に敏感なようで(例えば、取引先から新しい技術を採用した製品やサービスを提案されると、「競合が導入しているなら、うちも入れよう」という理由で導入が決まるケースが多いと聞く)、競合はもちろんのこと、異業種も含めて成功要因を深く探ろうとする。ところが、「ワーストプラクティス(=失敗)」のベンチマーキングとなると、どうしてもトーンが下がる気がする。これには2つの要因があるだろう。

 1つは物理的な要因であり、失敗事例はなかなか表に出ないという情報面の制約がある(それでも最近は、失敗事例を集めた書籍が幾ばくか出版されるようになったと思う)。もう1つは、こちらの方が重要だと思うのだが、人間には基本的に楽観志向が埋め込まれているという心理的な要因である。心理学の研究が示すところによると、我々は「自分にはいいことが起こるはずだ」、あるいは「自分は他人のように失敗するはずがない」と考える性向があるという。前者を「非現実的な楽観主義(unrealistic optimism)」、後者を「不死身の錯覚(illusion of personal invulnerability)」と呼ぶ。

 「非現実的な楽観主義」にとらわれた人は、幸せな結婚、出世、長生きなど、よいことが自分に起こる可能性をしばしば過大評価する。また、「不死身の錯誤」に陥ると、人生には災厄のリスクが存在することを客観的に承知しているにもかかわらず、わが身には降りかかってこないと考えてしまう(※)。

 こうした心理的傾向があるために、ベストプラクティスに関しては、「あの会社が成功したのなら、わが社にだってできるに違いない」と確信して必死に勉強するものの、ワーストプラクティスについては、「うちの会社はあそこのように失敗するはずがない」、「わが社だけは危険を回避できる」と考えて、真剣にとり合わないと推測される。

 本号によると、キヤノン電子には他の事業部で発生した失敗事例を分析・共有する「他部門勉強会」が存在するという。だが、他社の失敗事例を分析・共有する仕組みを備えている企業というのは、(私の狭い見聞の範囲内での話だが)今まで聞いたことがない。将来的に今の自分の個人事業を法人化したら、ワーストプラクティスをベンチマーキングする仕組みを検討してみようかなぁ?と思った。


(※)ロデリック・M・クラマー「「過度な信頼」に関する7つのルール 信頼の科学」(『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2009年9月号)

Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2009年 09月号 [雑誌]Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2009年 09月号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2009-08-10

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January 19, 2012

怒りを上手に表現できないと人生で割を食う―『どうしても「許せない」人』

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どうしても「許せない」人 (ベスト新書)どうしても「許せない」人 (ベスト新書)
加藤 諦三

ベストセラーズ 2008-01-09

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 決して読みやすい本ではなかったのだが、それなりに考えさせられるところがあった本。「どうしても許せない人たち」に苦しんでいる人は、どうすればその苦しみから脱することができるか?という内容である。

 「『どうしても許せない人たち』に苦しんでいる人」というのは、本書を読むと2タイプに大別できるようだ。1つ目のタイプは、蓄積した怒りが一般化・誇張されてしまった人である。このタイプの人たちは、怒りを表現することは少ないものの、陰では「私は『いつも』酷い目に遭っている」、「あの人のことは『絶対に』許せない」、「『私だけ』が惨めな思いをしている」と繰り返す癖があり、過去の出来事をいつまでも引きずる傾向があるという。

 もう1つのタイプは、怒りを無意識のうちに抑制してしまっている人であり、相手とトラブルになっても、「悪いのは全部自分のせい」、「自分は相手よりも劣っているのだから、相手には従うべきだ」と考えてしまう。確かに、何か問題が起きた際に、全てを相手の責任にせず、自分にも非があるのではないか?と反省することは、対人関係を円滑にする1つのコツではある。しかし、世の中にはどうしようもなく非道で下劣な人間も存在するのであって、そういう人間と対峙しても自分のせいだと思うのは行き過ぎだと著者は警告している(※)。

 2つのタイプは、口癖だけを見れば両極端なのだが、怒りを過剰に抑え込んでいるという点では同じである。そして、こういうタイプの人は概して「人生で割を食う」。なぜなら、「他人を意のままに利用しようとする人たち」にとって、彼らは格好の”カモ”だからだ。そういうズルい人たちから見ると、どちらのタイプも怒りを表立って表さないので、多少おかしな要求や無茶な仕事を押しつけても大丈夫だと勘違いしてしまう。そして、予想通り彼らからの反発がなければ、ズルい人たちはまた同じように滅茶苦茶な要求をつきつけるのである(往々にして、その要求はエスカレートしていく)。

 「どうしても許せない人たち」に苦しんで「割を食っている人」というのは結構いるもので、私もそういう人たちを少なからず見てきた。私が見た中で一番可哀そうだった人は、

 ・ある会社で、社長の肝入りで新規事業の子会社を設立することになったのだが、最初の担当者が途中で仕事を放り投げてしまい、その人が知らぬ間に後釜に据えられてしまった。
 ・新会社の製品は海外の技術を利用しており、その人が英語に長けているという理由だけで、海外との交渉やマニュアルの日本語化などを一人で全部やらされた。
 ・新会社の社長に就任した人が極端に時間にルーズで、ミーティングのドタキャンは当たり前。また、ミーティングが2時間、3時間遅れて始まることも日常茶飯事(一番酷かったのは、社長がキャバ嬢へのプレゼントを買っていてミーティングに遅刻したという話)。しかも、仕事とは無関係な社長のプライベート話でミーティングが長引く。
 ・新規顧客獲得のためのセミナーで、新会社の社長が「製品説明は全部オレがするから」と言っていたのに、いざ説明を始めたら途中から説明できなくなり、突然その人にバトンタッチした(しかも、無茶振りされた箇所は、まだ十分に開発が進んでいない機能であった)。
 ・そんな社長なので当然のことながら仕事が取れるはずもなく、親会社の社長からは「高い給料に見合った働きをしていない」と酷評され1年足らずで社長が交代。会社も売却されることになり、諸々のゴタゴタに伴ってその人も転職を余儀なくされた。

 という人である。その人からあまりにたくさんの話を聞いたため、全部のエピソードはさすがに覚えていない(汗)。その人からは冗談半分で「うちの会社に来て仕事を手伝ってよ〜」とよく言われたけれど、「いやいや、そんな話を聞かされた後で手伝おうと思う人なんかいないよ・・・」と苦笑いで返していた記憶がある。

 「どうしても許せない人たち」に振り回される2タイプの人たちに共通しているのは、「怒りを上手に表現できない」ことだと思う。1つ目のタイプの人は、最初に何か些細な問題が発生した時、自分の怒りを相手にちゃんと伝えればよかったのに、それができなかった。しかも、問題発生から時間が経過するほど、自分の怒りを相手に訴えることが困難になるものである。

 すると、「あの時ちゃんと言っておけばよかった」という後悔だけが残る。次に問題が起きても、また怒りを表現できず後悔する⇒さらに問題が起きてもやっぱり我慢してしまう・・・この繰り返しで雪だるま式に怒りが蓄積されていき、ついには「あの人は私に対して『いつも』酷いことをする」といった具合に、怒りが一般化されるのである(稀に溜めていた怒りが爆発することもあるが、怒りに含まれる過去の出来事が多すぎて、合理的に説明できないことが多い)。

 もう一方のタイプは、怒りを自分で意識していない分だけより深刻である。相手に酷いことをされると、怒りの感情よりも先に「あの人に嫌われたくない」、「あの人に見捨てられたら自分の居場所がなくなる」という自己防衛の心理が働く。だが、あくまで怒りを意識していないだけであって、潜在的には怒っているのである。「相手に嫌われたくない」という気持ちが湧き上がった時は、実は怒りのサインだと考えた方がよい。

 そのサインを見過ごしていい人を演じ続ければ、表面的には人間関係がスムーズに進むかもしれない。しかしその反面、いつしか身体の方が悲鳴を上げてしまい、食欲不振や吐き気、不眠などの症状に陥る。また心理的にも、うつ病までは行かないが、気分が優れない、何となくやる気が出ない、無気力であるといった状態になるという。

