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May 08, 2012

【ドラッカー再訪】事業を製品別ではなく、顧客別に分析する方法を提案したい(2)―『創造する経営者』

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創造する経営者 (ドラッカー名著集 6)創造する経営者 (ドラッカー名著集 6)
ピーター・F・ドラッカー 上田 惇生

ダイヤモンド社 2007-05-18

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 前回の続き。『創造する経営者』のレビューは今回で最後。結局、この本だけで記事が8本に(汗)。

 以下に、ユニバーサル・プロダクツ社の事例をベースに、チャネル別分析のラフな例を作ってみた(また手書きでスミマセン)。この例では、チャネルを3タイプに分けており、チャネルごとに異なる顧客価値を定義している。チャネルと顧客価値の整理を終えたら、各チャネルの潜在的な市場規模を推計し、自社のシェアを計算する。潜在的な市場規模は、その顧客価値を求めている人たちがどの程度の規模で存在するか?そして、顧客価値を構成する製品・サービス群に対して、その人たちがどのくらいのお金を使うか?を推測することで導かれる。最後に、それぞれのチャネルについて、各製品・サービスの売上と利益を計算し(利益の計算にあたっては、ABC会計の考え方を用いる)、製品・サービス別の利益率を算出する、という流れになる。なお、製品A〜Gは発売時期が新しい順に並んでいる。

顧客別(チャネル別)の業績分析

 この分析から解るのは、あるチャネルでは「明日の主力製品」でも、別のチャネルでは明日が来そうにない製品であったり、あるチャネルにおける「昨日の主力製品」が、別のチャネルでは「今日の主力製品」になっていたりする、ということである。上図の例で言えば、大規模チャネルにおける製品Bは、製品Aに比べてあまり販促費をかけていない新製品にもかかわらず、売上高も利益率も高いことから「明日の主力製品」の候補になりうるのだが、中規模チャネルでは製品Bが足を引っ張る存在になっているかもしれない。逆に、大規模チャネルではそれほど業績が芳しくない一昔前の製品群である製品CとDが、中規模チャネルでは「今日の主力製品」として利益の稼ぎ頭になっていることも考えられる。

 また、製品FとGは、大規模チャネルでも中規模チャネルでも売れ行きが思わしくなく、回転率の低さがコスト高を招いて赤字につながっている「昨日の主力製品」なのに、小規模チャネルにおいては「今日の主力製品」として、異常に高い利益率をたたき出していることもあり得る。残った製品Eは、どのチャネルでも利益が出ていないことから、製品Eこそ「昨日の主力製品」として再整理の筆頭候補にするべきかもしれない。

 以上の示唆とチャネル別の市場規模・自社のシェアを踏まえると、例えば、

 ・中規模チャネルは大規模チャネルに匹敵する市場規模があるから、もっと中規模チャネルに注力する。今の中規模チャネルに欠けている「明日の主力製品」を生み出すことで、中規模チャネルにおけるシェアを大規模チャネル並みに引き上げることを目指す。
 ・小規模チャネルは市場規模こそ小さいものの、特定の製品が受け入れられる傾向が強いため、製品の取捨選択を行い、ニッチ市場におけるリーダーの地位を狙う。そして、安定的に利益を稼ぎ出せる基盤とする。

などといった戦略的な方向性が見えてくる。こうした分析結果は、全社単位で製品・サービスの業績分析を行った場合には見えてこないものである(もっとも、この例はかなり都合のいいように私が作ったケースなので、ストーリーとしてはできすぎているわけだが・・・)。

 ここでもう1つ注目しなければならないのは、前回の記事で書いた通り、顧客は複数の異なる製品・サービスをセットにして”ソリューション”として購入する、という点である。したがって、顧客はどのような製品・サービスの組合せを購入しているのかも分析する必要がある。製品単独で見ると利益率は低いものの、別の高利益製品とセットで購入されることが多い製品は、利益の”呼び水”として重視すべきであろう(小売業におけるいわゆる「ロスリーダー」のことであるが、メーカーでも通用する考え方だと思う)。

 上図の例で言うと、大規模チャネルにおける製品Aは利益率が低いが、この製品があることによって利益率の高い製品Cが売れているのであれば、製品Aの利益を多少犠牲にしてでも、製品Aに注力すべき理由がある(家電メーカーがあれだけ液晶テレビで大赤字を出しているにもかかわらず、液晶テレビからなかなか手をを引けないのは、家電量販店に自社ブランドの液晶テレビがないと、消費者が来店して別の自社ブランド製品を買ってくれないと考えているのも一因かもしれない。果たして本当に、液晶テレビがないと消費者はそういう購買行動をしないのかどうかは別として・・・)。

 さらにもう1つ考えなければならないのは、チャネルが競合他社の製品を扱っている場合、自社の製品とセットで他社の製品も購入されている可能性である。チャネルから競合他社の製品を含む売上データを入手することは困難であるけれども、もしそれができるのであれば、分析してみる価値はあるだろう。利益率が高い自社製品とセットで他社製品がよく売れているならば、その製品の戦略的な重要度は考えものである。また、利益率が低い自社製品が他社製品と一緒に買われているならば、敵に塩を送っていることになるから、すぐに取扱量を減らすべきかもしれない。

 以上、全社単位で製品別に業績を分析する方法に代わって、「事業の目的は顧客の創造である」というドラッカーの格言に従い、その目的の達成度合いを測るために、顧客別に業績を分析する方法を簡単にまとめてみた。もっとも、この記事を書きながら本書をよく読んでみたら、ドラッカーは杓子定規に全ての「暫定的な診断」を製品単位で行うべきだと主張しているわけではないことが解った、というオチがあるのだが(苦笑)。
 大規模小売店舗の場合は、顧客の消費行動の分析から入るべきかもしれない。よく行われている商品別の分析では、あまり多くは明らかにされない。金融のスーパーマーケットである金融機関の場合も、金融サービス別の分析ではなく、顧客の分析から入るべきであろう。
 ドラッカーはこうした分析を例外的なケースとして扱っているようだけれども、現在ではむしろこうした分析の方が主流となるべきではないか?というのが私の考えである。
May 07, 2012

【ドラッカー再訪】事業を製品別ではなく、顧客別に分析する方法を提案したい(1)―『創造する経営者』

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創造する経営者 (ドラッカー名著集 6)創造する経営者 (ドラッカー名著集 6)
ピーター・F・ドラッカー 上田 惇生

ダイヤモンド社 2007-05-18

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 先日の記事「ドラッカーの「戦略」を紐解く(2)〜「暫定的な診断」への個人的疑問―『創造する経営者』」で、業績の診断を製品別に行う方法にいくつかの疑問を提示したわけが、ドラッカーの「暫定的な診断」は、各製品が別の顧客をターゲットとしており、顧客は複数の異なる製品を購入することがめったにないことが前提である。なお、ドラッカーは例外として「大企業において事業単位がいくつかの完全なまとまりになっている場合は、それらの事業単位そのものから分析をスタートさせてよい」としているけれども(ただ、その理由は「事業全体の方が、個々の製品やサービスよりも現実に近い」から、と書かれているだけである)、事業単位の分析も同様に、各事業部のターゲット顧客層がバラバラであることが条件だ。しかし現在では、顧客は同一の企業から様々な製品・サービスを組合せて”ソリューション”として購入することが多いし、それらの製品群はたいてい複数の事業部にまたがっているものである。

 そもそも、「暫定的な診断」の目的については、次のように述べられている。
 事業の分析の基本は、現在の事業、すなわち過去の意思決定、行動、業績によってもたらされた今日の事業について調べることから始まる。(中略)具体的には、まず初めに、業績をもたらす領域を明確にし、理解しておかなければならない。業績をもたらす領域とは、個々の事業、すなわち扱う製品やサービスであり、顧客や最終需要者を含む市場であり、流通チャネルである。(※太字は筆者)
 ここで、ドラッカーの有名な定義である、「事業の目的は顧客の創造である」という言葉を思い出すと、「暫定的な診断」は、この目的が達成されているかどうかを確認するためのものでなければならないのではないだろうか?すなわち、

 ・わが社が事業を営んでいる市場は、どのような顧客層から構成されているか?(言い換えれば、市場はどのようにセグメンテーションできるか?)
 ・各セグメントのうち、”わが社の顧客”とすべきセグメントはどこか?
 ・それぞれのセグメントは、潜在的にどの程度の市場規模があるのか?
 ・それぞれのセグメントから、わが社はどのくらいの売上と利益を上げられているのか?(つまり、顧客を創造することができているか?)

を問う必要があるのではないか?と思うのである。ここから、事業の業績を製品別ではなく、顧客別に分析するという考え方が生まれる。この考え方に従って、本書でドラッカーが紹介しているユニバーサル・プロダクツ社(仮称)の分析事例を再検証してみたい。

 本書を読む限り、ユニバーサル・プロダクツ社は、一般消費者向けの主要な製品を10ほど持ち、全国の小売業者を通じて製品を販売しているメーカーであると推測される(もちろんこれは、ドラッカーが実在の企業を基にして、本書用に作成した架空のケースであるから、製品ラインナップなどはかなり簡素化されていると思われる)。BtoBビジネスであれば、顧客企業の情報を詳細に取得することが可能なので、顧客企業のセグメント別に売上と利益を算出することは比較的容易である。これに対し、BtoCビジネスの場合は通常、メーカーが最終消費者の情報を直接取得することができない。そこで、代替案として、販売チャネル(小売業者)のタイプ別に業績を分析するのが望ましいだろう。なぜなら、販売チャネルは、消費者の”購買代理人”としての機能を果たしているからだ。販売チャネル別の業績分析は、先ほどの引用文の最後にあった、「業績をもたらす領域とは・・・顧客や最終需要者を含む市場であり、流通チャネルである」という記述とも合致する。

 一般的に、販売チャネルのタイプ(規模、業態など)が異なれば、ターゲットとなる顧客層も、顧客に提供する価値も異なる(以前の記事「【第11回】販売チャネルを拡大する―ビジネスモデル変革のパターン」)。身近なを例を1つ挙げると、家電メーカー(特にパナソニック)は、大手の家電量販店と、昔ながらの地場企業という2タイプの販売チャネルを持っている。家電量販店は、比較的若くて価格に敏感な人々をターゲットとし、消費者は各社の最新のモデルやその一世代前のモデルなどをじっくりと見比べながら、自分のニーズに合った製品を、納得できる価格で購入しようとする。

 一方で、地場の販売店は、大手の家電量販店にはほとんど足を運ばないような、地域の高齢者層をターゲットとしている。高齢者層は最新モデルがどうだとか、新しい機能がどうだといったことはあまり気にしない。価格も安いに越したことはないけれども、それよりも家電が自分で難なく使えるようになるかどうかの方が重要である。そこでこうした地域の販売店は、家電の使い方を消費者にレクチャーするサービスに注力するようになる。このように、チャネルの種類が異なれば、ターゲット層と顧客価値も変わってくるのである。逆に、チャネルのタイプが違うのに、ターゲット層と顧客価値が重なっている場合は、チャネルの設計が間違っていると考えた方がよい。

 (続く)
May 02, 2012

【ドラッカー再訪】書評一覧(随時追加予定)

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 20代前半に背伸びして読んだドラッカーの数々の著書を、30代に入った今、改めて読み直してみようということで、2012年3月から始めた個人的な企画。基本的に、1ヶ月に1冊ずつ書評を書く予定。現在までにアップ済みの記事を一覧化しておく。

《2012年3月》
ドラッカー名著集1 経営者の条件ドラッカー名著集1 経営者の条件
P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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 「マネジメント」を万人に開いた1冊―『経営者の条件』
 「強みに集中せよ」と言っても、エグゼクティブに求められる能力は広く深い(1)―『経営者の条件』
 「強みに集中せよ」と言っても、エグゼクティブに求められる能力は広く深い(2)―『経営者の条件』
 組織を、世界を変えていく能動的なエグゼクティブ像にはあまり触れられずとの印象―『経営者の条件』


《2012年4月》
創造する経営者 (ドラッカー名著集 6)創造する経営者 (ドラッカー名著集 6)
ピーター・F・ドラッカー 上田 惇生

ダイヤモンド社 2007-05-18

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 「戦略」以外にも「コア・コンピタンス」「ABC(活動基準原価)」などの先駆けとなった著作―『創造する経営者』
 ドラッカーの「戦略」を紐解く(1)〜事業の「暫定的な診断」の概要―『創造する経営者』
 ドラッカーの「戦略」を紐解く(2)〜「暫定的な診断」への個人的疑問―『創造する経営者』
 ドラッカーの「戦略」を紐解く(3)〜一般的な戦略策定プロセスに沿って整理―『創造する経営者』
 ドラッカーの「戦略」を紐解く(4)〜外部環境/内部環境アプローチの両方を包含する戦略論―『創造する経営者』
 ドラッカーの「戦略」を紐解く(5)〜イノベーションの7つの機会の原点―『創造する経営者』
 事業を製品別ではなく、顧客別に分析する方法を提案したい(1)―『創造する経営者』
 事業を製品別ではなく、顧客別に分析する方法を提案したい(2)―『創造する経営者』


《2012年5月〜6月予定》
ドラッカー名著集2 現代の経営[上]ドラッカー名著集2 現代の経営[上]
P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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《2012年6月〜7月予定》
ドラッカー名著集3 現代の経営[下]ドラッカー名著集3 現代の経営[下]
P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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May 01, 2012

【ドラッカー再訪】ドラッカーの「戦略」を紐解く(5)〜イノベーションの7つの機会の原点―『創造する経営者』

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創造する経営者 (ドラッカー名著集 6)創造する経営者 (ドラッカー名著集 6)
ピーター・F・ドラッカー 上田 惇生

ダイヤモンド社 2007-05-18

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 これまで4回にわたってドラッカーの「戦略」を私なりに紐解いてきたけれども、ドラッカーの戦略論はさらにイノベーションへの広がりをも見せる。後の著書『イノベーションと企業家精神』でドラッカーが提唱した、イノベーションの「7つの機会」の原点を、本書の第11章に見ることができるのである(もちろん、【ドラッカー再訪】企画で『イノベーションと企業家精神』についても取り上げる予定。ただし、半年ぐらい先になるかも(汗))。

イノベーションと企業家精神 (ドラッカー名著集)イノベーションと企業家精神 (ドラッカー名著集)
P.F.ドラッカー 上田 淳生

ダイヤモンド社 2007-03-09

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 ドラッカーのイノベーション論は、これまでの記事に私が手書きの図で掲載した「戦略策定プロセス」の冒頭にある、外部環境/内部環境分析の時間軸と範囲を大幅に拡張し、創造力を働かせることで導かれる。とりわけ、外部環境の中長期的な変化の兆候に着目しており、「すでに起こった未来」を利用して変化に適応するか、「すでに起こった未来」に乗じて自ら変化を創り出すことによって、イノベーションを引き起こすことが可能となる。そして、これこそが「企業家」の役割であるとドラッカーは主張する。
 今日の行動の基礎に、未来に発生する事象の予測を据えても無駄である。せいぜい望みうることは、すでに発生してしまった事象の未来における影響を見通すことだけである。(中略)試みうることは、適切なリスクを探し、時にはつくり出し、不確実性を利用することだけである。未来を築くための仕事の目的は、明日何をすべきかを決定することではなく、明日をつくるために、今日何をすべきかを決定することである。
 ドラッカーが『イノベーションと企業家精神』の中で体系化したイノベーションの7つの機会を以下に列記しておく(随分昔の記事になるが、「ドラッカーによるイノベーションの「7つの機会」」も参照)。ドラッカーによれば、(1)から(7)に行くにしたがって、イノベーションの難易度が上がるという。
(1)予期せぬことの生起。予期せぬ成功、予期せぬ失敗、予期せぬ出来事。
(2)ギャップの存在。現実にあるものと、かくあるべきものとのギャップ。
 a.業績ギャップ=製品やサービスに対する需要が順調に伸びているにもかかわらず業績が芳しくない場合。
 b.認識ギャップ=ある産業の内部にいる人たちがものごとを見誤り、現実について誤った認識を持っている場合。
 c.価値観ギャップ=生産者や供給者が提供していると思っている価値と、顧客が真に必要としている価値との間に違いが存在する場合。
 d.プロセス・ギャップ=何か1つの作業を行う一連のプロセスの中で、不安に感じたり困ったりする部分がある場合。

(3)ニーズの存在。
 a.プロセス・ニーズ=プロセス・ギャップから生じるニーズ。
 b.労働力ニーズ=労働力不足の懸念から生じるニーズ。製造業においてロボットが半熟練労働に取って代わるようになったのは、労働力ニーズの圧力があったためである。
 c.知識ニーズ=新しい知識を必要とする場合。それらの新しい知識は開発研究によって生み出される。

(4)産業構造の変化。
(5)人口構造の変化。
(6)認識の変化、すなわち、ものの見方、感じ方、考え方の変化。
(7)新しい知識の出現。
 このうち、『創造する経営者』ですでに見られるイノベーションの機会の事例を順番に紹介してみたい。

(2)ギャップの存在。現実にあるものと、かくあるべきものとのギャップ。
 「b.認識ギャップ」と「d.プロセス・ギャップ」の両方にまたがる事例。
 製紙の工程は、原木の4分の1しか利用していない。原木の半分は、森に残してしまう。4分の1は、樹皮、葉、小枝、不純物として捨てている。しかし製紙メーカーが代価を払っているのは、原木そのものに対してである。その結果、製紙の原材料であるパルプは、例えば、石油精製の副産物として、事実上コストのかかっていないプラスチックの原料と比べ、高いコストがかかっている。もし、製紙の工程が、今日捨てている原木の4分の3を製品にすることを可能にするならば、紙のコストは大幅に安くなる。しかし、もしこれができなければ、多目的な材料としての紙も、やがてわずかな用途に限定されてしまうことになる。
 これと似たような例として、ドラッカーは戦後の製鉄業の製造プロセスにおける非効率性を挙げている(当然のことながら、これらはもう半世紀も前の話だから、今とは状況が全く違うであろう[この後に紹介する事例も同じ]。現在でも製紙業は衰えていないし、プラスチックは原油価格の高騰のあおりを受けてむしろ割高になっている)。ドラッカーは、組織内部、あるいは産業全体の構造的な弱みや制約にこそ、大きなイノベーションの機会が眠っていると主張する。

 そのような構造的な弱みについて、組織の関係者は、改善のために多大な努力をしてきたにも関わらず克服不可能だと口を揃えて言う(つまり、認識ギャップが存在する)。ところが、イノベーター(たいていは業界の外部から現れる)はそこに目をつけて、弱みをひっくり返す新たな事業を構想する。それと同じことを、組織内部の人間もしなければならない、いや組織内部の人間にもできるはずだ、とドラッカーは力説している。

(4)産業構造の変化。
 わずか一世代前には、あらゆる原料の流れが、その始点から終点に至るまで、それぞれ完全に別のものになっていた。例えば、木が原料となるのは紙だった。逆に、紙は木だけからつくられていた。同じことが、アルミ、石油、鉄鋼、亜鉛など、他の原材料にも言えた。それらの原材料からつくられる製品は、特定の一義的な最終用途をもっていた。しかし今日、原料の流れは、始点も終点も多様化している。例えば、木は紙だけではなく、多様な最終製品となっている。逆に、紙と同じ機能をもつものは、木だけでなく、多様な物質からつくることができる。(中略)

 こうしていまや、あらゆる素材産業が事業の変化を実感している。すでに多くの企業が、この変化に対し、対策を講じている。例えば、アメリカのある大手缶メーカーは、ガラス、紙、プラスチックの容器メーカーを買収している。
 産業構造の変化は、競争のルールを変え、業界のバリューチェーンにおけるバリューポジション(=利益が存在するプロセス)を移動させる。その変化にいち早く乗じ、競争のルールが自社に有利に働くように仕掛け、バリューポジションを自社に取り込むよう積極的に動いた企業が、新たな勝者となれる。

(5)人口構造の変化。
 人口構造の変化は、『イノベーションと企業家精神』では、3番目に難しいイノベーションの機会として位置づけられているが、本書では「まず第一に調べるべき領域」とされている。「人口の変化は、労働力、市場、社会的圧力、経済的機会の変化にとって最も基本的である」という。ドラッカーは、70年代後半にはアメリカの人口の過半数が35歳以下の若い人で占められるようになることに触れて、次のように述べている。
 彼らは、前例のない高い学歴をもつようになる。彼らの家庭の半分は、夫か妻のいずれかが大卒となる。ということは、労働人口における中心的な階層の考えが、今日とは違うものになるということである。例えば、電子機器メーカーに勤める若い技術者の家庭は、現在の所得に基づいて消費はしない。将来の所得と社会的地位に基づいて消費する。すなわち現在の所得は、消費の決定要因ではなく、制約要因となるにすぎない。
(6)認識の変化、すなわち、ものの見方、感じ方、考え方の変化。
 これは(2)ギャップの存在のc.価値観ギャップと表現上は似ているものの、価値観ギャップが供給者と顧客の間のギャップを指しているのに対し、(6)認識の変化はもっと社会的な価値観の変化を意味する。
 かなり大胆でなければ、アメリカ社会において、いつ黒人が完全に平等な地位を得るかを予測することはできない。しかし、1962年と63年に起こったこと(※公民権運動の盛り上がりのこと)の結果として、アメリカでは、黒人のみならず、白人の側にも、人種問題についての新しい意識が生まれている。特に、少なくとも若者に関する限り、服従する黒人が過去のものとなったことは、すでに起こった事実である。
(7)新しい知識の出現。
 新しい知識の活用は、『イノベーションと企業家精神』では最も難易度が高いとされる。しかし、本書では新しい知識は「すでに起こった未来を探すべき第2の領域」に挙げられている。この辺りについては、本書を書いてから『イノベーションと企業家精神』を発表するまでの間に、ドラッカーの中で体系化と再整理が進んだのであろう。すなわち、「発見しやすい機会、誰にでも見つかる機会」と「利用しやすい機会、イノベーションにつなげやすい機会」は別物だということである。
 知識の領域における大きな変化であるにもかかわらず、ほとんどの企業が、まだ直接関係があるとは考えていないものの例として、行動科学の進歩がある。特に心理学の学習理論は、この30年の間に大きな発展を見せている。今日、企業活動には関係がないように見えるかもしれないが、そこにおいて得られた知識は、教育の形態だけでなく、教育と学習の機材、学校の設計と設備、さらには、企業内における研究活動の組織とマネジメントに対しても、大きな影響を与える。
 これまで見てきたように、ドラッカーのイノベーション論は、外部環境の中長期的な変化の兆しを捉える点に特徴がある。ただし、ここで1つの疑問が生じる。それは「変化を自ら創り出す」ことの重要性が強調されていながらも、実際には外部環境の変化そのものが、イノベーションの大半を規定しているのではないか?ということである。もちろん、外部環境の変化を企業家がどのように”解釈”するかによって、イノベーションはいかようにもなる可能性を秘めているのであろうが、外部環境が基点となっている点で、”半”決定論的なイノベーションであり、企業家自身の”内発的なアプローチ”によるイノベーションの構想が軽視されている気がする。

 事実、ドラッカーは次のように述べて、”内発的なアプローチ”に否定的な立場を取っているようだ。
 構想は、企業家的なものでなければならない。すなわち、事業上の行為と行動を通じて実現すべき構想でなければならない。それは、富を生む機会や能力についての構想でなければならない。それは、「未来の社会はどのようなものになるべきか」という社会改革家や、革命家や、哲学者の問いからは出てこない。未来をつくる企業家的な構想の基礎となるものは、「経済、市場、知識におけるいかなる変化が、わが社の望む事業を可能とし、最大の経済的成果を得る経営を可能にするか」という問いでなければならない。
 では、社会的な認識の変化をもたらし、イノベーションの機会の1つを提供した「公民権運動」は、果たして外部環境の変化を利用したものだったのだろうか?また、前述の引用文では紹介しなかったが、ドラッカーは、「偉大な企業家的イノベーションは、理論上の仮定を現実の事業に転換することで実現される」とも述べており、その一つとして、フランスの社会哲学者サン・シモンが構想した銀行の理論を、弟子であるペレール兄弟が実現させた例を挙げているけれども、サン・シモンの銀行の理論は、外部環境の変化に基づくものであったのだろうか?

 もちろん、当時の社会的な状況が、キング牧師やサン・シモンの構想に影響したのは事実であろう。だが、そこには彼らの内面的な探究、すなわち「アメリカ社会の望ましい姿とは何なのか?」、「資本主義を機能させるには、どのような金融システムが存在すべきか?」といった問いが発せられていたのではないだろうか?個人的には、ドラッカーのイノベーション論はこの点が弱い印象を受けた。後の『イノベーションと企業家精神』でこの辺りがどのように論じられているのか注目したい。
April 27, 2012

【ドラッカー再訪】ドラッカーの「戦略」を紐解く(4)〜外部環境/内部環境アプローチの両方を包含する戦略論―『創造する経営者』

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創造する経営者 (ドラッカー名著集 6)創造する経営者 (ドラッカー名著集 6)
ピーター・F・ドラッカー 上田 惇生

ダイヤモンド社 2007-05-18

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 (《再掲》一般的な戦略策定プロセス)
戦略策定プロセス

 上図で、「外部環境分析」と「内部環境分析」の両方から矢印が出て「戦略コンセプトの決定」につながっているのには意味がある。戦略論の歴史に関する文献を読んでいると、戦略論の一方にはM・ポーターの競争戦略論に代表される「外部環境からのアプローチ」があり、もう一方にはJ・B・バーニーの資源ベース論に代表される「内部環境からのアプローチ」があると説明されることがよくあるのだが、実務的には両者を組合せて戦略を練ることが多いし、本書におけるドラッカーの戦略論も両方を包含したものになっている。すなわち、「(3)マーケティング分析」から戦略を導く方法と、「(4)知識分析」から戦略を導く方法の両方が説明されている。この点で、ドラッカーの戦略論はバランスが取れている。

 「(3)マーケティング分析」から戦略を導いた一例
 ウェルナー・フォン・ジーメンスは、発電機を発明した結果として、電車を開発したわけではない。彼は、市内交通としての電車という産業を構想し、そのための動力源として発電機を開発した。同じようにトーマス・エジソンも、実用電球を発明した結果、発電所や変電所や配電システムを完成したのではない。総合的な電力供給という産業を構想し、そこに欠落していた電球を開発した。(中略)

 彼らは単なる新しい機械や設計ではなく、新しい産業を生み出していた。彼らは、電気のいかなる応用に、産業としての最大の成功と利益の機会があるかを問うことによって、経済的な機会を最大のものとした。
 よく誤解されるけれども、新しい技術そのものはイノベーションではない。だから、イノベーションを「技術革新」と訳すのは、私は間違っていると考えている。技術が新しい産業や市場を生み出す時、それはイノベーションとなる。ジーメンスやエジソンは、電気が日常生活でどのように利用される可能性があるのか、そのパターンをいくつか洞察し、その中から最もニーズや実現可能性が高いと思うシナリオを選択したのであろう。技術動向に市場分析を加えて戦略を導き出したケースと言える(マーケティング分析において答えるべき問いについては、以前の記事「ドラッカー流マネジメントにみるソクラテス的な「問いかけ」の手法」を参照)。

 「(4)知識分析」から戦略を導いた一例
 短期間にロスチャイルド家を成功に導いたのは、同家の最大の資産、すなわちその人的資源の最大利用にあった。ロスチャイルド家では4人の子供、ネイサン、ヤーコブ、アムシェル、サロモンが最大の資源だった。彼らの父親、あるいは母親が、この4人のそれぞれに対し、それぞれの才能や性格に最も適した機会、すなわちそれぞれが最大の貢献を行える機会を与えた。
 やや特殊な例だけど興味深かったので引用。ロスチャイルド家は、4人の子どもの特性をうまく活かせば、ヨーロッパ主要都市の金融を押さえることができると考えたのだろう。「無骨で横柄に見える」ネイサンは、「作法など意に介さない攻撃的な金融家」があふれる「世界最大の競争的な金融中心地」であるロンドンに送り込まれた。「早くから策に長けており、政治的な戦略家」だったヤーコブは、「ヨーロッパ大陸最大の資本市場」でありながら、「革命、テロ、ナポレオンによる専制、王政の復古」と政変が頻繁に起こり、「最も策略に満ちた」パリを担当した。

 2人とは対照的に「礼儀正しく、尊大なまでに威厳があり、かつ極めて忍耐強かった」サロモンは、ウィーンに行かされた。ウィーンでの仕事とは、「ハプスブルク家との取引」であった。そのハプスブルク家は「遅疑逡巡、優柔不断、儀礼と自尊」が特徴であり、サロモンにしか取引が務まらなかった。そして、「もともと金融の管理的な分野」を好み、「勤勉で誠実」だったアムシェルは、ロスチャイルド家の総支配人として、ロスチャイルド家の本拠地であるフランクフルトが割り当てられた。

 さらに重要なことは、5人目の子どもであるカルマンに何の仕事も与えなかったことだ、とドラッカーは述べている。ヨーロッパにはまだハンブルクやアムステルダムなどの金融都市があり、アメリカも有望な成長市場だった。ところが、「少なくともロスチャイルド家の基準からは、カルマンには、必要とされる能力も勤勉さもなかった」という。

 ドラッカーの戦略論はバランスがよいと感じるのは、これだけではない。戦略の基本は、外部の「機会」と内部の「強み」を調和させることである(ドラッカーも本書で頻繁に主張している)。その応用としてしばしば、SWOT分析のフレームワークを引き合いに出し、「脅威を機会に変える」、「弱みを強みに変える」ことの重要性が強調される。ただし、これは言葉で言うほど簡単ではなく、その具体的な方法を記載した戦略本はそれほど多くないように思える。その点、ドラッカーはこれについてもちゃんと事例を交えて説明を行っており、厚みのある戦略論となっている(第9〜10章)。

