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July 13, 2012

人材の採用に対する私の考え方〜創業1周年に寄せて(3)

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 もう1本だけ、創業1周年にちなんだ記事を書こうかと思う。今は私の個人事務所であるものの、将来的には法人化できたらいいなと思っているので、どういう人材を、どのタイミングで、どうやって採用しようかと考えることがある。とはいえ、あくまでもそれはまだ漠然としたイメージのレベルにとどまっている。しかしながら、1つだけ確かなことを言えば、私が今やっている事業の目的がもっと明確になり、仕事量が私個人のキャパシティを明らかに超え、さらにまだまだ仕事量が増えそうだという見込みが立つまでは、”絶対に”人材を採用しないということである。

 人材は、ヒト、モノ、カネ、情報、知識といった経営資源の中で、最も慎重に確保しなければならない資源である。なぜならば、その人材が不適切だと判明しても、後から取り返しがつかないからである。もちろん、他の経営資源も、意思決定の間違いは企業にとってマイナスである。ただ、必要のない設備(モノ)や知的財産(知識)は売却することができるし、データベースにゴミのような情報が溜まったならば、システム管理者に頼んで削除してもらえばよい。

 ところが、人材に関してはこういった手が通用しない。よっぽど処理に困った人材(かなり語弊のある表現だが・・・)でも、解雇事由を満たすことを確認した上で、解雇手当を支払う必要がある。だから、採用をめぐっては、おいそれと意思決定を下すことはできないのである。また、採用される側の立場に立って考えてみても、自社の仕事にその人の生活や家族、さらには人生そのものが懸かっているわけであるから、やはり慎重にならざるを得ない。企業としては、責任を持って人材を採用しなければならない。

 中小企業の場合、しかもスタートアップ時のベンチャー企業の場合は、採用する人材の性質によって企業の命運が決まると言っても過言ではないだろう。採用した人材の仕事の成果が、企業の業績に直結する。その人たちの仕事の進め方が、企業の方針となる。彼ら彼女らの性格や価値観が、企業の文化を醸成する。ジェームズ・コリンズの名著『ビジョナリー・カンパニー』でも述べられているように、重要なのは「バスがどこに向かうのか?」ではなく、「バスに誰を乗せるのか?」なのである。

 もしも私の事業で人材を採用するならば、3人同時に採用して4人体制にするのが理想ではないか?と考えている。4人という数字にはいくつかの根拠がある。研修を中心とした人材育成コンサルティング業の場合、前職での経験からして、営業担当者と講師(コンサルタント)による2人1組のチームにした方が、仕事を進めやすいことが解っている。また、スタートアップ時であれば、わざわざ経理や事務の担当者を採用するまでもないから、社員数は2の倍数となる。

 ドラッカーの著書『現代の経営(上)』には、「(CEOのチームに)2人しかいないと、小さな意見の違いが危機につながる。もう1人いれば、2人が互いに口をきかなくなっても機能できる」と述べたエグゼクティブのエピソードが紹介されている。私も、2人というのは非現実的だと思う。どちらかの身に何かしらのアクシデントがあれば、それだけでもうジ・エンドである。4人体制でチームを2つ作っておけば、万一誰か1人に何か起きたとしても、当座は1チームの業績で何とかカバーできるはずだ(逆に言うと、カバーできるようなビジネスモデルにしておく必要がある)。

 では、5人同時に採用して6人体制にするという道はないのか?というと、私としてはこれもまたあまり現実的ではないと考える。同時に採用する人たちは、事業の目的に”強く”賛同し、目的の実現に我が身を捧げる”強い”覚悟を持った人でなければならないし、仕事に対する私の価値観とある程度共通項を持っている必要がある。そのような人たちは簡単には見つからないだろう。私が社会に出て以来、時期の長短を問わなければ、既に何百人もの人たちと一緒に仕事をしたことになるが、その中で私と似たような価値観を持った人がどのくらいいたか?と問われると、答えに窮してしまう。私が求める条件を満たす人材を同時に発見できる限界は、おそらく3人であろうというのが、私の見立てである。

