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August 25, 2011

【水曜どうでしょう論(3/6)】外部のパートナーを巻き込んで「価値観連鎖(バリューズ・チェーン)」を形成する

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 前回の記事では、どうでしょう班の4人が共有価値観で結ばれていることを紹介した。さらに、どうでしょう班と連携している外部のプレイヤー(個人または組織)同じような価値観を有し、「価値連鎖(バリュー・チェーン)」ならぬ「価値観連鎖(バリューズ・チェーン)」が形成されていることを示唆した。今回はまず、「価値観連鎖」が形成される過程をもう少し丁寧に整理するところから始めたいと思う(かなり回りくどい説明になるが、ご容赦ください)。

 以前、「『信頼』を軸としたチャネル戦略の実証研究」という記事で、住谷宏著の『利益重視のマーケティング・チャネル戦略』を取り上げた。この本の中で著者は、小売店がメーカーの製品を取り扱うかどうかを判断する際に重視するポイントとして、

 (1)小売店への支援(経営支援、業務支援、金銭的なインセンティブ)が手厚いこと
 (2)機会主義的な行動(=メーカーが小売店の不良在庫リスクを軽視して、自社製品を無理やり小売店に押しつけ、売上を立てようとすること)をとらないこと
 (3)緊密な情報交換やコミュニケーションが行われること(メーカーが実施するチャネル支援策、顧客の顕在・潜在ニーズに応えられる製品改良や新製品開発、顧客からのクレームへの対処法といったテーマについて、メーカーと小売店が組織の垣根を超えて、オープンに対話できること)
 (4)ビジネス上の目的に共通項があること
 (5)共通の価値観を有していること

という5つの条件を指摘している。(1)(2)のように、メーカーが「売れる製品を、売れるタイミングで、売れる分のみ納入する」というだけでは、実は小売店との中長期的な取引につながらない。これらの条件に加えて、(5)のような人間的な要素が重なると、メーカーと小売店を結ぶパイプはぐっと太くなり、両社はお互いを”非常に特別な存在”とみなすようになるのである。

 ここで、著者の主張を拡大解釈してみる。完成品メーカーは小売店との関係においては売り手であるが、完成品メーカーに部材や半製品を納入する部品メーカーとの関係においては買い手となる。小売店と完成品メーカーの間で価値観の共有が重視されるのであれば、完成品メーカーと部品メーカーの間でも、同じように共有価値観が要求されるに違いない。

 さらに、部品メーカーも、売り手であると同時に買い手でもある。部品メーカーが部材や半製品の製造に必要な素材・原料などを別の原料メーカーや素材商社から調達する場合は、部品メーカーが買い手であり、原料メーカーや素材商社が売り手となる。この場合でも、両社の共有価値観が重要な役割を持つことは、ここまで来れば説明不要であろう。

 このように、業界全体の各プレイヤーの取引関係を俯瞰すると、バリュー・チェーンを構成するそれぞれのプレイヤーの間には、何かしら共通の価値観が存在し、プレイヤーたちは共有価値観で結ばれた一連の組織群=「価値観連鎖(バリューズ・チェーン)」を形成していることに気づかされる。

 もちろん、外部のプレイヤーが自社と全く同じ価値観を持っていることはまずない。外部プレイヤーは、それぞれが独立した存在であり、固有の価値観に根ざした事業を展開している。しかし、例えば緊密な情報連携が実現されており、在庫回転率も高いサプライチェーンに参画している企業群に対して、自社の価値観をそれぞれ書き出してもらえば、全ての企業群に共通する価値観が2つや3つほど出てくるだろうし、それこそが望ましい状態なのである。

 「価値観連鎖(バリューズ・チェーン)」の説明が長くなってしまったけれど、どうでしょうには、どうでしょう班と同じような価値観を持った外部プレイヤーがたくさん登場する。とりわけ、

 ・最初から、物事を完璧にやろうとは全く思っていない。
 ・企画の中身を前もって詳細に詰めることは、絶対にしない。
 ・基本的に自分本位で物事を考える。時には”小悪人”となって、他のメンバーを陥れる。
 ・企画自体は緩いのに、どうでもいいところで凝り性やマニアックさを発揮する。