 脅威を機会に変える
 アメリカのデパートの多くは、初めのうち、ディスカウント店を不健全なものとして攻撃した。しかし、戦いに勝てないことが明らかになるや、自ら次々にディスカウント店を開いた。しかし結果は、そのほとんどがお粗末だった。デパートは、ディスカウント店の経営を知らなかった。ある大手のデパートチェーンだけは、まったく違う路線をとった。ディスカウント店を開きはしなかった。逆に、高級化した。あらゆる都市の店を大衆のための高級店に変えた。
 第2次世界大戦後、豊かになった大衆は、保険契約数こそ減らさなかったが、貯蓄のうち生保に回す割合を減らし始めた。この変化に重大な脅威を感じた生命保険会社の多くは、株式投資などの投資手段の危険性を警告する広報活動を展開した。だが、ある保険会社が、そこに機会を見いだした。この会社は、自ら投資信託会社を買収し、その投資信託と生命保険と一緒に売り出した。すなわち、顧客にバランスの取れた投資手段、セット物のマネープランを提供した。
 アメリカのある大手清涼飲料メーカーは、長年の間、低カロリー飲料は流行にすぎないと主張していた。しかし、実際には、マネジメントは、その種の飲料が自社のかなり高カロリーのブランド製品にとって、大きな脅威であると感じていた。ところが、ボトラーたちが低カロリー飲料をより多く扱うようになるにつれ、同社の清涼飲料も、ますます売れるようになっていた。すなわち、低カロリーのダイエット飲料は、市場を侵食するのではなく、昔からの清涼飲料のための市場もつくり出してくれていた。今日では、このメーカー自身が、低カロリー飲料を生産し、販促し、販売している。
 3つの事例から言えることは、脅威を機会に変えるには、(1)棲み分ける(デパートの例)(※1)、(2)選択肢に加える(生保の例)、(3)補完財にする(清涼飲料メーカーの例)という3つの方法があるということである。(2)と(3)は脅威を自社に吸収するという点では共通しており、その違いが微妙であるが、(2)は脅威となる製品と既存製品の間にトレードオフの関係があり、顧客は好きな方を選択するのに対し、(3)は脅威となる製品が売れると、既存の製品もセットで売れるという関係がある。ドラッカーは、低カロリー製品が売れると高カロリー製品が売れる理由までは踏み込んで記述していないけれども、消費者には「カロリーは気になる。でも時々は高カロリーだが自分の口に合った飲物を飲みたい。ただ、それを飲んだ後は、カロリーを調整するために低カロリーの飲料を飲みたい」という心理がはたらいているのかもしれない(※2)。

 弱みを強みに変える
 (アメリカのある中小自動車メーカーが設立したクレジット会社について、)顧客に自動車ローンを提供するためには、大都市すべてに支店を置かなければならない。しかし、中小自動車メーカーとしては、地方支店の管理費を賄えるほどのローンの仕事はない。高度に専門化したクレジット事業の管理に必要なコストを賄うためには、規模があまりに小さすぎた。そこでこのメーカーがとった問題の解決策が、ほかの中小の耐久消費財メーカーのクレジット業務を引き受けることだった。
 加工食品とホテルとケイタリングを事業とするある企業がある。この企業は、ホテルやレストランのための洗濯、加工食品の配送のためのトラック輸送など、いくつかの補助的活動を抱えている。それらの活動は、それぞれ高い水準で運営しなければならない。しかも、かなりの投資を必要とする。おまけに、ピーク時を賄えるようにしておかなければならない。しかしこの企業は、簡単な原則で問題を解決した。本業並みの知識や能力を必要とする洗濯やトラック輸送は、社外の顧客にもサービスを提供する独立した事業にした。
 この2つの事例に共通するのは、本来の製品やサービスに付随するサービスの提供のために、過剰な経営資源を抱えていたという点である。アンバランスな経営資源は通常、弱みとして扱われる。選択と集中をよしとする戦略家であれば、収益性が低い付随業務のアウトソーシングを経営陣に提案したであろう。すなわち、自動車ローンのクレジット業務は大手自動車メーカーに委託し、洗濯やトラック輸送は洗濯や物流の専門業者に委託してしまえばよいというわけである。

 ところが、弱みを強みに変える戦略では、過剰な経営資源を有効活用する方法を模索する。実は、安易なアウトソーシングには落とし穴がある。以前の記事「受賞論文からお気に入りをピックアップ(2009〜2006年)−『マッキンゼー賞 経営の半世紀(DHBR2010年9月号)』」や「「よかれと思ってやったのに・・・」というマネジメントのパラドクス集(その1〜3)」でも書いたように、一見ノンコアに見えるプロセスに継続的な改善を施すと、たとえそれがプロセス・イノベーションにもならないプロセス・インプルーブメントに過ぎないとしても、そこからプロダクト・イノベーションのアイデアが生まれることがあるのである。

 今回の記事はだいぶ長くなってしまったが、前々回まで紹介してきた事業の「暫定的な診断」に比べると、ドラッカーが提唱する「戦略」の中身はかなり骨太であり、かつホログラフィックである(整理して理解するのに苦労したが、汗)。しかも、ドラッカーの戦略論はこれで終わりではない。まだ一度も触れていない第11章では、後の著書『イノベーションと起業家精神』につながるイノベーションの思想的原点が見て取れる。次回はこの点について述べてみたいと思う。


(※1)脅威との棲み分けには一定のリスクがある。脅威が破壊的イノベーションである場合、脅威と棲み分ける、すなわちハイエンド市場へ移動すると、破壊的イノベーションを勢いづける格好の材料となってしまう。また、脅威が破壊的イノベーションでなくても、高級路線へのシフトはいくつかのリスクを負うことになる。つまり、所得水準も高いが要求水準も高い顧客を相手に、購買頻度が低い製品を販売しなければならないため、販売スタッフのサービス水準の向上や顧客リレーション管理、製品の在庫管理に相当の労力を割く必要が出てくる(以前の記事「【第2回】高級志向の顧客を狙う―ビジネスモデル変革のパターン」を参照)。

(※2)余談だが、マクドナルドがここ数年「プレミアムローストコーヒー」を積極的に販売しているのは、てっきりスターバックスなどの脅威に対する対抗策だと思っていた。ところが、原田CEOによると、「コーヒーが売れれば、ビックマックが売れる」という関係があるそうだ。ビックマックは、特別な広告を打たなくても売れる「金のなる木」だという。その金のなる木にもっと金を実らせるために、コーヒーに注力しているわけである。これは脅威を自社に取り込んで、補完財にした例と言えるのではないだろうか?

勝ち続ける経営 日本マクドナルド原田泳幸の経営改革論勝ち続ける経営 日本マクドナルド原田泳幸の経営改革論
原田泳幸

朝日新聞出版 2011-12-07

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April 26, 2012

【ドラッカー再訪】ドラッカーの「戦略」を紐解く(3)〜一般的な戦略策定プロセスに沿って整理―『創造する経営者』

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創造する経営者 (ドラッカー名著集 6)創造する経営者 (ドラッカー名著集 6)
ピーター・F・ドラッカー 上田 惇生

ダイヤモンド社 2007-05-18

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 前回までは、ドラッカーが事業の「暫定的な診断」と呼ぶ、事業の現状把握のための2つの方法、すなわち「(1)業績をもたらす領域、利益、資源についての分析」と「(2)コストセンターとコスト構造についての分析」について述べた。今回からは残りの2つである「(3)マーケティング分析」と「(4)知識分析」について整理してみたいと思う。

 前回の記事の最後で、「暫定的な診断」はどちらかと言うと業績改善のための方法であり、戦略観があまり感じられないと書いた。戦略策定と関連するのは、むしろ「(3)マーケティング分析」と「(4)知識分析」の方である。以下に、よくある戦略策定プロセスを掲載したが(パワポで書くのが面倒だったので、手書きの図にしてしまった点はご容赦ください)、(3)は市場や競合を俯瞰する外部環境分析に相当し、(4)は自社の経営資源の強み・弱みを洗い出す内部環境分析にあたる。ドラッカーは、経営資源の中でも、「知識」がとりわけ重要な競争優位の源泉になるとしているが、これは後にゲイリー・ハメル&C・K・プラハラードがまとめた「コア・コンピタンス」に通じる考え方である。

戦略策定プロセス

 上図について少し補足すると、上図では戦略(戦略コンセプト)とビジネスモデルを区別している。戦略とは、「どのターゲット顧客に(=Who)、どのような顧客価値を(=What)、どのようにして(=How)提供するか?(自社の組織能力をどう活用し、どうやって競合との差別化を図るのか?)」という基本構想であり、ビジネスモデルはその構想を実現する仕組みを意味する(過去の記事「戦略とビジネスモデルの違いが解る特集―『ビジネスモデル 構想と決断(DHBR2011年8月号)』」を参照)。

 より具体的に言えば、業界全体のバリューチェーンの枠組みに従って、自社が担当するプロセスと、外部プレイヤーである仕入先、販売先などが担当するプロセスを整理し、自社、外部プレイヤー、顧客の間でお金がどのように流れるのか?自社はどうやって売上と利益を上げるのか?を可視化するものである。

 もっと完成度の高いビジネスモデルは、プレイヤー間のお金の流れだけでなく、ヒト、モノ、情報、知識といった経営資源の流れをも明らかにする。簡単な例を挙げると、Amazonのビジネスモデルでは、購買履歴”情報”が顧客からAmazonに流れ、Amazonがそれを高度な統計技法で分析して”知識”に転換し、その知識に基づき顧客におすすめ製品”情報”を提供して、継続購買を促す仕組みになっている(顧客が継続購買をすれば、Amazonはまた新しい購買履歴”情報”を入手し、自社の”知識”がさらに高度化する、という正のフィードバックループもはたらいている)。(ビジネスモデルに関しては、以前の連載モノ「【シリーズ】ビジネスモデル変革のパターン(全20回予定)」も参照)

 ビジネスモデルをデザインした後は、モデルを有効に機能させるために必要な経営資源の量と質を明確にする。これが現有リソースのFit&Gap分析である。その分析結果を基に、経営資源のギャップをどのように埋めるのかを検討しなければならない。例えば、先進的な技術や特許、顧客価値の形成に欠かせない新製品やサービス、営業・販売上の重要な情報や販売網などを獲得するにあたって、R&Dや人材育成への追加投資による内部調達を選択するのか?それとも、買収や提携という手段に出るのか?(提携にしても、業務提携と資本提携のどちらを選択するのか?)を決定する。ドラッカーは本書で、ビジネスモデルについては言及していない(ドラッカーは「戦略」は世に知らしめたが、「ビジネスモデル」という概念までは提唱しなかった)ものの、買収に関しては第13章で解説している。

 これらのリソース調達・強化方法が戦略的打ち手、あるいは戦術という名前で、各部門で実施すべき施策に落とし込まれる。そして、施策の実行スケジュールを引き、実行責任者を特定し、さらに施策の成果を測定する指標(KPI)を設定する。戦略を画鋲に終わらせないためには、スケジュールの作成と成果管理指標の設定まできっちりと行うことが肝要である。この点は、本書の第14章で強調されている。

 (続く)

《2012年5月16日追記》
 この記事を書いた後で思ったのだが、図中の「外部/内部環境分析」は「外部/内部環境の『認識』」と改めた方がいいのかもしれない(図の修正が面倒なので後回しになっているが、汗)。ドラッカーも本書の中で「分析」という言葉を多用しているけれども、「分析」という言葉は、分析の方法や切り口が客観的にきっちりと決まっていて、誰がやっても同じ結論が出るような印象を与える。
 
 ところが、こうした客観的な分析から導かれる戦略コンセプトは、得てして誰でも思いつくような凡庸なものに落ち着いてしまう傾向がある。競合と差別化された戦略を導くには、社内の戦略立案スタッフやコンサルタントが編集したデータや情報を使うだけでなく、既存の顧客や潜在顧客と直に接し、また各部門の現場に赴いて、「多少歪んだレンズ」で現実をじっくりと観察した方がいいのかもしれない。

 そうした「主観的な知覚」が、他の人たちには見えていない市場のチャンスや自社の強みの発見につながる可能性がある。特に、イノベーティブな戦略を導くには、このような主観的な環境認識が重要になると思う(以前の記事「リーダーが帰納的に課題を設定するとはどういうことか?」)。その意味で、環境の「分析」ではなく、環境の「認識」という言葉の方がふさわしいだろう。

 もちろん、こうした主観的な環境認識にはリスクもある。イノベーティブな戦略家は、特定かつ少数の事実を一般化して、事業機会があると思い込む危険性がある(例えば、自分の友人のうち、数人が「こんなサービスが欲しい」と言っただけで、そのサービスが事業として成り立つと思い込んでしまう、など)。とはいえ、結局のところイノベーションは、「どれが当たるのかはやってみないと解らない」という性質から逃れられない。一説によると、1つのイノベーションを起こすには3,000のアイデアが必要だという。だから、「多少歪んだレンズ」を持った戦略家が集まって、戦略コンセプトのアイデアを量産することが重要なのかもしれない。

 なお、「戦略コンセプトの策定」と「ビジネスモデルのデザイン」の間には、「戦略目標の設定」というプロセスが必要である(これは完全に書き忘れた、大汗)。戦略目標の例は、「市場シェア○○%」、「新製品の売上○○億円」、「新規顧客獲得数○○人」などである。こうした目標がないと、ビジネスモデルを描くにあたって、どのくらいの生産体制や販売チャネルが必要になるのか?何社ぐらいの仕入先を開拓しなければならないのか?などといった規模感を算出することができない。
April 24, 2012

【ドラッカー再訪】ドラッカーの「戦略」を紐解く(2)〜「暫定的な診断」への個人的疑問―『創造する経営者』

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ピーター・F・ドラッカー 上田 惇生

ダイヤモンド社 2007-05-18

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 個人的に、「暫定的な診断」である「(1)業績をもたらす領域、利益、資源についての分析」と「(2)コストセンターとコスト構造についての分析」をめぐっては、いくつかの疑問がある。まず第一に、「暫定的な診断」は製品別の分析からスタートしており、ドラッカーも「業績をもたらす領域についての分析は、製品やサービスの分析から始めるべきである」と述べて、ユニバーサル・プロダクツ社の分析も個々の製品単位で行っているものの、製品単位での分析は必ずしも望ましいとは限らないのではないか?ということである。

 なぜなら、とりわけ最近はその傾向が顕著だが、顧客はいつも単一の製品を購入するわけではないからだ。顧客は、複数の製品を組合せてソリューションとして購入する。これはBtoBでもBtoCでも同じである。BtoCにはソリューションという言葉があまり馴染まないけれども、例えば食品スーパーで買い物をする消費者は、夕食の問題を”解決”してくれる製品の組合せを探していると言える。そして、その組合せは、顧客のタイプによって異なる。食品スーパーの例で言えば、一人暮らしの男性と、食べ盛りの男の子が2人いる母親では、ソリューションが全く別物になることは想像に難くない。

 したがって、製品別の分析を始める前に、市場を分析して顧客のタイプを見極める方が先であるように思えるのである。その上で、顧客のタイプ別に売上とコスト(当然、その顧客タイプが購入する複数の製品の合計売上および合計コストになる)を分析した方が、有益な分析結果が得られるのではないだろうか?(この分析方法については、後日の記事でもう少し詳しく述べたい)個々の製品単位での分析が有効なのは、各製品のターゲット顧客が全く別であり、顧客が複数の異なる製品を購入することが滅多にないケースであろう。だが、現在ではそのケースの方が滅多にない(※)。
 
 2つ目の疑問は、コスト分析の目的がはっきりしないように感じる点である。「(1)業績をもたらす領域、利益、資源についての分析」では、製品別にコスト分析を行っているのに対し、「(2)コストセンターとコスト構造についての分析」になると、一転してまずは全社的なコスト分析から輸送費のコスト高を指摘し、次に販売チャネル別にコスト分析を行って小規模チャネルの維持費の高さを導き出している。もう少し別の言い方をすると、「(1)業績をもたらす領域、利益、資源についての分析」の製品別コスト分析から導かれた示唆が、「(2)コストセンターとコスト構造についての分析」では活かされていない、ということである。

 もちろん、多角的な視点からコスト分析を行うことは悪くはない。とはいえ、やみくもに分析すればよいというわけでもなく、複数の分析結果の間には意味のあるつながりが必要である。ユニバーサル・プロダクツ社の場合、例えば私の勝手なストーリーだが、製品別のコスト分析から製品Xのコストが高いことが判明し、その原因を探ってみると、小規模チャネルが製品Xの欠品を恐れて過剰に発注をかけるため、輸送費がかさんでいることが解った、というのであれば、コスト分析も意味を持つ。本書のコスト分析は、それぞれが何となくバラバラの目的で行われている気がしてならない。

 そして第三の疑問として、前述のように「暫定的な診断」の内容を「(3)マーケティング分析」と「(4)知識分析」によって再点検し、「これがわが社の事業だ」と言えるものを明確化しなければならない、とされているにもかかわらず、ユニバーサル・プロダクツ社の事例はこれ以降の章で登場せず、結局のところ同社の戦略がどのように再定義されていったのか判然としない、という点である。次回紹介するが、「(3)マーケティング分析」と「(4)知識分析」では、また別の事例が登場する。この点でも、内容の一貫性にやや欠けている印象を受けてしまう。

 なお、「暫定的な診断」だけを見ると、その目的は既存の製品ラインナップの点検やコスト構造の見直しが中心であるという点で業績の”改善”であり、「どの顧客をターゲットとし(=Who)、どんな顧客価値を(=What)、どうやって(どのような差別化で/どんな組織能力を用いて)提供するか?(=How)」を構想する大局的な戦略観は感じられない。それが感じられるようになるのは、実は「(3)マーケティング分析」と「(4)知識分析」である。この2つの分析手法については、次回の記事で述べたいと思う。

 (続く)


(※)ここからは余談。仕事の関係上SIerのIR資料を読む機会が多いのだけれども、自社の売上構成を「ハード(=クライアント、サーバなどの機器の売上)」、「ソフト(=パッケージ本体およびライセンスの売上)」、「SI(SEやコンサルタントのフィー)」という区分で表記し、利益変動要因を「ハードの単価下落に伴う利益率の減少を、ソフトやSIの利益率でカバーした」などと説明している企業が結構ある。これはまさに、製品別にコスト分析を行っている例であろう。

 しかし、顧客企業は(クラウド化が進んでいるとはいえ)ハードもソフトもSE・コンサルタントも同時に購入するわけだから、この分析結果をもって「利益率の低いハードの比重を下げて、ソフトやSIを中心に販売せよ」と現場に命令することは不可能だ。SIerこそ、顧客別に市場と業績を分析しなければならない。すなわち、

 ・市場のポテンシャルが大きい顧客層は誰か?(業界[製造、流通、金融、サービスなど]とIT投資領域[生産管理、在庫管理、販売管理、会計、基幹業務など]別に分析する)
 ・自社はそれぞれの顧客層からどの程度の売上と利益を上げているのか?
 ・売上と利益をさらに伸ばすためには、どの顧客層を重点的に狙えばよいのか?
 ・各顧客層の利益率を高めるためには、どのような施策を打てばよいか?

を問うべきなのである(もっとも、これは戦略的に重要な機密情報であり、IR資料に載せるべき内容ではないから、敢えて前述のようなアバウトな製品別売上・コスト分析にとどめているのかもしれないが)。
April 23, 2012

【ドラッカー再訪】ドラッカーの「戦略」を紐解く(1)〜事業の「暫定的な診断」の概要―『創造する経営者』

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ピーター・F・ドラッカー 上田 惇生

ダイヤモンド社 2007-05-18

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 DHBR2012年5月号のレビュー記事(「「幸福感」と「モチベーション」の違いがよく解らない印象を受けた―『幸福の戦略(DHBR2012年5月号)』」など)を挟んだので約1週間ぶりの【ドラッカー再訪】記事となったが、前回の「「戦略」以外にも「コア・コンピタンス」「ABC(活動基準原価)」などの先駆けとなった著作―『創造する経営者』」に続いて今回は、ドラッカーが唱える「戦略」の中身を紐解いていきたいと思う。

 ただし、ドラッカーが本書を「事業戦略と呼ばれているものについての世界で最初の本」と呼ぶ割には、実は戦略の明確な定義はなされておらず、またM・ポーターの競争戦略論に出てくる「5 Forces Model」や、資源ベース論で知られるJ・B・バーニーの「VRIOフレームワーク」のように、解りやすい戦略の枠組みも存在しない(安易な単純化を嫌うドラッカーらしいところではあるが)。そういう意味で、改めて読み返してみても内容を理解するのに結構苦労したわけなのだが、私なりに次のように整理してみた。なお、目次と絡めながら説明を進めたいので、目次を掲載しておく。

第1部◆ 事業の何たるかを理解する
 第1章 企業の現実
 第2章 業績をもたらす領域
 第3章 利益と資源、その見通し
 第4章 製品とライフサイクル
 第5章 コストセンターとコスト構造
 第6章 顧客が事業である
 第7章 知識が事業である
 第8章 これがわが社の事業である

第2部◆ 機会に焦点を合わせる
 第9章 強みを基礎とする
 第10章 事業機会の発見
 第11章 未来を今日築く

第3部◆ 事業の業績をあげる
 第12章 意思決定
 第13章 事業戦略と経営計画
 第14章 業績をあげる
 終章 コミットメント

 ドラッカーは本書の中で、自社の事業を理解し、方向性を決定するための分析手法として、(1)業績をもたらす領域、利益、資源についての分析、(2)コストセンターとコスト構造についての分析、(3)マーケティング分析、(4)知識分析という4つの方法を提案している。(1)は第2〜4章、(2)は第5章、(3)は第6章、(4)は第7章で解説されている。このうち、(1)と(2)は事業そのものに関するミクロな視点での「暫定的な診断」であり、その診断結果は、よりマクロな視点からの外部環境分析である(3)と、内部環境分析に相当する(4)によって再点検する必要がある。こうした一連の作業を通じて、「これがわが社の事業である」(第8章)と自信を持って言えるもの、つまり戦略が固められていくというわけである。

 「(1)業績をもたらす領域、利益、資源についての分析」は、簡単に言えば製品別の利益分析と製品のカテゴライズである。ドラッカーの著書としては極めて珍しく、本書にはユニバーサル・プロダクツ社(※実在する企業を基にドラッカーが作成したケース。もちろん、ファッションブランドのユニバーサル・プロダクツとは別物)の分析結果が詳細な表とともに登場する。そして、どうでもいい小ネタだが、ドラッカーの著書に表が登場するのはおそらくこの本だけである。というのも、図や表を書いてそれをさらに文章で説明するのはバカバカしい、というのがドラッカーの信条だからだ。ただ、本書に限っては、その表がなければさすがに分析手法の説明ができないと考えたのか、信条に反する形で(?)表が掲載されている。

 製品別の利益を計算する際には、従来のコスト会計の欠点を指摘し、後のABC会計(Activity Based Costing:活動基準原価計算)につながる考え方でコストを計算している(前回の記事「「戦略」以外にも「コア・コンピタンス」「ABC(活動基準原価)」などの先駆けとなった著作―『創造する経営者』」を参照)。ABC会計に従うと、営業・販売活動やバックヤード業務に要する人件費のような間接費を各製品の売上比率に応じて按分する従来のコスト会計では解らなかった事実が判明する。つまり、ある製品は一見稼ぎ頭のようだけれども、実は社員の手間ばかりがかかるため、実質的には利益を食いつぶしていたとか、逆にそれほど利幅が大きいとは思っていなかった製品が、実は回転率がよく社員の作業量も少ないから、非常に高い利益率を上げていた、といった具合である。

 製品のカテゴライズに関しては、製品の優先順位に応じて製品を11に分類することをドラッカーは勧めている。しかしながら、個人的に11はちょっと多すぎる気もする。ドラッカーの意図するところを汲み取れば、「今日の主力製品」、「昨日の主力製品」、「明日の主力製品」の3つで十分だろう。残りの類型は、「今日の主力製品/昨日の主力製品/明日の主力製品に”なりかけている”製品」と解釈することができる。ドラッカーは、「明日の主力製品」に、自社で最高の人材と知識を投入しなければならないと繰り返し強調する。

 多くの企業は、「今日の主力製品」に最高の人材と知識をあてがい、「明日の主力製品」を真の主力製品に育て上げる努力を自ら放棄している、とドラッカーは警告する。もっとひどい企業だと、既に市場での役目を終えつつある「昨日の主力製品」の問題解決に最高級の資源を投入してしまっているという。これは例えば、市場に残っているごく少数の特殊な顧客のニーズやクレームへの対応、あるいはもうほとんど向上の余地がない昨日の主力製品の売上や利益を上げるための方策の検討と実施などに貴重なリソースを突っ込んでいる、ということだろう。

 「(1)業績をもたらす領域、利益、資源についての分析」では製品別のコストを計算したが、「(2)コストセンターとコスト構造についての分析」では、改めて別の視点からコスト分析が行われている。このコスト分析の目的は、許容できるコストと削減すべきコストを明らかにすることである。ユニバーサル・プロダクツ社の事例では、コスト構造を別の視点から分析した結果、輸送費と小規模チャネルの維持費にコストがかかっていることが判明したという。この結果を踏まえて、倉庫の構成を再構築するとともに、小規模チャネルへの営業活動や売掛金管理業務を変更したそうだ。

 以上が事業の「暫定的な診断」の概要である。ただ、この診断には個人的に疑問に感じるところがいくつかある。次回はそれについて述べてみたい。

 (続く)
April 13, 2012

【ドラッカー再訪】「戦略」以外にも「コア・コンピタンス」「ABC(活動基準原価)」などの先駆けとなった著作―『創造する経営者』

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創造する経営者 (ドラッカー名著集 6)創造する経営者 (ドラッカー名著集 6)
ピーター・F・ドラッカー 上田 惇生

ダイヤモンド社 2007-05-18

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 「ドラッカー再訪」企画2冊目は『創造する経営者』(原題は"Managing for Results"、1964年出版)。この本は、ドラッカーが初めて「事業戦略」を体系化した本として知られる。ちなみに、「戦略」という言葉を経営学に持ち込んだのはドラッカーとアンゾフのどちらなのか?という議論があり(アンゾフが"Corporate Strategy"という本を発表したのが1965年。まぁ、こんなのはほとんど雑学レベルのどうでもいい話・・・(苦笑))、ドラッカーは本書を「今日、事業戦略と呼ばれているものについての世界で最初の本である」(「はじめに」より)と主張し、後の論文集『マネジメント・フロンティア』に所収されているインタビューでは、
ドラッカー:私が(インタビューが行われた1985年から数えて)30年前に書いた『現代の経営』によって、読者は経営管理の仕方を学んだ。それまでは、とくに才能のある者だけが行なうことができ、他の者には真似のできなかったことを学べるようになった。私がそれを一つの体系にまとめた。今度のあの本(『イノベーションと企業家精神』)は、イノベーションと企業家精神について、同じことをしようとしたものだ。
インタビュアー:しかし、その内容はあなたが考えだしたものではない。
ドラッカー:いや、かなりの部分が私の考えだしたものだ。
インタビュアー:戦略の部分はあなたが考えたものではない。あなたが書く前から、あったことだ。
ドラッカー:いや、違う。
といった具合に、インタビュアーと押し問答(?)を繰り広げている。

 また、多くの書籍でドラッカーの紹介文が「東西冷戦の終結、転換期の到来、社会の高齢化をいち早く知らせるとともに、『分権化』『目標管理』『経営戦略』『民営化』『顧客第一』『情報化』『知識労働者』『ABC会計』『ベンチマーキング』『コア・コンピタンス』など、おもなマネジメントの理念と手法を生み、発展させた」(『企業とは何か―その社会的な使命』より)などとされ、ドラッカーが生み出したマネジメント用語の中には「戦略」が含まれている。

 一方で、アンゾフも「企業戦略の父」と呼ばれており(※1)、結局どっちなのかは私にもよく解らない(汗)。ただ、私の個人的な感触としては、ドラッカーは戦略に限らずマネジメントを幅広く体系化した「現代経営の父」というイメージであり、戦略に限って言えば、アンゾフの「成長マトリクス」のような、解りやすくかつ現在でもよく使われるフレームワークがドラッカーにはなく(ドラッカーはそういうフレームワークを作るのが嫌いだったという側面もあるが)、『創造する経営者』もアンゾフの著書に比べると実は結構込み入った内容になっていることから、やはりアンゾフの方が戦略に特化した先駆者という感じがする。

アンゾフ 戦略経営論 新訳アンゾフ 戦略経営論 新訳
H.イゴール アンゾフ 中村 元一

中央経済社 2007-07

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 余談はそのくらいにしておいて、本書は事業戦略以外にも、後の戦略論や管理会計学で登場するコンセプトの原型が見られ、ドラッカーの先見の明を改めて思い知らされる1冊だ。例えば、「事業とは、市場において、知識という資源を経済価値に転換するプロセスである」という定義は、知的資源を中心に置いた経営という点で、ゲイリー・ハメルとC・K・プラハラードの『コア・コンピタンス経営』を想起させる。

 実際、ドラッカーが事業に必要な知識の要件として指摘していることは、ハメルとプラハラードがコア・コンピタンスの要件として挙げた3つ、すなわち(1)顧客価値があること、(2)競合に模倣されにくいこと、(3)様々な製品に展開できること、とほぼ一致する。
 事業が成功するためには、知識が、顧客の満足と価値において、意味あるものでなければならない。知識のための知識は、事業にとって、あるいは事業以外のものにとっても、無用である。知識は、事業の外部、すなわち顧客、市場、最終用途に貢献して、初めて有効となる。
 ほかの者と同じ能力をもつだけでは、十分ではない。そのような能力では、事業の成否に不可欠な市場におけるリーダーの地位を手に入れることはできない。卓越性だけが、利益をもたらす。純粋の利益は、革新者の利益だけである。経済的な業績は、差別化の結果である。
 企業は、製品や市場や最終用途において多角化し、基礎的な知識において高度に集中化しなければならない。あるいは、知識において多角化し、製品や市場や最終用途において高度に集中しなければならない。この中間では、満足すべき成果はあげられない。

コア・コンピタンス経営―未来への競争戦略 (日経ビジネス人文庫)コア・コンピタンス経営―未来への競争戦略 (日経ビジネス人文庫)
ゲイリー ハメル Gary Hamel C.K. プラハラード C.K. Prahalad 一條 和生