 ここからはやや異質な話になるけれども、4人体制というのは、オフィスを借りる最少人数であるとも思う。東京でオフィスを借りようとすると、最低ラインがだいたい30屬之10万円といったところである(探せばもっと安い物件もあるのだろうが)。家賃が月10万円ならば、社員1人あたり家賃は2.5万円となる。これは中小企業の平均値にほぼ等しく(※)、業績を圧迫しない水準であると考える。仮に2人で月10万円の物件を借りると、社員1人あたり家賃は5万円と跳ね上がってしまう。

 たかが家賃と侮るなかれ。オフィス物件の選定を誤れば、必要経費が必要以上に膨れ上がるので要注意なのである。ここで、ある中小企業の関係者から聞いた話を1つ紹介したい。その企業はかつて、社長が見栄を張って都内の一等地にオフィスを構えたのだという。その坪単価は、何と六本木ヒルズの最上階に入っているゴールドマン・サックスのオフィスの坪単価(=約4万円らしい)よりも高かった。社員1人あたりの家賃は10万円台になっていたそうだ(社員が3人ずつ集まれば、家賃代で若い社員が1人ずつ雇えてしまう)。

 その後業績が悪化したため、リストラを行い、オフィスも移転することに決めた。ところが、家賃の総額ばかりに着目していた社長は、総額が下がればそれでよいと考えていたらしく、結局は社員1人あたり家賃の金額が移転前とさして変わらない物件に引っ越してしまった。こういう初歩的なミスは避けなければならない、と私は思ったわけである。

(※)「会社ごと1人当たり月額、売上高及び営業費用の状況(数値データ編)」を参照。
July 08, 2012

「日本らしい経営」を探求する必要性〜創業1周年に寄せて(2)

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 (前回の続き)

 私は、世の中には5タイプの人間がいると考えている。すなわち、「革新者」、「媒介者」、「追随者」、「批判者」、「抵抗者」である。革新者は読んで字のごとくであり、「媒介者」は革新者のアイデアに補足や調整を施しながら、アイデアの推進力となる。「追随者」は、おそらくそのアイデアがよいだろうという理由で付き従う人々である。「批判者」は新しいアイデアが出るとまずは懐疑的な態度から入る。革新者たちのアイデアを必ずしも否定するわけではないが、いたずらに変化を求めることには難色を示す。「抵抗者」は一も二もなく変革に反対し、現状に固執する人たちを指す。ただし、特定の人が5つのカテゴリーのいずれかにぴったりと当てはまるというよりも、実際には5タイプの要素を少しずつ持ち合わせていると言った方が正確である。

 私自身はずっと、「革新者」になれたらいいなと思っていた。ところが、前回の記事で述べたように「新しいことが本当によいことなのか?」という問題意識が芽生えたことに加え、自分の性格が元来革新者に向いていないことを薄々自覚するようになった。7年間このブログを書く間に私自身が生み出した新しいコンセプトと言えば、おそらく「価値観連鎖(Values Chain)」の1個だけである。しかも、まだコンセプトレベルであり、中身は綺麗に整理されていない。ひょっとしたら、私が知らないところで、既に誰かが「価値観連鎖」に関して精緻な議論を展開しているかもしれない。

 【水曜どうでしょう論(3/6)】外部のパートナーを巻き込んで「価値観連鎖(バリューズ・チェーン)」を形成する
 自社のビジョンに利害関係者も巻き込む「価値観連鎖(Values Chain)」の再発見―『絆の経営(DHBR2012年4月号)』

 それよりも、「温故知新」ということわざに従うわけではないが、十分に消化されていないまま、流行に押されて人々の記憶から遠ざかってしまった知識や情報を深耕し、その中に価値を見出していく作業が必要なのではないか?と思うのである。先ほどの分類を使うと、「批判者」的な立場を取りながら「媒介者」となることが、私にフィットした役割なのかもしれない。とはいえ、単純にこれまでの経営技法を振り返り、修正し、再構築するだけでは不十分である。

 正直に告白すると、ブログを書きながら、記事の内容が何となく表面的な技法に終始しており、全体的に“上滑りしている感じ”を覚えることがある。自分がこれまで書いてきた経営技術には、思想的な肉付けが欠けていると思うのである。本田宗一郎は「技術はあくまでも末端のことであり、思想こそが技術を生む母体だ。技術は思想の結晶であり、哲学こそが大事だ」と述べた。これは、製造業の技術に限らず、経営技術を含む技術一般に言えることだと思う。経営技術にも思想、特に社会の思想が反映される必要がある。