 人生で割を食わないようにするためには、上手な怒りの表し方を身につけた方がよさそうだ。1つ目のタイプの人であれば、問題が大きくならないうちに、そして時間が経たないうちに勇気を出して怒りを訴えてみる。2つ目のタイプの人は、「あの人に嫌われたくない」という潜在的な怒りのサインを読み取って、「自分に非があるのではないか?」という発想を敢えてひっくり返し、「実は相手にも非があるのではないか?」と考えてみる。

 もちろん、自分より年上や目上の人、自分と大事な関係にある人に対して怒りを表現することは容易ではない。自分が怒りを訴えたことで、本当に関係が壊れてしまう危険性もある(閑職に追いやられる、部課内で孤立する、友人を失う、離婚させられる、など)。とはいえ、こちらから少し怒りを伝えただけで簡単に関係が壊れてしまうようであれば、「その人は本当の意味で大事な人ではなかったのだ」と割り切ることも必要なのかもしれない。その方が、怒りを訴えないまま誰にも解ってもらえない苦しい思いを続けるよりも、精神的にはずっとマシな生活を送れる気がするのである。

 何でこんな記事を書いたかというと、恥ずかしながら私自身も怒りの表現が上手ではないという自覚症状があるからだ。「相手に遠慮せずに、言うべきことは言う」というスタンスは、ある意味、大人としての美徳の1つと言っても過言ではない気がする。


(※)本書には、もう1つのタイプとして、ナルシストのような神経症の人が挙げられている。神経症の人は、自分の要求レベルが高すぎるために、相手がその要求に応えてくれないと怒りをあらわにする。ただこのタイプは、本文で述べた2つのタイプとは異なり、怒りを上手に表現できないことに問題があるのではなく、自分の期待水準や欲求が世間一般の基準と照らし合わせても過剰である点に問題があるので、治療法が異なる。
July 14, 2011

M・セリグマンによる「自分の強み診断(VIA-IS)」(無料)

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 DHBR2011年7月号で取り上げられていたもう1つの無料診断は、ポジティブ心理学の権威であるM・セリグマンによるもので、「VIA・強みに関する調査票(VIA-IS)」という名前がついている。この診断では、好奇心、創造性、粘り強さ、勇敢さ、誠実さ、公正さ、リーダーシップ、自制心など24のポジティブな性格特性を測定することができる。

 ・ポジティブ・サイコロジー|ペンシルバニア大学公式サイト
 http://www.authentichappiness.sas.upenn.edu/Default.aspx

 ページの右上で日本語を選択できるから、昨日のIPIPテストよりも気楽に受診できる。ただし、診断にあたってはユーザ登録が必要。それから、設問は全部で240問と非常に多いため、1時間前後の時間を確保してから受診されることをお勧めします。

 私の5つの強みは以下のようになった。

あなたの最高の強み=向学心
 あなたは、学校でも、あるいは独学でも、新しいことを学ぶのが大好きです。あなたは学校や読書や博物館など、いつでもどこでも学ぶ機会を得るのが大好きな人です。

あなたの第2位の強み=愛情(愛し愛される力)
 あなたは他人との親密性、特に互いに共感し合ったり、思いやったりする関係に価値を見出す人です。あなたが最も親しみを感じる人々と、あなたに対して最も親しみを感じる人々とは一致しており、同じ人々です。

あなたの第3位の強み=柔軟性 [判断力、批判的思考力]
 あらゆる角度から物事を考え抜いて検討することは、あなたがどういう人間かということの重要な要素となっています。あなたは決して安易に結論に飛びつくことなく、決断する際にはきちんとした証拠にのみ基づいてそうします。あなたは自分の考えを柔軟に変えることができる人です。

あなたの第4位の強み=誠実さ [真情、正直さ]
 あなたは正直な人であり、真実を語るだけではなく、純粋に、真心をもって人生を生きています。あなたは地に足が着いている人で、偽りのない人間、つまり「本物」です。

あなたの第5位の強み=大局観 [知恵]
 あなたは自分のことを賢いと思っていないかもしれませんが、あなたの友人たちはあなたのことを賢い人だと思っています。あなたの友人たちはあなたの物の見方に一目置いており、あなたに助言を求めます。あなたは他人にとっても、また自分にとっても納得のいく世界観を持っている人です。

 あーそうか、第2位には「愛情(愛し愛される力)」が来るのか。これは予想外だった。残りの4つは概ね納得感がある。

 ところで、診断を受けていて、「リーダーとしてメンバーを公平に扱うか?」、「メンバーには平等に発言権やチャンスを与えるか?」といった類の設問がよく目についた。自分のことを振り返ってみると、プロジェクトなどでは、メンバーの肩書きや経験にこだわらずに、わけ隔てなく仕事を割り当てたり、会議での発言を求めたりするようにしている。

 ただし、自分が期待している水準の成果をいつまでも上げられないメンバーは、あっさりと見捨ててしまっているような気がする。言い換えれば、機会の平等には気をつけているけれども、見切りが早いといったところだろうか。こういう性格は、プロジェクトをすばやく成功に導くためには有効だが、中長期的なスパンでメンバーの長所を発見することができず、メンバーのポテンシャルを奪ってしまうリスクがあると言えそうだ。ふーむ、この点には気をつけよう。

 ちなみに、ポジティブ・サイコロジーのページでは、VIA-IS以外にも「全体的な幸福度に関する調査票(AHI)」、「ポジティブ感情・ネガティブ感情評定尺度(PANAS)」、「仕事と生活に関する調査票」など、様々な診断を受診することができる。
July 13, 2011

「パーソナリティ・モデルの5要素」に基づく性格診断(無料)

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 DIAMONDハーバード・ビジネス・レビューの7月号で、無料診断が2つ紹介されていたのでやってみた。まずは、パーソナリティ・モデルの5要素(通称ビッグ・ファイブ)に基づく性格診断。この診断では、経験に対する開放性、誠実さ、外向性、協調性、神経質さの度合いが解る。さらに、この5要素にはそれぞれ関連する下位要素があり、より詳細に自分の性格を把握することができる。論文の著者によると、自分や周囲の人間の失敗への対処の仕方を明らかにするのに役立つという。

 http://www.personal.psu.edu/j5j/IPIP/ipipneo120.htm(英語)

 診断結果の見方はこんな感じだ(論文から引用)。
 たとえば、誠実さの下位要素である「達成のための努力」で得点が高いならば、熱望した目標が達せられない場合に落ち込みやすいということだ。あるいは、神経質の下位要素である「怒り」で得点が高いと、他人のささいなミスを過度に責め、その重大性を誇張する傾向があることがわかる。
 リンク先のページにジャンプすると、診断にあたっての注意点がいくつか書かれているので、全てのチェックボックスにチェックを入れる。その後、ページ最下部の「Send」ボタンを押すと、診断がスタートする。診断は全部で120問あり、前半60問と後半60問でページが分かれている。英語なので若干面倒くさいが、"Very Inaccurate"(全く当てはまらない)〜"Very Accurate"(大変よく当てはまる)の5段階のうち、自分に該当するものを選択するという、診断としては極めてシンプルな形式のものである。

 私の結果は以下のようになった。いずれの要素も0〜99点の間で測定されるようだ。

基本要素(1)Extraversion(外向性)・・・15点
 <下位要素>
  (1)-1:Friendliness(親しみやすさ)・・・7点
  (1)-2:Gregariousness(社交性)・・・8点
  (1)-3:Assertiveness(積極性)・・・44点
  (1)-4:Activity Level(活発性)・・・49点
  (1)-5:Excitement-Seeking(興奮を追い求める度合い)・・・46点
  (1)-6:Cheerfulness(陽気さ)・・・11点

 外向性が低いのは自分でも自覚しているよ(汗)。でも、Assertiveness、Activity Level、Excitement-Seekingが他の下位要素よりも高いのはやや意外だった(それでも半分以下の得点だが)。

基本要素(2)Agreeableness(協調性)・・・16点
 <下位要素>
  (2)-1:Trust(他人に対する信頼感)・・・24点
  (2)-2:Morarity(道徳性)・・・29点
  (2)-3:Altruism(利他主義)・・・5点
  (2)-4:Cooperation(協業)・・・18点
  (2)-5:Modesty(謙虚さ)・・・35点
  (2)-6:Sympathy(他人に対する共感)・・・63点
 外向性と同様、協調性も低いのは認識済み(大汗)。EQ(心の知能指数)の診断とかをやっても、だいたいこの辺りのスコアは低く出る。それにしても、Altruismが5点ってのはちょっとひどいなぁ。Sympathyが高いのに対してAltruismが低いということは、「他者に共感はするけれども、救いの手は差し伸べない」ってことになるのかな?こう書くと、自分がすごく冷たい人間のように思えてしまうが・・・。大丈夫かなぁ?今後の仕事に影響しないかなぁ??