日本経済新聞社 2001-01

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 また、ドラッカーは、原材料の調達から最終製品の生産に至る一連のプロセスを「経済連鎖」と捉え、一企業のコストだけでなく、経済連鎖全体のコストを最適化すべきだと述べている。これは、後のSCM(Supply Chain Management:サプライチェーン・マネジメント)につながる原則である。
 コスト分析は、企業を外部から見るマーケティング分析によるチェックがなければ、信頼できる意味あるものとはならない。コスト分析だけでは、部分的な分析でしかない。事実、最も成功している企業のなかには、外部コストの管理を成功の鍵にしているところがある。

 そのよい例として、流通において成功を収めているイギリスのマークス&スペンサーと、アメリカのシアーズ・ローバックがある。いずれも、その成功は、優れたメーカーを見つけ、それらメーカーのために製品と生産工程を開発し、かつ製品のコストを指定したことである。いずれも、その法的な枠組みの範囲を超え、コスト、製品、工程について、積極的な責任を負っている。
 管理会計に関しては、従来のコスト会計を否定し、後のABC(Activity Based Costing:活動基準原価)分析につながる考え方を示している。
 コスト会計では、1セントの支出も記帳しなければならない。したがって、あるコストがどの製品の生産のために支出されたかを明らかにできないとき、それらのコストは全製品に配分して計算される。しかし、そのような配分計算は、間接費はすべて直接費あるいは売上高に比例して発生するという前提があって初めて行いうる。そして配分される額が、総コストのわずか1、2割であるかぎりは、問題はない。50年前がそうだった。

 しかし今日、総コストの極めて多くの部分が、直接費ではない。(中略)いわゆる直接労務費でさえ、今日では、生産高に比例して変動はしない。工場で何を生産しようと、直接労務費はほとんど変化しない。ほとんどの製造業、およびすべてのサービス業において、労務費は、生産高ではなく、時間にかかわるコストである。つまるところ、今日では、生産高とともに変動する直接費として扱えるものは、原材料費を除けば、総コストの4分の1以下である。
 つまり、多くの企業でコストの大半を占めているのは人件費であり、さらにこれを製品別売上高などに応じて配分するのは間違いであるというわけだ。代わりに、「コストは作業量に比例し、そのほとんどは、ごくわずかの利益しか生まないおそらく90%という膨大な作業量から生じる」という前提から出発すべきだという。

 非常に単純化した例で言うと、ここに10万円の案件と1,000万円の案件があり、請求書の処理にかかる事務作業量はそれほど変わらないとする。この2案件の請求処理のために、月給20万円の事務員を雇っているケースを想定してみる(もちろん、実際にはこんなことはあり得ないが)。コスト会計に従って、案件の売上高に応じて人件費を配賦する方法をとると、10万円の案件に配賦されるコストは、20万円×10万円÷(10万円+1,000万円)=約1,980円であり、この案件からもたらされる利益は約9万8,020円となる(ひとまず、原材料費やその他のコストは無視する)。かたや、1,000万円の案件に配賦されるコストは、残りの人件費の約19万8,020円であり、この案件からもたらされる利益は約980万1,980円となる。

 ところが、ABC分析の場合、作業量に応じてコストが配賦されるので、10万円の案件と1,000万円の案件にかかる事務作業量が同じならば、コストも同じとなる。従って、両案件とも人件費を半分ずつ負担する。すると、10万円の案件は、人件費だけで10万円のコストがかかってしまい、実は利益がゼロになる。

 また、この事務員が、5万円、5万円、1,000万円という3つの案件の請求書処理を行っているとする。従来のコスト会計に従って利益を計算すると、それぞれ約4万9,010円、約4万9,010円、約980万1,980円となる。しかし、ABC分析では、3つの案件にかかるコストは同じとみなされ、いずれの案件も20万円の人件費を3等分した金額を負担することになる。すると、2つの5万円の案件は赤字になってしまうのである。

 これは非常に極端な例であるものの、作業量に応じてコストを配賦する方法で利益を計算してみると、それほど手間をかけずに利益を上げられている製品・サービスと、手間の割に実は儲からない製品・サービスとが明らかになる。これは、従来のコスト会計では見えないことである。その例をドラッカーが本書の中でいくつか挙げているけれども、マッキンゼーの調査結果として紹介しているものが一番解りやすい気がするので、それを引用しておく。
 食品店は、他の小売店と同じように、利益幅からコストの平均値を差し引いて利益を計算している。したがって、利益幅の最も大きな商品が最も利益をあげていると考える。しかし、マッキンゼーの分析は、コストが、それぞれの商品に要する作業量によって異なり、品目ごとのコスト負担には大きな差のあることを明らかにした。

 例えば、シリアル一箱の利益幅と缶入りスープ一箱の利益幅とは、1.26ドルと1.21ドルでほとんど同じだった。したがって食品店は、これら2つの食品がほとんど同じ利益をあげていると考えていた。しかし、作業量による分析の結果、シリアル一箱の純利益は25セント、缶入りスープは71セントであることがわかった。さらに、ベビーフードの利益についても作業量による分析を行ったところ、利幅が大きく、回転率が高かったにもかかわらず、あまりにも手間がかかるため、実際には赤字になっていることがわかった。
 今回の記事は教科書的な紹介のみで終わってしまったが、次回からはもう少し踏み込んだ内容を書いてみたいと思う。

 (続く)


(※1)「イゴール・アンゾフ 企業戦略の父」(DIAMONDオンライン、2008年9月3日)
(※2)ちなみに、最近この本を読んだのだが、この本のベースになっているのは『創造する経営者』だと思われる。この本で紹介されているドラッカーのマーケティングの原則などは、『創造する経営者』の中でドラッカーが提起したものと大体同じだった。

ドラッカーが教えてくれた経営戦略作成シートドラッカーが教えてくれた経営戦略作成シート
浅沼 宏和

中経出版 2011-08-05

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March 14, 2012

オフィス・エボルバーのビジョン(ドラフト)の補足(2)

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 前回「オフィス・エボルバーのビジョン(ドラフト)の補足(1)」の続き(⇒オフィス・エボルバーのビジョン草案)。

 【価値観】
 これは、新しいアイデアを生み出し、それを実現するための基本的な行動原則を並べたものである。1つ1つは取り立てて珍しいものではないと思う。我々はこれらの規範に従って、お客様のビジネスにとってプラスとなるアイデアを構想し(または、お客様自身がアイデアを構想できるよう支援し)、それが現実のものとなるまで寄り添い続ける。

 「1.慣例や常識を疑う。」
 「2.一方で、伝統を尊重する。」

 どんな仕事であっても、それが初めて誰かに割り振られた時には、何かしらの合理的な理由や根拠があったはずだ。ところが、時間の経過とともに、その理由や根拠が正当性を失い、人々の記憶から消え去ってしまうことが多い。新しい仕事は、既存の慣例や前提、常識やルール、やり方や手続きを疑い、否定するところからスタートする。

 あらゆる仕事について、「なぜそれをやっているのか?」、「それをやり続けるもっともな理由はあるか?」と問わなければならない。その答えがNoであれば、その仕事は止めるべきだ(ドラッカーが言うところの「体系的廃棄」である)。そして、新しい現実を前に、「何を前提としなければならないか?」を問い、その前提に基づいた新しい仕事を設計する必要がある。

 だが、無駄に思える仕事や無効に感じる慣習を何でもかんでも否定すると、それはそれで災いを招くから要注意であるこれが、一見矛盾するようだけれども、2番目に「一方で、伝統を尊重する。」という項目を入れた所以である。よくよく考えると、実に高度に設計された仕事というのはあるものだ。最近、興味深い記事を読んだので引用しておく。
 高級なクラブなどに行くと気づくのは、そこにある灰皿が極端に小さいことだ。小さく造形された灰皿はそれだけで独特な美しさを持っているが、ここには原作者の粋なアイデアが詰まっている。小さな灰皿は、一本でもたばこを吸えばいっぱいになってしまう。そうすると、スタッフが灰皿を新しいものに替える。そうするとことで、客への細やかなサービスを演出できるし、スタッフに自然と客へ細かく注目させることを可能にしている。

 もちろん、これを違うやり方で実現することもできる。たとえばマネージャーが、スタッフに「客を細かく見ろ。灰皿は、客が一本たばこを吸ったら必ず変えろ」と言えばいい。そういうマニュアルを作ってもいいし、バックルームに貼り紙をしてもいい。なんらかの指示や号令を書いた張り紙は、オフィスなどでもよく見られるものだ。でも、これは無粋なのだ。
(「フェンスを外す人」[β2、2012年2月27日])
 こうした伝統は捨ててはならない。マイケル・ハマーが90年代に著書『リエンジニアリング革命』でBPR(Business Process Reengineering)を提唱した際、アメリカ企業はこぞってBPRに飛びついた。しかしながら、株主に対して約束したコスト削減目標を達成することばかりが目的と化し、捨ててはならない仕事まで捨ててしまった結果、その後の競争力に影を落としたという苦い経験を思い出す必要がある。

 「3.現実世界をよく観察する。」
 「4.創造力を働かせる。」
 「5.異分野から積極的に学ぶ。」

 机の上に座って誰かが編集した数字や情報を眺めているだけでは、斬新なアイデアはまず出てこない。先入観を捨てて現実世界をじっくりと観察し、帰納的思考を駆使することによってこそアイデアは湧いてくる。インドのタタ・モーターズの低価格車「ナノ」は、いわゆる市場調査ではなく、会長自身がインドの交通事情を観察するによって誕生したことは、以前このブログでも紹介した(「リーダーが帰納的に課題を設定するとはどういうことか?」)。

 アップルのマッキントッシュも、スティーブ・ジョブズの観察によって誕生した製品である。ジョブズは、ゼロックスのパロアルト研究所を見学した際、数々のアイコンやウィンドウが画面に並び、その全てをマウスのクリック1つで操作するコンピュータを観察して、「いつか全てのコンピュータが、こんなふうに動作するようになるとはっきり解った」と悟ったという。それから5年をかけて開発されたマッキントッシュは、世界で初めてGUI(グラフィカル・ユーザ・インターフェース)を搭載したパソコンだった(※1)。

 製品やサービスだけでなく、経営手法も観察から生まれることがある。トヨタ生産方式は、生みの親である大野耐一がアメリカ出張中に、当時の日本にはまだなかった大規模な食品スーパーを観察したことがきっかけであった。スーパーでは、買い物客が必要な品物を必要な分だけ買い物かごに入れていく。これと同様に、各工程も必要な部品を必要な分だけ前工程から引き取れば、余分な在庫を持たなくても済むのではないか?と大野は考えたわけだ。

 そして、大野耐一の例からも解るように、イノベーティブなアイデアはしばしば、異分野との結合によって創造される。例を1つ挙げると、数か月前に在庫管理のコンサルタントの講演を聞く機会があった。この方は、古典的な在庫管理の方法論(発注点における発注量や、安全在庫量などを算出する理論)に異議を唱え、より実用的かつ精度の高い在庫管理を可能にする理論を構築した、在庫管理の第一人者とでも言うべき専門家である。その人が理論の着想を得たのは、意外なことに1つはアインシュタインの相対性理論の数式であり、もう1つはピカソの絵だったという。

 異分野同士の交流から画期的なアイデアが生まれる、という例は枚挙にいとまがない。古くはイタリアのメディチ家が、彫刻家から科学者、指示、哲学者、画家など、幅広い分野の専門家をフィレンツェに集め、彼らが創造的な作品を次々と生み出す触媒となった。これは「メディチ現象」と呼ばれる(※2)。

 フランスの豊かな芸術や思想は、同国のカフェ文化と切り離すことができないと言われる。アポリネール(詩人)、ピカソ(画家)、ヘミングウェイ(小説家)、サルトル(哲学者)らの知識人は足繁くカフェに通い、異分野の達人たちとのコミュニケーションを通じて、自分のアイデアに磨きをかけていった(※3)。アイデアの枯渇とコミュニケーションの断絶に悩む最近の企業は、こうしたカフェ形式でのオープンな対話に打開策を求めているようで、「ワールド・カフェ」なるものがちょっとしたブームになったりもしている。

 イーベイの創設者であるピエール・オミダイアは、新しアイデアのためなら郵便係と話をすることだって厭わない、といった趣旨の発言をしている。我々もこのぐらいの気持ちで、異分野を積極的に知る気概を持たなければならない。
 「合い言葉にするなら『CEOより、郵便係と話したい』って感じかな。自分とは違う背景、考え方を持つ人とこそ出会いたい。とにかく色々な思考方式に触れたいんだ。決まった方法にとらわれず、全く自由なやり方で、様々な方面からインプットを得ている」(※1)

 「6.チームワーク、多様性を活用する。」
 「7.相手の提案やアイデアに真摯に耳を傾ける。」
 「8.相手に積極的に提案する。また、反対意見を恐れない。」

 自分が思いついたアイデアは、それだけではまだよちよち歩きの赤ん坊に過ぎない。だから、周囲の人の意見を聞き、支援を仰ぎながら、一人前の大人へと育て上げる必要がある。その際には、できるだけ様々な考え方、能力、バックグラウンドを持った人たちの力を借りるとよい。多様性に満ちた人材は、自分が見落としていた視点を教えてくれる。時には、耳が痛い反対意見に出くわすこともあるだろう。しかし、反対意見は物事の本質を突いている可能性がある。だから、反対意見こそ歓迎しなければならない。

 これは、自分がアイデアを思いついた時だけでなく、他の誰かが思いついたアイデアを自分に持ちかけられた時も同様である。相手のアイデアに欠けていると感じる視点を補い、時には反対することを恐れてはならない。地位や年齢、経験年数の違いなど気にしなくてもよい。アイデアの前では、何人も平等でなければならない。「法の下の平等」ならぬ、「アイデアの下の平等」である。

 「9.投入したリソースとパフォーマンスのバランスを厳しく検証する。」
 「10.利益の質を追求する。」

 最後の2つは、コンサルティングなどでいろんな企業のことを見聞きしてきた中で、「こういうことをしてはいけないな」と、反面教師的に追加した項目である。9などは当たり前のように思えるが、当たり前のことが案外できなかったりするものである。どんなに素晴らしいアイデアも、最終的に利益に結びつかなければ、企業として意味がない。アイデアが利益に結びつくシナリオを描き、シナリオ通りに進んでいるかどうか、絶えずモニタリングする必要がある。そして、どんな改善策を打っても芽が出なさそうなアイデアは、涙を呑んで摘む覚悟を持たなければならない。

 もう1つ忘れてならないのは、利益につながるアイデアならば何でもよい、というわけではないという点だ。今ここで策定したビジョンという基軸から外れることだけは、断じて避けなければならないと思う。つまり、【目的】の実現につながるものを、【価値観】に沿ったやり方で実現しなければならない。

 ある中小企業の元社員の方から聞いた話で、(その方には申し訳ないが)1つ次元の低い話を紹介したい。その企業では、5年ほど前に一度、大きな黒字を出した。しかしその黒字は、経営陣が本業とは別に運営していた投資部門が稼いだものであった(その当時は好景気だったことが幸いした)。実のところ、本業は赤字だったにもかかわらず、投資部門の黒字のせいで実態が見えなくなっていたのである。その年の年度末には、黒字祝いとして、高級ホテルのレストランを貸し切り、シェフを招いて随分と派手なパーティーをした。

 だが、その後の5年間では、一度も黒字を達成できなかったばかりか、経営破綻寸前の赤字を出し続けた。もちろん、5年前のような派手なイベントは行われなくなった。元社員の方によると、こんな状態でも経営陣は、「投資部門の運用益で、自分の給料分ぐらいは稼げる」と言って憚らなかったし(言うまでもなく、経営陣の仕事は自分の給料を稼ぐことなどではない)、朝出社するとまず最初に声をかけるのは投資部門の社員であったそうだ。

 経営陣は「朝の挨拶をしているだけだ」と思っているかもしれないが、経営陣の習慣を見続けた社員は、「うちの経営陣は、本業よりも投資の方が優先なんだな」と感じたに違いない。こういう経営は甚だよろしくない。絶対に真似してはならない、と私は思った。


(※1)クレイトン・クリステンセン他著『イノベーションのDNA―破壊的イノベータの5つのスキル』(翔泳社、2012年)

イノベーションのDNA 破壊的イノベータの5つのスキル (Harvard Business School Press)イノベーションのDNA 破壊的イノベータの5つのスキル (Harvard Business School Press)
クレイトン・クリステンセン ジェフリー・ダイアー ハル・グレガーセン 櫻井 祐子

翔泳社 2012-01-18

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(※2)フランス・ヨハンソン著『メディチ・インパクト』(ランダムハウス講談社、2005年)

メディチ・インパクト (Harvard business school press)メディチ・インパクト (Harvard business school press)
フランス・ヨハンソン 幾島 幸子

ランダムハウス講談社 2005-11-26

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(※3)飯田美樹著『Caf´eから時代は創られる』(いなほ書房、2009年)

新版 Caf´eから時代は創られる新版 Caf´eから時代は創られる
飯田 美樹

いなほ書房 2009-09

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March 13, 2012

オフィス・エボルバーのビジョン(ドラフト)の補足(1)

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 昨日の記事「創業半年超でようやく形になりつつあるオフィス・エボルバーのビジョン」で、オフィス・エボルバーのビジョンの草案を紹介したが、言葉の裏にある私なりの意図をいくつか補足しておこうと思う。まぁ、ひと言で言えば、前の会社でできなかったことを言葉にした、ということになるんだけどね。

 【目的】
 私の問題認識は、「現在のビジネスには大小様々な無駄が多い」という点から出発している。このブログでも時折言及しているけれども、例えば、

 ・「車を買わなくなった若者のお金はどこに流れているのか?」では、大多数の自動車が4人乗りを前提に設計されているのは変だと暗に指摘した(もっとも、最近はスズキや日産が2人乗り自動車の開発・販売に乗り出している)。

 ・「『その課題を解決できるのは自分だけ』という思いが使命感になる(2)―『MBB:思いのマネジメント』」では、アパレル業界の供給過剰とそれに伴う人的リソースの浪費を辛口に批判した(ただ、これは私の観察に基づく批判なので、業界内では数的かつ論理的な根拠があって、出店数や販売員の人数を決めているのであれば謝ります…)。

 ・「薬局はもっと大規模組織化してもいいんじゃないか?」では、「医薬分業」により小規模薬局が増殖し、薬の処方業務が返って非効率になったのではないか?と問題提起した。なお、記事では書かなかったが、過剰な小規模薬局は、ジェネリック医薬品の普及の足かせになっている可能性もある。利幅が小さいジェネリック医薬品を製造する製薬メーカーは(その多くは中堅メーカーである)、薄利多売のビジネスを成立させるために、一度に大量の医薬品を薬局に販売しようとする。ところが、小規模薬局にはそれだけの在庫を保管するスペースがないから、ジェネリック医薬品の扱いに消極的にならざるを得ないと推測される。

 ・「【第17回】プロセスの時間を大幅に短縮する(2)―ビジネスモデル変革のパターン」では、通信キャリアに踊らされて、回収見込みが低い新機種の開発に毎年何百億円もつぎ込まなければならないメーカーの実情を嘆いた。

 上記の例は、最終的な製品やサービスの提供に一応つながっている分だけまだマシな方である。企業の中には、組織の複雑化に伴う社内調整、私利私欲に駆られた派閥争い、記録することが目的と化している事務作業、いつまでも結論が出ない会議、形だけのイベントなど、製品やサービスにすらつながらない業務が散在している。ちょうどこの記事を書いている時に、並行して連載モノの【ドラッカー再訪】企画で『創造する経営者』を読んでいたところ、ドラッカーが似たような話をしているのを発見した(『創造する経営者』のレビューは4月にアップする予定)。
 業績の90%が、上位の10%(の顧客、製品、営業部員など)からもたらされるのに対し、コストの90%は、業績を生まない90%から発生する。言い換えると、業績とコストは関係がない。すなわち業績は利益と比例し、コストは作業の量と比例する。

 資源と活動のほとんどは、業績にほとんど貢献しない90%の作業に使われる。すなわち資源と活動は、業績に応じてではなく、作業の量に応じて割り当てられる。その結果、高度に訓練された社員など、最も高価で生産的な資源が、最も誤って配置される。大量の仕事を処理していかなければならないという現実と、困難な仕事には一種の誇りが伴うという心理が相まった結果である。

創造する経営者 (ドラッカー名著集 6)創造する経営者 (ドラッカー名著集 6)
ピーター・F・ドラッカー 上田 惇生

ダイヤモンド社 2007-05-18

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 この手の話はおそらく、どの業界にも多かれ少なかれ存在するものだと思う。こうした色々な無駄のせいで、本来なすべき仕事に人材を集中させることができていないのではないか?というのが個人的な実感だ。

 ビジネスの基本は、「売れるモノを、売れる量だけ提供する」(もう少し厳密に書けば、「売れる確率が高いモノを、売れる見込みが高い量だけ提供する」)という、至ってシンプルなものである。ところが、「他社もやっているから」という安易な追随や、「競合よりも我が社の方がたくさん売れるはずだ」という過度な楽観主義によって、自ら過当競争を創り出し、自分で自分の首を絞めてしまうケースがある。または、「今の経営陣が昔やっていた事業だから」、「我が社の成長を支えた製品だから」という過去への固執によって、現在の状況とはかけ離れた仕事を続けているケースもある。

 これらのケースは、「売れるモノを、売れる量だけ提供する」というビジネスの基本からは逸脱している。そして、そういう企業に限って、経営陣は「売上が上がらない、利益が出ない」と嘆き、社員は「頑張って働いているのに給料が上がらない」と愚痴をこぼしている節がある。しかし、第三者的に見れば、売れないモノを作りすぎていたり、あるいは売上にも利益にもつながらないことをやったりしているのだから、売上も利益も給料も上がらなくて当然である。

 我々の事業の目的は、このような現状を改善し、人材という社会の希少資源を付加価値の高い仕事へとシフトさせることである。「付加価値の高い仕事」と言うと抽象的であるものの、要するに顧客が「これこそ本当にほしかったモノだよ!」と驚嘆する製品やサービスにフォーカスすることだ。付加価値の高い製品やサービスのアイデアが社員の中から次々と湧き出てくる状況を作ること、アイデアを具現化するプロセスと組織の仕組みを整えること、そのプロセスや組織を担う人的リソースの質的・量的拡充をサポートすることこそが、我々のミッションである。

 【未来イメージ】
 「5.付加価値の高い仕事に見合った報酬をもらえるようになる」について一言だけ。ここで言う「報酬」、は金銭的報酬だけでなく、非金銭的な報酬も含んでいる。誤解されるといけないので一応補足。

 (【価値観】の補足は次回)
March 09, 2012

【ドラッカー再訪】組織を、世界を変えていく能動的なエグゼクティブ像にはあまり触れられずとの印象―『経営者の条件』

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ドラッカー名著集1 経営者の条件ドラッカー名著集1 経営者の条件
P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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 『経営者の条件』に関する記事は今回で最後。本書は、エグゼクティブ個人が成果を上げるための能力・習慣を述べたものであるが、所々に企業・組織の視点から見た職務設計の原則も登場する。
 職務は客観的に構築しなければならない。人間の個性ではなく、なすべき仕事によって決定しなければならない。組織の中の職務について、その範囲や構造や位置づけを修正すれば、必ず、組織全体に連鎖反応が及ぶ。組織において、職務はお互いに依存関係にあり、連動している。1人の人間を1つの職務につけるために、あらゆる人たちの職務や責任を変えることはできない。
 業績は、貢献や成果という客観基準によって評価しなければならない。しかしそれは、職務を非属人的に定義し、構築して初めて可能となる。さもなければ、「何が正しいか」ではなく、「だれが正しいか」を重視するようになってしまう。そして人事も、「秀でた仕事をする可能性が最も大きな人間はだれか」ではなく、「自分が好きな人間はだれか」「みなに受け入れられるのはだれか」によって決定するようになってしまう。個人に合わせて職務を構築するならば、組織は確実に、情実となれないに向かう。
 ドラッカーの職務設計の原則を簡単にまとめてみるとこんな感じだろうか?まず、企業の外部に存在する顧客が、企業全体の成果を規定する。次に、企業全体の成果を、部門単位の成果にブレイクダウンする。さらに、部門ごとの成果を論理的に分解することで、各社員(≒エグゼクティブ)の成果を定める。その成果によって、それぞれのエグゼクティブの職務範囲が決まる。しかも、エグゼクティブの成果は、相互に依存関係にあり、協業を通じて初めて達成されるものである。こうした考え方は、後のMBO(Management by Objectives:目標管理制度)にも反映されているだろう。

 だが、この職務設計は2つの前提に基づいている。1つは「顧客の要求は合理的である」という前提である。実際、ドラッカーはしばしば、「顧客の要求を非合理だと受け取る企業もあるが、顧客の要求は常に合理的である」といった趣旨の発言を他の著書でも繰り返している。もう1つの前提は、組織構造や組織の慣例が、企業や部門の成果を適切な演繹的プロセスで各社員の成果に落とし込むことができる、というものである。

 しかし、前者の前提については、顧客の要求が常に合理的かどうかは、特に最近は怪しいところがある。社会通念的に見ると、どう考えても非合理的としか言えないような要求をしてくる顧客の存在も否定できないのではないだろうか?(※1)また、後者の前提に関しても、そこまで完璧に設計された組織や慣例はそうそうない。確かに、ある時期はそれでうまくいったのかもしれないが、時とともに変化する企業の外部・内部環境に適合できなくなっている可能性もある。

 こういう状況では、「顧客の要求は本来はこうあるべきだ」、「顧客にとって本当に望ましいのはこういうことだ」と企業側から逆提案を行うこと、さらに、本来の理想的な顧客の要求から出発して旧来的な組織構造やルールを破壊し、各エグゼクティブの職務を再定義することが要求される(※2)。これこそがリーダーシップである。ドラッカーはリーダーシップについても数多くの原理原則を残したが、本書に限って言えば、このリーダーシップの要素がやや弱いという印象がある。

 もちろん、部分的にはエグゼクティブがリーダーシップを発揮した事例が紹介されている。
 アメリカのある大手商業銀行では、証券代行部は、安定した利益はあげるが、単調な仕事と考えられていた。この部門は、手数料ベースで事業会社の株式の名義書き換えを代行していた。株主名簿の管理や、配当の小切手郵送など、雑多な事務手続きを行っていた。

 ある日、この部門を担当することになった副頭取が、「証券代行部はどのような貢献ができるか」と自問するまでは、そのような部門だった。しかし彼は、証券代行の業務が、事業会社の財務担当役員は、預金、貸し付け、投資、年金管理など、あらゆる銀行サービスに対する買い手として、意思決定を行う立場にあった。そこには、銀行のあらゆるサービスについての一大営業部隊となりうる可能性があった。
 株式が電子化された今では証券代行部など存在しないから、事例の古さは否定できないものの、要は副頭取が顧客である事業会社が自部門に明確に期待していることだけから出発せず、帰納的な思考を用いて、「事業会社は本当はこういうことを望んでいるのではないか?」という点から出発し、証券代行部の職務をガラリと変えてしまったところがポイントである。
 企業、政府機関、病院に働くエグゼクティブの多くは、自分にさせてもらえないことについてはよく知っている。彼らは、上司がさせてくれないことや、企業の方針がさせてくれないことや、政府がさせてくれないことについて、気にしすぎる。

 成果をあげるエグゼクティブも、自らに対する制約条件は気にしている。しかし彼らは、してよいことであって、しかも、する値打ちのあることを簡単に探してしまう。させてもらえないことに不満をいう代わりに、してよいことを次から次へと行う。しかもその結果、同僚たちには重くのしかかっている制約そのものが、彼らの場合は消えてしまう。
 これは、組織の慣行によって不適切に定義されているとエグゼクティブが感じている成果を自ら再定義し、新しい成果を追求するというリーダーシップの例である。こうしたエグゼクティブがあらゆる階層に存在すると、企業全体として変化に適応する能力が高まる。

 ただし、本書ではそこまでのエグゼクティブ像には踏み込んでいないような気がする。これは、エグゼクティブはまずは自分をマネジメントするのが先決であって、マネジメントができない人間にリーダーシップなど発揮できない、ということをドラッカーが暗示しているからなのかもしれない。


(※1)「勝つことが最大のファンサービスだ」と公言して、8年間勝利の追求に徹した中日の落合前監督は、まさに顧客=ファンの要求を書き換えた例だろう。それまでのプロ野球ファンは、選手やチームに対して「面白い野球」や「ファンサービス」を期待していた。しかし、落合氏はそうした余分な要求を全て取り払い、勝利のみをチームの目的とした。そして、勝つために個々の選手がどのような仕事をしなければならないかを考え、その仕事を1年間全うできるようなスキルとスタミナを身につけさせるための猛練習を選手に課したわけである。

《2012年5月6日追記》
(※2)「顧客の要求が非合理的であるかもしれない」ことに加えて、「顧客は自分が何を望んでいるのか解らない」というのも現実である。岩崎邦彦著『小が大を超えるマーケティングの法則』によると、「あなたの現在の生活で足りないと思う商品を1つ挙げてください」という質問に対し、消費者調査では1000人中668人が「特にない」と答えたという。だから、従来型の市場調査から何か斬新な製品やサービスを導くことは難しい。

 もし、「現在の企業に足りていないものを1つ挙げてください」と問われれば、顧客に対して「今まで考えたこともなかったけれど、言われてみればそういうモノやサービスがあったら嬉しい」と思わせるような新しい価値を解りやすく提案していくイノベーターの創造力と答えるだろう。


小が大を超えるマーケティングの法則小が大を超えるマーケティングの法則
岩崎 邦彦

日本経済新聞出版社 2012-02-25

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March 08, 2012

【ドラッカー再訪】「強みに集中せよ」と言っても、エグゼクティブに求められる能力は広く深い(2)―『経営者の条件』

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ドラッカー名著集1 経営者の条件ドラッカー名著集1 経営者の条件
P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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 前回の記事「【ドラッカー再訪】「強みに集中せよ」と言っても、エグゼクティブに求められる能力は広く深い(1)―『経営者の役割』」では、エグゼクティブが知識労働者たりうる所以であるところの専門知識は、いくら「強みに集中せよ」とは言え、幅広いものが求められることを書いた。だがそれに加えて、ドラッカーが指摘する「成果を上げるための5つの能力」が、エグゼクティブに対しさらに高い要求を突きつける。解りやすいところから言えば、1番目は「時間管理」であり、4番目は「優先順位づけ」の能力である(※)。