という価値観で共通していることが多い。彼らは、どこか間が抜けたところがあったり、やましい心を持っていたりして、普通の企業だったら「何でそんなことをするんだ!」と怒られるような大ポカや、意味不明の言動に出ることがある。

 ところが、彼らがどうでしょう班と一緒になると、彼らの価値観がどうでしょう班の価値観と共鳴して、プラスの方向に作用する。不思議なことに、各プレイヤーがボーンヘッドや理解不能な行動をやらかしても、どうでしょうの文脈の中では意味を持つ(=言い換えれば、面白くなる)のである。どうでしょう班と関係が深い代表的な外部プレイヤーを挙げてみる。

 ・樋口了一さん(番組の主題歌「1/6の夢旅人」、「1/6の夢旅人2002」を制作)
 「1/6の夢旅人2002」を自宅で録音した際に、樋口さんが飼っていたインコの「ポーちゃん」の「シーシーシー」という鳴き声が、たまたま一緒に録音されてしまった。しかし、樋口さんは取り直しをせずに「まぁいいや」と作業を済ませてしまい、何と鳥の鳴き声が入ったままの曲をディレクター陣に渡してしまった。

 曲を聴いた藤村Dは、「確かにいい曲なんだけど、時々『シーシーシー』という音が聞こえるんだよね。何か新しいパーカッションなのかなぁ?」と思っていたらしいが、実はインコの鳴き声だと聞かされた時は、たいそうびっくりしたそうだ(樋口さんのシングル『1/6の夢旅人』に収録されているCDエキストラ映像で、樋口さんと藤村Dが明かしている)。

 ・小松江里子さん(スタイリスト)
 数々の伝説を残す名(迷?)スタイリスト。その伝説を挙げればキリがない。一部だけ紹介すると、
  −前枠・後枠で使用する衣装を忘れてしまい、大泉さんが裸同然で収録に臨むハメになった。
  −同じく前枠・後枠の収録で、真冬にも関わらず半袖半ズボンの衣装を大泉さんに着させてしまい、大泉さんを怒らせた。
  −『東北生き地獄バスツアー』では、明らかに手抜きとしか思えない「松」の衣装をミスターに着させて、ミスターの心を傷つけた(ミスターは一応社長なのに、何のためらいもなく植物に変装させてしまうあたりも、小松さんらしい)。
  −同じく『東北生き地獄バスツアー』では、ミスターと大泉さんに、岩手県厳美渓の名物「かっこう団子」の店員に扮してもらう予定だったが、ろくずっぽ準備をせずに、現場に来てから店員さんをじっくりと観察して衣装を揃え、最終的には扮装に必要な小道具をお店の人から借りた。

というありさまである。だが、これは小松さんの伝説のほんの一部でしかない。

 ・FROGMAN、プロダクションIG(DVDのオープニング・アニメーションを担当)
 やけに凝ったアニメーションを作ってくれるのだが、映像自体にはそれほど大した意味がないという、どうでしょうファン以外にはさっぱり理解されないであろうアニメーションを作るのがこの2社。

 FROGMANは、”正義の味方”という設定の嬉野Dが、悪役(?)のonちゃんとnoちゃんを思いっきり殴り飛ばした後、「社内禁煙!北海道テレビ!!」と叫ぶという、非常にシュールなアニメーションを制作している。

 また、プロダクションIGのクリエイターによる、座頭市を意識したアニメーションも、座頭市役の藤村Dをかっこよく見せたいのか、間抜けに見せたいのかさっぱり解らない(だって、最後はドラゴンボールの魔人ブウみたいに膨れ上がって、ジェット風船のように空高く飛んで行ってしまうんだもん・・・)ものに仕上がっている。あまりに訳が解らなくて、逆に笑えてしまうのさ。

