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May 12, 2012

なぜ『理系のトップはなぜダメなのか』という本がダメなのか?

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理系のトップはなぜダメなのか理系のトップはなぜダメなのか
諒 純也

阪急コミュニケーションズ 2012-03-01

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 『TOPPOINT』2012年5月号(※1)で紹介されていた1冊。4ページのサマリだけで突っ込みどころがあったので、敢えて記事にしてみた。本来ならばちゃんと本を買い、全部読んだ上で批評すべきなのだろうけれども、お金と時間がもったいないから、(やり方が卑怯だという批判は承知の上で、)サマリだけを題材に本書を批評してみる。

 本書で「ダメな理系のトップ」としてやり玉に挙がっているのは、民主党の鳩山・菅元総理である。
鳩山総理は、(民主党政権発足後の)国際会議で「温室効果ガス25%削減」を宣言した。それは国家の方針としてロジックの通ったものだったが、企業のコンセンサスを得ずに宣言したため、ひんしゅくを買った。このように理系は、「論理的に成立するもの」=「万人が納得できるもの」と考えがちである。
福島原発の事故の際、菅総理は「俺は原発には詳しいんだ!」と言ったとされ、自らヘリに乗って現場に出かけるなど、相当に非常識な対応をした。こうした「自身の理解力に対する過信」も、理系人間にありがちな側面である。
 そして、「理系トップの陥りやすい罠」として、以下の5つを挙げている。
(1)理系人間には、白黒をはっきりさせ、「正しいこと」がベストだと思い込む習性がある。そのため、徹底的に相手の間違いをあぶり出そうとして、相手の心にしこりを残す。

(2)理系トップは、自己のロジック=全体のロジックと勘違いしがちである。それゆえ自分の希望をゴリ押ししたりする。

(3)理系トップは、頑なである人が多い。状況が変わっても、一度決まった方針はひたすら遵守しようとする。

(4)理系の現場では、現状より性能を何%改良するというように、仕事の数字は「追う」ものである。そのため理系トップは、「数字に追われる」厳しさがわからない。

(5)コミュニケーションする際、理系トップは相手に理解してもらうことよりも、「正しいか、間違っているか」「正確か」といった理系の評価軸にこだわる傾向がある。
 サマリを読む限り、鳩菅2人の失敗を基に「理系のリーダーはダメだ」というレッテルが張られているように感じる。これは、理系の人にとっては著しく不利な論法だろう。そもそも、「コンセンサスを得ない」、「自分の理解力を過信している」、「頑なで方針を変えようとしない」という性格は、理系人間特有のものではない。民主党の例を挙げると、「口先番長」と揶揄される前原誠司氏は京都大学法学部卒、「原理原則主義者」の異名をとる岡田克也氏は東京大学法学部卒であり、2人とも文系である。つまり、理系・文系の問題ではなく、あくまでも個人の問題(あるいは、政治に限って言えば、民主党という組織の風土の問題)なのである。

 著者が挙げている「理系トップが陥りやすい5つの罠」のうち、(1)〜(3)と(5)に関しては、同じような罠に陥っている文系出身者を何人か私も見てきた。コンサルファーム出身者は、文系・理系を問わず(1)と(5)に陥りやすい。また、社内で政治的に振る舞おうとする人は、(2)に陥りやすい。

 なお、(4)は意味がよく解らないのだが、サマリを読む限りでは、文系の人間は「営業は○○円の売上を上げる」という目標が与えられると、その数字に「追われて」目標を必死で達成しようとするのに対し、理系の人間は「性能を○○%改良する」、「コストを○○%ダウンする」という目標を与えられても、「現状からよくなればよい」という甘えのロジックにより、目標に届かなくてもよしとしてしまう、ということを言いたいようである。しかし、経営目標である以上、文系と理系でそういう差が生じる理由などどこにもないのであって、R&Dや製品開発の現場で働く理系の人たちは、目標をクリアするために文系と同じように努力しているはずだ。

 もし本気で「理系のトップはダメ」であることを証明したいのであれば、例えば上場企業の歴代社長について、在任期間中の時価総額の増加率をランキング化し、ランキングの大半を文系出身者が占めることを示すなど、何らかの統計的な手法を用いるべきではないだろうか?この本の著者も理系出身なのだから、この手の分析はお手の物だろう。もちろん、そういう分析にも欠陥はあるのだが(詳しくは脚注を参照)、鳩菅の事例から一般化するよりはましである(※2)。

