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December 28, 2011

明治時代から浮かんでは消えるリベラル・アーツ渇望論―『リーダーシップ不在の悲劇(DHBR2012年1月号)』

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Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2012年 01月号 [雑誌]Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2012年 01月号 [雑誌]

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総合国策の研究と次世代リーダーの養成 「総力戦研究所」とは何だったのか(土居征夫)
 先日の記事「野中郁次郎氏が分析する「日本軍6つの敗因」―『リーダーシップ不在の悲劇(DHBR2012年1月号)』」の脚注で触れた論文。「総力戦研究所」は、イギリスの国防大学やフランスの国防研究所に倣い、国防国家の支柱となるべき人材を養成する目的で1941年4月に開設された。同研究所では、次代を担うリーダーとして各省庁、民間企業、陸海軍から選抜された人々が、軍事的視点だけでなく、経済、政治、外交、国民生活などを総括した統合国策の立案研究を行っていた。日本軍、政府省庁ともにセクショナリズムが横行していた当時、組織の壁を超えて多様な人材が一堂に会する組織は例外的な存在であっただろう。

 同研究所に集まった若手リーダーは、総力を挙げて日米開戦を前提とした戦局を予想したが、そこで導き出された結論は「日本必敗」であった(必要な船舶量は月10万トン、年間120万トンと試算されたが、当時の日本の造船能力は多く見積もってもその半分であるなど、日本に不利なデータが次々と明らかになった)。彼らの分析結果は、後の太平洋戦争における戦局の推移を、真珠湾攻撃を除いてほぼ正確に予測していたという。

 しかし、シミュレーションの内容を近衛文麿首相とともに聞いていた東条英機陸相は、
 「諸君の研究の労を多とするが、これはあくまで机上の演習でありまして、実際の戦争というものは君たちの考えているようなものではないのであります。日露戦争でわが大日本帝国は、勝てるとは思わなかった。しかし、勝ったのであります。(中略)君たちの考えていることは、机上の空論とはいわないとしても、あくまでも、その意外裡の要素というものをば考慮したものではないのであります」
と述べて、結果を受け入れなかった。実際の戦局では「意外裡の要素」が働くという東条の言葉は確かに一理ある。ただ、当時の東条が、日露戦争で日本に有利に働いた意外な要因とは何だったのか?あるいは、太平洋戦争ではどのような偶発的要因を想定していたのか?また、その偶発的要因が起きる可能性をどの程度と見積もっていたのか?などに関して、確固たる考えを持っていたかどうかは不明だ(論文には特に書かれていない)。

 結局、総力戦研究所はわずか数年で閉鎖され、次代のリーダーを輩出するという目的は完遂されなかった。著者は、日本の軍事教育の欠陥に踏み込み、「リベラル・アーツ教育」の欠如を指摘している。
 陸軍大学校、海軍大学校、帝国大学に代表される明治以降の高等教育は、法律や軍事など実利本位の知識や技術の習得に専念した。その結果、大正・昭和期に、利害打算に長けた深みのない似非リーダーを多く輩出した。(中略)

 陸大海大ともに、リーダー(将帥)を養成するための教育は、主として上に立つ者としての徳目教育に終始し、深い人間観、世界観に根差す戦略的思考や、政治と軍事の関係を洞察する識見を養うものではなかった。
 リーダーの養成過程で最も重要なのは、リベラル・アーツ教育の拡充である。アメリカの高等教育機関では、毎回課題図書を与えて討議し、歴史や哲学、宗教、人間観について自分の頭で考える訓練を行う。(中略)

 近代日本では、西洋の列強に追いつけ追い越せとばかり、法学、工学、語学等の実学を重んじた結果、欧米諸国のリベラル・アーツ教育が重視した教養、すなわち文法・論理・修辞学の三学や、天文学、幾何学、算術、音楽などのアーツ、それに哲学、歴史などを学ぶ意義が深く省みられることはなかった。
 軍事教育にリベラル・アーツが欠けていたという主張は、実は野中郁次郎氏の論文「名将と愚将に学ぶトップの本質 リーダーは実践し、賢慮し、垂範せよ」とも共通する。野中氏は同論文の中で、次のように述べている。
 私はリベラル・アーツのなかでも、特に知についての最も基本的な学問である哲学の素養が社会のリーダーには不可欠だと考えている。哲学は存在論と認識論で構成され、その両面から、真・善・美について徹底的に考え抜く。それによって、モノではなくコトでとらえる大局観、物事の背景にある関係性を見抜く力、多面的な観察力が養えるのだ。東洋にも『論語』などの哲学があるが、どうしても道徳論になりがちで、知の飽くなき探求という意味では真善美を追求する西洋哲学に及ばない。
 真善美を学ぶ上では、東洋哲学より西洋哲学の方が優れているという点は、おそらく賛否両論があろう。個人的には、『論語』のような道徳は善の一部であると思うし、「美徳」という言葉があるように、美と道徳も密接な関係にあると考える。ただ、野中氏も土居氏も、哲学や歴史、文学などを学ぶことの意義を同じように強調している点は押さえておかなければならない。