 どうでしょうでは、時々登場する素人さんまでもが「価値観連鎖(バリューズ・チェーン)」の一部を担っている。次回はこの点に触れたいと思う。

【水曜どうでしょう論】シリーズ
 (1)某局のコンセプト「楽しくなければテレビじゃない」を本当の意味で体現しているのがどうでしょう
 (2)どうでしょう班の4人をつないでいる「共有価値観」
 (3)外部のパートナーを巻き込んで「価値観連鎖(バリューズ・チェーン)」を形成する
August 19, 2011

【水曜どうでしょう論(2/6)】どうでしょう班の4人をつないでいる「共有価値観」

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 前回は「社員満足度(ES)の向上が顧客満足度(CS)の向上につながる」という、割とオーソドックスなマネジメントの原則を取り上げたが、今回からはもう少し複雑な洞察を試みたいと思う。

 強いチームを作るための第一歩は、「メンバーの間で、チームの目的と価値観を共有すること」である。まず、目的とは、チームの存在意義(レゾン・デートル)であり、「なぜ/何のためにチームは存在するのか?」という問いに対する答えである。ただし、目的は抽象的な表現にとどまることが多い。目的をあまりに狭く定義してしまうと、チームの戦略や戦術も制約されてしまうからだ。水曜どうでしょうの4人のチーム(どうでしょう班)の目的は、「面白いバラエティ番組を作ること」という、極めてオーソドックスなものである。

 次に、価値観とは、メンバーの意思決定や行動の拠り所となる具体的な規範・基準を意味する。もちろん、この価値観には、社会的な倫理観や道徳観も含まれるが、メンバーの主観や個人的経験に根差している部分も大きい。

 チームは数々の意思決定と行動を積み重ねながら、チームの目的へと向かっていく。だが、どの意思決定や行動の局面を取り上げてみても、客観的に考えると複数の選択肢が想定される。チームは多岐にわたる複雑な選択肢の中から、チームにとって最善な選択肢を絞り込んでいく。その際の物差しとなるのが、この価値観である。

 例えば、「水曜どうでしょう」と「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」を比べてみよう。この2つの番組は、「面白いバラエティ番組を作ること」という目的で共通している。しかし、どうでしょうは「いかにお金をかけずにバカバカしく仕上げるか?」という観点で番組が作られていくのに対し、ウルトラクイズは「お金をバカみたいにかけると、どこまでど派手なことができるのか?」という視点から番組が構築されている。端的に言えば、同じ目的を目指していても、そこに至るルートはチームによって様々であり、その多様性を生み出しているのが、このチームの価値観なのである(※1)(※2)。

 どうでしょう班の4人には、共通する価値観が非常に多い。思いつくままに挙げていくとこんな感じか?

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 ・最初から、物事を完璧にやろうとは全く思っていない。
 ディレクターの2人は完全にこのスタンス。だから、めったにない台本のセリフを間違えたり、多少小ネタがスベったり、計画通りに企画が進まなくなったりしても、全く問題視しない。大泉さんは、自らを「3割バッター」と呼ぶように、ネタを10発撃って、3発ぐらい藤村Dのツボに当たればOKという感じでやっている。

 ミスターだけは、自身がタレント事務所の経営者であることもあってか、4人の中では最も物事を筋道立てて考える傾向が強い。ところが、途中からそういう作業が面倒くさくなって、「いいじゃないか運動」を立ち上げてしまうのである。

 『ヨーロッパ21か国完全走破』では、1日に5か国回るとか無茶なノルマを課していたけれども、ドイツで古城街道の誘惑にあっさりと負けてしまい、『アメリカ合衆国横断』では、予定からの遅れを何としても挽回しなければならないという終盤で、痛恨の”インキー”をしてしまう(しかも、ホテルのカギも部屋に入れっぱなしにしてしまうという、”ダブル・インキー”)。

 その瞬間に、ミスターが緻密に立てていたストーリーは破綻し、同時に番組の象徴として君臨するミスターのキャラクターも崩壊していくのである。DVD『アメリカ合衆国横断』の副音声では、嬉野Dがそんなミスターのことを、「男を下げた瞬間に一番輝く」と表現していた。