 皮肉なことに、(というか、これは『TOPPOINT』の編集者がわざとそうしたのではないか?と思うぐらいだけれども、)この本の前で紹介されている『言葉力が人を動かす』の著者・坂根正弘氏(コマツ取締役会長)は、コマツの社長就任直後に直面した創業以来初の赤字から、構造改革によってV字回復を達成した人物であり、大阪市立大学”工学部”出身なのである。

言葉力が人を動かす―結果を出すリーダーの見方・考え方・話し方言葉力が人を動かす―結果を出すリーダーの見方・考え方・話し方
坂根 正弘

東洋経済新報社 2012-02-24

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(※1)『TOPPOINT』は、毎月数多く出版されるビジネス関連の新刊書の中から、アイデアに溢れ、内容が斬新な「一読の価値のある本」を紹介してくれる月刊誌(「TOPPOINT」HPより)。主に取り上げられるのは毎月10冊で、1冊の内容を4ページに要約してくれる。それ以外にも、短い書評が約20冊分掲載されている。

(※2)ハーバード・ビジネス・レビュー誌は、株価を用いたより厳密な手法で世界中のCEOのランキングを作成したことがあり、その詳細はモルテン・T・ハンセン他著「在任期間の業績で評価した世界初のランキング 世界のCEOベスト50」(『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2010年5月号)で公表されている。HBR誌は、1995年から2007年に就任したCEO1,999人について、在任期間中のTSR(total shareholder return:株価の上昇または下降分と配当の総利回り)を算出し、トップ50を選出した)。

 日本人でランクインしているのは、神林留雄氏(28位、NTTデータ、1995〜1999年)、御手洗冨士夫氏(38位、キヤノン、1995〜現在)。そして、この2人を上回る17位に、本文の最後で紹介したコマツの坂根正弘氏(2003〜2007年)が入っている(以前の記事「優れたリーダーは最短距離を走らない(後半)−『人と組織を動かすリーダーシップ(DHBR2010年5月号)』」を参照)。

 もっとも、以前の記事の中でも指摘したように、この手法はいくつかの問題を抱えている点には注意しなければならない。在任期間が短い場合、TSRの増加はそのCEOの実力なのか、それともたまたま事業環境に追い風が吹いていただけなのかが判別しにくい。また、就任前のTSRが高いCEOよりも低いCEOの方が、もっと解りやすく言えば、業績が好調な企業を引き継いだCEOよりもダメな企業を引き継いだCEOの方が、TSRを上げやすく有利である。

 さらに、そのCEOが、CEO就任の少し前にTSRの低下につながるような失敗をしたにもかかわらず、CEO就任後にTSRを回復させた場合、すなわち”自作自演型”のTSR増加の場合は、そのCEOを過大評価してしまうことになる(以前の記事「【論点】事業後継者の資質に優先順位をつけるとしたら?他―『リーダーの役割と使命(DHBR2011年12月号)』」で取り上げた、BMSノースアメリカの社長兼CEOグレゴリー・ベイブはこのケースに近い)。加えて、そもそも論として、TSRの増加をCEO1人の能力と結びつけてよいのか?という問題もある。ひょっとしたら、他に優れた経営メンバーがいたおかげだったかもしれない。

Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2010年 05月号 [雑誌]Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2010年 05月号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2010-04-10