基本要素(3)Conscientiousness(誠実さ)・・・70点
 <下位要素>
  (3)-1:Self-Efficacy(自己効力感)・・・52点
  (3)-2:Orderliness(秩序正しさ)・・・80点
  (3)-3:Dutifulness(忠実さ)・・・66点
  (3)-4:Achievement-Striving(達成のための努力)・・・66点
  (3)-5:Self-Discipline(自己規律)・・・47点
  (3)-6:Cautiousness(注意深さ)・・・64点
 受診前には、次に出てくる(4)Neuroticism(神経質さ)が一番高くなると思っていたけれど、(3)Conscientiousness(誠実さ)が最も高得点だった。ただ、Self-Discipline(自己規律)だけが他の下位要素に比べて低いということは、自分の基軸がぶれることがまだ多いのだろうな。悪く言えば、自分に対して甘いところがあるということだろうか?

基本要素(4)Neuroticism(神経質さ)・・・60点
 <下位要素>
  (4)-1:Anxiety(不安感)・・・81点
  (4)-2:Anger(怒り)・・・68点
  (4)-3:Depression(失望)・・・72点
  (4)-4:Self-Consciousness(自意識)・・・67点
  (4)-5:Immoderation(過敏な反応)・・・12点
  (4)-6:Vulnerability(精神的な脆さ)・・・38点
 引用文にあった、「神経質の下位要素である「怒り」で得点が高いと、他人のささいなミスを過度に責め、その重大性を誇張する傾向がある」というパターンに見事に当てはまりました(泣)。しかし、Angerよりも、AnxietyやDepressionの方が高いんだね。確かに、他人の仕事を見ていてイライラすることは多いのだけれども、それを表に出さずに我慢する傾向はあるかもしれない。怒りを飲み込んだ結果、不安や失望感につながってしまうのだろう。

基本要素(5)Openness to Experience(経験に対する開放さ)・・・24点
 <下位要素>
  (5)-1:Imagination(創造力)・・・1点
  (5)-2:Artistic Interests(芸術に対する関心)・・・60点
  (5)-3:Emotionality(感情の豊かさ)・・・32点
  (5)-4:Adventurousness(大胆さ)・・・38点
  (5)-5:Intellect(知性)・・・70点
  (5)-6:Liberalism(リベラルな考え方)・・・17点
 「経験に対する開放さ」という日本語がやや不自然だけれども、解説文を読むと「自分はどういう分野での経験に興味があるか?」といった意味のようだ。Imaginationが1点って・・・。お情けで1点くれた、みたいな感じになっているじゃないか。

 ところで、下位要素にLiberalism(リベラルな考え方)が入っている点は、いかにもアメリカの診断っぽいなと感じた(Openness to Experienceの下位要素にLiberalismが位置づけられる理由はよく解らないけれども)。診断には、「選挙ではリベラルな/保守派の候補者に投票する」という設問が含まれている。
July 08, 2011

だから「楽観主義」という言葉は好きになれない―『失敗に学ぶ人 失敗で挫折する人(DHBR2011年7月号)』

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 (レビューの続き。5月号のレビュー「真の楽観主義者は究極の現実主義者である―『リーダーシップ 真実の瞬間(DHBR2011年5月号)』」もご参照ください)

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ストレス耐性を強化する トラウマを糧にする法(マーティン・E・P・セリグマン)
 1960年代後半、私が参加する研究チームは「学習性無力感」を発見した。(中略)ところが奇妙なことに、逃れられないショックや雑音を経験した動物や人間のうちの約3分の1は、けっして無力感に陥らなかった。彼らの何がそうさせたのだろうか。私の研究チームは、15年を超える研究の末、その答えが楽観主義であることを突き止めた。
 「ポジティブ心理学」の権威であるセリグマンの論文。「学習性無力感」とは、長期にわたって、ストレス回避の困難な環境に置かれた人は、その状況から逃れようとする努力すら行わなくなるという見解のことである(Wikipediaより引用)。有名な実験に「カマスの実験」があるが、まずはカマスが入った水槽の真ん中に仕切りを入れて、水槽の端から端まで移動できない状況を作る。

 するとカマスは、最初のうちは仕切りに頭を何度もぶつけながら、水槽の反対側に移動しようとするものの、時間が経過するにつれて、移動を諦めるようになる。この状態で仕切りを取り除くと、カマスは自由に泳げる環境であるにもかかわらず、水槽内を移動しようとしない。これが学習性無力感である。

 セリグマンは、「全ての人が学習性無力感に陥るのではなく、楽観主義的な人は学習性無力感に陥りにくい」と主張している。いかにもポジティブ心理学の教授らしい見解ではある。ところが、本号の最後の方に出てくる論文では、こんな調査結果が紹介されている。
 シリアル・アントレプレナーとは起業を繰り返す起業家を言う。彼ら彼女らの勇猛果敢さと粘り強さには、だれもが感服するが、その夢に資金を提供する投資家たちにとっては、大きなリスクの元である。

 我々の調査によれば、シリアル・アントレプレナーたちは失敗から学ぶのではなく、失敗の後も以前と同様、ただ楽観的すぎる傾向がある。(「4つの知見から学ぶ 「失敗」の論点」(デニス・ユチェバシャラン他)より)
 楽観主義的な人は、学習性無力感を避けて、幾多の失敗から不死鳥のように立ち上がることが可能かもしれない。だが一方で、その楽観主義者に振り回される債権者や株主、社員、取引先や顧客、さらには当の楽観主義者自身の家族などは、多大な損害をこうむる。

 本人だけにスポットを当てれば、楽観主義は大切なのかもしれないけれども、社会全体で見た場合に、果たして楽観主義はどのくらい有益なのか?については、議論の余地があると思う。例えば、

・度重なる事業の失敗を重ねて周囲の人たちに甚大な損失を与えたが、最終的には過去の損失を上回る大規模な事業を育てた人
・小規模の事業で数回失敗した後、中規模ではあるが継続的に利益が出る事業を作り上げた人

の2人がいるとして、トータルの損益の金額が同じだとしたら、社会的にはどちらの人の方が賞賛に値するのだろうか??(まぁ、シリアル・アントレプレナーに関する研究だけを持ち出してきて、「楽観主義」の効用について批判的なことを書くと、心理学に詳しい人からは「『確証バイアス』に陥っている」とか言われそうだが・・・。ちなみに「確証バイアス」とは、自分と同じ立場の見解や主張には敏感に反応する野に対し、自分の主張に反する情報は無視しやすい傾向のことを指す)

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失敗だけでは学べない 成功も厳しく検証せよ(フランチェスカ・ジーノ、ゲイリー・P・ピサノ)
 成功は、我々を実際よりも優れた意思決定者だと思い込ませる。さまざまな業界の経営幹部を対象に最近実施した簡単な調査では、あるグループのメンバーに仕事上の成功体験を思い出してもらい、別のグループには失敗経験を思い出してもらった。その後、両方のグループに一連の意思決定に関わってもらい、その作業に彼ら彼女らの自信、楽観性、リスク許容度を評価する測定法を組み入れた。

 すると、成功を想起した経営幹部は、失敗を想起した経営幹部よりも、自己の能力に自信を持ち、将来の成功を楽観的に予測し、大きなリスクを取る傾向があることがわかった。
 成功体験を思い出すだけでも、意思決定やリスク許容度に差が出るという興味深い実験。楽天・野村名誉監督は、負け試合の後でボヤキながら敗因分析をしていたが、いつの日だったか、マー君で勝った試合の後にも、「何で勝てたのかよく研究しないとな」と発言したのを覚えている。

 ノムさんがしばしば口にしていた「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という言葉には、負けには明確な原因があるものの、勝ちには運やまぐれ(例えば、打ち損ないがヒットになった、相手ピッチャーが勝手に自滅した、たまたま浜風が吹いた、など)が絡んでいるから、「どこまで自分たちの実力で勝つことができたのか?」、「もっとうまくやれる戦術や作戦があったのではないか?」などをじっくり検証しないといけない、という意味合いが含まれているのではないだろうか?