 ・でも、時々は本気を出して頑張ることもある。
 特に初期は、ミスターが”合宿”と銘打って、しばしば徹夜でレンタカーを走らせていた。最近はさすがに4人とも歳をとったせいか、そこまでのことはしなくなったものの、最新作の『原付日本列島制覇』では、『原付ベトナム縦断1,800km』並みに長い日数をカブの上で過ごしている(原付東日本も西日本も、4日以上連続でカブに乗ったことはない)。そういう意味では、”時には頑張る”という側面は、今でも残っている。

 ・企画の中身を前もって詳細に詰めることは、絶対にしない。
 最初の価値観と同様、ディレクターはずっとこのスタンス。両ディレクターによる著書『腹を割って話した』では、「決めないことを恐れてはいけないんだよ」と語る藤村Dに、嬉野Dが「それがどうでしょうの本質だよね」と同調するシーンが出てくる。

 こうしたディレクターの態度について、大泉さんはいつもボヤいているわけだが、何だかんだ言いながらも、企画を進めるうちに自分の立ち位置を探り当てて、面白い方向へと持っていこうとする。DVD『アメリカ合衆国横断』の副音声でも、大泉さんは「”状況”さえ与えてくれれば、今だって何でもやる」と自信たっぷりに言っている。

 大泉さんには具体的な企画など不要であり、”状況”や”場”さえあればOKなのだ。確かに、新作の『原付日本列島制覇』でも、大泉さんは藤村Dとの会話の流れの中から、「仕事ができなさそうな、インチキくさい宮大工」という役割を作り上げてしまった。これは(宮大工なだけに)まさしく神がかり的だった。

 ・その代わり、現地で必死にネタを拾う。それで本来の企画から脱線してもお構いなし。
 『激闘!西表島』は、まさにこの典型例。西表島で虫取り競争をするつもりだったのに、現地ガイドのロビンソンンは「虫は面白くねぇ」と、元も子もないことを放言してしまう。それでも、現地で西表島の動物を必死に追い回すうちに、だんだんと人間ドラマも生まれ、最終的には「字幕放送バラエティー」という型破りな放送スタイルまでをも確立してしまった、奇跡的な企画であった。

 『四国八十八か所』シリーズも、『日本全国絵はがきの旅』で全国を回っているうちに、ミスターが四国の絵はがきばかりを引いてしまったがために生まれたものだと言える。ミスターが「四国って(どうでしょう班を)呼ぶね」とポロリとつぶやいたのを聞いた藤村Dは、「絵はがきと同じポイントを撮影するまでの時間内で、四国にある88の札所を部回ってはどうか?」と、企画の本筋とは全く違う内容を提案してきたのである。

 四国八十八か所は、一般のツアーでも2週間ぐらいかかる長い行程だから、一晩で全部回れるはずなどなく、4番までしか行けなかった。それなのに、「八十八か所を回りました!」と見え見えのウソをついたところ、視聴者からは「最近のどうでしょうは気が緩んでいる!」などと、多数の苦情を受けてしまった。「これではいけない」と思い直したディレクター陣は、その後『試験に出るどうでしょう』シリーズの罰ゲームとして、必ず『四国八十八か所』をやるようになった。

 ・基本的に自分本位で物事を考える。時には”小悪人”となって、他のメンバーを陥れる。
 チームなのに、4人とも「自分が大事」という価値観で動いているのがどうでしょう班である。そして、自分の優位性を守るためなら、他のメンバーを罠にかけることも厭わない。そういう意味では、人間の本性がこれでもかというぐらい見事に露出するので、見ていて逆に気持ちいいのである。

 ミスターと藤村Dが結託して大泉さんを騙くらかしたり、藤村Dと大泉さんが結託してミスターを甘味地獄に陥れたりするのは、昔から番組の定番である。嬉野Dはカメラ担当なので、普段はあまりしゃべらないのだけれども、『アメリカ合衆国横断』では、嬉野Dがカジノで儲けたお金を強引に借りようとする大泉さんに向かって、「お前、四国で他人のクリームパン食っただろ!」と、昔の出来事を持ち出してくる。4人とも、それぞれ腹黒い部分があるのだ。