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March 09, 2012

【ドラッカー書評(再)】『経営者の条件』―組織を、世界を変えていく能動的なエグゼクティブ像にはあまり触れられずとの印象

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ドラッカー名著集1 経営者の条件ドラッカー名著集1 経営者の条件
P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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 『経営者の条件』に関する記事は今回で最後。本書は、エグゼクティブ個人が成果を上げるための能力・習慣を述べたものであるが、所々に企業・組織の視点から見た職務設計の原則も登場する。
 職務は客観的に構築しなければならない。人間の個性ではなく、なすべき仕事によって決定しなければならない。組織の中の職務について、その範囲や構造や位置づけを修正すれば、必ず、組織全体に連鎖反応が及ぶ。組織において、職務はお互いに依存関係にあり、連動している。1人の人間を1つの職務につけるために、あらゆる人たちの職務や責任を変えることはできない。
 業績は、貢献や成果という客観基準によって評価しなければならない。しかしそれは、職務を非属人的に定義し、構築して初めて可能となる。さもなければ、「何が正しいか」ではなく、「だれが正しいか」を重視するようになってしまう。そして人事も、「秀でた仕事をする可能性が最も大きな人間はだれか」ではなく、「自分が好きな人間はだれか」「みなに受け入れられるのはだれか」によって決定するようになってしまう。個人に合わせて職務を構築するならば、組織は確実に、情実となれないに向かう。
 ドラッカーの職務設計の原則を簡単にまとめてみるとこんな感じだろうか?まず、企業の外部に存在する顧客が、企業全体の成果を規定する。次に、企業全体の成果を、部門単位の成果にブレイクダウンする。さらに、部門ごとの成果を論理的に分解することで、各社員(≒エグゼクティブ)の成果を定める。その成果によって、それぞれのエグゼクティブの職務範囲が決まる。しかも、エグゼクティブの成果は、相互に依存関係にあり、協業を通じて初めて達成されるものである。こうした考え方は、後のMBO(Management by Objectives:目標管理制度)にも反映されているだろう。

 だが、この職務設計は2つの前提に基づいている。1つは「顧客の要求は合理的である」という前提である。実際、ドラッカーはしばしば、「顧客の要求を非合理だと受け取る企業もあるが、顧客の要求は常に合理的である」といった趣旨の発言を他の著書でも繰り返している。もう1つの前提は、組織構造や組織の慣例が、企業や部門の成果を適切な演繹的プロセスで各社員の成果に落とし込むことができる、というものである。

 しかし、前者の前提については、顧客の要求が常に合理的かどうかは、特に最近は怪しいところがある。社会通念的に見ると、どう考えても非合理的としか言えないような要求をしてくる顧客の存在も否定できないのではないだろうか?(※1)また、後者の前提に関しても、そこまで完璧に設計された組織や慣例はそうそうない。確かに、ある時期はそれでうまくいったのかもしれないが、時とともに変化する企業の外部・内部環境に適合できなくなっている可能性もある。

 こういう状況では、「顧客の要求は本来はこうあるべきだ」、「顧客にとって本当に望ましいのはこういうことだ」と企業側から逆提案を行うこと、さらに、本来の理想的な顧客の要求から出発して旧来的な組織構造やルールを破壊し、各エグゼクティブの職務を再定義することが要求される(※2)。これこそがリーダーシップである。ドラッカーはリーダーシップについても数多くの原理原則を残したが、本書に限って言えば、このリーダーシップの要素がやや弱いという印象がある。

 もちろん、部分的にはエグゼクティブがリーダーシップを発揮した事例が紹介されている。
 アメリカのある大手商業銀行では、証券代行部は、安定した利益はあげるが、単調な仕事と考えられていた。この部門は、手数料ベースで事業会社の株式の名義書き換えを代行していた。株主名簿の管理や、配当の小切手郵送など、雑多な事務手続きを行っていた。

 ある日、この部門を担当することになった副頭取が、「証券代行部はどのような貢献ができるか」と自問するまでは、そのような部門だった。しかし彼は、証券代行の業務が、事業会社の財務担当役員は、預金、貸し付け、投資、年金管理など、あらゆる銀行サービスに対する買い手として、意思決定を行う立場にあった。そこには、銀行のあらゆるサービスについての一大営業部隊となりうる可能性があった。
 株式が電子化された今では証券代行部など存在しないから、事例の古さは否定できないものの、要は副頭取が顧客である事業会社が自部門に明確に期待していることだけから出発せず、帰納的な思考を用いて、「事業会社は本当はこういうことを望んでいるのではないか?」という点から出発し、証券代行部の職務をガラリと変えてしまったところがポイントである。
 企業、政府機関、病院に働くエグゼクティブの多くは、自分にさせてもらえないことについてはよく知っている。彼らは、上司がさせてくれないことや、企業の方針がさせてくれないことや、政府がさせてくれないことについて、気にしすぎる。

 成果をあげるエグゼクティブも、自らに対する制約条件は気にしている。しかし彼らは、してよいことであって、しかも、する値打ちのあることを簡単に探してしまう。させてもらえないことに不満をいう代わりに、してよいことを次から次へと行う。しかもその結果、同僚たちには重くのしかかっている制約そのものが、彼らの場合は消えてしまう。
 これは、組織の慣行によって不適切に定義されているとエグゼクティブが感じている成果を自ら再定義し、新しい成果を追求するというリーダーシップの例である。こうしたエグゼクティブがあらゆる階層に存在すると、企業全体として変化に適応する能力が高まる。