 「成功も厳しく検証せよ」という教訓は、経営者やプロジェクトマネジャーのみならず、人事担当者にとっても非常に重要だと思う。なぜなら、人事担当者がある人の昇進や採用の是非を決める際には、必ず過去の業績を判断材料にするからだ。

 無名のベンチャー企業が、新しい営業担当者を採用しようとしているとしよう。応募者が大企業で高い成果を出していたからという理由で採用してしまうのは、非常に初歩的なミスである。その人の業績がよかったのは、単に大企業のブランドのおかげだったかもしれない。あるいは、周囲に優秀な営業事務スタッフがおり、顧客訪問に必要な資料はスタッフが用意してくれていたのかもしれない。

 人事担当者は、成功に対するその人自身の貢献度合いを見極める必要がある。ある会社の法人営業マネジャーから聞いた話であるが、この会社はチームセリングが多く、かつ技術支援部隊など他部門の人たちとチームを組んで営業を行う。

 営業担当者の評価は業績のみでは決まらず、「その営業担当者は、チームの中でどのくらいイニシアチブをとっていたか?(例えば、「チームメンバーの役割分担を明確にしていたか?」、「提案書の作成をメンバーに丸投げせず、自ら商談ストーリーを構築していたか?」、「商談スケジュールを決めて、メンバーの仕事の進捗をきめ細かくチェックしていたか?」、「商談の初期段階で、メンバーを顧客企業のキーパーソンに紹介していたか?」など)」を他のメンバーに評価してもらい、その評価と業績を組み合わせて、最終的な評価を確定しているという。

 (もう1回ぐらいレビューを書くかも)
December 02, 2010

12月号のその他の論文(メモ書き)−『人を潰す会社 人が輝く会社(DHBR2010年12月号)』

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 その他の論文については、もうコメントをつけるのが面倒くさくなってきたので(汗)、印象に残った文章だけ引用しておきます(手を抜いたな!とか言わないでね)。
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慢性的な過負荷からの脱却 社員を追い詰める「加速の罠」(ハイケ・ブルッフ他)
 我々の調査結果では、加速しすぎた企業は競合他社と比べて、特に業績、効率、社員の生産性、在職率などの評価基準において次第に劣っていく。情報へのアクセスが四六時中狩野でコスト削減が繰り返し行われるような現況の経営環境では、この問題は急速に蔓延する。
 リヒテンシュタインに本社を持つ建材メーカーのヒルティは「加速するための減速する」という点で秀でている。社内の各チームは定期的に2日間のチーム・キャンプに参加する。これは全体として年間で3万労働日に相当し、約960万ドルの費用がかかるものである。

 これらキャンプのうち「ピット・ストップ」と呼ばれるキャンプでは、各チームは一歩離れて自分たちの業務を振り返ることで、再び活力を得て通常の業務に復帰することができる。

 (中略)2009年の同社の売上げは20%減少したが、キャンプへの投資は継続した。人材開発担当の上級副社長アイビンド・スラーエンは、「なぜなら、困難な時期にこそ、我々の価値観と文化が重要な役割を果たすからです」と説明している。
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組織を蝕む負のスパイラル 職場の「妬み」を克服する(ターニャ・メノン他)
 妬みは人間関係を損ない、チームを分裂させ、組織の業績を徐々に蝕む。そして何よりも、妬みを持つ人をいちばん傷つける。他人の成功ばかり気にするようになると、自尊心が傷つき、自分自身の業績や昇進の可能性をおろそかにしたり、場合によってはこれらを台無しにしたりすることもある。
 心理学者のエイブラハム・テッサーによると、「人は、赤の他人が成功した場合よりも自分と同じような環境にある親しい人物が成功した場合のほうが不愉快になる」という。

 (中略)成功を収めた同僚から距離を置こうとすると、機会の喪失や組織の効率の低下を招くことになる。我々の調査結果によると、人は同じ組織内にいるライバルが考え出したアイデアよりも、他社で生まれたアイデアから学ぼうとする気持ちのほうが強いということが見て取れる。
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新規チームと既存部門のパートナーシップ構築 イノベーションをめぐる対立を解消する(ビジャイ・ゴビンダラジャン)
 経営幹部の多くは、大規模なイノベーション・プロジェクトを推進するには、他の部門から分離独立した専任チームが必要だと思い込んでいるのである。(中略)(しかし、)実際、イノベーション・プロジェクトの遂行に際しては、部門間の溝を何らかのかたちで埋めるパートナーシップ、すなわち、専任チームと、現行業務における優位性を生かすチームとの協働体制が不可欠である。

 たしかに、このようなパートナーシップは一見、非現実劇に思えるかもしれない。しかし、これを諦めるということは、イノベーションそのものを諦めてしまうことでもある。ほとんどのイノベーション・プロジェクトは、その企業が持つブランドや、顧客リレーションシップ、生産能力、専門知識といった既存の資源やノウハウの上に成り立っているからだ。
March 12, 2010

感情は問題提起のサインである

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 先日の記事「果たして意思決定に感情は不要なのか?」では、感情を完全に取っ払えば人間は合理的な意思決定ができるわけではなく、感情は理性と連携を取りながら意思決定を導き出しているという脳科学の研究を紹介した。しかし一方で、感情が意思決定を歪めるケースが多いことも指摘した(「怒り」が合理的な意思決定を歪める一例として、「最後通牒ゲーム」がある)。

 兵法の最高の教科書と言われる『孫子』には、「主は怒りを以て師を興すべからず、将は慍(いか)りを以て戦を封ずべからず」という一文がある。怒りは戦いにおける合理的な意思決定を妨げ、自らの命を危険にさらすと孫子は警告しているのである。

 中国の三国時代、袁紹(えんしょう)という人物はこの過ちを犯し、自滅の道をたどった。袁紹は当初、後漢の政権を脅かした董卓(とうたく)を倒して漢を復興することを目指していた。袁紹の元には曹操がいた。しかし曹操は、董卓に対していつまでも煮え切らない態度を取る袁紹から次第に距離を置くようになり、魏国の地盤を広げて独自の勢力を形成した。ついに両者は「官渡の戦い」(官渡は現在の河南省中牟の近く)で激突する。

 官渡で両者の膠着が続いた時、袁紹の臣下は『孫子』に基づいて官渡の死守にこだわらない別の作戦を進言した。だが、袁紹はそれを無視した。袁紹は官渡の戦いの前哨戦で曹操の誘導作戦にまんまと引っかかり、2人の武将を失ったがゆえに怒り心頭であったようだ。袁紹はあくまでも官渡で戦いを続けることに固執し、無茶な攻城法に出た。その作戦は、孫子が「莫大な資源と労力を必要とするから、やむを得ない時にしかやってはいけない」と警告した作戦であった。

 孫子の警告通り、袁紹の無理がたたって軍は大いに疲弊し、膠着状態は解決しなかった。最終的には、袁紹の重臣である許攸(きょゆう)が袁紹を見限って曹操に降伏したため、袁紹軍は総崩れとなった。袁紹は曹操に対するつまらない怒りが原因で、合理的な意思決定ができなくなってしまったのである。(※)

 冒頭の記事では、最終的に私の中で「意思決定にプラスに作用する感情は『冷静さ』ぐらいではないか?」という結論に達したわけだが、ここで1つ別の疑問が出てくる。それは「感情は何のためにあるのか?」ということである。感情が意思決定にマイナスの影響を及ぼすことが多いのであれば、我々が感じる不安や怒り、競争心あるいは喜びなどの感情は、一体何のために存在するのだろうか?

