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January 07, 2012

「戦略を全社員に浸透させる仕組み」の解説書といった感じ―『リーダーシップ・サイクル』

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リーダーシップ・サイクル―教育する組織をつくるリーダーリーダーシップ・サイクル―教育する組織をつくるリーダー
ノール・M. ティシー ナンシー カードウェル Noel M. Tichy

東洋経済新報社 2004-12

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【998本目】1,000エントリーまであと2。

 著者のノール・M・ティシーは、GEのジャック・ウェルチの下でクロトンビル研究所におけるリーダー育成トレーニングの体系を構築した人物。本書は邦訳の出版が2004年とやや古く、現在のGEとは事情が異なる部分もあるだろうが、GEが戦略策定・実現や人材育成に関して取り入れた様々な制度や仕組みが解る本である。

(1)1年で1周するよう整然と設計されたGEの「オペレーティング・システム」
 タイトルにある「リーダーシップ・サイクル」というコンセプトが何を指しているのかやや解りにくかったのだけれども、私なりに解釈すると、「トップが構想した戦略を全社員に浸透させて実行に移し、フィードバックに基づいて新たな戦略を構築するサイクル」を意味していると思われる。本書では、トップが構想する戦略は「教育的見地」と呼ばれており、教育的見地の構築と浸透を繰り返すサイクルが根づいた組織のことを、著者は「教育する組織」と名づけている(ピーター・センゲの「学習する組織」とは異なる点に注意)。
 リーダーは4つの基本的な構成要素を中心とした教育的見地を持たなければならない。4つの構成要素を使ってリーダーは躍動感に富み、人々を魅了するストーリーをつくりあげる。ストーリーを通じてリーダーは会社の現状、未来への方向性、それを達成する戦略を理解するのである。(※4つの構成要素とは、「アイデア」、「価値観」、「感情エネルギー」、「エッジ(大きな決定の力)」とされる。詳細は本書p132〜170を参照)
 勝利するリーダーは教師であり、勝利する組織は教育を奨励し、教育した者を評価する。しかし要はそれだけではない。勝利する組織は意図的に教育する組織になろうとしているのであり、ビジネス・プロセスも、組織構造も、日々の業務も、すべて教育を促進するようにつくられている。
 教育する組織は学習する組織といくつかの点で大きく異なっている。両組織とも企業の成功のためには、従業員は情報や新しい発想、スキルを身につけなければならないという考えを支持しているのだが、教育する組織はそれに加えて、全員が学習者であると同時に教育者でもあるという点を非常に重視している。あらゆる活動が教育と学習につながるという考えが受け入れられると、強力な自己保存機能が組織に生まれて、組織のあらゆる階層で知識が創造され、社員間で共有されるようになる。
 戦略立案・実行のサイクルの例として、本書ではウォルマートに言及している箇所がある。
 ウォルマートのリーダーが毎週現場に出て週末には本社に戻り、発見したことを共有している一種のプロセスは、ウォルマートが戦略を週単位で調整するために使っている業務運営メカニズムである。現場に出ると役員は店舗マネジャーや顧客、競合に教えてもらう。同時に、彼らも店舗マネジャーを教育し、コーチする。さらに本社に戻ると、役員は自分が学んだことを同僚と共有し、一緒になって戦略を練り直す。最終ステップは、役員から教育を受けたうえで、店舗マネジャーが実践に移すということである。
 こうしたサイクルは、多かれ少なかれどの企業でも見られるものだ。セブンイレブンや楽天などは、毎週月曜日に早朝会議を開いて、店舗運営コンサルタントやスーパーバイザー向けに自社の戦略を説明したり、戦略の実現度合いを確認したりしている。

 これに対し、GEのサイクルは1年がかりで1周する、もっと大がかりなものである点に特徴がある。詳細は本書p340を参照していただくとして、サイクルの概要を簡単にまとめるとこうだ。まず、秋になるとウェルチが自分の教育的見地をまとめ、10月の経営幹部会でその内容を役員と共有する。10月から年末にかけて、年明けに開催されるシニア・マネジャーを対象としたミーティングに向け、翌年の戦略と重点施策を具体化していく。そして1月からは、シニア・マネジャー、事業部門リーダー、現場社員を対象としたカウンシルを順番に開催していき、戦略の内容を組織の隅々まで浸透させる。戦略の進捗に関しては、四半期ごとに再び階層別のカウンシルを開き、その中で確認を行うことになっている。