 ただし、本書ではそこまでのエグゼクティブ像には踏み込んでいないような気がする。これは、エグゼクティブはまずは自分をマネジメントするのが先決であって、マネジメントができない人間にリーダーシップなど発揮できない、ということをドラッカーが暗示しているからなのかもしれない。


(※1)「勝つことが最大のファンサービスだ」と公言して、8年間勝利の追求に徹した中日の落合前監督は、まさに顧客=ファンの要求を書き換えた例だろう。それまでのプロ野球ファンは、選手やチームに対して「面白い野球」や「ファンサービス」を期待していた。しかし、落合氏はそうした余分な要求を全て取り払い、勝利のみをチームの目的とした。そして、勝つために個々の選手がどのような仕事をしなければならないかを考え、その仕事を1年間全うできるようなスキルとスタミナを身につけさせるための猛練習を選手に課したわけである。

《2012年5月6日追記》
(※2)「顧客の要求が非合理的であるかもしれない」ことに加えて、「顧客は自分が何を望んでいるのか解らない」というのも現実である。岩崎邦彦著『小が大を超えるマーケティングの法則』によると、「あなたの現在の生活で足りないと思う商品を1つ挙げてください」という質問に対し、消費者調査では1000人中668人が「特にない」と答えたという。だから、従来型の市場調査から何か斬新な製品やサービスを導くことは難しい。

 もし、「現在の企業に足りていないものを1つ挙げてください」と問われれば、顧客に対して「今まで考えたこともなかったけれど、言われてみればそういうモノやサービスがあったら嬉しい」と思わせるような新しい価値を解りやすく提案していくイノベーターの創造力と答えるだろう。


小が大を超えるマーケティングの法則小が大を超えるマーケティングの法則
岩崎 邦彦

日本経済新聞出版社 2012-02-25

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February 29, 2012

《メモ書き》モチベーションと業績の関係モデル―『熱狂する社員』より

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 先日の記事「自分自身は信頼するが、未来への希望は下がり始めるミドル層―『ミドルの自己信頼が会社を救う(Works No.110)』」で、リクルートワークス研究所が新たに提唱している「自己信頼」という概念にいろいろと突っ込みを入れたわけだが、同号でも書かれているように、そもそも「自己信頼」と個人や企業の業績との関係はまだ検証されていないとのことである。
 この量的指標の扱いが、自己信頼の今後の課題でもあるという。たとえば、自己信頼の高い従業員は、上司による評価も高いのか、業績上の成果も上げているのかといった、自己評価ではない客観的指標との相関は、まだ検証されていない。
 ちなみに、同号で「自己信頼」と類似の概念として取り上げられている「自尊感情(自尊心)」に関しては、定量的に測定する方法が確立されているという。そして、個人の「自尊感情」が高すぎるのも組織にとっては問題であることが明らかになっているそうだ(うぬぼれが強い人は周囲から煙たがられるために、円滑な人間関係を構築できず組織全体のパフォーマンスに悪影響を及ぼすことは、感覚的にも理解できるところである)。

 ところで、同号を読みながら、根本的な疑問として、「モチベーション」と「業績」はどのように関係しているんだっけ?と思い、本棚から『熱狂する社員』(デビッド・シロタ他著)を引っ張り出してきた。

熱狂する社員 企業競争力を決定するモチベーションの3要素 (ウォートン経営戦略シリーズ)熱狂する社員 企業競争力を決定するモチベーションの3要素 (ウォートン経営戦略シリーズ)
デビッド・シロタ スカイライトコンサルティング

英治出版 2006-02-02

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 本書は、社員のモチベーションと業績に関する30年以上の実証研究に基づくものである。1994年以降だけで、89か国、237社におよぶ民間企業、公的機関、非営利団体に勤める250万人ものデータを収集したとのことである。これらのデータを分析した結果、社員の「正のモチベーション」(※「仕事をやりたくない」という「負のモチベーション」もあるので、敢えてこの表現にした。なお、正のモチベーションが強い社員を、本書では「情熱的」と呼ぶ)と企業の業績には強い相関関係が見られるという。

 ただ、あくまでも”相関関係”であって、モチベーションと業績をめぐる関係はもう少し複雑である。著者は、モチベーションと業績に影響を与える、あるいはモチベーションと業績から影響を受ける他の因子との関係をまとめて、以下の「人材パフォーマンス・モデル」を提示している。

