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March 16, 2012

人間は「シングルタスク」しかできないのか?「マルチタスク」も可能なのか?

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 先日の記事「【ドラッカー再訪】「マネジメント」を万人に開いた1冊―『経営者の条件』」の脚注(※3)に絡めた補足というマニアックな補足(笑)。しかも、書いていくうちに思いのほか長くなってしまったので、1本の記事として独立させることにした。

 昨年末、海外のある大手IT企業が「社内メールの禁止」を発表して話題になったことがあった(「大手情報テクノロジー会社が社員のメールを禁止 / 理由は「メールは時間のムダだから」」[ロケットニュース、2011年12月2日])。この禁止令を出したAtos社CEOのティエリー・ブルトン氏は「メールでのやり取りに何時間も費やすのはおかしい。社員のメールの統計を取ると、本当に重要な案件は約1割しかなかった」と主張する。さらにこの記事では、「一度散らした集中力を元の作業に戻すのには約64秒かかる」という統計にも触れられている。

 一方で、『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2012年4月号を読んでいたら、「人間はマルチタスクには向かない」という見解を支持する研究と、「マルチタスクの方が生産性が上がる」という相反する研究が紹介されていた。カリフォルニア大学グロリア・マーク教授によれば、「現代の労働者は平均3分に1回、いまやっている作業から別の作業に移っている」そうだ。そして、「1つの仕事への集中力が一度途切れると、その回復に平均25分を要する」という(ロケットニュース24の記事が言及していた研究よりも深刻な結果だ)。

 ところが、メルボルン大学が300人の労働者を対象に実施した別の研究によると、「仕事中にインターネットを私的に利用すると生産性が下がると思われていたが、実際は9%も上昇していることが明らかになった」らしい(ただし、ネット中毒者は当てはまらない)。この効果は「WILB(workplace internet leisure browsing)」と呼ばれ、息抜き程度にネットサーフィンをすると、リフレッシュ効果が得られるのだという。

 どっちが正しいのかここで結論を出すことはできない。おそらく、タスクを切り替える要因が外発的か(例:電話がかかってくる、メールが来るなど)、内発的か(例:私的なネットサーフィン、オフィス周りのちょっとした散歩など)?ということや、仕掛中のタスクの重要度・難易度、さらにはそのタスクを阻害する要因のインパクトの大きさなど、様々な切り口によって結果は変わるのだろう。

 ただ、個人的な経験から1つだけ言わせてもらうと、最近は大企業を中心に、社員全員に携帯電話を支給して、いつでもコミュニケーションが取れるようにしているケースが増えているようだが、あれが本当に作業効率化に結びついているかどうかやや疑問である。例えば、遠方にいる上司から部下に電話がかかってくると、部下は「上司からの電話だ!」と思い、多少のプレッシャーを感じながら、作業を中断して電話に出る。

 この部下は、電話の前後で頭を切り替えるのに幾ばくか時間を要するだろう。しかも、これが会議中の電話となると、「今会議中なので、後で折り返します」という一言を告げるだけのために、他の出席者を数分待たせることになる。そもそも、上司が部下に何かを確認するために頻繁に電話をかけなければならないということは、重要な情報がきちんと共有される業務プロセスになっていないか、上司の物覚えが悪いか、部下の報連相のマインドが欠けているかのどれかである。これらの原因は、社員に携帯電話を支給したところで解決しないと思う。


(※)キャシー・デイビッドソン「マルチ・インスパイアリング―マルチ・タスクによる注意散漫を逆に活用する」(『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2012年4月号)

Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2012年 04月号 [雑誌]Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2012年 04月号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2012-03-10

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February 09, 2012

怒りっぽい人が心臓発作に至る過程がリアルで怖かった―『怒りのセルフコントロール』

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怒りのセルフコントロール怒りのセルフコントロール
レッドフォード ウィリアムズ ヴァージニア ウィリアムズ Redford Williams