 本当に突き詰めて考えると脳科学や心理学、哲学の専門的な分野に入っていく必要がありそうなので止めておくが、マネジメントの世界で感情の意義を考えるならば、それは「組織における問題発生のサインである」というのが私の考えである。

 以前、「『小さな問題意識』が若手社員のキャリア開発のきっかけとなる」という記事で、銀行に勤める私の知人の苦悩を紹介した。彼は銀行の方針に対して不安を抱えている。しかしながら、不安に煽られて衝動的に上司に掛け合ったり、何か運動を起こしてみたりしても何の効果もないだろう。彼は冗談半分で「政治家になって金融庁の方針を変えさせてやりたいよ」などと言っていたが、だからと言って「じゃあ、明日から銀行を辞めて次の国会議員選挙に出馬します!」とはならない。

 彼が感じる不安は、今の銀行のマネジメントに潜む何らかの深刻な問題のサインと言える。彼に必要なのは、果たして銀行の方針がころころ変わるのはなぜなのか?本当の問題はどこにあるのか?その問題を解決するためにはどうすればいいのか?今動くべきなのか、もっと年月が経って自分の意見に同調してくれる味方が増え、昇進に伴って権限が広がった時に動くべきではないのか?という冷静な分析と判断である。心の中に渦巻くマイナスの感情の存在に気づくことは非常に重要である。だが、その感情に任せて意思決定をすると道を踏み外す。マイナスの感情が芽生えた時には、「これは何かの問題のサインだ」と捉えて冷静にならないといけないのである。

 ポジティブな感情でも同じようなことが言える。例えば、ある新製品が大ヒットし、嬉しくて興奮しているマネジャーがいるとしよう。彼は、今のうちに売れるだけ売ってしまおうと考え、勢いに任せて営業担当者をガンガン採用する。だが、採用した社員はトレーニングもそこそこに現場に放り込まれ、マネジャー自身も一気に部下が増えたことで全員に目が行き届かなくなる。やがて、いい加減な営業活動に対する顧客からのクレームが増え、会社の売上と信用を落とすことになる。

 この場合は興奮して積極攻勢に出るのではなく、一歩引いた視点から、「今わが社は成長期を迎えているが、現在の体制で果たしてやっていけるのか?」と問う必要がある。「勝って兜の緒を締める」という言葉があるように、一時の勝利で浮き足立っているようではダメだ。勝利の美酒は未来の問題に対する知覚を麻痺させる。

 適度な競争心は組織や社員を成長させるが、過剰な競争心もまた組織を間違った方向に導く。例えば、ライバル会社を徹底的に潰すことばかりを考えていると、顧客のニーズに応えるという本来の事業の目的から遠ざかってしまい、顧客の離反を招く恐れがある。また、(再び営業の例で恐縮だが、)営業部門が売上偏重主義で、担当者の売上高による競争を煽りすぎると、営業担当者は自分の売上を立てることばかりを考えて重要な顧客情報やナレッジをお互いに共有しなかったり、違法すれすれの営業活動を平気でしたりするようになり、部門の雰囲気が殺伐としたものになっていく。もし自分の中に異常なまでの競争心が沸き起こってくるようならば、組織のどこかに何らかの歪みが生じている可能性があると考えた方が賢明だ。

 感情は問題提起のサインである。だから決して無視してはいけない。だが、感情が問題を解決するわけではない。自分の中に通常とは異なる感情が湧き上がった時には、「今の組織に何かしらの問題が起きている予兆かもしれない」と冷静になることが大事だ。感情の赴くままに問題解決に取り組むのはご法度である。問題解決のための意思決定は、あくまでも「冷静」に下さなければならないのである。

(※)袁紹に関する記述は、山本七平「『孫子の兵法』で『三国志』を読む(第2回)」(『歴史に学ぶ』2009年6月)を参考にしている。
March 11, 2010

ナットアイランド症候群〜チームメンバーの固定化は不正の温床にもなる

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 先日の記事「何でもコラボすりゃいいってもんじゃないんだよ(後半)−『信頼学(DHBR2009年9月号)』」の中で、「メンバーを頻繁に交代せず、同じメンバーで臨んだ方が真のチームワークが築かれる」という内容のインタビュー記事を紹介した(J・リチャード・ハックマン「チームワークの嘘」)。

 確かに、チームメンバーの固定化は信頼関係の構築に貢献するかもしれないが、一方でメンバーの考え方が同質化して新しいアイデアが生まれにくくなり、変化に適応できない硬直的なチームになる可能性もありうる。こういうデメリットは頭の中に入れておく必要があると思う。

 また、今回の記事のタイトルにもあるように、チームメンバーの固定化は「不正の温床」になる危険性をもはらんでいる。DHBR2009年11月号のダン・アリエリー「合理的経済学の終焉」という論文の中で、興味深い実験が紹介されている。ちょっと長くなるが引用してみる。

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 我々は、数学の問題を5分間で20問解き、正解には1問につき50セント支払うという実験を3回実施した。

 1回目の実験では、各参加者たちは正答数を記入した紙だけを試験官に提出し、試験官は申告された回答数と答案用紙を照らし合わせた。2回目の実験では、参加者たちは答案用紙をシュレッダーにかけ、回収する用紙のみ試験官に提出した。ある意味、予想どおりの結果だが、この参加者たちは、1回目の参加者たちより、正答数を平均2問多く申告した。

 3回目の実験では、参加者たちにペアを組ませて、獲得した金額は分け合うことにしたところ、より興味深い結果が得られた。数をごまかせば相手の取り分も増えることから、不正の割合が25%上昇したのである。

 さらに別の実験では、監視したり監督したりすれば、チームの不正を防止できるのかを調査した。結果として、効果はなかった。不正行為は多少減ったとはいえ、完全になくなることはなかった。さらに驚かされたことに、実験の参加者同士が親しくなるにつれて、チームのためにいっそう不正行為に走る傾向が見られた。
 チームメンバーの固定化によって得られた信頼関係が悪い方向に働くと、倫理や規範をそっちのけにして不正に走ることをこの実験は示している。これは、私たちの日常的な感覚にも合致するところがあるように思える。いわゆる「なあなあの関係」になると、メンバーのミスや不正を見過ごしたり、甘く見たりしがちになる。

 上記のように最初から堕落の一途をたどるチームもあるが、理想的なチームがいつのまにか不正だらけのチームになるという事例も存在する。DHBR2006年12月号のポール・レビー「模範的チームはなぜ失敗したか」という論文は、著者が「ナットアイランド症候群」と命名した組織病を解説した非常に面白い論文である。

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 マサチューセッツ州クインシーにあるナットアイランド下水処理場は典型的な「3K職場」でありながら、そこで働く人たちは精力的に仕事を行い、残業をいとわず、部品を買うために自腹さえ切るほどであったという。経営者ならば誰もがうらやむようなこの理想的なチームは、1960年代後半から30年あまりの間、ボストン港の水質を守ることを目標にしていた。しかし、崇高なミッションの裏で、彼らはとんでもないことをしでかすようになった。1982年、彼らは37億ガロンもの未処理下水を、通常業務中に、しかも半年間に渡って港に垂れ流しにしていたのである。

 論文の著者であるポール・レビー氏は、彼らのような模範的なチームが倫理観を失い崩壊していく様子を「ナットアイランド症候群」と名づけ、症状の進行の説明を試みた。詳細はここでは書き切れないが、チーム崩壊のカギを握っているのは、チームのマネジャーの存在である。

 マネジャーはよかれと思って現場に権限委譲をし、実際に現場社員もプライドを持って仕事をしていた。すっかり安心したマネジャーは、現場に仕事を任せ切りにしてしまい、現場社員が日常業務上の問題を報告しても解決を先延ばしにするようになった。これが現場社員には「裏切り行為」と映り、現場社員を不正へと走らせるきっかけとなる。しかも、なまじ現場社員の結束が固いものだから、マネジャーの陰に隠れてやりたい放題に不正を犯す。その結果が、82年の汚水事件につながっていくのである。