 2番目の「貢献(成果)に焦点を当てる」は、成果は組織の外部にしか存在しない、すなわち顧客が成果を規定するという点を踏まえると、顧客のニーズを的確に捉え、それに適切に応えることを意味するから、一言で言えば「マーケティングの能力」である(顧客と直接接する機会が少ないスタッフ部門に関しては、スタッフ部門の成果は、スタッフ部門の外にあるライン部門という”社内顧客”が規定する、と考えればよいだろう)。

 3番目は、「強みに集中する」という部分もさることながら、「上司、同僚、部下の強みを活かさなければならない」という点も非常に重要である。つまり、エグゼクティブの仕事は個人単位では完結せず、必ず他者との協業を必要とする。したがって、対人関係能力やコミュニケーション能力、チームビルディングの能力、動機づけの能力などといった、複合的なヒューマンスキルが必須となる。

 5番目は意思決定について述べられているが、意思決定の大部分は会議を通じて下されるから、「会議を運営する能力」と言い換えられるだろう。だが一口に会議を運営する能力と言っても、以下に示す通り、実に幅広い行動とマインドをエグゼクティブは習得しなければならない。

 ・会議の適切な目的、アジェンダを設定する。
 ・意思決定によって影響を受ける社内外の利害関係者を特定する。
 ・利害関係者をモレなく会議に出席させる。
 ・議論に必要な情報を前もって準備する。
 ・会議の出席者から、追加的な情報を引き出す。
 ・情報の意味や解釈をめぐって、出席者の見解を擦り合わせる。
 ・下準備した情報と、会議の場で出た情報に基づいて、選択肢を形成する。
 ・選択肢を取捨選択する際の基準を設定する。
 ・上記の基準に従って、それぞれの選択肢のメリット、デメリットを十分に検討する。
 ・リスクを伴う選択肢の場合は、リスクを低減する補完的な施策も検討する。
 ・最終的に選択肢を絞り込み、それを現場でのアクションに落とし込む。
 (誰が、何を、いつまでにするのか?そのタスクの成否は何によって判断するのか?)
 ・(会議全体を通じて、)出席者からモレなく公平に意見を引き出す。
 ・(会議全体を通じて、)各出席者の意見を尊重して最後まで聞く。反対意見を歓迎する。また、エグゼクティブ自身だけでなく、出席者全員にも同じマインドで会議に臨んでもらうよう要請する。
 ・(会議終了後、)会議で意見が採用されなかった出席者、他の出席者から批判を受けた出席者を心理的にフォローする。
 ・(会議終了後、)選択肢の実行によって、不利益や負担を被る利害関係者を事後フォローする。

 この5つの能力を全て身につけよというのは、ものすごくハードルが高い。ところが、恐ろしいことに、5つの能力の一部にでも著しい欠陥があると、いくら優れた専門知識を有していても、それが無価値になる。あるコンサルティングファームの方から聞いた話を紹介すると、そのファームには「顧客満足度」を専門とするコンサルタントがいたそうだ。彼の専門知識は非常に高度で、何の下準備もなしに半日程度のセミナーを難なくこなせるほど卓越していた。

 しかし皮肉なことに、彼が手がけるコンサルティングプロジェクトの顧客満足度は、社内でも最低ランクだったという。彼は、顧客満足度とは何たるかを誰よりも深く知っていたのに、実際に自分のクライアントの満足度を上げることができなかった。おそらくは、ヒューマンスキルの面で何らかの重大な欠陥があったのだろう。

 もう1つ、私が以前取引をしていた別の企業の話をしよう。この企業は、「時間管理」と「会議を運営する能力」が不足しており、一緒に仕事をしていて随分と悩まされた(もうその企業とは取引していない)。時間管理に関しては、「単位作業」あたりの必要時間を理解している人間があまりに少なすぎて驚いた。「単位作業」とは、平たく言えば「パワポ1枚を書き上げる作業」などのことである。より具体的な話をすると、

 ・各種データのエクセル集計に何時間かかるか?(分析データの種類、ボリューム、分析の粒度別に)
 ・会議の議事録をまとめるのに何時間かかるか?
 ・パワーポイントの資料作成に何時間かかるか?(資料のテーマ別、ボリューム別、難易度別に)
 ・顧客向けの提案書を書くのに何時間かかるか?(製品・サービス別、カスタマイズの範囲やレベル別に)
 ・製品・サービスのカスタマイズに何日かかるか?(製品・サービス別、カスタマイズの範囲やレベル別に)
 ・製品・サービスのバージョンアップに何週間かかるか?(製品・サービス別、追加機能の種類や難易度別に)
 ・(「成果を上げる5つの能力」の5番目とも関連するが、)会議の時間枠は何時間にするべきか?(会議のタイプ別、アジェンダの難易度別に)
 ・会社HPの1ページ分の原稿を書くのに何時間かかるか?(HPの記載内容別に)
 ・新規顧客を効率的に獲得するためには、顧客訪問を何回までにとどめるべきか?
 ・既存顧客のリピート案件を効率的に受注するためには、顧客訪問を何回までにとどめるべきか?

などに対する理解が、組織の上から下まで足りていない企業であった。この仕事は、取引先の社員の方々にもいろいろと作業をお願いしながら進めるプロジェクトだったのだけれども、いかんせんこういう状態だったので、私もスケジュールの立てようがなく、相当苦労した覚えがある。

 私も決して時間管理が上手とは言えないし、最後の方に挙げた営業活動に関しては、私自身も営業の経験がほとんどないため、これといった目安は持っていない(また、業種によって営業活動ボリュームの基準は大きく異なるはず)。とはいえ、個人的に経験則で作り上げた標準作業時間の目安をいくつか持っている。

 ・顧客企業との会議や、顧客企業の社員へのインタビューの議事録作成は、会議やインタビューの実施時間以内に収める。例えば、1時間のインタビューの議事録であれば、1時間以内に作成する。
 (※ちなみに、社内会議の議事録は、基本的にとっていない。ホワイトボードに全部まとめて、ホワイトボードの写真を参加者に送るだけである。顧客企業との会議に関しても、重要度が低ければこの方法にしたいのだが、コンサルティングの成果物として正式な議事録の納品を要求されることが多く、なかなか難しい)
 ・パワポの資料は、まずは1枚=1時間で作成する(レイアウトを構想してノートに下書きする時間を含む)。その後、社内レビュー・顧客チェックを経て修正が必要になった場合、修正に費やす時間は1枚=30分を目安とする。したがって、パワポ1枚あたりの平均作成時間は、1.5時間となる。
 ・Webや雑誌に寄稿するコラムは、1,000字=1時間を目安とする。なお、この原則はこのブログにも活かされている。
 ・上記の3原則については、作業が途中で中断されないように、まとまった時間を確保する。例えば、5枚のパワポを書く場合は、まず5時間の連続した時間を確保する。2,000字程度のコラムを書く場合は、2時間の連続した時間を確保する。これは、作業を中断してしまうと、作業再開時に思考回路を元に戻すのに時間がかかるためである。
 ・原則、2時間を超える会議は設定しない。2時間を超えると、私自身の集中力が持たない。2時間を超える場合は、決めようとしているアジェンダが多すぎるから、会議を分割すべき。
 ・逆に、30分という会議も設定しない。30分で決まる内容ならば、わざわざ会議の招集・運営という事務作業を伴わずに、業務中のコミュニケーションで解決すべきである。ただし、人事考課のフィードバックのように、プライバシーに配慮しなければならない内容は例外。

 これでも、標準作業の範囲と時間がもっと細かく設定されている工場のマネジャーが見たら、一笑に付すに違いない。しかし、この程度の大まかな基準でさえ、持っている人は少なかった。だから、その人自身が製品開発から携わった製品であるにもかかわらず、カスタマイズのスケジュールがいつまで経っても引けないマネジャーがいたり、私から1,500字程度の原稿を依頼すると平気で1日を費やす中堅社員がいたり、既存顧客のリピート案件なのに、仕様の確認と納品スケジュールの調整だけで5回も6回も顧客を訪問し、挙句の果てに案件自体が延伸になる営業担当者がいたり、といったことが常態化していた。

 「会議を運営する能力」の不足に至ってはもっと悲惨だった。書き出すとキリがないので1つだけにしておくけれども、その企業には「情報共有会議」という名前がついた週次の定例会議があり、私も何度か出席させてもらったことがある。文字通り、各出席者が先週の仕事を報告し、今週の仕事の予定を発表するという、情報共有のための場である。

 だが、この会議は2つの意味で間違っている。1つは、情報共有のため”だけ”の場をわざわざ設けなければならないということは、恒常的に社員の仕事がタコツボ化しており、日常的なコミュニケーションが欠落していることを意味する。つまり、各社員の職務範囲と、社員同士の連携を前提とした業務プロセスの設計が誤っているのである。

 もう1つの誤りは、この会議が意思決定を行う場ではなかった、ということである。情報共有会議の後に、何か具体的なアクションが各社員に割り振られたことはなかった。仮にこの会議が、お互いの仕事の生産性をチェックして改善点を指摘し合うとか、各社員が今の仕事で感じている課題をどんな些細なものでもいいから正直に告白し、その課題解決の支援者を特定するといった会議であったならば、まだ開催する意義もあっただろう。もっとも、こういった根深い問題を認識していながら、解決に導くことができなかった私も、いろんな意味で力不足だった。

 最後の方はかなり話が脱線してしまったけれど、本書に関してはもう1つだけ書きたいことがあるので、あと1回記事を書きます。それにしても、ドラッカーの本1冊に対してこのペースで記事を書いていたら、1か月の記事がDIAMONDハーバード・ビジネス・レビューの書評とドラッカー再訪企画だけでほとんど埋まってしまうなぁ・・・。ちょっとやり方を考えないと(汗)。


(※)余談だが、優先順位づけの能力に関して一番解りやすく書かれているのは、やはりスティーブン・コヴィーの『7つの習慣』だと思う。あの「重要度」×「緊急度」のマトリクスは、非常に使い勝手がよいと感じる。

7つの習慣―成功には原則があった!7つの習慣―成功には原則があった!
スティーブン・R. コヴィー Stephen R. Covey

キングベアー出版 1996-12

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March 06, 2012

【ドラッカー再訪】「強みに集中せよ」と言っても、エグゼクティブに求められる能力は広く深い(1)―『経営者の条件』

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ドラッカー名著集1 経営者の条件ドラッカー名著集1 経営者の条件
P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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 前回の続き。やや長くなるが、エグゼクティブが成果を上げるために必要な5つの能力を引用しておこう。
(1)何に自分の時間がとられているかを知ることである。そして、残されたわずかな時間を体系的に管理することである。

(2)外部の世界に対する貢献に焦点を当てることである。仕事の過程ではなく、成果にその精力を向けることである。仕事からスタートしてはならない。もちろん、仕事に関する方法や意見などからスタートしてはならない。「期待されている成果は何か」を自問することからスタートしなければならない。

(3)強みを基準に据えることである。そして上司、同僚、部下についても、彼らの強みを中心に据えなければならない。それぞれの状況下における強み、すなわちできることを中心に据えなければならない。弱みを基盤にしてはならない。すなわち、できないことからスタートしてはならない。

(4)優れた仕事が際だった成果をあげる領域に、力を集中することである。優先順位を決定し、その決定を守れるように自らを強制しなければならない。最初に行うべきことを行うことである。二番目に回すべきようなことは、まったく行ってはならない。さもなければ、何事も成し遂げられない。

(5)最後に、成果をあげるよう意思決定を行うことである。意思決定とは、つまるところ、手順の問題である。成果をあげる意思決定は、過去の事実についての合意ではなく、未来についての異なる意見に基づいて行わなければならない。
 このうち、3番目にある「『強み』に集中せよ」というのも、数多あるドラッカーの金言の中で有名な部類に入ると思うけれど、この言葉は解釈が結構厄介だと私は思っている。確かにドラッカーは、「弱みからスタートしてはならない」とは述べている。つまり、ある仕事に就ける人材を決める際に、一部の欠点に着目して、減点主義で候補者を外していくような人材配置は行ってはならない、と主張している。

 しかし、「弱みを直す必要はない」とは一言も言っていない、と私は認識している。強みと弱みをめぐっては、以前の記事「自分の『強み』を活かすのか?『弱み』を克服するのか?」でも私見を述べた。とりわけ若手の場合は、どんなに「自分はこれが強みです」と叫んだところで、所詮は自己評価によるものであって、周囲が期待するレベルからすればまだまだ未熟である。だから自己鍛錬が欠かせない。継続的な訓練を通じて初めて、弱みが克服されると同時に、もともと持っていた”強みらしきもの”にも磨きがかかり、自他ともに文句のつけようがない強みが生まれるというものである。

 だが、中堅・ベテランになると、期待される成果の量も質も広がるから、当然のことながら要求される能力の幅もレベルも上がる。それらの能力を、もともと持っている強みだけで全てカバーすることは到底不可能だ。足りない能力は、中堅・ベテランであっても学習しなければならない(※1)。もっとも、先ほどの記事の中でも書いたことだが、私の経験則からすると、年齢が上がるにつれて弱みを克服するのは難しくなるから、できるだけ既存の強みでカバーできる仕事に就けるのが最善であるのは間違いない。これがドラッカーの言う「『強み』からスタートせよ」ということであろう。

 本書には、強みを活かした人材配置に関するこんなくだりがある。
 個人営業の税理士は、いかに有能であっても、対人関係の能力を欠くことは、重大な障害となる。しかしそのような人も、組織の中にいるならば、自分の机を与えられ、外の人間と直接接触しなくともすむ。組織のおかげで、強みだけを生かし、弱みを意味のないものにすることができる。
 では、この経理担当者(税理士)は、果たしてエグゼクティブと言えるだろうか?ドラッカーによるエグゼクティブの定義は、「地位やその知識ゆえに、日常業務において、組織全体の活動や業績に対して、重要な影響をもつ意思決定を行う経営管理者や専門家などの知識労働者」である。ところが、彼は組織に影響を与える意思決定を何ら下していない。おそらく、現場から上がってくる帳票を処理して、数字の帳尻合わせをしているにすぎないだろう。そんな仕事が通用するのは、せいぜい新卒入社後1年程度であって、あとはITに取って代わられるか、アウトソーシングされるのがオチである。

 彼がエグゼクティブであるならば、たとえ若手であっても適正なコスト水準を導き出して各部門にその水準の遵守を迫り、一定以上の支出に対してはその効果を厳しく検証する役割が期待されることだろう。もう少し上位のエグゼクティブとなれば、戦略・戦術とリンクした効果的な予算配分や、社内の不正を防ぐガバナンスの仕組みの構築を任されるかもしれない。単なる経理の知識に加えて、投資対効果や内部統制、さらには戦略などに関する知識も持っていなければならない。このように、強みに集中せよといっても、高い成果を要求されるエグゼクティブには、幅広い専門知識が必要とされるのである。

 狭い強みしか持たない人間ばかりをたくさん集めても、組織の人数が無駄に膨れ上がるだけだ。しかも、ドラッカーも指摘している通り、エグゼクティブの仕事は1人では完結せず、他のエグゼクティブにも依存しているという性質がある。よって、専門分野が限定されたエグゼクティブが集まると、彼らの間で細かい調整作業が頻繁に発生することになる。そうすると、コミュニケーションが異常に膨れ上がり、一橋大学の沼上幹教授が言う<重い>組織になってしまう(※2)。

 アダム・スミスが提唱した分業は、求められる成果が固定的な肉体労働では効果を発揮するものの、成果が流動する知識労働には通用しない。そして、ドラッカー自身も、先ほどの税理士の例とは裏腹に、エグゼクティブの職務は広く設計すべきだと提言しているのである。
 職務はすべて、多くを要求する大きなものに設計しなければならない。職務は、一人一人の人間に対し、自分の強みを出すよう挑戦させるものでなければならない。(中略)

 最も単純な職務でさえ、要求されるものは必ず変化していく運命にある。しかも、突然変化していく。そのため職務と人間の完全な適合は、急速に不適合へと変わる。したがって、職務は、そもそもの初めから、大きく、かつ多くを要求するものとして設計した場合においてのみ、変化した状況の新しい要求にこ応えていくことができる。
 今日の記事は何だか当たり前のことを書いて終わってしまった感じだけど(汗)、本当に私が言いたかったことはまだ書いていないので、それは次回ということで。


(※1)求められる成果から能力要件を導き出し、人材育成計画へと落とし込んでいく一連のプロセスについては、以下の過去記事を参照。今読み返すと、架空の事例がややイマイチなのだが、ご参考までに。

 戦略とリンクした人材育成計画を作成するための5ステップ(1)
 戦略とリンクした人材育成計画を作成するための5ステップ(2)
 人材育成計画の立案時に陥りやすい4つの落とし穴(1)
 人材育成計画の立案時に陥りやすい4つの落とし穴(2)

(※2)沼上幹他著『組織の“重さ”―日本的企業組織の再点検』(日本経済新聞出版社、2007年)

組織の“重さ”―日本的企業組織の再点検組織の“重さ”―日本的企業組織の再点検
沼上 幹 加藤 俊彦 田中 一弘 島本 実 軽部 大

日本経済新聞出版社 2007-08

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March 05, 2012

【《新連載》ドラッカー再訪】「マネジメント」を万人に開いた1冊―『経営者の条件』

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P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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 「ドラッカー山脈」とも呼ばれるピーター・ドラッカーの大量の著書をもう一度読み返してみようという個人的な企画。月に1冊ずつぐらいのペースで書評を書ければと思っております。とはいえ、ドラッカーの本は30冊以上あるので、この企画が終わるのは、順調に進んでも3年後かい?まぁ、気長にお付き合いください。

 第1弾は、1967年に発表された『経営者の条件』(原題は"The Effective Executive")。思えば、ドラッカーの著書で最初に読んだのは『ネクスト・ソサエティ』だったのだが、本格的にドラッカーを読み込んでみようと思ったきっかけはこの本だった。ドラッカーは、「知識労働者(ナレッジワーカー)」という言葉を半世紀も前から使っていた。そして、現代の組織社会において中心的な存在となりつつある知識労働者のうち、企業や組織の業績に影響を与える意思決定を下す人を、”地位を問わず”「エグゼクティブ」と位置づけている。
 今日では、知識を基盤とする組織が、社会の中心的な存在である。現代社会は、組織の社会である。それら大組織のすべてにおいて、中心的な存在は、筋力や熟練技能ではなく、頭脳を用いて仕事をする知識労働者である。筋力や熟練ではなく、知識や理論を使うよう、学校で教育を受けた人たちが、ますます多く組織の中で働くようになっている。
 私は、地位やその知識ゆえに、日常業務において、組織全体の活動や業績に対して、重要な影響をもつ意思決定を行う経営管理者や専門家などの知識労働者を、エグゼクティブと名づけた。
 われわれはすでに、最下層の経営管理者が、企業の社長や政府機関の長とまったく同じ種類の仕事、すなわち、企画、組織化、統合、調整、動機づけ、そして成果の測定を行うことを知っている。意思決定の範囲は、非常に限られた狭いものかもしれない。しかし、たとえ狭くとも、その範囲内においては、まぎれもないエグゼクティブである。(中略)そして、トップであろうと、新人であろうと、エグゼクティブであるかぎり、成果をあげなければならない。
 極端なことを言えば、組織で働く人々はほぼ例外なく「エグゼクティブ=経営者」であらねばならない、ということだ。経営者の仕事は第一義的にはマネジメントである(もう1つ重要な仕事としてリーダーシップがある)。そのマネジメントを万人に開いたのが、この1冊であると言えよう。若かりし頃の私は、「新人であろうとトップであろうと、地位や役職を問わずマネジメントが要求されるのならば、これを学ばない手はない」と、興味と危機感の入り混じった感情で「ドラッカー山脈」へと足を踏み入れていったものだ。

 本書は、エグゼクティブが成果を上げるための5つの能力について書かれたものである。個々の能力自体は、タイムマネジメントや仕事の優先順位づけなど、世の中に星の数ほどある仕事のハウツー本とそれほど変わらない。しかし、これらの能力の必要性を、
 確かに人生には、成果をあげるエグゼクティブになることよりも高い目標がある。しかし目標があまり高くないからこそ、実現も期待しうるというものである。すなわち、現代社会とその組織が必要とする膨大な数の成果をあげるエグゼクティブを得る、という目標の実現である。(中略)

 大規模組織のニーズは、非凡な成果をあげることのできる普通の人によって満たされなければならない。これこそ、成果をあげるエグゼクティブが応ずべきニーズである。しかも目標は謙虚であって、だれでも努力さえすれば実現可能である。
と社会的な文脈から論じている点が、いかにも”社会生態学者”を自称するドラッカーらしいところである。

 成果を上げるための5つの能力のうち、最初に登場するのが実は「時間管理」というのはちょっと意外な気もする。だが、これはエグゼクティブ特有の事情を反映している。仕事の範囲が狭く限定された肉体労働者であれば(最近はそういう肉体労働者も随分減っていると思うが)、作業スケジュールも1つ1つの作業に費やすべき標準時間もきっちりと決まっているから、それに忠実に従えばよい(従わなければ、工場の監督者から叱り飛ばされるか即刻クビである)。

 これに対して、エグゼクティブの知識集約的な仕事は、定型化が難し上に発生頻度もまちまちで、かつ他のエグゼクティブとの協業を必要とするものが非常に多い。よって、自分で積極的に時間をコントロールしない限り、偶発的な仕事と周囲のエグゼクティブに振り回されてしまうのである。

 こうした実情を同じように指摘しているのが、ヘンリー・ミンツバーグ(※1)やトム・ピーターズ(※2)などである。彼らの考察対象はマネジャーに限られるけれども、2人に共通しているのは「マネジャーが机に座って理路整然と仕事を進めているというのは、学者が勝手に考えた絵空事であって、生身のマネジャーは重要事案の検討から些細な事務処理まで、実に多様な業務を同時並行的にこなしていかなければならない」という現状認識である。

 ミンツバーグやピーターズは、マネジャーの一見場当たり的にも思える仕事のやり方は必然なのであって、それをどうこう変えることは不可能であると割り切っている。ピーターズに至っては、上司や部下、同僚などからアドホックに寄せられる情報の中に、明日のビジネスチャンスのヒントとなる情報が混じっていることもあるのだから、マネジャーの仕事はアドホックで構わないとさえ述べている。

 一方ドラッカーは、エグゼクティブの忙しさを認めつつも、それでもやはり意識的に時間管理を行って、自分で自由に使える時間を一定量確保するべきであると主張している。なぜならば、重要な意思決定や仕事には、ある程度まとまった時間が必要だからである(※3)。特に人事に関する意思決定には、通常よりも多くの時間をかけるべきだという。人事は間違うと取り消しが難しいし、不適格な人材を長くそのポストに張りつけておけば、企業にとって多大な損害をもたらす。
 アルフレッド・P・スローンは、人事についての意思決定はその場では決してしなかったそうである。一応の判断はするが、それにさえ、通常、数時間を使っている。しかも、その数日あるいは数週間後には、初めから考え直していた。二度も三度も同じ名前が出てきたときだけ、人事の最終決定を行った。スローンは、人事の秘訣を聞かれたとき、「秘訣などない。最初に思いつく名前は、概して間違いだということを知っているにすぎない。だから私は、何度も検討し直して、決定することにしている」と答えたという。
 私の記憶が正しければ、ここ10数年で最も大臣の不祥事や失態が少なかった小泉内閣では、内閣改造の度に小泉氏が官邸に何時間も閉じこもって人事を検討していた。そして、小泉氏が官邸から出てくると、小泉氏の机の上には新しい大臣の名前が書かれた紙が置かれていたという。また、GEの「セッションC」などのように、サクセッションプラン(後継者育成計画)が整っている企業は、候補者が若いうちから何度もその適性を厳しく評価する仕組みを整えている。これも人事に時間をかける一例であろう。

 話がちょっと逸れてしまったが、エグゼクティブが徹底的に時間管理を行い、不要な仕事を捨て去って、自由に使える時間をかき集めたとしても、そのボリュームはたかが知れているという。そして、地位が上がれば上がるほど自由に使える時間の割合は小さくなり、トップに至っては4分の1しかない、というのがドラッカーの分析である。
 自分の時間の半分以上をコントロールしており、自分の判断によって自由に使っているなどという者は、実際に自分がどのように時間を使っているかを知らないだけであると断言してよい。組織のトップにいる人たちには、重要なことや、貢献につながることや、報酬を払われている当の目的に使える自由な時間など、4分の1もない。これは、あらゆる組織についていえる。
 エグゼクティブが100%とまでいかなくても、かなり高い割合の時間を自由に使えるとしたら、そのエグゼクティブは自分が想定していない出来事や情報の大半を排除して、既知の世界の中で意思決定を行っていることになる。しかし、言うまでもなく、新しいビジネスチャンスや、逆に既存のビジネスを脅かす変化は、自分が知らない世界からやってくる。その意味では、ピーターズが指摘したように、アドホックであっても例外的な情報を受け取るよう、周囲の人々に門戸を開いておくことは、ひとまとまりの自由な時間を確保することと同様に重要であるように思える。

 (続く)

(※1)ヘンリー・ミンツバーグ著『マネジャーの仕事』(白桃書房、1993年)

マネジャーの仕事マネジャーの仕事
ヘンリー ミンツバーグ Henry Mintzberg

白桃書房 1993-08

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(※2)トム・ピーターズ著「組織論では真の姿に迫れない リーダーの仕事」(『DHBR2008年2月号』、初出は1979年)

Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2008年 02月号 [雑誌]Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2008年 02月号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2008-01-10

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(※3)ちょうど最近、興味深い記事が出ていたのでご紹介(「同時作業が得意な『2%の超人類』」[WIRED、2012年3月1日])。ユタ大学応用認知ラボの主任、デビッド・ストレイヤー氏によると、マルチタスクを処理できず、どちらの課題もパフォーマンスが落ちてしまう人の割合は、全体の98%にも上るらしい。残りの2%は、実際にマルチタスクが可能な「スーパー・タスカー」だが、彼らは脳の構造が一般の人とは決定的に異なっており、シングル・タスカーがスーパー・タスカーになることは期待できないという。

 また、日常的に情報をマルチタスク的に操り、ネットやビデオ、チャット、電話などを同時に駆使する人の方が、認識テストの成績が劣るという研究もあるそうだ。不要な情報を無視したり、作業記憶内で情報を整理したりする能力等が落ちている可能性が指摘されている。

(※4)私が所有しているのは、冒頭で紹介した「ドラッカー名著集」ではなく、その前のシリーズである「ドラッカー選書」であるため、引用文の表現が「ドラッカー名著集」のものとは一部異なるかもしれない点はご了承ください。
September 28, 2010

スライウォツキーの戦略論は面白くて好きだ−『プロフィット・ゾーン経営戦略』

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エイドリアン・J. スライウォツキー
ダイヤモンド社
1999-08
おすすめ平均:
日本企業が遅れを取るビジネスデザインの法則と実例の数々
小企業の経営者や自営業の方にこそお勧めしたいと思います
ビル・ゲイツは如何にして世界一の金持ちになったか
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 戦略とは何かを説明するのは結構難しい。何年か前、ある勉強会で先輩のコンサルタントから戦略の定義を聞かれたのだが、うまく答えられずに軽く叱られたほろ苦い経験がある。だけど、今なら多少はマシな説明ができるよ。戦略とは、

 ・中期的な時間軸(3年程度)で考えた場合に、
 ・いかなる顧客に対して、
 ・いかなる価値を提供し、
 ・他社との競争をいかにして制しながら、
 ・どのように利益を上げるか、

をめぐる構想のことである(しばしば「戦略は実行されなければ意味がない」と言われることからも解るように、戦略自体はあくまでも「構想」である)。どうだい?あの時先輩が「戦略とは、企業のあるべき姿のことだ」と自信ありげに言っていた定義に比べると随分と具体的でしょう?(その先輩の発言を聞いて、勉強会のメンバーが若干落胆したことも覚えている)

 エイドリアン・スライウォツキーは、アメリカの『インダストリー・ウィーク誌』でピーター・ドラッカー、マイケル・ポーター、ビル・ゲイツ、ジャック・ウェルチ、アンディー・グローブとともに「経営に関する世界の6賢人」にも選ばれたことがある人物である。スライウォツキーの戦略論は、ポーターの戦略論と違って、スマートにまとまりすぎていないところが好きだ。

 もともと経済学者であったマイケル・ポーターは、産業構造論に基づいて非常にシンプルな競争戦略論を構築した。ポーターは、儲かりやすい産業とそうでない産業があることに着目し、産業の魅力を測定するツールとして「ファイブ・フォーシズ・モデル」を開発した。

 さらにポーターは、同一産業における各企業の業績に目を向け、儲かっている企業とそうでない企業の違いを分析した。横軸に売上高、縦軸に売上高対営業利益率をとって各企業をマッピングすると、多くの業界でVの字型のグラフになることが解った。つまり、売上規模が非常に大きいか、非常に小さい企業の中に高い収益を上げる企業があり、他方で多くの企業はそこそこの売上規模があるにもかかわらず低収益にとどまっているというわけだ。

 高い収益率を実現する、すなわちV字の両端に上るための戦略としてポーターが提唱したのが、差別化戦略、集中戦略、コスト・リーダーシップ戦略という3つの競争戦略である。企業はこれら3つのうちどれか1つの戦略に集中しなければならない、そうしなければV字の底に落ちてしまう、とポーターは主張したのだ。3種類の戦略から1つ選べばいいというのだから、これほど解りやすいものはない。

 ポーターに比べると、スライウォツキーの戦略論は割と複雑である。スライウォツキーの戦略論は、「利益モデル」という考え方に特徴がある。同書では、企業に利益をもたらす22(!)ものパターンが紹介されている。

 もちろん、22の利益モデルの中から自社に合ったものを適当に選べばよいという単純な話ではなく、まずは「自社が顧客に対してどのような価値を提供するのか?」を決定することが大前提となる。顧客への提供価値が決まれば、適切な利益モデルがある程度絞られる。