創元社 1995-05

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 タイトルの通り、本書では怒りをコントロールするための17の方法が紹介されている。著者の2人は名前を見ると解るように夫婦であり、かつ2人とも研究者である。夫のレッドフォードは性格と健康の関係を専門とする医学者、妻のヴァージニアは第1次世界大戦に関する著書などがある歴史学者だそうだ。本書は基本的に夫の研究に基づいているが、面白いことに17のメソッドの中には、夫婦間の危機がきっかけで編み出され、実際に2人で試行されたものも含まれているという。

 アメリカの心臓病学者であるマイヤー・フリードマンとレイ・ローゼンマンは『タイプA―性格と心臓病』の中で、狭心症や心筋梗塞などの心臓疾患になりやすい性格傾向を明らかにし、それをタイプA行動パターンと名づけた。タイプAは、緊張、性急さ、競争心、敵対心などを特徴とする人々である。レッドフォードはタイプAと疾患の関係に関する研究をさらに続け、その結果、タイプAの特徴のうち健康に影響するのはただ一つ、「敵対性」だけであるという結論に達したという。

 その「敵対性」がなぜ心臓疾患につながるのか?そのシナリオが非常に具体的で、読んでいてちょっと怖くなったよ(汗)(『キレないための上手な「怒り方」』にも似たような話が登場するけれど、本書の方がずっとリアル)。簡単にそのシナリオをまとめてみた。
 ・怒りを感じると視床下部が刺激され、神経細胞が副腎にシグナルを送って、アドレナリンとコルチゾールを血中に大量に分泌させる。
 ・アドレナリンは身体を戦闘モードに切り替えるべく、動脈を拡張させて心臓と筋肉に血液を送り込む。
 ・視床下部は交感神経を刺激して、皮膚や腎臓、腸に血液を送る動脈を収縮させる(戦闘モードの時は、食べ物を消化している場合ではないため)。
 ・コルチゾールには、アドレナリンの効果を増幅させる働きがある。さらに視床下部は、副交感神経系の働きを抑制し、これによってアドレナリンの効果を持続させる。
 ・アドレナリン&コルチゾールのタッグで血圧が上昇したことにより、冠状動脈の内膜にある内皮細胞が侵食される。すると、血小板がその傷を治そうと集まってくる。
 ・血小板が分泌する化学物質は、冠状動脈壁の筋肉細胞を動脈内面に移動させ、動脈内で肥大、増殖させる。
 ・血中の細胞群であるマクロファージが冠状動脈の損傷箇所に集まり、傷ついた組織や残骸を飲み込んでいく。
 ・アドレナリンは脂肪細胞にも働きかけ、戦闘に使用するエネルギーを供給するために、脂肪を運動エネルギーに変換する。
 ・しかし、本当に戦闘をするわけではないからエネルギーは過剰となり、余ったエネルギーは肝臓でコレステロールに変えられ、血中に放出される。
 ・血中のコレステロールは、冠状動脈の損傷箇所に溜まっている血小板やマクロファージに吸収されて、泡沫細胞となる。
 ・コレステロールが詰まった泡沫細胞は、怒りを感じるたびに上記のようなプロセスを繰り返して肥大し、冠状動脈を圧迫する。
 ・ある日冠状動脈が完全にふさがれてしまい、心筋梗塞に至る(怖ぇ〜)。
 17のメソッドの詳細はここでは紹介しないが、2人の著者は基本的に、「怒りの大半は大したことではない」という前提に立っているようだ。まず、「敵対性ログ」という方法で、日常生活の中で怒りを感じた出来事を、どんなに些細なことも含めて1つ1つ記録していく。次に、それらの出来事を以下の3つの基準で評価し、本当に重要な怒りのみを絞り込んでいく。
(1)こだわり続ける価値があるほど重要な問題か?
(2)(筆者補記:自分が怒りを感じる)正当な理由はあるか?
(3)(筆者補記:怒りを引き起こした事象に対して)効果的に対処できるか?
 大雑把に言ってしまえば、この3つを全て満たすものだけが真に対応すべき怒りであって、それ以外は早く忘れるか、考えを切り替えるか、相手を許す(!)などした方が、自分の健康のためでもあり、人間関係を円滑にする秘訣だというのが著者の主張である。17のメソッドの9割以上は、「怒りの大半は大したことではない」と思えるようになるためのものだ(それでもまだ怒るだけの正当な理由があり、何かしらの対処法が取れそうな場合は、「主張法」と呼ばれるメソッドを使う。ただし、そのようなケースに有効なメソッドとして著者が挙げているのは、この「主張法」ただ1つだけである)。