(2)「知」というソフト・パワーの行使にあたり、ハード・パワーも併用する
 リーダーはフォロワーが望ましい行動をとるように、様々な形でパワーを発揮する。高い報酬でやる気を上げ、逆に罰をちらつかせて恐怖心を煽る。これは、アメリカの政治学者ジョセフ・ナイの言葉を借りれば、「ハード・パワー」の一例である。一方、「教育的見地」という「知的パワー」は、知が持つ魅力によって人々を惹きつけようとするものであり、一見すると「ソフト・パワー」のように感じる。

 しかしながら、以前の記事「従来の「ソフト・パワー」は「知的パワー」として再構成できるのでは?―『スマート・パワー』(1)(2)」で述べたように、「知的パワー」にも、ハードとソフトの両面があると考えられる。優れたリーダーはこの点をよく理解しており、実際に行動に移していることが本書から読み取れる。例えば、GEファイナンシャル・サービシーズのトップであったボブ・ライトがNBCのCEOに就任した際、ライトは自らの教育的見地を活用して社員の結束を高めるべく、ハード・パワーを行使した。具体的には、議論を重ねても変わろうとしない役員を容赦なく解雇したのである。

 だが他方で、ライトはソフト・パワーの行使を決して忘れてはいなかった。ハード・パワーの行使と同時に自らをオープンにして自分の希望を周囲に伝えたり、他者の希望や恐怖、アイデアによく耳を傾けたりしたという。知的パワーの発揮には、ハード/ソフトの両面が伴う。本書を読む限り、ウェルチも、ウェルチの後継者であるジェフ・イメルトも、自らの教育的見地の実効性を高めるために、ハード/ソフトの両パワーをうまく組み合わせている。

(3)著者はボトムアップ型のリーダーシップに対して懐疑的?
 本書を読んで1つ物足りなかったのは、全体を通じてトップダウンのリーダーシップに焦点が当たっており、ボトムアップのリーダーシップがほとんど登場しなかった点である。トップダウンとボトムアップのリーダーシップが両輪で機能する「デュアル・リーダーシップ」を理想とする私としては、GEの事例はトップダウンの色が強すぎると感じた。

 確かに、事業部門のリーダーや現場社員は、トップの教育的見地を完成させるのに必要な情報を提供したり、教育的見地を補完するアイデアを提供したりすることで、部分的にボトムアップのリーダーシップを発揮している。しかし、トップの教育的見地の大きな間違いを正したり、トップの教育的見地を超える教育的見地を編み出したりするような強烈なボトムアップのリーダーシップは、本書には全くと言っていいほど登場しない。

 これは、著者がトップダウンのリーダーシップを強く信奉しており、ボトムアップのリーダーシップに対して懐疑的であることが影響していると思われる。特に、クレト・レヴィンの「民主型リーダーシップ」に端を発する一連の学説をかなり痛烈に批判している。
 (クレト・レヴィン以来、)パワーとリーダーシップについて、せいぜいよくて非常にあいまいな考えを持つ学者や実践家からなる、きわめて著名なグループが存在している。彼らは変革をボトムアップ的に、草の根活動として巻き起こる活動と定義している。特に最近は、非常にバイアスのかかったアンチ・リーダーシップ的な意見も強く出されるようになっている。

 彼らの議論は、企業が勝利するのは非常に強力で1つにまとまった文化があり、それゆえに勝利する行動が起こるというものだ。そのために強力なリーダーシップに反対するバイアスが生まれる。しかし同じデータを分析して私が考えるのは、彼らの意見はまったく間違っているということである。
 とはいえ、著者がボトムアップのリーダーシップを完全に排除しているかというと、そういうわけでもなさそうだ。別の箇所では、
 ミッションや計画の達成は、トップ・リーダーの焦点がどれだけ定まっているか、リーダーがどれだけ教育を行うかにかかっている。草の根運動が起こるかどうかも、リーダーがそのような環境をつくれるかどうかにかかっている。
と述べており、トップダウンとボトムアップのリーダーシップが交錯する可能性を匂わせている。事実、本書で唯一例外的にボトムアップのリーダーシップの事例が取り上げられている箇所があり、その事例では何と、「新入社員がトップの教育的見地を塗り替える」という事態が起きている。
 トリロジー・ソフトウェアに入社したての21〜22歳の大学卒新入社員たちがジョー・リーマン(※トリロジーソフトウェアの創業者)に対して、インターネット上で車を販売するというアイデアを突きつけてきた。その当時、eコマースというコンセプトはまだ初期の段階で、イーベイもアマゾン・ドットコムもビジネスを開始したばかりであった。リーマンは彼らに対して、「それはばかげたアイデアだ。どれだけディーラーがeコマースの進出を嫌がり、妨害しようとしていると思っているのだ」と諭した。(中略)