 例えば、ネットオークション事業のように、複数の売り手と買い手の間に立って取引を仲介する(この場合、買い手に対しては「選択肢を比較検討する手間を省く」という価値を、売り手に対しては「買い手を捜す手間を省く」という価値を提供することになる)ビジネスであれば、スライウォツキーが「スイッチボード型」と呼ぶ利益モデルが採用される。

 ただし、単一の利益モデルで戦略が成立することはむしろ稀である。多くの場合、複数の利益モデルを組み合わせることによって、顧客への提供価値を増幅させ、同時に自社の利益を増やすことができるとスライウォツキーは言う。最近のITベンダーは、たとえ競合他社の製品であっても、それが顧客企業の経営課題の解決(ソリューション)に最も適しているのであれば、自社製品よりも優先して販売することがある。こうしたビジネスの利益モデルは、スライウォツキーの言葉を借りれば「ソリューション型」にあたる。

 とはいえ、ITベンダーは自社製品へのこだわりを完全に捨てているわけではない。何かしら基盤となるハードウェアやソフトウェアを自前で開発し、競合他社の製品がその基盤の上でも動くようにしておく。そうすると、最初にその基盤製品を顧客企業に導入することができれば、後からその上に自社製品、他社製品を問わず様々な製品を追加していくことが可能になる。

 最初に導入(インストール)した基盤製品をベースとして、追加販売した製品から継続的に利益がもたらされることから、スライウォツキーはこの利益モデルを「インストール・ベース型」と呼んでいる。顧客企業側も、ITベンダーごとの仕様や規格の違いを気にせずに、自由にシステムを拡張できるから、単純な「ソリューション型」よりも高い価値を享受することができる。

 「利益モデル」は、戦略を実行する上での組織デザインに関するヒントも与えてくれる。それぞれの利益モデルには、モデルが本当に機能するために必要ないくつかのKSF(Key Success Factor:重要成功要因)がある。例えば、映画会社やレコード会社ように、次から次へとヒット作を世に送り出さなければならない「ブロックバスター型」という利益モデルがあるのだが、この利益モデルのKSFとしては、

 ・アーティストや俳優、脚本家、監督といった、クリエイティブ人材の才能を発掘する目利き能力
 ・(たいていは通常のビジネスパーソンよりもクセが強い)クリエイティブ人材をマネジメントし、動機づける能力
 ・ヒット作の定石を踏んだ作品を作る一方で、定石を打ち破る作品を試験的に制作するような、作品のポートフォリオ管理
 ・緩やかな予算管理と失敗に寛容な風土(ルールでガチガチに縛ったら創造性は発揮されない。また、何がヒットするか解らない業界なので、通常の企業に比べて多少の失敗は大目に見る寛容さも必要)
 ・「売れる」と思った作品は強力に売り込むプロモーション

などが挙げられる。これらのKSFを踏まえた上で、組織構造や人材、制度、IT、プロセスなどを設計していくことが、戦略を成功へと導くのである。22の利益モデルを基に、世の中の企業が一体どのような利益モデルを構築しているのか、そして利益モデルのKSFがどのように組織デザインに反映されているのか、なんてことを考えてみると、ちょっと厄介なパズル問題を解いているようで結構楽しい。
September 09, 2010

名言の力で明日からまた仕事を頑張ろう!−『ぶれない「自分の仕事観」をつくるキーワード80』

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村山 昇
クロスメディア・パブリッシング(インプレス)
2009-05-14
おすすめ平均:
30歳前後の方(=私と同世代の方)に勧めたい本です
ヒントがたくさん詰まった本
滋味
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 先日も紹介したこの本には、実業家、作家、哲学者などによるたくさんの名言が紹介されている。せっかくなので、個人的に気に入った名言をまとめてみた。仕事に行き詰った時は、これらの名言を読み返してみることにしよう。
 私の哲学は技術そのものより、思想が大事だというところにある。思想を具現化するための手段として技術があり、また、技術のないところからは、よき思想も生まれえない。(本田宗一郎『私の手が語る』)
 人格は繰り返す行動の総計である。それゆえに優秀さは、単発的な行動にあらず、習慣である。(スティーブン・コヴィー『7つの習慣』)
 私が13歳のとき、宗教のすばらしい先生がいた。教室の中を歩きながら、「何によって憶えられたいかね」と聞いた。誰も答えられなかった。先生は笑いながらこういった。「今答えられるとは思わない。でも、50歳になっても答えられなければ、人生を無駄にしたことになるよ」(P・F・ドラッカー『プロフェッショナルの条件』)
 我々が一人でいる時というのは、我々の人生のうちで極めて重要な役割を果たすものなのである。或る種の力は、我々が一人でいる時だけにしか湧いて来ないものであって、芸術家は創造するために、文筆家は考えを練るために、音楽家は作曲するために、そして聖職者は祈るために一人にならなければならない。(アン・モロウ・リンドバーグ『海からの贈物』)
 すべての人が金持ちになる幸運に恵まれるとは限らない。しかし言葉については、誰しも貧乏人になる要はないし、誰しも力のこもった、美しい言葉を使うという名声を奪われる要はない。(ノーマン・カズンズ『人間の選択』)
 お金はムチと同じで、人を”働かせる”ことならできるが、”働きたい”と思わせることはできない。仕事の内容そのものだけが、内なるやる気を呼び覚ます。(ジョシュア・ハルバースタム『仕事と幸福、そして、人生について』)
 どんなに豊饒で肥沃な土地でも、遊ばせておくとそこにいろんな種類の無益な雑草が繁茂する。精神は何か自分を束縛するものに没頭させられないと、あっちこっちと、茫漠たる想像の野原にだらしなく迷ってしまう。確固たる目的をもたない精神は自分を見失う。(モンテーニュ『エセー』)
 意味を探し求める人間が、意味の鉱脈を掘り当てるならば、そのとき人間は幸福になる。しかし、彼は同時に、その一方で、苦悩に耐える力を持った者になる。(ヴィクトール・フランクル『意味への意思』)
 生命には物質のくだる坂をさかのぼろうとする努力がある。(アンリ・ベルグソン『創造的進化』)
August 01, 2010

29歳の誕生日に「自分がやりたいこと」を再整理してみる(1)

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 8月1日で29歳になり、20代最後の1年に突入した。早いもんだなぁ。キャリア論を研究している神戸大学の金井壽宏教授がよくおっしゃっているように、人生の節目においては、自分のキャリアビジョンを見つめ直すことが大切だ。

 大学時代に法律家の道を断念した私は、ピーター・ドラッカーとの出会いをきっかけに、マネジメントに高い関心を抱くようになった。その頃は「21世紀のマネジメントのあるべき姿を追求しよう!」といった程度の本当に柔らかいビジョンしか持っていなかった(今振り返るとちょっと恥ずかしいね)。

 だが、社会人になってシステム開発、経営コンサルティング、人材育成支援、教育研修プログラムの提供など様々な職務を経験する中で、もう少し自分のキャリアビジョンが明確になってきた。今日の記事では、30代への準備期間として、改めて自分が将来何をしたいのかを整理してみたいと思う。

(1)ビジネスパーソンがマネジメントとリーダーシップを身につける学習機会の提供
 ドラッカーは、従来はトップ層の経営者を指す言葉にすぎなかったマネジメントを「社会的な機能」と定義し、膨大な著書を世に送り出してその中身を体系化した。そしてこの社会的な機能は、トップ層に限らずあらゆるビジネスパーソンが担うべき責任であると説いた。ドラッカーは、マネジメントは一般教養であるとも述べている(だいぶ昔の記事だが、「一般教養としてのマネジメント」を参照)。

 私に大きな衝撃を与えた1冊に、『経営者の条件』がある。この本は、マネジメントの担い手が組織に広く存在することを教えてくれた。
 私は、地位やその知識のゆえに、日業業務において、組織全体の活動や業績に対して、重要な影響をもつ意思決定を行う経営管理者や専門家などの知識労働者を、エグゼクティブと名づけた。

 われわれはすでに、最下層の経営管理者が、企業の社長や政府機関の長とまったく同じ種類の仕事、すなわち、企画、組織化、統合、調整、動機づけ、そして成果の測定を行うことを知っている。意思決定の範囲は、非常に限られた狭いものかもしれない。しかし、たとえ狭くとも、その範囲内においては、まぎれもないエグゼクティブである。(『経営者の条件』)

P.F.ドラッカー
ダイヤモンド社
2006-11-10
おすすめ平均:
経営者必読の一冊。
この本も読んでいないような上司の下では働きたくない
ドラッカーの言葉は読むのが楽しい
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 もしこの定義に従うならば、最下層の経営管理者の「下」にも、無数のエグゼクティブが存在することになる。なぜなら、地位や肩書きはなくとも、その専門的な知識によって市場が求める製品やサービスを作り出し、将来のための研究開発に身を投じ、ありとあらゆるセグメントの顧客と接し、まだ見ぬ未来の潜在顧客を発掘している社員が大勢いるからである。彼らの日常業務における意思決定の積み重ねが、企業の業績に大きな影響を与えることは言うまでもない。ドラッカーによれば、現場社員ですらエグゼクティブなのである。

 楽観的観測かもしれないが、多くのビジネスパーソンが「自分、および自分が所属するチーム・組織の使命は何か?」、「自分、およびチーム・組織が上げるべき成果とは何か?」、「使命を果たし、成果を上げるために従うべき行動規範とは何か?」という基本的な問いに対峙し、自分自身や他者を動機づけ、仕事の生産性を上げる努力を惜しまなければ、もっと企業の業績は上がり、責任感とやりがいを持って仕事に励むビジネスパーソンが増えるのではないだろうか?

 ただし、マネジメントだけを実践すれば事足りるかというと、残念ながらそうではない。ドラッカーが精力的に活動していた20世紀後半も十分に変化が激しい時代であったが(『乱気流時代の経営』、『断絶の時代』などはそのような認識の基に書かれている)、21世紀はさらに複雑で不確実性の高い変化を相手にしなければならない時代である。

 かつてマネジメントがトップ層の経営陣を指す言葉であったのと同様に、リーダーシップもカリスマ性があるトップ層の専売特許であると考えられてきた(今でもこの傾向は根強く残っている)。

 だが、変化を起こす主体は本当にトップ層に限られているだろうか?組織の規模や構成が以前は比べものにならないほど大きくて多様になった現在では、トップ層のリーダーシップだけに頼るのは限界がある。それこそ、ドラッカーが言うように、「カリスマ待望は政治的な集団自殺願望のである」(『新しい現実』)。

 もし我々が自律した精神を持ってマネジメントを行うならば、従来のマネジメントだけでは対応できない新たな現実の登場を敏感に察知することができるようになる。その際に、いちいちトップ層に「どうしますか?」と判断を仰ぐようではあまりに心許ない。

 「我々が直面している変化はどのような意味を持っているのか?」、「その変化は自分、およびチーム・組織がこれまで目指してきた使命や成果にどのような影響を与えるのか?」、「変化に適応し、変化を利用するために、我々が新たに従うべき行動規範とは何か?」これらの問いには、我々自身が答えなければならなくなる。

 そして、従来の仕事の進め方、業務プロセス、権限配分、組織・人員構成、慣行、ルール、評価制度、ITインフラなどを俯瞰的に見直し、新しい現実に対応させる。これらの変革活動を、トップ層だけではなくミドルマネジャーや現場社員のレベルでも実施できるようになれば、企業は強靭な成長力を手にすることができるに違いない。

 マネジメントが仕事に対する「意味づけ」であるとすれば、リーダーシップは仕事の「意味の再構築」である。そして、両者は決して切り離されたものではなく、密接な補完関係にある。双方の学習機会を多くのビジネスパーソンに(できるだけリーズナブルな形で)提供するのが私の最大の希望だ。

 (その2に続く)
July 14, 2010

大事なのはリーダーシップのスタイルじゃないということ−『静かなリーダーシップ』

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ジョセフ・L. バダラッコ
翔泳社
2002-09
おすすめ平均:
原題は「正しいことを行うための、オーソドックスでないガイド」
東洋的発想で書かれた本
大学院で受けた講義
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 我々が抱いている「理想のリーダー像」は非常に華々しいものである。リーダーは大胆で勇気があり、人々を惹きつける魅力を持ち、情熱的でリスクをものともせず、時に自分を犠牲にしてまでもビジョンや目標に向かって猪突猛進する、そんなリーダーを我々は待ち望んでいる。しかし、本書で取り上げられているリーダーは、我々が通常イメージしているような英雄型リーダーとは全く違うものである。

 臆病で慎重、自分の利益やキャリアは守りたい、カリスマ性もないし特に頭がいいわけでもない、強い使命感や理想はなく自分の価値観で生きている、できるだけ時間を稼いで時機をうかがう…同書に登場するのはそんなリーダーたちである。

 ビジネスパーソンは、過去の経験や知識から得られた原則、あるいはその人が属する組織が長年採用してきた慣例や公式のルールなどを演繹的に適用することで事業や組織をマネジメントする。しかし、それらの演繹的推論が当てはまらない例外的なケースに出くわすことがある。そんな時はリーダーシップの出番になる。リーダーシップの重要な役割の1つは、例外的な事象をつぶさに観察してこれまでとは違う別のパターンを見出し、新しい仮説を帰納的に設定することである。そして、その仮説に従って人々を巻き込み、組織を正しい方向へと導く。

 著者のジョセフ・バダラッコが注目しているのは、一般的なリーダーシップ論が焦点を当てる組織のトップ層ではなく、ミドル層の人たちである。ミドルマネジャーは組織が定めた、あるいは自分がこれまで従ってきたマネジメントのルールを用いて業務を処理する。ところが、現場の最前線で変化を身近に感じている部下は、日々新しい情報を自分のところに持ち込んでくるし、自らもプレイングマネジャーとして現場に立つ中で、旧来のやり方だけでは処理できない問題に直面する。

 そういう意味では、ミドルマネジャーこそが最も「例外的なケース」に出くわしやすく、リーダーシップを発揮すべき存在だとも言える。ミドルが扱う問題は、組織全体から見ればそれほど重要ではないことが多い。また、ミドルのリーダーシップは、英雄型のそれとは違ってものすごく「静か」である。だが、彼らがリーダーシップを発揮して日常的な問題を解決してくれるからこそ、組織は全体として前進することができるのである。重要なのはリーダーシップの機能であって、スタイルではないのだ。ドラッカーもインタビューの中で次のように述べている。
優秀な経営者、優秀なリーダーとは、どのような存在なのでしょうか?先にもお話しした通り、私は70年に及ぶ長い歳月で、幾人ものリーダーたちと交わってきました。彼らの誰もが個性的で、誰一人として似ている人はいませんでした。この経験から私が理解したのは、「人はリーダーに生まれない」という事実です。生まれついてのリーダーなど存在せず、リーダーとして効果的にふるまえるような習慣を持つ人が、結果としてリーダーへと育つのだ、と。(ピーター・ドラッカー著、窪田恭子訳『ドラッカーの遺言』)

P.F. ドラッカー
講談社
2006-01-20
おすすめ平均:
がんばれ日本!とドラッカーが言っている。。。
今起こっていることs社会的気運は危機ではなく必要な変化。
キーワードは情報
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 バダラッコのリーダーシップ論の最大の特徴は、リーダーシップを発揮する上で「個人の動機」が重要な役割を果たすという点である。我々が想像する英雄型リーダーは、個人的な動機など二の次で、常に組織全体のため、社会のためという使命感に溢れているものだ。だが、バダラッコは全く正反対の主張をしている。
 先行き不透明で常に状況が変化している場合、または実践と倫理で何が重要なのか明確ではない場合、複雑な動機があると非常に有利に働く。難題に直面して、さまざまな方向性があると思っても、自分が混乱しているとも、自分の力が不十分であるとも考えるべきではない。動機が複雑なのは、状況を本当に理解しているということであり、先に進む際に、動機が役に立つガイドになり得る。
(※太字は原文のまま)
 同書で取り上げられているケンドラー・ジェファーソンを紹介しよう。彼女は、エレクトロニクス企業に勤める製造部長である。ある時、副社長がジェファーソンを呼び、彼女の部下であるアリスが困った状態にある、一番よいのはアリスをクビにすることだと忠告してきた。

 確かに、アリスの業績は芳しくなかった。しかし、ジェファーソンがここで簡単にアリスを解雇すれば、管理職としての自分の手腕に傷がつくことになるし、部下からの信頼を失いかねない。一方で、アリスの仕事ぶりに腹を立てているメンバーがいることも事実であるし、何よりも副社長からの忠告はほぼ命令に近いものであり、それがジェファーソンにとっては重荷であった。

 あれこれと考えをめぐらせた結果、ジェファーソンはアリスのことをもっとよく理解することに決めた。ジェファーソンもアリスも離婚経験があり、それが仕事にどのように影響するか共感できる部分があった。しかも、アリスの2人の子どもには学習障害があったから、彼女の精神状態は並のものではなかったはずだ。

 ジェファーソンは幼少時代のことも思い出していた。両親はジェファーソンに、「決意を持って一生懸命働けば、自分の望みを達成できる」と教えた。アリスにも成功の機会を与えれば、ひょっとしたらこれまでの業績不振を挽回してくれるかもしれない。これがジェファーソンの結論であった。最終的には、ジェファーソンの狙い通りアリスの業績が向上し、副社長もアリスを辞めさせろとは言わなくなった。

 著者のバダラッコは、ジェファーソンの動機は「支離滅裂」だと評している。しかし、支離滅裂であったからこそ、アリスをクビにするか否かという紋切り型の解決策に走ることなく、現状を多角的な視点から捉えることができた。ジェファーソンは回り道をしたが、最後にはアリスの業績向上という最高の結果をもたらしたのである。

 ミドルマネジャーの「静かなリーダーシップ」は組織の前進を陰ながら支えている。この例えでうまく伝わるかどうか自信がないが、英雄型リーダーの組織は「円錐体」であり、静かなリーダーが集まる組織は「多面体」である。円錐の頂点には英雄型のリーダーがどっしりと構えており、それゆえに組織は安定する。しかし、円錐は横から強風が吹きつけると簡単に倒れてしまう。組織が前に動こうとしても、倒れた円錐は頂点を中心としてグルグルと回るだけで、自力では立ち上がることができない。

 一方、多面体型の組織は、各頂点に静かなリーダーがいる。この組織は非常に不安定ではあるが、横から強風が吹きつけてもゴロゴロと転がりながら動くことが可能だ。そして、頂点の数が多ければ多いほど、その動きは早くなる。もちろん、この例えは極端であり、英雄型リーダーの存在を全否定する気は毛頭ない。だが、本当に優れた組織には両方のリーダーが存在するものである。
May 05, 2010

【祝】ブログが5周年を迎えました!

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 5月5日でこのブログはめでたく5周年を迎えました!一時期、書くのが面倒くさくなって中断していた時期もありましたが、2008年の秋頃から自分でもちょっとずつ納得のいく文章が書けるようになって、何とかここまでたどり着きました。

 5年間で約10万ページビュー。書いた記事は今日のこの記事を含めて661個。1記事あたり平均1,200字だとすると、約79万字書いた計算になります(まぁ、中にはどうしようもない記事もあるので、79万字の全てに意味があるわけではないですが…)。読んでくださった全ての皆様に感謝申し上げます。

 5年前の今日書いた記事をここで引用。初々しいなぁ(笑)。
ブログ開始!!
 兼ねてからやろうやろうと思っていたブログをようやく開始しました。どこのブログサービスを使おうかいろいろ考えましたが、結局ライブドアのブログにしました。

 タイトルの「終わりなき旅」は、私がこよなく愛するMr.Childrenが1998年に発表した楽曲のタイトルです。過去を蒸し返したり美化したりすること無く、ただ直向に前進を続けようと精神的自立を訴えるこの歌には何度も共感させられています。そしてこの歌をこれからも聴き続け、歌い続けます!!

 ♪嫌なことばかりではないさ さあ次の扉をノックしよう
  もっと大きなはずの自分を探す終わりなき旅

 「大きなはずの自分」…この言葉の響きが実にいい。「大きな自分」ではなく、「大きなはずの自分」なのです。「自分はこんなものじゃない。もっとやれるんだ。」と、自らの無限大の可能性を信じて疑わない強固なマインドが見て取れる言葉です。
 最初は「終わりなき旅」というタイトルでしたが、後にピーター・ドラッカーの著書『マネジメント・フロンティア−明日の行動指針』からもタイトルを拝借して、今のブログ名になりました。これからも「もっと大きなはずの自分」を探してブログを書き続けたいと思います。

P・F. ドラッカー
ダイヤモンド社
1986-10
おすすめ平均:
現状認識が不十分で実践を求められても、たじろぐな。今日を理解せよ。
小論の集成

Mr.Children
トイズファクトリー
1998-10-21
おすすめ平均:
天国逝っちゃいそう
人生で一番好きな歌
生き方、将来に悩むすべての人に・・・
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April 19, 2010

入社後3年目までのキャリア開発−仕事の仕組みを知り、自分の得手・不得手を見極める

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 最初の仕事はくじ引きである。最初から適した仕事につく確率は高くない。得るべきところを知り、向いた仕事に移れるようになるには数年を要する。
 ピーター・ドラッカーの名言集『仕事の哲学』には、こんな言葉が出てくる。ドラッカーのキャリアのスタートは、経営学者ではない。確か証券アナリストだったはずだ。しかも、第1次世界大戦で中高年の労働力が多く失われていたため、若いドラッカーでもそこそこ高いポジションに就くことができた。

 ところが、ドラッカーが「株式市場はこれから上がる」という予測レポートを出した直後に株価が暴落してしまう。これをきっかけに、数値で未来を予測することがいかに危険であるかを痛感し、証券アナリストとしてのキャリアを諦めてしまう。その後はしばらく政治ジャーナリストとして活動し、政財界での人脈を構築する一方、29歳の若さで『経済人の終わり』を発表する。それでもドラッカーは、自分のキャリアに満足していたわけではなさそうだ。あるインタビューで「自分が本当に向いていると思う仕事に就けたのは30歳を過ぎたあたりからだ」といった内容の発言をしている。(※1)

 自分の特性や運命に気づくまでもっと長い時間を要した人物もいる。大正から昭和初期にかけて活躍した政治家で、逓信大臣、内務大臣、外務大臣と3つの大臣ポストを務めた後藤新平がその1人だ。彼のキャリアはドラッカー以上に複雑である。最初は医者としてスタートしたが、その後内務省衛生局に入って官僚となり、医療・衛生関連の行政に携わる。さらに、台湾総督府民政長官、拓殖大学学長を経て、40歳を過ぎたあたりからようやく自分が政治家として適性があることを悟り、国政の舞台を目指した。(※2)

 若いうちに抱いていた夢や希望をそのまま貫き通すことができる人間は皆無に近いと思う。私自身の個人的な話で恐縮だが、私は20歳の頃までは弁護士になるのが夢であった。だが、就職活動ではIT業界を回り、入社後は「30代前半までには、比較的大きな案件を回せるプロジェクトマネジャーになりたい」と思っていた。ところが、今はエム・アイ・アソシエイツという小さいベンチャー企業で、時に組織変革や人材育成に関わるコンサルティングを行い、時に教育研修の企画・プログラム開発をし、さらには会社のマーケティング業務も兼務している。30歳近くになった今の自分を20歳の時の自分が見たら、「おい、一体どうしてそんな仕事をすることになってしまったんだ?」と疑問を呈するに違いない。

 「『動機』の構造を自分なりにまとめてみた−『"働く"をじっくりみつめなおすための18の講義』」という記事で、「外発的動機づけ要因」と「内発的動機づけ要因」について、こんな図を描いてみた(ちょっとだけ言い訳をすると、まだこの図は完成度が低いので、ブラッシュアップする予定である)。

動機づけ要因の構造

 就職活動では徹底的に自己分析をし、自分がやりたいことを見極めるのが大事と言われる。そして面接官も、「あなたはわが社に入って何をしたいですか?」と志望動機を聞く。学生・面接官ともに、「内発的動機」に注目しているわけだ。

 だが、たかだか20年ちょっとしか生きていない学生が、社会に関する生の情報をほとんど何も与えられていない状態で、自分の興味や関心を明確にするのはどうしても限界がある。また、採用する側も、面接では「何がしたい?」と前向きに聞いておきながら、いざ採用して配属の段階になると、新人の希望通りにはならないことぐらい解っているものである。

 私は、どうせ新人は自分の希望が通らないのだから、自己分析などしてもムダだと言いたいのではない。自己分析はやった方がいいに決まっている。ドラッカーや後藤新平の時代とは違い、今は結果を求められるまでの期間が短くなっている。自己分析は、他者よりも秀でた能力や、他者よりも強い関心を寄せる事柄を発見し、それらを土台として活躍のフィールドを広げるために欠かせないツールである。

 しかし、学生時代の自己分析の結果に固執しすぎない方がよい。別の言い方をすれば、「内発的動機」にあまりとらわれすぎてはいけない。特に入社して3年目ぐらい(20代半ば)まではそうだ。むしろ、「外発的動機」ときちんと向き合った方が、その後のキャリアにプラスになると考える。

 図中では、「外発的動機づけ要因」として、【1】「指揮命令などによる合理性」、【2】「職場環境の魅力(特に、職場内の人間関係)」、【3】「賞罰・承認・評価」の3つを挙げている。入社5年目ぐらいまでは、本人はやや辛い思いをするかもしれないが、外発的動機づけ要因に「振り回される」ぐらいの方がちょうどいいのではないかと思う。

 上司から依頼された仕事について、「なぜこの仕事が必要なのか」、「誰がどういう目的でこの仕事を必要としているのか」について、上司からきちんと説明を受けたり、自分で考えてみたりする(【1】「指揮命令などによる合理性」)。また、職場の人間とはどういう人づき合いをすればよいのか、接しにくい人がいた場合にどうすればよいのかを学ぶ(【2】職場環境の魅力)。さらに、どのような成果を上げると評価され、逆に何をすると叱られ罰せられるのかを敏感にキャッチする(【3】賞罰・承認・評価)。

 端的に言えば、若いうちは「外発的動機づけ要因」に注目することで、会社や仕事の仕組みを理解することに時間を費やした方がよい。ここで意地を張って「自分はこれがやりたいんです!だから異動させてください」などと主張しても、「お前はまだ何も成果を出していないだろう?自分の権利ばかり主張する前に、まずは責任を果たしなさい」、「そんなにやりたいことがあるなら、自分で会社を興せばいい」と言い返されるのがオチだ。そうなると、返って成長のチャンスを踏み潰すことになりかねない。

 「外発的動機」にいい意味で翻弄されると、いろんな仕事や人に接する機会が増える。様々な業務をこなし、様々な人からポジティブなものもネガティブなものも含めていろんな評価を受けることで、就職活動時には見えなかった自分の得意領域や、面白いと感じる仕事がおぼろげながら見えてくるようになる。おぼろげではあるが、就職活動の時の甘い自己分析に比べれば、格段に精度が上がっている。そうなったら、4年目ぐらいから自分の得意分野に少しずつ手を伸ばし、本当にやりたいことを主張していけばよい。それが、会社という組織の中で、キャリアの初期ステージを首尾よく進んでいくための術だと思うのである。

 若手のキャリア開発に関して、大いに参考になる人物がいる。戦国時代の藤堂高虎だ。歴史家の加来耕三氏は、彼を「出世の名人」と呼んでいる。特段の教養を持たず、字もろくに読めなかった人物だったが、最終的には32万石超の太守となった。まさに大出世である。

 浅井長政の下で名を挙げることに失敗し、秀吉の弟・秀長に仕えることになった高虎は、他の侍大将とは異なり、常に柔軟に目前の与えられた職務を積極的に果たしたところに特徴があった。高虎はもともと槍の名手であったがそれに執着せず、銃隊を預けられればこれに熟達しようと努力し、仕分けの帳簿の整理を命じられればその方法を必死で習得し、合戦の合間には築城術も勉強したという。

 この築城術で高虎の才能は開花する。高虎は秀長の数々の戦いで築城を任され、次々と成功を収める。これは兄・秀吉の天下統一を大きくアシストした。さらに、秀吉に代わって家康が天下を取ると、今度は家康が高虎の築城術を高く買い、大坂の陣では和歌山城など重要な城の竣工を高虎に任せている。家康の亡き後も、高虎は秀忠、家光に仕え、治国の要について積極的なアドバイスを行ったという。(※3)

 高虎は槍の名手だと思っていたが、秀長の下では秀長の命令に応えることを最優先した。「内発的動機」を殺して、「外発的動機」を優先させたのである。だが、秀長の期待に応えようと自分の強みを引っ込めたことが、逆説的ではあるが「築城術」という新たな強みを高虎に与えた。この築城術があったおかげで、高虎は江戸時代に入っても長く活躍することができたのである。高虎の生き方が、「俺様社員」や「シュガー社員」にとっていい教材になるといいのだが…。

(※1)該当する記述があった著書がぱっと思い出せないので、調べておきます。
(※2)松下幸之助『社長になる人に知っておいてほしいこと』(PHP総合研究所、2009年)
(※3)加来耕三「出世の達人 藤堂高虎」(『歴史に学ぶ』2009年9月-10月号、ダイヤモンド社)
March 08, 2010

自分の「強み」を活かすのか?「弱み」を克服するのか?