 とはいえ、敵対性が強い人=怒りっぽい人(私もそのうちの1人)にとって、(1)(3)はまだ何とかなるかもしれないけれど、(2)が最大の障害になりそうだな。怒っている人は、自分が正しいと思って怒っているのだから、その理由を自分で疑うことは非常に難しいんだよね・・・そんな時には、相手の思考回路にも思いをめぐらせ、相手にも何かしらの事情があるのでは?相手にもそれなりの合理的な理由があるのでは?(こちらから見れば正当な理由に見えなくとも)などと考えるだけでも、怒りが緩和されると著者は述べている。うーん、これは訓練次第だな。

 逆に、前述の3つの基準を満たす重大な怒りは、どのような意味を持つのだろうか?前向きにとらえれば、それはきっと、人生の目的や使命を示唆する怒りなのではないだろうか?(過去の記事「「その課題を解決できるのは自分だけ」という思いが使命感になる―『MBB:思いのマネジメント』(1)(2)」を参照)。

 ものすごく解りやすい例で言うと、マーティン・ルーサー・キングは黒人差別に対して、マハトマ・ガンディーはイギリスの支配に対する大きな怒りを抱いていた。坂本龍馬を始めとする幕末の藩士たちは、旧態依然とした江戸幕府への大きな怒りを、倒幕と開国へのエネルギーへと変換した。

 その倒幕によって生まれた明治政府に対しても、過度な欧化主義によって日本人のアイデンティティが失われることを危惧したジャーナリストたち(陸羯南、三宅雪嶺、志賀重昂など)が、国粋主義の名の下に一生をかけて対抗し続けた。現代に目を向ければ、スティーブ・ジョブズはマイクロソフトへの大きな怒りを感じながら(晩年は、長年の盟友であったグーグルに対しても大きな怒りを向けながら)、アップルを経営した(残念ながら、ジョブズは早世だったが)。大きな怒りはストレスも並大抵ではないものの、「自分の人生の目的が見つかった!!」といった気持ちで、むしろ喜ぶぐらいの方がいいのかもしれない。

 松下幸之助の『指導者の条件』には、西ドイツの首相だったコンラート・アデナウアーの逸話が紹介されている。アデナウアーがアメリカのアイゼンハワー大統領に会った時、人生において重要な3つのことを話したという。1つ目は「人生というものは70歳にして初めて解るものである。だから70歳にならないうちは、本当は人生について語る資格がない」ということ。2つ目は「いくら年をとっても老人になっても、死ぬまで何か仕事を持つことが大事だ」ということ。そして3つ目が興味深いのだが、「怒りを持たなくてはいけない」というのである。

指導者の条件指導者の条件
松下 幸之助

PHP研究所 2006-02

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 この言葉に関して、松下幸之助は次のように分析している。
 これは、単なる個人的な感情、いわゆる私憤ではないと思う。そうでなく、もっと高い立場に立った怒り、つまり公憤をいっているのであろう。(中略)第2次世界大戦でどこよりも徹底的に破壊しつくされた西ドイツを、世界一といってもよい堅実な繁栄国家にまで復興再建させたアデナウアーである。その西ドイツの首相として、これは国家国民のためにならないということに対しては、強い怒りを持ってそれにあたったのであろう。占領下にあって西ドイツが、憲法の制定も教育の改革も受け入れないという確固たる自主独立の方針をつらぬいた根底には、首相であるアデナウアーのそうした公憤があったのではないかと思う。
 アデナウアーは91歳で亡くなったので、十分長生きだったと言える。アデナウアーは、首相、しかも敗戦からの復興を目指す首相という重責を担い、大小様々の事柄に怒りを感じてもおかしくない立場にありながら、自分が本当にこだわり続けるだけの価値と正当性がある問題(=要するに、西ドイツ国家のためには許されざる問題)のみにフォーカスをあてる術を身につけていたのであろう。今度はアデナウアーの伝記でも読んでみるかな?
January 29, 2012