 「権限委譲(エンパワーメント)」はチームメンバーの自律と成長を促し、社員のモチベーションを高める方法として近年注目されている。しかし、それでも限界があることをこの事例は教えてくれる。「マネジメントに唯一最善解はない」とはよく言うが、まさに典型的な例である。むしろ、いろいろな研究内容や方法論、ハウツーをつぶさに調べていくと、全く相反する主張に出くわすことすらある。これはある意味、流動的な社会を観察対象とする社会科学の宿命なのかもしれない。チームメンバーがミッションに従い、高いモチベーションを維持し、固い信頼関係の下で最高のパフォーマンスを発揮し続けるための万能薬がいずれ出てくるなんてことは、期待しない方がよさそうだ。

 「そういういろんな研究データがあるんだよ」というレベルで留まっているのはただの知識バカ、「矛盾する事象を包括的に説明できる新たな理論とは何か?」と問うのは学者の仕事、どんな考え方にも一長一短があることを承知の上で、「今、自分が直面している現状をどのように打破するのか?」を検討し行動に移すのが実務家の役割である。私は学者ではないから、やっぱり実務家らしくありたいなぁ。
February 17, 2010

何でもコラボすりゃいいってもんじゃないんだよ(前半)−『信頼学(DHBR2009年9月号)』

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 「信頼」というテーマで特集が組まれるのは珍しい。ずいぶん昔に、「信頼って何だ?(1)」、「信頼って何だ?(2)」という記事で果敢にもこの難しいテーマについて書こうとしたが、浅い文章にしかならなかったことを思い出した。「企業は人なり」と言うからには、人と人とをつなぐ「信頼」を抜きにして企業経営は語れない。今回の特集は、当たり前だけど難しい「信頼」という概念について考察するヒントをいろいろと与えてくれた。

CEOにしかできない仕事(アラン・G・ラフリー)
 ピーター・ドラッカーが提唱した「CEOにしかできない4つの仕事」について、P&Gのアラン・ラフリーCEOが実際にどのように考え、行動を起こしたのかを述べたもの。現職のCEOの論文ということもあって、最近のP&Gがどうやって戦略的意思決定を下し、どのようにしてP&Gの価値観を社員と共有しようとしているのかが読み取れる面白い論文だった。

 ちなみに、ピーター・ドラッカーが言う「CEOの4つの仕事」は以下の通りである。
1.外部について定義する
 外部のステークホルダーのうち、いちばん重要なのはだれか。また、最終的にいちばん重要視すべきものは何か。

2.「我々のビジネスは何か」を見極める
 勝利を収めるために参入すべき領域はどこか。また、参入すべきではない領域はどこか。どちらも難しい判断であり、評価と議論を要する。その際、企業全体を見渡す視野を持ち、この難しい選択を下せるのは、ほかならぬCEOだけである。

3.現在と未来のバランスを図る
 どのように短期と長期をバランスさせるのか、そのさじ加減を覚えるには、事実よりも経験と判断力が物を言う。バランスを図るには、現実的な成長目標を定めることが第一歩である。

 長期にわたって信用を獲得し、勢いをつけるためには、短期的に達成すべき必要十分な目標を決めることが重要である。くわえて、CEOみずから、社員のリーダーシップ開発に関わることが、企業の将来に長期的な影響を及ぼす、唯一にして最たるものである。

4.価値観と基準を確立する
 価値観によってコーポレート・アイデンティティが形成される。価値観とは、行動様式にほかならない。企業として勝利するためには、価値観は外部と密接に関係しており、また現在および未来との関連性が高いものでなければならない。

 基準とは、期待に関するものであり、また対外的な成功を判断するものである。優れた価値観と基準を確立するには、次の2つの問いに答える必要がある。すなわち、「我々も、また最も重要なステークホルダーも成功しているのか」「業界トップとの競争に勝てるのか」である。
 「外部について定義する」について私なりに補足すると、ドラッカーの有名な「事業の目的は顧客の創造である」という言葉からして、多くの企業にとっては顧客が最も重要なステークホルダーとして位置づけられるはずだ。ドラッカーならば「ウォールストリートが最も重要なステークホルダーだ」とはまず言わないだろう。実際、ラフリーも消費者(厳密にはP&Gの直接の顧客=小売店の顧客にあたるが)を最重要視している。

 現在と未来の顧客を創造するために、どのような領域で勝利を狙うのか?そして、顧客との約束を果たすために、自社はどのような行動規範や成功基準を持つべきなのか?こうしたことを考えるのがCEOの仕事であるとドラッカーは伝えたいのだと思う。

信頼の科学(ロデリック・M・クラマー)
 まず、人間は生まれながらにして人を信頼するようにできている、と著者は指摘している。だが、心理学の研究によると、人間は2つの認知的錯覚に陥る傾向があるという。1つは自分自身が不運に遭遇する可能性を過小評価してしまう「不死身の錯覚」(illusion of personal invulnerability)であり、もう1つは幸せな結婚、出世、長生きなど、よいことが自分に起こる可能性をしばしば過大評価してしまう「非現実的な楽観主義」(unrealistic optimism)である。

 これを人間同士の信頼関係に当てはめるならば、人はあまりに簡単に他人を信頼し、他人にだまされる可能性を過小評価してしまう、ということになる。そこで著者は、「適度な信頼関係」を築くための7つのポイントを提案している(詳細は割愛)。その中でも、「信頼関係を損なう出来事があった場合に関係を解消できる免責事項をあらかじめ明文化すると、人はかえって熱心に関係を維持しようとする」というのはなるほどと思った。

 論文の内容からは外れるが、「相手を簡単に信頼してしまう」という過ちと同じくらい深刻なのが、「自分は相手に信頼されている」という思い込みであると私は思う。信頼とは相手の期待に応えることによって初めて生まれる。一緒の組織やチームに属しているからという理由だけで信頼が生まれることはない。この点を誤解している人がたまにいると感じる。だから、「適度な信頼関係」を築くためには、相手が自分に何を期待しているのかを察知し、期待に十分応える努力を怠らないことが大事である。

 また、たとえ相手の期待に満たない場合でも、適切なリカバリ処置を行えば信頼を獲得できることもある。例えば、クレームをつけてきた顧客に真摯に対応すると、かえって顧客満足度が向上するケースがそうだ。ただし、相手は期待を下回ったことを表情や言葉には明確に表さないかもしれない。よって、自分の行為が相手の期待を下回ったかもしれないという警戒心を常に忘れず、万一相手の期待を下回ったと感じた場合は、すぐさま的確な対応策を打つことも求められる。

(また長くなったので、この辺で一旦記事を分割します)
November 16, 2008

明確すぎる評価基準も問題?−『人を見る目がない人』

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人を見る目がない人―なぜ人は人を見誤るのか? (セオリーBOOKS)
植木 理恵
講談社
2008-04
定価 ¥ 1,260
おすすめ平均:
ビジネスで成功する人
「人を見る目がない人」の読み所
採用・面接をテーマにした心理学・心理術の本
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 「人の記憶を過信しないことが大事−人を見る目がない人」を書いた後、この本に絡めてもう1つ記事を書く予定だったのだが、3ヶ月以上放置状態だった。こんな具合に先延ばしにしてばかりいるからいつまでたってもブログの更新頻度が上がらないんだな…。

「一部が曖昧」な評価基準の人に惹かれる傾向
 言うまでもないことだが、部下を公正に評価できる上司は部下から信頼される。これは学術的な調査でも明らかになっている(嫌われる上司の共通点 「事なかれ主義、陰険、保身」)。部下の立場からすれば、昨日と今日で全然言っていることが違う上司と働くよりも、評価軸がぶれることなく安定したフィードバックをしてくれる上司の下で働きたいと思うものだ。

 ここで「公正さ」の中身が問題になるのだが、人間というのは不思議なもので、100%評価基準が決まっていて、全ての評価がその基準の下に行われれば満足かというと必ずしもそうではない。この本の著者は、(仕事以外の場面で)男性が女性を評価するケースを取り上げて、次のように述べている。
 「到達度評価(※あらかじめ決められた明確な評価基準に従って行われる客観的な評価)のほうは、するほうにとってもされるほうにとっても、とても分かりやすい。『3kgスリムになる』『料理レシピを10品おぼえる』といった、明示的なゴールが共有されたうえで、行われるコメントだからだ。だから、『痩せてきたね』『料理上手になったね』と、目標に照らしたコメントだけが行われ続けることになる。この方法は、どこに向かって頑張ればいいのかが明確なため、相手の気持ちを安定させる。

