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新ブログ 谷藤友彦ー本と飯と中小企業診断士
August 05, 2011
『その幸運は偶然ではないんです』の要点をミスチル「終わりなき旅」の歌詞に乗せて(2)
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(前回からの続き)♪閉ざされたドアの向こうに 新しい何かが待っていて
きっと きっとって 僕を動かしてる
ある仕事に就くときには、まずその仕事のやり方を知っていないといけない、それが一般的に言われていることです。でも、とても成功したビジネス・ウーマンで、こんなことを言った人がいます。「どうすればいいかはじめからわかっている仕事を引き受けたことは一度もないわ」。もしはじめから仕事のやり方をわかっていたら、新しいことを達成するという満足感を得ることはないでしょう。人は、学校でも仕事でも、スポーツでも恋愛でも、初めてうまくいったときのことがよい思い出になっているものです。これはもう、歌詞そのままの意味。事前に完璧な計画を立てなければ前に進めないというのは、非現実的な考えだ。ただし、何でもやみくもにチャレンジすればOK、というわけでもないことは付け加えておきたい。
引用文中の女性が言うように、新しい仕事に就く際に、必要な知識や能力を全て揃えておかなければならないとしたら、この世界で誰一人として新しい仕事を引き受けることはできない。とはいえ、新たな仕事で要求されるスキルを部分的に持っているか、新しい仕事に必要なスキルとの関連性が強い別のスキルを備えているか、どちらかの条件を満たしている必要はあると思う。こうしたスキルをトリガーとし、新しい業務を遂行しながら、欠けていたスキルを補っていくのである。
これに対して、一番やってはいけないのは、「やる気」や「モチベーション」の高さだけを基準に、新しい仕事を選択することである。(過去の記事「「やりたいこと」と「得意なこと」のどちらを優先すればいいんだろう?―『リーダーへの旅路』」を参照)。特に、(私の限られたビジネス経験に基づく話ではあるが、)年齢が上がれば上がるほど、この点には気をつけなければならない。最初は意気揚々と新規のプロジェクトや部署、新しい職場に入ったものの、能力不足で思ったような成果が出なければ、本人の情熱も覚めてしまう。そうなると、周囲からは、「能力もやる気もない人」という、最悪のレッテルを張られてしまう。
やる気やモチベーションは、周囲の環境によって簡単に左右される。それに比べると、スキルはそれほど大きく変動しない。一度身につけたスキルは、直接的であれ間接的であれ、そのスキルを必要とする仕事を続けている限り、簡単には衰えない。よって、新しい仕事を探している人は、自分の「トリガースキル」を十分に見極めた上で、そのスキルが活かせそうな仕事を探すのがベストである。と同時に、採用する側に立つ人事担当者は、応募者の熱意や応募者との性格的な相性ではなく、「トリガースキル」の有無によって、採用の可否を決定しなければならないと思うのである。
♪いいことばかりでは無いさ でも次の扉をノックしたい
もっと大きなはずの自分を探す 終わりなき旅
人はたくさんの間違いを犯し、それでいいのだということをたぶんもう納得してくれていることでしょう。重要なのは、失敗にどのように対応するかです。自分の間違いを否定するか、それとも認めるか。同じ間違いを繰り返すか、それとも失敗から学ぶか。失敗に落ち込み、やる気をなくすか、それとも次はうまくやると決心するか。失敗への対応の仕方が、この世の中の違いのすべてなのです。DIAMONDハーバード・ビジネス・レビューの2011年7月号が、「失敗からの学習」をテーマにした特集を組んでいるので、そちらをご参照ください。
成功は周りのおかげ、失敗は自分のせい―『失敗に学ぶ人 失敗で挫折する人(DHBR2011年7月号)』
だから「楽観主義」という言葉は好きになれない―『失敗に学ぶ人 失敗で挫折する人(DHBR2011年7月号)』
結果とプロセスをバランスよく評価しよう―『失敗に学ぶ人 失敗で挫折する人(DHBR2011年7月号)』
