※2012年12月1日より新ブログに移行しました。自分で言うのもおこがましいですが、20代の頃に書いた本ブログよりも、30代に入ってから書いている現行ブログの方がはるかに中身が濃く、内容が多岐にわたり、面白いと思いますので、是非ご覧いただけるとありがたいです!
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August 10, 2010

優秀なマネジャーも内発的動機と外発的動機を組み合わせる

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 昨日の記事「『内発的動機と外発的動機のどっちが重要か?』という問いは意味があるか?」の補足。DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー2010年5月号に収録されている「優秀なマネジャーに成長する条件」という論文は、マネジャーとして成功するためには、外発的動機と内発的動機の両方が必要であることを教えてくれる。

ダイヤモンド社
2010-04-10
おすすめ平均:
リーダーはただの人気者とは違います
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 まず外発的動機についてだが、この論文の著者であるJ・スターリング・リビングストンは、「達成動機」の研究で知られるデイビッド・C・マクレランドによる興味深い文章を紹介している。
 いかに達成動機が高くても、人間関係にうまく対処できるとは限らないことは明白である。マネジャーの場合、他者に影響を及ぼすことが最大の関心事であり、これはまさしく権力動機によるものである。動機の源を調べることで、優秀なリーダーはどのように行動するのかを知ることができる。
 成功するマネジャーは、高い達成動機(=内発的動機、マズロー風に言えば自己実現欲求)に突き動かされていると考えられがちだが、マクレランドによればそれだけでは不十分だという。マクレランドは「権力動機」、つまり出世して地位パワーを手に入れたいという欲求が不可欠だと指摘する。出世するためには他者から評価される必要があるから、権力動機は外発的動機であると言える。達成動機の研究に長年携わったマクレランドが、実は権力動機が重要だと主張しているのは面白い話である。

 とはいえ、外発的動機だけでは成功できないこともまた自明である。リビングストンは、MBAを出ても企業で出世できないマネジャーの観察を通じて、優秀なマネジャーになるためには「マネジメント欲求」なるものが必要であることを突き止めた。
 他者の成果に影響を及ぼすことを強く欲し、そうすることで満足感が得られる人だけが、マネジャーとして成果を出す方法を身につけられる。また、部下の生産性に責任を負うことを本心から望み、彼ら彼女らの能力を開発し、これまで以上の成果を出せるように動機づけることを楽しめる人でなければ、その方法を学ぶことができない。(※太字は私がつけた)
 マネジメント欲求は、部下やメンバーの仕事に深く関与すること、彼ら彼女らを育成することそのものに楽しみや満足感を覚えるという点で、内発的動機だと言えよう。リビングストンは、多くのMBA卒業者は、大企業の役員になって社会的地位や高い報酬を得たいという野心(=外発的動機)ばかりが強く、この「マネジメント欲求」が欠けているために、マネジャーとして大成しないと述べている。

 他者に影響を及ぼすためには、出世して高い地位に就き、それなりの権限と権力を手に入れなければならない。だから、出世欲に燃え、目の前にぶら下げられたニンジンに食らいつくような外発的動機は、有害であるどころかむしろ必要不可欠ですらある。

 一方で、他者に影響を及ぼすこと自体を楽しむような内発的動機がなければ、マネジャーとしてはやっていけない。他者に影響を及ぼすとは、単に地位を利用して権力を振りかざすことではなく、他者の能力や仕事の質の向上を積極的にサポートすることである。

 もっとも、部下を育成することで彼らが高い成果を上げれば、マネジャー自身の評価も上がり、さらに出世する可能性が開けるという点では、他者に影響を及ぼしたいという欲求は外発的動機の要素も帯びていることは否めない。

 しかし、リビングストンの主張からは(特に、太字にした部分の言葉遣いから察するに)、自分が高く評価されたいから、もっと高い給料が欲しいからという外発的動機だけではなく、純粋に他者の仕事を支援すること自体に喜びを感じること、つまり内発的動機に基づいて他者に影響を及ぼすことが、マネジャーのキャリアを好転させるポイントであると言えそうだ。
August 09, 2010

「内発的動機と外発的動機のどっちが重要か?」という問いは意味があるか?