 高度な騙し合いになると、『シェフ大泉 夏野菜スペシャル』のように、「返り討ちを食らわせる」という技が繰り出される。この企画では、2ヶ月以上も大泉さんを騙し続けたのに、最後はシェフ大泉にまずい料理をお見舞いされてしまい、結局どっちが騙しの仕掛け人だったのか解らなくなってしまう。

 最もハイレベルな小悪人ぶりが現れたのは、新作の『原付日本列島制覇』であろう。藤村Dと大泉さんが汚い言葉でお互いを挑発し、罵っているのに、実は水面下で2人はがっちりと手を握り合い、油断していたミスターを奈落の底へと突き落とすのである(あの赤福事件)。そして、大泉さんが発した言葉がこれ。「どうでしょうでは、正論を言ったヤツの負け」、「どうでしょうでは、悪がはびこらなかったためしがない」

 ・企画自体は緩いのに、どうでもいいところで凝り性やマニアックさを発揮する。
 藤村DのDVD編集や、嬉野Dの写真集は凝り性の極み。藤村Dはマスターテープから全て編集し直してDVDを作っているし、嬉野Dは日清紡に掛け合い、生産中止になっていた「ミルトGA」をわざわざ復活させて写真集を出版している。

 企画で言うと、『ユーコン川160km』の中で、テントを3分30秒で設営することにチャレンジするシーンが出てくる。藤村Dは「視聴者は『そんなのどうでもいいだろ!』と言うかもしれないけれど、俺たちがやりたいからやる」と宣言し、男4人が必死になってテントを設営する様子がOAされてしまった。

 どうでしょうから派生したたくさんのグッズも、どうでしょうを知らない人が見たら「何でこんなものがグッズになるんだ??」と思うようなものが数多く存在する(トリオ・ザ・タイツの衣装セットとか)。
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 同じような価値観を持ったメンバーが集まっているから、お互いの判断や言動の意図が素早く共有され、チームは抜群の機動力を発揮する。それがどうでしょう班である。ただ、それだけで終わらないのがどうでしょうの凄いところ。今日の内容はあくまでも前置きにすぎない(「前置きが長えよ」とか言わないで、汗)。

 チームは往々にして、目的達成のために外部の人材や組織の力を必要とする。チームは、プロセスや製品コンポーネントの一部を担っているに過ぎず、残りのパーツは外部との連携によって埋めなければならない。単純に考えると、チームに欠けている能力や専門技術を持った人材・組織を持った企業を探し、業務・資本提携先を開拓するのが、オーソドックスな打ち手だろう。

 とはいえ、チームに固有の価値観があるように、外部の人材や組織にも、その人や組織に固有の価値観がある。チームが”もっと上手に”目的を達成したいのであれば、能力や技術・知識面の条件に加えて、「自分のチームと似たような価値観を有する人材・組織であるかどうか?」という条件も加えるべきだ。

 どうでしょう班の周りには、4人の価値観と驚くほど近い価値観で動いている人材や組織が寄ってくる。ディレクター陣の強運に拠る部分もあるのだろうが、「類は友を呼ぶ」ということわざの通り、なぜだかそういう人たちが集まってくるのだ。このネットワークは、どうでしょうというコンテンツの強さを語る上では欠かせない重要な要素である。

 どうでしょうが視聴者に届けられる、あるいはどうでしょうから派生した様々なグッズが顧客に届けられるまでのプロセスには、同じような価値観を持っているプレイヤーが数多くつながった、強固なチェーンが存在している。このチェーンを、マイケル・ポーターが言う「価値連鎖(Value Chain:バリュー・チェーン)」ならぬ、「価値観連鎖(Values Chain:バリューズ・チェーン)」と呼ぶことにしよう。この「価値観連鎖」が、どうでしょうの魅力をより一層強めているのだ。次回は、この点をもう少し掘り下げたいと思う。

(※1)今回の記事で言及した「目的」と「価値観」の関係性については、以下の過去記事もご参照ください。
 ビジョンを構成する要素とは一体何なのだろうか?
 ビジョンの3要素「目的」「価値観」「未来イメージ」はどう関係し合っているのか?