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 今の会社に転職する前、ある会社の面接で「効果的な人材マネジメントのポイントは何だと思うか?」と聞かれたことがあった。私は「それぞれの社員の強みを活かすこと」だと答えたら、面接官は「なぜ強みを活かすことが望ましいのか?」とさらに突っ込んできた。ドラッカーがしばしば「社員の強みを生かすことで弱みをカバーすることがマネジメントの役割である」といった趣旨のことを述べており、それをそのまま答えただけであったから、この面接官の切り返しには返す言葉が見つからなかった。当時の自分の考えは浅かったなぁと今になって感じる。

 それから数年が経ち、自分の考えがどれだけ進歩したかははなはだ怪しい限りではあるが、自分の「強みを活かす」ことと、「弱みを克服する」ことの関係について少し書いてみたいと思う。

 結論を先取りすると、「両者の比重は年代によって異なる」というのが私なりの見解である。20代の頃は、自分の強み、弱みといっても自分の中の相対的な比較であり、会社や世間一般が求める基準からしたら大半が弱みにしかならない。だから、20代はまず、強みを活かすことよりも、弱みを克服することに重きを置くべきである。

 このことは野球の世界を見ているとよく解る。高校野球や社会人野球でどんなにスーパースター扱いされた選手であっても、プロ野球に入ってすぐに活躍できるわけではない。それは、彼らが強みと思っていたことがプロで求められる基準に達していないからである。だから、ルーキーはたとえスーパールーキーであっても、自分の実力をプロレベルに高めるために必死に練習することが求められる。

 例えば日本ハムの中田選手は、屈指のパワーヒッターとして高校野球で活躍したが、守備に難があるために未だ一軍での実績は少ない。いくら打撃センスがあるからといって、守備に就く必要のないDHとして起用するわけにはいかない。DHはどちらかというと、打撃の実力が非常に高いが、故障などで守備に不安を抱えるベテランのためのポジションである。その位置に若手の中田選手を起用ことは考えられないのである。よって、中田選手は守備力を高めるべく猛練習を課せられている。

 同じように、今年の黄金ルーキーである西武の菊池投手も、豊富な球種が魅力であり即戦力としての期待が高かったのだが、スタミナがプロレベルではないために、2軍で基礎体力作りから始めることになってしまった。各選手がトレーニングを通じて自らの弱みを克服し、プロの世界で戦える素地を整えてから初めて、首脳陣はその選手の強みをどのように活かして試合を戦うのか?という議論に入ることができるのである。

 若いうちは弱みを克服する努力を軽視してはならない。それは、一人前のビジネスパーソン、プロフェッショナルとなるために不可欠なステップである。そうして一人前になり、20代後半から30代にかけて実績を積み上げていくと、自分の中の相対的な比較だけではなく、周囲の目から見ても「あの人はここが強い」という差別化要因が生まれてくる。

 ただし、40代、50代になると、どうしても克服できない弱みが露呈する。人間は完全な生き物ではないから、これは致し方ないことだ。人間の学習能力は無限であるとはいうものの、それは強みを活かす場合の話であって、この年齢から弱みを克服するのは非常に困難を伴う。これは、私自身が人事部の方々や研修受講者との仕事や、中小企業診断士としての活動などを通じて幅広い年代の人と触れてきた中で感じることである(青二才が何をぬかしているんだ!と怒鳴られそうだが…)。

 ドラッカーはマネジメントの大家でありながら、一度も大企業で働いたことはない。というよりも、そもそも組織で働いた経験が非常に少ない。マービン・バウワーからマッキンゼーで一緒に仕事をしないかと誘われた時も、自分は1人でやる方が向いていると言って断ってしまったくらいだ(※)。

 ドラッカーは自分自身の弱みを次のように語っている。
 とにかく私は他人と一緒に働くのがどうしても性に合わず、一匹狼として働くのが好きでした。私はコンサルタントですが、意思決定には向いていません。何か決めても、翌朝には気が変わっているというタイプの人間だからです。

 真の意志決定者はいったん決断したら、後は「果報は寝て待て」とばかり、夜はぐっすり眠るものです。私は5〜60回も覆した挙げ句、みんなを混乱に陥れてしまいます。

 (中略)それとかなり以前に、私は人に引導を渡せない性格であることを知りました。仕事ができないスタッフを解雇したり、業務から外したりという決定を何度も先送りにしてしまうのです。私にすれば、苦痛以外の何物でもないのです。
(ピーター・ドラッカー「明日への指針(上)」『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2003年11月号)
 人を働かせ続けるために、仕事をしなければならないというのは、私の性に合わない。私は自分のしたい仕事をしたい。報酬を払わなければならないとか、食べさせなければならないとかいう理由でしなければならない仕事は、したくない。私はソロのプレーヤーだ。会社をつくることに興味をもったことは、一度もない。人を管理することにも、興味はない。うんざりさせられてしまう。
(ピーター・ドラッカー著、上田惇生他訳『マネジメント・フロンティア−明日の行動』ダイヤモンド社、1986年)

P・F. ドラッカー
ダイヤモンド社
1986-10
おすすめ平均:
現状認識が不十分で実践を求められても、たじろぐな。今日を理解せよ。
小論の集成
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 ドラッカーは24歳で処女作を発表し、29歳で2冊目の作品を出すなど、早咲きの文筆家ではあった。だが、大半の作品は50代から晩年にかけてのものである。彼は自分が組織で実際にマネジメントを行うよりも、社会に散らばっているマネジメントの知恵を包括的にまとめ上げ、自らの卓越した文章力をもって移転可能な叡智へと昇華させる方が自分の強みが活かされると考えたのだろう。

 もし、ドラッカーがマッキンゼーでコンサルタントとして働いたり、あるいはどこかの大企業から請われて経営陣を務めたりしていたら、数多くの名著は生まれなかったことだろう。彼の弱みが禍いして、コンサルティングファームの一員としても経営陣としても、目立った成果は上げられなかったかもしれない。

 20代、30代とは違い、40代、50代になってくると、弱みが決定的な影響を及ぼす役職に就けることは避けた方がよい。長年克服できなかった弱みを抱えたまま仕事を進めるのは本人にとっても気の毒であるし、組織全体にも深刻な損害をもたらす危険性が高い。なぜならば、40代、50代の社員が行う仕事は、若手社員に比べてはるかに大きな影響力と責任を伴うからだ。年齢が上になるに従って、本人の強みに着目し、本人の強みが活かされるように社員を配属することが、人材マネジメントの肝要だと思うのである。

(※)ピーター・ドラッカー著『ドラッカー20世紀を生きて−私の履歴書』(日本経済新聞社、2005年)

ピーター・F. ドラッカー
日本経済新聞社
2005-08
おすすめ平均:
人生をかけて学び続けた人
ドラッカー氏の履歴書
ドラッカーの人となりが分かる、読みやすい本。
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March 02, 2010

ドラッカーの処女作に思想の原点を見た−『ドラッカーの思考(DHBR2009年12月号)』

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 この特集で一番嬉しかったのは、ドラッカーが1933年に発表した幻の処女作「フリードリヒ・ユリウス・シュタール−保守的国家論と歴史の発展」が読めたことである。処女作といっても小冊子ほどの文量しかないが、何と言ってもドラッカーが24歳の時の著書であるというだけで驚きだ。

 当時のドイツではアドルフ・ヒトラーが率いるナチス党が台頭しつつあった。しかし、ドラッカーはヒトラーの非合理的な政治思想を危険なものと見なし、伝統的保守派の法哲学者シュタールを再評価することでナチスに異議を唱えた。結果的に、ドラッカーの指摘した通り、ヒトラーの全体主義はドイツを第二次世界大戦で敗戦へと導いてしまう。24歳にしてファシズムを批判したドラッカーの考え方に、その後の数多くの著書につながる原点を読み取ることができる。

 ドラッカーがこの著書を書いていた当時、シュタールはそれほど有名な法哲学者ではなかったようだ。ドラッカーは、「あまり有名でない人に光を当てる」のが得意技でもあった。少し話が逸れるが、後にドラッカーの代名詞となるマネジメントの思想は、アメリカの社会学者であるメアリー・パーカー・フォレットに負うところが大きいとドラッカーは述懐している。彼女自身もまた、当時の社会学の中ではメジャーな存在ではなかった。ドラッカーがこうした人物まで研究しているのは、通説を鵜呑みにするのではなく、常に通説を違った角度から眺めて矛盾を突き止め、議論を提起し、新たなアイデアを提示しようとする姿勢を保っていた証である。

 私自身は法哲学に疎いので、シュタールの業績がどのようなものであったのかはドラッカーのこの著書を通じてのみしか知ることができない。私なりにドラッカーがこの著書の中で述べた内容を要約してみたいと思う。

 シュタールは伝統的な保守思想に基づいて、近代ドイツの「立憲君主制国家」の骨組みを明らかにした。シュタールの立憲君主制においては、国家はキリスト教の道徳的世界を実現するための機関として位置づけられ、統治に関する最高権力は全て君主に委ねられる。そして君主は、憲法をはじめとする法律によって国民を統制する。

 しかしながら、国民もまた自由意思を持つ存在であり、法律に納得しなければ異議を申し立てることが可能でなければならない。そこで、国家権力を監視し、人間の自由の番人となる「人民の代表団」が形成される。これらの要素は、保守主義者の流儀に倣い、非常に合理的な思考プロセスによって演繹的に導かれたものである。シュタールは過去の哲学者や政治学者と同じく、歴史を超越した普遍的原則を追求した。

 シュタールは典型的な保守主義者であったから、革命に対しては否定的であった。よって、神の秩序を揺るがすようなイギリスの宗教改革を遺憾に感じていた。ところがシュタールの理論は、彼が思い描いていたのとは違う方向へと進んでいく。

 1848年以降の憲法論争の中で、シュタールは歴史の動力を実感することになる。シュタールは、小国家のままでは自身が理想とするキリスト教国家の実現は無理だと判断し、小ドイツ(プロイセン)を解体して大ドイツ(オーストリア帝国)への吸収合併を主張したのである。

 ここで、シュタールの合理性の基本原則は大きく崩れることになる。彼は普遍的で理想的な国家像を掲げる一方で、現実世界では「政治力学」を考慮する必要に迫られた。シュタールは「国民感情」という概念を用いて、国家が歴史の進行に直面した時、進歩主義的な態度を取ることができることを示した。別の言葉を使えば、彼は保守主義の中に「変化」という言葉を持ち込んだ。これは伝統的な保守主義では考えられないことであった。

 シュタールは自身の理論を変容させて小ドイツの解体を提案したが、最終的にはビスマルクが武力行使によりプロイセンを中心としたドイツ帝国を建国した。よって、シュタールの立憲君主制はドイツ帝国からワイマール共和国に移行する1918年まで、ドイツの礎として機能したことになる。

 ドラッカーはシュタールの理論の限界をいくつか指摘している。最も致命的だったのは、彼が保守主義者であり宗教革命に難色を示していたにもかかわらず、熱心なプロテスタントであったということだ。そのため、彼の理論にはどこか妥協の産物の要素があることは否めない。

 にもかかわらずドラッカーがシュタールを高く評価するのは、シュタールが神の秩序という普遍的な世界の中に歴史の進行を位置づけ、人間の進歩や成長に対する正当化を試みたからである。具体的には、

 ・人間の普遍の本性に関する認識と、普段の変化に対する認識を、いかに調和できるか?
 ・永遠の秩序や永遠の目標に対する知識と、人間の生活上の目的という前提を、いかに調和できるか?
 ・人間によって達せられる目標の却下、あるいは自由主義的な進歩という考え方の却下と、人間の発展という認識を、いかに調和できるか」「革命の拒否と、いま生じている激変がもたらす結果に対する認識、そして伝統と新たな有機的成長への支援を結びつける方法を、いかに調和できるか?

という問いに対する答えを追い続けた唯一の保守主義者だからである。

 シュタールの直面した課題、つまり保守主義と歴史の進行の調整をつけるという難題は「保守的国家論」と呼ばれる。ドラッカーは、この保守的国家論こそが、人間の自由と平等を最も効果的に実現する理論であると結論づけたのである。他方で、国家そのものを目的とし、神聖で普遍の秩序に従おうとしない「全体主義的国家」を批判した。著書の中には明確に書かれていないが、全体主義的国家とは紛れもなくヒトラーの目指す国家である。この批判がナチス党の目に留まり、ドラッカーの処女作は発禁処分を食らってしまった。

 ドラッカーはシュタールの業績を紐解きながら、「保守主義こそが改革の原理として機能する」という考え方を強く持つようになった。そしてこの考え方が、1942年の著書『産業人の未来』に受け継がれていく。

P・F・ドラッカー
ダイヤモンド社
2008-01-19
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社会学者・経済学者としてのドラッカー
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 ドラッカーは同書の中で、1776年のアメリカ革命と1789年のフランス革命を取り上げ、いずれも保守主義が改革を進める原動力であったことを指摘している。その上で、第二次世界大戦後の世界に訪れるであろう産業社会に適合した制度を、保守主義の原理に基づいて作り上げる必要性を主張しているのである。
 1776年と1789年の保守反革命は、西洋の歴史において、おそらくかつて一度も実現されたことのないものを実現した。すなわち、社会的な革命も、数十年に及ぶ内戦も、全体主義の圧制も経ずして、新しい価値、新しい信条、新しい権力、新しい絆をもたらした。それは、自由で機能する社会と政治を生みだすことによって、全体主義による革命を抑えた。かつ、自らが全体主義と絶対主義に巻き込まれることなく、その様な社会と政治を発展させた。

 今日われわれが直面する問題は、1776年の世代が直面していた問題と比べるならば、はるかに大きくかつ困難に見えるかもしれない。しかし、1776年の世代が教えてくれた原理によってのみ、今日の問題の解決も、はじめて望みうるものになるということは確実である。
 ちなみに、『産業人の未来』はドラッカーが33歳の時に発表された。ほんと、ドラッカー恐るべしである。
February 28, 2010

ドラッカーが見た「古きよき時代の日本企業」−『ドラッカーの思考(DHBR2009年12月号)』

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 ドラッカーは通説に対しても常に疑いの目を持ち、通説の誤りを正したり、通説に変わる新しい論点を提示したりするのが得意であった。現実世界をつぶさに観察し、膨大な情報の中から真のパターンを導き出すことで、人々に知的刺激を与え続けた。

 その一端を見て取れるのが、本号に収録されているドラッカーの「日本の経営から学ぶもの」という論文である。一般的に日本企業の経営については、欧米企業との対比において次のように考えられているのではないかと私は思う。

(1)日本人は複数の選択肢を検討せずに、しばしば直観的に意思決定を下す。また日本の意思決定は、根回しを必要とする非合理的なプロセスである。
(2)日本の終身雇用制度は労働コストを柔軟に調整することができない。また、経済的余裕がない若者には厳しく、一方で勤続年数が長い中高年には有利に働く制度である。
(この点は、元富士通の人事部で現在は人事コンサルタントを務める城繁幸氏が頻繁に指摘していることでもある)
(3)アメリカ企業が人材育成に多額の投資をしているのに比べると、日本企業の投資はかなり見劣りする。
http://findarticles.com/p/articles/mi_m4467/is_4_54/ai_61949948/pg_11/?tag=content;col1
(4)日本企業は頻繁な人事異動を通じてゼネラリスト育成を目指しているため、スペシャリストが少なく突出した人材が不足している(最近は若干変わってきたが・・・)。
(5)日本企業には、経営者を体系的に育成するシステムが整っていない。

 ドラッカーはこれらの5点について、いずれも異なる見方をしている。ちょっと長くなるが、それぞれの点に関するドラッカーの見解を引用したいと思う。

(1)「総意」による意思決定
 我々欧米人が意思決定する際は、問題に対する"答え"にすべての力点が置かれる。実際に、「意思決定」に関する我々の書物は、すべて1つの答えを与えるために、体系的なアプローチを開発しようと試みている。

 しかし、日本人が意思決定する際に重要となる要素は、"問題の明確化"である。意思決定する必要があるのかどうか、何について意思決定するのか、を決めることが非常に重要なステップになる。そして、日本人が「総意」に達することを目指すのは、このステップにおいてである。問題に対する答え、すなわち、欧米人が「意思決定」と考えるものは、問題の明確化の後で行われる。
 日本人はまず、「問題は何か」を理解することに努める。そして、問題を解決するためのあらゆる選択肢を列挙し、比較検討を行うというのがドラッカーの見方である。

(2)雇用保障と生産性
 日本は、硬直した労働コスト構造ではなく、実際には労働コストと労働人口の点で並外れた柔軟性を持っている。だれも指摘しないし、大半の日本人も自覚していないと私は確信しているのだが、日本の退職制度のおかげで、欧米の大半の国や産業よりも、労働コストがより柔軟になっているのだ。

 (中略)一般の従業員は、工員であれ、事務員であれ、55歳で「恒久的」従業員であることをやめて(※つまり、退職して)、「一時的」な従業員になる。これは、十分な仕事がなくなれば、その人は一時解雇されることを意味する。

 しかし十分な仕事があれば、その人は会社にとどまり、以前と同じ仕事を続け、長年共に働いてきた「恒久的」従業員と机を並べて働く。しかし、その仕事に対する給料は、「恒久的」従業員であった時の給料より、少なくとも3分の1は少ない。
 ドラッカーはリストラをめぐる日本と欧米の対応の違いにも言及している。欧米企業がは勤続年数が短い順にリストラを行うことが多く、従って家庭を持ち両親を扶養しているような、最も収入を必要とする若手社員が真っ先にリストラされるのに対し、日本企業は生活に余裕がある人や他の所得に依存している人から順番にリストラを行い、若者は保護される、とドラッカーは指摘する。

(3)継続的訓練
 第一に、あらゆる従業員が−しばしばトップに立つ経営者まで−退職に至るまで、正規の仕事の一部として訓練を受け続けるということである。これは欧米の慣行とは対照的だ。我々は、ある人が新しい技能を獲得しなければならない時、もしくは新しい地位に就かなければならない時だけ、その人を訓練する。

 第二に、日本の従業員は、階層が高くても低くてもすべての階層において、自分の仕事だけではなく、自分の仕事と同レベルのすべての仕事についても、訓練を受けている。
 「正規の仕事の一部として」という言葉が意味するのは、研修という限定的な空間だけではなく、現場においても自らの仕事を継続的に改善することを通じて訓練を続ける、ということである。日本人の学習曲線に頭打ちはない。日本企業は、人材育成に投資する金額は少ないかもしれないが、投資する時間が膨大なのである。

 また、もう1つの特徴として、日本企業では異分野の研修に出席することを求められることが多いことを挙げている。例えば経理担当が人事・購買の研修を受けるといった具合だ。こうして幅広い視野を養成する。日本人が変化に抵抗せず、柔軟に対応できるのは、この幅広い視点のおかげであるとドラッカーは分析している。

(4)真の「ゼネラリスト」育成
 日本が公式に掲げる原則、つまり「人々は工場内で次から次へと自由に仕事を変えられる」という主張は、必ずしも真実ではない。溶接の職場にいる人は、その職場にとどまっているようであるし、隣の職場で塗料の吹きつけをやっている人も同じである。

 (中略)たとえば、ある生産技術者は、産業技術部という自分の部署の境界線を厳密に守ってきた。彼は工科大学を卒業した日から、55歳でグループ内の関係会社の社長になる日まで、他の部署で働いたことはない。しかし、他の部署の仕事を知り尽くし、それぞれの問題を理解していた。
 ドラッカーはまず、日本企業の頻繁な人事異動が必ずしも常態化しているわけではないことを示している。スペシャリストも少なからず存在する。ただし、彼らは特定の分野のみしか知らない偏狭なスペシャリストではない。それを防いでいるのが、前述した「継続的訓練」である。

 ある分野に軸足を置きながらも、広い視点で物事を俯瞰できる人材を育成することに日本企業は成功している。逆に、欧米の研修プログラムは自分の専門性を深めることだけに注力しており、他の専門分野の理解をおろそかにしているため、セクショナリズムを助長している、とドラッカーは述べている。

(5)経営上の「教父」
 日本の経営トップはいまなお、若い人々に重大な責任を感じている。彼らは若い世代を育てるという責務を、社歴の若い上級管理職による非公式ネットワークを通じて実行している。こうした上級管理職たちは、若い社員が入社後の10年ほど、「教父」(godfather)のような役割を果たすのである。

 (中略)教父に選ばれるのは、上級管理職のうち、いずれ55歳になったら子会社もしくは関係会社の経営陣に転出するであろう人々である。つまり、経営陣への道が用意されている45歳をすでに過ぎており、自分が会社ではもはや「大成」できないことを知っている人が教父となるのだ。
 今であれば「メンター制度」という言葉を使った方が理解しやすいだろう。教父=メンターは若手社員の面倒を見続け、長い時間をかけて資質や才能を見極める。そして、教父は経営陣と膝を交えて、誰が次世代の経営者に向いているのかについて議論を重ねるのである。

 「55歳で定年する」という部分で「あれっ?」と思われた方もいらっしゃると思うが、実はこの論文は1971年に発表されたものである。ということは、ドラッカーが観察していたのはちょうど高度経済成長期の日本企業である。この論文で描かれている日本企業は、現在の私たちが(しばしば欧米型の)理想的なマネジメントとして想定するような姿である。このことに私は驚かされた。ドラッカーの眼に映るかつての日本企業は、非常に優れたマネジメントを実現していたのである。

 もちろん、ドラッカーの見方が本当に正しいのかどうか検証する余地はあるし、過去と現在では事情が異なるから、過去のやり方をそのまま復活させれば日本企業は再生するという単純な話でもない。だが、この論文を読んでいると、日本企業はいつの間にか自分の手で自らのよさを押し殺してしまったのかもしれないという気持ちになってくる。
February 27, 2010

ドラッカーはなぜ「権威」と呼ばれるのか?−『ドラッカーの思考(DHBR2009年12月号)』

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 あちこちに脱線した記事を書いていたら、2月中にDHBR2010年3月号までの書評を書くのは厳しくなったなぁ・・・。ようやく2009年12月号まで来たよ。でも、この号も中身の濃いドラッカー特集だから、1回の記事では収まらないことが確定。2010年分は3月に入ってからということで。

 ドラッカーは、それまで企業のトップ層の「人間」を意味する言葉でしかなかったマネジメントを、社会が発展する上で不可欠の「機関」として捉え、その適用範囲と責務の説明に生涯を費やした。ドラッカーが生み出した数多くのマネジメントの原則は、数多くの経営者やビジネスパーソンとの議論、そして世界中の企業や組織(病院や大学、非営利団体なども含まれる)に対するコンサルティングの経験から導かれている。

 ドラッカーは目標管理制度や知識労働者、分権化、ABC会計など、現在の経営学の教科書には必ず載っているようなマネジメントのコンセプトをいくつも生み出してきた。だが、ドラッカーの主張が全て彼の専売特許であるわけではない。実際には他の経営学者の主張と重複する部分や、必ずしもドラッカーの方が早く提唱したとは言えない事柄も存在する。例えば、ドラッカー自身は『創造する経営者』の中で初めて「企業戦略」という言葉を使用したと主張しているが、一般的にはイゴール・アンゾフが企業戦略の生みの親だと言われている。

 それでもやはりドラッカーの思想が世界中の多くのビジネスパーソンに支持され、彼がマネジメントの「権威」と呼ばれるのは、彼の思想が非常に膨大な文献や資料に基づく「歴史的な深み」を兼ね備えているからである。単なる一般化に留まるだけではなく、その原則を原則たらしめている要因を、時間軸を遡って掘り下げていく。

 本号の中で、アラン・M・カントローはドラッカーの思考プロセスについて次のように述べている。
 ドラッカーの考え方には、歴史的あるいは文化的背景がうかがわれる一方で、論理的な議論が存在する。前者によって、前提と概念的な語彙が明らかになる。また後者によって体系的な説得力が生まれる。また、前者によって時間と場所が特定され、後者によって一般的な適用が可能になる。そして、前者はその相対性を、後者は普遍性を強調する。
(アラン・M・カントロー「なぜドラッカーを読むのか」)
 私なんかは、ドラッカーの著書を読んでいると、たまに歴史学か文化人類学の本を読んでいるのではないかという錯覚に陥ることがある。そして、ドラッカーのたぐいまれな文章力がその錯覚を増幅させる。しかし、その錯覚は決して幻想なのでななく、真実に貴重な価値をちゃんと付け加えているのである。
February 21, 2010

記念すべき600回目の記事は渋沢栄一の名言で

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 2005年5月のブログ開設以来、足掛け5年弱でようやく600個目の記事にたどり着いた。アクセス数も来月中にはおそらく10万に達する見込み。いつも読んでくださる皆様、どうもありがとうございます。アクセスカウンターを設置した日には、6桁目が埋まる日は遠いなぁと思っていたが、ここにきて現実味が出てきてドキドキ。

 記念すべき600回目は、久しぶりに「勝手に集めた名言集」シリーズをやってみようと思う。紹介するのは、「論語を経営学の次元に高めた渋沢栄一−『論語の経営学(DHBR2009年10月号)』」でも取り上げた渋沢栄一の名言。
 金は働きのカスだ。機械が運転しているとカスがたまるように、人間もよく働いていれば金がたまる。

 仁義道徳と金儲けの商売とが、その根本において異背するように思われるが、けっしてそうではない。論語を礎として商業を営み、算盤をとって士道を説くこそ非常の功である。
(引用は『Management & History 歴史の知をビジネスに生かす』2009年1月による)

城山 三郎
新潮社
1976-05
おすすめ平均:
実業家・渋沢栄一の波乱万丈の前半生を描く
渋沢栄一の半生を描く名作
渋沢栄一伝
城山 三郎
新潮社
1976-05
おすすめ平均:
城山歴史小説の隠れた佳作
日本初の財界人
渋沢 栄一
筑摩書房
2010-02-10
おすすめ平均:
名著「論語と算盤」のわかりやすい現代語訳版
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 先日の記事でも書いたように、渋沢は『論語』に基づいた経営、つまり道徳と経済の両立を目指していた。モラルの追求と利益の追求という一見相反する2つのベクトルを、渋沢は『論語』(をはじめとする中国古典)を深く読み込むことで統合させることに成功した。

 それが顕著に現れているのが、孔子の「富と貴(たつと)きとは、是れ人の欲するところなり。その道を以てせずしてこれを得れば、処(お)らざるなり。貧しきと賤しきとは、是れ人の悪(にく)むところなり。その道を以てせずしてこれを得れば去らざるなり」という言葉をめぐる解釈であろう。

 渋沢は「孔子は決して富貴を嫌ったわけではない。『道を以てせずしてこれを得れば』という言葉によく注目なければならない。道理を伴った富貴でなければむしろ貧賤の方がましだが、道理を伴った富貴であれば問題ないという意味だ」と捉えている。要するに、利益の追求を道徳の追求の範囲内で正当化したのである。

 欧米では、「企業」という存在そのものの正当性に疑問が投げかけられた時期があった。企業否定派は、企業の利益は国家の利益と相反するものであり、企業が繁栄すればするほど、国家が本来もっていた「財やサービスの提供」という機能が弱められ、社会全体の雇用が不安定になると主張した。企業の正当性をめぐる論争は20世紀に入ってからも数十年続いていた。

 渋沢は、明治維新後の日本が欧米列強と対等に渡り歩くためには、国家が豊かになる必要がある。そのためには、企業が利益を上げ、産業界を盛り上げることが不可欠であると考えていた。渋沢は早くから、国家と企業の利益は一致することに気づいていたのである。ピーター・ドラッカーが1940年代の著書で、
 企業はと社会は、企業の経営の健全性について共通の利害を有する。企業の経営の失敗は国民経済を害し、ひいては社会の安定を害する。社会は、優れた経営陣だけが実現することのできる価格政策、雇用、人事、マネジメントを必要とする。
(※GMの破綻やJALの再建問題が社会全体の関心事となり、国民に大きな影響を及ぼしていることを考えれば、この文章の意味するところがよく解る)
(ピーター・ドラッカー著、上田惇生訳『企業とは何か−その社会的な使命』ダイヤモンド社、2005年)
と述べるよりもはるか昔のことである。この先見性は改めてすごいと思う。
February 13, 2010

良質の「準備ルーチン」は創造性を生む(補足)

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 以前、「良質の『準備ルーチン』は創造性を生む」という記事で、ルーチン業務は人間の創造性を奪うという「計画のグレシャムの法則」に対し、業務外の準備段階におけるルーチンは逆に人間の集中力を高め、本番=業務での創造力を増す効果があるのではないか?ということを書いた。今回はその補足として、いろんな人の「準備ルーチン」を集めてみた。

松下幸之助
 経営者として客観的に、素直な心で物事を観察し、本質を見抜くために長年実施していた準備ルーチン。
 朝起きたら、仏壇のあるところやったら仏壇、神棚のあるところやったら神棚の前で、「きょう一日素直な心で無事にいかせてください」と心に念ずる。

 それを30年やったらな、30年続けたら、まあ大きなまちがいなく、素直な心で、ものは見えるやろうと。要は素直の初段やな。(中略)今、もう35年になるからな、まあ、ようやく初段になったくらいや。だから、こういう考え方はあかん、これはこうしたほうがええということがある程度わかる。初段の程度でわかると。
(松下幸之助述、松下政経塾編『リーダーになる人に知っておいてほしいこと』PHP研究所、2009年)

松下 幸之助
PHP研究所
2009-03-24
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人生訓として是非読んでおきたいです
今年一番の作品 名著
穏やかな気持ちになれる
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中村俊輔
 スポーツ選手の中でも特に優れた選手は、必ずと言っていいほど自分なりに工夫した良質の「準備ルーチン」を持っており、試合の前後に実践していると思う。数いるプロ選手の中でも最前線で活躍し続けることができる選手と、数年で消えてしまう選手の違いはそこにあるような気がする。
 彼は試合後、どんなに疲れていてもフリーキックの練習をして帰宅します。いつも何球蹴るか数字を決めていて、それを自分に課しています。途中できょうは体調が悪いな、早く帰りたいなと思っても、決して例外をつくらず、課した球数を蹴るまでは絶対に家に帰りません。なぜなら、そこで球数を減らしたら最後、どんどん自分に甘くなるからだと言います。
(村山昇著『ぶれない「自分の仕事観」をつくるキーワード80』クロスメディア・パブリッシング、2009年)

村山 昇
クロスメディア・パブリッシング(インプレス)
2009-05-14
おすすめ平均:
30歳前後の方(=私と同世代の方)に勧めたい本です
ヒントがたくさん詰まった本
滋味
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菅野寛(ボストンコンサルティンググループ ヴァイス・プレジデント アンド ディレクター)
 BCGに入社して3年目の頃、菅野氏は上司や同僚から、「ロジカルに物事を考えてクライアントに物申すことはできても、クライアントの気持ちを理解する力に欠けている」という評価を受けた。このままではコンサルタントとしての成長が止まってしまう。そこで、クライアントが心の底から納得し、厚い信頼を勝ち取れるよう、次のようなトレーニングを考えたそうだ。
クライアントとのミーティング前:
 私は自然体で、「今度のミーティングでどのようなロジカル・メッセージを伝えようか」と考えることはできていたので、それに加えて、「今度のミーティングでどのような”エモーショナル”・メッセージを伝えようか」と考えて、ノートに書き留めることを習慣にすることにした。もし筆が止まって、伝えるべきエモーショナル・メッセージを書くことができなければ、相当まずい、と思うことにした。