♪誰と話しても 誰かと過ごしても 寂しさは募るけど
どこかに自分を必要としてる人がいる
良好な人間関係を築き、それを維持する努力は、仕事での成功において重要なことです。電話や手紙、eメールなどを使って連絡を取り続けることで、自分が好きな人、尊敬する人との関係を維持することができます。彼らがあなたをどう評価するかは、あなたがどれだけ約束をきちんと果たし、信頼関係を大切にするかにかかっています。前回の「発達ネットワーク」とも関連するが、やはり仕事をやる上でモノを言うのは人間関係である。先日、元阪神タイガースの投手・伊良部氏が自殺したというショッキングなニュースが報じられたが、自殺直前の伊良部氏は、家族を日本に残して単身アメリカで生活しており(自殺の1か月前に離婚していた)、友人との連絡も途絶えがちだったという。
「自分には野球しかない」と断言するほど野球への愛着が強かった伊良部氏が、もしも日本やメジャーの野球関係者に相談を持ちかけていれば、こんな道を選択しなくても済んだかもしれない。伊良部氏は、マスコミが描いていた破天荒な性格とは裏腹に、投球に関しては確固たる理論を持っていたと言われる。だから、どこかの球団のピッチングコーチとして招聘される可能性は、間違いなくあっただろう。2003年の阪神の優勝は、伊良部氏なしには考えられなかった。こんな訃報を聞くことになるとは・・・心よりご冥福をお祈りします。
♪憂鬱な恋に 胸が痛んで 愛されたいと泣いていたんだろう
心配ないぜ 時は無情な程に 全てを洗い流してくれる
(※臨床心理士の試験に不合格した女性の事例) 「残念ながら、あなたは臨床心理士試験に不合格となりました」。私はその通知を読んで悲嘆にくれました。(中略)しばらくして気持ちが落ち着いてくると、私は自分のそれまでの人生を振り返ることにしました。周囲の人たちに話を聞いてもらいながら、自分がそれまでに経験してきたことの「好き」「嫌い」を見極め、自分の情熱や動機を見つめなおそうとしました。危機的な状況に陥ってキャリアが傷つくと、次の選択肢を早く打たなければならないと焦ってしまう。ところが、実は「空白の時間を持つ」というのも、キャリア形成においては非常に大切なのである。キャリア開発の研究では、あるキャリアの終焉と次のキャリアの開始の間にある空白期間のことを「中立期」と呼ぶ。
そこで考えたことは、私がそれまでで最も充実感を感じた経験のひとつで、大学で新入生のためのオリエンテーション・プログラムの運営に携わったときのことでした。(中略)そのときの充実感を思い出した私は、また似たような経験ができる仕事はないものかと考え、教育の場を提供する大学という組織を運営していく仕事は自分にどうだろうか?そんなふうに考えるに至りました。
中立期は、「過去のキャリアは、自分にとってどのような意味を持つものであったのか?」、「自分にとって本当に大切なものは何なのか?」、「次はどんなキャリアの選択肢があるのだろうか?」などについて、じっくりと考えるための時間だ。何かを失うことで初めて、人生の中で自分が何を重視しているのかに気づくこともある。それが中立期の意義である。もちろん、この過程で「発達ネットワーク」から支援を受けることが有益であることは言うまでもない。
何かを諦めざるを得ない時こそ、大切な価値観に気づく
組織学習の権威であるピーター・センゲとともに、「U理論」の研究と実践を重ねているジョセフ・ジャウォースキーは、「中立期」をどのように過ごし、それが新しいキャリアにどうつながっていったのかを教えてくれる好例である。
キャリア開発の本としての『シンクロニシティ−未来をつくるリーダーシップ』
民主型リーダーシップの本としての『シンクロニシティ−未来をつくるリーダーシップ』
(まだ続くよ)
August 03, 2011
『その幸運は偶然ではないんです』の要点をミスチル「終わりなき旅」の歌詞に乗せて(1)