「好意的サディスト」という優しい顔をした攻撃者に注意―『キレないための上手な「怒り方」』

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キレないための上手な「怒り方」―怒りたいのに怒れない、怒ると人を傷つけてしまうあなたにキレないための上手な「怒り方」―怒りたいのに怒れない、怒ると人を傷つけてしまうあなたに
クリスティン デンテマロ レイチェル クランツ Christine Dentemaro

花風社 2000-12

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 先日までの記事「『キレないための上手な「怒り方」』(1)(2)」で、上手に怒ることができない3タイプの人を紹介したわけだが、このうちタイプ1「怒りを表に出さず蓄積させてしまう人」とタイプ2「怒りに気づいていない人」は、本人が怒りを表現している自覚がないにもかかわらず、実際には相手に対して強烈な怒りをぶつけていることがある、という著者の指摘にハッとさせられた。

 タイプ1「怒りを表に出さず蓄積させてしまう人」がしばしばとる「沈黙」という手段は、それだけで十分な怒りの表現になる。スコットとジュリーシャの例で言えば、口げんかの末にだんまりを決め込んでしまうスコットは、自分が怒っている理由の解読作業を全てジュリーシャに丸投げしている。スコットは「僕のことが本当に好きなら、僕が何を考えているかぐらい、言わなくても解るはずだろう?」と何気なく口にした後黙り込んでしまうけれど、別の見方をすれば「つき合っている僕の気持ちも解らないなんて、君は愚かだ」と怒っているに等しい(ジュリーシャはそう解釈するかもしれない)。

 もちろん、沈黙を通じて怒りを表していることを本人が自覚している場合もある。一例を挙げると、逮捕理由に不満がある被疑者は、黙秘によって取調官に対し怒りを伝えようとするだろう。また、私の中学校の時の理科の先生は、この手の怒りの表現が得意だった。我々生徒が私語でざわざわしていると、先生は話すのをパタッとやめてしまい、板書だけで授業を進めるのである。終業のチャイムが鳴るまで、教室に響くのはチョークと黒板消しの音のみ。これは非常に怖かった。

 こういうケースであれば、沈黙によって怒りを訴えていることが明白だし、相手も怒りの理由を比較的容易に理解することができる(理科の先生は、生徒の私語で授業が思うように進められないことに怒っている)。スコットの例で重要なのは、怒りが上手に表現できずに押し黙ってしまう人が、意に反して無意識のうちに怒りを表現し、相手に攻撃を加えることがあるという点である(スコットは本当に「ジュリーシャが愚かだ」と言いたかったわけではないはずだ)。

 本人は殻に閉じこもって、「何で自分の気持ちを解ってくれないんだろう」と被害者意識を持っている。しかし一方で、沈黙という武器を振りかざす加害者でもあるのだ。さらに悪いことに、本人には加害者意識がないし、怒りの理由を相手にちゃんと伝えていないから、相手との認識ギャップが大きくなり、問題をこじらせる危険性をはらんでいる。

 沈黙が怒りを表現する武器になる、というのはまだ解りやすいものの、実はタイプ2「怒りに気づいていない人」のように、普段は全く怒らない人でも、別の手段で怒りを表現していることがある。タイプ2の人は、相手から何か不愉快なことをされても、「いいよ、私のことは気にしないで」、「あなたがよければ、私はそれでいいから」と返すクセがある。だが、この相手に対する好意の言葉こそが、怒りの表現になるというのである。