(※2)本文の内容とは関係ないけれども、「水曜どうでしょうをビートたけしさんやテリー伊藤さんが見たら、どういう風に思うんだろうなぁ?」と想像することがある。たけしさんなら、「オイラがやってきた番組とやり方が全然違うけど、こういうお笑いもあるんだな。人間が一番喜びそうな下世話な部分にうまく訴えかけているんだと思うよ。それも、下世話すぎないところがいいよね」って言いそうな気がする。

【水曜どうでしょう論】シリーズ
 (1)某局のコンセプト「楽しくなければテレビじゃない」を本当の意味で体現しているのがどうでしょう
 (2)どうでしょう班の4人をつないでいる「共有価値観」
August 18, 2011

【水曜どうでしょう論(1/6)】某局のコンセプト「楽しくなければテレビじゃない」を本当の意味で体現しているのがどうでしょう

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 またしても水曜どうでしょうと経営学を結びつけて書いてみようという、無謀な企画(苦笑)。水曜どうでしょうは、テレビの常識を次々と破った最強のローカル番組ということになっているが、じっくりと観てみると、マネジメントにおける重要な原理原則をしっかりと踏襲している。

 労働集約的なサービス産業が増加するにつれて、「社員満足度(ES)の向上が顧客満足度(CS)の向上につながる」(※)と言われるようになった。つまり、顧客とじかに接する社員自身が仕事に満足していなければ、顧客を満足させることなどできない、というわけだ。ディズニーやノードストローム、リッツカールトンはこの原則を大切にしている企業としてよく知られている。

 どうでしょうの場合、ミスター(鈴井さん)&大泉さんと、藤村D&嬉野Dの4人で番組を作るのが基本となっているが(時々、「無類の不器用」こと安田さんが入る)、あれだけ罵声が飛び交い、騙し合いやけなし合いを繰り広げているのに、視聴者には4人が楽しく旅をしているように映る。

 当然のことながら、OAで4人がマジ喧嘩をしていることなどないのであって、「こういう言葉をぶつけたら、本気でキレずに、ギリギリの線で面白おかしく返してくるだろうな」という”ツボ”を、お互いに熟知しているのである。あとは、「そのツボを、どうやってうまく押し続けるか?」という点に4人ともフォーカスを絞っており(特に大泉さんと藤村D)、その心理戦を楽しんでいるわけだ。

 どうでしょうClassicの放送で、たまに本来の前枠・後枠ではなく、現在の2人が登場して当時の企画を振り返るシーンが出てくる。その中で、ピストル ビストロ大泉がキャンピングカーで毎晩ひどい飯を3人にお見舞いし、後に「喧嘩モノ」の第一作と言われるようになった『北極圏突入アラスカ半島620マイル』について、大泉さんは「もう一度行ってみたいと思うのは、あのアラスカの旅だ」と発言している。

 先日購入したDVD第15弾『アメリカ合衆国横断』の副音声でも、藤村Dは「アラスカに比べると、僕の中ではアメリカ横断は印象が薄かった」と言っているものの、大泉さんは「アメリカの旅は、(グランドキャニオンやアリゾナ大隕石孔など)ちょこちょこと面白い景色が出てくるから、楽しかったな〜」と回想している(サンタフェのレストランで吐き倒したにも関わらず、である)。

 ミスターはちょっとポジションが違っており、たいてい企画のスタート時に、「自分はあんまり乗り気じゃない」とか、「本当は行きたくない」などと、自分が番組の企画・構成に携わっているという立場を忘れて、平気で悪態をついてしまう。それなのに、ふたを開けてみれば、

 ・中華が嫌いと言った『香港大観光旅行』では、中華料理に舌鼓を打ち(漢方ゼリーだけはダメだったが)、
 ・アメリカが嫌いと言った『アメリカ合衆国横断』では、「ペトリファイド・フォレスト(化石の森)国立公園」をやけにうきうきとはしゃぎ回り、
 ・キャンプが嫌いと言った『ユーコン川160km』では、夜のキャンプファイヤを眺めながら、「火は神聖な気持ちになるなぁ」、「生まれ変われるかもしれない」と、キャンプにはまったかのようなセリフを発する