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先日の記事「気がついたら30歳になっていたよ」でクランボルツのこの本に言及したが、せっかくなのでもう少し内容を紹介したいと思う。クランボルツの「計画的偶発性理論(Planned Happenstance Theory))」は、まず大前提として、「自分のキャリアを完璧に計画することは不可能だ」という立場をとる。その上で、自分の身に降りかかるありとあらゆる偶然の出来事(仕事とプライベートの両方を含む)をどのように解釈し、どのように行動するかによってその人のキャリアは変わる、というのがクランボルツの主張である。
数年前に、クリントン元大統領の娘が、大学の卒業式で、将来のキャリアに関する綿密な計画をスピーチで披露したのだが、クランボルツはこれに対し、「キャリアが計画通りにいくことはない」と釘を刺したことがニュースになった記憶がある(URLが探し出せませんでした。スミマセン)
本書は、様々な分野で活躍する人たちの体験談を交えつつ、計画的偶発性理論とはどのようなものかを解説したものである。とはいえ、計画的偶発性理論そのものはそれほど難しい内容ではないし、今日のタイトルにも書いたように、計画的偶発性理論のエッセンスは、私が最も尊敬するアーティストであるMr.Childrenの名曲「終わりなき旅」に全て含まれていると感じる(そのくらい、この曲は奥が深いということでもある)。というわけで、終わりなき旅の歌詞に乗せて、本書のポイントを紹介していこう。
≪2011年8月5日追記≫
歌詞の引用と本書の引用の組み合わせではあまりに乱暴だということで(汗)、補足説明を追加しました。その結果、記事が長くなってしまいましたので、例のごとく途中で分割しました。
♪息を切らしてさ 駆け抜けた道を 振り返りはしないのさ
ただ未来だけを見据えながら 放つ願い
今もし方向を変えてしまうと、それまでのトレーニングや経験に費やした年月が失われると多くの人は感じます。この問題の本質は、今あなたが何をしていようとも、過去の年月は過ぎ去ったものであるということです。デビューから2年後の1994年に『CROSS ROAD』と『Innocent World』で一気に人気を集め、その後97年まで『マシンガンをぶっ放せ』を除く全てのシングルがミリオンセラーとなり、人気絶頂にあったミスチルは、97年春に突然、無期限の活動休止を宣言した。活動を休止したバンドが、そのままフェードアウトしていく例は過去にいくつもあったから、当時は「ミスチルもこのまま消えてしまうのかな?」と思っていたものだ。
問われるべき質問は、「これから先、どうしたら満足のいく人生を築くことができるか?」ということです。過去の経験はあなたに貴重な学びを与え、将来それを活用できるかもしれません。しかし、過去を守るべき投資だと考えると、身動きが取れなくなってしまいます。
しかし、98年10月に、ミスチルはこの『終わりなき旅』で見事にカムバックを果たす。それだけでも嬉しかったのに、出だしにこのフレーズを持ってきたことは非常に衝撃的だった。あれだけの成功を収めながら、それを振り返らずに、新しい道を歩んでいくんだという、”新生ミスチル”の決意表明がこのフレーズには表れていたのである。
人は、成功も失敗も引きずる傾向がある。成功体験の呪縛にあって時代の変化に気づかず、いつの間にか取り残されてしまった人や企業、反対に過去の失敗の奴隷となって別の道を探せず、結局は窮地に追い込まれてしまった人や企業の例は、探せばいくらでも出てくるだろう。過去は過去で重要ではあるけれども、過去だけにこだわらずに、未来に向けて視野を広げておくと選択肢が広がるし、思わぬ幸運が転がりこんでくることもあるのだ。
♪カンナみたいにね 命を削ってさ 情熱を灯しては
また光と影を連れて 進むんだ
夢と現実が一致するとは限りません。不幸なことですが、それは事実です。その事実にどう対応すればよいでしょうか?ここにひとつの現実的な方法があります。夢を実際に試してみましょう。やってみて、どうなるか様子を見ましょう。ベストを尽くして、結果を評価しましょう。思いどおりにものごとが運ばなくても、必ず何らかの貴重な学びがあるはずです。先ほど成功と失敗について言及したが、クランボルツは、「そもそも100%の成功、100%の失敗というものはない」と述べている(この点については、以前の記事「成功は周りのおかげ、失敗は自分のせい―『失敗に学ぶ人 失敗で挫折する人(DHBR2011年7月号)』」も参照)。歌詞にある「光と影を連れて」という表現は、まさにこの点を指していると解釈できる。大事なのは「過去の事象」という客観的な要素そのものではなく、「その事象とどのように向き合うか?」という主体的な態度や行動様式、思考パターンなのである。