 しかし、ときとして、それだけでは刺激に欠ける。より強いインパクトを残し、相手の気持ちを引きつける人は、もうひとつの評価、つまり「認定評価」のほうもうまく取り入れているのだ。

 認定評価とは、相手に公開していない基準、つまり、こちらの頭の中にある満足度というものに合わせて、相手を評価することだ。だから、唐突に『この間より痩せてきれいになった』と褒めることもあれば、『もう痩せなくてもいい』と咎めることもある。本人の描く理想に照らして判断するわけだから、一貫性がゆるい。また、どこを重んじるかも絞らないので、『女らしさ』を強く評価することもあれば、『知性』を評価することもある。つまり、評価観点として、いろいろな引き出しをもっているのだ。」
 これは男女間の問題の話だが、仕事上でも同じことが言えると思う。特定の上司と長く一緒に仕事をしていると、その上司が自分に期待することや評価のポイントがだんだんと解ってくる。そうすると、ある時から「このくらいやればあの上司は納得するだろう」と思いながら仕事をするようになる。そんな時に突然、「これじゃ全然ダメだよ」とか「もっとこういう視点で仕事をしろよ」と、今まで言われたことのないような一撃を上司から食らうと、「あぁ、自分はまだまだなんだな」とか、「もっと上を目指さなければならないんだな」と感じることになる。改めて「やっぱり上司はすごい」と痛感させられ、「この上司についていこう」という思いを強くする。

 仕事の話ではないが、私は学生時代に「能楽サークル」に所属していた。伝統芸能である能楽の舞や謡いを稽古するサークルである。師匠にはプロの能楽師が何人かおり、定期的に稽古をつけてもらっていた。師匠の中には舞台歴が長く能楽界で有名な方もいらっしゃったのだが、この方こそまさに「一部が曖昧」な評価基準の人であった。稽古をつけてもらうと、たまに以前に指摘されたことと全く違うことを言われることがある。一つ一つの型(動作)がスムーズにつながるように舞いなさいと指摘されたのに、「さっさと進んではダメ。1回1回ちゃんと止まってから次の動作に移りなさい」と言われたり、抑揚をつけて謡うようにとアドバイスされたのに、「声のリズムを変えてはダメ。もっとさらさらと謡いなさい」と言われたりする。もちろん、単にこちら側の技量不足が原因ではあるものの、言われた側は「あれ、前と言っていることが違う」と頭の中が混乱する。だが、その混乱を乗り越えて、「どうすればいい舞/謡いになるのか」を自分なりに研究することに稽古の面白さがあった。もちろん、師匠のことは誰もが非常に尊敬していた。

人事評価はどこまで曖昧さが許されるのか?
 1対1の関係では「一部が曖昧な」評価基準の人が信頼されるとしても、会社の人事評価では曖昧さは許されるのだろうか?もともと日本の人事制度は能力主義に基づいており、非常に曖昧な評価がされていた。だがそれではダメだろうということで欧米から成果主義が輸入され、評価基準を厳格に決める方向にシフトした。成果主義型の人事評価では、期初に会社の目標・部署の目標をブレイクダウンして各個人の目標を可能な限り定量的に設定し、期末には目標の達成度合いで評価を決定する。しかし、最近では成果主義の弊害が目立つようになり、再び人事評価は見直しの時期を迎えている。

 成果主義の問題の1つとして、目標が適切に設定されていないという点がしばしば挙げられる。達成容易な目標を立てて、評価を水増ししようとする人が出てくるということだ。しかし私は、仮に期初の段階で各個人の目標が完璧に設定されたとしても、従来型の成果主義では問題があると思っている。

 期初に立てた目標は、期初の段階における会社の内外環境を踏まえたものだ。期中に環境変化が起きて、当初の目標が意味をなさなくなることも少なくない。その場合は、会社の未来を創るために、当初の想定にはなかった仕事をしなければならない。だが、従来型の成果主義ではそうした活動は一切評価されず、会社の過去を守るための活動ばかりが評価されることになる。

 「当初想定していなかったが、会社の未来のために必要な仕事」−これを評価する仕組みにしなければならない。そうすると、自ずと評価基準に曖昧さが生まれることになる。なぜならば、想定外の仕事ゆえに、あらかじめ評価基準など持ちようがないからだ。期末の段階で、当初想定していなかった仕事について、「会社の未来にどれだけ貢献したか?」という観点で評価する。きわめて主観的な評価しかできないが、それでもいい。

 個人的には、評価基準があらかじめ決まっているのは80%ぐらいで、20%ぐらいは「未来への貢献」という曖昧な項目で評価してもいいのではないかと思っている。場合によっては後者の割合をもっと増やしてもいい。会社が決めた評価基準のために仕事をする人ばかりにせず、未来にチャレンジする社員を増やすためにも必要な方策ではないだろうか?

 ちなみに、この本の著者はこんなことも述べている。
 「経験上の話だが、大学の授業では、試験のような相対評価や到達度評価だけではなく、『平常点』といった、学生にとっては『なんだかゴールがよく見えない』認定評価法を混ぜたほうが、熱意が維持されやすい。」
July 28, 2008

人の記憶を過信しないことが大事−『人を見る目がない人』

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人を見る目がない人―なぜ人は人を見誤るのか? (セオリーBOOKS)
植木 理恵
講談社
2008-04
定価 ¥ 1,260
おすすめ平均:
ビジネスで成功する人
「人を見る目がない人」の読み所
採用・面接をテーマにした心理学・心理術の本
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 「人を見抜く力」がどういうときに間違いを起こすかについて心理学者が書いた本。著者がまだ30代前半だということにびっくり。心理学の研究がいろいろと引用されていて、読み物として面白い。

会話しながら思い出すとウソの記憶が捏造される
 複数の面接官が求職者を面接する。面接終了後、面接官が集まってこの人を次の面接に進めるべきか、あるいは採用すべきか話し合う。求職者が話していた内容、話し方、身振り手振り、さらには身だしなみや服装など、面接の記憶をたどりながらあれこれと議論する。筆者に言わせると、こうしたやり方は人を見抜く力を誤まらせるという。

 まず、人間の記憶は思いのほか当てにならない。会話しながら記憶をたどると、会話の相手が発する質問の文言に影響されて、一旦脳に蓄えた情報が無意識のうちに簡単に歪められてしまう。
 「たとえば、こんな簡単な実験がある。ゴチャゴチャと家具や物が置かれている部屋に入ってもらい、ある被験者には、『さっきの”リビング”にあった物を、なるべく思い出してください』と質問する。そして、残りの被験者には、『さっきの”研究室”にあった物を、なるべく思い出してください』と質問するのだ。

 すると、前者の被験者は、『ソファー、コーヒーカップ、テレビ…』といった、いかにもリビングらしいものを思い出し、後者の被験者たちは、『デスク、パソコン、書類の山…』といった、いかにも研究室らしいものだけを思い出すのである。」(p52)
 面接で言えば、面接終了後に面接官が集まり、求職者の評価を決めるときに似たような事態が起こる。例えば、「前職で短期間の間にいくつもの職種を経験した」という男性を面接したとしよう。聞くと、自ら人事部に直訴して異動を願い出たのだと言う。しかも、どの職種でもそれなりにパフォーマンスは上げていたらしい。

 面接終了後、面接官のリーダーが「先ほどの『好奇心旺盛な』男性についてだが…」と切り出すのと、「先ほどの『ちょっと飽きっぽそうな』男性についてだが…」と切り出すのでは、他の面接官のその後のコメントが異なる可能性がある。前者であれば肯定的な評価に、後者であれば否定的な評価に流れやすい。特に、このリーダーの権限が大きく、面接結果に強い影響を及ぼす人物であればなおさらだ。何気なく付け加えた言葉が、他の面接官の評価を知らず知らずのうちに操作してしまう。ここは素直に、「先ほどの男性についてだが…」と切り出すのが無難なのだ。