名言物語 人生の極意、経営の勘どころ名言物語 人生の極意、経営の勘どころ
青野 豊作

講談社 1996-12

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 ピーター・ドラッカーの経営学は、著書のあちこちが切り取られて名言として紹介されることが多いけれども、根底を貫くいくつかの思想的源流があることを忘れてはならない。ドラッカー思想の出発点は、政治における自由主義である。ドラッカーは、第2次世界大戦を「アメリカが全体主義から自由を守るための戦い」と位置づけた(『新しい現実』)。ドラッカーが自由を強く信奉していたことには、第2次世界大戦時に、ナチスの迫害を逃れてオーストリアからアメリカに移ったという、ドラッカー本人の経験も強く影響していると思われる。

[新訳]新しい現実 政治、経済、ビジネス、社会、世界観はどう変わるか (ドラッカー選書)[新訳]新しい現実 政治、経済、ビジネス、社会、世界観はどう変わるか (ドラッカー選書)
P.F.ドラッカー 上田 惇生

ダイヤモンド社 2004-01-08

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 そのナチスから発禁処分を受け、迫害のきっかけとなった1933年の処女作『フリードリヒ・ユリウス・シュタール 保守的国家論と歴史的発展』(『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2009年12月号で読むことができる)は、政治における保守主義の有用性をキリスト教の視点から説いたものである。したがって、ドラッカー経営学と宗教との間に連関を探ることも可能であろう(具体的にどこに関連性があるのか、まだ見いだせていないのだが・・・)。

Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2009年 12月号 [雑誌]Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2009年 12月号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2009-11-10

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 また、ドラッカー経営学には、ハーバート・スペンサーの社会進化論も影響していると考えられる。ドラッカーは、人間の能力は無限に伸びると考え、「マネジメントは、経済的資源の組織化によって、人類の生活を向上させられるという信念の具現である」(『現代の経営(上)』)といった前提の下にマネジメントを論じている。これらはまさに、スペンサーの思想を反映するものであろう。加えて、ドラッカーが学生時代にキルケゴールを読んでいたと回想していることから、ドラッカーの経営学には、実存主義の影響も見て取れるはずである(私の怠慢ゆえに、まだキルケゴールを勉強していないため、宗教とドラッカーの関係と同様に、キルケゴールとドラッカーの関連性もつかめていないのだが・・・)。

ドラッカー名著集2 現代の経営[上]ドラッカー名著集2 現代の経営[上]
P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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 ドラッカーがアメリカ社会の思想や宗教に基づいて経営を論じたのであれば、日本人である私は、日本社会の思想に基づいて経営を論じる必要があるのではないか?また、日本の政治・経済思想は、日本人の国民性・民族性や文化と結びついているから、その辺りも視野に入れなければならない。こうして日本の思想の源流を手繰ることは、必然的に日本の歴史を手繰ることを意味する。よって、日本の歴史とは切っても切り離せないアジアとの関係を考慮しないわけにはいかない。

 キルケゴールは「人生は前向きに進むしかないが、後ろ向きにしか理解できない」という言葉を残したが、私が経営技法に磨きをかけて前に進むためには、後ろを振り返るべき時期に来ていると思うのである。
July 07, 2012

いたずらに新しさを追求することに果たして意味はあるのか?という疑問―創業1周年に寄せて(1)

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 7月1日で弊事務所が創業1周年を迎えました。ただ、だからといって特に何もないです(苦笑)。ボチボチやっている感じです。HPも後回しになったままで、未だに完成していませんし・・・。とはいえ、せっかくなので今考えていることを書いてみようかと。

 ちょうど先日、ブログの右欄についている「ブログを評価してください」のアンケートに、「耳年増的で限界が」というネガティブなコメントが寄せられた。「耳年増」とは、聞きかじりの知識ばかりが豊富な女性のことであり、特に性的な知識を指すようなので、このコメントを書いた人は、言葉の意味を正確に解った上で使っているのかなぁ?という疑問を感じる反面、「聞きかじりの知識が多い」という点に絞って言えば、痛いところを突かれたという気持ちであった。