♪大きな声で 声をからして 愛されたいと歌っているんだよ
「ガキじゃあるまいし」自分に言い聞かすけど また答え探してしまう
クラウディオ(※本書の事例に登場する人物)は、同じ道を通ってきた女性から励ましをもらいました。彼はその出会いを「偶然」と位置づけていますが、彼自身の人間関係構築の能力が、この励ましを受けることにおいて重要な役割を果たしています。彼の人生が変わったのはその女性のおかげだと彼は思っていますが、彼女を会話に巻き込み、共通の経験について話し合い、大学に行く可能性について話し合い、大学を受験することに関しても懐疑的な気持ちを乗り越え、受験するというリスクを取ったのは彼です。「大きな声で 声をからして 愛されたいと歌っているんだよ」という部分は、他者にもっと依存したいという願望を意味している。一方で、そんな自分に「ガキじゃあるまいし」と言い聞かせて、「人はもっと自立的でなければならない」と諭しているわけだ。
「依存性」と「自立性」―この2つの要素は一見相反するようだが、実は一体不可分の関係にある。例えば、プロ野球選手は自らを「自立したプロフェッショナル」とみなしている。毎日厳しい練習を行い、心身のケアには人一倍気を遣う。球団との契約期間外である12月と1月も、自分でトレーニングメニューを組んで、2月のキャンプインまでに万全なコンディションを整えなければならない。こうした厳しい自己制御を自分に課していることこそが、プロ野球選手がプロである所以である。
しかし、そんな自立的なプロ野球選手でも、チームから必要とされなければ試合に出場できないし、下手をすれば戦力外通告を食らってクビになってしまう。その意味では、プロ野球選手は球団に強く依存しているのである。
これはビジネスの世界でも同じだ。どんなに能力が高く、やる気や情熱に満ちた自立的なビジネスパーソンでも、自分に役割を与え、働く環境を用意してくれる企業がなければ話にならない。だから、他人を頼りにすることは、決して恥ずかしいことでも女々しいことでもないのだ。キャリア開発の研究においては、このように自分のキャリア形成をサポートしてくれる人たちを「発達ネットワーク」と呼ぶ。自立的なキャリアを歩むために「発達ネットワーク」を構築することは、全く不自然なことではないのである。
(続く)
August 01, 2011
気がついたら30歳になっていたよ
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8月1日で30歳になりました。いよいよ30代!というほどの実感がまだないのが正直なところかな。
思い返してみると、新卒でSIerに入社した頃は、29歳のプロジェクトマネジャーの姿をずっと見ていたので、「30歳になるまでには、あの人のように数十人の開発メンバーを抱えるプロジェクトチームのマネジャーになりたい」と思っていました。でも、その会社は1年ちょっとで退職してしまったから、その目標は達成できず。
その後、転職してベンチャー系のコンサル会社に入った時は、30〜32歳ぐらいのマネジャーたちが、コンサルティング案件を自分で受注して自分でマネジメントする、なんてことをやっていたので、「30歳になるまでには、あの人たちのようにマネジャーになって、営業も案件マネジメントもできるようになりたい」と思っていました。これは部分的に達成できたかな。一応、小っちゃいコンサル案件なら、いくつか自分で受注して自分でマネジメントしてきたから(まぁ、実作業もほとんど自分でやらなければならないくらい、小さな案件でしたが・・・)。
ただ、節目の30歳をよもや個人事業主として迎えることになるとは。本当に人生というのは解らないもんですよ。いくら計画を立てても、いろんな偶然が重なって、思い通りにはならないもの。でも、その偶然もおそらくは何らかの意味を持っていて、今の自分を形成しているんでしょうな。クランボルツ教授が言うところの「計画的偶発性」っていうやつですか。