 現在、トリロジーは自動車関連ビジネスで大きな収益を上げている。この重要なマーケットに初期段階で投資をし、陣地を早い段階で獲得してしまい、強力なポジションを築きあげたのだ。これらはすべて6人の新入社員の主張から始まった。「ばかなのはわれわれではない。リーマンがばかなのだ」という主張から。(中略)

 その後、リーマンは新入社員教育の場であるトリロジー大学を、新入社員による基礎研究と製品開発研究所を兼ね備えた組織と位置づけるようになった。1997年以来、トリロジーは新入社員の「ばかげた」アイデアから数多くの新商品を開発し、発売している。
 もちろん、新入社員の教育的見地の内容を点検する上では、トップの側にも確固たる教育的見地が不可欠である。お互いの見解が異なるからこそ、深い議論ができるというものだ。

 双方の議論を通じて、市場や顧客、技術や競合、自社の組織能力や文化に対する見方が修正されていき、より確度の高い戦略が構築されていく。逆に、考えを持たない相手と議論をし、何か新しい知見を生み出すことはできない。ボトムアップのリーダーシップが生まれる条件として、トップダウンのリーダーシップが欠かせないという著者の主張は、この意味で理に適っていると思う。トリロジー・ソフトウェアの事例だけでなく、GEの「デュアル・リーダーシップ」に関する考察がもっと多ければ、本書はもっと面白かっただろうと思う。
December 28, 2011

明治時代から浮かんでは消えるリベラル・アーツ渇望論―『リーダーシップ不在の悲劇(DHBR2012年1月号)』

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Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2012年 01月号 [雑誌]Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2012年 01月号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2011-12-10

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【995本目】1,000エントリーまであと5。

総合国策の研究と次世代リーダーの養成 「総力戦研究所」とは何だったのか(土居征夫)
 先日の記事「野中郁次郎氏が分析する「日本軍6つの敗因」―『リーダーシップ不在の悲劇(DHBR2012年1月号)』」の脚注で触れた論文。「総力戦研究所」は、イギリスの国防大学やフランスの国防研究所に倣い、国防国家の支柱となるべき人材を養成する目的で1941年4月に開設された。同研究所では、次代を担うリーダーとして各省庁、民間企業、陸海軍から選抜された人々が、軍事的視点だけでなく、経済、政治、外交、国民生活などを総括した統合国策の立案研究を行っていた。日本軍、政府省庁ともにセクショナリズムが横行していた当時、組織の壁を超えて多様な人材が一堂に会する組織は例外的な存在であっただろう。

 同研究所に集まった若手リーダーは、総力を挙げて日米開戦を前提とした戦局を予想したが、そこで導き出された結論は「日本必敗」であった(必要な船舶量は月10万トン、年間120万トンと試算されたが、当時の日本の造船能力は多く見積もってもその半分であるなど、日本に不利なデータが次々と明らかになった)。彼らの分析結果は、後の太平洋戦争における戦局の推移を、真珠湾攻撃を除いてほぼ正確に予測していたという。

 しかし、シミュレーションの内容を近衛文麿首相とともに聞いていた東条英機陸相は、
 「諸君の研究の労を多とするが、これはあくまで机上の演習でありまして、実際の戦争というものは君たちの考えているようなものではないのであります。日露戦争でわが大日本帝国は、勝てるとは思わなかった。しかし、勝ったのであります。(中略)君たちの考えていることは、机上の空論とはいわないとしても、あくまでも、その意外裡の要素というものをば考慮したものではないのであります」
と述べて、結果を受け入れなかった。実際の戦局では「意外裡の要素」が働くという東条の言葉は確かに一理ある。ただ、当時の東条が、日露戦争で日本に有利に働いた意外な要因とは何だったのか?あるいは、太平洋戦争ではどのような偶発的要因を想定していたのか?また、その偶発的要因が起きる可能性をどの程度と見積もっていたのか?などに関して、確固たる考えを持っていたかどうかは不明だ(論文には特に書かれていない)。