 現在、このブログを始めてから8年目になる。右欄のカテゴリー別の記事数をご覧になればお解りになるように、財務・会計やガバナンスに関する記事が極端に少なく、また、カテゴリーにはないが、生産・在庫管理など私が弱い分野もまだたくさんある。それでも、経営の技術について新しいものを追い求め、それを私なりに幅広くあれこれと書いてきたつもりである。とはいえ、私の情報源は大半がビジネス籍であり(守秘義務の関係上、仕事のことは書きにくいという事情もあるのだが・・・)、それを様々に組み直して論じるのが私の基本スタイルであるから、「聞きかじりの知識が多い」という批判はある意味当たっており、耳が痛いのである。

 その“聞きかじった範囲”でこんなことを言うとまた怒られそうだが、最近は新しい技術や技法、ノウハウをいたずらに追い求めることに、果たしてどれほどの価値があるのか?という疑念が私の頭に浮かんでくるようになった。非常に乱暴な議論になるけれども、仮に新しい知識や情報が増加するにつれて人間の能力や創造力が向上するならば、その分だけ経済も成長するはずである。

 ここで、1980年以降の新刊書籍の出版点数と実質GDPの推移を見てみる。新刊書籍の点数は1980年比で約2.8倍になっているのに対し、実質GDPは約1.9倍にとどまる(ピンクの折れ線。近年はデフレなので、名目GDPで計算すると倍率はもっと低くなる)。ここに、インターネット上の情報を加えれば、情報量と経済の拡大スピードには歴然とした差が生まれるのは明白である。

<新刊書籍点数の推移(1980年〜2010年)>(※1)
新刊書籍点数の推移

<実質GDPの推移(1980年〜2010年)>(※2)
実質GDPの推移(1980年〜2010年)

 もちろん、新刊書籍の全てが新しい知識を扱っているわけではなく、過去のものに若干手を加えたレベルの書籍もあるし(むしろそういう書籍の方が多いかもしれない)、そもそも新刊書籍はビジネス書に限られない。同様のことは、インターネット上の情報にも当てはまる。インターネットの場合は、罵詈雑言に近い情報も多分に含まれているものと推測される。だから、単純にこのグラフの比較だけで、知識や情報の量と経済規模は比例しないという結論を下すことはできない。しかし、あるデザイナーが、昨今の情報技術の発達によってデザイナーの創造力は上がったか?という問いに対して、「下手な絵が増えただけだ」と答えたというエピソード(※3)は、それなりに現実を捉えている気がしてならないのである。

 かつて、ナレッジマネジメントシステムの導入が経営のブームになり、営業部門内では優良な提案書を、設計部門では優良な設計書を共有する、といった動きが広がった。ところが、一部の企業からは、「システム上は新しい提案書が増えても、営業担当者の提案書の質が向上しない」とか、「3D-CADで設計した設計書を共有すると、若手は設計の妥当性検証をシステムに頼るようになり、製造ラインでちゃんと製造できるかどうかを厳密に考えて設計する力が落ちた」といった声を聞いたものである。

 前者に関して言えば、優良な提案書と言えども不完全な部分はあるし、ある顧客向けの特有の情報を含んでいるから、それを安易にコピーして新しい提案書を作ると、かえって不完全な提案書になってしまうことが一因である。イメージとしては、90%ぐらいの出来の提案書を基に提案書を作ると、その8割ぐらいの完成度になる感じである。それが繰り返されていくと、90%×80%×80%×・・・といった具合に、完成度はどんどん下がっていくのである。

 後者に関して言えば、ドキュメントには設計者の”思想”までは反映されていない、言い換えれば、どういう意図でそういう設計にしているのか?という部分が見えないため、本当の意味での設計力が若手に伝承されない、ということである(ただ最近は、そういう設計思想も共有可能なシステムが登場しているらしい)。話があちこち飛躍している感じがしなくもないものの、要するに、いたずらに新しさを追求することは、果たして本当によいことなのか?というのが、最近の私の率直な実感なのである。

 (続く)


(※1)「新刊点数の推移 (書籍)」(日本著者販促センターHP)のデータより作成。

(※2)「日本のGDPの推移」(世界経済のネタ帳)のデータより作成。

(※3)村山昇著『“働く”をじっくりみつめなおすための18講義―よりよく働くための原理・原則』(クロスメディアパブリッシング、2007年)

“働く”をじっくりみつめなおすための18講義―よりよく働くための原理・原則 (アスカビジネス)“働く”をじっくりみつめなおすための18講義―よりよく働くための原理・原則 (アスカビジネス)
村山 昇

クロスメディアパブリッシング 2007-08

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