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 人間の動機には大きく分けて「内発的動機」と「外発的動機」がある。内発的動機とは、興味や好奇心によって起こる動機であり、自分自身の心の中に自然と湧き上がってくるものである。これに対して外発的動機とは、例えば「それをすれば高いお金がもらえるから」、「他人に認められたいから」、「昇進・出世したいから」といった具合に、目の前にぶら下げられたニンジンに食らいつくようなものであり、他者の評価やフィードバックが介在する動機と言える。

 ここで、こうした二元論によくある議論として、「内発的動機と外発的動機のどちらが重要か?」という問いについて考えてみたい。非常にざっくりとした印象レベルの話をすれば、外発的動機はどちらかというとやましい動機、不純な動機であり、内発的動機はむしろピュアな動機として捉えられる傾向があるように感じる。「高い給料が欲しくて働いている」と言う人と、「この仕事が楽しくて働いている」と言う人のどちらに好感を持つかを考えてみると、私の言葉の意味が解っていただけると思う。

 学術的な話をすれば、マズローの欲求5段階説によると、人間の最上位の欲求は「自己実現の欲求」であり、その下に「承認の欲求」があるとされる。自己実現の欲求はまさに内発的動機であり、承認の欲求は外発的動機に該当する。マズローの考えでは、外発的動機よりも内発的動機の方が高次のものとして位置づけられていることが解る。

 だが、2つの動機の優劣を論じることにはあまり意味がないと私は思っている。それはちょうど、「左脳と右脳のどちらが優れているか?」という問いに答えられないのと同じである。

 まず、マズローの欲求5段階説について言うと、自己実現の欲求まで到達する人は非常に少ない。大半の人は承認の欲求のレベルに留まると言われている。自己実現という言葉に最も敏感に反応しそうなアメリカ人ですら、大部分は承認の欲求で満足しており、それで社会はうまく機能しているのである(過去の記事「沼上幹の名言」を参照)。

 日本の場合は、「恥」や「建前」という言葉に表れているように、国民性として外発的動機を重視する傾向がある。日本人の精神的支柱ともいえる「武士道」からも、この点を読み取ることができる。新渡戸稲造の著書『武士道』には、「武士は名誉のために生きる」という文がある。つまり武士は、武士にふさわしい精神を持った人間だと周囲から評価されることを最高の目的としているのである。

 ここまでの話をもって、実は外発的動機の方が内発的動機よりも優れているのだ、ということを言いたいのではない。私が本当に言いたいのは、内発的動機と外発的動機は切っても切れない関係にあるということである。それはちょうど、左脳と右脳が意思決定において密接に連携している(過去の記事「果たして意思決定に感情は不要なのか?」を参照)のと同じである。

 例えば、芸術家は強烈な創作意欲(=内発的動機)を持って作品づくりに励むが、それだけで長く活動することはできない。芸術家も社会から作品が評価されなければむなしいと思うに違いない。だからこそ、個展を開き、コンクールに出展して評判を高めようとする(=外発的動機)。

 プロ野球選手も、野球のプレー自体が好きという内発的動機だけで務まる職業ではない。ファンからの熱い声援を受け、ライバル球団を倒す喜びに浸り、いい成績を残して高い年俸をもらうという外発的動機が強く働いているのである。

 芸術家とプロ野球選手の例は、内発的動機を外発的動機が補完するパターンであったが、逆のケースもある。解りやすいのがベンチャー企業の経営者だろう。彼らは、一攫千金を狙いリスクを冒して事業を起こす。IPO(株式公開)に成功すれば、莫大なお金を手にすることができる。そうした外発的動機に突き動かされて、一般人にはとても想像つかないようなハードワークをこなすのである。

 しかし、IPOに成功して地位と名声、そして多額のお金を手に入れると、経営者には社会的責任が重くのしかかってくる。企業は単にお金をもうければいいだけの存在ではなくなる。そうなると、経営者は自分の会社を通じて社会にどのような貢献をしなければならないのかを改めて熟考する必要が出てくる(もちろん、創業時からある程度そういうことも考えているだろうが)。そのような経営者の思いがビジョンとして結実し、内発的動機となって経営者を突き動かすのである。

 「内発的動機と外発的動機のどちらが重要か?」という問いに対しては、「どちらが重要というよりも、両者をうまくうまく組み合わせることの方が重要である」と答えたい。内発的動機と外発的動機は、持続する期間が微妙に異なる。芸術家の例で言えば、自分の気持ちの変動によって、時に創作意欲が衰え、思うような作品が創れないことがある(芸術家に限らず、クリエイティビティ型の人間にはよくある話だ)。そんな時に、根強く応援してくれるファンがい続けていてくれると、再び創作意欲が湧いてくるということもある。