 実のところ、リベラル・アーツ渇望論は、明治時代から3度発生していると私は考える。1回目は明治時代中期であり、明治政府が西洋列強に追いつくために積極的に欧化主義を採用してた頃である。幕末に佐久間象山は「東洋道徳、西洋芸術」という言葉を用いて、東洋の道徳を温存しながら西洋の芸術(技術)を習得することは可能だと主張し、明治政府もその路線を突き進んだ。

 しかし、西洋技術や制度の表面的で過剰な輸入が進むにつれて、日本人は西洋人に対して人種的に劣位にあるという見方が登場し、人種改造論までが真面目に議論されるようになった。こうした事態に耐えかねた人々は、次第に政府に対し反発を見せるようになる。例えば、佐久間象山に師事した西村茂樹は、1886年に発表した『日本道徳論』の中で、「道は本なり、制度は末なり」と説いて、伝統的な儒教観に根差した道徳の重要性を訴えた。

 また、ジャーナリストの陸羯南は、明治政府=国家が国民の上に立っていたずらに西洋を追いかける国家主義的な現状を「日本社会の支離滅裂」と批判し、国家主義に対立する概念として「国民主義」を提唱した。陸の国民主義は、国民の歴史的継続性と、精神的な面までをも含んだ国民の有機的統一性を重視する。

 さらに、同じくジャーナリストの三宅雪嶺は、先ほどの人種改造論に真っ向から反対し、1891年に『真善美日本人』を発表して、日本人の優位性と日本人が世界で果たすべき任務を提示した。三宅は、哲学のみが、個人の自由な活動と、学問を通じた一国の独立という2つの目的を同時に達成することができるとの信念を持ち、スペンサーの影響を受けながら独自の宇宙観を形成している。

 いずれの主張にも共通するのは、道徳観や歴史観などに基づいた社会構築の必要性である。当時はリベラル・アーツなどという言葉はなかったが、その意義を認識している人々は決して少なくなかったわけだ(※)。

 2回目は、この論文にあるように第2次世界大戦の時期である。そして、3回目は他ならぬ現代だ。土居氏や野中氏のリベラル・アーツ渇望論は、軍事教育の欠陥にのみ向けられているのではなく、そのまま現代にも通用するものである。3度の渇望論は、「技術が先行した時期」に発生しているという点で共通している。技術の著しい進歩によって、人間が技術に使われるようになると、リベラル・アーツにスポットが当てられると言ってよい。

 ここからは感覚的な記述になって恐縮だが、私自身社会人になってからずっと、「企業が利益を上げるための方法」をいろいろと模索し、顧客企業にも提案してきたつもりではあるけれども、どこか”上滑りしている感覚”があったのは否めない。利益を出すための技術的な方法を挙げろと言われればいくつも思い当たるものの、利益を出せばそれでOKなのか?という疑問に何となく胸が痞えている。

 企業は単に利益を追求するだけではなく、「よい利益」を追求しなければならない。言うまでもなく、「よい」とは価値基準であり、利益のよしあしを評価するのは企業が存立する社会である。ならば、社会がよいと認めるものは何なのかについて、もっと深く洞察する必要がある。社会の価値基準を考察するには、社会を構成する人間というものを深く理解しなければならない。同時に、社会が何百年、何千年と受け継いできた歴史の流れを紐解き、文化の中に埋め込まれた価値基準を掘り当てる必要もあるだろう。これこそまさに、リベラル・アーツの世界である。

 1つ例を挙げると、縮小する国内市場において、限られたパイを手放さないために、CRM(顧客関係管理)に注力して顧客を囲い込もうとする企業が増えている。CRMが成功すれば、確かにLTV(顧客生涯価値)は上がり、持続的な利益の創出が可能になるだろう。しかし一方で、囲い込みは顧客による自由な選択の余地を奪っているとも言える。そこまでして利益を出すことが果たして「よい」ことなのだろうか?むしろ顧客を解放して顧客の自由な選択に委ね、自社を選んでくれたその時には最高の体験を提供するというやり方の方が、「よい」経営とは言えないだろうか?