 こうしたエラーを防ぐためには、まずそれぞれの面接感が自分1人でじっくりと評価し、それを持ち寄って改めて議論するというステップを踏むべきである、と著者は提案する。

面接官は質問の言葉に注意を払うべき
 面接官が会話をしながら求職者の印象を思い出すと記憶のエラーを起こすということは、求職者が面接官と会話をしながら自分の過去の行動を思い出そうとする時も記憶のエラーを起こす可能性があるということだ。プロファイリングで相手のウソを見破れ−面接で人を見抜く質問術1,000万円の投資案件のジャッジなんですよ!−人材を逃さない見抜く面接質問50の2つの記事で、採用面接では過去の行動に焦点を当てた質問をすべきだと書いてきたが、その質問によって偽りの記憶を引き出してしまっては元も子もない。

 求職者の偽りの記憶を防ぐ方法の1つは、「求職者の話の途中で面接官が余計な評価を加えない」ということである。「チームのメンバーをまとめあげるのに相当苦労したのではないですか?」、「お客様からクレームが多くて対応が大変だったのではないですか?」面接官は求職者に対して共感を示すつもりでこのような質問を投げかける。

 だが、面接官の個人的な評価が混じった質問ばかりをすると、求職者の記憶は操作される。求職者は面接官の期待に答えようという意識が働き始める。先ほどの例で言うと、「何か苦労話をしなければならない」という観念が脳を支配し始める。すると求職者は自分のエピソードを誇張し、時に捏造してしまう(一から作り話を作るのは至難の業なので、本当は同僚や他のチームメンバーがやったことを自分がやったことのように語ることで捏造するというパターンが実際には多いと思われる)。

 面接官は観察者であって、インタビュー番組の司会者のように話を盛り上げる必要はない。事実を拾う質問を淡々と投げかける、原則としてはこれに徹するべきだ。「チームメンバーをまとめあげるために、あなたが具体的にしたことは何ですか?」、「お客様から沢山のクレームが寄せられた時、あなたは具体的にどう対処しましたか?」尋ねるべきなのはこのような質問である。

 もっとも、こんな質問ばかりだと、求職者は尋問を受けているかのように感じてしまう。すると、求職者は面接官に対して、さらには会社自体に対して悪い印象を抱いてしまい、選考を辞退してしまうかもしれない。よって、面接官は時には共感を示す必要がある。ただ、そのさじ加減を間違うと、本当に聞きたい情報が歪められてしまうので要注意だ。

できることなら「現物」を持ち込みたい
 もう1つは、実現可能かどうかかなり怪しいが「面接に現物を持ち込む」ことである。面接というと面接官との会話のみで進めるのが暗黙の前提になっている。だが、面接官としては、求職者が作った成果物も見てみたいと思うのが素直な感情だろう。

 新卒採用であれば、学生時代に作成した企画書やプレゼン資料、サークルの活動記録などを面接に持ってきてもらう。そして、それを基にエピソードを語ってもらう。その方が求職者も当時の記憶を思い出しやすいし、逆にウソや誇張をしにくくなる。面接官も求職者の話が本当かどうか検証しやすいはずだ。個人的には面白い方法だと思うがどうだろうか?

 中途採用だと、さすがに前職で作成した資料などを面接に持ってきてもらうのは厳しい。「擬似ケースを用いてその場で何らかの成果物を作ってもらう」という方法がやはり一番無難か?(コンサル会社の面接で見られる、フェルミ推定を用いた演習問題もこうした方法の1つと言えるだろう)もし、どなたか面白い中途採用方法を行っている会社をご存知でしたら教えてください。
April 10, 2006

エーリッヒ・フロムの名言

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 「人間の全生涯が、自己自身を生み出していく過程にほかならない。真実われわれは死ぬ時においてのみ、完全に生まれるのである。」
エーリッヒ・フロム

 エーリッヒ・フロム(1900〜1980)
 ドイツのフランクフルトに生まれる。ユダヤ系ドイツ人の社会心理学、精神分析、哲学の研究者。フロイトの精神分析学とマルクスの人間疎外論との結合を試みた。新フロイト派〔フロイト左派〕(精神分析学においてフロイトの生物学主義やリビドー論を批判し、文化的・社会的要因を重視した学派)に属する。著書に『自由からの逃走』『精神分析と宗教』『愛するということ』などがある。

 フロムのこの言葉は、学習社会について言及したユネスコの「フォール・レポート」(1973年)の中でも引用されている。
August 22, 2005

エゴグラム―自らの強み・弱みを知る1ツールとして

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 エゴグラムとは、アメリカの心理学者J.M.デュセイが開発した性格分析の手法で、アメリカの精神科医エリック・バーンが提唱した交流分析(TA=Transactional Analysis)の理論に基礎を置いています。

 交流分析理論によれば、人間は誰でも3つの自我状態を持っているとされます。3つの自我状態とは、Parent(親の自我)、Adult(大人の自我)、Child(子どもの自我)のことで、頭文字をとって「P」、「A」、「C」といいます。
 
 Pは父性的な心「FP」(またはCP)と母性的な心「MP」(またはNP)の総称です。FPは批判的、毅然さ、厳格さ、叱咤激励などの働き、MPは保護的、愛育、いたわり、やさしさなどの働きをします。

 Aは現実状況を事実中心に判断し、情報収集、整理統合、合理的、能率的損得勘定などの働きをします。

 Cはさらに、天真爛漫、無邪気、創造的などの自由な子どもの「FC」(またはNC)と、優等生、順応的、よい子、服従の「AC」の2つがあります。

 エゴグラムとは、設定された質問に答えていくことで、FP、MP、A、FC、ACの自我状態の程度が解るというものです。


 エゴグラムによる性格診断


 このサイトでは、先ほどの5つの自我状態の程度をA(高)、B(中)、C(低)の3段階で判定してくれます。

 ちなみに私の結果は、FP=A、MP=B、A=A、FC=B、AC=Aでした。

 さらに詳しい診断結果は…

(1)性格
 世間体を非常に気にするタイプで、理想主義者です。責任感や使命感が強い為に、自分の力以上の仕事を、背負い込みがちとなり、仕事中毒になる可能性があります。神経過敏タイプに有りがちな、自罰傾向のある人で、他人に対して自分の遣った行為を、いつまでも気に掛けたり、失敗に対する悔いが、永く尾を引くと云った所があります。判断力や分析力に優れていますので、物事の処理は的確、且つ敏速に行なう事が出来るでしょう。思い遣りや同情心は普通のタイプです。個性的に生きようとする、自由な感情の表現度も、極く標準的でしょう。

(2)恋愛・結婚
 裃(かみしも)を着けて恋愛をするタイプなので、男女関係が原因で、華々しい噂話の爼上に乗せられるような事は、先ず有り得ないでしょう。世間体と合理主義と対人に敏感過ぎる神経とで、ガンガラ締めにされた貴方は、美しく整った非の打ち所が無い恋愛や結婚を望んでいるのでしょうけれども、それは余りにも理想的過ぎて、実現性が薄いでしょう。好きな異性が出現したら、泥にまみれて裸でぶつかる決心をする事が、貴方には是非必要でしょう。

(3)職業適性
 性格的に不向きなので、避けた方が無難だと思える職業は、警察官、刑務官、検事などの治安関係公務員。街の金融業者、事業家などです。性格的に見て特に適していると思われる職業は、医師、看護婦(夫)、学者、弁護士、教師、秘書などです。その他数多くの職業に適応性が有るでしょう。

(4)対人関係
 人付き合いの面で、難点らしい難点は殆ど有りません。但し、余りにも周囲の人々に対する心遣が過敏になり過ぎて、ストレスを溜め込まない様に注意する事が必要です。

 とのこと。当たっているような気がします。(「裃を着けて恋愛をするタイプ」とはまたすごい言葉だな…)

 エゴグラムの結果がすべてではありませんが、己を知るということ、特に性格上の強みと弱みを知ることは非常に重要なことだと思います。