 逆に、ベンチャー企業の経営者の例で言えば、IPOによる外発的動機はIPOが実現するまでしか持たない。こちらは外発的動機の方が早く効果が切れるパターンである。もちろん、IPOの次に売上や利益、時価総額の目標を立てるのだが、これらの目標も結局は市場の評価を反映したものであるという点で外発的動機であり、目標が達成されればすぐに効果が切れてしまう。外発的動機だけに頼らず、社会的な使命に目覚めて強い意思が込められたビジョンを練り上げる経営者は、内発的動機によって気持ちを切らさずに事業をマネジメントすることができるのである。

 内発的動機と外発的動機の組合せは、「熱しやすく冷めやすい」動機と「熱しにくいが冷めにくい」動機の組合せであるとも言える(どちらの動機がどちらの性質を持つかはケースバイケースである)。よって、両者をうまく融合させる術を身につければ、人は短期的にも長期的にも高いモチベーションを維持することが可能になると思うのである。
May 28, 2010

21世紀の経営に必要なのは「OR」から「AND」への発想転換(3)

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 (その2からの続き)

ティーチングとコーチング
 コーチングに関する以下の記述は、私自身の体験に基づく勝手な思い込みが含まれている可能性がある点をあらかじめご容赦いただきたい。コーチングは、私が就職活動をしていた頃に異常に流行った記憶がある。コーチングの本もたくさん出版されたし、ビジネスに対する意識が高い学生は、自主的にコーチングの勉強会に参加したりもしていた。彼らが勉強会から戻ってくると、すっかり「コーチング万能主義者」に変心していて、あらゆる場面で周りの学生たちにコーチングを試そうとするのである(こういう経験があるので、私はどうもコーチングというものを素直に受け入れられない)。

 だが、コーチングだけで人が育てられるはずはない。コーチングは相手の心の中に答えがあるという前提に立っており、コーチによる様々な質問を通じて自発的な解への到達を促すコミュニケーションである。ということは、相手の頭の中には、自ら考えるための材料がある程度備わっていることが条件となる。その素材なしにコーチングを行っても、相手は答えを導出できない。だから、まずはティーチングを通じて基礎的な素材を習得させなければならないのである。

ジョン・ウィットモア
ソフトバンククリエイティブ
2003-07-30
おすすめ平均:
なぜコーチングなのか
インナーゲーム理論に基づくコーチング
コーチング本として読むべき優先順位は低いか
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 本のタイトルはあえて出さないが、コーチング万能主義は「会社に遅刻してきた新入社員にもコーチングで接する」ことを勧めるようだ。いきなり怒るのではなく、「どうして今日は遅刻したの?」、「明日から遅刻しないためにはどうしたらいい?」と懇切丁寧に聞かなければならないらしい。こんなのはバカバカしくて話にならない。

外発的動機と内発的動機
 モチベーション理論における代表的な二元論がこの「外発的/内発的」という区分である。マズローの欲求5段階説を知っている人ならば、「ピラミッドの最上位には『自己実現欲求』が位置づけられているから、内発的動機の方が優れている」と思うかもしれない。

 しかし、マズローの説はあくまで「仮説」であって、科学的に証明されたものでも何でもない。さらに、経営学者の沼上幹教授によると、「アメリカ人でも自己実現欲求を持っている人はごくわずかであり、大多数の人が持っているのはその1つ下の階層にあたる『承認欲求』である」という。「承認欲求」とは「他人から認められたい、評価されたい」という欲求であるから、外発的動機にあたる。

 そもそも、外発的/内発的動機は理論上では切り離すことができても、現実生活では複雑に絡み合っている。内発的動機づけを提唱したエドワード・デシですら、「外発的動機の内部化」という現象を指摘しているぐらいだ。つまり、最初は上司から命令されて渋々やっていた仕事でも、何らかのきっかけで面白いと思えるようになり、次第に上司から命令されなくとも、あるいは特別な報酬を与えられなくとも、自ら進んでその仕事をやるようになることがあるということである。

 逆に、内発的動機だけで長く活動できる人間は果たして存在するのだろうか?不安定な収入に耐えながら自己表現のために作品を創る芸術家でさえ、展示会で他者から高い評価を受け、コンクールで上位に入賞することを願う。彼らでも、外発的動機づけを必要としているのである。

 考えてみれば、人間とは社会的な生き物であるから、他者からの影響を無視して生きることはできない。他者から褒められたり貶されたりすることによって、モチベーションが上がったり下がったりもする。自分の内面から湧き上がる純粋な内発的動機のみで生きる人間は、芯が強いというよりも、むしろ社会から遊離した孤独な存在と言わざるを得ないだろう。

エドワード・L. デシ
新曜社
1999-06-10
おすすめ平均:
人を育てる立場に立つ多くの方に一読してほしい一冊
帯通り「人間観が一変」しました。
「人を育てる」ことの本質を学べる本
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