 来年はリベラル・アーツの世界にも足を突っ込むことにしよう。

(※)朝日ジャーナル編『日本の思想家(上)』(朝日新聞社、1975年)
December 26, 2011

2人の暴走を招いた「そうせい候」的な上司・板垣征四郎―『リーダーシップ不在の悲劇(DHBR2012年1月号)』

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「攻撃は最大の防御」という錯誤 失敗の連鎖:なぜ帝国海軍は過ちを繰り返したのか(杉之尾宜生)
 野中氏の論文は日本軍全体に焦点を当てて敗因を分析したものであるが、この論文は海軍にフォーカスを絞っている。論文では3つの敗因が挙げられている。ただ、(2)を除く2つの原因は、結局のところ日本軍全体に共通するものであるように思える。
(1)戦争イコール武力戦という誤解
 日本は、世界秩序のなかでどのような地位を占め責務を果たすべきかという未来像を描くことなく大東亜戦争に突入した。本来、グランド・ストラテジー(国家戦略、戦争目的)を明確にしたうえで、軍事戦略が構築される。軍事戦略に基づく武力戦は戦争の一部にすぎない。むしろ非武装戦の分野の質と量が、彼我の優劣を決する。

(2)シーレーン防御の誤解
 島国日本にとって、資源供給のためのシーレーン(海上交通連絡船)を確保することが死活問題であることは小学生でも知っていた。だが、帝国艦隊は大艦巨砲主義に基づく艦隊決戦に固執し、「攻撃は最大の防御」という誤った軍事教義に基づく海軍戦略によりシーレーンを寸断破壊され、日本経済はジリ貧からドカ貧に陥って経済的に破綻した。

(3)科学技術に対する先見性の欠如
 大東亜戦争開戦時、日本の科学者たちは世界最先端の成果を上げ、軍事科学技術の質的戦力は欧米に勝るとも劣らないレベルにあった。しかし、日本の政・官・軍の指導者は、先端技術の可能性・有効性と科学者の提言に背を向け、貴重な高質の人的資源を組織的に有効活用しようとする視座を持ち合わせていなかった。
 論文では(3)の例として、東北帝国大学工学部教授の八木秀次が発明した「八木アンテナ」が取り上げられている。八木アンテナは、電波の指向性通信(長さの異なるア棒状のアンテナを並行に並べ、特定の方向だけに発・受信する方式。現在の超短波、極超短波で使用されるほとんど全てのアンテナ系はこの方式による)を可能にする画期的イノベーションであった。しかし、八木アンテナを軍事活用したのは日本ではなく、イギリスやオランダ、そしてアメリカであった。技術的には優位なのに競争に負けるという話は、現在の日本企業の経営でもよく聞く話ではないか??

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「組織人」になれなかった天才参謀の蹉跌 石原莞爾:官僚型リーダーに葬り去られた不遇(山内昌之)
 満州事変の首謀者である石原莞爾に関する論文。著者は、石原莞爾の戦略眼について、
明治以降の日本軍人のなかで最も優れた戦略家・兵学家であり、「天才」と言ってもいいのではないかと私は考えている。
と絶賛しているのに対し、組織人としては
 失格者の部類の人間であり、致命的な欠陥のために失敗している
と酷評している。石原が組織人として大成しなかった理由は、1つには多様な職務を経験して出世に必要なキャリアを踏むことがなかったためであり、著者は次のように述べている。
 石原はといえば、教育総監部でほんのわずかの勤務経験があるだけで、後はひたすら作戦畑である。人事やマネジメントの才を必要とする組織人たる力量は、それこそ(東条英機と比べて)雲泥の差があっただろう。
 もう1つの理由は、石原の性格的な問題で、
 石原は、生来の歯に衣着せぬ物言いで、常に周囲と軋轢を生んできた。部隊の部下には慕われたものの、東条をはじめとする上層部や同僚からはかなり煙たがられていた。
という。その石原と全く正反対なのが、引用文でも石原との比較対象になっている東条英機である。東条英機は、組織人としては秀でたマネジメント能力を備えていたけれども、軍人としてはまるで凡庸だったという。
 戦前の日本陸海軍というのは巨大な官僚機構だった。(中略)人事の異動1つ取ってみても、いまの中央官庁の人間の異動以上に精緻さが求められた。当然のことながら、その巨大な組織の隅々にまで目を配り、動かしていく人間が必要になる。努力型の秀才である東条は、そういうマネジメントの能力では秀でていた。