 結局、総力戦研究所はわずか数年で閉鎖され、次代のリーダーを輩出するという目的は完遂されなかった。著者は、日本の軍事教育の欠陥に踏み込み、「リベラル・アーツ教育」の欠如を指摘している。
 陸軍大学校、海軍大学校、帝国大学に代表される明治以降の高等教育は、法律や軍事など実利本位の知識や技術の習得に専念した。その結果、大正・昭和期に、利害打算に長けた深みのない似非リーダーを多く輩出した。(中略)

 陸大海大ともに、リーダー(将帥)を養成するための教育は、主として上に立つ者としての徳目教育に終始し、深い人間観、世界観に根差す戦略的思考や、政治と軍事の関係を洞察する識見を養うものではなかった。
 リーダーの養成過程で最も重要なのは、リベラル・アーツ教育の拡充である。アメリカの高等教育機関では、毎回課題図書を与えて討議し、歴史や哲学、宗教、人間観について自分の頭で考える訓練を行う。(中略)

 近代日本では、西洋の列強に追いつけ追い越せとばかり、法学、工学、語学等の実学を重んじた結果、欧米諸国のリベラル・アーツ教育が重視した教養、すなわち文法・論理・修辞学の三学や、天文学、幾何学、算術、音楽などのアーツ、それに哲学、歴史などを学ぶ意義が深く省みられることはなかった。
 軍事教育にリベラル・アーツが欠けていたという主張は、実は野中郁次郎氏の論文「名将と愚将に学ぶトップの本質 リーダーは実践し、賢慮し、垂範せよ」とも共通する。野中氏は同論文の中で、次のように述べている。
 私はリベラル・アーツのなかでも、特に知についての最も基本的な学問である哲学の素養が社会のリーダーには不可欠だと考えている。哲学は存在論と認識論で構成され、その両面から、真・善・美について徹底的に考え抜く。それによって、モノではなくコトでとらえる大局観、物事の背景にある関係性を見抜く力、多面的な観察力が養えるのだ。東洋にも『論語』などの哲学があるが、どうしても道徳論になりがちで、知の飽くなき探求という意味では真善美を追求する西洋哲学に及ばない。
 真善美を学ぶ上では、東洋哲学より西洋哲学の方が優れているという点は、おそらく賛否両論があろう。個人的には、『論語』のような道徳は善の一部であると思うし、「美徳」という言葉があるように、美と道徳も密接な関係にあると考える。ただ、野中氏も土居氏も、哲学や歴史、文学などを学ぶことの意義を同じように強調している点は押さえておかなければならない。

 実のところ、リベラル・アーツ渇望論は、明治時代から3度発生していると私は考える。1回目は明治時代中期であり、明治政府が西洋列強に追いつくために積極的に欧化主義を採用してた頃である。幕末に佐久間象山は「東洋道徳、西洋芸術」という言葉を用いて、東洋の道徳を温存しながら西洋の芸術(技術)を習得することは可能だと主張し、明治政府もその路線を突き進んだ。

 しかし、西洋技術や制度の表面的で過剰な輸入が進むにつれて、日本人は西洋人に対して人種的に劣位にあるという見方が登場し、人種改造論までが真面目に議論されるようになった。こうした事態に耐えかねた人々は、次第に政府に対し反発を見せるようになる。例えば、佐久間象山に師事した西村茂樹は、1886年に発表した『日本道徳論』の中で、「道は本なり、制度は末なり」と説いて、伝統的な儒教観に根差した道徳の重要性を訴えた。

 また、ジャーナリストの陸羯南は、明治政府=国家が国民の上に立っていたずらに西洋を追いかける国家主義的な現状を「日本社会の支離滅裂」と批判し、国家主義に対立する概念として「国民主義」を提唱した。陸の国民主義は、国民の歴史的継続性と、精神的な面までをも含んだ国民の有機的統一性を重視する。

 さらに、同じくジャーナリストの三宅雪嶺は、先ほどの人種改造論に真っ向から反対し、1891年に『真善美日本人』を発表して、日本人の優位性と日本人が世界で果たすべき任務を提示した。三宅は、哲学のみが、個人の自由な活動と、学問を通じた一国の独立という2つの目的を同時に達成することができるとの信念を持ち、スペンサーの影響を受けながら独自の宇宙観を形成している。