29歳の誕生日に「自分がやりたいこと」を再整理してみる(前半)
29歳の誕生日に「自分がやりたいこと」を再整理してみる(後半)
改めて読み返してみると、こっ恥ずかしいことも書いているな(苦笑)。前半の記事にある(1)「ビジネスパーソンがマネジメントとリーダーシップを身につける学習機会の提供」と、後半の記事にある(2)「組織学習の実態の解明と組織学習の方法論の精緻化」については、今でも変わっていない。というか、(1)と(2)に関しては、より強い気持ちというか、「自分がやらないといけない」という変な使命感みたいなものが胸中にあります。多分、私のライフワークはこれになるんだろうな、という気がしています。もっとも、今の個人事業主のままでは限界があるから、やり方を考える必要があるんですけどね。
率直に言えば、マネジメントだのリーダーシップだのとごちゃごちゃ言わずに、「いい仕事をして、人生を楽しむ人たちを増やしたい」というのが私の本音なわけです。私の限られた人脈の中で感じたことですが、「いいアイデア」を持っている人というのは、結構そこらじゅうにいらっしゃる。でも、組織のしがらみとか、昔からの慣習とか、非効率な業務とか、無意味なルールとか、既得権益の存在とかによって、アイデアが埋もれたり潰されたりしているわけ。
そういう現状を打破して、価値の低い仕事から価値の高い仕事へとシフトする人が増えれば、社会にとっても有益だし、本人にとってもいいことである違いない。単純にそれだけ。でも、すごく重要なことだと思いますよ、私は。
後半の記事にある(3)「グローバル人材を育成する仕組みの追求」については、「何でこんなことを書いてしまったんだ・・・」と後悔しています。アフリカとか、どっから出てきたんだろう??もちろん、何かのきっかけで本当にそういう機会が訪れる可能性がゼロとは限らないですがね。でも、あまりに突飛だったな。
それよりも、最近興味がある、というか真面目に向き合わなければいけないと感じているのが、やはり中国とインドという2つの大国ですね。どちらの国も、日本の歴史や文化とは切っても切り離せない関係にある。インドは仏教を伝えてくれた国だし、中国と日本の歴史的な接点の多さについては言うまでもない。けれども、インドのことは、知っているようで実はあまり知らないし、中国は儒教の国でありながら共産主義のせいで社会全体の価値観がちょっとおかしくなっている。
私の持論に、「その国の歴史や文化、宗教や社会的価値観は、マネジメントやリーダーシップのあり方に影響を与えている」というのがあります。最近は、中印の企業経営の特徴を社会科学的な視点から紐解き、日本の企業経営との相違点を明らかにしてみたい、と思うようになりました。これは壮大なプランですが、もしこのプランがうまくいけば、日本企業が中印の企業を深く理解することができるでしょうし、また日本企業が彼らとどのように競争し、あるいは協業すればよいのかが見えてくるように思えます。
最後の(4)「効果的なBtoBマーケティングの実践」については、会社を辞めてしまったので、実践の機会そのものがなくなってしまいました(汗)。ただ、将来的に今の事業を法人化することができたら、再び取り組みたいテーマであることは間違いないですね。
思い返してみると、新卒でSIerに入社した頃は、29歳のプロジェクトマネジャーの姿をずっと見ていたので、「30歳になるまでには、あの人のように数十人の開発メンバーを抱えるプロジェクトチームのマネジャーになりたい」と思っていました。でも、その会社は1年ちょっとで退職してしまったから、その目標は達成できず。
その後、転職してベンチャー系のコンサル会社に入った時は、30〜32歳ぐらいのマネジャーたちが、コンサルティング案件を自分で受注して自分でマネジメントする、なんてことをやっていたので、「30歳になるまでには、あの人たちのようにマネジャーになって、営業も案件マネジメントもできるようになりたい」と思っていました。これは部分的に達成できたかな。一応、小っちゃいコンサル案件なら、いくつか自分で受注して自分でマネジメントしてきたから(まぁ、実作業もほとんど自分でやらなければならないくらい、小さな案件でしたが・・・)。