 (一方、)戦略家・兵学家としての東条はまったく冴えたところのない、月並みな人間だった。せいぜい陸軍少将になって、旅団長クラスで終わるはずの軍人だったのだ。
 少将は、旧日本陸軍の将官の中では最下級である。それが首相兼陸相となり、さらに参謀総長を兼任していたのだから、5階級ぐらい過大評価されていたことになるだろうか?東条は「平時のリーダー」に過ぎず、戦時のリーダーシップを備えていなかった。石原は、過大評価された平時のリーダー・東条につぶされてしまった、と著者は述べている。

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独断専行はなぜ止められなかったのか 辻 政信:優秀なれど制御能わざる人材の弊害(戸部良一)
 ノモンハン事件(1939年)、ガダルカナル島の戦い(1942年)で日本陸軍は壊滅的な被害を被ったが、その時の参謀が辻政信である(※)。ノモンハン事件では、少佐、作戦参謀に過ぎなかった辻が、作戦課長の事態静観論を退けてソ連・モンゴル軍への攻撃を主張し、関東軍の方針と作戦計画を方向づけた。そのノモンハン事件で大失敗を犯し左遷された辻であるが、わずか1年で参謀本部の要職に返り咲いている。そして、ガダルカナル島の戦いでは、日本軍の兵站能力を超え制海権・制空権の及ばないガダルカナルへの大兵力投入に疑問を呈する声があったにもかかわらず、敵の初動を制することの必要性を論じ立てた。

 なぜ辻は一介の参謀でありながら、中央以上に権限を持ち、「独断専行」に踏み切ることができたのか?この問いに対し、著者は興味深い答えを提示している。
 辻は必勝の信念、積極果敢、率先垂範、命を鴻毛の軽きに比す、といった当時の陸軍が最も重視していた理念を、体現し実践しようとしていた。より正確に言えば、そうした理念を体現し実践しているように見えた。
 辻の強調する理念は、もともと軍事組織の機能を最大化するために掲げられたものであった。軍事組織の機能発揮のためには必要不可欠な理念であったと言ってもいいかもしれない。
 つまり、辻の言動は、陸軍の理念に合致していたから、「だれも公然と反対できなかった」のである。理念を徹底的に追求しているがゆえに、多少の失敗(ノモンハン事件の失敗は、”多少の”失敗で済まされる次元ではないのだが・・・)があっても、寛容に扱われたのだという。

 では、辻による理念の徹底追求が行き過ぎたものであり、辻のような人物の暴走を止めるにはどうすればよかったのか?著者は、「軍事組織の機能発揮という次元を超えた普遍的な価値」が必要だと指摘する。ただ、ここでいう「普遍的な価値」が何かは論文の中で明らかにされていない。そもそも、必勝の信念、積極果敢、率先垂範といった価値観そのものが、論文で紹介されている作家・杉森久英の言葉にあるように、「小学校の修身教科書が正しいという意味で正しい」のであって、それを超える普遍的価値とは果たして何なのか?(小学校の修身教科書を超える普遍的価値など果たして存在するのか?)やや疑問に感じる。

 論理的な解決の方向性としては、次元の異なる価値観を用意するという方法がありうるのかもしれないが、より実務的な方策としては、陸軍の価値観や理念の意味するところを、上層部と現場がもっと深く対話するべきだったのではないだろうか?必勝の信念、積極果敢などといった言葉の表面的な理解にとどまるのではなく、価値観に沿った行動で成功した例や、価値観に反して失敗した例を題材にしながら、価値観の本当の意味や意義を共有する作業が、陸軍には必要であっただろう。また、個別の意思決定の場面において、一見価値観に沿った行動であっても、本当に望ましい結果が得られるシナリオや算段があるのかを厳しく検討しなければならなかったはずだ。