 いずれの主張にも共通するのは、道徳観や歴史観などに基づいた社会構築の必要性である。当時はリベラル・アーツなどという言葉はなかったが、その意義を認識している人々は決して少なくなかったわけだ(※)。

 2回目は、この論文にあるように第2次世界大戦の時期である。そして、3回目は他ならぬ現代だ。土居氏や野中氏のリベラル・アーツ渇望論は、軍事教育の欠陥にのみ向けられているのではなく、そのまま現代にも通用するものである。3度の渇望論は、「技術が先行した時期」に発生しているという点で共通している。技術の著しい進歩によって、人間が技術に使われるようになると、リベラル・アーツにスポットが当てられると言ってよい。

 ここからは感覚的な記述になって恐縮だが、私自身社会人になってからずっと、「企業が利益を上げるための方法」をいろいろと模索し、顧客企業にも提案してきたつもりではあるけれども、どこか”上滑りしている感覚”があったのは否めない。利益を出すための技術的な方法を挙げろと言われればいくつも思い当たるものの、利益を出せばそれでOKなのか?という疑問に何となく胸が痞えている。

 企業は単に利益を追求するだけではなく、「よい利益」を追求しなければならない。言うまでもなく、「よい」とは価値基準であり、利益のよしあしを評価するのは企業が存立する社会である。ならば、社会がよいと認めるものは何なのかについて、もっと深く洞察する必要がある。社会の価値基準を考察するには、社会を構成する人間というものを深く理解しなければならない。同時に、社会が何百年、何千年と受け継いできた歴史の流れを紐解き、文化の中に埋め込まれた価値基準を掘り当てる必要もあるだろう。これこそまさに、リベラル・アーツの世界である。

 1つ例を挙げると、縮小する国内市場において、限られたパイを手放さないために、CRM(顧客関係管理)に注力して顧客を囲い込もうとする企業が増えている。CRMが成功すれば、確かにLTV(顧客生涯価値)は上がり、持続的な利益の創出が可能になるだろう。しかし一方で、囲い込みは顧客による自由な選択の余地を奪っているとも言える。そこまでして利益を出すことが果たして「よい」ことなのだろうか?むしろ顧客を解放して顧客の自由な選択に委ね、自社を選んでくれたその時には最高の体験を提供するというやり方の方が、「よい」経営とは言えないだろうか?

 来年はリベラル・アーツの世界にも足を突っ込むことにしよう。

(※)朝日ジャーナル編『日本の思想家(上)』(朝日新聞社、1975年)
December 26, 2011

2人の暴走を招いた「そうせい候」的な上司・板垣征四郎―『リーダーシップ不在の悲劇(DHBR2012年1月号)』

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【994本目】1,000エントリーまであと6。

「攻撃は最大の防御」という錯誤 失敗の連鎖:なぜ帝国海軍は過ちを繰り返したのか(杉之尾宜生)
 野中氏の論文は日本軍全体に焦点を当てて敗因を分析したものであるが、この論文は海軍にフォーカスを絞っている。論文では3つの敗因が挙げられている。ただ、(2)を除く2つの原因は、結局のところ日本軍全体に共通するものであるように思える。
(1)戦争イコール武力戦という誤解
 日本は、世界秩序のなかでどのような地位を占め責務を果たすべきかという未来像を描くことなく大東亜戦争に突入した。本来、グランド・ストラテジー(国家戦略、戦争目的)を明確にしたうえで、軍事戦略が構築される。軍事戦略に基づく武力戦は戦争の一部にすぎない。むしろ非武装戦の分野の質と量が、彼我の優劣を決する。

(2)シーレーン防御の誤解
 島国日本にとって、資源供給のためのシーレーン(海上交通連絡船)を確保することが死活問題であることは小学生でも知っていた。だが、帝国艦隊は大艦巨砲主義に基づく艦隊決戦に固執し、「攻撃は最大の防御」という誤った軍事教義に基づく海軍戦略によりシーレーンを寸断破壊され、日本経済はジリ貧からドカ貧に陥って経済的に破綻した。