クライアントとのミーティング後:
 今日のミーティングでクライアントが伝えようとしていたエモーショナル・メッセージは何かを考え、必ずノートに書き留める習慣をつけた。もし筆が止まって、書き留めることができなければ、これは相当まずい。クライアントの伝えてきたロジカル・メッセージがわからなければ、経営コンサルタントとして、次の調査・分析プランが立てられないではないか。エモーショナル次元でもまったく同じであると考えることにした。
(菅野寛著『経営者になる 経営者を育てる』ダイヤモンド社、2005年)
 要するに、お互いの「言外の意味」を汲み取り、ノートにまとめることを習慣化したというわけだ。

菅野 寛
ダイヤモンド社
2005-06-10
おすすめ平均:
経営スキルは“天賦の才”ではない?
経営者人材の育成に重要なのは右脳型スキル
中途半端
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ピーター・ドラッカー
 ドラッカーの「準備ルーチン」は比較的中期スパンでサイクルが回っている。DIAMONDハーバード・ビジネス・レビューのインタビューで「あなた流の自己分析法などはありますか?」と尋ねられて次のように答えている。
 記録をつけることです。私が自分の記録をつけ始めたのは30年ほど前です。

 何かを始める時や意思決定を下す時は、どんな結果を期待するのかをかならず書き留めておくことです。これに封をして、しまっておき、数ヶ月は触れないようにします。その後しばらくしてから何が書いてあったかを確かめるのです。すると、3つのことが見えてきます。

 (1)私は何が得意なのか。
 (2)新しいことを学ぶ必要があるのはどの分野か。あるいは私のナレッジ・プール(知識の集積)はどの分野にあるのか。
 (3)不得手な分野は何か。

 私はいまでも年に2回、1月と8月にこれを実施しています。いまでも必ず驚くのですよ。自分の行動や考えのなかで「これこそ最善である」と思ったものは、まずうまくいきません。逆にあまり注意を払わなかったものが素晴らしい成果につながる。これこそ私が得意とするところなのです。
(ピーター・ドラッカー「明日への指針(上)」『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2003年11月号)
 私自身も、読書やこのブログを完全に習慣化したいのだが、なかなかできていないなぁ・・・
February 06, 2010

知識労働者にとっての最大の報酬は「知識」

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 ドラッカーは20世紀に急速に台頭してきた「知識労働者(ナレッジ・ワーカー)」について、金で動機づけることはできないと再三指摘してきた。彼らに対しては、上司−部下の上下関係ではなく、パートナーとして接しなければならないとも主張している。
 まさに出現しようとしている新しい経済と技術において、リーダーシップをとり続けていくうえで鍵となるものは、知識のプロトしての知識労働者の社会的地位であり、社会的認知である。

 (中略)ところが今日、われわれは資金こそ主たる資源であり、その提供者こそが主人であるとの昔からの考えに固執し、知識労働者に対してはボーナスやストックオプションによって昔ながらの社員の地位に満足させようとしている。そのようなことは、一時のネット企業のように株価が高騰している間しか通用しない。

 (中略)新産業が頼りにすべき知識労働者を、金で懐柔することは不可能である。もちろんそれらの新産業に働く知識労働者も、実りがあれば分け前を求めるだろう。だが、実りには時間を要する。今日のような短期的な株主利益を目的とし目標とする経営では、10年ももたない。それら知識を基盤とする新産業の成否は、どこまで知識労働者を惹きつけ、留まらせ、やる気を起こさせるかにかかっている。
(ピーター・ドラッカー著、上田惇生訳『ネクスト・ソサエティ』ダイヤモンド社、2002年)

P・F・ドラッカー
ダイヤモンド社
2002-05-24
おすすめ平均:
将来を見据えるための枠組み、ブロックを提供してくれる本
老後はパートしなければだめなのか・・
派遣切り、情報リテラシー・・・今の問題が全部書いてある!
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 ドラッカーが知識労働者という言葉を使う場合の「知識」はどこまでの範囲を指しているのかは必ずしも明確でない(と私は感じている)。ドラッカーの他の著書も合わせて総合的に解釈すると、「(高等教育を中心とする)正規の教育によって習得される専門知識や技能」を意味しているように思える。だから、どちらかといえば、知識を狭く捉えている印象がある。

 『クリエイティブ資本論』の著者であるリチャード・フロリダは、上記のような知識だけでは仕事はできないという問題提起を行い、「創造性」を武器にする「クリエイティブ・ワーカー」という概念を生み出した。

リチャード・フロリダ
ダイヤモンド社
2008-02-29
おすすめ平均:
数少ない手本となる書
新時代に向かった「見えない社会勢力革命」を見える化した画期的著作
ドラッカーの予測通りになってきた
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 ただ、個人的にはこうした議論は「知識」の定義をめぐる細かい議論にすぎないのであって、重要なのは、現代経済においては、単なる肉体労働者ではなく、「頭を使う社員」が圧倒的多数を占めているという事実である。私なりに知識の範囲を明らかにするならば、ある専門領域における高度な知識や技能に加え、協業やチームワークによって創造力を発揮し成果を上げるのに必要な行動特性(コンピテンシー)も入ってくる。また、哲学の世界において、知識が「正当化された真なる信念」と定義されていることからも解るように、知識とは客観的であるようで実は主観的でもある。つまり、知識には、個人または社会的基盤に由来する価値観やアイデンティティが反映されている。

 知識労働者を金で動機づけることに限界があるとしたら、彼らにどのような報酬を与えればよいのか?私の考えは明快で、知識労働者にとっての最大の報酬はやはり「知識」である、ということだ。これには2つの意味合いがある。1つは自らの既存の知識が仕事において活かされるということであり、もう1つは組織や他者から与えられる別の知識と溶け合うことによって、自らの知識が強化・更新されるということである。

 ここから導かれるマネジメントの責務は、まず第一に知識労働者が拠りどころとしている知識が活かされる仕事を用意することである。そして、教育訓練の場においては継続的に知識を更新する機会を提供し、日常業務においては創発的に新たな知識が生み出されるコラボレーションを推奨することが求められる。

 また同時に、知識労働者自身も、自らが強みとする知識が何であるかを明らかにし、組織に対してそれを知らせなければならない。そうでなければ、やりたいと思う仕事も舞い込んでこない。さらに、自分とは異なる知識を尊重し、いいところを積極的に取り入れる姿勢を取る必要がある。それによって、自らの知識の陳腐化を防ぐことができる。

 従来の動機づけ理論には、「内発的動機づけ」と「外発的動機づけ」という区分が存在し、両者のどちらを優先させるべきかというような二項対立的な議論が見られた。しかし、知識労働者は、「知識」を仲立ちとして内発的にも外発的にも動機づけられる。

 金は使えば消えてしまうのに対し、知識はその気になれば永遠に進化させることができる。こうした表現はあまり品がないと思われるかもしれないが、新たな知識があれば、新たな仕事が生まれ、新たな金を呼び込むことができる。だから、マネジメントは知識労働者に対して、金ではなく知識を与えなければならない。金は報酬ではなく、知識の副産物にすぎない。
January 27, 2010

発想を広げるプロセス改革の視点(補足)−体系的廃棄とは何か?

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 「発想を広げるプロセス改革の視点(1):問題だと思ったことは本当に「問題」か?」の中で言葉だけ触れた「体系的廃棄」だが、ドラッカーは次のように説明している。
 チェンジ・リーダーとなるために必要とされる条件の第一が、変化を可能にするための仕組みとしての廃棄である。最初に行なうべきは、もはや成果を上げられなくなったものや、貢献できなくなったものに投入している資源を引き上げることである。昨日を棄てることなくして、明日をつくることはできない。(中略)チェンジ・リーダーとなる組織は、あらゆる製品、サービス、プロセス、市場、流通チャネル、顧客、最終用途を点検する。しかも常時点検する。
 そして、「常時点検」している企業の例として、あるアウトソーシング企業のケースを紹介している。
 世界的に活動しているあるサービス受注会社では、毎週第一月曜日の午前、トップから現場管理者にいたるあらゆるレベルで、自社の活動のすべてについて、廃棄を目的とする会議を開いている。月曜にはある事業について、次の月曜にはある地域について、その次の月曜には事業の進め方について、というように活動を精査する。

 こうして一年間に、人事政策を含むあらゆる活動を点検する。事業そのものの可否について三つ四つの大きな決定を行ない、事業の進め方についてはほぼその倍の決定を行なう。さらには新しく始めることについて、三つから五つの決定を行なう。
 ここまで体系的廃棄が仕組み化されているのは本当に凄いことだと思う。毎回の会議は非常に緊迫感のある雰囲気で行われていることだろう。

 成果を上げられなくなったものを廃棄するためには、前提として「何が自社にとっての成果なのか?」を的確に定義しなければならない。そして、「その成果を上げるために、自社のどのような強みを活かすのか?」を考察する必要がある。この作業には、自社の経営資源やプロセス、慣行、ルール、価値観、そしてそれらの裏にある企業固有の文化・歴史的背景に対する深い知覚が求められる。なぜならば、これらは複雑に関係しており、互いに影響し合って自社の強みを形成しているからだ。

 財務的な数字が一時的に改善するからといった表面的な理由だけでいろんなものを捨ててしまうと、本来捨てる必要のないものまで捨ててしまう危険があるから要注意だ。

P.F. ドラッカー
ダイヤモンド社
1999-03
おすすめ平均:
ドラッカーのすごさがわかる本
すばらしいっす。
噛みしめて読みたい
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December 08, 2008

他人の時間を盗むとはいかがなものか?

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 個人的な話だが、私は待たされるのが嫌いである。特に、会議で誰かが遅れてきたために待たされる時などはかなりイライラする。自分の時間を他人に盗まれたような気分になるからだ。

 他人の金銭や所有物を盗むことは犯罪である。他人の情報を盗むことも犯罪である。他人の知的財産を侵害してもやはり犯罪になる。ところが、他人の時間はいくら盗もうが無駄にしようが犯罪にはならない。これが、時間の侵害に対する認識を甘くさせている。

 もっとも、時間と他の財産を同列に論じるのは無理があるのかもしれない。時間の侵害は、他の財産の侵害に比べればそれほど大きな被害にはならない。例えば、誰かが遅刻してきたせいで会議の開始が遅れ、予定より15分オーバーして終了したとしよう。その15分の遅れによる被害は何かといえば、せいぜい会議が終わってからしようと思っていたメールや電話が15分遅れるといった程度である(時にその15分の遅れが致命傷となることもあるのだが…)。確かに自分の時間は15分盗まれたが、被害の内容はそれほど大したものではない。

 とはいえ、会社から見れば見えないコストが発生する。会社は人件費を払っているわけだから、遅刻によって無駄な時間が発生すれば、その分余分な人件費を払うことになる。遅刻による会議の遅延がもたらす被害を金額に換算してみよう。出席者が6人の会議で、1人が遅刻したために、会議の終了が15分遅れたとする。出席者の平均月給が50万円、月の平均勤務時間が200時間(10時間/日×20日)とすると、出席者1人あたりの時間単価は、50万円÷200時間=2,500円だ。遅刻による直接の損害は、5人が会議に余計に費やした時間分の単価になるから、2,500円×15/60分×5人=3,125円となる。要するに、遅刻者は会社のお金を3,125円分無駄遣いしたことに等しい。

 はっきり言って、それほど大きな金額ではないかもしれない。だが、この遅刻者が常習犯であれば上記のコストはどんどん増えていく。常習犯が会社のあちこちにいれば、遅刻による損害はもっと膨らんでいく。さらに、会議での決定事項を待ってすぐに作業に取り掛かろうと、会議の終了を会議室の外で待っていた社員がいれば、会議が延びる分だけ彼らも待たされることになり、また見えないコストが発生していく。こうして、遅刻が会社のお金を地味に侵害していく。

 まあ、かくいう私も会議に絶対に遅刻しないなどということはないので、遅刻には本当に気をつけようと思う。

 最後に、ついでと言っては何だが、ドラッカーの著書『経営者の条件』から時間に関する名言を一つ。
「時間は、借りたり、雇ったり、買ったりできない。供給は硬直的である。需要が大きくとも供給は増加しない。価格もない。限界効用曲線もない。簡単に消滅する。蓄積もできない。永久に過ぎ去り決して戻らない」
November 03, 2008

ピーター・ドラッカーの名言が毎日PCで読める

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 ダイヤモンド・オンラインメールマガジン会員登録をすると、「ピーター・ドラッカーの名言が毎日読めるデスクトップカレンダー」をダウンロードできるようになる。毎朝パソコンを起動するたびに、日替わりでドラッカーの名言が表示される。

 ちなみに、今日(11月3日)の名言はこれ。
 「情報は、事業の定義が前提としているものの有効性を知るために必要とされる。」
(『明日を支配するもの』/eラーニング『データ通から情報通へ』)
 経営戦略を立案するときだけでなく、経営戦略の有効性をチェックするためにどれだけ情報を入手できているか?と問いかける言葉だ。

 ただ、私はパソコンをつけっ放しにすることがほとんどで、2週間に1回ぐらいしか再起動しないので、あまり役に立っていないかも、汗。

 元ネタはこの本なので、もっと詳しく名言を読みたい場合はこちらで。

P.F.ドラッカー
ダイヤモンド社
おすすめ平均:
マネジメントを読み、考え、実践するための教本だが、三日坊主で終わらぬように
毎日少しづつ
勇気がでます
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June 29, 2008

鬼の厳しさで?レビュー−『電通「鬼十則」』

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電通「鬼十則」 (PHP文庫)
植田 正也
PHP研究所
2006-09-02
定価 ¥ 520
おすすめ平均:
編集者は何をした?
吉田秀雄氏に失礼
微妙な一冊
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 コンサルティング鬼十則(完成度30%未満)を書くにあたって、鬼十則の裏にある考え方や、吉田秀雄氏の人となりを知ろうと買った本…なのだが、えーと、結論から言うと、目次だけ読めば十分。何か損をしたようで悔しいので(?)、目次に書かれている鬼十則をここにも書いておく。
電通「鬼十則」
 その一 仕事は自ら「創る」可きで 与えられる可きではない
 そのニ 仕事とは 先手先手と「働き掛け」て行くことで 受け身でやるものではない
 その三 「大きな仕事」と取組め 小さな仕事は己れを小さくする
 その四 「難しい仕事」を狙え そして之を成し遂げる所に進歩がある
 その五 取り組んだら「放すな」 殺されても放すな 目的完遂までは
 その六 周囲を「引き摺り廻せ」 引き摺るのと引き摺られるのとでは 永い間に天地のひらきが出来る
 その七 「計画」を持て 長期の計画を持って居れば 忍耐と工夫とそして正しい努力と希望が生れる
 その八 「自信」を持て 自信がないから君の仕事には迫力も粘りもそして厚味すらがない
 その九 頭は常に「全廻転」 八方に気を配って一分の隙もあってはならぬ サービスとはそのようなものだ
 その十 「摩擦を怖れるな」 摩擦は進歩の母 積極の肥料だ でないと君は卑屈未練になる

つぎはぎ知識のオンパレード
 この本の購入を検討している方のために申し上げておくと、私と同じ動機で購入されるのは止めておいたほうがよい。この本は鬼十則の解説ではない。まして、吉田秀雄氏の功績や思想を世に紹介する本でもない。著者の植田正也氏が、極度の集団主義批判と個人主義崇拝に任せて、勢いで自分の書きたいことを書き散らかした本である。ただ書きたい放題やっていいる上に、聞きかじりの知識が随所に埋め込まれているので、非常に読みにくい。

 聞きかじりの知識をひけらかす人の文章の特徴として、「突然高尚なことを言い出すが、すぐに説明が終わる」という点がある。要は、所詮聞きかじりなので、それ以上の深い分析や洞察ができないのである。例えば以下の部分。
 「国政においては、自由民主主義の旗印のもと、国が国民の面倒を見るという、まやかしを行なったことである。結果、どうなったか。過剰な依頼心を植えつけ、乞食根性を醸成した。自主独立の気概を根本から奪ってしまったのだ。

 教育はどうか。平等主義の名のもとに、戦後の日教組が無責任な教条主義と、自己中心的な個人主義をばらまいた。お陰で、今日の教育の頽廃を招いた。個性を謳い、個性を殺す教育をした。」(p119)
 …説明飛ばしすぎでしょう、いくら何でも。
 「もともと和は集団統治の思想で、個を認めない考え方である。第一に、個性とか個人を優先しない考え方である。個よりも集団を最優先することで、国なり地域なり、さらには会社なりを治めるための一つの手法が和の強調である。典型的農耕社会の掟である。農業国家型日本のパターンである。

 どちらかと言えば、社会学的に遅れた集団の統治手法である。いまや先進国では通用しにくい、遅れた手段といえる。」(p185-186)
 「社会学的に遅れた集団の統治手法」だと言ったのがどこの人たちで、彼らがどう主張しているのかを整理したうえで、自分の考えを書くべき。結論ありきで言いたいことを言うために、もっともらしく根拠を付け加えたとしか思えない。

つぎはぎ知識をひけらかす人は簡単なところでコケル
 手厳しいようだが、「自分の頭で考えよ」と読者に呼びかける割には結構考えが抜けている。
 「文藝春秋の名編集長で、のちに社長になった池島信平は、かつてこう言っている。『本を読め、人に会え、そして旅をしろ』…寺山修二の『書を捨てよ、街へ出よう』(芳賀書店)も、同じ発想である。みなさん、旅に出よう。本を読んで、人に会って、旅に出よう。」(p72)
 「書を捨てよ」という言葉はこの文脈の中でどう理解したらいいのか?
 「いくつか日米プロ野球を比較して、面白くない点を挙げる。このままだと日本のプロ野球人気は、確実に落ちる一方だ。
(1)スピード感がない。
(2)捕手の出すサインなどの時間のかけ過ぎ。
(3)ダイナミックでない。
(4)スタジアムが美しくない。
(5)笛や太鼓が騒がしい。
 やはり、野球の歴史が違うのだ。ベースボールと野球の違い、大リーグと小リーグの違いがある。小細工が、日本のプロ野球には多過ぎるのだ。」(p82)
 「日本の野球がちょこまかしているから人気がない」。百歩譲ってそうだとしよう。(4)と(5)は何なの?

この本とドラッカーの本だったら後者を読んだ方がいい
 はしがきにはこんな記述がある。
 「ピーター・ドラッカーもロバート・ライシュも、もちろん役に立つし、すばらしい。ハーバード・ビジネススクールもスタンフォード・ビジネススクールも大いに活用した方がいい。しかし、宇宙の原理原則は、科学者や学者だけの専売特許ではない。…

 この電通『鬼十則』は、電通の四代目社長吉田秀雄が、昭和二十六年八月に社員のために書き留めたビジネスの鉄則、つまり原理原則である。」(p9)
 電通「鬼十則」もピーター・ドラッカーのように原理原則を述べている(ちなみに、昭和26年と言えば"Concept of the Corporation"(『企業とは何か−その社会的な使命』)の出版より6年早い)。だから電通「鬼十則」も読むべきだ、とでも言いたいのだろうが、肝心の解説本がしょぼいならば、ピーター・ドラッカーの本を読んだ方がよっぽど有益である。

 ところで、肝心の「コンサルティング鬼十則」の続きは、もうしばらく時間を下さい。
April 10, 2006

ドラッカーによるイノベーションの「7つの機会」

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 ドラッカーは『イノベーションと起業家精神』の中で、イノベーションの機会には次の7つがあると述べています。

新訳 イノベーションと起業家精神〈上〉その原理と方法


(1)予期せぬことの生起。予期せぬ成功、予期せぬ失敗、予期せぬ出来事。
 最もリスクが少なく、最も容易にイノベーションの機会となるものだが、往々にして無視される。IBMは当初、科学計算用にコンピュータを作ったが、企業が給与計算などの世俗的な仕事にコンピュータを使い始めた。IBMにとっては予想外の出来事で戸惑いを感じずにはいられなかったが、すぐにこのニーズに応じた。

(2)ギャップの存在。現実にあるものと、かくあるべきものとのギャップ。
 ギャップには業績ギャップ、認識ギャップ、価値観ギャップ、プロセス・ギャップの4種類がある。

 a.業績ギャップ=製品やサービスに対する需要が順調に伸びているにもかかわらず業績が芳しくない場合。
 b.認識ギャップ=ある産業の内部にいる人たちがものごとを見誤り、現実について誤った認識を持っている場合。
 c.価値観ギャップ=生産者や供給者が提供していると思っている価値と、顧客が真に必要としている価値との間に違いが存在する場合。
 d.プロセス・ギャップ=何か1つの作業を行う一連のプロセスの中で、不安に感じたり困ったりする部分がある場合。

(3)ニーズの存在。
 漠然とした一般的なニーズではなく、具体的なニーズでなければならない。

 a.プロセス・ニーズ=プロセス・ギャップから生じるニーズ。
 b.労働力ニーズ=労働力不足の懸念から生じるニーズ。製造業においてロボットが半熟練労働に取って代わるようになったのは、労働力ニーズの圧力があったためである。
 c.知識ニーズ=新しい知識を必要とする場合。それらの新しい知識は開発研究によって生み出される。

(4)産業構造の変化。
 自動車産業がよい例である。第一の波は20世紀の初頭に訪れた。自動車はかつてのような金持ちの贅沢品ではなくなり、大衆に広まりつつあった。フォードの「Tフォード」はこの産業構造の変化を利用したものである。

 第二の波は1960年代から80年代にかけてやってきた。自動車メーカーはそれまでの自国市場独占型の戦略を捨て、グローバル戦略に切り替える必要があった。この動きに真っ先に乗じたのが日本の自動車メーカーであった。GMは日本のメーカーに後れを取ったものの、グローバル企業になる決意をした。クライスラーは完全に乗り遅れた。

(5)人口構造の変化。
 人口の増減や年齢構成、雇用や教育水準、所得などの人口構造の変化は明白である。人口構造の変化は突然訪れるものであるかのように認識されている。しかし、20年後に労働力人口に加わる人々は既に生まれている。人口構造の変化が生じるまでには、予測可能なリードタイムが存在する。

(6)認識の変化、すなわち、ものの見方、感じ方、考え方の変化。
 コップに「半分入っている」と捉えるか「半分空である」と捉えるかは全く違う。従って、取るべき行動も違う。かつて食事の仕方は所得階層によって決まっていた。一般人は質素な食事をし、金持ちは豪華な食事をした。しかし現在は、一般人が質素な食事もすれば豪華な食事もする。

(7)新しい知識の出現。
 一般にイノベーションと呼ばれるものである。起業家精神のスーパースターと言える。成功すれば有名になれるし、金持ちにもなれる。しかし、最も成功が難しいのもこのイノベーションである。

 知識によるイノベーションは、実を結ぶまでのリードタイムの長さ、失敗の確率、不確実性、付随する問題が他のイノベーションとは全く異なる。知識によるイノベーションのリードタイムはおおよそ30年である。

 (1)から(4)は、企業や社会的機関の組織の内部、あるいは産業や社会的部門の内部の事象であり、内部にいる人にはよく見えるものです。他方(5)から(7)は、企業や産業の外部における事象です。この7つの順番には意味があり、信頼性と確実性の大きい順に並んでいます。


《補足》 ちなみに『イノベーションと起業家精神』の下巻では、起業家精神を実現するためにどのようなマネジメントをするべきか、イノベーションを実現する戦略にはどのような種類があるか、という点について論説している。

 「イノベーションのための組織は既存組織と切り離し、人事制度や報酬制度は別途構築すべきだ」「買収すればイノベーションが容易になるとは限らない」といった主張は、クレイトン・クリステンセンのイノベーション理論にも影響を与えていると思われる。

「新訳」イノベーションと起業家精神〈下〉その原理と方法
November 14, 2005

ピーター・F・ドラッカーの名言

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 「われわれは、教育ある人間とは何かを定義しなおさざるをえなくなる。昔から、とくにこの200年ないしは300年前から、少なくとも西洋では(そして日本でも、ちょうどその頃から)、教育ある人間とは、一般的な知識を有する者のことであるとされてきた。

 すなわちそれは、ドイツではアルゲマイネ・ビルドゥング(一般教養)と呼ばれ、イギリスでは(そして、イギリスにならって19世紀以降のアメリカでは)リベラル・エデュケーション(教養)と呼ばれたものを有する者を意味した。

 しかしこれからは、教育ある人間とは、いかに学ぶかを学んだ者、そしてその一生を通じて学び続けた者、とくに正規の教育によっていかに継続して学ぶかを学んだ者を指すことになる。」
(P・F・ドラッカー著『未来への決断 大転換期のサバイバル・マニュアル』)
 ピーター・F・ドラッカー
 ドラッカーの文章の中で私が最も好んでいる部分。後期のドラッカーは経営以外にも政治、経済に関する論文を多数書いたが、実は教育について言及することも多かった。最後まで教壇に立って社会人教育の現場に携わり、また自身も最後まで学び続けた(ここ3年でシェークスピアの全集を学んだことが『ドラッカー20世紀を生きて―私の履歴書』にも書かれていた)ドラッカーは、まさにこれからの「教育ある人間」を身をもって示した人物であった。

未来への決断―大転換期のサバイバル・マニュアル未来への決断―大転換期のサバイバル・マニュアル
P.F. ドラッカー Peter F. Drucker

ダイヤモンド社 1995-09

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September 18, 2005

ドラッカーは理性万能の啓蒙主義哲学を嫌い、生物的な世界観を求めている

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 今日はドラッカーの名著を、ちょっと変わった視点で眺めてみようと思います。
 哲学という言葉を安易には使いたくない。できればまったく使いたくない。大げさである。

マネジメント[エッセンシャル版] - 基本と原則マネジメント[エッセンシャル版] - 基本と原則
ピーター・F・ドラッカー 上田 惇生

ダイヤモンド社 2001-12-14

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 ドラッカーの名著『マネジメント』にはこんな言葉があって、なぜか私の記憶に妙に鮮明に残っています。ドラッカーは経営哲学を生み出した、という評価がされることが多いですが、ドラッカー自身は「哲学」というものをどのように見ているのでしょうか。

 一口に哲学と言っても様々な思想の潮流があるので、ドラッカーの哲学に対する態度をこれだと断定することはできません。しかし、ドラッカーが確実に忌み嫌っている哲学の分野が一つあります。それは啓蒙思想です。
 政治や歴史の本によれば、今日われわれが享受している自由のルーツが啓蒙思想とフランス革命にあることは、ほとんど自明のこととされている。今日ではこの考えがあまりに広く受け入れられるようになったため、十八世紀理性主義の弟子たちが、自由の名を独り占めにして自らリベラルを名のるにいたっている。

 …しかし彼らが与えた影響は、まったく否定的なものだった。…一九世紀の秩序が基盤とする自由の構築に対しては、いかなる貢献も果たさなかった。それどころか、啓蒙思想とフランス革命、および今日の理性主義のリベラルにいたるその弟子たちは、自由にとって許すべからざる敵の役割を果たした。基本的に、理性主義のリベラルこそ、全体主義者である。

 過去二〇〇年の西洋の歴史において、あらゆる全体主義が、それぞれの時代のリベラリズムから発している。ジャン・ジャック・ルソーからヒトラーまでは、真っ直ぐに系譜を追うことができる。

ドラッカー名著集10 産業人の未来 (ドラッカー名著集―ドラッカー・エターナル・コレクション)ドラッカー名著集10 産業人の未来 (ドラッカー名著集―ドラッカー・エターナル・コレクション)
P・F・ドラッカー 上田 惇生

ダイヤモンド社 2008-01-19

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 第2次世界大戦の最中に出版された『産業人の未来』の中で、ドラッカーはヒトラーの全体主義を徹底的に批判しており、今回の世界大戦は全体主義から自由を守るための戦いであると述べています。そして、この全体主義の元になったのが啓蒙思想であるというのです。

 一方で、現代哲学にはかなりの共感を寄せています。
 デカルト以来、重点は論理的な分析におかれてきた。しかし今後は、論理的な分析と知覚的な認識の均衡が不可欠となる。

 …今日の哲学者は…形態を扱う。記号、象徴、様式、通念、言語を扱う。知覚的な認識を扱う。かくして今日、機械的な世界観から生物的な世界観への移行が新たな統合哲学の登場を求めるにいたっている。

[新訳]新しい現実 政治、経済、ビジネス、社会、世界観はどう変わるか (ドラッカー選書)[新訳]新しい現実 政治、経済、ビジネス、社会、世界観はどう変わるか (ドラッカー選書)
P.F.ドラッカー 上田 惇生

ダイヤモンド社 2004-01-08

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 理性の働きを絶対視するのではなく、また、絶対普遍の真理を追究するのでもなく、自分の前に現に広がっている世界といかに対峙するか、言い換えれば世界を自らの目でどのように見るのか、という問いに答えることがドラッカーにとっては重要なのです。

 実は、冒頭で引用した文章の後には、次の文が続いています。
 しかし、自己管理による目標管理こそ、マネジメントの哲学たるべきものである。
 ドラッカーが目標管理制度に対してのみ、「マネジメントの哲学」という称号を与えた理由は定かではありません。しかしながら、ただ一つ言えることは、目標管理制度が単なるツールという俗な分類に入るものではなく、むしろ混沌とした複雑な世界に身を投げる私たちに与えられた試練と呼ぶほうが相応しい、ということです。
September 12, 2005

【ミニ書評】キャロル・ケネディ著『マネジメントの先覚者』

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マネジメントの先覚者マネジメントの先覚者
キャロル ケネディ Carol Kennedy

ダイヤモンド社 2000-03

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 100年間のマネジメントの歴史を代表する40人の理論を一挙に解説したもの。1人につき数ページのボリュームなので、マネジメント論の全体を俯瞰するには持って来い。理論の説明のほかにも、個人的なエピソードもあったりして面白い。(科学的管理法で有名なフレデリック・W・テイラーは、ピッチャーは下投げより上投げのほうが効率がいいと主張して野球のルールを変えたとか、世界的ベストセラー『エクセレント・カンパニー』の著者トム・ピーターズは2日の講演で15万ドル稼いだとか。)