人材パフォーマンス・モデル(モチベーションと業績の関係)
(※本書より筆者作成)

 「社員の士気」が高まると、「社員のパフォーマンス」が向上⇒「顧客満足度」が向上⇒「顧客の購買行動」が向上⇒「企業の業績」が向上、という流れで業績向上につながる。さらに、「社員のパフォーマンス」、「顧客満足度」、「顧客の購買行動」、「企業の業績」は、いずれも「社員の士気」に対してブーメランのように跳ね返ってくる因子でもあり、これがフィードバック・ループと呼ばれる。

 また、「社員の士気」には、「リーダーシップ」や「経営慣行」が影響を与える。ここで、「リーダーシップ」と「経営慣行」については、それぞれ次のように述べられている。
 本書では基本的に、経営者や管理職による日々の経営慣行が、社員の士気にどんな影響を与えるか、それは企業の業績にどうつながるかについて論証している。しかし経営慣行は、社員のパフォーマンスに直接的にも作用する。チームワークを重んじる企業が高業績を上げるのは、仕事のほとんどが共同作業によってパフォーマンスを押し上げられるからであり、またチームワークにより連帯感が満たされ、社員のモチベーションや情熱といった「スピリット」が高まるからだ。(中略)このモデルにおいて、経営慣行は最も重要であり、社員の士気とパフォーマンスに大きく作用する。
 日々の経営慣行と同様、経営陣のリーダーシップも社員のパフォーマンスへ直接・間接の影響を与える。経営陣は、事業戦略を決定する。(中略)経営陣、特にCEOの能力と事業戦略の堅実性は、成功のための大きな要素である。事業戦略の堅実性は、ビジネスの成功を社員の士気とパフォーマンスにフィードバックすることで、企業の業績をさらに増幅させるのである。

 リーダーシップの威力は、企業文化を決定づけることでさらに拡大される。社員重視の度合いが管理職によって異なることはありえるが、たいてい経営陣の傾向と一致している。経営陣が社員を軽んじる企業では、社員を軽視する管理職の割合は跳ね上がる。
 換言すると、「リーダーシップ」とは戦略(引用文では事業戦略に限定されているものの、事業をまたぐ全社戦略も含んでよいと考える)や、企業文化の根幹をなす価値観・行動規範のことであり、「経営慣行」とは社員の職務デザイン、職場での人的ネットワークの形成、業務のモニタリングと支援、育成・教育機会の提供と評価などといった、社員との日常的な接点において生じる様々な具体的言動、ということになるだろうか?

 本書が面白いのは、
 社員から見て唯一最大のモチベーションが何かを突き止めようとするのは時間の無駄である。社員の「最大の」欲求は1つではないからだ。「とにかくお金」や「そのためならすべてを犠牲にできる」のように1つのものだけを追い求めるのは、心理学的には病気である。
と前置きをした上で、
 人が仕事をするうえでの3つのゴールを、我々はここに宣言する。それは、公平感、達成感、連帯感だ。これを仕事のモチベーションにおける3要素理論として提唱する。
 と断言している点である(※いずれも太字は原文ママ)。要するに、モチベーションを構成する要素は、「公平感」、「達成感」、「連帯感」の3つしかないのであり、社員のモチベーションアップを考えている企業は、この3つに効く施策を打つ必要がある(もちろん、先ほど登場した「リーダーシップ」や「経営慣行」も、この3要素に影響を与える。例えば、明確で正当な評価基準に基づく信賞必罰が風土として染みついている企業であれば、社員の「公平感」が刺激される)。

 ここで、「モチベーション」と「自己信頼」の構成要素を比較してみると、「連帯感」と「良好な人間関係」はぴったり重なると思う。「達成感」には、「過去の仕事の達成感」に加えて、「将来的に大きな仕事をやらせてもらえるかもしれない」という期待も含まれているので、この点では「未来への希望」と重なる部分がある(なお、先日の記事で述べたように、「未来への希望」と「自己への信頼」は部分的に重複している印象があるので、「達成感」と「自己への信頼」も重なる部分があると言えそうだ)。だが、「公平感」に関しては「自己信頼」と重なる要素がない。したがって、「自己信頼」と業績の間に相関関係が見られるかどうかは、個人的にはやや怪しいと推測している。