 先日紹介した『どうしても「許せない」人』には、「好意的サディズム」という言葉が登場する。例えば、母親が子どもを思うあまりに、「母さんのことはいいのよ、あなたさえ幸せであれば」と言ったとする。表面的には優しい母親のように見えるけれども、見方を変えると「あなたの幸せは、私の犠牲の上に成り立っているのよ」というメッセージを暗に子どもに伝えていることにもなる。極端な話をすれば、子どもは「自分が幸せにならないと、お母さんは生きている価値すらない」と思い込み、何をするにしても母親が生きている証となるようなことしかできなくなるかもしれない。この母親の行為は、表向きは好意的だが、本質的には「束縛」なので、「好意的サディズム」と呼ばれるようだ。

 これと同じようなことを、タイプ2の人はやってしまう可能性がある。タイプ2の例としてメリエレンを取り上げたが、メリエレンの母親もまたタイプ2に属する人である。ある日母親は、週末は夫婦で休暇に行くから、弟と妹の世話をしてほしいとメリエレンに頼んだ。しかし、メリエレンは週末にデートや買い物の予定が入っていることを理由に、母親のお願いを断ろうとした。すると、母親はこう言った。
 あら、それならべつにいいのよ。そりゃあね、お父さんが最近、どうも体の調子がよくないっていうから、ちょっと町を離れたほうが、体のためじゃないかと思っただけなんだけどね。でも、お父さんにはちょっとくらい待ってもらったって、たいして変わりはないでしょう。それに、ホテルの割引も使えなくなっちゃうけどねえ。有効期限は今週だけなのよ。だけど、それくらいたいしたことじゃないわ。遊んでいらっしゃい。
 母親としては、メリエレンの気持ちを最大限に尊重したつもりだろうが、ここまで言われて喜んで出かけられる子どもはいないだろう。これこそまさに、「好意的サディズム」の一例である。本書では、このような婉曲的な攻撃の仕方を、心理学の言葉を用いて「受動―攻撃的行動」とも呼んでいる。

 タイプ1・2の人たちにとって、今日の記事で取り上げたテーマは非常に厄介だ。なぜなら、自分は怒りを表現するのが上手でないと思っているのに、自分があずかり知らぬところで怒りを表現してしまっているからだ。では、タイプ1・2の人たちはどうすればよいだろうか?

 まずタイプ1の人は、自分が怒りを我慢して押し黙ってしまった時、怒りを表現できなかったことを後悔するだけでなく、(相手が『どうしても「許せない」人』に登場するような、よほどの鈍感でない限り、)相手が自分の怒りを察知している可能性に思いを巡らせた方がよいだろう。しかし、相手は自分の怒りを正しく理解しているとは限らない。むしろ、間違った認識を持っている確率の方が高い。なぜなら、こちらから自分の怒りの内容を伝えていないのだから。よって、双方の誤解を解くためにも、できるだけ早く自分の怒りを相手に説明した方がよさそうだ(至極当たり前だが・・・)。

 タイプ2の人は、相手のためによかれと思って発した好意的な言葉が、実は相手に必要以上に気を遣わせているのではないか?と考えることが大切であろう。ところがこれは、タイプ2の人にとって大きなジレンマを伴う作業かもしれない。そもそもタイプ2の人は、「何か問題が起きたら、相手のせいにせず、自分に非がないかを検討するように」と教えられた人が多く、この思考パターンのせいで、自分を犠牲にし、怒りを無意識の領域に閉じ込めることを覚えてしまった人たちである。

 先日の記事「怒りを上手に表現できないと人生で割を食う―『どうしても「許せない」人』」では、思考パターンをひっくり返して、相手に非がないかを考えてもよいのでは?と述べた。にもかかわらず、再びここで、自分の好意的な言動に問題がないかをチェックしなければならないわけだ。これがジレンマを生み出す大きな要因である。

 しかし、意識せずとも好意的な言動がとれるのはタイプ2の特徴でもあり、周囲の人と良好な人間関係を構築する上での強みでもあるから、それを無理に直そうとする必要はないのかもしれない。ただ1点、好意的な発言をした後で、「本当のことを言うと、自分はこうしてほしいと思っているんだよ」という気持ちをそっと、飾らずに、素直に伝えるだけでも、サディズムは和らぐのではないだろうか?