ただ、節目の30歳をよもや個人事業主として迎えることになるとは。本当に人生というのは解らないもんですよ。いくら計画を立てても、いろんな偶然が重なって、思い通りにはならないもの。でも、その偶然もおそらくは何らかの意味を持っていて、今の自分を形成しているんでしょうな。クランボルツ教授が言うところの「計画的偶発性」っていうやつですか。
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計画を立てても絶対にその通りにはならないと解っていながら、せっかくの節目なので多少は今後の展望を描いてみることにしよう。日本におけるキャリア研究の第一人者である金井壽宏先生も、キャリアをデザインする時期の1つとして「年代の節目」を挙げていることですし。posted by Amazon360
実は、去年の誕生日にも、同じように将来の展望をデザインしていました。その記事がこれ。29歳の誕生日に「自分がやりたいこと」を再整理してみる(前半)
29歳の誕生日に「自分がやりたいこと」を再整理してみる(後半)
改めて読み返してみると、こっ恥ずかしいことも書いているな(苦笑)。前半の記事にある(1)「ビジネスパーソンがマネジメントとリーダーシップを身につける学習機会の提供」と、後半の記事にある(2)「組織学習の実態の解明と組織学習の方法論の精緻化」については、今でも変わっていない。というか、(1)と(2)に関しては、より強い気持ちというか、「自分がやらないといけない」という変な使命感みたいなものが胸中にあります。多分、私のライフワークはこれになるんだろうな、という気がしています。もっとも、今の個人事業主のままでは限界があるから、やり方を考える必要があるんですけどね。
率直に言えば、マネジメントだのリーダーシップだのとごちゃごちゃ言わずに、「いい仕事をして、人生を楽しむ人たちを増やしたい」というのが私の本音なわけです。私の限られた人脈の中で感じたことですが、「いいアイデア」を持っている人というのは、結構そこらじゅうにいらっしゃる。でも、組織のしがらみとか、昔からの慣習とか、非効率な業務とか、無意味なルールとか、既得権益の存在とかによって、アイデアが埋もれたり潰されたりしているわけ。
そういう現状を打破して、価値の低い仕事から価値の高い仕事へとシフトする人が増えれば、社会にとっても有益だし、本人にとってもいいことである違いない。単純にそれだけ。でも、すごく重要なことだと思いますよ、私は。
後半の記事にある(3)「グローバル人材を育成する仕組みの追求」については、「何でこんなことを書いてしまったんだ・・・」と後悔しています。アフリカとか、どっから出てきたんだろう??もちろん、何かのきっかけで本当にそういう機会が訪れる可能性がゼロとは限らないですがね。でも、あまりに突飛だったな。
それよりも、最近興味がある、というか真面目に向き合わなければいけないと感じているのが、やはり中国とインドという2つの大国ですね。どちらの国も、日本の歴史や文化とは切っても切り離せない関係にある。インドは仏教を伝えてくれた国だし、中国と日本の歴史的な接点の多さについては言うまでもない。けれども、インドのことは、知っているようで実はあまり知らないし、中国は儒教の国でありながら共産主義のせいで社会全体の価値観がちょっとおかしくなっている。
私の持論に、「その国の歴史や文化、宗教や社会的価値観は、マネジメントやリーダーシップのあり方に影響を与えている」というのがあります。最近は、中印の企業経営の特徴を社会科学的な視点から紐解き、日本の企業経営との相違点を明らかにしてみたい、と思うようになりました。これは壮大なプランですが、もしこのプランがうまくいけば、日本企業が中印の企業を深く理解することができるでしょうし、また日本企業が彼らとどのように競争し、あるいは協業すればよいのかが見えてくるように思えます。
最後の(4)「効果的なBtoBマーケティングの実践」については、会社を辞めてしまったので、実践の機会そのものがなくなってしまいました(汗)。ただ、将来的に今の事業を法人化することができたら、再び取り組みたいテーマであることは間違いないですね。