 ちなみに表紙に描かれている5人は、真ん中がドラッカー、左から2人目がポーター、右から2人目が大前研一、一番左がミンツバーグだと思うが、一番右は誰の顔でしたっけ??
September 08, 2005

ドラッカーの名言「事業の目的は顧客の創造」の意義

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 事業の目的として有効な定義はただ一つである。それは、顧客を創造することである。市場は、神や自然や経済的な力によって創造されるのではない。企業人によって創造される。
 P.F.ドラッカー著『現代の経営〈上〉』からの引用です。ドラッカーは数多くの名言を残していますが、これはその中でも特に有名なものと言われています。

 「企業の目的は何か」という問いに対して、伝統的には、

(1)《2012年5月10日訂正》利潤極大化説 株主価値極大化説
 企業を株主が所有する財産とみなし、株主利益を最大化することが企業の目的であるとする説。株主が企業を実際に経営していた時代には、これは当然のものと考えられていた。

(2)経営者効用最大化説(または売上高最大化説、長期利潤極大化説)
 バーリ&ミーンズが指摘したように、株式会社の所有と支配が分離し、株主に代わって台頭してきた経営者が企業の支配権を握るようになった。経営者が自己の目的のために売上や利益を追求し、企業を支配することが企業の目的であるとした説。

 のような考え方が存在しました。一方、ドラッカーが『現代の経営』を著した前後には、

(3)共同利益目的説
 バーナードは、組織のメンバーには、従業員や株主をはじめ、金融機関、債権者、消費者など、組織と利害関係を有するすべての者が含まれるとし、利害関係者全員の共同利益となることが企業の目的であるとした。

(4)社会的責任論説
 社会的制度体としての企業は、社会に対して責任を有するとの認識から生じた説。

 などの理論が提起されています。このように諸々の見解がある中でも、やはりドラッカーの主張は独特かつ最も説得力があるものだと私は思っています。

 さすがに(1)や(2)のような主張は最近ありません。他方、(3)や(4)の説は非常に重要ではあるのですが、概念として広すぎるという印象は否めません。「企業が(他の組織と違って)企業であるための目的」を考えるならば、もっと限定的に捉えるほうが相応しいと思うのです。

 企業目的を限定的に考えるという意味で、非常に有力である説が(5)利益追求説です。文字通り、企業は利益を上げるために存在する、というものです。しかし、ドラッカーはこの説を採りません。それは、ドラッカーの「利益」に対する考え方に起因しています。ドラッカーによれば、「利益はコスト」なのです。
 利益とは、資本主義経済、社会主義経済、原始経済のいずれにおいても、…リスクに対する保険料であり、経済活動の基盤となるものである。

 利益とは、未来への賭けに伴うリスクに対する保険であるとともに、生産の拡大に必要な資本設備のための唯一の原資である。
 利益は未来の活動のための唯一の資本です。利益は、財務諸表上今年は利益かもしれないが、来年には何らかの活動のコストに転じます。利益が目的であると言うことは、コストを目的とすることに等しくなり、不適とされるのです。 

 さらに、「顧客の創造」説には、もう一つ重大な考え方が反映されています。それは、「企業の成果は企業の外部にしか存在しない。」というものです。この主張は、当時非常に画期的なものでした。

 企業は成果を上げるために活動します。しかし、その成果は組織の内部には一切ありません。組織の内部にあるのはコストだけです。組織自体はコストセンターなのです。成果は組織の外部にしか求めることはできません。そして、企業にとって企業の外部に存在するのが顧客なのです。

 私は「顧客の創造」説に初めて触れたとき、企業に金を払うのは顧客であり、顧客の金がなければ企業は存続できないので、その意味では利益追求説と大差ないのではないかと思いました。しかし、私の読みがいかに浅く恥ずかしいものであったかを後々知ることになったのでした。


《2012年5月10日追記》
 久しぶりに読み返してみると解りにくい文章だな・・・(汗)。企業の目的が利益の極大化(あるいは株主価値の極大化)だとすれば、どんな手段を使ってでも利益を上げさえすればよいことになる(利益が上がれば株主価値も上昇する)。極端なことを言うと、資本家あるいは経営者が自社の資本を株式や外貨に投資して利益を上げてもOKということになってしまう。

 企業が他の組織と決定的に異なるのは、「市場のニーズを発掘し、それを満たす製品やサービスを提供している」からであり、その意味で「顧客を創造すること」を目的とするドラッカーの考え方は非常に納得感があるのである。


《参考文献》

ドラッカー名著集1 経営者の条件ドラッカー名著集1 経営者の条件
P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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企業とは何か企業とは何か
P.F.ドラッカー 上田 惇生

ダイヤモンド社 2005-01-29

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現代経営学を学ぶ人のために現代経営学を学ぶ人のために
赤岡 功

世界思想社 1995-06

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September 01, 2005

行き当たりばったりの読書の末にたどり着いた、ドラッカーの「体系的学習」の方法

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 「体系的に学習する」−これは私が常々掲げている目標です。そして、私が好きな言葉でもあります。

 しかし、この目標を「発見」するまでには紆余曲折がありました。

 恥ずかしながら、私には、受験勉強の反動で(というのは全くの言い訳ですが…)、大学に入ってからまともに勉強をしなかった時期が2年ほどありました。講義には出席していたのですが、知識が身についている気がしないと思っていたのです。

 3回生になって、自分がビジネスのことにあまりに無知であることを思い知らされて、少しずつビジネス関連の雑誌や書籍を使いながら学習を始めました。だが、その時の書籍の選び方はあまりに衝動的で、計画性もあったものではありませんでした。とりあえず、そんなに分厚くなくて、内容も簡単そうで、かつ、興味を引くタイトルのものを買いあさっていました。

 4回生になった頃から、「1ヶ月に最低5冊は本を読む」という数値目標を立てるようになりました。しかし、依然として書籍の選び方は行き当たりばったりでした。例えるならば、どこを掘っているかもよく解らないままに、闇雲にあちこち掘り返していて、いつまでたってもお目当ての物にたどり着けそうにない、そんな状態です。

 P.F.ドラッカーに出会ったのは4回生の始めの頃でしたが、本当に偶然でした。最初に読んだのは、友人に読むように薦められた『ネクスト・ソサエティ』でした。

ネクスト・ソサエティ ― 歴史が見たことのない未来がはじまるネクスト・ソサエティ ― 歴史が見たことのない未来がはじまる
P・F・ドラッカー 上田 惇生

ダイヤモンド社 2002-05-24

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 その頃はドラッカーのことも知らなかったので、あまり気に留めてはいませんでした。ところが、社会人になってから、ドラッカーは偉大な人物であるということを聞いて、もっとドラッカーの書籍を読みたくなったのです。調べてみたら、日本で出版されているだけで30冊ほど。数に驚きましたが、4ヶ月ほどかけて、ドラッカー選書としてシリーズ化されている10冊を含め、20冊弱を読み切りました。

 一定の期間をかけて、ドラッカーという一つのテーマに絞って学習をした結果、今まで手当たり次第にやってきた学習に比べて、はるかに深い理解を得られたのです(以来、すっかりマネジメントの虜になってしまったのは、このブログからも解っていただけると思います)。加えて、まとめて学習することで、どの分野の学習が今の自分に足りないのかが明確に把握できるようになりました。

 「マネジメント」という、おぼろげながらも遠くに見える最終目標を常に見据えつつ、一つ一つの分野に対して一定の時間を費やしながら学習していく。一つの分野を学習すると、新たに学習しなければならないと思う分野が幾つも出てくるので閉口するが、それは仕方ない。とにかく一つ一つの分野の深い学習を地道に積み重ねることで、最終目標に向かって行く−これが、私の言う「体系的な学習」です。

 「体系的」と言うと、どうしても「システム」を連想させてしまうので、あらかじめ学習の対象が明確に定義されていて、学習のための計画も完璧に用意しなければならないといった、雁字搦めの学習を指しているのかと思われがちですが、私はそうではないと思っています。システムというのは、決して無味乾燥なものではなく、本来は非常に有機的で動態的なものです。また、「私にとっての」体系は、あくまで私のこれまでの理解と経験を基盤として、そこに新たな経験を連関させていくことで広がりを見せる世界に他なりません。

 ドラッカー自身、毎年3ヶ月ほど集中的に学習する期間を設けるそうです。3ヶ月あれば、1つのテーマを一通り学習することができると言います。また同時に、3年計画なるものもあるらしく、これは文字通り、あるテーマを3年かけて学習するものです。最近の3年間はシェークスピアの全集を読むことだったそうです(確か、日本経済新聞「私の履歴書」にそうあったと思います)。こうした学習が、ドラッカーの数多くの名著を生み出してきたと言えます。


 「体系的に学習する」−一生大切にしたい目標です。
August 30, 2005

ドラッカー流マネジメントにみるソクラテス的な「問いかけ」の手法

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 ドラッカーの著書を読んでいくと、とかく「問いかけ」が多いことに気付かされます。

創造する経営者 (ドラッカー名著集 6)創造する経営者 (ドラッカー名著集 6)
ピーター・F・ドラッカー 上田 惇生

ダイヤモンド社 2007-05-18

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(1964年に出版された、経営戦略に関する先駆的名著。当初は『事業戦略』というタイトルにしたかったのだが、「戦略」は軍事用語であり、企業経営に持ち込むのはよくないとの理由で、『創造する経営者』に変更されたという。)

 この著書の中には、フィリップ・コトラーよりもはるか前に、マーケティングについて概観している部分があるのですが、私たちは次のような標準的な問いに答えなければならない、と書かれています。


 「顧客はだれか、どこにいるか、いかに購入するか」
 「顧客は何を価値とみなすか、顧客のいかなる目的を満足させるか。顧客の生活と仕事において、いかなる役割を果たすか。顧客にとってその役割はどの程度重要か。例えば、年齢や家族構成など、いかなる状況のもとで、その役割は最も重要か。逆に、顧客にとっていかなる状況のもとで最も重要でないか」
 「直接あるいは間接の競争相手はだれか。彼らはいま何をしているか、明日何をしているか」
(同書p141より)


 そしてさらに、本当に重要だが、稀にしか提起されない次の問いにも答えなければならないと続けています。


 「顧客でない人たち、すなわち、市場にありながら、あるいは市場にあっておかしくないにもかかわらず、自社の製品を購入していない人たちはだれか。なぜ彼らは顧客になっていないのか」
 「顧客は何を買うか。金と時間をどう使っているか」
 「顧客、あるいは顧客でない者は、他社から何を購入しているか。それらの購入は、顧客にとっていかなる価値があるか。いかなる満足を与えているか」
 「それらの満足は、わが社の製品やサービスから得られる満足と、現実的あるいは潜在的に競合するか。それとも、それらの満足は、わが社の製品やサービス、あるいはわが社の潜在的な製品やサービスが提供できるか、あるいは、わが社の方がよりよいものを提供できるか」
 「わが社の製品やサービス、あるいはわが社が提供しうる製品やサービスのうち、本当に重要な満足を提供するものは何か」
 「いかなる状況が、わが社の製品やサービスなしでもすむようになってしまうか、あるいは、わが社の製品やサービスなしにすまさざるをえなくしてしまうか」
 「顧客の考え方や経済的な事情からして、意味ある商品群は何か。何が商品群を作るのか」
 「競争相手になっていない者はだれか。そして、それはなぜか」
 「わが社は、だれの競争相手にまだなっていないか。わが社の事業の一部と考えていないために、わが社には見えていず、試みてもいない機会はどこにあるか」
 「完全に不合理に見える顧客の行動は何か。したがって、顧客の現実であって、わが社に見えないものは何か」
(同書p141〜p154より抜粋)


 これらの問いの内容を理解するのはさほど難しいことではありません。マーケティングという概念そのものを知らなくても、上手く事業を行っている者であれば、日頃からこういうことは考えているはずです。しかし、改まってちゃんと答えようとすると、それが実に困難な作業であるかを痛感させられるものばかりです。

 このように、様々な問いを随所で用いながら理論を展開していくというドラッカーのスタイルは、同書に限ったものではなく、経営を論じるときはもちろん、マネジメントについて論じる場合にも一貫しているものです。

 何となく「知っている」と思っていることに対して、次々と突きつけられる問い。それは、まさにソクラテスが賢人の無知を暴くために用いた問答法(ディアレクティケー)に似たものを感じます。

 また、ある意味では循環論法のようにも思えます。すでに知っていると思っていることに対して、わざわざ考えようとしているのは、堂々巡りの不毛な議論であると批判されるかもしれません。

 しかし、循環論法を積極的に評価することもできるように、この問いかけの図式こそが、私たちが直面している現実を混沌から救い出し、鮮明な課題として提出するための強力な手法であるといえます。

 ドラッカーが投げかける問いかけは確かに、時として私たちの無知をさらけ出しますが、私たちは無知で終わるわけにはいきません。実践のために意地でも何かしらの答えを導き出さなければなりません。

 しかし、その答えは決して唯一絶対のものにはなりえません。問いは一回限りでは決して終わらないのです。答えを出しては検証、修正し、もう一度問いかけて再び答えを出す。そういう円環を描きながら前進するしかないのです。
August 27, 2005

「知識」はなぜか敬遠されがちだが、「知識」がなければ仕事はできない

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 どうも日本人は「知識」という言葉を敬遠する傾向があるようです。このことは以前にも触れたことがあります(全然関係ないですが、時々昔の文章を読み返してみると、昔はかなり高圧的な態度で文章を書いていたのが解って、ちょっと恥ずかしくなります…)。

 知識を適用するということ(2/2)〜現実に合わせて知識を創造する

 「重要なのは知識ではなく知恵だ」と言う著名人も多いので、知識疎遠現象にますます拍車がかかってしまいます。

 こういう主張の裏には大抵、「知識の大半は何とも難解で、自分には理解できないものばかりだ」「知識の大半は役に立たないものばかりだ」という陰口が見て取れます。

 しかし、こうした知識に対する無責任な批判はあまりにも的外れです。私たちの大半は、必ず毎日何らかの知識を用いて仕事をしています。そして、毎年何らかの新しい知識を習得しているはずです。

 P.F.ドラッカーの次の言葉が、知識労働者の層の厚さを表しています。

 「(事務員や、コンピュータのオペレータは、)少なくとも読み書きという、経験では身につけられない知識を必要とする。彼らの仕事は、肉体労働が中心であって、知識の部分は小さい。しかし、たとえ小さくとも、それらの知識は不可欠である。」

 ドラッカーによれば、アルファベットの読み書きができることも知識であるといいます。ということは、私たちのすべてとはいかなくとも、大部分は知識労働者です。

 かつての肉体労働者は、手足を命令どおりに動かすことだけが求められていました。作業も見よう見真似で覚えました。これに対して、知識労働者は、頭脳に蓄えた知識を用いて仕事をします。そして、知識はいまや組織活動に不可欠な資本となっています。知識労働者は、労働者であると同時に資本家であるのです。

 これは生産関係をめぐる大きな変化です。マルクスはかつて次のように述べました。

 「人間はその生活の社会的生産において、一定の、必然的な、彼らの意志から独立した関係、生産関係に入る。この生産関係は、彼らの物質的生産力の一定の発展段階に対応する。これらの生産関係の総体は社会の経済的構造を形づくる。」
(カール・マルクス『経済学批判』 確かにマルクスの主張には誤りも多かったが、この記述は正しいものと考えてよい。)

 生産関係の変化は、社会の経済的構造の変化を意味します。資本家たる知識労働者の登場は、根本的な構造変化を意味するのです。「知識より知恵を」と理想郷にいるかのような考えにとらわれるのではなく、現実をもっと捉えなければなりません。
August 24, 2005

成果を上げるためには、部下と同様に上司もマネジメントする必要がある

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 組織内の人間関係に関するマネジメントというと、たいていは「上司が部下をいかにマネジメントするか」という問題に焦点が当たります。書店で企業経営のコーナーに行くと、この手の書籍がいかに多く出回っているかが解ります。

 しかしながら、人間関係の組み合わせを考えるならば、「部下が上司をいかにマネジメントするか」という問題も、同時に取り上げなければならないはずです。だが、残念ながらこの問いにはほとんど言及されたことがありません。
(そして、私もこの問いにいかに答えればよいか、その素材はほとんど見つかっていません。)
 
 あるエグゼクティブが、「いい上司となるための条件は何ですか」と聞かれて、「いい部下を持つことです」と答えた、という話を聞いたことがあります。部下の上司に対する働きかけが、組織上見過ごすことのできない影響を有していることを示唆するエピソードです。

 通常、対人関係において、「PがQをいかにマネジメントするか」という問いを提起する場合、PがQよりも大きな「力」を有していることを暗黙の前提としています。フレンチとラベンによれば、力の源泉は次の5つに求められます。

(1)報酬…PはQに対して報酬を与えることができる。
(2)正当性…PはQの行動に影響を及ぼすべき正当な権利を有する。
(3)強制…PはQに対して、従わなければ罰を与えることができる。
(4)専門性…Pは特定の知識や技術に関して、Qよりも優れている。
(5)準拠性…QはPに対して魅力を感じ、一体でありたいと願う。

 (1)〜(3)は組織上の地位に付随する力であり、(4)(5)は個人の能力や資質に関連する力です。かつては上司が部下より大きな力を有することは当然とみなされてきました。しかし、現代では、(4)(5)次第で部下の方が上司よりも大きな力を有する場面も少なからず存在します。(例えば、ソフトウェア開発の現場では、優れたプログラミング技術を有する部下が、設計者たる上司に対して大きな力を有することがあります。)

 もっとも、誤解してはならないのは、上司と部下の間の力の大小関係がマネジメントの方向性をすべて決定するわけではないということです。最初に述べたように、部下による上司のマネジメントが必要なのは、それが組織内の人間関係として現に存在するからに他なりません。

 「上司のマネジメント」については、P.F.ドラッカーの『明日を支配するもの−21世紀のマネジメント革命』の第6章「自らをマネジメントする」で少しだけ述べられています。
 ほとんどの人は、他の人と共に働き、他の人の力をかりて成果を上げる。特定の組織に属していようが、独立していようが関係ない。したがって成果を上げるには、人との関係について責任を負わなければならない。(中略)自らが成果を上げるためには、共に働く人の強み、仕事の仕方、価値観を知らなければならない。
 上司とは、肩書を越える存在である。それぞれの仕方で仕事をする権利をもつ一個の人間である。その上司を観察し、仕事の仕方を理解し、上司が成果を上げられるようにすることは、部下たるものの責務である。

明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命
P.F. ドラッカー Peter F. Drucker

ダイヤモンド社 1999-03

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《2012年5月10日追記》
 「上司のマネジメント」については、リーダーシップ論の権威であるジョン・コッターもHBR誌に論文を寄稿している。⇒ジョン・コッター著「『ボス・マネジメント』の心得 上司をマネジメントする」(『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2010年5月号)(※1980年マッキンゼー賞受賞論文)


Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2010年 05月号 [雑誌]Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2010年 05月号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2010-04-10

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July 27, 2005

ブログタイトルを「マネジメント・フロンティア〜終わりなき旅」へ変更しました

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 タイトルを「終わりなき旅」から

 マネジメント・フロンティア〜終わりなき旅〜

に変更しました。

 最初は個人的な趣味で始めたブログですが、だんだんと多くの人に読んでいただけるようになったので、ブログの内容が解るタイトルにすることにしました。(「終わりなき旅」では内容が解らないし、同じタイトルのブログも沢山あるので…)

 私が一貫して関心を抱いているのがマネジメント論であるということ、そして、従来のマネジメント論に最大限の尊敬を払うと同時に、新たなマネジメント論の展望を模索していきたいという願いをこめてこのタイトルにしました。

 これからもどうぞ宜しくお願いします。
June 28, 2005

初めてドラッカーを読むなら『経営者の条件』がお勧め

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 初めてドラッカーを読む人に、数ある著書の中から1冊だけ薦めるとしたら『経営者の条件』という本を薦める。

ドラッカー名著集1 経営者の条件ドラッカー名著集1 経営者の条件
P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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 タイトルは「経営者」となっているが、この本は企業をはじめとする組織で働く万人のために書かれた本である。それは次の記述から窺い知ることができる。

 「私は、地位やその知識のゆえに、日常業務において、組織全体の活動や業績に対して、重要な影響をもつ意思決定を行う経営管理者や専門家などの知識労働者を、エグゼクティブ(=経営者)と名づけた。」

 この「エグゼクティブ」の定義に従えば、組織で働く知識労働者はすべて経営者ということになる。
 
 だが、この定義は非常に重要なものであるにもかかわらず、それほど一般に浸透したものではない。この点について次のようにも述べられている。

 「しかし今日、企業、政府機関、研究所、病院のうち、最も平凡な組織においてすら、重要かつ決定的な意思決定を行う人たちが、いかに多くいるかということについては、ほとんど認識されていない。」

 すなわち、知識労働者の中には、自らが経営者であるということ、つまり、組織の意思決定に関して自らが重要な役割を果たしているということを自覚している者がまだ少ないことを指摘している。

 現代の組織は知識を主要な資本と位置づけ、知識集約的な活動を展開している。そこで投入される知識はすべて知識労働者の頭の中にある。ということは、知識労働者が自らの知識を用いて仕事をするということは、その仕事がそのまま組織の活動に重要な影響をもつことを意味している。

 (もし、自らが知識労働者でありながら、組織の意思決定に何の影響力も及ぼしえないと感じている者がいるならば、誰かが彼の成果を食い物にしてしまっているか、そもそも彼が従事している職務の定義が誤っており、組織にとって全く必要のない仕事である可能性がある。こうした事態には知識労働者は激しく抗議しなければならない。希少な知識という資源を浪費するものを許してはならない。)

 『経営者の条件』には、時間の使い方を知る、強みを分析する、最重要事項から始める、といった成果を挙げるために必要な行動の処方箋が記されている。これらの行動は、一般的な意味における「経営者」だけのものではない。すべての知識労働者に求められるものである。

 組織においてより優れた仕事をしたいと思う人にはぜひお勧めしたい。また、ドラッカーの本の中では最も取っ付きやすい内容を扱っているので、初めての人にはうってつけだと思う。
May 28, 2005

将来何が起こるかを予測するのではなく、「すでに起こった未来」から構想する

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 将来何が起こるかを予測することは楽しい。人間の科学技術の進歩の可能性を信じて、今日より明日が便利で暮らしやすい世界になることを夢見ている。「鉄腕アトム」もそうした未来への大きな期待から生まれた作品である。ちょうど私が小学生だった頃までは、子供向けの科学雑誌が沢山販売されていて、どの雑誌をとっても、未来が素晴らしいものであることが様々なイラストで紹介されていたものだ。

 しかし、未来を予想するのは空想の世界だから楽しいに過ぎない。未来の予想が当たることはまずない。仮によく当たる「未来学者」がいたとしても、単に勘がよかっただけか、自分がよく知っている分野について予測しただけに過ぎない。もし未来の予測が外れても、彼らは「それは想定していなかっただけだ」と言うのである。鉄腕アトムは空中を飛行する自動車のような乗り物を描いていたが、それすら現代に至っても実現していない。逆に、現代では誰もが当然のように持っている携帯電話も、鉄腕アトムの中では黒電話しか出てこないのである。そのくらい未来を予想するというのは現実的なことではない。

 もし我々がもっと現実的になるのならば、我々に可能なのは「すでに起こったことがいかなる意味を持つか」を考えることである。変化の兆候は必ずどこかで発生する。変化が突然現れることは天変地異を除けばまずありえない。我々は社会の現象に目を向けなければならない。そしてすでに起こっていることを知覚する必要がある。そしてその変化が既存の活動にいかなる影響をもたらすか、我々がそれまで前提としていたものにいかなる変更を加えることになるかを考えることになる。この作業は未来の予測に比べればちっとも楽しくはない。遥かに骨の折れる仕事である。しかし、我々が現実的になるということはそういうことである。

 ここで我々が最も陥りやすいのは、事象を表面的に捉えることである。そしてさらに悪いことに、それら個別の事象に個別に対応することである。我々は事象を構造的に捉えなければならない。変化は構造的に理解しなければならない。まさに社会生態学が目指すアプローチを取ることが我々に求められる。すなわち、知覚できる事象のほとんど全てが根深い社会的諸事象から生じている、ということである。逆に言えば、露になっている諸事象は、社会内部に存在する諸事象を断固として扱うことなくしては、明確に理解することも、ましてや解決することもできないということだ。我々は通常見過ごされがちなこの事実を認識すべきである。

すでに起こった未来―変化を読む眼すでに起こった未来―変化を読む眼
P.F. ドラッカー P.F. Drucker

ダイヤモンド社 1994-11

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May 21, 2005

ドラッカー流経営学の醍醐味

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 ドラッカーのマネジメント論が強力なのは、マネジメントが自分以外の誰かのものではなく、あらゆる人のものであることを証明した初めてのマネジメント論だからである。それまでのマネジメントは「いかに人間を管理するか」という点から論じられたものが多かった。かつてのマネジメント論は企業の上層部を対象にしていた。しかしドラッカーの場合、主眼になっているのは「いかに働くか」という視点である。知識労働者もこの点から論じられている。だからこそ、彼が知識労働者の「責任」を重視するのである。我々知識労働者には組織が目指す成果を上げる責任が伴っている。そのためにいかに仕事をしなければならないかを考えるべきであることを再三に渡って主張している。

 マネジメントは往々にして経営と混同されるが、それは違う。もちろん、ドラッカー自身はこの点を明確に区別しているわけではない。しかし、マネジメントの対象は仕事であり、マネジメントの目的が成果の達成、ひいては人類の文明の進歩に貢献することであるならば、マネジメントと経営は厳密には区別される。経営は確かに上層部の仕事かもしれないが、マネジメントは働くあらゆる人々が実践しなければならないものである。


《2012年4月30日追記》
 この記事を書いた当時は「マネジメント」、「リーダーシップ」、「経営」の区別がついていなかったので、「経営は確かに上層部の仕事かもしれないが、マネジメントは働くあらゆる人々が実践しなければならない」と書いてしまっているが、現在の私の考えでは、「経営」=「マネジメント」+「リーダーシップ」であり、したがって、あらゆる人が経営者であらねばならないと思っている。私の考えによれば、「経営」に"management"という英単語を充てるのは、片手落ちである。経営は"(business) execution"と訳すべきだろう。「経営」="execution"だからこそ、CEO=Chief Excutive Officerが「最高”経営”責任者」と訳されるわけである。ドラッカーも、『経営者の条件』の中で、組織のあらゆる階層に散らばる知識労働者が「エグゼクティブ」となるための条件を論じている。

 マネジメントとは「正しい方法で行うこと」であり、リーダーシップとは「正しいことを行うこと」である。前者は組織の所与の目的の達成に向けて、経営資源を公式なルール、手続き、制度に従って配分し、その達成度合いをモニタリングすることである。後者は、新しい現実を目の前にして組織の所与の目的を見直し、経営資源を従来とは異なる方法(往々にして非公式なパワーが働く)で再結合することにより、組織の新たな目的を達成することである。両者は相反する力学かもしれないが、組織が環境変化に耐えながら存続し、成果を上げ続けるためにはどちらも必要である。そして、両者を包含する活動が「経営」なのである。


《参考文献》
P.F.Drucker 『未来への決断−大転換期のサバイバル・マニュアル』『経営者の条件』

未来への決断―大転換期のサバイバル・マニュアル未来への決断―大転換期のサバイバル・マニュアル
P.F. ドラッカー Peter F. Drucker

ダイヤモンド社 1995-09

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ドラッカー名著集1 経営者の条件ドラッカー名著集1 経営者の条件
P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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May 18, 2005

ドラッカーによれば、人間は組織によって自由を獲得することに成功したという

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 組織は個々の人間の限定された合理性を補い、通常の人間をして通常以上の能力を発揮させ、成果を達成するための道具である、と以前に書いた。組織こそ有史以来人間が発明してきた道具の中で最も有用なものである。組織がなければ19世紀以降の産業社会の発展はありえなかった。人間がこれほどまでに自由を享受し、経済の恩恵に浴することができるようになったのも、組織があったからこそである。

 組織はあらゆる人々を経済活動に従事させることを可能にした。そして結集されたエネルギーが甚大な成長をもたらした。一部の天才の努力だけでこれほどの成長がもたらされたとは言えない。そしてさらに重要なことに、組織は経済の発展が社会の発展に結びつくことを証明した。

 組織が万人に門戸を開いているというのは、重大な意味を持っている。組織を通じて多くの人々が社会に参画することができるようになった。現代人は政治を通じて社会にコミットメントしているというよりは、むしろ組織を通じて社会貢献を果たしている。古くからの自由主義が唱えるように、自由は社会との連帯の中で獲得される。その意味では、近代の政治が限定的にしか与えることのできなかった自由を、組織が完全に与えることに成功したといっても過言ではない。もちろん政治が人間に与えた自由は非常に重要だった。政治が人間に与えた自由のうち最も重要だったのは移動の自由である。移動の自由こそ、組織社会の強靭な地盤である。組織が万人を受け入れるならば、人間が自由に移動し、離脱をすることができなければならない。政治はまさにそれを保証した。そして政治がそれを保障したおかげで、人間はより大きな自由を手に入れることが可能になったのである。

 しかしながら、「自由は楽しい(※1)」わけではない。自由を手に入れた人間は、組織の中にあって組織が目指す成果をあげなければならない。成果を上げることは義務とまではいかないが責任である。自由には責任が伴うのである。責任を負わずに自由だけを手に入れることはできない。それは単なる傍若無人である。組織は我々に重要な問題を投げかけているのである。組織は遍く自由を達成する一方で、責任という問題を我々一人一人のものとして問うているのである。


※1…第二次世界大戦にアメリカが参戦する少し前に、ニューヨーク市が主催して行った自由の祭典のスローガン。

参考文献 P.F.Drucker『産業人の未来』

ドラッカー名著集10 産業人の未来 (ドラッカー名著集―ドラッカー・エターナル・コレクション)ドラッカー名著集10 産業人の未来 (ドラッカー名著集―ドラッカー・エターナル・コレクション)
P・F・ドラッカー 上田 惇生

ダイヤモンド社 2008-01-19

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