 こうした仕事は、現場の上に立つ人間の役目に他ならない。しかし、ノモンハン事件では、時の陸相である板垣征四郎がこの仕事を怠り、辻の暴走を招くきっかけを作ってしまったと言える。
 関東軍の作戦準備は陸軍中央の了解なしに進められ、実行間近になって大本営に報告された。陸軍中央では作戦の可否をめぐって議論が白熱、賛否両論が伯仲したが、最終的には、「一個師団程度のことならば関東軍に任せてもいいではないか」という板垣陸相の一言で決着がついた。
 さらに言えば、板垣征四郎は、石原莞爾が満州事変を起こした時の上司でもある(当時は関東軍高級参謀)。先の論文「「組織人」になれなかった天才参謀の蹉跌 石原莞爾:官僚型リーダーに葬り去られた不遇」では、
 板垣は東条と違って優秀な部下と張り合うことはせず、鷹揚にすべてを任せるタイプだったようで、そんな上司の下で石原は力を発揮したのである。
と板垣のことが肯定的に捉えられているものの、満州事変以降、陸軍では現場による「独断専行」が頻発するようになった。そして、その独断専行に苦しんだ人物の一人が、石原だったのである。石原は、満州国を軸として「五族協和」、「王道楽土」の理念を実現しようとしており、中国との戦争は望んでいなかった。ところが、部下が引き起こした1942年の盧溝橋事件(当時の石原は参謀本部作戦部長)によって陸軍は対中戦争へと傾き、石原の構想は大きく狂ってしまったのである。

 板垣がノモンハン事件の際に辻を制していれば、さらには満州事変の際に石原を制していれば、陸軍に「独断専行」の文化が生まれることはなかったかもしれない。以前の記事「上司が無能でも部下が育つというパラドクスをどう考えるか?」では、幕末の長州藩主・毛利敬親の「そうせい候」的な態度に触れたけれども、「そうせい候」ではいかに部下が優秀でも組織を正しい方向に導くことができない。もっと言えば、部下が好きなようにやるのであれば、上司など不要である。なぜ上司というポストが必要なのか?上司がなすべき仕事とは何か?を考えるにあたって、板垣を反面教師にしなければならないと思う。

(※)辻正信については、DHBR2006年2月号所収の菊澤研宗氏の論文「リーダーの心理会計」も参照されたい。

Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2006年 02月号Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2006年 02月号

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December 25, 2011

「淡白課長」から「人情課長」へと移行するアメリカ人―『リーダーシップ不在の悲劇(DHBR2012年1月号)』

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日米比較:名もなき兵士たちの分析研究 「最前線」指揮官の条件(河野仁)
 日米両軍の兵士が初めて直接対決したガダルカナル島の戦い(1942年)を生き抜いた兵士の言葉から、現場の泥臭い戦闘を指揮するリーダーに求められる能力や資質を考察した論文。よくある軍本部や政府のリーダーシップとは毛色の異なる内容で、本号の特集の中では一番興味深かった。アメリカ軍が「バンザイ作戦」と呼んだ白兵突撃作戦には首を傾げざるを得ないものの、論文を読み進めると、アメリカよりも日本の方が現場リーダーとして望ましい人材が集まっていたように思える。

 1953年から継続する「日本人の国民性調査」(統計数理研究所)には、次のような質問がある。
 ある会社に次のような2人の課長がいます。もしあなたが使われるとしたら、どちらの課長に使われるほうがよいと思いますか?

 ・規則を曲げてまで無理な仕事をさせることはありませんが、仕事以外では人の面倒を見ません。
 ・時には規則を曲げて無理な仕事をさせることもありますが、仕事以外でも人の面倒をよく見ます。
 論文の著者は、前者を「淡白課長」、後者を「人情課長」と呼んでいる。日本人の8割以上が常に人情課長を支持してきた。この結果を国際レベルで比較すると、人情課長に対する支持率が最も高いのが日本(87%)であり、次いでオランダ(78%)、西ドイツ(69%)、フランス(64%)と続き、アメリカ(51%)はイタリア(48%)に続き支持率が低い。日本が人情課長を支持し、アメリカが淡白課長を支持するというのは、我々の日常的な認識にも合致していると思う(※1)。

 ただし、アメリカ人が人情課長を否定的に見ているかというと、そうとは言えないだろう。先の国際比較でも、アメリカ人の51%が淡白課長を支持したということは、裏を返せば49%は人情課長を支持したことになる。また、そんな回りくどい解釈をしなくても、別の調査を見ると、危機的な状況下ではアメリカ人でも人情課長への支持が高まる可能性が見えてくる。