(3)科学技術に対する先見性の欠如
 大東亜戦争開戦時、日本の科学者たちは世界最先端の成果を上げ、軍事科学技術の質的戦力は欧米に勝るとも劣らないレベルにあった。しかし、日本の政・官・軍の指導者は、先端技術の可能性・有効性と科学者の提言に背を向け、貴重な高質の人的資源を組織的に有効活用しようとする視座を持ち合わせていなかった。
 論文では(3)の例として、東北帝国大学工学部教授の八木秀次が発明した「八木アンテナ」が取り上げられている。八木アンテナは、電波の指向性通信(長さの異なるア棒状のアンテナを並行に並べ、特定の方向だけに発・受信する方式。現在の超短波、極超短波で使用されるほとんど全てのアンテナ系はこの方式による)を可能にする画期的イノベーションであった。しかし、八木アンテナを軍事活用したのは日本ではなく、イギリスやオランダ、そしてアメリカであった。技術的には優位なのに競争に負けるという話は、現在の日本企業の経営でもよく聞く話ではないか??

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「組織人」になれなかった天才参謀の蹉跌 石原莞爾:官僚型リーダーに葬り去られた不遇(山内昌之)
 満州事変の首謀者である石原莞爾に関する論文。著者は、石原莞爾の戦略眼について、
明治以降の日本軍人のなかで最も優れた戦略家・兵学家であり、「天才」と言ってもいいのではないかと私は考えている。
と絶賛しているのに対し、組織人としては
 失格者の部類の人間であり、致命的な欠陥のために失敗している
と酷評している。石原が組織人として大成しなかった理由は、1つには多様な職務を経験して出世に必要なキャリアを踏むことがなかったためであり、著者は次のように述べている。
 石原はといえば、教育総監部でほんのわずかの勤務経験があるだけで、後はひたすら作戦畑である。人事やマネジメントの才を必要とする組織人たる力量は、それこそ(東条英機と比べて)雲泥の差があっただろう。
 もう1つの理由は、石原の性格的な問題で、
 石原は、生来の歯に衣着せぬ物言いで、常に周囲と軋轢を生んできた。部隊の部下には慕われたものの、東条をはじめとする上層部や同僚からはかなり煙たがられていた。
という。その石原と全く正反対なのが、引用文でも石原との比較対象になっている東条英機である。東条英機は、組織人としては秀でたマネジメント能力を備えていたけれども、軍人としてはまるで凡庸だったという。
 戦前の日本陸海軍というのは巨大な官僚機構だった。(中略)人事の異動1つ取ってみても、いまの中央官庁の人間の異動以上に精緻さが求められた。当然のことながら、その巨大な組織の隅々にまで目を配り、動かしていく人間が必要になる。努力型の秀才である東条は、そういうマネジメントの能力では秀でていた。

 (一方、)戦略家・兵学家としての東条はまったく冴えたところのない、月並みな人間だった。せいぜい陸軍少将になって、旅団長クラスで終わるはずの軍人だったのだ。
 少将は、旧日本陸軍の将官の中では最下級である。それが首相兼陸相となり、さらに参謀総長を兼任していたのだから、5階級ぐらい過大評価されていたことになるだろうか?東条は「平時のリーダー」に過ぎず、戦時のリーダーシップを備えていなかった。石原は、過大評価された平時のリーダー・東条につぶされてしまった、と著者は述べている。

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独断専行はなぜ止められなかったのか 辻 政信:優秀なれど制御能わざる人材の弊害(戸部良一)
 ノモンハン事件(1939年)、ガダルカナル島の戦い(1942年)で日本陸軍は壊滅的な被害を被ったが、その時の参謀が辻政信である(※)。ノモンハン事件では、少佐、作戦参謀に過ぎなかった辻が、作戦課長の事態静観論を退けてソ連・モンゴル軍への攻撃を主張し、関東軍の方針と作戦計画を方向づけた。そのノモンハン事件で大失敗を犯し左遷された辻であるが、わずか1年で参謀本部の要職に返り咲いている。そして、ガダルカナル島の戦いでは、日本軍の兵站能力を超え制海権・制空権の及ばないガダルカナルへの大兵力投入に疑問を呈する声があったにもかかわらず、敵の初動を制することの必要性を論じ立てた。