など、ここぞというところでは、実は4人の中で一番旅を楽しんでいるのである。「あれだけ斜に構えていたのに、態度が全然違うじゃないか〜」というギャップに、見ている側も思わず笑ってしまうわけだ。

 藤村・嬉野両ディレクターが番組を楽しんでいるのは、敢えて述べる必要もないだろう。そもそも、どうでしょうという番組自体が、「藤村Dが行きたいところへ行って、やりたいことをやる番組」だし、笑いのツボが藤村Dと似ている嬉野Dは、藤村Dについて行って、趣味の写真を撮りながら自分も楽しむ、というスタイルで15年も番組を続けている。

 もちろん、ブンブンや深夜バス、東京ウォーカーなどのように、ツライ企画だと音を上げてしまうことは多々ある(特に藤村Dは、自分で考えた企画なのに、真っ先に弱音が出るタイプ)。だが、例えば『世界の果てまでイッテQ!』みたいに、本当に猛獣が出たり、治安が不安定な国に行ったりすることはない。そこはちゃんと予防線を張っており、「ちょっとツライ、でも頑張れば乗り切れる」というラインを貫いているのである。

 何かのインタビューだったか、DVDの副音声だったかちょっと忘れてしまったが、「どうでしょうは、ダイヤモンド社の『地球の歩き方』に載っている都市や名所を訪れているだけだから、決して無茶をしているわけではない」と語られていた記憶がある。

 以前の記事「アメトーークと水曜どうでしょうの比較論」(これが、お笑いについて真面目に論じた無謀な記事の第1弾、汗)でも書いたが、最近のバラエティは「出演者が本当に楽しいと思ってやっているのか?」と、しばしば疑問を感じる。ゴールデン枠のバラエティに関しては、時間帯的に見るのが困難なのであまり深く切り込めないけれど、テレビ局にとって格好の”実験場”である深夜枠は、もっとはっちゃけてもいいのではないだろうか?

 ところが、どうも全体的に小さくまとまっている印象が否めない。これには、企画そのものが弱いという理由もあるだろう。だがそれ以上に、

 ・とりあえず旬のタレントをスタジオに閉じ込めて、構成作家やディレクターたちが用意したシナリオをタレントに演じさせているだけ
 ・下請の制作会社がコスト削減の圧力の中でどうにか作ったVTRを、タレントがただ紹介しているだけ

などという構図がどこかで見えてしまい、その瞬間に興ざめしてしまうからだと考えられる。しかも、最近は芸能事務所がこぞって所属タレントを大量にテレビ局に売り込んでいるせいか、深夜でさえ1つの番組に出演するタレントの数が増えているように感じる(これは、誰かに実数値を算出してほしいぐらい)。

 そうなると、1人あたりの出演時間をできるだけ均等にしようとする構成作家やディレクターは、番組の流れを企画段階で相当細かく決めなければならない。しかし、それをやった瞬間に、番組は先ほどの”興ざめの構図”へと突入してしまうのであって、見ている側は堪えられなくなる。要するに、作り手と演じ手が完全に分離している上に、両者とも仕事に心がこもっていないということである。

 その点、どうでしょうは作り手と演じ手の垣根がないに等しい。これは、従来のテレビ業界の常識からすれば考えられないことなのだろうけど、「面白い番組を視聴者に届けるには、制作に携わっている人間全員が楽しんでいなければならない」、すなわち「顧客の満足度を上げるには、顧客に接する社員の満足度が高くなければならない」という、ビジネスの基本に忠実に従った結果なのである。

(※)このテーマに関する以下の過去記事もご参照ください。
 「ES向上⇒CS向上⇒利益向上」の自己強化システムについての考察−『バリュー・プロフィット・チェーン』
 「ES向上⇒CS向上のサイクル」をサプライチェーン全体に広げてみたら―『バリュー・プロフィット・チェーン』