 論文で紹介されている「アメリカ軍兵士の戦闘意欲」という1949年の調査結果は、アメリカ軍兵士の戦闘への動機づけ要因を将校と下士官・兵で比較したものである。将校の回答は「統率・軍紀」が19%と最も高く、「連帯感」(15%)、「使命感・自尊心」(15%)、「任務完遂」(14%)、「復讐心」(12%、太平洋戦線に限れば18%)と続く。これに対して、下士官・兵の回答は、「任務完遂」(39%)が1位であり、2位以降は「連帯感」(14%)、「家族・恋人」(10%)、「使命感・自尊心」(9%)、「自己保存」(6%)となっている(※2)。

 ここで注目したいのは、どちらの回答でも2位に「連帯感」がランクインしている点である。論文の著者も、
 筆者のインタビュー調査でも、アメリカ兵たちは「戦友を守る」「部隊への忠誠」「戦友愛」「生き延びるためにはお互いが必要だ」など、表現こそ違え、連帯感が彼らを戦闘へと駆り立てたことを指摘した。彼らは、戦友同士が家族のように感じ、まるで兄弟のような、あるいは兄弟よりも親しい関係にあった、と語るのが常だった。
と述べている。つまりアメリカ人は、連帯感を感じさせてくれるリーダーについて行きたいと考えているのである。そのようなリーダー像は、人情課長の特性に他ならない。一方で日本兵はどうかというと、そのような連帯感が明確に意識されていたわけではないと著者は言う。しかし、日本兵が決して連帯感を軽視していたわけではなく、一種自明のものとして受け止めていたためと分析している。

 さらに、論文の最後では、イラクやアフガニスタンで行われている「COIN作戦」(反乱鎮圧作戦:counter-insurgency opreation)という作戦地域住民の人身掌握作戦にも言及されているが、約10年に渡るCOIN作戦を通じて、アメリカ軍の指揮官には「相手の立場に立って考えること」ができるかどうかが問われるようになったという。アメリカ軍が一方的に支援を”押しつける”のではなく、現地住民が本当に欲している支援を提供すること、あるいは住民が欲している支援であっても、住民の中長期的な自立のためであれば敢えて支援をやめることが重要になっている。

 こうしたCOIN作戦の教訓を受けて、2006年に改訂されたリーダーシップに関する野戦教範(Army Leadership FM622)では、指揮官に必要不可欠な能力として「共感力」(empathy)が明記された。これこそまさに、日本人が人情課長に期待している能力に他ならない。極論すれば、日本人が戦前からずっと一貫して重視している人情課長の特性が、アメリカでは現代になってようやく明確に認識されるようになったというわけだ。

 にもかかわらず、太平洋戦争では日本はアメリカに敗れた。連帯感を醸成するのに長けた優れたリーダーがどれだけ現場に揃っていても、間違った目的のために人々を結集させてしまえば意味がない。”正しい目的”に向けて結束を高めるのが、現場リーダーの役割である。そして、その”正しい目的”を設定するのは、他ならぬ上層部のリーダーシップの役割だ。アメリカが自国の理念である「自由」を守るために戦ったのに対し、日本は「国家のため」、「天皇のため」という抽象的な目的をついに脱することができなかった。この論文は、「日本は現場レベルではアメリカに勝るリーダーシップがあったのに、上層部にはそれがなかった」というメッセージを暗に発信しているような気がする。


(※1)余談だが、アンケート調査では細かい言葉の使い回しが結果に微妙な影響を与える。日本人は、文章の最後の言葉の印象に左右されるという話を何かの本で読んだ記憶がある(記憶が曖昧でスミマセン・・・)。すなわち、日本人は「肯定的+否定的」、「否定的+肯定的」という2種類の文を読むと、後者をより前向きに評価する傾向がある。よって、先の課長の調査では、必然的に人情課長の方が実際よりも高めに評価されてしまうのではないか?こうしたバイアスを避けるには、前者の選択肢を「仕事以外では人の面倒を見ませんが、規則を曲げてまで無理な仕事をさせることはありません」という具合に、前後の入れ替えをしなければならないと思う。

(※2)これもまた余談であるけれども、軍の実態をきちんと定量調査するのは何ともアメリカらしいと感じた(日本もあまり公に出てこないだけで、定量調査をやっているのかもしれないが)。本論文にはこれ以外にも、戦場における精神疾患の発症率や、戦場における「祈り」の効果に関する調査などというのも登場する。ちなみに、下士官の70%、将校の62%が、激戦の時は神への祈りが「とても役立った」と答えているそうだ。