 なぜ辻は一介の参謀でありながら、中央以上に権限を持ち、「独断専行」に踏み切ることができたのか?この問いに対し、著者は興味深い答えを提示している。
 辻は必勝の信念、積極果敢、率先垂範、命を鴻毛の軽きに比す、といった当時の陸軍が最も重視していた理念を、体現し実践しようとしていた。より正確に言えば、そうした理念を体現し実践しているように見えた。
 辻の強調する理念は、もともと軍事組織の機能を最大化するために掲げられたものであった。軍事組織の機能発揮のためには必要不可欠な理念であったと言ってもいいかもしれない。
 つまり、辻の言動は、陸軍の理念に合致していたから、「だれも公然と反対できなかった」のである。理念を徹底的に追求しているがゆえに、多少の失敗(ノモンハン事件の失敗は、”多少の”失敗で済まされる次元ではないのだが・・・)があっても、寛容に扱われたのだという。

 では、辻による理念の徹底追求が行き過ぎたものであり、辻のような人物の暴走を止めるにはどうすればよかったのか?著者は、「軍事組織の機能発揮という次元を超えた普遍的な価値」が必要だと指摘する。ただ、ここでいう「普遍的な価値」が何かは論文の中で明らかにされていない。そもそも、必勝の信念、積極果敢、率先垂範といった価値観そのものが、論文で紹介されている作家・杉森久英の言葉にあるように、「小学校の修身教科書が正しいという意味で正しい」のであって、それを超える普遍的価値とは果たして何なのか?(小学校の修身教科書を超える普遍的価値など果たして存在するのか?)やや疑問に感じる。

 論理的な解決の方向性としては、次元の異なる価値観を用意するという方法がありうるのかもしれないが、より実務的な方策としては、陸軍の価値観や理念の意味するところを、上層部と現場がもっと深く対話するべきだったのではないだろうか?必勝の信念、積極果敢などといった言葉の表面的な理解にとどまるのではなく、価値観に沿った行動で成功した例や、価値観に反して失敗した例を題材にしながら、価値観の本当の意味や意義を共有する作業が、陸軍には必要であっただろう。また、個別の意思決定の場面において、一見価値観に沿った行動であっても、本当に望ましい結果が得られるシナリオや算段があるのかを厳しく検討しなければならなかったはずだ。

 こうした仕事は、現場の上に立つ人間の役目に他ならない。しかし、ノモンハン事件では、時の陸相である板垣征四郎がこの仕事を怠り、辻の暴走を招くきっかけを作ってしまったと言える。
 関東軍の作戦準備は陸軍中央の了解なしに進められ、実行間近になって大本営に報告された。陸軍中央では作戦の可否をめぐって議論が白熱、賛否両論が伯仲したが、最終的には、「一個師団程度のことならば関東軍に任せてもいいではないか」という板垣陸相の一言で決着がついた。
 さらに言えば、板垣征四郎は、石原莞爾が満州事変を起こした時の上司でもある(当時は関東軍高級参謀)。先の論文「「組織人」になれなかった天才参謀の蹉跌 石原莞爾:官僚型リーダーに葬り去られた不遇」では、
 板垣は東条と違って優秀な部下と張り合うことはせず、鷹揚にすべてを任せるタイプだったようで、そんな上司の下で石原は力を発揮したのである。
と板垣のことが肯定的に捉えられているものの、満州事変以降、陸軍では現場による「独断専行」が頻発するようになった。そして、その独断専行に苦しんだ人物の一人が、石原だったのである。石原は、満州国を軸として「五族協和」、「王道楽土」の理念を実現しようとしており、中国との戦争は望んでいなかった。ところが、部下が引き起こした1942年の盧溝橋事件(当時の石原は参謀本部作戦部長)によって陸軍は対中戦争へと傾き、石原の構想は大きく狂ってしまったのである。

 板垣がノモンハン事件の際に辻を制していれば、さらには満州事変の際に石原を制していれば、陸軍に「独断専行」の文化が生まれることはなかったかもしれない。以前の記事「上司が無能でも部下が育つというパラドクスをどう考えるか?」では、幕末の長州藩主・毛利敬親の「そうせい候」的な態度に触れたけれども、「そうせい候」ではいかに部下が優秀でも組織を正しい方向に導くことができない。もっと言えば、部下が好きなようにやるのであれば、上司など不要である。なぜ上司というポストが必要なのか?上司がなすべき仕事とは何か?を考えるにあたって、板垣を反面教師にしなければならないと思う。

(※)辻正信については、DHBR2006年2月号所収の菊澤研宗氏の論文「リーダーの心理会計」も参照されたい。

Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2006年 02月号Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2006年 02月号

ダイヤモンド社 2006-01-10

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